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[近代史5] 漢民族による極悪非道の世界侵略の歴史 中川隆
4. 2021年4月09日 07:13:58 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[1]
04-09 海洋「荒らし」が不測の事態を招くリスク
2021/04/09





http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/538.html#c4
[リバイバル3] KUMANO - 熊野 中川隆
15. 2021年4月09日 08:25:56 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[2]
【和歌山・女2人旅】真言密教の総本山・金剛峯寺[桜R3/4/9]



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/587.html#c15
[近代史5] グレートリセットは米国覇権の崩壊と多極化、中国の台頭を示すもの 中川隆
25. 2021年4月09日 09:11:46 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[3]

2021.04.09
COVID-19騒動を口実にして導入されようとしているデジタル・パスポートの目的
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104080001/

 風邪の原因は大半がコロナウイルスだと言われてきたが、「風邪ワクチン」は作られていない。人間の免疫システムだけで対応できるだけでなく、RNAウイルスの一種であるコロナウイルスは変異が激しく、ワクチンを作れなかったのだ。これは広く知られている話だろう。

 現在、社会の収容所化で生産活動や商業活動を麻痺させ、多くの企業や店の経営を悪化させ、失業者を増やし、ホームレス、そして自殺者を増加させているCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動。その騒動を引き起こしている原因とされているSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)はRNAウイルスだ。それにもかかわらず、複数の「ワクチン」が存在する。

 西側で先行しているBioNTech/ファイザーの製品とモデルナの製品はいずれもmRNA(メッセンジャーRNA)の技術が使われている。モデルナの説明によると、この技術が作り出そうとしているプラットフォームはコンピュータのオペレーティング・システムと同じようなものだという。同社の最高医療責任者であるタル・ザクスは2017年12月にTEDXで行った講演の中で、この技術によって「​生命のソフトウェアをハッキングする​」としている。

 人間のDNAを書き換えようというもので、mRNAワクチンは「遺伝子治療」だという人も存在。効果も危険性も詳しく調べられていない新しい技術だ。それがルールを無視したアブノーマルな形で世界の人びとに接種されつつある。人類全体に悪い影響を及ぼす可能性がある「新薬」に欧米の政府や有力メディアはなぜ執着しているのだろうか。

 その疑問に対するひとつの答えが「デジタル・ワクチン・パスポート」だということは本ブログでも書いてきた。2019年に公表された欧州委員会の「ロードマップ」には、EU市民向けの「ワクチン・カード/パスポート」を2022年にに実現するとされている。

 イギリスのドミニク・ラーブ外相は出演した番組の中で、​パブやスーパーマーケットへ入るためにも「ワクチン・パスポート」を必要にすることを考慮中​だと語っている。衛生面を理由にして個人的に食べ物を売る行為を犯罪として取り締まる動きもあり、「パスポート」なしで取り引きすることが違法になる時代が来るかもしれない。

 また、ヘンリー・キッシンジャーの教え子で、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは、パンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言した。

 そのWEFはロックダウンが世界の都市を改善しているとツイット。彼らによると、地球に悪い影響を与えてきた人間の活動をロックダウンは緩和したと評価しているのだが、人間にかぎらず、生命活動は生態系へ何らかの影響を及ぼす。どこかで折り合いをつけなければならない。そうでなければ、人類は死滅しなければならないということになる。ビル・ゲーツやテッド・ターナーたちが人口削減を口にするのは必然かもしれない。

 シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

 そのリセットを実行する主体になりそうな団体が創設された。リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドを中心とする「包括的資本主義会議」で、ローマ教皇庁との連携を謳っている。その中心グループにはロックフェラー財団のラジブ・シャー、フォード財団のダレン・ウォーカー、あるいはイングランド銀行元総裁のマーク・カーニーも含まれている。

 この団体の背後には強大な私的権力のネットワークが存在しているのだが、目指している方向は、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)と同じだろう。こうした協定にはISDS(投資家対国家紛争解決)条項が含まれ、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。強大な私的権力が各国の政府を上回る力を持つ体制だ。

 ウォール街と敵対関係にあったフランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日、ファシズムについて語っている。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家そのものより強くなることを人びとが許すならば、民主主義の自由は危うくなる」としたうえで、「個人、グループ、あるいは私的権力をコントロールする何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ」としている。

 そうした「新世界」を作り出すため、私的権力はCOVID-19騒動を利用している。彼らにとって、この騒動は絶妙のタイミングで現れた。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104080001/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/504.html#c25

[リバイバル3] ウェスタンエレクトリック伝説 中川隆
206. 2021年4月09日 10:05:22 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[4]
Decca Decolaがお嫁入り
WE 1936 Series No,6 について (1)TA7331
2021-03-19
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/de728b7cf651c07377679b47368e0b67


 1936年1月から稼働したとされる「1936 Series No,6」は10年以上前の雑誌の記事でその存在を知った。Western Electric社が供給していた劇場用サウンドシステムのうち1933年から始まった「ワイドレンジサウンドシステム」の最後期のシステムでその後WEは「ミラフォニックサウンドシステム」へと移行していく(劇場によってはWE555を中心にしたシステムは長く使われた場合もあった)。

 

 (引用:http://www.kaponk.com/2020/12/05/original-western-electric-22a-speaker-system/

 このスピーカーシステムを再現するための構成部品を1個づつ検討していこうと思います。

(1)TA7331 バッフル

 スピーカーでバッフルというのはユニットを取り付ける板のことでこの時代は桟の入った巨大な平面板というのが普通。現代のようなスピーカーユニットが箱に入った場合と比べてコーン紙への負荷が少ないので動きに制約が出にくく素直な音が取り出せるとされる。スピーカーの前後は位相の異なる同じ音波が出るため両者が打ち消しあわないようにするのがバッフルの役目で無限大バッフルが理想的。実際は桟の入れ方などのノウハウがあるが基本的には板に穴を開ければことが足りるので現代でも実践している方はいる。

 TA7331は平面バッフルを前方と後方へ折り曲げて箱状にしたものと考えられる。コンパクトにすることが目的だったわけだが現代のスピーカーにはない前方の箱がユニークで他に例を見ない。ユニットは真ん中あたりに取り付けられ後ろの箱(背の低い方)の天板を外してユニットの着脱を行う。前面の箱はホーンロードのようにも共鳴管のようにも作用する。指向性を狭くし前面に張り付けられた布で高音域がカットされる。

 ボックス後方の45度で取り付けられた5枚の布は後方音を斜め上方に誘導しスクリーン裏の壁に反射させてさらにサウンドテックスドレープと呼ばれる布で導かれ前方に放出され前方音とミックスされる。ネットワークのクロスオーバーは300Hz。

 写真とこの配置図ではサウンドテックスの位置が異なる。配置図では22Aとスクリーンはホーンの開口部の延長のように斜めに結ばれていて後方部分も斜め。一方写真では前方の布は無くボックス後部から垂直に立ち上がって途中から22A下部に向かってゆるく伸びている。配置図に「写真を見ろ」と書かれているのにこの違いで現場は混乱したか?また22Aホーンとの位置関係は3inch(75mm)前方にと書かれている割には後方の壁との位置関係の記載は無く先ほどの推論は怪しい限りだが映画館によって構造が異なるため現場での混乱をさけるためにあえて自由度をもたせた(それだけ後方音の影響は少なかった)ためかもしれない。スペアナがあったかは不明だが実際に音出ししながら位置決めされたと思う。

 TA7331の材質はホワイト・パイン(米松)かFir(もみの木)。またダーク・ウォールナットのオイル仕上という情報もあるが設計図にはそうは書かれていない。使用ユニットは13inchのTA4171,TA4153,TA4151などで6個の金具で取り付けられた。詳細な設計図が残っていて使われる材や釘の細かな指定まで親切に書かれていることからこの箱は現地の大工にオーダーされた可能性もありこの図面があれば十分に製作可能だと思う。しかし単純な形のようだが補強材の入れ方などは結構複雑でその後レプリカが市販されていた事は無いと思う。

 この個体を入手したのは10年ほど前で1980年代に日本で製作されたものらしい。

 

 キズだらけの表面には分厚いウレタン塗装がされていた。まず気になるこの塗料を剥離して

  

    

コンプレッサーが貧弱なのでエアーサンダーは殆ど役に立たない。6時間ほどかけてようやく表面の塗料の剥離が終わった。内部はウレタン塗装ではなさそうでこのままとします。あらためて各部のサイズを測定して上記の設計図と比較すると誤差はほぼ5mm以内に収まっていた。桟の寸法は選別した50mmx50mmのホワイトパインかもみの木という指示だが残念ながらそこまで太くはなくまた1ヶ所桟が入っていないところがありこれは見落としかもしれない。板は18mm厚 5plyの米松合板でこれはほぼ指定通りだった。またボックス前面には「マニラのmedium hevy black china silk」を取り外しできるようにして張れとの指示がありこのボックスも木ねじ跡があるのでそのようにしていたらしい。「medium hevy black china silk」がどのようなものかはよくわからないが結構厚手のものであれば高音が吸収されるフィルターになっていたと思う。ボックス後部の5枚のドレープは取り付けられた形跡は無かった。

 近くの手芸店でサランネットの布を探しに行って普段スピーカーには使わなれないデニム地を選んだ。木枠作って張って前面に鬼目ナットを埋め込んでネジで固定した。

   

 同様に裏側には15cmn角棒5本を借り組みしてみる。ここにサウンドテックスドレープ張ります。この布は「ステップルで固定せよ」となっている。全体の仕上げの指示は「"Derayco" flat black paint」とあり"Derayco"は何の事か不明だがさすがに真っ黒には塗りたくないのでオークのオイル仕上げにした。

  

 定番のワトコオイルを探して数ヶ所のホームセンターを回ったがあまり品揃えがよろしくない。結局違うメーカーのを使用した。こんなに楽な仕上げ方法はないと思うのだが巷の評価は違うのかもしれない。 庭で作業して数時間乾燥させ磨き込んだが部屋に入れるとやはり臭いがきつい。水性オイル(?)もあるがここはしばらく家族には我慢してもらいましょう。

 後部のサウンドテックスドレープの縁は縫っておこうとミシンを引っ張り出して来たが絶不調で単純な直線縫いにもかかわらずかなり難航した。ミシン糸を買ってくるもダメで故障なのか調整不良なのかわからない。かなり古い機種なのでコンピュータは内蔵されていない。市販品を調べてみたが安いものは数千円からあってこれでは街のミシン屋さんはなかなか大変そうだ。実家の母親にも相談したが使っているのは家庭用では一番高価なものだったらしくちょっとびっくりした。実家の職業柄布地はたくさんあってそれらをリフォームする事が日常生活の大きな要素になっている。今後のことを考えても我が家ではミシンの出番はさほどありそうもない。母親からのアドバイスで今のミシンをなんとか調整して事が足りた。異音が出てるのでミシンオイルの注油が必要。

 ようやく完成しました。
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/de728b7cf651c07377679b47368e0b67
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c206

[リバイバル3] ウェスタンエレクトリック伝説 中川隆
207. 2021年4月09日 10:06:50 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[5]
Decca Decolaがお嫁入り
WE 1936 Series No,6 について(2)TA4151 
2021-03-28
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/5faeb1d700bc4688ba04dc867ff4324f


Western Electricの劇場用コーン型スピーカーユニットは当初は12inchと13inchの2種類で各々励磁のための整流回路を内蔵、内臓しないものがあった。いずれも特許権の関係でJensen社からのOEM供給だった。

民生用の12inch(口径約30cm)の励磁型スピーカーは多かったようだが業務用のWE「ワイドレンジサウンドシステム」では主には13inchの複数使用が多く12inchのTA4165,TA4166は現在でもあまり見る機会はない。

 励磁回路を持つWestern Electric TA4165(12inch)  後部の袴に電源トランス、整流管、コンデンサーが搭載されてAC115Vをつなぐ。 

https://www.pinterest.es/pin/361132463850121467/

ボイスコイルDC抵抗:5.7Ω

ボイスコイルインピーダンス:8Ω

許容入力:10W

フィールドコイルDC抵抗:2700Ω

フィールド電力18W

整流管:274A

ボイスコイル径:1.7nch

(整流回路をもたないのはTA4166)

(2)Western Electric TA4151

 TA4151は1933年のワイドレンジサウンドシステムに採用された。

ヴォイスコイル・インピーダンス(最小) 10.5Ω(300Hz)

ヴォイスコイルRCR 6Ω

ヴォイスコイル最大入力(連続) 15W

フィールドコイル端子電圧  105〜125VAC/50〜60Hz

パワーサプライ   0.5A/60W

重量  19.48kg

 13inch(13.5inch)は何と言ってもTA4151が有名でこれは大量に作られたためと思われる。TA4151は励磁のための整流回路を搭載しているがバッフルに複数装着する場合はトラブル回避の目的で整流回路を持たない(外部からDCが供給される)TA4153と混ぜていたらしい。Jensen自社の13inch励磁スピーカーはM,V,Lの3種類がありMは通常使用、Vは主に音声用、Lはウーファー用とされる。このアルファベットの後の数字が10の場合は整流回路搭載、20は非搭載。Western Electric TA4151とJensen M-10はよく似ている。

 TA4151とTA4153(整流回路なし)の寸法図とTA4151の励磁回路

TA4153(整流回路を持たない)

フィールドコイル端子電圧  105〜125VDC

パワーサプライ  0.25A/35W(?)

フィールドコイルDCR  460Ω

重量  13.59kg

WE 1936 Series No,6のTA7331に装着されたウーファーはTA4171だが見たことはない。

TA4171(ほぼ同規格でハム・バッキングコイルを持たない)

フィールドコイル端子電圧  10VDC

パワーサプライ  2A/22W

フィールドコイルDCR  4.45Ω

TA4151,TA4153,TA4171は同じ13.5inchでフィールドコイルのDCRは異なるがほぼ同じ規格と考えられる。フィールド電力がどの程度かだが、大型ウーファーのTA4181が30Wなので22Wくらいが妥当なところではないだろうか。

     

 一般に見られるのはTA4151AでTA4151の改良版とされるがこれはTA4151のラベルになっている。両者の違いはコーン紙ということだが確かにTA4151Aはほとんどがコルゲーションがあるタイプだがこれには無い。ただし長い間にコーン紙を交換する場合もあったと思うので初めからこのコーン紙だったかは分からない。ただスクリーンを白色に塗装した時の飛沫がついているのを見ると結構古くからのものかもしれないと思っている。フレームは本体にボルト留めされていてコーン紙の交換はフレームごとされるので比較的容易だった。どういった状況で使われて居たか不明だが非常に重量のある金属製のL字型のバッフルに固定されていた。JensenのM-10ととてもよく似ているので混同しやすいがわかりやすい鑑別点としては

 

TA4151の整流管のソケットには「274-A」とある(JensenM-10はたしか「83V」だったと思う)。保護カバーの形状も異なる。

 

 袴の内部にはコンデンサーなどが収まる。オリジナルは角形の8μFX2 450V コンデンサーがパラ接続され16μFの平滑回路となっている。この円筒型の電解コンデンサーは同じ16μF。実はこのユニットを購入した時は500μFの電解コンデンサーが入っていた。貴重なWE274Aがあっという間にご臨終になる暴挙で発見した時は驚きと同時に怒りがこみ上げてきた。作られてから90年近くも生き延びてきた遺産には相当の敬意を払ってほしいと思う(自戒も込めて)。

 製造元のJensen社では同様の製品や他社へのOEM供給を行なっていた。

Jensen Auditorium Speaker

    

フィールドDCR:6.35kΩ

フィールド電力22Wで計算してみると

フィールド電圧 373V

フィールド電流 60mA  

 ラベルには「Jensen Auditrium Speaker L-10」とあるがL-10の袴を20と交換したと思われる。「L-」はウーファー用でこのコーン紙はフラットでTA4151と同様にコルゲーションはない。本体の形状も一緒のように見える。

 整流回路を持たないユニットのための直流電源だがJensen製と思われるフィールド電源

     

 ラベルが剥がれて資料も見当たらないので品番などは不明。整流管はWE274Aとほぼ同規格の83Vが指定されている。シャーシ上のトランスはB電源用でシャーシ内にはヒータートランスとチョークコイルがありこのあたりはTA4151やM-10よりも上等。この個体はコンデンサーが交換され多分元々はチョークインプットではないかと思うが通常のπ型平滑回路となっている(自分が行なったと思うがすっかり忘れている)。

 この外部電源について情報をお持ちの方がおられましたらぜひご一報ください。

 整流管83Vがなかったのでかわりに5Z3をさして(ヒーター電流がオーバーするので短時間で)Jensen Auditrium M-20を繋いで電源電圧を変化させながら出力電圧を測定してみる。

 

 前述のようにフィールド電力22Wは出力電圧373Vで達成される。この電源にあるスイッチは低電圧、高電圧の切り替えでその差は30V程度となっている。入力電圧117V、高電圧ポジションで得る事ができた。入力100V時は357Vでこれでも問題はなさそう。電源の平滑回路をコンデンサー入力にしたのは出力電圧の調整だった様子(全く忘れている)。iPhoneのイヤホン出力を入力してしばらく聴いてみた。電流は計算では60mA以下なので電源トランスの大きさから余裕の数値と思われ複数のスピーカーでも大丈夫そう。

Capehart Speaker

   

フィールドDCR:309Ω

フィールド電力22Wで計算してみると

フィールド電圧 82V

フィールド電流 265mA 

 これは同じく13inchだがラベルは「Capehart」になっている。Capehartは高級電蓄メーカーで各社から供給されたプレーヤー、アンプ、チューナー、スピーカーを豪華なキャビネットに組み込んでモノラル電蓄として販売していた。当時の米国の栄華が偲ばれるような華々しい製品群でWestern Electric製のスピーカーが搭載されていたものもある。この個体は端子、取手が省略されていてコーン紙が一般的なコルゲーション入りになっている他は違いはなさそうでM-20の形状と思われる。

 有名なJensen 12AはOEM供給先の仕様でフィールド電圧は様々なものが存在したことからこのCapehart Speakerも注文に応じた仕様と思われる。82V 265mAはどうやって得たのだろうか?セレンか?

