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[番外地7] 住所が無いと仕事も日雇い労働しかできなくなり、その賃金ではそこから這い上がれなくなる 中川隆
6. 2021年4月15日 08:12:09 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[1]
人はいとも簡単にホームレスになる
https://tanakaryusaku.jp/2021/04/00024795
2021年4月14日 19:19 田中龍作ジャーナル


ネカフェから出てきたばかりの男性。=歌舞伎町 撮影:田中龍作=

 漫画家の内田かずひろさんがホームレスになったことを、朝日新聞(14日朝刊)がさもニュースであるかのように報道している。

 ホームレス取材歴20年の田中に言わせてもらえば、持ち家がなければ人は簡単にホームレスになる。

 当時者に路上に弾き出されるまでの経緯を聞くとこうだー

 不景気で仕事を失う→家賃が払えなくなる→ネットカフェ暮らし→持ち金が尽きる→路上に

 借金取りに追われて住み家を放棄せざるを得ないケースも相当に多い。15年ぐらい前だったか、住居支援を行う団体の調査によると、ホームレスになる原因の1位が借金だった。

 借金は怖い。新宿中央公園で打ち解けた野宿者が語ってくれた。

 働いて幾ばくかの現金を得たのでアパートを借りた。社会保険に入るため区役所に住民登録したところ、2週間くらいしたら借金取りが来た。

 炊き出しなどで野宿者の顔を撮影してはいけない大きな理由は、借金取りに居場所を知られる危険性があるからだ。


お椀が並び生活困窮者が集う炊き出しの風景はコロナで一変した。メシを食べながら談笑する場はなくなった=渋谷区 撮影:田中龍作=

 持ち家があってもそこそこの蓄えがなければホームレスになる。

 自らが所有するマンションに住んでいた知人は、配管の目詰まりでバスルームの排水を下の部屋に漏らしてしまった。

 普通はマンション管理組合で保険に入っているのだが、管理組合があってなきに等しかったため、無保険だった。

 知人は下の部屋の住人に200万円を請求された。いくつかの業者に見積もってもらったが、妥当な金額であるという診断だった。結局、貯金を取り崩して200万円を払った。

 貯金がなくて、200万円が集まらなければ、知人はマンションを売る他なくなる。住まいを失うのだ。

 日本全国で空き家は846万戸もある(総務省統計局2019年4月)。空き家を有効活用すれば、多くのホームレスが家のない暮らしから脱却できる。

 人間、住み家があれば落ち着いて職探しができ、仕事もできる。

    〜終わり〜
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/527.html#c6

[近代史5] 富裕層の生活、一生涯お金を使うだけ 中川隆
1. 中川隆[-5701] koaQ7Jey 2021年4月15日 08:36:34 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[4]
年収5億円vs.186万円「新・階級社会」日本の真実 もはや「格差」ではなく「階級」だ
2018.02.05 週刊現代  :現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/hasan125/msg/734.html

「資産がいくらあるのか――正直、自分でも正確に把握できていないんですよ。数百億円といったところでしょうか。複数のプライベートバンカーに運用を任せていて、株や債券、外貨、資源、ゴールドなど、ありとあらゆる金融商品に分散投資をしています。

何かで損が出たとしても他が補ってくれますから、資産は安定的に増えていく。年収5億円?それくらいは優にありますかね」

頑張れば報われる――それは、昭和の牧歌的な風景だったのかもしれない。努力しても報われない、現代日本の残酷な現実。

入会金540万円のスポーツジム

仮にW氏としよう。40代男性。シンガポールに住む投資家である。元々、メーカー勤務のサラリーマンだったが、ベンチャー投資で財を成した。その後、資産は倍々ゲームで増えている。

そのW氏が語る。

「資産がいくらあるのか――正直、自分でも正確に把握できていないんですよ。数百億円といったところでしょうか。複数のプライベートバンカーに運用を任せていて、株や債券、外貨、資源、ゴールドなど、ありとあらゆる金融商品に分散投資をしています。

何かで損が出たとしても他が補ってくれますから、資産は安定的に増えていく。年収5億円?それくらいは優にありますかね」

豊かな人はより豊かになり、貧しい人はより貧しくなっていく――。トマ・ピケティ氏が『21世紀の資本』で喝破した現実は、現代の日本でも着実に進行している。

W氏が続ける。

「月に1000万円を使うって大変なんですよ。昔は酒とオンナで浪費しました。入会金100万円を払って、VIP向けの会員制交際クラブに入り、有名グループの女性アイドルを買ったこともあります。でも、実際に寝てみたら『こんなものか』という感想。

ワインは多少高いものを飲みますが、飲める量には限度がある。結局、酒もオンナもほどほどで、健康が一番という結論に辿り着きました。

ああ、時計は買いましたね。アラスカでオーロラを見た後、スイスに寄った際に。リシャール・ミルの1億円の時計を2本買った。一つは自分がつけて、もう一つは保存用です。これも希少性が高く、今では買った価格よりも高値で取り引きされているようです」


使っても使ってもカネが減らない。年収5億円以上の超富裕層が日本にも存在する。彼らに共通するのは、こんな特徴だ。

●限度額が著しく大きなブラックカードを持ち、現金は原則使わない。

●事故を起こすリスクを考え、自分で車は運転しない。移動はハイヤーかタクシーを利用する。

●会員制高級ジムに通って健康維持に励む。

資産数十億円、年収1億円の上場企業創業者A氏はこう話す。

「カネを使うのは、自己研鑽、情報収集、人脈形成のためですね。たとえば、一般の方がとても入会できない高額のスポーツジムで汗を流しています。

大手町にある超高級ホテル内にあるフィットネスクラブです。入会金は540万円、年会費64万8000円。ここには私のような経営者や投資家が集まり、体を鍛えると同時に情報交換の場になっています」

