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[番外地7] 大西さんは形のある物を作るのが価値有る仕事だという考え方 中川隆
2. 中川隆[-12067] koaQ7Jey 2020年7月23日 08:38:48 : Wq5ELzbtHM : bnJDSTk1YTFNU0E=[1]
大西さんは形のある物を作るのが価値有る仕事だという考え方ですね。
パチンコ屋とかギャンブルは何も生み出さないから、穴を掘ってまた埋めるのと同じ類の後に何も残らない無駄な仕事
スポーツも後に何も残さないから無駄な仕事。
日本語より英語を学ぶ方が世界中で使えるから価値が有る
日本で勉強するよりアメリカに留学した方が世界中で活躍できるから価値が有る

すぐに死ぬ人間の治療や介護も後に何も残さないから無駄な仕事。

要するに新自由主義的合理主義ですね。

大西さんは個人的意見ならともかく政治的公約として言うから非難されているんですね。
どんな価値観を持つかは自由だけど、それを法律化されると困るという話です。
中国人以外は滅ぼした方がいいとか、有色人種は人間じゃないとか、どんな意見を持とうが自由ですが、政策としてそれを実際に実行されると困るのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/872.html#c2

[番外地7] 日銀が発行している円紙幣は日銀の借用書 中川隆
1. 2020年7月23日 11:45:57 : Wq5ELzbtHM : bnJDSTk1YTFNU0E=[2]
「商品貨幣論」は何処が間違っているのか


貨幣プール論 貨幣ヴェール説 それは商品貨幣論
http://niseifukyu.livedoor.blog/archives/6199394.html

前回までの3回の記事で

「金融とは、本来、信用創造での貨幣の発生・消滅の機能を、物質的な移動現象に置き直した表現方法である」
とお話ししました。
そして、その「置き直した表現方法」は、「貨幣に信用を与える」という大事な役目がある、
とも言いました。

これはつまり「金融とは信用創造を商品貨幣論的に見るという行為」なわけです。
(ようやくスタイリッシュにまとめた表現ができたw。)

例として取り上げたのは「銀行間の送金振込」ですが、これは別に銀行間取引でのみ行われるわけではありません。
政府と民間銀行、政府と日銀、日銀と民間銀行、そして民間銀行と企業や私たち民間人、全ての取引関係において行われる信用創造の現象を「物理的な移動現象」に置き直して表現することができるわけです。

そして、この「置き直し」があまりにもリアルであるが故に「信用創造」での説明を重要視しないで「商品貨幣論オンリーで貨幣現象を見てしまう」というのが現在の経済観の間違いの原因となるわけです。

「あまりにもリアル」なのは商品貨幣論が「物質的な移動現象」だから「信用があるため」ですね。
経済評論家の三橋貴明さんはこれを「貨幣プール論」と呼んで国家財政に適用することを批判しています。


■貨幣プール論
貨幣を貯めることができるという物質でとらえて、それを汲み上げて使う。
皆さんにとって一番なじみ深い、当たり前の、そして疑いすら持たない考えだと思います。
中学の公民で「国庫」というものを習ったと思います。そして、国家予算を決めて、その国庫にあるお金を使う、という。
あれが貨幣のプール論です。

この貨幣プール論には亜流がたくさん存在します。

例えば「企業の内部留保の市場への放出させるための経済政策を・・・」という考えは皆さんもマスコミ等でよく聞きませんか?
政府もよく言いますね。

これは
「企業に内部留保という『貨幣のプールがある』ということ」
を前提としています。

この企業の貨幣のプールを放出させる政策、というのは
「インフレにして貨幣の価値を下げれば企業も貨幣のプールを放出し・・・」とか
「内部留保に税金をかける資産課税を・・・」、
あとはちょっと珍しいところで言うと
「時が経てば価値が減っていく貨幣(ゲゼルマネー)にすれば企業が貨幣のプール放出するはずだ」
というのは全部「商品貨幣論(金融)に基づく政策」ということになります。