  

 これはWEのKS電源で「煙が出て壊れた」というジャンクを譲ってもらったもの。Constant Voltage Rectifireとあるので定電圧電源らしく回路図は内部に貼ってあったが原理はほ全く理解できなかった。元々はダイオード整流でコンデンサーのトラブルで破損していた。緑色はセレンで当時ダイオードの代わりに4個使ってブリッジを組んで修理した。入力は105〜125V 60Hz 出力は120V 0.8A 回路図のR-3で出力電圧が可変できる。以前WE49に使えないかと接続したがどうやってもハムが取れず諦めた経緯がある。この電源が使えないだろうか?

 出力の波形をみると激しく乱れていて当初はセレンを始めパーツの不良を疑ったが電圧の可変はできるし電力は取り出せている様子。セレンブリッジだけ切り離してトランス出力を整流してみたが特に問題なさそう。出力波形はこの方が整っていてこの定電圧電源の用途は音響用ではないのかもしれない。100VAC入力で出力電圧を最小に設定するとDC100V程度になるのでもう少し平滑して綺麗な82V出力が取り出せないか実験してみることにします。

TA7331に取り付ける13inchユニットは6個の特製金具で固定する指示があるがバッフルにはフレームの彫り込みと取り付け穴が開けられているのでそれを利用する事にします。
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/5faeb1d700bc4688ba04dc867ff4324f
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c207

[リバイバル3] ウェスタンエレクトリック伝説 中川隆
208. 2021年4月09日 10:08:01 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[6]
Decca Decolaがお嫁入り
WE 1936 Series No,6 について (3)22Aホーン
2021-03-29
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/719a6b3b645d6fd5d21e66a5bab3bdb1


(3)22Aホーン

 Western Electric 22Aホーンは17Aホーン(15A)にかわって1935年後期から供給された。開口部面積は17Aホーンの1/4、カットオフは130Hz、奥行きは1/2のサイズとなった。これは地方の小規模の映画館に対応した省スペースバージョンで背景にはWE86Aなど高出力のアンプが開発され大きな音が出せるようになった事があげられる。ホーンは22Aの他16Aも使用されこれらはワイドレンジサウンドシステム(後期)と呼ばれる。

 カヴァレッジアングル 水平20度 垂直40度

 外形寸法 全幅 28inch(71.1cm) 全高 35inch(88.9cm) 奥行 27inch(68.6cm)

 重量 40ポンド(18.12kg)

22Aホーンに接続されるスロートは3種類で12-A:1本の555 13-A:2本の555 15-A:3本の555 となる。この図では12-Aと13-Aだけで15-Aは描かれていないので3本スロートは後発かもしれない。後期の新システムでは22A1台に複数の555が使われるのが普通で22Aホーンは劇場の規模に合わせて6台、4台、2台となっていた。例えば客席数3000席以上の場合は22A 6台 555 12台 TA4151 6台 と巨大なシステムで大きなお金が動く興行を感じさせる。組織図を見るとTA7297ネットワーク 1基 とアンプは書かれていないがWE86A 1台だった(!)か(?) だとしたらあの小さなアンプで巨大な建築物のようなスピーカー群を支配していた事になる。

    

 この22Aホーンはボルトなどから米国製のレプリカと思われ最近拙宅に来た。長い間22Aホーンのレプリカを探していたのだがなかなかお目にかかる機会がなく10年以上が経過した。12-Aスロートが入手できそうな時は木製レプリカを作成できないか思案したこともあったがスロートそのものが高価すぎてそれも断念した。今回希望通り1本のみが入手できたわけだが色々と気になるところがあった。

 まず本体のスロートとの接合部がこんなに傾いている。音道のねじれも若干あるが主にはプレートが曲がっている様子。この状態でスロートを取り付けると当たり前だがカールが横にずれる。

 

 ホーン開口部横の板金のラインが出ていない。しかし本物がどうだったかはよく覚えていない。

 

 12-Aスロートのレプリカだがボテっとした感じで美しくないとおもっていたが写真で見る12-Aもこんな感じなのでこれでいいのかもしれない。そのほかホーン内部に貼ってある布は用意しなくてはならないがどう言った布かは不明。。デッドニングの白いセメントで覆われていますがやっぱりここは黒く塗装したい。

 不自然な補強金具は外して開口部の板金から。アストロプロダクツから板金セット買って来た。これはハンマー3本、ドリー数個という豪華なもので正直素人には板金ハンマー3本も要らない。

 しばらく叩いて早々に妥協した。そして最大の課題スロート取り付けが曲がっているところの補修。G17なら接合板を外して再溶接するのだろうが設備も腕もない。ホーンに中心線を描いてなるべくそこに近づけるように穴の位置を修正した。

 

 接合板のずれは削って合わせた。完全には戻ってないがここも妥協した。

 デッドニングはどの程度すればいいのだろう?本物とならべて叩き比べるのが一番だと思うが近隣で22Aを所有されている人は知らない。ただ大音量で拡声していた現場ではビリつかないのはもちろんだがホーンの共振を利用した音創りは無かったのではないかと思っている。当時の英知を集めたプロダクツが不確定要素に頼る理論で展開されていたとは思われない(お前はわかってない!という声が聞こえる)。体を震わすような大音量だったかはわからないが曖昧な音ではセリフを明瞭に大勢の観客に届けることはできない。イメージとしては「バリッとした乾いた音」

 制振材を探すとベストセラーはこれらしい。

ダイポルギー DP201 水性制振材で1kg で送料入れて6000円ほど。水性なので水で薄めて塗ることができる。最後の形態を整えて足付けして筆塗りしてみた。

    

 外側はクリーム色の硬い制振材で覆われているので少し水で薄めて着色を兼ねて塗ってみた。最初は濃いオリーブドラブ色で後で黒で塗り直しが必要かと思ったが乾燥すると黒色になった。

 

 内側は足付けして原液を塗った。刷毛目の方向をどうしようかと思ったが木製ならこうなるだろうという方向にした。布の材質がわからないがとりあえず近くの手芸店でフェルトを買って来て両面テープで貼り付けた。壁を叩くと以前と比べて結構制振されてコツコツという音が音量、音程共に低くなった。

早速音出ししてみよう。ドライバーはこのホーンに付属していた出所不明のもの、音源はImacのヘッドホン出力

 

 ドライバーの能率が低いのか思ったより大きな音が出ない。一聴低域はやはり不足で評判通りフルレンジ再生は難しそう。高音域はドライバーの性格かこれも不足しているしわずかに付帯音があるが気にならないソフトもあるので音源に問題があるのかもしれない。予想通り指向性は狭くこの置き方で左右方向は垂直方向と比べてより狭く聴取位置を変えることでトーンコントロールになる(冗談です、念のため)。

 ドライバーを使った大型のカーブド(カール)ホーンの音を聴いたのは初めてだがやはりコーンスピーカーとはかなり違いを感じる。開口部の多くの空気を振動させているという感覚はビジュアルも手伝って独特のもの。音源までの距離を感じるのは単に音道が長いということではなさそうでモノラルだが立体感がある。当たり前のような感想だがはじめて蓄音機の音を聴いた時の衝撃を思いだします。

 数時間色々なジャンルを聴いてから555と交換して聴き比べてみました。
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/719a6b3b645d6fd5d21e66a5bab3bdb1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c208

[リバイバル3] ウェスタンエレクトリック伝説 中川隆
209. 2021年4月09日 10:08:58 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[7]
WE 1936 Series No,6 について (4)WE555(W)
2021-04-05
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/04563c510821a359e8d64b531d229b06


(4)WE555(W)

    ヴォイスコイル・インピーダンス  16〜25Ω

    ヴォイスコイルDCR  12.8Ω

    ヴォイスコイル最大入力(連続)  6W

    フィールドコイル端子電圧  7V(DC)

    パワーサプライ  1.5A/10.5W

    フィールドコイルDCR  4.5Ω

    重量  9.06kg

 「555W」の開発は1926年、製造はイリノイ州ホーソーン工場で。1929年のSerial No,25000番台から製造がノースキャロライナ州バーリントン工場に移り名前も「555」になった。製造数は合計で67000台程度らしい。

 1926年の特許図

実際の製品の断面図

 Western Electric社は1926年以前から数種類のパーマネントマグネチックドライバーを供給していたが初の劇場用のホーンドライバーとして画期的な製品だったとされる。当初組み合わされたホーンは12A,13Aだったがその後も長い間使い続けられてWestern Electricのミラフォニックサウンドシステムにおいても大型のストレートホーン25Aなどと組み合わされて用いられる場合もあった。長期間メンテナンスされながら使われ部品交換などもされた関係で現在残っている製品のバリエーションは多い。特に振動板、ボイスコイルは大音量再生に対応するために次第に丈夫なものに変更された。斜め引き出し線と言われる振動板はすべてWestern Electric製だがその後のALTEC製振動板は耐入力の向上したリボン状の引き出し線にまたボイスコイルのインピーダンスも変更された。これは当初フルレンジユニットとして使われたがその後は中音域用(スコーカー)に改変されたためで当然周波数帯域も異なっている。したがって大型のカールホーンでフルレンジ再生をする場合は555W(初期の製品で振動板も高音域発生のための加工がしてある)を用いたほうが良いと言われるが前述のように振動板を交換したものが多く(現存している555の70%はALTEC製と言われる。残りの30%でも初期振動板は極く僅か)外観だけではわからない。振動板を直接見て確かめたいと思うのは当然だがユニットの着脱はよっぽど慣れた人が慎重に行わないと破損する危険が高く着脱に慣れた人以外は手を出さないのが無難。私(もちろん素人だが)は目視による作業は自信がなかったので治具を作って行っていた。視力が衰えた現在では自信がなくよっぽどのことがない限り開ける気がしない。

555W (ser. No,7317)

    

 ヴォイスコイルDCRとフィールドコイルDCRはほぼ定格。裏板はメッシュではない。

 555 (ser.No,36890)

   

 裏板はメッシュではない。残念ながらヴォイスコイルDCRが85.8Ωで問題が生じている。実は以前も同様の問題が生じてその時は200Ωだった。当時こういった仕様の555があるのかと東京の専門店にお聞きしたことがあるが答えはノー。その時は開釜して原因を探したがしたがはっきりせずそのうち自然治癒してそのままになっていた。どこかで断線しかかっているのか接続部が甘くなっているかと思うがさて、、。

 555のフィールド回路はDC7V 1.5Aの電源が必要でこの電源によって大幅に音が変わると言われている。555を入手した当時とりあえず作った専用電源

 整流は特大のショットバリアキーダイオード半波整流でケースは以前作った半導体アンプのものを加工流用したもので重量は20kg、出力電圧が可変で電流計と電圧計で直読できる。久しぶりなので正常動作するかちょっとずつ電圧を上げていきながらテスターで確認すると4.6Ωのフィールドコイルなので7V時は1.52Aでほぼメーターの表示通りとなった。

 整備したレプリカ22Aホーンに出所不明のドライバーを搭載してIMacのヘッドホン出力でほぼ1日色々なジャンルの音楽を聴いてから555Wと交換した。

 

 無事音が出てほっとした。能率は出所不明ドライバーと大きな違いは無さそう。音味はピントが合っているように感じるがこれは高域が伸びているためと思う。その割に刺激的な音が少なくちょっと優しい感じがする。低域が不足なのは変わらず。音像が前で展開する感じで振動板までの距離をあまり感じなくなり蓄音機的な印象は薄れた。らじるらじるのNHKニュースは聴きやすいが肉声とは異なる。原稿をめくる音はリアルで付帯音もないがちょっと滲む帯域があるように思う。ニュース音声にはコンプレッサーがかけられているのだろうか?少し詰まった感じもある。ヘッドホン出力なのでせいぜい数十mWかと思うが(うるさくて)最大音量には上げることができない。 

 次に問題を抱えた555と交換した。接続直後はDCRが高いこともあり音量は小さめだったが次第に大きな音になった。改めてDCRを測ると約17Ωとかなり下がっていた。詰まっていた水路が水を流すことでゴミがどかされて流れ出したような感じだ。それでも少し高いDCRのためか高域がよく伸びている気がする。

 これはスペアとして購入していたALTEC製振動板で引き出し線がリボン状になっている。

どうしてもダメなら交換しようと用意していた。もうしばらく様子を見ることにします。

 1日聴き比べてからアンプを繋ぎました。Bell研究所の2B 2A3pp 整流管はWE274B

 問題を抱えた555は能率がかなり低いようでやっはり問題あり。いずれ開釜しなくてはならないが今後の課題として今回はSer. No,7917を採用することにします。音味云々言う前に定格内パワーを入力した時にビリつきなど破綻しないか音源を変えてチェックしてみると大振動の低音で歪む。大型のカールホーンのフルレンジ再生ではこれでは困るが、、実際どうなのだろうか。。ミッドレンジ再生で問題なければこれで良いのだろうか?とにかくこの状態(555W+22A)で十分に納得できるように鳴らないと次の段階へは進めない。何と言ってもこのシステムの主役なのだから。
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/04563c510821a359e8d64b531d229b06

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c209

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考 中川隆
1. 中川隆[-5881] koaQ7Jey 2021年4月09日 10:17:12 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[8]

audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考

Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26876

容量性負荷で低能率のスピーカーといえば、コンデンサー型がまさにそうである。
QUADのESLがそうである。

QUADはESL用のアンプとして真空管アンプ時代には、
KT66プッシュプルのQUAD IIを用意していた。

私はQUAD IIでESLを鳴らした音は聴いたことがないが、
ESL(容量性負荷)を接続してQUAD IIが不安定になったという話も聞いていない。

QUAD IIを構成する真空管は整流管を除けば四本。
電圧増幅に五極管のEF86を二本使い、これが初段であり位相反転回路でもある。
次段はもう出力管である。

マランツやマッキントッシュの真空管アンプの回路図を見た直後では、
QUAD IIの回路は部品点数が半分以下くらいにおもえるし、
ものたりなさを憶える人もいるくらいの簡潔さである。

NFBは19dBということだが、これもQUAD IIの大きな特徴なのが、位相補正なしということ。
NFBの抵抗にもコンデンサーは並列に接続されていない。

出力トランスにカソード巻線を設けているのはマッキントッシュと同じで、
時代的には両社ともほほ同時期のようである。

同じカソード巻線といっても、マッキントッシュはバイファイラー巻きで、
QUADは分割巻きという違いはある。
それにマッキントッシュのカソード巻線はバイファイラーからトライファイラーに発展し、
最終的にはMC3500ではペンタファイラーとなっている。

マランツの真空管アンプにはカソード巻線はない。
マランツのModel 8BのNFB量はオーバーオールで20dBとなっている。
QUAD IIとほぼ同じである。

Model 8BとQUADのESLの動作的な相性はどうだったのか。
容量性負荷になりがちな多素子のネットワークのシステムで大変になるということは、
ESLでもそうなる可能性は高い。

マランツとQUADではNFB量は同じでも、
それだけかけるのにマランツは徹底した位相補正を回路の各所で行っている。
QUAD IIは前述したように位相補正はやっていない。

マッキントッシュだと、MC240、MC275は聴く機会は、
ステレオサウンドを辞めた後もけっこうある。
マランツもマッキントッシュよりも少ないけれどある。

QUADの真空管アンプは、めったにない。
もう二十年以上聴いていない。
前回聴いた時には、現代真空管アンプという視点は持っていなかった。
いま聴いたら、どうなのだろうか。

MC275同様、フレキシビリティの高さを感じるような予感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26876


現代真空管アンプ考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

QUAD IIの出力は15Wである。
高能率のスピーカーならば、これでも十分ではあっても、
95dB以下ともなると、15Wは、さすがにしんどくなることも、
新しい録音を鳴らすのであれば出てくるはずだ。

実際には25W以上楽に出る感じの音ではあったそうだが、それでも出力に余裕があるとはいえない。
QUAD IIはKT66のプッシュプルアンプである。
出力管がKT88だったら……、と思った人はいると思う。

私もKT66プッシュプルアンプとしての姿は見事だと思いながらも、
もしいまQUAD IIを使うことになったら、KT88もいいように思えてくる。

実際、QUADはQUAD IIを復刻した際、
EF86、KT66とオリジナルのQUAD IIと同じ真空管構成にしたQUAD II Classicと、
EF86を6SH7、KT66をKT88に変更したQUAD II fortyも出している。

QUAD II Classicはオリジナルと同じ15Wに対し、
QUAD II fortyは型番が示すように40Wにアップしている。

QUADが往年の真空管アンプを復刻したとき、QUADもか、と思った一人であり、
内部の写真をみて、関心をもつことはなくなった。
それにシャーシーのサイズも多少大きくなっていて、
オリジナルのQUAD IIのコンストラクションの魅力ははっきりと薄れている。

ならば基本レイアウトはそのままで、
トランスカバーの形状を含めて細部の詰めをしっかりとしてくれれば、
外観の印象はずっと良くなる可能性はあるのに──、と思う。

QUAD II fortyはオリジナルのQUAD IIと同じ回路なのだろう。
位相補正は、やはりやっていないのか。

現代真空管アンプを考えるうえで、いまごろになってQUAD II fortyが気になってきている。
QUAD II fortyはどういう音を聴かせるのか。

QUADのESLだけでなく、
複雑な構成のネットワークゆえ容量性負荷になりがちなスピーカーシステムでも、
音量に配慮すれば不安定になることなくうまく鳴らしてくれるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

現代真空管アンプ考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

QUAD IIの存在に目を向けるようになって気づいたことがある。
ここでは現代真空管アンプとしている。
最新真空管アンプではない。

書き始めのときは、現代と最新について、まったく考えていなかった。
現代真空管アンプというタイトルが浮んだから書き始めたわけで、
QUAD IIのことを思い出すまで、現代と最新の違いについて考えることもしなかった。

最新とは、字が示すとおり、最も新しいものである。
現行製品の中でも、最も新しいアンプは、そこにおける最新アンプとなるし、
最も新しい真空管アンプは、そこにおける最新真空管アンプといえる。