超富裕層はこういった場で、公になっていない情報をやり取りし、新しい儲けのタネを仕込んでいく。前出のW氏は、こんな豪快なカネの使い方をしたと言う。

「ミシュランの星付きの店はたいてい行きましたが、高くておいしいのは当たり前。

むしろ私は、安くておいしいものに目がありません。博多で一人前800円のもつ鍋が評判だったので、シンガポールからビジネスクラスに乗って食べに行ったこともあります。

800円のもつ鍋を食べるのに、30万円くらいかかりましたが、まあ、いくら使ってもおカネはなくなりませんので……」

7割近くが結婚していない

超富裕層の中には財布が膨れるのが嫌というだけの理由で、お釣りの小銭を全額募金箱に入れる人もいる。一方で、日々の生活もままならない「階級以下」の層=アンダークラスが登場している。

「格差社会」が社会問題として一般に認知されるようになったのは、この言葉が流行語大賞トップテンに選ばれた'06年のことだった。所得が低く、結婚もできない「非正規労働者」の存在が問題視された。

その後、格差は縮小するどころか、拡大し、今や絶対に超えられない壁=階級となった。早稲田大学人間科学学術院教授(社会学)の橋本健二氏は著書『新・日本の階級社会』で膨大なデータを用いて分析している。

「これまでの社会は、資本家階級があり、中間階級がいて、一番下に労働者階級がいると考えられてきました。労働者階級の給料は安いですが、正規労働者として身分は安定し、生活できるだけの所得はもらっていた。

ところが近年、その条件に当てはまらない非正規労働者、『階級以下』の存在(アンダークラス)が増えています。彼らはたしかに雇われて働き、賃金をもらっている労働者です。しかし、身分は不安定で、給料も安く抑えられている。

社会調査データから明らかになった、彼らの平均年収は186万円で、貧困率は38.7%。男性の未婚率は66.4%にも上ります。こうした人が929万人も存在し、就業人口の14.9%を占めているのです」

彼らの暮らしぶりはどのようなものか。東京都武蔵野市に住む日雇いバイト(45歳・男性)の話。

「20代の頃、人気グループのバックダンサーをやっていました。'90年代には小室哲哉さんと何度も仕事をしたことがありますよ。

でも年齢を重ねるごとにダンス関係の仕事は減っていき、安定した収入を得るために、洋服の包装・仕分け工場で非正規社員として働いたこともあります。

40歳を過ぎたとき、年下の上司と揉めて契約を更新されなくなりました。それ以来、イベント会場の設営などの日雇いバイトで収入を得ています。月の収入は15万円程度です。

中央線の駅から徒歩30分のボロアパートに住んでいます。家賃は6万5000円。夕食は100均で買ったカレールーを湯でとかしたもの。少し野菜も入れますが、この歳になると米は太るし、節約のために食べません。

2週間に一度、ラーメン屋に行って食べるのが唯一の贅沢です。移動は基本、人からもらった自転車。現場によっては交通費が支給されるので、それが浮くのがありがたい」


収入が低いと、異性と付き合うことにも困難を伴う。介護職に従事する男性(29歳)が物悲しいエピソードを披露する。

「学生時代から付き合っていた彼女がいたのですが、卒業後はデートをするにも交通費や食事代がかかり、厳しいものになりました。クリスマスはおカネのかかるイベントですから大変でしたね。

プレゼントは、彼女の革のブーツをピカピカに磨いてあげるというもの。おカネがないなりに相手を笑わせようとした精一杯の誠意だったのですが、彼女は笑うどころか引いていましたね。それが彼女との最後のクリスマスになりました」

一日頑張っても500円

愛知県在住の派遣労働者(26歳・男性)は、派遣労働の合間に小銭を稼ぐのに四苦八苦している。

「部品工場に派遣され、流れてくる部品を組み立てたり、運んだりします。時給900円で、一日7000円程度にはなる。

景気のいいときは月収12万〜13万円ですが、派遣先が見つからないときもあり、そういうときはネット上のニュース記事を書くバイトをしています。500文字書くと50円もらえる仕事。一日頑張ると、500円くらいにはなります」


一日頑張っても500円。かたや財布がかさばるから小銭はすべて募金箱に投げ入れ。たしかに「格差」という言葉では生ぬるい。

アンダークラスの多くに共通するのは、正規労働者になりたいという切実な願いだ。

だが、企業は一度採用するとなかなかクビを切れない正規社員の雇用を渋っている。
'03年の時点で「年収300万円時代」の到来を予見した経済アナリストの森永卓郎氏は、今後、階級間の断絶はさらに広がると指摘する。

「資本家階級と労働者階級は、同じ日本で暮らしているかもしれませんが、超富裕層にとって、自分たち以外の人は人間ですらない。彼らにとっては金儲けの道具でしかないのです。

資本家と労働者階級が対立するのが、マルクス経済学が読まれた時代の資本主義でした。しかし、今の階級社会では、両者の間に接点がないので、対立になりようがない」

これがアベノミクスの背後に隠れた「日本の不都合な真実」なのである。


「週刊現代」2018年2月10日号より
http://www.asyura2.com/17/hasan125/msg/734.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/587.html#c1

[近代史5] コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 中川隆
9. 2021年4月15日 08:51:28 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[5]
ゴールドマン、収入・利益とも過去最高−株式トレーディング好調
Sridhar Natarajan
2021年4月14日 21:51 JST
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-04-14/QRJXUIDWLU6D01


1Qトレーディング収入は47%増、2010年以来の高水準−株式が主導
投資銀行業務の手数料収入も73%増、株式引き受けは4倍増


ゴールドマン・サックス・グループの1−3月(第1四半期)は、トレーディングと投資銀行業務がいずれも好調で、収入と利益がともに過去最高となった。

  トレーディング収入は47%増の75億8000万ドル(約8260億円)と2010年以来の高水準。株式部門が主導した。

  投資銀行業務の手数料収入も73%増えた。特別買収目的会社(SPAC)とテクノロジー企業の新規株式公開(IPO)ブームで株式引受手数料は4倍に増え15億7000万ドルとなった。


ゴールドマン・サックス・グループは1−3月(第1四半期)の収入・利益が過去最高となったSource: Bloomberg)

  M&A(企業の合併・買収)助言手数料も43%増加して11億2000万ドル。株式引き受けとともに、投資銀行業務の収入を四半期として最高の37億7000万ドルに押し上げるのに寄与した。

