55. 2019年9月14日 18:28:32 : lVVUpAxErI : bW15NEo0anpVdGs=[1]
危機対応のネットワークの意味とこれからを考える必要がある。
今回の千葉の断水、電気復旧遅延の件、県行政、国はどう考えてこれからどう対策を講じるというのか。
台風15号といういまだ不確かな全貌による未曾有の脅威、甚大な被害が誰にも予測だに出来なかったと言い訳ばかりの行政関係各所の自己弁護的言い逃れへ対する不安と併せて、過ぎ去れば忘れるとした暫時的通常復旧修理工事を取り急ぐばかりの流れは、果たして来年以降また同じことが繰り返されることとなったら?という現実的な問いかけを抹殺するだけの勢いと捉える。想定しなかったとする事が現実に起こりえた後の虚脱感と怒りと虚無感には目も当てられない。そんな未来の不幸など誰も好き好んで意識したくなどないが、事実、実際的に起こりうる事が起こりえた訳であるから、不安を口にせず騒ぎにしなければ穏便に済ませるというものではなく、そんなことで問題を無かったことにするのもおかしい。「暫定的にこれ迄の対処で問題ない」とする根拠を十分に示せねばなら無い。この度の台風の性質を解明し、風向き、発生時の瞬間の変化、周囲の条件、近隣の被害、すべてを解明するには多角的な第三者の目が必要で、それらから総合的に判断せねばなら無い。それもせずではなんら手だてを考えず、事をおざなりに済まそうとするのも同じ。ゴルフ場の鉄柱しかり、ああいうものはそもそも行政の届け出で、場外に倒れてはならない設計にされてるはず。それだって御座也である。山林の倒木被害も、行政が抱き込む選定業者と電気事業者らとの繋がりがあまりにも意思疎通がこれまで不十分であったことから生まれている。つまり分担ではなく利益分断で、行政と民間事業との連繋の不備が浮き彫りになった。ライフラインに関わる分野は普段から行政と事業連繋されていなければならないはずだろう?
気象予報士などという後付けの講談師の説明などいつ聞いても眉唾物で、災害時にはなんの安心の担保にもならず、まやかしというほかない。この既知外の条件下で起きた被害で、何かがおかしいと感ずるならそれを素直に述べねばなら無い。なんだかんだと屁理屈をつけて、現状の災害に迫られる対応の選択の邪魔にしかなってない。役にも立たない論法などには固持せず、別途これに加えて現実的な対処方法を考えるべきだ。まずは被害の想定を引き上げて、起きた場合に備えた何らかの手だて、方策を民間から募り、災害時に対応できる手筈を考える必要がある。
行政は何故か民間に力を借りようとせず、民間もまた、行政の支持をただ待つばかり。まったく疑問に思う。行政のみに与えられてるとした権限などとおに失墜して居るというのに。いつまでも権力の座にのさばろうとする連中がなりふりかまわず無能を晒すばかりで実に「如何わしい」かぎりである。
地方は独自に優れた発案を民間から募り、選定されたアイデアに対して一定の補助金を与え、発布、施行するべきだ。他県同士競合し、良い所は共有する。
以下を無所属の議員(野党系の当選議員)のもとに拡散、伝達して欲しい。
人づての働き、ネットワークによる緊急時の対策として民間の力には偉大なものがある。
その都度ボランティアの意志を募り頼るのではなく、日々、内から外へと、普段のネットワークを活用した人海コミュニティを生み出し、日々の活動にて訓練し、人との繋がりを深めていく働きが地方には必要である。これは例えば野山に飛び交う蜂の働きと同じである。
例えば困っているところに人の手がすぐに向かう人員をできるだけ地方には多く必要である。
国並びに地方行政はその働きを補助する責任がある。マンパワーを維持する社会の仕組みが必要である。
行政にはその枠組みを整える責任がある。その特別な資格を独占するのであるから、常に日々、その資質が問われるのは当然。資質がなきゃ資格など剥奪するのみである。
以上。
民間の中には職を失っているが、アイデアと創造性に富んだ若者が大勢居る。それらの声を聞く時である。
さて、すでにあるとするネットワークはどうか。財団法人ともなれば税を逃れるのは何故だろうか?金を社会に払いもせず、溜め込むばかりの団体が、特別扱いされている状況の中で、何をこの災害時に展開してるというのか?
新興宗教団体のネットワークはこうした不遇の災難の時、如何にして動いているか?個別にただ庇護を受ける資格だけを主張しているわけではないだろう?何の為のネットワークなのか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo265/msg/514.html#c55