では、この「最も新しい」とは、何を示すのか。
単に発売時期なのか。
それも「最も新しい」とはいえるが、アンプならば最新の技術という意味も含まれる。

半導体アンプならば、最新のトランジスターを採用していれば、
ある意味、最新アンプといえるところもある。
けれど真空管アンプは、もうそういうモノではない。

いくつかの新しい真空管がないわけではないが、
それらの真空管を使ったからといって、最新真空管アンプといえるだろうか。

最新アンプは当然ながら、時期が来れば古くなる。
常に最新アンプなわけではない。
いつしか、当時の最新アンプ、というふうに語られるようになる。

そういった最新アンプは、ここで考える現代アンプとは同じではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

現代真空管アンプ考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

1983年に会社名も変更になり、ブランド名として使われてきたQUADに統一されたが、
QUADが創立された当初はThe Acoustical Manufacturing Company Ltd.だった。

QUADとは、Quality Unit Amplifier Domesticの頭文字をとってつけられた。
DomesticとついていてもQUADのアンプは、BBCで使われていた、と聞いている。

BBCでは、真空管アンプ時代はリーク製、ラドフォード製が使われていた。
QUADもそうなのだろう。
このあたりを細かく調べていないのではっきりとはいえないが、
それでもBBCでQUAD IIが採用されていたということは、
QUAD初のソリッドステートアンプ50Eの寸法から伺える。

QUAD IIの外形寸法はW32.1×H16.2×D11.9cmで、
50EはW12.0×H15.9×D32.4cmとほぼ同じである。

それまでQUAD IIが設置されていた場所に50Eはそのまま置けるサイズに仕上げられている。
50Eは、BBCからの要請で開発されたものである。

しかも50Eの回路はトランジスターアンプというより、
真空管アンプ的といえ、真空管をそのままトランジスターに置き換えたもので、
当然出力トランスを搭載している。

50Eの登場した1965年、JBLには、SG520、SE400S、SA600があった。
トランジスターアンプの回路設計が新しい時代を迎えた同時期に、QUADは50Eである。

こう書いてしまうと、なんとも古くさいアンプだと50Eを捉えがちになるが、
決してそうではないことは二年後の303との比較、
それからトラジスターアンプでも、
トランス(正確にはオートフォーマー)を搭載したマッキントッシュとの比較からもいえる。
これについて別項でいずれ書いていくかもしれない。

とにかくQUAD IIと置き換えるためのアンプといえる50Eは1965年に登場したわけだが、
QUAD IIは1970年まで製造が続けられている。
QUAD IIはモノーラル時代のアンプで、1953年生れである。
http://audiosharing.com/blog/?p=26887
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1159.html#c1

[近代史02] その時、馬に神が宿った2 _ ステイゴールド 中川隆
7. 2021年4月09日 11:05:58 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[9]
ステゴがもし香港ヴァーズ勝ってなかったら
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/keiba/1617893106/


1名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:45:06.62ID:frCIFGpR0

種牡馬になれなかったってまじ?
そしたらゴルシもオルフェーもオジュチョーもいなかったんだけど競馬の偶然て怖いな


2名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:45:59.39ID:Oqljf1U20
元々乗馬予定だったしな

3名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:46:39.22ID:sbNWldhn0
オジュチョー言いたいだけのスレ

4名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:47:06.56ID:grlnAzTD0
>>1
せめてオジュチョウやろ

5名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:49:21.92ID:UQdsCSRM0
さんを付けろよデコ助野郎

6名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:49:32.08ID:lxepzqfs0>>60
ステゴは肉にはならない
多分ならないと思う
ならないんじゃないかな
まちょっと覚悟はしておけ

7名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:50:06.04ID:LKcUJHGH0
>>1
マジレスだが
香港ヴァーズ負けて、種牡馬になれたとしても
香港ヴァーズ負けた時点で運命が大きく変わって
ゴルシもオルフェーもオジュチョーもいない

8名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:51:44.41ID:8eplfrXu0>>10
ステゴはドバイSC勝った事の価値の方が偉大だよ

9名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:51:50.07ID:2WNpxL1H0
種付けが一秒ズレただけで他の馬ができるんだから気にするレベルじゃない

10名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:53:30.25ID:Oqljf1U20>>11
>>8
メンバー的に豪華だったよな
GI昇格後のシーマでもあれより豪華メンバーだったのってあまりないだろう

11名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:54:53.18ID:6VuYlswN0
>>10
あの時が最高メンバーだった
だからステゴなんて最低オッズ評価だったしな

12名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:55:46.50ID:gQiY9DPw0
ドバイシーマクラシックを制したことで種牡馬入りが決定した
当初は日高軽種馬農協と交渉したが決裂、その後社台、岡田氏、ブリーダーズSSの三者で
シンジケートが結成された

13名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:57:25.27ID:OB44f+Af0
確か誰もステゴ勝てると思ってなくて勝った時競馬板飛んだんだよな
あのドバイ

14名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:58:42.33ID:7TlBLJ/b0>>19
もし中途半端に国内G1勝ってたらどうなってたの?
たとえば98秋天とか

15名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:59:48.12ID:PAMqzSmP0>>18
武さんが時代を変えたんやで
後藤も少しあるかな

16名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/08(木) 23:59:59.93ID:g5tGJkI80
ファンタスティックライトに勝ったっていうニュース聞いた時は耳を疑った
そもそも当時のドバイなんてワールドカップ以外にレースあったっけ?ってくらい認知度低いし

17名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:04:47.84ID:5kYJknRm0>>25>>32>>49
この年のドバイ・シーマ・クラシックには前年のエミレーツ・ワールドシリーズのチャンピオンの座に就いた地元のファンタスティックライト、ドイツのGIホース・シルヴァノ、シンガポール航空国際Cを制した英国のエンドレスホール、ジャパンC2着の実績などで日本でも馴染みのある香港のインディジェナスなど、世界の一線級が参戦してきたことからGIIレース(現在はGIだが当時はGIIとして実施されていた)と言えど、間違いなくGIレースに値するメンバー構成だったと言える。

レースではエンドレスホールが主導権を奪ってスローな流れを作る中、ステイゴールドは中団よりもやや後ろ目の最内に待機。それも英国ブックメーカーのオッズで圧倒的な支持を集めていたファンタスティクライトをピッタリとマークするように追走していった。

直線に入ってファンタスティックライトが早めに動き出すも武豊はここでもジッと我慢。無理にファンタスティックライトを追いかけずにステイゴールドの脚をためてからスパートする作戦に出た。そして、満を持して武豊がステイゴールドにGOサインを出したのは残り300m地点からだ。道中は馬場の内側を走っていたステイゴールドを今度は外に持ち出して猛スパートを開始した。

ステイゴールドの末脚は強烈で、先に仕掛けて懸命に粘るファンタスティックライトとの差は見る見る縮まっていく。地元のファンからはファンタスティックライトへの声援が飛び、日本から駆けつけたファンや関係者からはステイゴールドを後押しする声が上がり、ナドアルシバ競馬場はメインレースを超えたと言っても過言でないほどヒートアップしていた。

内のファンタスティックライトか、外のステイゴールドかという熱い戦いは2頭が馬体を並べたところでピリオドが打たれ、勝敗の結果は写真判定へと委ねられる。ゴール前までは、あまりの大激戦に割れんばかりの大歓声が場内を覆っていたが、写真判定の結果を待っている間は、嵐が過ぎ去ったかのような静けさに包まれ、全ての人が固唾を飲んで結果発表を待った。

そして、再び場内に活気が戻ったのは写真判定の結果を告げるアナウンスが流れた瞬間だ。「The winner is Stay Gold!」。この勝利者コールが告げられると同時に場内は拍手喝采。泣いて抱き合う日本人観光客、吠えて喜びを表現する報道陣、満面の笑みでガッツポーズを繰り返す武豊、それを涙目で迎える関係者、まさにナドアルシバ競馬場はステイゴールドの勝利で金色一色に染めあげられたのだ。また、ファンタスティックライトを応援していた地元のファンからも純粋に勝者を称える声援が送られ、何とも清々しい風が漂っていた。

レース後、武豊が「ゴールの瞬間に勝ったと思った」とコメントしていたが、結果は数センチのハナ差での勝利。それでもこの僅差ながらの勝利は日本の競馬史で永遠に語り継がれる大きな一勝であり、世界の競馬史にもその名を確実に刻んだ勝利だったと言える。

18名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:04:52.68ID:Gxw5QTT00>>26
>>15
渡辺をジャンプさせるという偉業
落馬の中ではあれが一番芸術的だった

19名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:07:01.77ID:Gxw5QTT00
>>14
蛯名「笑いが止まらないね」

あまり違和感ないな

20名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:08:41.43ID:VIfik7GN0>>21
ステゴが種牡馬じゃなかったら、他の種牡馬でもっと強い馬が産まれていた可能性は考慮しないのか

21名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:14:34.50ID:A+spzuWC0
>>20
ステゴ以外のオリエンタルアート産駒、ポイントフラッグ産駒見ればわかるだろ

22名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:16:17.28ID:5kYJknRm0
──現役生活最後の秋、それだけの激しさ、我の強さを矯正するために、様々な工夫を凝らしたという話は、『黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語』にも書きました。
それが実を結んでラストランでのGT制覇という劇的な勝利に繋がったわけですが、その香港ヴァーズでも最後の直線では突然、右側に斜行し、いったんは絶体絶命と思える状況に追い込まれました。

池江:ステイゴールドがレースで右側にもたれたのはあのときだけなんです。
片側ブリンカーで視界を遮られているから左側には行けない。じゃあ右に行ってやれ、というね(笑)。
常に何かをしでかして、「人間を困らせてやろう」と思っているようなところがあった馬ですから、あの斜行もそうした習性の表れだったんでしょう。


──しかし武豊騎手の“マジック”が炸裂して、そこから奇跡的な差し切りを飾ります。
本書にも書きましたが、あの勝利は種牡馬としての命運を左右する大きな1勝だったと思います。

池江:そうですね。ああいう強烈な勝ち方をすると、いい繁殖牝馬が集まりますから。
逆にいえば、あのとき勝っていなければ、埋もれてしまっていてもおかしくはなかったと思いますよ。

──とはいえ種牡馬入りの当初、あのステイゴールドからこれだけコンスタントに大物が出てくるというイメージは誰も描けなかったはずです。

池江:僕もちょっと、ここまでの成功は想像できなかったですね。特に三冠馬、オルフェーヴル級の大物が出るとは思っていなかった。
ステイゴールドが種牡馬入りした時期、サンデーサイレンスの直子の種牡馬って他にもたくさんいたじゃないですか。しかもGTをいくつも勝っている馬が何頭もいました。
それらの馬に対してステイゴールドはGT勝ちが1勝だけ、馬格は小さいし、社台スタリオンステーションにも入れなかったわけです。
だからここまでの成功を収めるなんて、「まさか」というのが正直なところですよね。

──現実にこれだけの成功を収めていることについてはどんな感想を持っていますか?

池江:もう、単純に嬉しいですよ。本当に嬉しい。あの馬はなんか、戦友みたいな間柄の馬でしたから。
ドバイにも香港にも一緒に行って、しかも両方、勝ってくれたわけですし。
だからオルフェーヴルが出たとき、特にダービーを勝ったときはしみじみ、「ステイゴールドが僕に贈り物をしてくれたんだな」と感じました。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/39324?page=2

23名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:23:05.95ID:H0++H8AH0
オルフェやゴルシを出したのは本当に凄いよ

24名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:27:03.69ID:8Iu8T9Sy0>>62
2着はあのガリレオに土つけたG1を6勝したファンタスティックライトなんだ
オペも勝ったけど首差
エルコンとは20馬身以上の差やっぱエルコン強すぎる

25名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:28:55.37ID:FmKHqULs0
>>17
熱いなこの頃

26名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:34:32.77ID:nK/kXxhp0
>>18
うおおおおい!って叫んだわあれ
馬が無茶苦茶し過ぎ

27名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:35:10.23ID:CPE9TjJ+0
何がステイゴールドだと何回思った事か…
それでも応援せずにはいられない馬だった

28名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:35:28.31ID:A+spzuWC0
ファンタスティックライトの戦績見たら明らかに晩成だからな
全盛期に戦って勝ったのは評価できるから例え香港で勝てなくても種牡馬にはなれただろ

29名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:35:42.76ID:C1WaEKyi0
内ラチにぶつかったら手前替えたとか

30名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:37:33.67ID:qriLJdsz0
血統も超ではないけど良いし種牡馬になったかもしれないけど、決して豪華ではない繁殖の中から見込まれたほどの馬はより悪い待遇で出なかったかもしれない

31名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:40:28.16ID:WxDSG3N60
ファンが多い馬だったから種牡馬になれなくても
功労馬として人気者だったのは間違いない

32名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:40:45.46ID:qriLJdsz0
>>17
これ2chの実況スレ?かなんかが熱いんだよなー

33名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:43:08.24ID:KwWEsXF10
>>1
無限にある分枝のひとつが具現化したに過ぎぬ

34名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:43:28.58ID:Vp85YxHw0
2ch飛んだよなドバイの時
あん時の実況スレでもトゥザの帯同馬として行かされた挙句体重も落ちてガリガリで可哀想という声と、奇跡起きてもブロンズコレクターだろどうせという諦めムードだった

35名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:43:50.83ID:HrobIGT00
スエヒロコマンダーの馬連当てた人よりステイゴールドの単勝買ってた人が本当の勝者だと思う

36名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 00:50:17.68ID:nK/kXxhp0
とにかく手を抜く馬だったからな

37名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 01:08:53.65ID:752iuHX70>>39
ステイゴールドは惹かれる馬だったな
現役の頃メルアドにしたかったけど、皆んな使ってるらしくて、どう工夫しても駄目だった
もっと25才位までは長生きしてほしかったな

38名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 01:10:56.35ID:p7vJKhBL0
久々に動画見てきたけど何回見ても泣ける
実況が良いのもあるよね

39名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 01:11:54.03ID:WxDSG3N60
>>37
あの時期じゃハイスタのファンも使ってそう

40名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 01:13:39.45ID:c5mA6TZk0
ナイスネイチャは有馬記念3年連続3着なんだよね
それでもG1勝ちがなくても種牡馬になれた
G1勝ってなくても種牡馬にはなれる

ステゴはそれなりの実績はあった
コントレイルを負かしたモズベッロ
モズベッロは種牡馬になれる資格はある

41名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 01:47:22.60ID:zMWCXNRn0
ドバイ勝った後で種牡馬ほぼ確定してたから香港勝てなくても種牡馬にはなれてたよ

42名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 02:08:29.92ID:oui1TdVV0>>45
ステゴ名レース3選
香港でとんでもない末脚で鮮やかに初GIとったラストラン
ファンタとのデットヒートで勝ったシーマ
渡辺ふっ飛ばしてオペにも勝ったけど失格の京大

43名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 02:08:42.24ID:PAOyVEBt0
ウイポ2005で俺がプレイしたとき
ステゴが種牡馬で大成功したから、コーエーは見る目あったんだなって思った

44名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 02:12:38.23ID:wPCBKWfA0
香港がなければドリームジャーニーは生まれてなかったかもしれないと
以後のステゴ産駒達はこの活躍あってのものだろうし

45名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 02:25:43.67ID:EvzB2v+w0
>>42
そこは目黒記念入れましょうよ

46名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 02:26:16.91ID:3oqlg+g30
引退しないで凱旋門賞行ってたら勝ってたよ。気性が落ち着いてこれからだったのに引退させやがって

47名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 02:37:14.50ID:s2k5falg0
元から引退種牡馬入りが決まっての最後のレースなんだけど

48名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 03:05:17.64ID:OKXVRPal0
香港行かなかったら有馬でマンハッタンカフェに勝てたとは思えないんだが・・・
確かに素晴らしいラストランだったがちゃんと勝てるレースを選んで走った。
ドバイは本当にビックリしたけどねw

49名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 04:57:02.26ID:g/f8+S+m0
>>17
これで地元も日本人も賭けてないってのが凄いな

50名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 08:20:56.37ID:5J+mEh980>>55
藤田伸二は上手く乗ってたよね

51名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 08:33:17.30ID:xccW0YbO0
ステゴはファンタスティクライトに勝った時点で種牡馬の道あったろ。

52名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 08:38:13.70ID:dH53oACz0
総帥の一番の手柄

53名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 08:38:24.81ID:dTOayE8P0
やっぱり池江も種牡馬として成功するとは思ってなかったんだな

54名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 08:42:44.33ID:NsQAweuv0
ラストランと決まっての遠征で種牡馬入りがとか言ってるのは

55名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 09:44:10.99ID:Cs/ExmdW0
>>50
武いないときなぜ藤田じゃないかわからんかった
アンカツはほんま下手くそだった

56名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 10:05:12.68ID:eim76z7V0
>>1はクソアプリで競馬に興味もったやつか?

57名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 10:07:37.70ID:5x3h5oBv0
ステゴはスイッチが入れば鞍上関係なく自分の意思で前の馬を抜きにいってたからな。

58名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 10:18:02.11ID:ZMEvuOEX0
ザ社台って血統なのに、社台が見捨てた馬がサンデーサイレンス最優良種牡馬になったのが笑える

59名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 10:23:17.64ID:S4mdts450
>>1
ヒント=サウンズオブアース

60名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 10:25:09.90ID:S4mdts450
>>6
肉にはならないぞ、知名度があるんだから乗馬センターでも牧場でも客呼びに使えるだから使うに決まっている
肉にしたら1000円にもならんが客呼びに使えば億円ひねり出せる

61名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 10:25:44.86ID:+bGC4aDn0
テメーら熊沢なめんなよ!