  株式投資の急増で資産運用部門の収入も過去最高となり、46億1000万ドルに達した。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/161.html#c9

[近代史5] 新型コロナウイルス対策による経済の麻痺は富豪への資産集中を促進する 中川隆
26. 中川隆[-5700] koaQ7Jey 2021年4月15日 08:52:04 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[6]
ゴールドマン、収入・利益とも過去最高−株式トレーディング好調
Sridhar Natarajan
2021年4月14日 21:51 JST
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-04-14/QRJXUIDWLU6D01


1Qトレーディング収入は47%増、2010年以来の高水準−株式が主導
投資銀行業務の手数料収入も73%増、株式引き受けは4倍増


ゴールドマン・サックス・グループの1−3月(第1四半期)は、トレーディングと投資銀行業務がいずれも好調で、収入と利益がともに過去最高となった。

  トレーディング収入は47%増の75億8000万ドル(約8260億円)と2010年以来の高水準。株式部門が主導した。

  投資銀行業務の手数料収入も73%増えた。特別買収目的会社(SPAC)とテクノロジー企業の新規株式公開(IPO)ブームで株式引受手数料は4倍に増え15億7000万ドルとなった。


ゴールドマン・サックス・グループは1−3月(第1四半期)の収入・利益が過去最高となったSource: Bloomberg)

  M&A(企業の合併・買収)助言手数料も43%増加して11億2000万ドル。株式引き受けとともに、投資銀行業務の収入を四半期として最高の37億7000万ドルに押し上げるのに寄与した。

  株式投資の急増で資産運用部門の収入も過去最高となり、46億1000万ドルに達した。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/228.html#c26

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
78. 中川隆[-5699] koaQ7Jey 2021年4月15日 09:16:13 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[7]

「音楽&オーディオ」の小部屋

新たな挑戦
2021年03月11日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/288e25ab4b7da7b2cf8482ed0551f896


3月7日が誕生日というせいもあるかもしれないが、3とか7とかの奇数がやたらに好きである。麻雀でいえば「辺(ペン)ちゃん待ち」というやつですな(笑)。

いわゆる「素数」(自分以外では割れない数、たとえば2,3,5,7,11,13・・)については日頃から縁起のいい数字として日常生活の中で何かと験(げん)を担ぐことが多い。

オーディオだって例外ではない(笑)。

今年の3月7日(日)は実に素敵な誕生日となった。経緯を述べてみよう。

我が家にはSPユニット「AXIOM80」が2セットある。オリジナル版と復刻版だが、何しろメチャ繊細な音を出す代わりに過大入力に弱く壊れやすいことでも有名だ。すぐにザザッといったノイズが出てくる。

そこで「スペア」として復刻版を温存していたのだが、「オリジナル版」が一向に壊れる気配を見せないので、とうとう「復刻版」の本格的な活用を決意するに至った。

となると「丸裸」で鳴らすのは可哀そうなので適当なエンクロージャー(以下、箱)を作ってやらねばいけない。

まあ、箱作りは上手いかどうかは別にしてけっして嫌いではない(笑)。

さらに言わせてもらえれば、箱作りを通じてユニットの背圧〈逆相の音)処理の方法、位相の問題やネットワークの構築などオーディオの本質に関わる問題を勉強できる。

まあ、この世界には上には上があるのであまり大きなことは言えませんがね・・(笑)。

その点、箱を販売しなかったグッドマン(英国)のユニットは工夫の「し甲斐」があって挑戦するのにはもってこいだ。

今回の構想としては「新しい箱にAXIOM80を容れてフルレンジで鳴らす」を基本に「低音域を別のユニットで補強する」の2点に尽きる。今のところ、これが我が家の基本的なスタイルだ。

さっそく、車で50分ほどの大分市郊外にある大規模な「DIY」店に行って、「1.2cm厚」の薄目の板を左右両チャンネル分として計12枚カットしてもらった。

ちなみに、季刊誌「管球王国」(ステレオサウンド社)に書いてあったが、AXIOM80用の箱はできるだけ薄めの板を使って共振させるほうがいいとあった。

寸法は、小振りそのもので「横50cm、縦40cm、奥行き40cm」を基本に板厚を考慮して(組み立てたときに)「はみ出さない」ように神経を使った。

自宅に持ち帰ると、すぐに組み立て開始前の準備作業に入った。

箱の内側には2か月ほど前に手に入れた「卵入れ用のトレイ」を張り付けることにした。これは新規の試みである。あの適当な凸凹が定在波の防止に良さそうな感じだが、まあ、これは勘ですな!(笑)。

それぞれの板の内側にこのトレイを張り付け、余白にはティッシュペーパーを張り詰める。正面のバッフルにはジグソーで「AXIOM80」用の穴を、裏蓋には「ARU」(背圧調整器)用の穴を開け、最後は外側に黒色のペンキを塗って自己流ながらも準備完了。

ペンキが乾くのを待って6日に大分市内のオーディオ仲間「N」さんに加勢に来てもらい二人して組み立て作業に取り掛かった。独りで出来ないことはないが、二人でやる方が正確だし圧倒的に楽だ。

「百聞は一見に如かず」で、ご覧の通り。

ネジを使わずに強力な接着剤で相互の板をくっつけて、最終段階としてNさん持参の「締め上げベルト」2本でがっちり固定した。

2〜3時間もすれば接着できるはずなのですぐに音出ししてみたかったが、「音圧による振動は強力ですから箱に与える影響を無視できません。私なら今晩は締めあげたままにしておいて明日聴きます」とNさん。

「九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)」という中国の故事がある。逸(はや)る気持ちを抑えて「それもそうですね」と同意。

気忙しい性格だが、ここはぐっと我慢のしどころだ。

翌日の7日はいつもより1時間も早く目が覚めたのはどうしてだろう?(笑)

そして、ここから波乱万丈の展開になるのだが、ちょっと長くなるので次回へ〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/288e25ab4b7da7b2cf8482ed0551f896