また、「クラウドファンディングでお金を集めて」とかいうのもありますよね。あれも「貨幣のプールを作りましょう!」という考えです。
あれは「民間の貨幣をかき集める」という点でいえば「デフレを促進する」ものなので、政府や公共性の高い組織が主導していいものではありませんが、地方創生の財源としてやろうとしていますね、政府・・・(ぎゃあ)。

そして、「ベーシックインカム」は特に貨幣のプールのイメージが強い政策です。
寧ろプールが無ければできない政策です。

あれは
「政府の国庫プールの貨幣を国民の小さな貨幣のプールに分配」して、
国民一人一人に「あなたにはこれだけの価値の貨幣のプールを与える」
という「プールを国家権力が与える」という独裁的な形態をとります。

さて、以上が、簡単な「貨幣プール論」の説明になります。

他に「貨幣ヴェール説(貨幣ヴェール観)」という表現の方法があります。


■貨幣ヴェール説
これは、貨幣を物質として捉える、というよりは「交換する商品同士の間に存在する、仲立ちを行う媒介物」というイメージになります。
提唱者で有名なのはデイヴィッド・ヒュームというイギリスの哲学者で、「アダム・スミスとマブダチ」だった人ですね。
多分、親友の商品貨幣論を何とか補強してあげよう、という考えだったのかもしれませんね(よけなことを・・・w)。

何で「ヴェール(布)」というのかというと、「交換する商品たちの間に覆い被さっている布(ヴェール)」というイメージになるからですね。

Aという商品とBという商品の間にある
覆い被さったヴェール(貨幣)により
AとBはお互いを行き来する。

つまり、商品の交換を促進するのが貨幣である、ということになるので、最終的にはこちらも貨幣プール論いう「物質交換」に行き着きます。

つまり結果的に二つとも同じものです。

更に面白いのはこの貨幣ヴェール説は経済学の黎明期の学説だったこともあるのでしょうが
「覆い被さっているヴェールに過ぎないんだから、貨幣の量が増えようが減ろうが経済には全く影響しない。重要なのは物質としての商品が交換されることだ。」
と考えているところです。
つまりおそらく今の新自由主義な思想のレッセフェール(自由放任に任せよ)の卵です。

(因みに、この貨幣ヴェール説から「いや、そうは言うけど、貨幣量は現実には影響するだろ?銀貨の価値が増えたり減ったりするじゃん。多少コントロールする必要なくね?」という考えが組み込まれたのがデヴィッド・リカードの「貨幣数量説」になります。)


前回3回の記事を読まれた上でこれを読まれている方は方は気づくと思います。

「商品貨幣論」は「金融・市場・ミクロ経済(買い物)」の分野では当然の考えです。
私も「貨幣に信用を与えるために商品貨幣論、金融の概念は必要」と考えています。
ですので、私はこれを全否定しているわけではありません。

しかし、国家の財政(マクロ経済)を信用以外の側面、特に「供給の分野で語る場合」は、「全く相応しくない」ということが分かると思います。
何故なら、国家財政の貨幣は本来「信用創造」によって調達されるのですから。
貨幣は「現実には物質的な移動はしない」のが「本質」なのです。

以上から私は
「商品貨幣論」は「信用創造された貨幣(まだ説明が足りていませんので信用貨幣論とは表現しません)に従属するものだ」
と考えております。

________


金融と信用創造の関係について1
http://niseifukyu.livedoor.blog/archives/6073813.html


さて、今回は金融と信用創造の関係について書きます。

信用創造、というのはMMTの広まりから、金融機関で行われる貨幣の発行であり、「現金を無から作り出す方法(万年筆マネー)」だ、というのはだいぶ浸透してきています。

ですが、実際には、未だ「又貸しモデル」を前提とした理論を信用創造という人は多く、特にそれは「金融業界」の人がとても強く認識しているように思います。
100万円がA→B→C→Dとめぐり巡って、100万以上の乗数効果の膨張を信用創造と言ったりしていますね。
はっきり申し上げて、あれは信用創造ではありませんが、敢えてそれを信用創造というのであれば、あれは「ミクロ経済の金融市場限定の信用創造」です。本来の意味での信用創造ではありません。

