1. 中川隆[-12172] koaQ7Jey 2023年11月18日 07:45:12 : EX2CaJk6ZI : aGZTb2ZGNnFQSC4=[1]
天皇は元々ソウルに居た漢民族系chousen人で2世紀頃に北九州に移民してきたというのが定説です:
日本は多民族国家で
1. 縄文人
狩猟採集民
蛇信仰、巨木・磐座に神が降りる、死んだら円錐形の山からあの世に上がる
2. chousen の無土器文化人(倭人と呼ばれていた)が日本に移住してきた
稲作漁労民
鳥信仰、集落の入り口に鳥居を設ける、銅鐸の祭りを行う
3. 朝鮮からの漢民族系渡来人
商人で chousen との奴隷貿易で稼いでいた
中国鏡を神体とする太陽信仰、アマテラス信仰
の三つの民族から構成されています。
魏志倭人伝に描かれた倭人の風俗というのはchousen の無土器文化人(倭人)の生活様式を正確に描写しています。
天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨
従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期はchousen の無土器文化人(倭人)、後期は漢民族系chousen 人で、完全に別民族です。
天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作りchousen との交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論漢民族系chousen 人です。
漢民族の天皇一族が日本を乗っ取った手口
天皇一族はツングース系騎馬民族に chousen を追われて北九州に移民して以降
中国華北 → 韓国ソウル
→ 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹後 → 北九州、瀬戸内、畿内
→ 沖縄、北海道・東北北半分を除く日本全土
の順に支配地域を広げて行った様です。
弥生時代後期から昭和までずっと連続してchousen から長江系渡来人及び漢民族系渡来人が流入し続けて、遂に縄文系日本人は少数民族となってしまいました。
被差別同和部落民とアイヌ人・琉球人が現在まで生き残っている縄文人の末裔です。
古墳時代以降の日本はカースト制社会で、天皇、公家、武家、政治家や財界人等の支配者層は殆ど漢民族系chousen人なのです。
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/446.html#c1