65. 2019年7月03日 20:42:25 : uSi7Y59eyQ : bTJsRW0xTVppQmc=[1]
関西大学経済学部教授(北朝鮮社会経済論専攻)の李英和氏は、北朝鮮分析に秀でた一人である。
彼は、4月26日、参議院の国際経済・外交に関する調査会(会長・鴻池祥肇)に参考人にとして呼ばれ意見を述べたが、その分析と対応の指針は優れたものだった。
北朝鮮が保有している小型核弾頭は、すでに20発保有していると述べた。
その根拠は、次の通りである。1991年にソ連が崩壊し、北朝鮮はウクライナ、カザフスタンから核弾頭を5発入手した。それをモデルにし、さらに核兵器開発に従事していたソ連の研究者が失職したため雇い入れ、以来、25年に渡り研究開発を行ってきたため、小型核弾頭の信頼性も高い……という指摘である。
また、このまま推移すれば、3年後の2020年には50発を保有すると予測した。
さらに生物・化学兵器は5000トン保有しており、アメリカとロシアが条約に基づき削減している中で、実質的に世界一の保有量となっていると分析した。
李教授は、「脅威の度合い=軍事的能力×攻撃意思」であるとして、能力としては、上記したように軍事的能力が高く、また、専門のミサイル部隊、生物・化学兵器部隊を発足させ、即座に発射できる態勢を整えているという。そうなると、あとは独裁者・金正恩委員長の決断(意思)一つとなる。
こうした李英和氏の分析は、単なる知識ではなく人生経験からにじみ出る説得力があった。彼はいかなる経歴を持っているのか。
◆朝鮮人学校処置方針 … 昭和24年10月12日 閣議決定
朝鮮人子弟の義務教育は、これを公立学校におこなうことを原則とする。
義務教育以外の教育をおこなう朝鮮人学校については、厳重に日本の教育法令にしたがわせ、無認可学校は認めないこと。
朝鮮人の設置する学校の経営等は、自らの負担によつておこなわれるべきであり、国または地方公共団体の援助は1の原則から当然にその必要はない。
◆日刊SPA!北朝鮮留学で見たものは「絶望」
◇ ◇ 在日朝鮮人三世として生まれ
李英和氏は、在日朝鮮人三世として大阪府堺市に生まれた。李氏は著書『朝鮮総連と収容所共和国』(小学館文庫、1999年、元本のタイトルは『北朝鮮収容所半島』1995年)で次のように書いている。
彼は高校生の時に、朝鮮人の友人を求め朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会の略称)傘下の朝青(在日本朝鮮青年同盟)に加入した。
しかし、「(金日成という)独裁者にいいように振り回され、それでも忠誠をささげ続ける。そんな朝鮮総連の姿は、高校生の私の眼にも異様に映った」と記している。
李氏は関西大学の夜間部に進学し、朝鮮総連系の大学組織である留学同(在日本朝鮮留学生同盟)のサークルに入り、反差別運動や韓国の民主化運動に精を出したが、「金日成主義を信奉する先輩たちとは、どうしてもソリが合わなかった」と述べている。
その後、就職浪人したこともあり大学院に進学し、朝鮮総連傘下の社協(在日本朝鮮人社会科学者協会)に加盟した。朝鮮総連の体質には何かしら冷めた目を持っていたが、仲間との交流を求めていたのだろう。
◇ ◇ 北朝鮮留学、祖国には絶望しかなかった
人生の最大の転機となったのは、関西大学(経済学部)の助手となり在外研究の機会を得て、1991(平成3)年4月から12月までの8か月間、北朝鮮のシンクタンクである朝鮮社会科学院への留学であった。
そこで垣間見たものは何だったのか。食糧事情がひどいことは知っていた。それ以上に、「普通の民衆も現状にすっかり失望し、そして将来を絶望していた」「(北朝鮮)労働党の恐怖政治は、民衆に一言の不満の表明も許さない」「食糧危機に喘ぎ、圧政に苦しみ、収容所に囚われる」という北朝鮮の現状であった。
こうして1993年より李英和氏は、NGO団体「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(略称=RENK)を結成し、金日成父子、さらに労働党政権への批判を明確に打ち出し、北朝鮮の民主化を公然と掲げ活動し始めた。
◆日刊SPA!朝鮮総連のすさまじい乱暴狼藉
◇ ◇ 北朝鮮の民主化を求める集会に朝鮮総連の乱暴狼藉
1994(平成6)年4月15日、この日は北朝鮮の金日成主席の82歳の誕生日に当たる日であり、李英和氏は前述のRENKによる「北朝鮮民主化支援・全国集会」を、東京、名古屋に続き大阪で開いた。東京、名古屋でも小競り合いはあったという。
大阪の集会への朝鮮総連の反撃は、すさまじいものがあった。
「李英和を出せ」「李英和を殺せ」――こう叫びながら、私をめがけて数十名の屈強な若者が次々に突進してくる。百名近い集団が、…RENKの大阪集会を襲った。襲撃の主は、金日成父子を支持する一団だった。近畿一円を中心に、東京からも動員された朝鮮総連のメンバーたちである。…ただならぬ事態に驚いた大阪府警は、二百名ほどの機動隊員を緊急動員した。だが、…朝鮮総連の突撃隊は、警察官を押し倒し、警備の壁を突き破って襲いかかる。