そこで、とりあえず私は「金融」の概念をまず定義したいと思います。
勿論この定義は辞書的定義ではありません。
私独自の定義ですのでよろしくお願いいたします。

すごく簡単に言います。
金融とは「本来流れていないはずの貨幣」を「流れて移動している物質」として可視化する、一種の実体化ビュー(ビューとは視点)だと思われます。


例えば、Aの持っているB銀行口座から、Cの持っているD銀行口座に100万円振込が行われて、貨幣が送金されるとしましょう。

それを金融の取引として大雑把に表すとこうなります。

1.
@Aの振込む100万円は、Bの銀行口座から、B銀行が日銀に持っている日銀当座預金に変換されます。
  ⇓
Aその後、C銀行の日銀当座預金と取引されて、それが日銀当座預金から、通常使用できる貨幣に変換されてDの口座に100万円振込まれます。

Bこの時に日銀・民間銀行間での貨幣のやり取りに使われる取引証明が「国債による照合」だということになります。

以上となります。
はっきりと、眼で見て貨幣が「A→B銀行→(日銀)→C銀行→D」というように物質が動いているのが分かるかと思います。

これが、実際には違う、というのが私の意見です。
信用創造の概念を用いると、こうなります。

2.
@Aのお金がB銀行の口座から100万円消滅する。

AC銀行でDの口座に100万円の信用創造が行われる。

以上となります。

2.を読んで「えっ?」
と思われる方もいるかもいるかもしれません。
ですが、これが「信用創造」を前提としている場合の、「振込」という業務の真実です。

1.と2.との間に「違いはない」と思われる方もいるかもしれません。
確かにAから100万円が消え、Dに100万円が現れるという結果だけを見れば1.と2.は「全く同じもの」と思われるかもしれません。

ですが、

1.は明らかに「貨幣という物質がA→B→C→Dというように移動した」ことにより振込が行われたわけですが、

2.は移動していないわけです。

そこに物質の保証がなくても「書き込めば貨幣を生み出せる」のが「万年筆マネー」という「信用創造」なのですから「移動」という物質の概念を持たせること自体が実は違う、のです。

これが現実です。
1.は「後に移動して補填する」という点で「信用創造の否定」が前提ですらある、といっても過言ではないのです。

特に、信用貨幣で管理通貨制度の現代は、貨幣の価値は金という物質(商品)との交換を担保とした「金本位制度ではない」わけですから、2.こそが真実であることは改めて述べると、「あ、そうか」と思われる方も多いかと思います。

_____

金融と信用創造の関係について2
http://niseifukyu.livedoor.blog/archives/6079300.html

カテゴリ:貨幣についてさて、前回の続き、というか
追記を行います。

前回は、貨幣は銀行から銀行へ送金振込をされる、ということはどういうことなのか、というのを表してみましたが、下記で下地がグレーになっている部分が今回追記した部分となります。


◎貨幣の振込が行われるとしたら

■「貨幣のデータの物質的移動」ならば、

1.
@Aの振込む100万円は、Bの銀行口座から、B銀行が日銀に持っている日銀当座預金に変換されます。
  ⇓
Aその後、C銀行の日銀当座預金と取引されて、それが日銀当座預金から、通常使用できる貨幣に変換されてDの口座に100万円振込まれます。

Bこの時に日銀・民間銀行間での貨幣のやり取りに使われる取引証明が「国債による照合」だということになります。

Cもし「デジタル上のデータ通知」という意味でもそれは「移動」と同じ意味です。
スピードに差があるだけで、金貨を運ぶのと、紙幣を運ぶのと、デジタルデータで通知するのは同じA→B銀行→(日銀)→C銀行→Dになります。


