517. アラジン2[310] g0GDiYNXg5My 2021年2月19日 17:47:41 : fOTNS8ibUA : aTAzRVBaVXRmOGc=[1]
こちらも面白い記事だったので、コピペします。
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いかに米国ユダヤ金融がアジアを搾取したか。
その悪逆非道を妨害する存在だったからケネディーは暗殺されたのか? その1
■CIAのインドネシアへの関与、そしてJFKとダグ・ハマーショルドの暗殺(2021/1/30)
The CIA’s Involvement in Indonesia and the Assassinations of JFK and Dag Hammarskjold
By Edward Curtin and Greg Poulgrain
Global Research 2020年11月22日
Greg Poulgrain 2016年7月2日
●ジョン・F・ケネディ暗殺(1963年11月22日)追悼
インドネシアの歴史と現在進行中の悲劇への米国の関与についての真実は、
西側ではほとんど知られていない。
オーストラリアの歴史家グレッグ・ポールグレインは、数十年にわたり、
その歴史の真実に人々の目を開かせ、否応なくこの醜い真実と対立・浄化させる努力を続けてきた。
それは、CIAとアメリカ政府が政権交代を支援し、消耗品とみなされた人々を大量に虐殺する
という野蛮な陰謀の物語である。
最新の著書
『介入のインキュバス:ジョン・F・ケネディとアレン・ダレス間のインドネシア戦略対立』で、
ケネディ大統領はアメリカのインドネシア政策を変えようとしたが、アレン・ダレスとCIAに反対され、
結果的にJFKは殺害されたことをポールグレインはっきり書いている。
ケネディの死の前に国連事務総長ダグ・ハマーショルドが死亡、その後、何百万人ものインドネシア人、
パプア人、そして東チモール人がアメリカの後ろ盾の下、殺害されたのだ。
※インキュバス : ヨーロッパ中世の伝説の、寝ている女性とセックスするという男の悪魔_英辞郎
事実を精緻に捉えることで定評のある歴史学者でありながら、ポールグレインは同時に真実も語る
稀有な人物だ。
今回のインタビューでは、インドネシアをめぐるアレン・ダレスとケネディの相反する戦略、
JFKとダグ・ハマ−ショルドの暗殺へのダレスの関与、インドネシアのスカルノ大統領の失脚への
CIAの関与、そしてその後のインドネシアと西パプア全域での虐殺事件など、著書の中で取り上げた
多くの問題点を深く掘り下げている。
★私注・アレン・ウェルシュ・ダレスは、アメリカ合衆国の政治家、外交官、弁護士。
ドワイト・D・アイゼンハワー、ジョン・F・ケネディ政権にて第5代CIA長官を務めた。
兄は第52代アメリカ合衆国国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレス。(>>447四コマ漫画参照)
★私注・終わり
●良心を備えた人にとって、彼の声は傾聴に値する。
『介入のインキュバス』の序文で、あなたは次の問いを投げかけています。
:
「アレン・ダレスが、アメリカ大統領暗殺という手段に訴えたというのであれば、
それはケネディの戦略ではなく、アレン・ダレスの『インドネシア戦略』を確実に達成するため、
ということだったのだろうか?」と。
この問いへの答は読者が決めることであり、それがこの本を書いた理由だとおっしゃっていますね。
この後半の記述には少し曖昧さがあります。 あなたの結論とは何だったのですか?
ゆっくりと、ゆっくりとですが、私は、アレン・ダレスとジョン・F・ケネディの間に生まれた
いろいろな不一致の中におけるインドネシアの役割を理解するようになりました。
もう数十年になりますが、インドネシアの歴史と政治に関する講演や研究を行いながら、私は常に
この流れを辿ってきました。
私は、インドネシアのアダム・マリク元副大統領に対して忘れられないインタビューをしました。
そのインタビューのあと、1年も経たないうちに元副大統領は亡くなってしまいました。
そのインタビューで、「中ソ対立に関連してインドネシアは大事なのです」としきりにマリク氏が
言っていた理由が、私にはちんぷんかんぷんでした。
私はずっと後になってから気がついたのですが、中ソ間の溝を察知したダレスは、その溝をさらに
広げる楔としてインドネシアを利用したのでした。
ブリスベンからインドネシアを訪れるのは、アメリカから行くよりはずっと近いので、
私は長年にわたり、スカルノや60年代の政治について多くの人と話をしてきました。
私は19世紀と20世紀の歴史を教えていますが、中でもインドネシアが独立するために苦労していた
1950年代と60年代に私はずっと焦点を当てています。
オランダは、3世紀以上もインドネシアを離れませんでした。
なぜなら、彼らは世界で最も豊かな植民地を統治していたからです。
ベトナム戦争が本格化する前、ワシントンの関心はラオスに向けられていました。
いっぽうアレン・ダレスは以前からインドネシアに注目していました。
しかし、アメリカ政府の政策や公式発表において、その政治的な不安定さ、豊富な天然資源、
そして広い国土があるにも拘わらず、インドネシアが言及されることは滅多にありませんでした。
インドネシアは東南アジアのほとんどの国の何倍もの人口(世界第4位)を抱えています。
世界最長の群島であり、赤道をはさむその長さは、ロサンゼルスとニューファンドランド間に匹敵します。
1963 年のインドネシアの民衆は、JFK を大統領在任中も大統領在任後も英雄と考えていました。
しかし、インドネシアを「米国陣営」に組み入れ、冷戦の宥和を図ろうとしたケネディの戦略は
インドネシア国外ではあまり知られていません。
その事実は、私たちがインドネシアについて何も分かっていないということを本当に浮き彫りにしています。
また、アレン・ダレスのインドネシアでの隠密作戦を知っている読者はどれだけいるでしょうか?
1958年の作戦のことです。
かつてダレスと一緒に働いていたフレッチャー・プロティ大佐によれば、ベトナムを除けば、
これはCIA最大の作戦でした。
私は読者のみなさんは1960年代のインドネシアをあまりご存知なく、ケネディとダレスのそれぞれの
戦略についてはもっとお分かりにならないだろうと思います。
それで、インドネシアを中心に二人をつなぐ驚くべき証拠があることを読者のみなさんに知っていただく
ために、こういったことに光を当てる必要が出てきます。
それは桁外れの政治的決闘であり、ダレスの勝利はケネディの死だけでなく、←★★★
何百万人もの人々の死につながりました。それは現在も続いています・・・ ←★★★