62名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 10:37:23.50ID:Zc8zkX780
>>24
G1で一番ステゴに着差つけたのはグラス
2番がエルとデジで4位がスぺ

63名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 10:56:58.63ID:PAOyVEBt0
まぁ血統的にも特筆するべきものがなかったし
競走成績もGI勝ちまくったというわけでもなく
馬格も小さいこともあって、当時は種牡馬としての成功は疑問視されてたよな
すでに社台にはサンデー系種牡馬がすでに何頭もいたこともあって
売却の流れは当然といえば当然だった

64名無しさん@実況で競馬板アウト2021/04/09(金) 11:01:04.17ID:C1WaEKyi0
ステマ配合という異常なニックスが無かったら埋もれていただろう

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/keiba/1617893106/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/400.html#c7

[近代史02] その時、馬に神が宿った2 _ ステイゴールド 中川隆
8. 2021年4月09日 11:24:17 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[10]
ステイゴールド
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89#%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E5%88%B6%E8%A6%87

ステイゴールド(Stay Gold、中:黄金旅程、1994年3月24日 - 2015年2月5日)は、日本の競走馬、種牡馬である。

1996年に中央競馬でデビューし、翌年1997年のデビュー6戦目で初勝利を挙げた。その後条件戦を2勝して同年10月に重賞初挑戦となる京都新聞杯に出走するも、このレースから2000年に重賞初制覇となる目黒記念を制するまで29連敗を喫した。しかし、連敗期間中に2着に入線した10レースの内G1競走での2着が4回、掲示板に入ったレースが29戦中22回と上位入着を重ねながらもあと一歩勝利に届かないレースぶりから「稀代のシルバー&ブロンズコレクター」という愛称が定着した[2]。2001年に日本生産馬として史上初となる国外G1競走[注 1]優勝を果たし、JRA賞特別賞を受賞した。引退後は種牡馬入りし、オルフェーヴルやゴールドシップなどのチャンピオンホースを輩出した。

出生からデビューまで

1994年、北海道白老町の白老ファームに生まれる。父は1989年の全米年度代表馬で、日本輸入後に1995年から12年連続のリーディングサイアー(首位種牡馬)となるサンデーサイレンスで、本馬はその3世代目の産駒にあたる[3]。この年社台グループで生産されたサンデーサイレンス産駒には牝馬が多かったため例年よりも牡馬が少なく[4]、1997年のクラシック戦線においてサンデーサイレンス産駒は未勝利に終わっているが、ステイゴールドと同期のサンデーサイレンス産駒の牡馬にはサイレンススズカがいた[4]。母・ゴールデンサッシュにとってステイゴールドは2頭目の産駒であり、本馬は中央競馬で5戦未勝利ながら、全兄には1987年の阪神3歳ステークス、1988年のマイルチャンピオンシップ優勝馬のサッカーボーイがいる良血馬であった[4]。白老ファームスタッフの石垣節雄によるとゴールデンサッシュは独特の気の強さを秘めた牝馬だといい、「発情がきていても、襲い掛かるぐらいの勢いでアテ馬に噛み付こうとすることがよくありました」と述べている[4]。当時白老ファーム場長だった服巻(はらまき)滋之によれば、サンデーサイレンスよりもゴールデンサッシュの雰囲気が出た馬であったという[5]。管理調教師の池江泰郎は、生後間もない本馬の第一印象を、「きりっとした小柄な馬で、かわいらしくてからだは薄かったけど、黒くて品があってバランスがいいと思ったね。動きがキビキビして見えた」と語っている[6]。

白老ファーム時代のステイゴールドは石垣によると「青草が大好きだったことを覚えている程度で、特別にうるさい馬だったとか、スタッフの手を煩わせたとかの記憶はまったくないですね」と振り返るように大人しい馬だった[7]。しかし、当歳の秋に離乳してノーザンファーム空港牧場に移動してブレーキング[注 2]を済ませて人を乗せての調教が始まると、両親から受け継いだ気性の激しさが鮮明になっていき[7]、運動中や調教中に立ち上がることは日常茶飯事[7]、他にも馬房内でレーザー治療を受けているときに立ち上がって機器を蹴り、高価な治療器を二回も壊してしまった[7]、調教で前を走っている馬がいると数メートル離れたところからでも襲い掛かるように乗り掛かっていこうとしたといった悪癖を出していた[8][9]。調教に向かう最中もしばしば立ち上がっていたが、ほぼ垂直に立ったままふらつくことがなく、それを同じ場所で何度も繰り返すなど、腰の強さも窺わせるものであったという[10]。

1995年、系列のクラブ馬主法人・社台サラブレッドクラブの出資募集馬となり、一口95万円×40口、総額3800万円でカタログに掲載され、間もなく満口となった[11]。競走年齢の2歳となった1996年、公募によって「ステイゴールド」と命名された[12]。これは映画『アウトサイダー』の主題歌に使用されたスティーヴィー・ワンダーの同名曲に由来しており[13]「黄金のような美しい輝きのままで」という思いが込められていた[12]。


競走馬時代

条件馬時代
1996年の9月末、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩。池江はステイゴールドの担当厩務員に1980年の秋に熊本県の荒尾競馬場から中央競馬に移籍して以降、池江厩舎のスタッフとして働き続けていた山元重治を指名した[12]。入厩当時のステイゴールドについて、山元は次のように回想している。

テキ(池江のこと)からは『ギロギロッとした目つきの、ちょっと元気のいい馬だ』と聞かされていたけど、本当にその通りだった。普通の馬とは眼光が全然違ったものね。いつも目をバチーンと見開いて、隙あらば暴れようとする。最初に来たときから引退するまでずっと、人間に対して"俺は強いんだ"と誇示するところがあったな

山元によると、栗東トレーニングセンターの馬場で初めて調教を行った日、10回も20回も立ち上がった挙句にステイゴールドに騎乗していた調教助手が降参したかのように馬のお尻から下馬したという。しかし、坂路コースでの調教では好時計をマークしていたため、陣営の期待を膨らませた[14]。

1996年12月1日、阪神競馬場で開催された芝2000mの新馬戦でオリビエ・ペリエを鞍上にデビュー。スタートで後手を引きながら出走馬中最速タイの上りタイムを記録して3着に入線した[14]。2戦目は前走と同じく阪神の芝2000m戦に出走。単勝オッズは2.2倍の一番人気に支持されたものの、右前脚に骨膜炎を生じて戦意を喪失し最下位となったため、いったん休養に入る[15][16]。

翌1997年2月のダートの未勝利戦で復帰し、このレースでは以後長く主戦騎手を務める熊沢重文が手綱を取った。立ち遅れ気味にスタートし、道中は中団を追走。ところが、ポジションを押し上げにかかった最終コーナーをステイゴールドは曲がろうとせず、大きく外に逸走したうえで身を翻して熊沢を振り落としたため競走を中止[17][18]、競走後にはJRAより調教再審査を通告された[19]。このレース以降熊沢は毎日のようにステイゴールドの調教に跨るようになり、陣営はハミを制御力の強いものに変えるなど左へ斜行しようとする癖の矯正に努める[19][18][注 3]。こうした工夫が実り、ステイゴールドは前走の逸走によって課されていた調教再審査を一発でクリアし、再審査処分明けの一戦ではクビ差の2着、続くレースも2着に敗れた後の通算6戦目、5月11日に東京競馬場で開催された芝2400mの未勝利戦で初勝利を挙げた。このレースでは早め先頭で立った直線でふらついたものの、一週間前に同じコースで行われていた青葉賞(優勝馬トキオエクセレント)より0秒8速い勝ちタイムを記録した[20]。

初勝利後に出走したすいれん賞では馬群の最内を突いて鋭く抜け出し連勝、次走のやまゆりステークスの4着を挟み、札幌競馬場に転戦した阿寒湖特別では3コーナーからのひとまくりで初めての対戦となった古馬勢を相手に勝利を収めた[20]。この2勝を加え、陣営は秋の目標を3歳クラシック三冠最終戦の菊花賞に据えた[21]。10月に重賞初挑戦となる京都新聞杯(菊花賞トライアル)に出走したが4着となり、3着までに与えられた優先出走権を逃す。菊花賞には獲得賞金上位に回避馬が出たことで出走を果たしたが、当日は10番人気と評価は低く、結果もマチカネフクキタルの8着に終わった。年末には準オープン競走のゴールデンホイップトロフィーで2着となり、当年は3勝のみでシーズンを終えた。最終戦は抽選で騎手が選ばれるワールドスーパージョッキーズシリーズの一競走であり、抽選で当たったのは後にステイゴールドと共に重賞3勝を挙げる武豊だった。武はこの時初めてステイゴールドへの騎乗が決まった当時の心境について、以下のように語っている。

もちろん、その前からちょっと気になる馬ではあったわけですよ。ここ一番で声をかけてくださる池江厩舎の馬ということもありますから、いつか乗せてもらえるんじゃないかと、そういう可能性も考えるわけです。当たったときですか?そりゃあもちろん「やった!」という気持ちです。結果的に2着に負けてしまうんですが、勝つのはこの馬だろうと見当をつけていましたからね。
— ステイゴールド永遠の黄金、36頁。
しかし、武によれば本馬に対する第一印象は「とにかく気が悪い馬だな」というものであり、このレースでのステイゴールドについて「2コーナーで、外から併せてきた馬にガーッと噛みつきに行ったんですからね。若い馬にたまにいることはいるんですが、菊花賞にも出たほどの馬がそんなことをするとは思いませんよ。なんか、常に怒って走っているような、そういう意味では競走に対する集中力が全然できていない馬でした」と述べているが、「でもいま考えると、やっぱりあの馬とは縁があったんですよね」と語っている[22]。

翌1998年も緒戦の万葉ステークス、松籟ステークスを連続で2着と惜敗を続けていたが、次走の重賞・ダイヤモンドステークスで2着に入線したことから、獲得賞金規定によりオープンクラスに昇格。続く日経賞での4着を経てGI戦線に出走を始めた。

惜敗続きで人気を得る

日経賞の次走となった天皇賞(春)でステイゴールドは14頭立ての10番人気(単勝オッズ57.9倍)と低い下馬評の中でレースを迎えたが、中団追走から鋭い差し脚を繰り出して並んで伸びたシルクジャスティスを競り落としてメジロブライトに次ぐ2着を確保した[23]。続くグランプリ・宝塚記念でもサイレンススズカの2着(9番人気)と好走、GIにおける2戦連続の2着と、そこまでで通算8度の2着という成績から注目され、「シルバーコレクター」という異名を与えられた[24]。秋シーズンも天皇賞(秋)(蛯名正義騎乗)でオフサイドトラップの2着、年末のグランプリ有馬記念でグラスワンダーの3着といった成績が続いた。1999年に入ると3着が増えたが、秋の天皇賞ではGIで4度目の2着となっている。陣営は試行錯誤を続けていたが、一方でステイゴールドはその惜敗続きの成績から、独特の人気を獲得していった。作家の高橋直子は伝記『ステイゴールド物語』において、人気の萌芽が見られたレースを1998年の宝塚記念として、次のように記している。

おずおずと、しかしはっきりと、不思議な人気が出はじめた。
これだけ二着が得意なのだから、馬券好きたちの間で、連軸としての人気が出る。というのではなかった。まだそこまでは信用されていなかったようである。まあね、まだ重賞も勝っていないし、しょせん三勝馬だし、シビアな馬券師のお眼鏡にはかなわなかったらしい。強いヤツ、あこがれの的、息子(あるいは彼氏)にしたい馬、そういうことで出はじめた人気ではなかった。どんな相手とやっても「あともう少し」でとどまる。その「歯がゆさ」を愛する競馬ファンが少なくなかったのである。


熊沢はコンビを組んでいた期間のなかで、サイレンススズカに敗れた1998年宝塚記念を「一番悔しかったレース」、スペシャルウィークに敗れた1999年天皇賞(秋)を「一番ステイゴールドの強さを感じたレース」として挙げている[25]。宝塚記念では、サイレンススズカに並び掛けたところで、同馬が最後のひと伸びを見せて[24]3/4馬身及ばなかった。一方の天皇賞(秋)では、ハイペースの中での後方待機策が功を奏して直線で先頭に立ったが、さらに後方に控えていたスペシャルウィークにゴール寸前でクビ差交わされた。熊沢は前者について「ステイは完璧なレースをしていると思う。相手が強かったです[25]」、後者について「レース中、何秒かは勝ったと思えた。結果的には負けたけれど、このレースが僕の中では馬の持ち味を引き出せた一番いいレースだと思ってます」と回顧している[26]。

重賞初制覇

2000年も緒戦からGIIを2・3・2着と勝ちきれず、天皇賞(春)で4着となった後、5戦目の目黒記念を前に熊沢は降板となり、以前一度だけ騎乗していた武豊が代役として迎えられた。池江泰郎はこの乗り替わりについて、「心を鬼にして、すべてをユタカ君に任そうと思いました」と語った[27]。

競走当日は朝から雨が降っており、東京競馬場の馬場状態は重馬場と発表され、パワーを要求されるコンディションに悪化していた[28]。オッズは当年初戦のアメリカジョッキークラブカップで負かされていたマチカネキンノホシに次ぐ2番人気に推された。レースは前半1000m通過が58秒7という速いペースで推移し、武は後方待機策を取った[27]。最後の直線で追い込みを開始すると、残り100m付近でマチカネキンノホシを捉え、同馬に1馬身1/4差を付けて優勝[27]。通算38戦目、3歳時に勝った900万下条件戦の阿寒湖特別以来、約2年8カ月ぶりの勝利で、陣営念願の重賞初制覇をサンデーサイレンス産駒重賞100勝目の区切りの記録で果たした。その間の連敗数は28戦、うち重賞での2着・3着がそれぞれ7回ずつあった[27]。

土曜日開催・雨天下のGII競走ながら、観客スタンドからはGIに匹敵する歓声と拍手が送られ[29]、またモニター中継を行っていた中京競馬場でも拍手が湧き起こった[27]。池江は「GIでもね、あんなのないものね。あんな温かいのは。僕もね、本当は拍手したかったんですよ。みなさんと一緒に。それぐらい感動しましたよ」[29]、担当厩務員の山元重治は、「振り向くとさ、みんなが応援してくれているじゃない。喜んでくれているじゃない。それを見て涙が出て困ったよ」と語った[29]。また武は、「土曜の、しかも雨降りのGIIなのに、クラシックレース並の大拍手で迎えられて、ステイゴールドの得難いキャラクターというものを肌で感じました。池江先生なんか感激で泣いてるんですからね。まわりの、そうした空気というものに一番の驚きを覚えましたね」と述懐している[30]。

一方で降板させられた熊沢は後に行われたインタビューで、この競走について次のように語っている。

どうしたらステイゴールドを勝利に導けるか。あのころはそれだけを考えていただけに、目黒記念を見たときは複雑な気持ちでした。そうなんだ、そう乗るテもあるんだ、と思ったけど、それを言うわけにもいかないし、聞いてくれる人もいない。やっぱり正直な気持ち、あのときは寂しさをひしひしと感じましたね。でも、いつまでも引きずったりはしませんでしたよ。僕の手から離れたけど、永年付き合ってきた戦友ですからね。(後略)」
— ステイゴールド永遠の黄金、50頁。
武は東京競馬場からの帰路において「熊沢さんは今どんな気持ちなんだろう」とその心中を慮り、「ちょっと顔を合わせにくい」という気持ちもあったと述懐しているが、熊沢から「意外なほど屈託のない声で」祝福の言葉をかけられたといい、「すごくいい気持ちになれました」と語っている[30]。

目黒記念の後は安藤勝己に乗り替わって宝塚記念に出走し、最後方追走から末脚を伸ばしながらも4着に終わる。また、宝塚記念でのファン投票の得票順位はテイエムオペラオーに次ぐ2位につけ、3位にはグランプリ4連覇の快挙がかかっていたグラスワンダーが入った[31]。その後夏を休養に充てて迎えた秋の初戦・オールカマーは後藤浩輝に乗り替わってメイショウドトウの5着、武豊と再度のコンビを結成して臨んだ天皇賞・秋は1コーナーで受けた大きな不利が響いて5着、後藤に乗り替わって逃げを打って出たジャパンカップは直線の伸びを欠いて8着、年内最終戦となった有馬記念では7着に敗れ、結果的に目黒記念後は宝塚記念での4着が最高という成績に終わった。一方、同年秋には日本中央競馬会が主催した20世紀の名馬選定企画「Dream Horses 2000」において、GI級競走の未勝利馬として最上位の34位に選ばれた[注 4]。


ドバイシーマクラシック制覇

翌2001年、この年の初戦は当初前年と同じくアメリカジョッキークラブカップが予定されていたが、陣営は1週前に行われるハンデキャップ競走の日経新春杯も視野に入れて登録を行っていた。その後、日経新春杯におけるハンデが58.5kgと発表され、これによって陣営は迷った末に急遽日経新春杯への出走を決定した[33]。このレースは藤田伸二が鞍上を務め、トップハンデを背負った馬は苦戦しているレースの傾向とステイゴールドの勝ちきれないレースぶりが敬遠されたのか11頭立ての5番人気という低評価で臨んだが[33]、道中は好位の内で末脚を温存し、そのままインをついた直線では逃げ粘るサンエムエックスを鋭く捉え、重賞2勝目を挙げた。日経新春杯後の3月、厩舎の僚馬トゥザヴィクトリーらと共にアラブ首長国連邦のドバイへ遠征が決定。早くからトゥザヴィクトリーにはドバイ遠征が計画されていたが、トゥザヴィクトリーを遠征させるなら帯同馬も連れて行った方がいいという陣営の考えの中で、そのエスコート役としてステイゴールドに白羽の矢が立てられ[34]、池江が社台グループに「ステイゴールドをドバイに連れて行きたい」という申し出を行ったところ快諾されたためステイゴールドもドバイへの遠征が決定した[35]。

ドバイへの移動に際しては、成田国際空港の検疫所を出発してからドバイに着くまでの輸送時間は経由地の香港での待ち時間(約9時間)も含めて約30時間に及び[注 5]、機内で腹痛を起こす危険性を考慮してその間に与えられたのは水と少量の牧草のみであったため、この輸送で消耗してしまったステイゴールドはドバイに着いてからもカイ食いがなかなか回復せず、馬体も減らしてしまう[36]。このような状況の中で、世界最高賞金開催であるドバイミーティングの一競走・ドバイシーマクラシック(GII)へ武豊を鞍上に出走した。