■「貨幣を無から創出する」という「信用創造」での送金振込なら

2.
@Aのお金がB銀行の口座から100万円消滅する。

AC銀行でDの口座に100万円の信用創造が行われる。

B上記@Aは本来、連動することなくバラバラに行われる。

ということになります。


まず、何故、1.のCの追記を行ったのか、というと
「データ通知」とは「数字を物質として移動させる行為」と私は思うのですが、これを物質の移動としては認識せず、銀行の「データ通知」は「移動ではない」というイメージと持たれている人が一定数いることに気付いたからです。

私はこれは違うと主張します。
データの通知は、金貨を銀行間で移動させることや、現金紙幣を移動させることをスピードアップさせただけで、「本来物質ではない情報を、物質として移動させている」時点で本質的には「物質の移動」なのです。

そして、2.のBですがこの追記は
「無から貨幣を想像する信用創造」というイメージを確固としたものにするため、「本来は連動していない」ということを強調するために加えました。

変なことを言うと2.は
@で1000万円が消滅し、
Aで100万円の信用創造が「何故か」行われる、
という現象を起こすことだってあり得るわけです。
もちろん現実には「敢えて連動性を持たせているので」そのようなことは行われないわけですが。

つまり、何が言いたいか、というと、重ねて念を押すことになりますが、
銀行の日銀当座預金があろうがなかろうが、2.は行われるし、
日銀当座預金は実際には1.の「データ通知という移動を行う際に必要」なのであって、
移動させないのであれば必要ない、というのが私の結論です。

では
本来2.であるならば、
何故、普段はまるで1.のように貨幣は移動していると、説明されるのでしょうか?

これについては実はすでに上記で結論を述べてしまっています。

先ほど説明した
 @でB銀行でAの口座から1000万円が消滅し、
 AでC銀行のDの口座に100万円信用創造が行われる

という現象が起こってしまうと大きく齟齬が出てしまい、きちんと振込が行われなった、ということでB銀行とC銀行では「振込すると貨幣額に変動がある」(チョロまかされる)という点で信用が損なわれることになります。

そこで、B銀行とC銀行の間に「敢えて連動性を持たせ」、まるで「貨幣というデータが物質移動しているかのように『同額の消滅と信用創造』を行う」ことで、利用者から「移動させても貨幣額に変動がない」(チョロまかされていない!)という信用を得ているわけです。

誤解を恐れず言いますと、日銀当座預金という「概念」は、実際には働いていなくても(或いは存在していなくても)、まるで連動しているかのように語ることによって、変化のあった貨幣が事後処理的に「まる移動したかのように見せかけて信用を得るため」に必要なのです。

私はここで、日銀当座預金というものを貶めているわけではありません。
日銀当座預金、というものがあるから、本来あやふやであるはずの「信用創造」という実際には信用のはっきりしない「負債(借金)」に「それは貨幣である」という「信用」を付与されるのです。
日銀当座預金は貨幣取引上信用を確保するためには極めて重要なものだ、ということを最後に申し添えておきます。

今回は以上となります。

________

金融と信用創造の関係について3(金融について まとめ)
http://niseifukyu.livedoor.blog/archives/6122365.html

さて、前回書いたようなことを常々思っていた私自身が、最終的に慨嘆したのは「金融って何だろうなぁ」ということでした。

日銀のサイトでは前回の記事内容の銀行間での振込業務はこのように書かれています。
https://www.boj.or.jp/paym/outline/kg53.htm/
kg5d
丁寧に図までついています。
これでは勘違いする人がいて当たり前ですよね。
「勘違いするように書かれている」わけですから・・・。

つまり、前記事の1.で書かれているわけです。
貨幣を無から創造する2.を前提としては書いていないわけですね。

通帳に数字を書くことで生まれる万年筆マネーは日銀も現実には行っていることですし、国会の答弁でも否定していないのですが、1.以外の説明は一切が省かれています(国民に知られると都合が悪いんでしょうか?本当にイングランド銀行は素晴らしい…)。