オーディオは「芸術」と対峙するための神聖な道具なのだ!
2021年03月13日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/49f1dfaca32b24e7c57dd4b62edf0a55


前回からの続きです。

「AXIOM80」(復刻版)用の新しいエンクロージャー(以下「箱」)に挑戦して2日目のこと。

起き抜け早々に1階のオーディオルームに入るなり、すぐに箱を締め付けていたベルトを外して低音域担当の箱の上に載せた。

実はここからがひと騒動だった。

「AXIOM80」には真空管アンプ「WE300Bシングル」を、低音域担当の「AXIOM150 マークU」(グッドマン)には「2A3シングル」アンプをあてがって鳴らしてみた。

ハラハラ・ドキドキ・ワクワクする一瞬だが、耳を澄ましてみると悪くはないのだがどうも伸び伸びとした音が出てこない。

肝心の「AXIOM80」については小さめの箱なのに予想以上の出来栄えだった。

うまく鳴らしたときにだけ味わえる「柔らかさ&ふっくら感」が聴き取れたし、贔屓目かも知れないが「薄い板」と「卵用トレイ」が見事に利いてる感じ。

その一方で、「AXIOM150・・」が受け持つ低音域がいささか縮こまっている感じがしたので、ハイカットを150ヘルツ(コイルの直列2個)から350ヘルツ(コイル1個)に上げてみたところ全体的にようやく伸び伸び感が出てきた。

ウェストミンスターの大型の箱では「150ヘルツ」で、ごく自然に本格的な低音が出たが、この中型の箱となるとせいぜい「350ヘルツ」あたりが限界のようだ。

つまり箱の大きさ次第でハイカットの周波数が限定されることに初めて気が付いた。今さらだが〜(笑)。

ちなみに、ハイカットの周波数が上がれば上がるほど低音域の締りがなくなってボンヤリした音が出てくる傾向がある。

ほら、タンノイの大型システム(クロス1000ヘルツ)がそうでしょうが(笑)。

敷衍すると、オーディオは低音域を受け持つ箱のツクリとネットワークによって方向性がほぼ決まるようで、これらを「なおざり」にするとどんなに高級なレコードプレイヤーやCD機器、あるいはアンプで補おうとしてもお値段に見合った効果が得られない、と思っている。

気を良くして1時間ほどこのコンビで聴いてみたものの、そのうち「エッジレスと強力なマグネット」によるハイスピード・サウンドが売り物の「AXIOM80」に比べて、低音域のスピードの遅れが気になりだした。

いったん気になりだすともうダメ(笑)。

「AXIOM150・・」に比べてコーン紙のカーブが浅いJBLの「D123」(口径30センチ)ならもっとスピード感が向上するような気がしてきた。

そこで、倉庫の片隅に保管しているバッフル付きの「D123」を引っ張り出してきて、交換へ。我が家では困ったときの打開策として、いつも「D123」の出番がやってくる(笑)。

バッフルと箱側の双方のネジ穴を合わせているので所要時間は10分程度だから随分楽である。

これで鳴らしてみるとようやく愁眉が開いた。

二つのユニットがまるでフルレンジを聴いているような融け合った鳴り方をしてくれる。「AXIOM80」とJBLの30センチ・ユニットの異色の組み合わせも大いにありですね。

オーディオは実際にやってみなくちゃ分からん(笑)。

そして、この「品が良くて透き通った音」でモーツァルトをずっと聴いていたら、これまで「恰好の遊び道具」に過ぎないと思っていたオーディオが、まるで「芸術と対峙するための神聖な道具」かのように変貌を遂げてきたのが不思議。

「いい音」とは、リスナーの心を洗い清め「敬虔な祈り」へと昇華してくれる存在なのかもしれないと、久しぶりに精神の高揚感を覚えた。格安の投資でこれだから、まったくありがたい限り(笑)。

最後に、この箱の今後の展開性だがまず「ウェストミンスター」(クロス150ヘルツに改造)の上に載せることが考えられる。

仲間から「めったに聴けない低音」と称賛されているウェストミンスター、それにAXIOM80との組み合わせとなるとうまくいけば「鬼に金棒」だけどそうは簡単に問屋が卸すかな?

次には、オリジナルのAXIOM80が入った箱の上に載せて「ダブルのフルレンジで鳴らす」ってのも考えられる。

春ももう目の前だし、楽しみが増える一方だね〜(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/49f1dfaca32b24e7c57dd4b62edf0a55

柳の下の二匹目のどじょうを狙う
2021年03月24日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3cc89f4c9ef59046007a1559db402f8a


先日のブログに載せたように「AXIOM80」(復刻版)用の小振りの箱を作ったところ、想像以上に良く鳴ってくれるので毎日がルンルン気分になった。まさに「春到来」だが、どうやら厚さ12mmの薄板が功を奏したようだ。

自作ということなのでどうしても「贔屓目」があるにしろ、なかなかの出来栄えだと勝手に自惚れているが、数日前にオーディオ仲間(大分市内)のお二人さんが「聴かせてください」とお見えになった。

その時に話題となったのが「箱の自作」についての是非だ。

「わたしは箱だけはプロの手に任せるようにしていますので箱づくりはしません」と、仲間のうちのお一人がキッパリ仰った。

そこで「いやあ、その気持ちよくわかります。ほんとうはプロの手に任せたいのですが、グッドマン社に限っては箱をつくってないものですから、自作するしか仕方が無いんです。それに、12mmの薄板で作った箱なんてオークションでも出品されてませんしねえ。」

さらに付け加えて、

「本格的な低音を出そうと思ったら箱の剛性が絶対に必要ですが、そうなるととても素人の手に負えません。その点、我が家の場合は低音用の箱はすべて既成の箱に任せています。ウェストミンスターにしてもJBLのD123にしてもしかりです。箱づくりの目的は我が家の場合、中高音域の倍音成分を豊かに鳴らすことに絞っています。」