このレースで注目を集めていたのは前年覇者の地元UAEのエースであるファンタスティックライト(鞍上ランフランコ・デットーリ)だった[37]。同馬は4歳のシーズンを迎えた前年の2000年に本格化し、当時はGIII格付けだったドバイシーマクラシックで英ダービー馬のハイライズや凱旋門賞馬のサガミックスを相手に3馬身差の勝利を飾ると、コロネーションカップでは1999年の英ダービー2着馬ダリアプールの2着、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは1999年の凱旋門賞馬モンジューの2着に敗れた後アメリカへ転戦し、マンノウォーステークスでGI初制覇[37]。その後目標に掲げていたブリーダーズカップ・ターフでは直線で前が塞がる不利が響いて5着に敗れたものの、続けて出走したジャパンカップではテイエムオペラオー、メイショウドトウと横一列の叩き合いを演じて僅差の3着に食い下がっている[37]。さらに暮れの香港カップでは好位追走から抜け出して2つ目のGI制覇を達成し、この勝利によって同年の「エミレーツワールドシリーズレーシングチャンピオン」の2代目王者に輝いていた[37]。ファンタスティックライトに次ぐ存在として見られていたのが先のコロネーションカップの勝ち馬で暮れの香港ヴァーズでも勝利を飾ったダリアプールであり[38]、当日イギリスの大手ブックメーカーがつけた単勝オッズはファンタスティックライトが2.7倍の一番人気、ダリアプールは6倍で、三番人気にはイタリアのGIミラノ大賞典の勝ち馬エンドレスホールと欧米のGIで3勝の実績を持つムタファーウエクが8倍で並び[39]、ステイゴールドは16頭立ての10番人気[40]、単勝オッズは34倍でブービー人気のグループに入っていた[41]。

レースでは6番枠から好スタートを切って武が馬を内へ導くと中団馬群のインにつき、ファンタスティックライトが走っているポジションで末脚を温存。最後の直線に向いてからは前がやや壁になるシーンもあったものの、スペースが開いた隙を見逃さずに外へ持ち出して加速にかかると、並んで伸びたドイツのシルノヴァを振り切り、先に抜け出していたファンタスティックライトを猛追し、並びかけたところでゴールした[42]。審議の結果、決勝写真にはステイゴールドの鼻先がファンタスティックライトよりもわずかに早くゴールラインを捉えた瞬間が映し出され、ステイゴールドの優勝が決定した[42]。日本産の日本調教馬による海外重賞制覇はハクチカラ、フジヤマケンザンに続いて史上3頭目であり、サンデーサイレンス産駒の日本調教馬として初の国外重賞初勝利でもあった[注 6]。武は「日本でなかなか勝てなかったのに、こうやってステイゴールドが大きなところを勝ったこと、それから日本のサンデーサイレンス産駒がやっと海外で勝ったこと、これは日本の競馬の歴史を変えるできごとで、今後大きな意味を持ってくると思います」と語った[43]。なお、2着に敗れたファンタスティックライトはこの年2年連続でエミレーツワールドシリーズレーシングチャンピオンの座に君臨し、のみならず欧州の年度代表馬、アメリカの芝のチャンピオンにも選出された[44]。


種牡馬入りの売買交渉

ドバイシーマクラシックでの勝利後、社台グループと日高軽種馬農業協同組合の間でステイゴールドの種牡馬入りに関する売買交渉が行われた[45]。両者の間で売買交渉が行われるまでに種牡馬入りしたサンデーサイレンス産駒は33頭であり[注 7]、この年の皐月賞を優勝したアグネスタキオンが社台SSで種牡馬入りすることが決定的となっていたこと、この時点で父・サンデーサイレンスが現役の種牡馬(同年の種付け頭数は223頭[45])だったため、社台グループの生産馬であり、社台レースホースの所有馬でありながら当時の時点で種牡馬入りしていた社台SS繁用のサンデーサイレンス産駒の種牡馬と比べて実績面の見劣りを否めないステイゴールドが外部へ売却されることは当然の経営判断と見られ[47]、その売却先の候補として日高軽種馬農協が浮上した[48]。両者の間でステイゴールドの売買交渉が行われたとき、社台グループ側は売却価格として3億円を提示した[48]。GIでの2着が4回、そして当時の格付けはGIIながら実質的にはGI級のレースを制したステイゴールドの競走成績は宝塚記念をはじめとして国内の重賞を6勝したマーベラスサンデーと比べても引けを取っておらず、それほどのサンデーサイレンス産駒を組合所有の種牡馬という形で導入できることは、当時バブル崩壊以降の景気の落ち込みとともに厳しい状況に陥りつつあった日高の生産者にとって非常に魅力的な話であった[49]。

しかし、その一方でいくつかの不安材料を指摘する声もあり、その中でもステイゴールドの小柄な馬体がネックとされた[49]。当時の日本の生産界では小柄な体格の種牡馬は敬遠される風潮が強く、小さな種牡馬を種付けしてできる産駒はどうしても小さく生まれがちであり、すると“売れにくい”ということになってしまうため、ステイゴールドの小さな馬体は決して軽視できないマイナスファクターとなった[50]。また、交渉が行われた時点でステイゴールドは7歳、種牡馬として供用を開始する翌2002年には8歳になる年齢を不安視する声もあった[51]。さらには、既に水準級以上の実績を残し始めていたサンデーサイレンス産駒の種牡馬の中でも双璧的な存在として見られていたフジキセキ、ダンスインザダークの二頭は交渉が行われた時点でGI馬を輩出しておらず、サンデーサイレンス自身が健在で、優秀な繁殖牝馬はこぞってサンデーサイレンスに配合されていたためもあり、後継争いの大本命と目されるような馬はまだ出現していなかった当時、血の飽和を懸念する人物、近い将来サンデーサイレンス系のサイヤーラインは“縮小再生産”に向かい、本当の意味で次代を担う種牡馬は別の系統から出現するだろうと考える人物が多かった[51]。このようなマイナス要因が重なったため、組合員たちの間で「3億では高い」という判断が多くを占め、最終的に「この価格(3億円)での導入は見送るべき」という結論に傾いたため、この時点で行われた両者の交渉は決裂した[52]。

その後、日高軽種馬農協の返答を受けた社台グループは、売却価格を下げて再度交渉することはせずにオファーを取り下げたものの、代わりに自分たちも含めたいくつかの組織を中心とするステイゴールドのシンジケートを結成することを決めた[53]。結果的に交渉が決裂したことによって社台グループは小さくはない所有権を手元に残すことが可能となり、社台ファーム代表の吉田照哉は当時のことについて「あのとき、危うく売ってしまうところだったんだ」と振り返っている[53]。その後、ステイゴールドのドバイシーマクラシック優勝後の2001年4月下旬に社台グループ、サラブレッド・ブリーダーズ・クラブ、大口の会員として岡田繁幸率いるビッグレッドファームの3つの組織が中心となり、ステイゴールドのシンジケートが結成された[54]。総額は4億5千万円、60株で結成されたシンジケートの会員のうち、大口の株主となったのは社台グループ(15株)と事務局を担当するサラブレッド・ブリーダーズ・クラブ(17株)、ビッグレッドファーム(15株)だった。ただ、この時点で既に同年の種付けシーズンは始まっていたため、ステイゴールドは同年一杯まで現役を続行することとなった[55]。


宝塚記念から国内ラストランまで

ドバイから帰国後はステイゴールドにとって17回目のGI挑戦となる宝塚記念に出走することになり、ドバイシーマクラシックで手綱を取った武豊はこの年の活動の拠点をフランスに移していたため、前年の有馬記念以来となる後藤浩輝を鞍上に迎えて出走することに決まった[56]。後藤は半年ぶりとなるステイゴールドへの騎乗を前にした当時の心境を、生前「週刊Gallop」にて連載されていた自身のコラム「GO TO MOVE!」の中において以下のように綴っている。

ステイゴールドに再び乗れる機会が訪れた。しかも、舞台は宝塚記念。相変わらず人気の高い古豪にこれまでコンビを組んだレースに対して僕の中には不完全燃焼という気持ちがあるから、もう一度チャンスをくれたステイゴールドの関係者には本当に感謝している。また、それとともに、これまでにないプレッシャーをすごく感じている。プレッシャーを強く感じる最大の理由は、ステイゴールドの実績が昨年と比べて明らかに変わったからだ

ドバイから帰国しての凱旋レースとなった宝塚記念は、後藤が断然人気を集めていたテイエムオペラオーが馬群の中で閉じ込められているのを横目に中断追走から早めに押し上げにかかったが、前でスムーズに流れに乗っていたメイショウドトウも早めに押し上げに加速しており、直線に向いて一頭になったときに集中力が途切れてしまい4着に終わった[57]。

夏場を休養に充て、秋の初戦となった京都大賞典でも鞍上は引き続き後藤が務めた。最後の直線ではテイエムオペラオー、前々年の菊花賞優勝馬ナリタトップロードとの競り合いとなったが、ステイゴールドがナリタトップロードを交わして先頭に立った後、内から抜け出しにかかったステイゴールドは左に斜行し、後藤がムチを持ち替えて懸命に矯正を図ったものの斜行を止められず、直後を走っていたナリタトップロードの進路を防ぐ形で前に入ったときに同馬の前脚とステイゴールドの後ろ脚が交錯し、これでバランスを崩したナリタトップロードの鞍上・渡辺薫彦が落馬した[57]。審議の結果、ステイゴールドは1位入線したものの失格処分となり、半馬身差で2位入線のテイエムオペラオーが繰り上がりでの1着となった[注 8]。レース後、後藤は検量室に来たテイエムオペラオー馬主の竹園正繼から大声で「こら!おまえ、いったい何を考えて乗っとるんだ!もっと、フェアに乗れ!」と怒鳴りつけられ、後藤は「すみません。そんなつもりで乗っていたわけではないんですけど…」と弁明したものの竹園の怒りは収まらず、「何を言っているんだ!いいか、これで三度目[注 9]だぞ。どうだ、身に覚えがあるだろう。考えてみろ!」と詰め寄られる一幕があった[60]。なお、ナリタトップロードはこの事故で右前脚に跛行を来たし、続く天皇賞(秋)を回避することになった[61]。

天皇賞(秋)では騎手が武に戻り、テイエムオペラオー、メイショウドトウに次ぐ3番人気に推された。レースではスローペースの中を先行し、最後の直線で抜け出しを図ったが、またしても左側の埒にもたれかかる素振りを見せて前に進もうとせず[62]、武が全く追うことができないまま7着に終わった[63]。道中は好位の内々を進み、絶好の手応えを保ったまま直線に入ったときに武は「勝ったと思った」という[62]。

レース後、武は調教助手の池江泰寿に「なんとかまっすぐ走るように矯正してほしい」と 要望し、泰寿は父の泰郎からも指名されて以降ほぼ毎日ステイゴールドの調教に跨るようになった[64]。その後、池江厩舎の調教を手伝っていた上村洋行から「もっと当たりの柔らかい(=制御力の弱い)普通のハミに替えれば、馬は反発しなくなってまっすぐ走ってくれるかもしれない」と提案され、試したところ馬の従順さが増した感触を得た[65]。さらには、上村からの進言を受けて左目だけを覆うブリンカーを装着して次走のジャパンカップに出走させることが決まった。[注 10][63]。草食動物の馬には、「見えないところには天敵が隠れているかもしれない」という本能が刷り込まれているため視界を遮られた方向に寄って行こうとはしないものの、勝ち気なステイゴールドに両目を覆う通常タイプのブリンカーを着用すると「前へ」という意識が強くなりすぎ、レースへの折り合いを欠いてしまう恐れが懸念されたため、左目だけを覆うブリンカーを着用させて、左へもたれてしまう開く癖を封じ込めるという狙いがあった[66]。また競走前には、これが国内における最後の出走となることが発表された。

こうして迎えた国内最終戦のジャパンカップでは、レースでは中団を進み、テイエムオペラオーをマークして進んだ。最後の直線では外目を伸びた直線、内が開いている状況でも真っ直ぐ走ったものの、先頭に立つまでには至らず4着に終わった。しかし、4着という結果は4年連続での参戦となったジャパンカップにおいて過去最高の着順であった[注 11]。メイショウドトウにも始めて先着を果たし、レース後に武豊は「これなら香港、勝てるよ」という言葉を残した[66]。


引退レース・香港ヴァーズ優勝

通算50戦目の引退レースとなったのは、香港・沙田(シャティン)競馬場で毎年12月に行われる香港国際競走のひとつ・香港ヴァーズ (G1) であった。国際レーティングで120ポンドの評価を得ているステイゴールドは、他馬と4ポンド以上の差がある抜けたトップクラスの存在であり、当日はオッズ2倍の1番人気に支持された[67]。

レースでは淡々とした流れの中で後方から6番手を進んでいたが、第3コーナーからランフランコ・デットーリ騎乗のエクラールがロングスパートを仕掛けて後続を引き離し、ここから流れが高速化した[68]。武は無理にこれを追ってもステイゴールドの持ち味を活かせないと判断して中団に留まり、大きなリードを許したまま最後の直線に入った[69]。直線では素早く馬群を抜け2番手に上がるも、残り200メートルの地点では逃げるエクラールから約5馬身の差があり、さらにステイゴールドは武が警戒していた向きとは逆の右側に斜行を始めた[69]。ここで武が咄嗟に左側の手綱を締め直すとステイゴールドは態勢を立て直し[69]、エクラールを急追。ゴール寸前で同馬をアタマ差交わして1着となり、引退レースで念願のG1制覇を果たした。またこれは同時に、日本の厩舎に所属する日本産馬として初めての国外の国際G1制覇ともなった[注 12]。

武はゴール前の追い込みを「まるで背中に羽が生えたようだった」と評し[70]、またエクラールがドバイで破ったファンタスティックライトと同じ、青い勝負服を用いるゴドルフィンの所有馬だったことから、「どうもステイゴールドはゴドルフィンのブルーの勝負服を見ると燃えるみたい」とも語った[70]。武はレース後の検量室でデットーリから「またあの馬にやられたよ。どうも、僕とは相性が良くないみたいだ」と言われ、それに対して「ゴドルフィンブルーの勝負服を見ると燃えるみたい。でも、これが引退レースなんだ」と返すと、デットーリは「ユタカは寂しくなるだろうけど、僕にとってはとてもいいニュースだね」という会話があったと述べている[71]。共有馬主のひとりだった競馬評論家の山野浩一は、「まるで一瞬ヴィデオがカットされて一秒くらい飛んだかのように、次の瞬間にはエクラールをとらえていた。いったいその間をどんなスピードで走ったのだろう。少なくとも私は過去にあのような瞬間的なスピードを発揮した馬を見たことはない」と感想を述べている[72]。


5年間に渡った競走生活の末、50戦の節目、引退レースでのG1制覇は、「まさに絵に描いたような大団円」(武豊)[69]、「映画でもドラマでも、二度とは見られないようなシーン」(池江泰郎)[73]、「ここまでドラマチックな幕切れはそうそうあるものではない」(『優駿』)[74]など、史上希に見る出来事として称えられた。この勝利を評価され、ステイゴールドは当年国内においてJRA賞特別賞を授与された。また、生涯G1出走回数20、重賞連続出走回数36は、いずれもナイスネイチャをしのぐJRA記録である。

当初は引退式の予定はなかったが、ファンからの強い要望があったことに加え、JRAからも陣営に要請が行き、翌2002年1月20日、京都競馬場で引退式が行われた[75]。当日は香港ヴァーズで使用されたゼッケンのレプリカを着用し、場内には名前の由来となったスティーヴィー・ワンダーの「Stay Gold」が流された[76]。


種牡馬時代

香港遠征から帰国し、京都競馬場で行われた引退式を経て、ステイゴールドは北海道門別町のサラブレッド・ブリーダーズ・クラブが運営するブリーダーズスタリオンステーションにて種牡馬入りした[77]。加えて、2年ごとにブリーダーズスタリオンステーションとビッグレッドファームを移動する契約を結び、ブリーダーズスタリオンステーションでは2002-2003年、2006-2007年、2010[78]-2011年、2014年-2015年(死亡前まで)、ビッグレッドファームでは2004-2005年、2008年-2009年、2012年-2013年に種牡馬生活を送った。2006年からはアドマイヤマックスと互いの供用場所を交換する形となっているが、2013年シーズンはビッグレッドファームで初めて共に供用された。

シンジケートが組まれた種牡馬の場合、シンジケートに加入した会員は一つの持ち株(=本株)につき、年間一頭分の種付け権利を保持し、一方で本株を持たない、すなわちシンジケートに加入していない生産者がシンジケート種牡馬への種付けを希望する時は、所定の種付け料を事務局に払って申し込む「余勢種付け」という方式が採用されていた[79]。ステイゴールドのシンジケートの事務局を担当していたサラブレッド・ブリーダーズ・クラブ取締役社長の遠藤幹によると、引退レースの香港ヴァーズを勝利するまでは余勢種付けの申し込みは3件だけだった[79]。しかし、香港ヴァーズ(2001年12月16日)の翌日以降、ステイゴールドの余勢種付けに関する問い合わせと申し込みの電話が事務局に殺到し、年が明けてからも断続的にオファーが舞い込んできたため、2002年1月19日以降の申込みについては「仮受け付け」という形を取った[80]。

ステイゴールドの初年度の余勢種付けの金額は「受胎確認後150万円、もしくは産駒出産後200万円」に設定された[81]。種牡馬としてステイゴールドと同期にあたるテイエムオペラオー、アグネスタキオンの初年度の種付け料はともに500万円で設定されており、その3分の1に満たない価格でサンデーサイレンス産駒の種牡馬を種付けできることが生産者から人気を集め、初年度はブリーダーズ・スタリオン・ステーションのレコードにあたる177頭に種付けを行った[77]。産駒は2005年よりデビューし、初年度産駒からはステイゴールド産駒として初の重賞制覇を飾ったソリッドプラチナム(マーメイドステークス)[77]、岡田繁幸が「父親に似たよくバネ」が気に入って買ったというコスモプラチナ[77]、主に障害レースで活躍したマイネルネオス[77]、エムエスワールドと4頭の重賞勝利産駒を輩出した[77]。2006年には種付け料が初年度の150万円から100万円に値下げされたものの[82]、次年度産駒からステイゴールドの調教助手を務めた池江泰寿が調教師として管理するドリームジャーニーが朝日杯フューチュリティステークスを制して産駒のGI初勝利を達成し、同馬は2009年に宝塚記念・有馬記念の春秋グランプリを制した。2歳王者による宝塚記念制覇は1999年のグラスワンダー以来10年ぶりであり[83]、また有馬記念当日のドリームジャーニーの馬体重は426kgであり、これは1971年の有馬記念優勝馬トウメイの430kgを下回る最小体重優勝記録であった[84]。2010年にはナカヤマフェスタが宝塚記念を制し、10月には凱旋門賞に出走。19頭中12番人気(最終単勝オッズは27.0倍)[85]という低評価での出走となったが、直線半ばで先頭に立ち、最後はワークフォースにアタマ差及ばず2着に敗れたものの、1999年のエルコンドルパサー以来となる日本調教馬の凱旋門賞連対を果たし、内国産馬としては初の凱旋門賞連対を果たした。