確かに、物質であれば安心感があります。
そして説明しやすいし、私たちも非常に理解しやすい。
「B銀行→C銀行」にお金が移動する、というのは「当然の物理現象」なわけです。
「B銀行で消えて C銀行に新たなお金が誕生する」というのは現実には正しくても、「不自然」に見えます。
つまり、世間一般では1.の方が2.よりも信用できるわけです。

更に言うと、実はこの「移動する貨幣」というのは「金本位制」という「貨幣の価値は金という物質との交換ができるという信用に担保されている」という世の中においては寧ろ、そちらの方が主体であり、2.はその時代であれば「狂人の夢」と思われても致し方ないでしょう。

因みに、この金本位の時代は正確には1971年まで続きました。
今から49年前まではそちらの方が現実だったわけです。
勿論、その中においても不換紙幣への移行や逆行と悲喜交々あったわけですが。

さて、それでは私なりの金融とは何なのか、をまとめてみます。

金融とは「債務で創造される貨幣(信用創造)を、『移動する物質貨幣』として『敢えて扱う』ことで貨幣に信用を与える」ということ、というのが私の考えです。
「『金』という物質を『融かしている』ことを見立てている」=「金融」という、まぁ、昔の人はすごいものです。よくこの漢字を充てたものですね。

そして、察しの良い人は気づいているでしょう。
つまり1.は商品貨幣論です。
融かした貨幣のプールから組み上げる、貨幣プール論です。
貨幣が物質として、商品と交換されるのが、商品貨幣論です。
その商品が金であれば、それは「金本位制」。
米ドルとの交換であれば、「米ドル本位制」ということになります。

ややこしいのは、この商品貨幣論は「信用と価値」が完全に一体化している、というところでしょう。
交換が成立すれば、それは信用を前提としているのと同時に、金の価値、或いは米ドルの価値が、貨幣に付与されます。
この、「信用と価値の一体化」が信用貨幣論にはある意味、全く適さないのです。
まぁ、その話は長くなるので後日に回します。

何度も言いますが、この、とてもリアルに見えるために信用される1.の論理は、しかし、本当の貨幣は2.の信用創造であり1.の金融論理は「敢えて信用を付与する為に行われているオペレーションだ」ということは忘れないでください。

極論、ととらえられるかもしれませんが、誤解を恐れず言いますと、「金融=商品貨幣論」なのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/865.html#c1

[番外地7] 大西つねきは、J P モルガン在職中に、ニューヨークで、ロックフェラーのご子息と同じ職場で働いてました 中川隆
2. 2020年7月23日 12:02:07 : Wq5ELzbtHM : bnJDSTk1YTFNU0E=[3]

御用学者もそうだけど、権力が喜ぶ様な事ばかり言って、権力からお声が掛かるのを待ってるんだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/868.html#c2
[番外地7] 大西つねきは、J P モルガン在職中に、ニューヨークで、ロックフェラーのご子息と同じ職場で働いてました 中川隆
3. 2020年7月23日 12:07:01 : Wq5ELzbtHM : bnJDSTk1YTFNU0E=[4]
御用学者もそうだけど、権力が喜ぶ様な事ばかり言って、権力からお声が掛かるのを待ってるんだよ。
大川隆法はアメリカに留学した時にCIAから声を掛けられ、電通とCIAの援助で教団を立ち上げたから、
大西さんは幸福実現党に入れば上手く行きそうだね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/868.html#c3
[近代史5] 天皇の姓は阿毎氏(あまし/あめし/あまうじ/あめうじ) 中川隆
1. 中川隆[-12066] koaQ7Jey 2020年7月23日 14:45:11 : Wq5ELzbtHM : bnJDSTk1YTFNU0E=[5]