と、まず言い訳がましいことを述べてから「柳の下の二匹目のどじょう」の登場といこう(笑)。

以前からウェストミンスターの上に載せているワーフェデールの「スーパー8」(口径25センチ:赤帯マグネット)を裸の状態で鳴らしているのが気になっていた。

このユニットについてはフルレンジで鳴らしていたのだが、何しろ裸なのでユニットの後ろ側に出る音〈逆相)が前に回り込んできて中低音域を邪魔していることは間違いないので、たとえ小振りの箱にしても容れるに越したことはないと判断した。

というわけで、性懲りもなく再度の箱づくりに取り掛かった。

今回も、前回の「箱づくり」の成功パターンを踏襲した。

✰ DIY店で12mm厚の木材を所定の大きさにカットしてもらう

✰ カットした木材に吸音材や定在波防止用の卵用トレイを張り付ける。そしてユニット取り付け用の穴(口径25センチ)をジグソーで開ける

✰ 組み立て時にはオーディオ仲間のNさんに加勢に来てもらう。

✰ 組み立てにはいっさいネジを使わず、強力接着剤を使用する。完成したら専用のベルトでしっかり締め上げて一晩おく

画像を見た方が分かりやすいでしょう。

ひときわ大きい赤帯マグネットを持つ「スーパー10」(ワーフェデール)。コーン型なのに強力なマグネットのおかげで、まるでホーンみたいに音が飛んで来まっせ〜(笑)

前回と違うのは、「羽毛が詰まった吸音材」を採用し底板に張り付けたこと。

これが完成形。

作業後の翌朝、朝一で早く聴きたいと逸る気持ちを抑えながら「おい、手伝ってくれ〜」と家内を呼んでこの箱をウェストミンスターの上に載せようとしたら情けないことに二人とも非力なので肩の上まで持ち上げられない。

「これはとても無理よ〜、(三軒隣の)若い〇〇さんに頼んであげる」と、急いで家内が走ってくれた。

気持ちよく駆けつけてくれた逞しい筋肉質の〇〇さん、「軽いですね〜。独りで十分です」と軽々と持ち上げて載せてくれた。

「ありがとうございます」と、深々と頭を下げてから、家内と顔を見合わせて自分らのあまりの非力ぶりに深〜いため息をついた(笑)。

さて、問題はどういう音が出るかですね。ハラハラ、ドキドキ、ワクワク〜。

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3cc89f4c9ef59046007a1559db402f8a

クラシック音楽愛好家のご来訪〜その1〜
2021年03月26日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/90a4f60de57638f0540e5bfdf12f7964


つい先日、搭載した記事「有益なオーディオ情報をタダで手に入れようとするのは甘い!」は、なかなかの好評で未だにアクセスが絶えない状況にある。

この記事の末尾に、もし「どうしても(真空管の型番を)知りたい」という方がいれば「自己紹介欄」のメルアド宛ご連絡ください。それこそ熱意に免じて「タダ」で教えて差し上げます。」と、記載しておいた。

その後、今日まで実際に問い合わせがあったのはたったの3件だった(笑)。

この記事の後、過去記事を詮索した(アクセスの)形跡が見られたので、「筆者に問い合わせるよりは自分で(過去記事を)調べてみよう」という方がいたように感じた。

変な意地(?)を張って、まったく「可愛げ」がないねえ(笑)。

アッサリ問い合わせてくれれば真空管の型番のみならず、一緒に重要な付帯情報を伝えてあげたのに・・。

とはいえ「またまた、いつものように大袈裟な表現だなあ・・」と、信じてもらえなかった可能性も十分ある(笑)。

それはさておき、その3名の方々のうち2名はこれまでメールのやり取りをしたことがあった方々だが、1名の方が初めてだった。

「この二三日、たとえ知っても買いに走ることもないんだから…と考えて控えておりましたが、やはり気になって仕方がありません。

真空管は何なんでしょうか、お明かし願えませんでしょうか?宜しくお願い致します。」

「ハイハイ、喜んで情報提供しますよ」とばかりに即答したが、これを契機にメールの交流が始まって、たまたま隣県の「福岡」の方だったので「試聴させていただけませんか」ということになった。

願ってもないことなので「わざわざお見えになって聴いていただくほどの音ではありませんが、気が向いたらいつでもどうぞ〜」と、返答したところバタバタと日程が「3月某日の午後」と決まった。

さっそく「散らかり放題」のオーディオルームの整理整頓にかかった。遠路からお客様がお見えになるたびに行うまるで恒例行事みたいなものだが、とはいっても荷物をそっくり別の部屋に運び込むだけの応急措置になるのだが(笑)。

とりあえず当日の試聴時間の節約のつもりで、メールで年齢、過去の職業や好きな音楽ジャンルなどの自己紹介をしたところ、相手の方(仮にFさんとしておこう)からも返信が来て「長年、〇〇交響楽団でヴィオラを演奏してました」とあった。

え〜ッ、いわば音楽・音響のプロじゃないですか!

思わず身が引き締まり、ひときわオーディオの調整に余念が無かったのは言うまでもない(笑)。

しかも、Fさんは音楽家には珍しくたいへんなオーディオ愛好家であることが判明した。

「スピーカーはJBLの4320、4311、タンノイのランカスター、コーネッタ、ダイヤトーンのR208、R305、DS3000が主なところです。

1番好きなのは1番小さなR208で、音の高低のバランスや伸びよりも、一瞬のリアルさが1番大事で、違うと我慢出来ない様です。

聞くのはCDが主で、主にはクラシック中心ですがジャズや昔のポップスや歌謡曲など何でも聞きます。ただオーケストラのものは検事の耳になるので余り聴きません。

弦楽四重奏が本当はやりたくて、一時は打ち込んでやっておりましたので、ヴァイオリン等の弦楽器がリアルに聴こえるのが理想です。

アクシオム80はその意味で聴いてみたいスピーカーの最右翼だったのですが、見たことが復刻版が1度、聴いたことは1度もありません。

とても楽しみにしております。」

「そりゃあ、クラシック音楽愛好家なかんづく弦楽器を愛好されるかたなら一度はAXIOM80を聴いておいた方がいいでしょうね〜」とは、心の声(笑)。

ただ、タンノイのコーネッタをお持ちとはご熱心さが伺える。VLZの代わりにAXIOM80を容れても面白そうな箱ですね。

2〜3日前まで「ぐずついた天気」がウソのように晴れ渡った3月某日、目印の積りで玄関前に出ていたら、きっかり13時25分に我が家にご到着された。

「いやあ、どうもどうも初めまして〜」。

初印象は、いかにもクラシック音楽を長年演奏し愛好されてきた雰囲気そのままのイメージどおりの方だった。

今回の試聴のポイントは次の2点になる。

1 ウェストミンスター(改)の低音域(150ヘルツ以下)は音楽のプロの耳からどのような受け止め方をされるのか。

(やたらに低音域に拘るようだが、大好きなオペラやオーケストラは豊かな低音域の支えが無いと聴けない音楽だから。)