2011年にはドリームジャーニーの全弟にして、兄と同じく池江泰寿が調教師として管理するオルフェーヴルが皐月賞・日本ダービー・菊花賞を制して史上7頭目となる牡馬クラシック三冠馬となり、同馬は年末の有馬記念も制して同年のJRA賞最優秀3歳牡馬・年度代表馬を受賞した。池江泰郎は2005年にディープインパクトで牡馬クラシック三冠を達成しているため[86]、史上初の親子での三冠馬のトレーナーとなった[86]。2012年には前年のオルフェーヴルの活躍を受けて250万円から600万円へ値上げされ[87]、同年はゴールドシップが皐月賞・菊花賞・有馬記念を制して最優秀3歳牡馬に選出され、自身は同年のサイアーランキングで自己最高の3位にランクインした。2013年にはレッドリヴェールが阪神ジュベナイルフィリーズで優勝し、産駒初の牝馬のGI制覇となった。2013年の種付料は受付窓口となるサラブレッド・ブリーダーズ・クラブからの発表で受胎条件のみで800万円にまで値上げされるも、すぐに満口となり、翌2014年も800万円で登録された[87]。翌2014年終了時点で中央競馬における産駒のGI競走19勝はサンデーサイレンス直仔の種牡馬の中ではディープインパクトに次ぐ2位につけていた。

2015年2月5日、繋養先のブリーダーズスタリオンステーションでの種付け後に異常をきたし、輸送先の社台ホースクリニックにて死亡した。死因は大動脈破裂[88][89]。ステイゴールドの遺骨は同スタリオンの墓に埋葬された[90]。ラストクロップはステイゴールドが亡くなる直前に種付けした唯一の産駒「ハルノナゴリ」(母の父キングカメハメハ)であり、2018年末にデビューしている[91]。


特徴・評価

競走馬としての特徴

勝ちきれなかった頃には、「華々しいスタートダッシュを持つわけではない、鋭い切れ味を持つわけでもない」[92]と評されるなど目立つところがなかった。しかし2001年に入るとスローペースからの瞬発力勝負に対応できるようになり、重賞2勝目の日経新春杯では最後の600m(上がり3ハロン)を推定34秒4、失格となった京都大賞典では同33秒8という優れた脚力を見せた[93]。ライターの河村清明は、2000年シーズンを終えた時点で43戦という「ずっと重賞を走り続けた馬としてはめったにないほど」の戦績を重ねながら、競走生活の晩年に急速な成長を遂げたことについて、「一般的に考えるなら、豊富すぎるキャリアゆえ、それ以降の上がり目は望むべくもない。7歳馬ステイゴールドの変身はまさに驚異というほかはない」と評した[93]。武豊はステイゴールドの引退に際し、「ステイゴールドは、今がまさに競走生活のピークじゃないですか。種馬になるのも大事だけど、ボクは乗り役だから、あれほどの競馬ができる馬を種牡馬として奪われたような、そんな寂しさをひしひしと感じているんです。思い出をありがとう、と素直に言える日は、もう少し後からになりそうです」とその引退を惜しんだ[69]。

ステイゴールドを種牡馬として高く評価したビッグレッドファーム代表の岡田繁幸は、ステイゴールドの良さは「回転の良いフットワーク」とそれを支える筋肉の柔らかさにあるとしている[94]。岡田は巷間にあった「ステイゴールドはステイヤー(長距離向きの馬)である」という評価に対し、香港ヴァーズを例に挙げて異を唱え、「あの驚異的な瞬発力はむしろミドルディスタンホースと言えるのではないでしょうか。いかにもサンデーサイレンス産駒らしい馬だと思いますね。ただ、ステイゴールドはスタミナもあるので長い距離になってもあの瞬発力を温存できますし、スタートがそれほどうまい馬ではなかったので、厩舎でも中距離を使わなかっただけでしょう」と述べている[94]。一方、武豊は2000年秋の天皇賞で7着と敗れた敗因として、位置取りの失敗のほかに距離の不向きを挙げ、「根本的に2000メートルは距離的に短いのではないかということも感じていました。忙しい競馬は似合わない、根っからのステイヤーなんですよ」と述べている[30]。

斜行癖
しばしばレースの障害となった左への斜行癖に対して、厩舎では日々の調教や馬装に様々な工夫を凝らし、その矯正に努めた。ハミ吊りや片面ブリンカーといった装具の工夫に加え、調教においてもコースを歩くときまで右寄りを徹底し、左に寄る素振りを見せれば叱り、素直に歩けば褒めるということを習慣づけていた[95]。調教助手を務めていた池江泰寿は、ステイゴールドの心理について「あの馬は、左に行ったら楽ができると思い込んでいたんです。競馬では、とにかく一所懸命走らず、どこかでやめる機会をつねに窺っていた(笑)。ハミをさらってグッと左にもたれたら、騎手が追えなくなり、直線で全力疾走せずに済むのを分かってたんですよ」と分析している[96]。武はステイゴールドの引退式において、「この馬は乗る立場としてはむずかしい馬でした。最後までつかみどころがなく、ずっと考えさせられましたね」と述べた[97]。

身体面の特徴
サラブレッド競走馬の平均体重が470kg程度あるのに対し、ステイゴールドは最も重かったときで2001年の日経新春杯時の436kgと、小柄な体躯の持ち主であった。生まれた頃は他馬と同じ程度の体格だったが、成長が鈍く、じきに自分より小柄だった馬にも追い抜かれていった。これはゴールデンサッシュの産駒に共通して見られる成長過程だった[98]。池江泰郎は「つくりの軽いスポーツカーみたいな馬」と評したことがあり[49]、熊沢重文によれば、「大人のからだに変わってきたのが6歳の後半」だったといい、「ほんとうに大器晩成だったんだろうな」と述べている[99]。また厩務員の山元重治は「骨格が牝馬みたいやった」と評しているが[100]、調教助手を務めていた野村功は、体重60kgある人間が騎乗して調教を課すと失速する馬が多いなか、ステイゴールドは小柄だったにもかかわらず失速せずに走る馬力があったとしている[101]。

また、ほとんど休養をはさむことなく50戦を走り抜いた頑健さに対する評価が高く、池江泰郎は「『無事是名馬』を地でいくような、素晴らしい馬[73]」、岡田繁幸は「ほんとうに偉大なことで、よほど柔らかい筋肉を持っている証拠です[94]」と述べている。共有馬主を統括する社台サラブレッドクラブ代表の吉田晴哉は、「この馬のすごいところは、引退の話を出すスキを決して見せなかったところですね」と語り、毎回の出走予定をきっちりとこなし、勝てずとも賞金は必ず稼いでいたステイゴールドを「クラブで持つ馬としては理想的」、「(ステイゴールドのような馬は)いません。うちのクラブだけじゃなくて、競馬界全体を見てもほとんどいないんじゃないですかね。信じられない存在です」と評している[102]。

性格面の特徴
非常に激しい気性の持ち主であり、池江泰寿は「肉をやったら食うんじゃないかと思ったほど凶暴だった」とし[96]、調教助手の池江敏行は、馬房の前を通るだけで突進してきたことから「猛獣」と評している[103]。熊沢重文は「馬場へ出る前の運動でも、立つ、蹴る、噛むと悪さの連続。振り落とされるなんてのは特別珍しいことじゃないけど、乗るときに回し蹴りが飛んできたり、噛まれるのを心配したりなんて馬はやっぱりそんなに数多くいるものじゃないです」と述懐しており[104]。その調教では近付いてくる馬がいると立ち上がって威嚇するため他厩舎から避けられていた[105]。白老ファーム場長の服巻滋之は、こうした激しさの由来をステイゴールドの母の父ディクタスに求めている[106]。

日々の世話をしていた山元重治は「猛獣ではないよ。扱えないってほどの馬じゃない[107]」と述べているが、それでも手を焼いたといい[108]、「とにかく『自分が一番エライ』ということをいつもいつも主張している馬[109]」、「自分のペース、自分のやり方に徹底してこだわり、やりたくないことは頑としてやらない強情さは、引退まで変わりませんでしたね」と述懐している[110]。また、熊沢は乗り手の立場から「総合してみると、おだてる、という意識をもって乗ってないとだめだった。ダメ、それしちゃダメ、とか表現するのではなくて、そうそう、そうそう、それでいいんだよ、って感覚ですね。ソッポ向かれたらお手上げだったんで」と述べ、その性格については「僕らが要求したことに対して、それは譲れる、それは譲れないっていうのをちゃんと表現してくれるわけ。そういう意味では、基本的には扱いにくい馬なんだけど、わかってやれば、中途はんぱな馬よりは扱いやすい。わかります?何がしたい、どうしたらいいのか分かる馬だけに扱いやすい。だからみんな入れ込んでしまう」と語っている[111]。

評価
ノーザンファーム代表の吉田勝己は、ステイゴールドの通算50戦に及んだ競走生活を振り返り、また、種牡馬入り後への期待について、社台グループの会報「サラブレッド」(2002年2月号)に、次のような手記を寄せている。

ステイゴールドは、たしかに近親のサッカーボーイに似ている部分がありました。この牝系に共通した特徴なのですが、馬体は華奢でも、並外れたバネと勝負根性を持っているのですが。最小馬体重は4歳春の日経賞出走時で、なんと408kgでした。これだけ小柄だというのに、着実に成長をともなって7歳まで走り続けたのですから大したものです。しかも大きな故障もなく実に50戦、そのタフさには本当に頭が下がります。 (中略)それにしても、ファンタスティックライトを差し切ったり、失格とはいえテイエムオペラオーに競り勝ったり、私自身、ついにステイゴールドの本当の能力は掴みきれませんでした。どうやらその答えは、種牡馬となって産駒が走り出すのを待つしかないようです。先に申し上げたとおりライバルもそうそうたる顔ぶれですが、ステイゴールドなら必ず成功してくれると確信しています。あるいは内国産種牡馬の枠を超越した結果を出すかもしれません。とにかく人を驚かすのが得意な馬でした。多くのファンの心を動かしたのも、生まれながらにステイゴールドに備わっていた不思議なスター性だったのではないでしょうか
— 石田2014、77-78頁。
種牡馬として
種牡馬入りした当時のステイゴールドについて山元重治は「気性は激しかったけれど、いわゆる“馬っ気”はない、牝馬には興味を示さない馬だったから、本当に種牡馬としてやっていけるのかなってちょっと心配していた」というが、「種付けが大好きで、牝馬に飛び掛かっていくような猛々しい種付けをするんです。(中略)最初の頃は種付けが終わって牝馬から離されると“オレはまだ物足りない“と主張するように怒ったりして。その上受胎率も高く、他の種牡馬に付けて受胎しなかった牝馬が途中からステイゴールドに回ってきたケースもありました」と振り返っている[112]。いわゆる”とまり”が良く、種付けに対しても積極的で性欲・精力共に強いというのは父・サンデーサイレンスの種牡馬としての武器とも言えた特徴であった[113][114]。

産駒は小柄な馬が多く、パワーにおいて劣勢に立たされる馬が多いためダートを苦手とする産駒が多い[115]。性格も馬格によって2タイプに分かれ、小柄に出た馬は幼少期からいじめを反骨精神ではねのけ、パドックで威嚇するしぐさを見せる馬が多い[115]。ゴールドシップのように大型で生まれた馬は牧場時代から我関せずな性格の馬が多く、わがままな方向へ転換されやすい[115]。

母の父・メジロマックイーンの産駒について
2009年、母の父にメジロマックイーンを持つドリームジャーニーがグランプリ連覇を達成した2年後の2011年、全弟であるオルフェーヴルが三冠馬となり、またこの年は前述の2頭と同じく母の父にメジロマックイーンを持つフェイトフルウォーが京成杯・セントライト記念を制した。その翌年には前述の3頭と同じ血統を持つゴールドシップが皐月賞・菊花賞を制したことにより、ステイゴールドとメジロマックイーンを父に持つ繁殖牝馬の配合がニックスと目され、「黄金配合」として注目を集めた[116][117][注 13]。

ステイゴールドの父・サンデーサイレンスは非常に気性が荒いことで知られており、騎乗した人間の指示に従わず暴れる傾向があった。競走馬時代のサンデーサイレンスの調教師を担当していたチャーリー・ウィッティンガムは厩舎一の腕を持つジャネット・ジョンソンをサンデーサイレンス担当の調教助手に指名したが、ジョンソンは気性の荒さに嫌気が差して一度騎乗しただけで降板しており、騎手のウィリー・シューメーカーも調教のために騎乗したことがあるが気性の荒さに激怒し、レースでの騎乗を拒否したほどである[118]。しかし、種牡馬時代のサンデーサイレンスはメジロマックイーンがそばにいると大人しくなることが多く、サンデーサイレンスとメジロマックイーンの放牧地は隣同士に設えられていたという逸話がある[119]。社台スタリオンステーションの徳武英介は、「ちょっと不良っぽいヤツとナヨナヨした感じのヤツが妙にウマが合ったりすることって、人間の男同士でもあるでしょう?マックが“ナヨナヨした性格の馬だった”という意味ではないけれど、サンデーにとってマックは自分にないものを持った馬、隣にいると自分が落ち着けて癒される存在だったんじゃないかな。そうした相性が血統の世界にも反映されて、だからマック牝馬と(サンデーサイレンス産駒の)ステイゴールドの配合から、これだけ走る馬が出るのかなって思ったりもするんです(笑)」という見解を示しており[120]、また徳武は“自分にない特徴を補完しあう関係”は、性格面にとどまらず肉体面についても指摘できるといい、「マックって肉体的にはちょっと水っぽいというか、芦毛特有のダブダブした感じがあったんですよ。一方のステイはサンデーやディープと同様、もっと乾いた乾いた感じの馬。あの配合はお互いの特徴をうまくカバーしあっている面もあると思います」と推測している[121]。

岡田繁幸はステイゴールドとメジロマックイーンを父に持つ繁殖牝馬の血統に由来する肉体的な相性の良さについて、「マックイーン自体がグニャグニャした、ゴムみたいな馬だった。それはパーソロン系(メジロマックイーンの曾父母)の特徴で、トウカイテイオー(パーソロンの孫)もそうだったでしょう?一方のステイはディープインパクトに比べると筋肉の収縮力、輪ゴムをどこまで引っ張れるかという意味の“粘り”がちょっと足りないから、パーソロン系の牝馬にステイをつけると、粘りの不足が補われてディープの体質に近くなるわけ。だから僕に言わせればあの配合があれだけ走るのは当然で、たとえばトウカイテイオー牝馬にステイを付けても理論的には成功するはず。テイオーの牝馬って細い馬が多いから、細すぎる産駒が生まれてしまうリスクもあるけれど、ある程度の馬格があって、お尻もあって、テイオーに似たゴムみたいな体質をした繁殖にステイを付ければ、オルフェーヴルみたいな馬を出す可能性は十分にあると思います」と解説している[122]。

この「黄金配合」が注目された時期においては、すでにメジロマックイーン産駒の牝馬で繁殖登録されている馬の数は少なくなっており、乗馬として供用されていたメジロマックイーン産駒の牝馬(ミツワオーロラ)がステイゴールドと種付けする目的で買い戻されるという事例も出たほどであった[123]。ただし、前述の配合を持つ馬が重賞を制したのは2015年の天皇賞・春をゴールドシップが優勝したことで最後となっている。また、オルフェーヴルの母であるオリエンタルアート(2015年死亡[124])、ゴールドシップの母であるポイントフラッグ(2016年死亡[125])はそれぞれ2頭を生んだ後もステイゴールドとの交配が行われ、オリエンタルアートは5頭[126]、ポイントフラッグは3頭[127]ステイゴールドとの仔を生んだものの、いずれも目立った成績を残すことはできていない。

メジロマックイーン以外では母系にダンジグを持つ繁殖牝馬とも相性が良く、フェノーメノ、ナカヤマフェスタ、シルクメビウスがこれに該当する[128]。

顕彰馬選定
種牡馬としての活躍を受け顕彰馬選定記者投票でも票を集め始めており、オルフェーヴルがクラシック三冠を制した翌年の2012年には初めて3票を、ゴールドシップがクラシックで活躍した翌年の2013年には4票を獲得した。


種牡馬成績
年度別成績(中央+地方)
年 出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2005年 93 362 15 17 132 0.33 1億1715万8000円
2006年 165 1261 70 103 28 1.06 6億9322万2000円
2007年 188 1776 80 161 23 1.28 9億6665万1000円
2008年 232 2163 99 205 20 1.27 11億9007万7000円
2009年 236 2423 115 224 12 1.76 16億7405万1000円
2010年 249 2333 116 209 14 1.46 14億6318万0000円
2011年 246 2290 122 228 6 2.50 24億1595万2000円
2012年 261 2132 105 196 3 2.49 25億1160万1000円
2013年 302 2444 127 237 6 1.86 21億9921万5000円
2014年 387 2889 140 272 10 1.22 19億1030万5000円
2015年 421 3578 192 370 5 1.34 23億5982万0000円
2016年 446 3812 197 364 5 1.42 27億0303万3000円
2017年 406 3531 205 343 3 1.98 35億1966万2000円
2017年終了時点。


GI競走優勝馬
太字はGI(またはJpnI)競走。

2003年産
マイネルネオス(中山グランドジャンプ)[129]

2004年産
ドリームジャーニー(朝日杯フューチュリティステークス、宝塚記念、有馬記念、大阪杯、神戸新聞杯、朝日チャレンジカップ、小倉記念)[130]
エルドラド / El Dorado(シンガポールゴールドカップ3回)[131]