主権国家・日本で行われた朝鮮総連による乱暴狼藉である。このRENK事件に関して、大阪府警は4月25日、朝鮮総連大阪本部など8か所を「威力業務妨害」として家宅捜索した。それまで朝鮮総連への家宅捜索はタブーとされていたが、「1955年に朝鮮総連が結成されて以来の出来事」となったという。
朝鮮総連は、この事件に「無関係だ」として家宅捜索に猛然と反発し、大阪府警や東警察署に対し一か月近くの間、連日数千人規模の抗議デモを行ったという。しかし、事件の指令書や計画書などの大量の証拠品が押収される結果となった。
◇ ◇ 左派系文化人は、朝鮮総連を擁護した
情けないことには、朝鮮労働党と友好関係にあった日本社会党の国会議員や、親北系の日本の知識人や文化人が、不当な家宅捜索だとキャンペーンをはったのである。
こういう左派系の人々は、一見、正義を装いながら、北朝鮮の民主化を求める人々の言論の自由を貶め、乱暴狼藉という暴力行為を容認し、人権抑圧に加担した罪は重いものがある。さらに、わが国の安全保障の正当な議論を捻じ曲げてきた責任も重大だ。
警察が家宅捜索で押収した資料の中には、李英和氏の個人ファイルもあった。
彼の住所・電話番号はもちろん、乗用車の車種とナンバー、詳細な通勤経路、購読新聞名、郵便物の量や内容……といったものである。「尾行と張り込みを続け、郵便受けをあさる」といった行為が、平然と行われていたのである。
李英和氏には、北朝鮮の民主化を妨害しているのが朝鮮総連であると確信したに違いない。
2010(平成22)年3月11日、日本での高校授業料無償化に朝鮮学校を含むかどうかが議論されていた際に、李英和氏は文部科学省で記者会見した。
彼は、朝鮮学校で用いられている独自に編纂された教材『現代朝鮮史』を公開し、「すべての記述に金日成、金正日の功績が出てくる」と述べた。その内容は、民族教育に値しない思想教育であり、「朝鮮学校は朝鮮労働党や朝鮮総連の支配下にあり、……学校が非民主的に運営されていて問題があり、…文部科学省の指導が届かない学校に無償化を適用するのは疑問だ」と語った。まったくその通りである。
◆産経:「北は常識とは違う国」 脱北女性2人が前橋で証言。2018年6月15日
史上初の米朝首脳会談から2日後の14日、前橋市大手町の群馬県政会館で、「脱北者の話を聞く集会」(群馬拉致議連主催)が開かれた。韓国人の父、日本人の母という共通項を持ち、2002年に脱北した女性2人が北朝鮮での過酷な実態や脱北の経緯、独裁政権への怒りを語った。(前橋支局 吉原実)
登壇したのは、荒川昌子さんと佐藤美子さん(ともに仮名)。
荒川さんは昭和27(1952)年、埼玉県出身。11歳のとき、父の強い意向で帰還船に乗り北へ渡った。当時の日本国内では、北朝鮮を「地上の楽園」と表現して疑わない人たちが多くいた。「楽園へ行く」と口にしていた父はすぐに亡くなった。
「金日成時代は、なんとか食べ物があった。せっけんも塩も、配布された。金日成が亡くなり、この世がおかしくなると思った」
初めての脱北は失敗に終わる。中国へ向かうために川を渡っているところを捕らえられ、「牢屋」に連行された。金正恩朝鮮労働党委員長の父の金正日体制だった当時に脱北を試みる人が続出したため、連行先では「6畳の部屋に20人くらいいた」という。周辺で、毎日のように死体を目にしたことから「感覚がおかしくなった」と振り返る。
2002年、中国国境にある流れの速い川の横断を再度試み脱北に成功。平成19(07)年にようやく日本の土を踏んだ。「脱北できたことがどれだけ幸せだったか、今でも考える」と語る。
佐藤さんは北朝鮮北東部の咸鏡北道で昭和46(1971)年に生まれた。父は在日韓国人1世として日本で生活し帰還船で北へ渡ったが、「亡くなるまで自分の選択を後悔していた」。 夫が韓国軍捕虜を捜索していたことから監視対象となった。父の影響もあって脱北を決意し、02年にシベリアに近い中国吉林省のキリスト教会で保護された。その後、脱北者を支援する「北朝鮮難民救援基金」の協力でタイへ渡航、11年に日本入国が許可され、現在は内装工事会社を経営している。
北が「常識とは違う国」であると知ってほしいと願い、初めて自身の体験を口にした。12日の米朝首脳会談では「朝鮮半島の完全な非核化」で合意したが、佐藤さんは「私たちはそこ(北)に住んでいて出てきた者。現実をよく知っている。会談は本質的なことが語られたわけではない」と断じる。今後、複数回の会談を重ねても「金一族のための会談になってしまうのではないか」と危惧しているという。
一方、4月27日に実現した南北首脳会談について、荒川さんは「とてもうれしかった。私の家族は今も北におり、会いたいし話したいことがたくさんある」と語り、「南と北は1つの民族。早く1つになってほしい」と訴えた。
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