2 AXIOM80の「オリジナル」版と「復刻版」の音色の違いについて、はたしてどのような感想を洩らされるのか。

以上、受け入れ側としても興味津々である。

以下続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/90a4f60de57638f0540e5bfdf12f7964

クラシック音楽愛好家のご来訪〜その2〜
2021年03月28日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/eacdeca505d1ce5e0717ae8a8fdd9e3e


前回からの続きです。

これまで、いろんな方々が我が家に試聴にお見えになったが、かってオーケストラの一員として活躍された方は今回のFさんが初めてである。

いわば、録音現場ともいえる生の音に精通したプロとでも言うべき方なので、我が家の「自己勝手流の音」に対してどのようなご感想を洩らされるか興味津々である。

もちろん、良くても悪くても当人の面前での評価はご遠慮されるだろうが、おおよそ素振りや雰囲気でわかるものである(笑)。

さっそく、玄関を入ってすぐのオーディオルームにご案内して、はじめに、かってのヴィオラ奏者ということで「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」(モーツァルト)を聴いていただいた。

ヴァイオリンは「五島みどり」さん、ヴィオラは「今井信子」さんと日本が世界に誇るご両人だ。

ヴィオラ奏者のFさんにとっては先刻ご承知の曲目だったが、

「ヴィオラがヴァイオリンと対等に演奏できるようにモーツァルトはヴィオラを通常より半音上げて作曲してます。ヴィオラにとってやや無理を強いられますので演奏するときは内心穏やかではありません。」

Fさんならではの、こういう専門的な話はとても参考になったし、いかにも音楽愛好家らしく目を閉じて静かに耳を傾けられる姿勢にほとほと感じ入った。

沢山のCDを持参されてきたので、さわりの部分を順番に聴いていった。

スピーカーの方は「AXIOM80(復刻版)+D123」を皮切りに「ワーフェデールのスーパー10+ウェストミンスター」、そして最後の真打は「AXIOM80」(オリジナル)へ。

次に、持参されたCDの中からコープランドを聴かせてもらった。

途中で大太鼓のズシ〜ンと腹に響いてくるような物凄い低音が鳴り響いて度肝を抜かれたが、ウェストミンスター(150ヘルツ以下)はいささかも動じることなく見事に再生したのはうれしかった(笑)。

「こういう低音は初めてです。オフ会で聴かせてもらったJBLの口径48センチでも聴けなかった低音です。ユニットは口径30センチでしょう・・。」

「ハイ、低音にはいささか自信があります。むしろユニットよりも箱の効果だと思います。それに200ボルトを100ボルトに降圧した電源を使っていますし、全面床コンクリートにしてその上に(スピーカーを)設置していますので床が共振せずに低音のエネルギーを逃がさない点もあると思います」

ただ、これはこの原稿をしたためるときになってふと思いついたことだが、クロスオーバーを200ヘルツ以下にしないと本格的な締まった低音は出てこない。

その点JBLのシステムはたとえ大型の「375」ドライバーにしても200ヘルツまでは出せないので、どうしても低音域のクロスを500ヘルツ前後にせざるを得ない。すると低音域が締まらずにボワ〜ンとふやけてしまう。そういうジレンマがあるのではないかと推察したことだった。

したがって、JBLの口径48センチをクロス200ヘルツ以下でそしてしっかりした箱で再生したときは、これ以上の凄い低音が出るような気がする。まあ、アンプにもよりけりだが・・。

(いつも言っていることだが、オーディオに関する諸説の普遍化は危険。あまりにもオーディオ環境の変数が多すぎるので、どうしても各家庭の状況に応じて臨機応変の対応が必要。つまり、この現象は我が家だけの事例なので念のため申し添えておきます)

最後のCDは「ゴールドベルク変奏曲」(バッハ)を弦楽三重奏曲に編成したもの。Fさんが大好きな曲目だそう。

「弦楽三重奏や四重奏は無駄を省いた究極のクラシック音楽の形だ」と、読んだ記憶があるが、素晴らしい演奏にウットリと聞き惚れた。使ったスピーカーは「AXIOM80」のオリジナル版で、この小編成にはもってこいだろう。

そして、聴き終えてから感動冷めやらぬままにとっておきの質問を繰り出した。

「AXIOM80の復刻版とオリジナル版とでは印象が違いましたか」。

「ハイ、まったく別物の印象を受けました。オリジナル版は落ち着いた音色でさりげなく鳴ります、これがほんとうの楽器の音色だと思いました。」

そうですか・・・。

ウ〜ン、またもや宿題が残った(笑)。

Fさんのお好きな音の傾向もだいたいわかったし、想像以上にデリケートなお耳の持ち主だったので、またのご来訪までには何とか復刻版をオリジナルと同等に引き上げなくては。

そのための秘策はいろいろある・・。

性懲りもなく果てしないオーディオへの挑戦と探求が延々と続く(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/eacdeca505d1ce5e0717ae8a8fdd9e3e


柳の下に二匹目のどじょうがいた!
2021年04月06日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af88745796ab89904643428edfa93c48


先日のブログ「柳の下の二匹目のどじょうを狙う」の続きです。

ブログの末尾に「以下、続く」としていたが、ブログのネタが多すぎて搭載のタイミングが1週間以上ズレ込みましたけど悪しからず。

さて「AXIOM80」(復刻版)用の箱に味をしめて、再度取り組んだ「小振りの箱」。それも板厚12mmという薄さなので独特の音が楽しめるはずと踏んだが、はたして「二匹目のどじょう」は見つかったのか。