原氏 (皇室) : 「げん - じ」「はる - し」


原氏
https://japan.fandom.com/ja/wiki/%E5%8E%9F%E6%B0%8F

原氏(げんじ/はるし/はらし)とは、日本の氏族である。幾多かの系統があり、越後国にも異流の原氏などがある[1]。

原氏 (皇室) : この姓のみ「げん - じ」「はる - し」と呼ばれる。日本の皇室の姓である阿毎氏[2]が『大化の改新』以降に中国風に改姓したもので、現在の今上天皇(平成天皇)までいたる。この系統から皇別[3]として、橘氏・清原氏・高階氏[4]・在原氏・平氏・良岑氏(桓武源氏)・源氏などの庶家が出て、この系統は地方では貴種として尊ばれた。

原氏 (物部氏) : 物部氏一族の原国造を祖とする氏族[1]。

原氏 (漢氏) : 渡来系の阿智使主(阿智王/阿智吉師)[5]・都加使主(都加王/都加吉師)父子[6]を遠祖とする漢氏または倭漢氏(東漢氏/西漢氏)の系統である坂上氏の系統で原首(はらのおびと)を祖とする。摂津国嶋上郡原邑[7]を本拠地とした[1]。

原氏 (秦氏) : 古代トルコ系とされる渡来系の秦氏の系統で、秦原公(はたのはらのきみ)を祖とする氏族[1]。

原氏 (中臣氏) : 中臣氏の系統である荒木田氏の庶家。伊勢神宮の神官の氏族で、藤原氏とは同族である[1]。

原氏 (度会氏) : 古代に皇室に仕えた神官である度会氏(渡会氏)の系統である氏族[1]。

原氏 (藤原氏) : 藤原南家の工藤氏の系統。陸奥国を本拠地とした[1]。

原氏 (千葉氏) : 丹姓平氏良文流千葉氏(坂東八氏/房総平氏)の庶家。下総国香取郡千田郷原村[8]を本拠地とした。この系統は相模国の北条伊勢家こと相模北条氏(相模平氏)および、甲斐国守護の武田氏(常陸源氏/甲斐源氏)に仕えた原虎胤(まさたね、胤元)[9]・盛胤[10]父子などが出た。通字は「胤」[1]。

原氏 (源氏) : 武家源氏の系統。約3系統ほど存在する[1]。


脚注

↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 『姓氏』(著作:丹羽基二・監修:樋口清之/秋田書店/1970年)
↑ 『隋書』列伝第四十六東夷伝の高麗・百済・新羅・靺鞨・琉求(台湾のこと、琉球とは別)・倭国による。一説では、トルコ系鮮卑拓跋部の支族である禿髪部の禿髪阿毎(禿髪破羌=源賀の末子)の系統で、朝鮮南部の耽羅(済州島)にいた耽羅鮮卑こと州胡の中心部族だったという(『後漢書』列伝第八十五東夷伝)。
↑ 臣籍降下した皇族・宗室の氏族。
↑ 庶家に大高氏が出た。
↑ 阿知使主(阿知王/阿知吉師)とも呼ばれた。
↑ 漢氏は後漢の霊帝(劉宏)の末裔と自称(仮冒)した。
↑ 現在の大阪府高槻市原大字
↑ 現在の千葉県香取郡多古町原大字
↑ 友胤の子、甚内の兄。
↑ 別名は昌胤。横田綱松(横田高松の婿養子、尹松の父)の弟、重胤(貞胤)・直胤(胤貞)の兄、勝胤(昌吉)の父。

https://japan.fandom.com/ja/wiki/%E5%8E%9F%E6%B0%8F
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/232.html#c1

[番外地7] 伊都国で硯が見つかってるよ 中川隆
1. 2020年7月23日 15:13:28 : Wq5ELzbtHM : bnJDSTk1YTFNU0E=[6]
中国鏡を何百枚も買えるのは華僑だけだよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/879.html#c1

   

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