1. 中川隆[-4517] koaQ7Jey 2021年5月31日 04:34:07 : rm7jvQJ0P2 : bjgwVUxrVURvWi4=[1]
教頭先生は標準的な日本人だよ _ 日本兵が戦中に従軍慰安婦にやっていた事
#173 2021/05/21 02:13
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街 今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です
#52 2021/05/19 03:09
産業のない旭川では児童売春は重要な資金稼ぎ。
誰かが児童売春をすれば、その上がりで町全体にお金が回る。
旭川で生まれ育った低所得者の子は、中学入学後売春をするものだと思っていた。
旭川以外で育った子は、親を含めてそんなことは知らない。
被害者が9歳の頃から、お母さんの悪い噂を流し、被害者が中1になると同時に
性奴隷にすべく魔法が近づく。旭川の地元民は、如何によそ者から搾取するかが
重要な収入手段。被害者が自閉症であるから、おごらせるのも当然。
学校でいじめて、追い込んで、性的画像を手に入れて、売春を強要。
校長も教頭も担任も、旭川の人が生きていくための性奴隷を学校で
捕獲調教する必要があるので被害者を助けない。
警察も市役所もみんな性奴隷が必要。旭川全体で隠蔽した。おそらく
被害者以外にも、自殺した子はもともと旭川以外の人ではないだろうか。
つまり旭川の地元の人にとっては、地元で生まれ育った人以外は、搾取する相手。
よそ者いじめがきつい、とネット情報にある。よそ者いじめではなく追い込んで
痛めつけて性奴隷にしたり地元民のために搾取する相手がよそ者。
太古、人は集団で獲物を捕獲した。罠を仕掛け、取り囲み、徐々に
追い込み、最後に殺してその肉で命をつなぐ。それと同じで、被害者とお母さんを
罠に嵌め、追い込み、性奴隷として売春させ、児童ポルノを作成し、集団レイプ
動画をライブ配信し、DVDを製作して販売した。
▲△▽▼
日本軍の元従軍慰安婦の証言
チョン・オクスン(ChongOkSun)の証言
「私は1920年12月28日、半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。
13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。
10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。
その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。
一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、
彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。
最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、
「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」
と語りました。彼はまた
「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」
とも言いました。
ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。
あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。
○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。
○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた
○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された
○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた
○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた
○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った
○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ
○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました
守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。
彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。
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日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。
「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。
そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。
この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。
ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に
「俺もしたから、お前もやれ」
とそそのかし、私に×××させた。
さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」
日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。
かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。
日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。
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