それが実際にいたんですよねえ(笑)。

今回の箱には頑丈なユニット「スーパー10」(ワーフェデール:赤帯マグネット)を容れているので、遠慮せずにじゃんじゃんパワーを入れられる利点がある。

そこで、駆動する「300B」用のアンプには、始めから「WE300B」を挿し込んで聴いてみた。

一聴するなり、かなりの低音が出てきたのには驚いた。箱が箱だけにやや締まりがないというか、制動が利いてないという低音だがタンノイなんかよりは強力な「赤帯マグネット」を有しているだけ、マシかもねえ(笑)。

これなら単体でも小編成の曲目やボーカルなどには十分対応できそうで、まずはひと安心。

低音域(150ヘルツ以下)を受け持つウェストミンスター(スーパー12内蔵)との繋がりが一層良くなったのは言うまでもない。

もうこれで十分だと思いたいが、試してみたいことが一つ残っている。

それは・・。

オーディオに望むものは人それぞれだが、自分はシンプルに考えて大きく三つに分けている。

1 繊細で豊かな響きを持つ中高音域をいかに出すか

2 150ヘルツ以下の低音域をいかに自然に響かせるか

3 1と2の繋がりをいかにスムーズに演出するか

これらがうまくいけば、まさに「鬼に金棒」だが、こういう理想的なシステムはまず存在しないし、これまでの他家での武者修行でもまず聴いた試しがない。

とはいえ、一歩でも「神の領域」に近づきたい気が無いといえば嘘になる。

将来計画として機が熟したらウェストミンスターの上に、この箱に代えてもう一つの小振りの箱に容れた「AXIOM80」(復刻版)を載せてみようと秘かに狙っているのだ。

それには「AXIOM80」の低音域をローカットする必要がある。ウェストミンスターで聴くときはオペラやオーケストラを大音量で聴くのだから、繊細なツクリのAXIOM80をフルレンジで鳴らすと、途端にガサゴソとノイズが出だす。

これまで4〜5回は修理に出しているが、そのたびに2万5千円取られるのだからたまったもんじゃない(笑)。

そこで思いついたのが「クロスオーヴァー200ヘルツの真空管式チャンデバ」だった。過大な低音を入れさえしなければまず故障することがないAXIOM80なので200ヘルツあたりでローカットできれば言うことなし。

オーディオ仲間で熟達の腕をお持ちのNさん(大分市)に持ち掛けてみたところ「チャンデバを作れないことはないけど、音質を劣化させるコンデンサーや抵抗をやたらに使うことになるので、ひときわデリケートなAXIOM80には向かないと思うよ。むしろ、容量の大きなコンデンサーを使ってシンプルに一発でローカットした方がいいんじゃない」との回答が返ってきた。

成る程!

すぐに方向転換して、ムンドルフのコンデンサーをネットでゲットした。

ちなみに、容量の47μF(マイクロファラッド)はどのくらいの周波数をローカットできるのかといえば「ネットワーク周波数早見表」により15Ω負荷で計算してみると「225ヘルツ」(ー6db/oct)となるのでピッタリ。

とりあえず、フラメンコダンサーのドスン・ガツンの音楽ソースを思い切って大きなボリュームで「AXIOM80(復刻版)+D123(JBL)」で聴いてみたところ、大型コンデンサーによる音質の劣化はいっさい感じられなかったし、一緒に聴いていたオーディオ仲間も同感だった。

そして、AXIOM80が壊れなかったのはうれしかった、内心ヒヤヒヤしていたのだが・・(笑)。

これで「神の領域」に向けて一歩前進・・。
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トライ&エラー〜スピーカー編〜
2021年04月10日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9b4e92540530ad58411c32619303fd91


去る3月23日、福岡からクラシック音楽愛好家のFさんが試聴にこられたことは2回に分けてブログに登載したとおり。

勝手な思い込みかも知れないが、概ねFさんの期待に応えられたような気がしているものの、「AXIOM80」のオリジナル版と復刻版との音質の違いについて指摘されたのがちょっと気になっている。

何か解消する手立てはないものか・・。

ことオーディオに関しては「考え込むよりも動く」のがモットーなので「トライ&エラー」の繰り返しにより、この2週間余り退屈することがなかった。


メチャ忘れっぽいので記録に残しておくとしよう。

まずは、スピーカー対策から。

1 低音域のユニットの交換

ご覧の通り、低音域(350ヘルツ以下)だけを受け持たせるスピーカーは、当初はグッドマン「AXIOM150マークU」にしていたが、悪くは無いんだけど低音が深過ぎてAXIOM80のスピード感にはそぐわなかった。

そこでコーン紙のカーブが浅くて音声信号に対する反応が早そうなJBL「D123」に変更してみたところ、AXIOM80のスピード感に遜色がなかったものの、今度は双方の「音色」の違和感が「?」となった。

Fさんが気にされたのもその辺に原因がありそうだ。

「D123」もいいところがあるんだけどなあ、と後ろ髪を引かれる思いでさらに変化を求めてグッドマン「トライアクショム」にしてみた。

比較的軽量のアルニコマグネットによりあっさりとした低音が持ち味だが、それがAXIOM80に合うかもしれないという淡い期待のもと、ダメなときはすぐに「D123」に戻すつもりだった。

この「トライアクショム」は同軸3ウェイのフルレンジで口径30センチ。このユニットを低音域だけ(350ヘルツ以下)だけ鳴らそうという算段になるが、自分で言うのも何だが実に贅沢な使い方だと思う。

ただし、コイル(ムンドルフ:6.8mh)を外してやれば、たちどころにフルレンジでも聴けるので、5番目のシステムが出来たようなものでもある。

15分ほどで交換終了。

寸分違わず、ネジ穴まで統一したバッフルをいくつも準備しているので実に楽ちん。前開きの箱の方はもともとAXIOM301が入っていたもので「ARU」(背圧調整器)付きの板厚4cmという頑丈な代物だ。

画像のとおり、下の方がトライアクショムだ。コーン紙が薄くて軽いのが特徴。

おそらくこういうシステム編成は自慢するわけではないが、世界で唯一の組み合わせに違いない(笑)。

そして肝心の音だが、期待以上に素晴らしかった!