2006年産
ナカヤマフェスタ(宝塚記念、セントライト記念、東京スポーツ杯2歳ステークス)[132]

2008年産
オルフェーヴル(牡馬クラシック三冠〈皐月賞、東京優駿、菊花賞〉、有馬記念2回、宝塚記念、スプリングステークス、神戸新聞杯、フォワ賞2回〈仏G2〉、大阪杯)[133]

2009年産
ゴールドシップ(皐月賞、菊花賞、有馬記念、宝塚記念2回、天皇賞・春、神戸新聞杯、阪神大賞典3連覇、共同通信杯)[134]
フェノーメノ(天皇賞・春2回、青葉賞、セントライト記念、日経賞)[135]

2011年産
レッドリヴェール(阪神ジュベナイルフィリーズ、札幌2歳ステークス)[136]
オジュウチョウサン(中山グランドジャンプ5連覇、中山大障害2回、東京ジャンプステークス、東京ハイジャンプ2回、阪神スプリングジャンプ3回)[137]

2013年産
アドマイヤリード(ヴィクトリアマイル)[138]
レインボーライン(天皇賞・春、阪神大賞典、アーリントンカップ)[139]

2014年産
ウインブライト(香港の旗クイーンエリザベス2世カップ、香港の旗香港カップ[140]、スプリングステークス、中山記念2回、福島記念、中山金杯)[141]

2015年産
インディチャンプ(安田記念、マイルチャンピオンシップ、東京新聞杯、マイラーズカップ)[142]

グレード制重賞優勝馬

2003年産
ソリッドプラチナム(マーメイドステークス)[143]
コスモプラチナ(マーメイドステークス)[144]
エムエスワールド(京都ハイジャンプ、小倉サマージャンプ)[145]

2004年産
アルコセニョーラ(新潟記念、福島記念)[146]
サンライズマックス(エプソムカップ、小倉大賞典、中日新聞杯)[147]

2005年産
マイネレーツェル(フィリーズレビュー、ローズステークス)[148]

2006年産
シルクメビウス(東海ステークス、ブリーダーズゴールドカップ、ユニコーンステークス)[149]

2007年産
エクスペディション (小倉記念)[150]

2008年産
フェイトフルウォー(セントライト記念、京成杯)[151]
ナカヤマナイト(オールカマー、中山記念、共同通信杯)[152]
バウンシーチューン(フローラステークス)[153]
オーシャンブルー(金鯱賞、中山金杯)[154]
マイネルメダリスト(目黒記念)[155]
メイショウヨウドウ(東京ジャンプステークス)[156]

2010年産
ケイアイチョウサン(ラジオNIKKEI賞)[157]
ウインプリメーラ(京都金杯)[158]
マイネルミラノ(函館記念)[159]

2011年産
ツクバアズマオー(中山金杯)[160]
トゥインクル(ダイヤモンドステークス[161])
ステイインシアトル(鳴尾記念[162])

2012年産
ココロノアイ(アルテミスステークス、チューリップ賞)[163]
キャットコイン(クイーンカップ)[164]
ウインガニオン (中京記念[165])
グランシルク(京成杯オータムハンデキャップ)[166]
パフォーマプロミス(日経新春杯、アルゼンチン共和国杯、鳴尾記念)[167]

2013年産
グッドスカイ(新潟ジャンプステークス)[168]
クロコスミア(府中牝馬ステークス)[169]
ルックトゥワイス(目黒記念)
ワンブレスアウェイ(愛知杯)[170]

2014年産
スティッフェリオ(福島記念、小倉大賞典、オールカマー)[171]
クレッシェンドラヴ(福島記念、七夕賞)[172]

2015年産
ステイフーリッシュ(京都新聞杯)[173]


地方重賞優勝馬

2005年産
トーホウカイザー(だるま夕日賞)[174]

2009年産
サウスパシフィック(六角川賞、高千穂峰賞、阿蘇山賞、雷山賞、中島記念)[175]

2010年産
マイネヴァイザー(ヴィーナススプリント)[176]
レオニダス(道営記念)[177]

2011年産
シュテルングランツ(東京記念)[178]

2013年産
サンエイゴールド(はまなす賞、サファイア賞、オパールカップ、かきつばた賞、せきれい賞2回)[179]

2014年産
ウインハイライト(東海ゴールドC)
母の父としての主な産駒
太字はGI(またはJpnI)競走。

クリスマス(父バゴ:函館2歳ステークス)[180]
ライオンボス(父バトルプラン:アイビスサマーダッシュ)[181]
アランバローズ(父ヘニーヒューズ:全日本2歳優駿、ゴールドジュニア、ハイセイコー記念)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89#%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E5%88%B6%E8%A6%87
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/400.html#c8

[リバイバル3] ヒヤリ・ハット体験 _ スキー事故で半身不随になりたくなかったら… 中川隆
40. 中川隆[-5880] koaQ7Jey 2021年4月09日 15:07:16 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[11]
やはり事故は悲しい
2021-02-25
https://ameblo.jp/oya-gacha3/entry-12658815729.html

また悲しいスキー場での事故だす。ちょっと前の話になるだすが

2月11日福井和泉スキー場で、スノーボード男児(8歳)とスノーボーダー男性(23歳)が

中級コースで衝突。男児はヘリで病院へ搬送されただすが意識不明になり、二日後の13日に

亡くなってしまっただす。死因は脳幹挫傷だそうだす。

◯福井新聞 2021年2月12日 午前7時20分の記事

2月11日午後2時20分ごろ、福井県大野市の福井和泉スキー場で、スノーボードをしていた

愛知県の会社員男性(23)と同県の小学生の男児(8)が衝突した。

男児は、石川県の消防防災ヘリコプターで福井県内の病院に搬送されたが、意識不明の重体。

男性にけがはなかった。

福井県警大野署によると、男児は家族とスキー場に遊びに来て、スノーボードをしていた。

事故が起きたゲレンデは中級者コースだったという。事故原因を調べている。

https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1259144

◯中日新聞 2021年2月14日 05時00分 (2月14日 05時01分更新)の記事

福井県警大野署は十三日、同県大野市の福井和泉スキー場でスノーボードの男性と衝突し、
意識不明の重体となっていた愛知県の小学二年の男児(8つ)が搬送先の病院で死亡したと
発表した。死因は脳幹挫傷。
署によると、事故は十一日午後二時二十分ごろ発生。愛知県の男性(23)が滑り降りてきた
前方に男児がいた。男児は家族四人でスキー場を訪れていた。
https://www.chunichi.co.jp/article/201947


事故の状況・詳細は分からないだすが、まだたった8歳の小学2年生だす。悲しいだすな。。。

一緒にスキー場に来ていたご家族の気持ちを考えると・・・・・何とも例えようがないだす。

衝突した相手もまだ23歳。これから損害賠償等の対応もしなくてはいけないだしょう。

大変だすよな・・・。保険は入っていたのだしょうか。そんなところも心配になってしまうだす。

こういう事故が起きてしまうと、やはり保険には入っていないといけないと思うだす。


誰も好き好んで事故を起こしてる訳ではないだすし、事故を起こさないように安全を意識しても、

それでも事故は起きてしまったりするだす。


残りのシーズンも
安全にスキーやスノーボードを楽しみましょうだす。
https://ameblo.jp/oya-gacha3/entry-12658815729.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/778.html#c40

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
598. 2021年4月09日 15:20:09 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[12]
今日は、ちょっと個人的な話 2021年04月09日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1458.html

  私が中津川の当地に移住したのは2003年だから、すでに18年になる。
 子供が生まれたら大学受験の年齢なので、結構な時間だ。
 若い頃から大都会が嫌で、「大自然の小さな家」のような本当の自然に囲まれて住みたかったから、何と素晴らしい土地に住めるのかと感動した。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-82.html

 だが、移住して、いきなり先住民の悪意の洗礼を受けた。
 別荘地の二軒下手のAという人物だが、私に対して「誰の許可を得て住んでるのか」と威圧的に詰め寄った。
 「ここに住むのに、あなたの許可がいるのか?」
 と返したが、憎悪の目を向けてきたことを覚えている。
 (当時は60前後、今は70代だろう)

 「こりゃ大変な人物の近所に来たもんだ」
 と不安感を抱いたが、その後も、ことあるごとに様々な嫌がらせを受けた。
 Aは夫婦で住んでいて、娘が二人いて地元の学校に通っているという噂だったが、不思議なことに、この18年の間で、その娘を見かけたのは、ただ一回だけで、一人だけだ。
 いくらなんでも、近所にいて、長期間、子供の姿を見ないというのは不可解だった。

 私が浄化槽を作ったり、鶏を飼育したりすると、必ず行政が飛んできて不可解な監査が行われたので、Aが役所に通報したのだと分かったが、妻の方は、自分の旦那が嫌がらせをしていることは知らないようだった。

 あるときは、庭のカマドでたき火をしていると、消防車が飛んできた。これもAが通報したのだと分かった。
 また、我が家を訪ねてきた人物が、Aによって、「ここは私有地だから通行禁止」と言われて追い返されたことも知った。

 当地は、春になると大量の山菜が顔を出す。ワラビが実にうまいのだが、ある朝、我が家の敷地のワラビが全部摘み取られていることに気づいた。
 すると翌日の深夜2時過ぎに、監視ビデオに我が家の前を歩く夫婦の姿が映っていて、他人の敷地に入り込んで山菜を採取していることが分かった。

 普通の、まともな生活者が、このような住居不法侵入行為を平然と行うことはない。この夫婦は、昔から非合法行為を屁とも思わない人生を送ってきたのだと思った。
 なお、ビデオの映像は、不鮮明で証拠にはなりそうもなかった。
 
  いったい何者なのか? 興味を持ったが、個人情報保護法が制定され、なかなか個人情報を調べることは困難な時代になっていた。

 それから、すでに十数年前になるのだが、私の車が頻繁にパンクした。回数は、数回程度で、それも前輪ばかりだ。
 私はタイヤ屋でのバイト経験があるので、パンクというものは、前輪VS後輪の比率が1:10位であることを知っていた。つまり、前輪のパンクというのは非常に珍しいのだ。
 理由は、道路の釘がタイヤに刺さるとき、前輪で起こして後輪が刺さるメカニズムがあるからで、寝ている釘が前輪をパンクさせることは極度に少ない。

 ところが、私の車は前輪ばかりが、駐車中にパンクするのだ。これを見て、私はAが夜中にネジや釘を前輪に突き刺して、それに気づかないで出かけてパンクしたのだと思った。
 しかし、私はパンク修理はお手の物で、キットを使って十数分もあれば治せるため、そのときは、あまり深刻な気分にはならなかった。

 それからも、Aからは、たくさんの嫌がらせを受け続けた。例えば、小さな小屋を建てると、建築会社に電話で「建築確認をしたのか」とか、行政に、「私が無許可で家を建ててる」とかの通報が行われていた。
 私が2014年に間質性肺炎の発作を起こしているときも、喘息発作が聞こえたのか、自分の家の焼却炉に、故意に悪性の排煙を出すプラスチック類を燃して、私の病気を悪化させようとした。私が、それに気づいて見回ると、慌てて中止するのが見えた。

 考えつく限りの嫌がらせを受けたので、次は放火でもやるのではと、心配になった。

 昨年春から夏にかけて、再び、私の車が頻繁にパンクするようになった。
 すると、Aが私の家の前を一日5回以上も歩いて様子を見にて、にんまりとほくそ笑んでいるのが確認でき、100%Aが犯人と確信できた。

 数ヶ月で通算5回、すべて前輪だったので、間違いなくAの仕業であり、監視カメラや夜間センサー照明をたくさんつけた。向かいの池の奥にも設置した。
 警察に通報しても、確たる証拠がない限り、被害届けさえ受け付けないことが分かっていたからだ。
 Aに激怒をぶつけたかったが、それは、取り返しのつかない事態を招くので抑えた。

 そこで、いよいよ私も動かざるをえなくなった。登記所で、Aの登記を確認し、本名であることが分かった。
 そして、監視カメラと投光器のせいで、パンクさせるのが危険になったと分かったのか、今度は、私が設置しているカメラを深夜に取り外して持ち帰り、映像を改竄することまでやりはじめた。

 元通りにカメラを返してはいるが、映像には被写体が分からないようなぼかし処理がほどこされていた。
 最初は、こんな映像処理を70代のAができると思っていなかったので、やられたことが分からなかったが、盗難防止用に警報器をつけた紐をセットしてあったのが、はさみで切られていたので、何が起きたか分かった。

 これには本当に驚いた。監視カメラの映像を改変処理できるとなると、これは素人の嫌がらせの域どころではない。明らかに、そうした仕事を生業としてきたプロだ。
 Aの嫌みのカタマリのような傲慢な性格(近所の人もそう言っている)から、タダの人ではないと、みんなが思っていたが、もしかしたら、Aは若い頃からプロの知能窃盗団だった疑いが急速に強まった。
 深夜2時に起きて他人の敷地で山菜採りをするのも、普通の市民感覚では不可能だ。

 引退して田舎暮らしをして、自分の本名で不動産を登記していることから、今の生活を守りたい気持ちはあるようだが、平然と他人のカメラ(一つは敷地の門扉に取り付けてあったリーベックス3000)を外して、自宅で解体してSDカードを外して映像を改変し、元に戻しておくという芸当は、内心、自分の技術を私に見せつけたい気持ちからやったのかもしれない。

 つまり、私はAから徹底的に舐められているわけだ。
 だが、そんな工作は無理筋であって、私にデータ改変を知られた以上、「プロの泥棒稼業」の過去を自分で暴露したようなものだ。
 ここまでくると、どんどんエスカレートしていくのは必然なので、場合によっては血を見るような事態になるかもしれない。

 そこで、一連の事情をブログの文章にして残しておくことにした。
 実は、過去の処罰歴は、官報を閲覧すれば分かる。ただし、愛知県か岐阜県の県立図書館まで行かないと閲覧できない。見つかれば、書かれた日時から、当時の新聞記事を探して、何が起きたのか、調べることになる。
 結構大変な作業になるので一日がかりだ。でも、やるしかない。おそらく、いろいろと出てくるだろうと予想している。

 私は内心激怒していて、暴発して残りの人生を刑務所で過ごすことを避けるために、証拠集めの監視カメラと、こうしてブログに書くことで、自分の気持ちを落ち着かせることにした。

 Aが私の家に放火しない理由は、たぶん、延焼して自分の家にまで火災が及ぶことを警戒しているのだろう。すると、次の嫌がらせは何か?
 嫌がらせの共通点は、こそこそと自分の姿を隠していることだが、深夜でもやってくる行動力があり、映像を改変できる技術力がある。
 また、何か仕掛けがあると手を出さずにはいられない性格だ。ここに来る前にも、ずいぶんひどいことをやってきたのだろう。

 私としては何が起きるか分からないが、とりあえず証拠を残すための仕掛けを増やすしかない。現在6台の監視カメラと3台のセンサー投光器をセットしてある。
 Aの性格を逆手にとって、手を出してくる仕掛けも考えているところだ。手を出さずにはいられない性格なのだから。

 私も、1995年から自分のネットサイトを作ったおかげで、多数の嫌がらせを受け続けてきた。大半は、ネット上でこそこそ身元を隠した誹謗中傷と、警察へのいわれのない通報だが、具体的にパンクさせるとか手を出してきたのはAだけだ。
 一度は、各務原の現役自衛官から、「家を燃してやる」と恫喝されたが、IPアドレスから身元が分かり、警務隊に通報しておいた。

 熊の出る田舎である当地では、たくさんの別荘地があって、今も安く売られている。
 コロナ禍で、こんな売別荘を買う人も多いだろうが、田舎に住むというのは、はっきりした理由があって住むのだ。
 Aの場合は、おそらく犯罪者としての過去を隠したいという動機だろう。妻は、ひょっとすると自分の夫の悪行を知らないかもしれない。

 他の住民を見ても、浮気をして妻から家を追い出されて住んでいる者が多い。近所に、浮気追い出され校長が三名も住んでいる。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1400.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1156.html

 田舎に住んでいるのは、自然が大好きな善人ばかりと思わない方がいい。むしろ、田舎に住まざるを得ない事情を抱えた人間である。
 今後、テレワーク、コロナ禍逃避で田舎に移住する人も多いだろうが、そのことに十分に留意していただきたい。
 家には、安くなった監視カメラとセンサー投光器を複数、設置すること。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1458.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c598

[近代史02] 日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 中川隆
158. 中川隆[-5879] koaQ7Jey 2021年4月09日 15:21:48 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[13]
今日は、ちょっと個人的な話 2021年04月09日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1458.html

  私が中津川の当地に移住したのは2003年だから、すでに18年になる。
 子供が生まれたら大学受験の年齢なので、結構な時間だ。
 若い頃から大都会が嫌で、「大自然の小さな家」のような本当の自然に囲まれて住みたかったから、何と素晴らしい土地に住めるのかと感動した。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-82.html

 だが、移住して、いきなり先住民の悪意の洗礼を受けた。
 別荘地の二軒下手のAという人物だが、私に対して「誰の許可を得て住んでるのか」と威圧的に詰め寄った。
 「ここに住むのに、あなたの許可がいるのか?」
 と返したが、憎悪の目を向けてきたことを覚えている。
 (当時は60前後、今は70代だろう)

 「こりゃ大変な人物の近所に来たもんだ」
 と不安感を抱いたが、その後も、ことあるごとに様々な嫌がらせを受けた。
 Aは夫婦で住んでいて、娘が二人いて地元の学校に通っているという噂だったが、不思議なことに、この18年の間で、その娘を見かけたのは、ただ一回だけで、一人だけだ。
 いくらなんでも、近所にいて、長期間、子供の姿を見ないというのは不可解だった。

 私が浄化槽を作ったり、鶏を飼育したりすると、必ず行政が飛んできて不可解な監査が行われたので、Aが役所に通報したのだと分かったが、妻の方は、自分の旦那が嫌がらせをしていることは知らないようだった。

 あるときは、庭のカマドでたき火をしていると、消防車が飛んできた。これもAが通報したのだと分かった。
 また、我が家を訪ねてきた人物が、Aによって、「ここは私有地だから通行禁止」と言われて追い返されたことも知った。

