2. 中川隆[-15971] koaQ7Jey 2021年10月17日 04:11:44 : NBvOYLDGKo : bEc5SzFFUlM0M2c=[1]
NO.9422560 2021/04/23 19:32
旭川って部落なの?
風の噂で聞いたんだが
https://bakusai.com/thr_res/acode=1/ctgid=104/bid=1064/tid=9422560/tp=1/
#1 2021/04/23 19:57
この街の成り立ちは
1901年だったかに陸軍第7師団?旅団?が移転してきた。
1945年終戦の混乱で日本人の引揚者、に交じって朝鮮系の人たちも流入定着。
帰化したり、在日だったりの人もいる。
高度成長期、ベビーブームには36万人までの人口を誇った。
現在の人口は市の発表で34万程度
人口流失の止まらない状況だ。
#11 2021/09/20 18:49
289: STAY HOMEだべさ 2020/12/25(金) 10:07:51 ID:KXzNVMtA [ KD106181121017.au-net.ne.jp ]
サムライ部落の人達って、河川敷の立ち退きで
多くの人達が春光台の市営住宅に転居させられた
と言う話を聞いたことが
#14 2021/09/21 11:33
サムライ部落は本州、四国、九州でいう被差別部落(旧特殊部落)ではありません
単なる貧困者や引揚者のスラムです
高度経済成長ですぐに消滅しました
#19 2021/10/17 01:42
>>0
北海道の人間に先祖の事聞いたら駄目らしい
内地じゃ常識
#22 2021/10/17 01:56
はい、部落におちぶれてます。
なぜ言えるのか、中心部がコインパーキングばかりが顕著に有りすぎるからdeath❗🖕
ド−ナツ化現象によって空洞化した中心部
今の郊外も失速中で姿勢は維持できず
廃駅も旭川以北が多数ですから。
#23 2021/10/17 02:03
>>22
先祖が部落民でしょ
#24 2021/10/17 04:01
東京部落と呼ばれた人達が旭川にもいます。
意味合いとしては、集落として部落と呼んでいるようです。
東京大空襲を逃れて戦後に旭川へ入ってきた東京開拓団が東旭川、江丹別、神居へと散らばった。
東京方面から来た農作業経験のない様々な職業の人達ばかりだったうえに
開拓で残された土地は、戦前から入植していた既存農家のように恵まれておらず、山の斜面や開墾が大変な土地しか残されていなかった。
暮らしは過酷を極めて、通貨の価値も一気に変わったりと
家一軒買える全財産持ってきた家族でも、農業が軌道に乗らず、既存農家から米を買って生活を続けるうちに数年で財産が底をついたそうだ。
離農したり、逃げ出して忠別川のサムライ部落に流れ着く人もいた。
先に開拓団で入植した人達よりも赤貧に陥りやすかった理由がまだあって、のは、
GHQの視察が旭川に入った時に、活気づいて景気良く見えたそうで、開拓団への補助金予算をごっそり減らしていいんじゃない?となったそうだ。
戦後に入ってきた東京開拓団は、さらに何もサポートされないまま、先に開拓団として入っていた既存農家との補償にも差ができたまま、旭川市も救いの手を出すわけでもなかった。東京開拓団の子供たちは学校のお弁当を持っていけない状態、丁稚奉公で学校も毎日通えない状態だった。
この東京開拓団に関しては、国の棄民政策だと気づきながらも、涙ながらに旭川を含む北海道各地へ送り出した当時の官僚も記録に残っている。
江別市にも世田谷から来た開拓団がいる。教師や文化人が中心だが、こちらも農作業経験のなさと自然の厳しさに大変苦労したようだ。
元々は差別されている人じゃなく、入植をきっかけに歴史のうねりの中で旭川から抜け出られなくなった人達もいるし、旭川の遊郭に売られてきた農村部と漁村の娘さん達とか、川の護岸工事で全国からの土工が一気に集められたり、巨大な蟻地獄だと思ってくれたらいい。
こんな北の大地にできた蟻地獄で潤っている人達は立派な肩書ある人多いけど純粋な悪。
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/106.html#c2