 当地は、春になると大量の山菜が顔を出す。ワラビが実にうまいのだが、ある朝、我が家の敷地のワラビが全部摘み取られていることに気づいた。
 すると翌日の深夜2時過ぎに、監視ビデオに我が家の前を歩く夫婦の姿が映っていて、他人の敷地に入り込んで山菜を採取していることが分かった。

 普通の、まともな生活者が、このような住居不法侵入行為を平然と行うことはない。この夫婦は、昔から非合法行為を屁とも思わない人生を送ってきたのだと思った。
 なお、ビデオの映像は、不鮮明で証拠にはなりそうもなかった。
 
  いったい何者なのか? 興味を持ったが、個人情報保護法が制定され、なかなか個人情報を調べることは困難な時代になっていた。

 それから、すでに十数年前になるのだが、私の車が頻繁にパンクした。回数は、数回程度で、それも前輪ばかりだ。
 私はタイヤ屋でのバイト経験があるので、パンクというものは、前輪VS後輪の比率が1:10位であることを知っていた。つまり、前輪のパンクというのは非常に珍しいのだ。
 理由は、道路の釘がタイヤに刺さるとき、前輪で起こして後輪が刺さるメカニズムがあるからで、寝ている釘が前輪をパンクさせることは極度に少ない。

 ところが、私の車は前輪ばかりが、駐車中にパンクするのだ。これを見て、私はAが夜中にネジや釘を前輪に突き刺して、それに気づかないで出かけてパンクしたのだと思った。
 しかし、私はパンク修理はお手の物で、キットを使って十数分もあれば治せるため、そのときは、あまり深刻な気分にはならなかった。

 それからも、Aからは、たくさんの嫌がらせを受け続けた。例えば、小さな小屋を建てると、建築会社に電話で「建築確認をしたのか」とか、行政に、「私が無許可で家を建ててる」とかの通報が行われていた。
 私が2014年に間質性肺炎の発作を起こしているときも、喘息発作が聞こえたのか、自分の家の焼却炉に、故意に悪性の排煙を出すプラスチック類を燃して、私の病気を悪化させようとした。私が、それに気づいて見回ると、慌てて中止するのが見えた。

 考えつく限りの嫌がらせを受けたので、次は放火でもやるのではと、心配になった。

 昨年春から夏にかけて、再び、私の車が頻繁にパンクするようになった。
 すると、Aが私の家の前を一日5回以上も歩いて様子を見にて、にんまりとほくそ笑んでいるのが確認でき、100%Aが犯人と確信できた。

 数ヶ月で通算5回、すべて前輪だったので、間違いなくAの仕業であり、監視カメラや夜間センサー照明をたくさんつけた。向かいの池の奥にも設置した。
 警察に通報しても、確たる証拠がない限り、被害届けさえ受け付けないことが分かっていたからだ。
 Aに激怒をぶつけたかったが、それは、取り返しのつかない事態を招くので抑えた。

 そこで、いよいよ私も動かざるをえなくなった。登記所で、Aの登記を確認し、本名であることが分かった。
 そして、監視カメラと投光器のせいで、パンクさせるのが危険になったと分かったのか、今度は、私が設置しているカメラを深夜に取り外して持ち帰り、映像を改竄することまでやりはじめた。

 元通りにカメラを返してはいるが、映像には被写体が分からないようなぼかし処理がほどこされていた。
 最初は、こんな映像処理を70代のAができると思っていなかったので、やられたことが分からなかったが、盗難防止用に警報器をつけた紐をセットしてあったのが、はさみで切られていたので、何が起きたか分かった。

 これには本当に驚いた。監視カメラの映像を改変処理できるとなると、これは素人の嫌がらせの域どころではない。明らかに、そうした仕事を生業としてきたプロだ。
 Aの嫌みのカタマリのような傲慢な性格(近所の人もそう言っている)から、タダの人ではないと、みんなが思っていたが、もしかしたら、Aは若い頃からプロの知能窃盗団だった疑いが急速に強まった。
 深夜2時に起きて他人の敷地で山菜採りをするのも、普通の市民感覚では不可能だ。

 引退して田舎暮らしをして、自分の本名で不動産を登記していることから、今の生活を守りたい気持ちはあるようだが、平然と他人のカメラ(一つは敷地の門扉に取り付けてあったリーベックス3000)を外して、自宅で解体してSDカードを外して映像を改変し、元に戻しておくという芸当は、内心、自分の技術を私に見せつけたい気持ちからやったのかもしれない。

 つまり、私はAから徹底的に舐められているわけだ。
 だが、そんな工作は無理筋であって、私にデータ改変を知られた以上、「プロの泥棒稼業」の過去を自分で暴露したようなものだ。
 ここまでくると、どんどんエスカレートしていくのは必然なので、場合によっては血を見るような事態になるかもしれない。

 そこで、一連の事情をブログの文章にして残しておくことにした。
 実は、過去の処罰歴は、官報を閲覧すれば分かる。ただし、愛知県か岐阜県の県立図書館まで行かないと閲覧できない。見つかれば、書かれた日時から、当時の新聞記事を探して、何が起きたのか、調べることになる。
 結構大変な作業になるので一日がかりだ。でも、やるしかない。おそらく、いろいろと出てくるだろうと予想している。

 私は内心激怒していて、暴発して残りの人生を刑務所で過ごすことを避けるために、証拠集めの監視カメラと、こうしてブログに書くことで、自分の気持ちを落ち着かせることにした。

 Aが私の家に放火しない理由は、たぶん、延焼して自分の家にまで火災が及ぶことを警戒しているのだろう。すると、次の嫌がらせは何か?
 嫌がらせの共通点は、こそこそと自分の姿を隠していることだが、深夜でもやってくる行動力があり、映像を改変できる技術力がある。
 また、何か仕掛けがあると手を出さずにはいられない性格だ。ここに来る前にも、ずいぶんひどいことをやってきたのだろう。

 私としては何が起きるか分からないが、とりあえず証拠を残すための仕掛けを増やすしかない。現在6台の監視カメラと3台のセンサー投光器をセットしてある。
 Aの性格を逆手にとって、手を出してくる仕掛けも考えているところだ。手を出さずにはいられない性格なのだから。

 私も、1995年から自分のネットサイトを作ったおかげで、多数の嫌がらせを受け続けてきた。大半は、ネット上でこそこそ身元を隠した誹謗中傷と、警察へのいわれのない通報だが、具体的にパンクさせるとか手を出してきたのはAだけだ。
 一度は、各務原の現役自衛官から、「家を燃してやる」と恫喝されたが、IPアドレスから身元が分かり、警務隊に通報しておいた。

 熊の出る田舎である当地では、たくさんの別荘地があって、今も安く売られている。
 コロナ禍で、こんな売別荘を買う人も多いだろうが、田舎に住むというのは、はっきりした理由があって住むのだ。
 Aの場合は、おそらく犯罪者としての過去を隠したいという動機だろう。妻は、ひょっとすると自分の夫の悪行を知らないかもしれない。

 他の住民を見ても、浮気をして妻から家を追い出されて住んでいる者が多い。近所に、浮気追い出され校長が三名も住んでいる。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1400.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1156.html

 田舎に住んでいるのは、自然が大好きな善人ばかりと思わない方がいい。むしろ、田舎に住まざるを得ない事情を抱えた人間である。
 今後、テレワーク、コロナ禍逃避で田舎に移住する人も多いだろうが、そのことに十分に留意していただきたい。
 家には、安くなった監視カメラとセンサー投光器を複数、設置すること。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1458.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html#c158

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
21. 中川隆[-5878] koaQ7Jey 2021年4月09日 15:22:34 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[14]
今日は、ちょっと個人的な話 2021年04月09日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1458.html

  私が中津川の当地に移住したのは2003年だから、すでに18年になる。
 子供が生まれたら大学受験の年齢なので、結構な時間だ。
 若い頃から大都会が嫌で、「大自然の小さな家」のような本当の自然に囲まれて住みたかったから、何と素晴らしい土地に住めるのかと感動した。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-82.html

 だが、移住して、いきなり先住民の悪意の洗礼を受けた。
 別荘地の二軒下手のAという人物だが、私に対して「誰の許可を得て住んでるのか」と威圧的に詰め寄った。
 「ここに住むのに、あなたの許可がいるのか?」
 と返したが、憎悪の目を向けてきたことを覚えている。
 (当時は60前後、今は70代だろう)

 「こりゃ大変な人物の近所に来たもんだ」
 と不安感を抱いたが、その後も、ことあるごとに様々な嫌がらせを受けた。
 Aは夫婦で住んでいて、娘が二人いて地元の学校に通っているという噂だったが、不思議なことに、この18年の間で、その娘を見かけたのは、ただ一回だけで、一人だけだ。
 いくらなんでも、近所にいて、長期間、子供の姿を見ないというのは不可解だった。

 私が浄化槽を作ったり、鶏を飼育したりすると、必ず行政が飛んできて不可解な監査が行われたので、Aが役所に通報したのだと分かったが、妻の方は、自分の旦那が嫌がらせをしていることは知らないようだった。

 あるときは、庭のカマドでたき火をしていると、消防車が飛んできた。これもAが通報したのだと分かった。
 また、我が家を訪ねてきた人物が、Aによって、「ここは私有地だから通行禁止」と言われて追い返されたことも知った。

 当地は、春になると大量の山菜が顔を出す。ワラビが実にうまいのだが、ある朝、我が家の敷地のワラビが全部摘み取られていることに気づいた。
 すると翌日の深夜2時過ぎに、監視ビデオに我が家の前を歩く夫婦の姿が映っていて、他人の敷地に入り込んで山菜を採取していることが分かった。

 普通の、まともな生活者が、このような住居不法侵入行為を平然と行うことはない。この夫婦は、昔から非合法行為を屁とも思わない人生を送ってきたのだと思った。
 なお、ビデオの映像は、不鮮明で証拠にはなりそうもなかった。
 
  いったい何者なのか? 興味を持ったが、個人情報保護法が制定され、なかなか個人情報を調べることは困難な時代になっていた。

 それから、すでに十数年前になるのだが、私の車が頻繁にパンクした。回数は、数回程度で、それも前輪ばかりだ。
 私はタイヤ屋でのバイト経験があるので、パンクというものは、前輪VS後輪の比率が1:10位であることを知っていた。つまり、前輪のパンクというのは非常に珍しいのだ。
 理由は、道路の釘がタイヤに刺さるとき、前輪で起こして後輪が刺さるメカニズムがあるからで、寝ている釘が前輪をパンクさせることは極度に少ない。

 ところが、私の車は前輪ばかりが、駐車中にパンクするのだ。これを見て、私はAが夜中にネジや釘を前輪に突き刺して、それに気づかないで出かけてパンクしたのだと思った。
 しかし、私はパンク修理はお手の物で、キットを使って十数分もあれば治せるため、そのときは、あまり深刻な気分にはならなかった。

 それからも、Aからは、たくさんの嫌がらせを受け続けた。例えば、小さな小屋を建てると、建築会社に電話で「建築確認をしたのか」とか、行政に、「私が無許可で家を建ててる」とかの通報が行われていた。
 私が2014年に間質性肺炎の発作を起こしているときも、喘息発作が聞こえたのか、自分の家の焼却炉に、故意に悪性の排煙を出すプラスチック類を燃して、私の病気を悪化させようとした。私が、それに気づいて見回ると、慌てて中止するのが見えた。

 考えつく限りの嫌がらせを受けたので、次は放火でもやるのではと、心配になった。

 昨年春から夏にかけて、再び、私の車が頻繁にパンクするようになった。
 すると、Aが私の家の前を一日5回以上も歩いて様子を見にて、にんまりとほくそ笑んでいるのが確認でき、100%Aが犯人と確信できた。

 数ヶ月で通算5回、すべて前輪だったので、間違いなくAの仕業であり、監視カメラや夜間センサー照明をたくさんつけた。向かいの池の奥にも設置した。
 警察に通報しても、確たる証拠がない限り、被害届けさえ受け付けないことが分かっていたからだ。
 Aに激怒をぶつけたかったが、それは、取り返しのつかない事態を招くので抑えた。

 そこで、いよいよ私も動かざるをえなくなった。登記所で、Aの登記を確認し、本名であることが分かった。
 そして、監視カメラと投光器のせいで、パンクさせるのが危険になったと分かったのか、今度は、私が設置しているカメラを深夜に取り外して持ち帰り、映像を改竄することまでやりはじめた。

 元通りにカメラを返してはいるが、映像には被写体が分からないようなぼかし処理がほどこされていた。
 最初は、こんな映像処理を70代のAができると思っていなかったので、やられたことが分からなかったが、盗難防止用に警報器をつけた紐をセットしてあったのが、はさみで切られていたので、何が起きたか分かった。

 これには本当に驚いた。監視カメラの映像を改変処理できるとなると、これは素人の嫌がらせの域どころではない。明らかに、そうした仕事を生業としてきたプロだ。
 Aの嫌みのカタマリのような傲慢な性格(近所の人もそう言っている)から、タダの人ではないと、みんなが思っていたが、もしかしたら、Aは若い頃からプロの知能窃盗団だった疑いが急速に強まった。
 深夜2時に起きて他人の敷地で山菜採りをするのも、普通の市民感覚では不可能だ。

 引退して田舎暮らしをして、自分の本名で不動産を登記していることから、今の生活を守りたい気持ちはあるようだが、平然と他人のカメラ(一つは敷地の門扉に取り付けてあったリーベックス3000)を外して、自宅で解体してSDカードを外して映像を改変し、元に戻しておくという芸当は、内心、自分の技術を私に見せつけたい気持ちからやったのかもしれない。

 つまり、私はAから徹底的に舐められているわけだ。
 だが、そんな工作は無理筋であって、私にデータ改変を知られた以上、「プロの泥棒稼業」の過去を自分で暴露したようなものだ。
 ここまでくると、どんどんエスカレートしていくのは必然なので、場合によっては血を見るような事態になるかもしれない。

 そこで、一連の事情をブログの文章にして残しておくことにした。
 実は、過去の処罰歴は、官報を閲覧すれば分かる。ただし、愛知県か岐阜県の県立図書館まで行かないと閲覧できない。見つかれば、書かれた日時から、当時の新聞記事を探して、何が起きたのか、調べることになる。
 結構大変な作業になるので一日がかりだ。でも、やるしかない。おそらく、いろいろと出てくるだろうと予想している。

 私は内心激怒していて、暴発して残りの人生を刑務所で過ごすことを避けるために、証拠集めの監視カメラと、こうしてブログに書くことで、自分の気持ちを落ち着かせることにした。

 Aが私の家に放火しない理由は、たぶん、延焼して自分の家にまで火災が及ぶことを警戒しているのだろう。すると、次の嫌がらせは何か?
 嫌がらせの共通点は、こそこそと自分の姿を隠していることだが、深夜でもやってくる行動力があり、映像を改変できる技術力がある。
 また、何か仕掛けがあると手を出さずにはいられない性格だ。ここに来る前にも、ずいぶんひどいことをやってきたのだろう。

 私としては何が起きるか分からないが、とりあえず証拠を残すための仕掛けを増やすしかない。現在6台の監視カメラと3台のセンサー投光器をセットしてある。
 Aの性格を逆手にとって、手を出してくる仕掛けも考えているところだ。手を出さずにはいられない性格なのだから。

 私も、1995年から自分のネットサイトを作ったおかげで、多数の嫌がらせを受け続けてきた。大半は、ネット上でこそこそ身元を隠した誹謗中傷と、警察へのいわれのない通報だが、具体的にパンクさせるとか手を出してきたのはAだけだ。
 一度は、各務原の現役自衛官から、「家を燃してやる」と恫喝されたが、IPアドレスから身元が分かり、警務隊に通報しておいた。

 熊の出る田舎である当地では、たくさんの別荘地があって、今も安く売られている。
 コロナ禍で、こんな売別荘を買う人も多いだろうが、田舎に住むというのは、はっきりした理由があって住むのだ。
 Aの場合は、おそらく犯罪者としての過去を隠したいという動機だろう。妻は、ひょっとすると自分の夫の悪行を知らないかもしれない。

 他の住民を見ても、浮気をして妻から家を追い出されて住んでいる者が多い。近所に、浮気追い出され校長が三名も住んでいる。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1400.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1156.html

 田舎に住んでいるのは、自然が大好きな善人ばかりと思わない方がいい。むしろ、田舎に住まざるを得ない事情を抱えた人間である。
 今後、テレワーク、コロナ禍逃避で田舎に移住する人も多いだろうが、そのことに十分に留意していただきたい。
 家には、安くなった監視カメラとセンサー投光器を複数、設置すること。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1458.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c21

[近代史4] ホットケーキの作り方 中川隆
7. 2021年4月09日 15:59:14 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[15]
ふわふわ食感!幸せのパンケーキ/奇跡のパンケーキの作り方【kattyanneru】





◎今回使用した材料◎

▼パンケーキ生地▼
・卵 2個・薄力粉 30g・牛乳 20cc・ベーキングパウダー 2g・グラニュー糖 適量

▼トッピング▼
・生クリーム、グラニュー糖 粉砂糖 適量

メレンゲをしっかりと作り、ホットプレートで簡単にあのふわふわのパンケーキが作れます!そして、何より生クリーム美味しかったです(笑)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1243.html#c7
[近代史4] ホットケーキの作り方 中川隆
8. 中川隆[-5877] koaQ7Jey 2021年4月09日 16:02:10 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[16]
【孤独のグルメ】ふわっふわ!カステラパンケーキの作り方【kattyanneru】





 今回は「孤独のグルメ」で登場したカステラパンケーキを再現しながら作ってみました。
 ふわっふわの生地と、たっぷりのバター!メープルシロップがよく合ったおいしいレシピです。

▼今回使用した材料(15cmスキレット使用)▼
・卵 2個・砂糖 40g・牛乳 30g・薄力粉 40g・ベーキングパウダー 2g・バター、粉糖、メープルシロップ 適量

▼使用している調理器具など▼
◎内海産業 両手で便利なスキレット IH 対応 約 15cm (レシピ 付き)◎
https://amzn.to/2Pq0JvG​

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1243.html#c8

   

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