さすがに、同じグッドマン同士の組み合わせなのでまるでフルレンジを聴いているかのように音色に違和感が無かったし、イギリス系ユニットの低音域の表現力はアメリカと違って重量感よりも分解能を優先しているとつくづく思わされた。

「シマッタ、Fさんがお見えになったときに初めからこのシステムで聴いてもらえばよかったなあ・・」と、臍(ほぞ)を噛んだのは言うまでもない(笑)。

なお、我が家にはJBLの「LE-8T」(口径20cm:初期版16Ω)が部屋の片隅で眠っている。

このユニットだけを取り外してぜひ「AXIOM80」とセットで低音域だけ受け持たせてみたい。おそらく音色の違いがネックになりそうだが、実際に聴いてみなくちゃ分からん。

それに箱の容量が大きくなったときの「LE-8T」をフルレンジで聴いてみたい気もする。

とまあ、幸か不幸か我が家のすべてのオーディオ機器は骨の髄までしゃぶり尽くされる運命にある(笑)。
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「人生に無駄な経験は一つもない」というが
2021年04月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b534cc3a8a7d224ebf5a37efd3bbedc3


「人生に無駄な経験は一つもない」と、何かの本に書いてあったがいまだに折にふれ過去を振り返って悔やむことが多い自分にとって、こういう前向きな言葉には大いに励まされる。

これまで長年にわたって散々拙い経験をしてきた「オーディオ」もそう思いたいところだ(笑)。

さて、およそ4年ほど前の話だがAXIOM80の復刻版をグッドマン指定の箱で鳴らしたことがある。

          

当時の画像になるが、左側の「AXIOM80」が自作の箱に容れた「初期版」で、一番肝心な「ARU」(ユニットの背圧調整器)は箱の底に付けている。その一方、右側がグッドマン指定の箱に容れた「復刻版」。

その違いはといえばスピーカーの板厚である。自作の箱が「15mm」、そしてグッドマン指定の箱の方の板厚が「40mm」。

この両者をオーディオ仲間と聴き比べたところ、二人の意見は一致した。

「自作の箱の方が伸び伸びとした音です。音響空間に漂う音の余韻が何時までも尾を引く感じがしてことのほか響きが美しい。その一方、指定箱の方は少々堅苦しくて、何だか会社員がキッチリとネクタイを締めてかしこまっている感じがします。」

軍配は明らかに自作箱の方に上がったわけで、板厚の重要性を改めて思い知ったことだった。

このことを裏付けるのが真空管専門誌「管球王国」(2017 SPRING Vol.84:ステレオサウンド社)だった。

                    

本書の172頁に「フルレンジユニットのチューニング法大公開」という特集があって、何と「AXIOM80」のオリジナルと復刻版の両方のチューニング法が公開してある!

今どき「AXIOM80」なんて時代遅れのSPを特集するなんてほんとうに奇特な記事としか思えない(笑)。

ただし、「AXIOM80」に関してはいくら場数を踏んだオーディオ評論家といえども、流した「血(お金)と汗と涙」の量はとうてい自分には及ばないはずなので、鵜呑みにするつもりはまったく無い。

案の定、やっぱり首を傾げる部分もあったが、記事の中で印象的だったのは「このユニットには板の厚みが薄い方が絶対に向いていると思います。」という言葉だった。そのとおり!

というわけで、この経験を生かしてこのほど製作した板厚がたったの「12mm」の小振りの箱に入った「AXIOM80」(復刻版)は信じられないほどの絶好調振りである。何といっても響きが美しい。

そして低音域(350ヘルツ以下:ー6db/oct)を受け持つのは同じグッドマンの「トライアクショム」だ。

この件はご存知の通り先日のブログ「トライ&エラー〜スピーカー編〜」に登載したところだが、さっそく去る3月23日に福岡からお見えになったFさんの知るところとなり、メールの交換によって再度の試聴日程が決まった。

今度こそ、元オーケストラの一員だったFさんを失望させるわけにはいかないと、細部の調整に余念がない毎日だ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b534cc3a8a7d224ebf5a37efd3bbedc3
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c78

[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
11. 中川隆[-5698] koaQ7Jey 2021年4月15日 09:25:08 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[8]


Peter and the Wolf(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=34528

(その1)を書いたあとで、
そういえば、黒田先生、「音楽への礼状」でプレヴィンについて書かれていたな、と思い出した。
書き出しも憶えていた。

ある高名な評論家のことから始まる。

     *
「こういうあつかいをされるのなら、これからは、きみのところとのつきあいを考えさせてもらうよ」

 受話器からは、そのようにいう、くぐもった声がきこえてきました。声の調子から判断して、声の主が感情をおしころしているのはあきらかでした。連載を依頼している、さる高名な、そして高齢でもある評論家に、そのようにいわれ、ヴェテランの編集者である彼は、大いにあわて、同時にびっくりもしました。なんでまた、そんなことを気にするのだろう、このひとは。彼がそう思ったのは当然でした。

 電話は、彼の雑誌の、その前日の新聞に掲載された広告に、件の高名な評論家の名前がのっていなかったことについての、厭味たっぷりな苦情でした。たまたま、その号の特集にスペースをとられ、そのために、連載をしている評論家の名前をのせられなかった、というだけのことでした。その程度のことは、わざわざ広告部に問い合わせるまでもなく、彼にも予測できました。

     *

この高名な評論家が誰なのかは、なんとなく知っている。
そんなことをする人だったのか、と思ったし、
黒田先生が書かれているように、その行いは《想像を絶すること》だ。

高名な評論家といえど、いわゆる自由業である。
出版社から毎月決った額を受けとれるわけではない。

だからこそ、名を売っていかなければならない──、
そういう考えの人も多いのは経験上知っている。

十分な名声があったとしても、新しい人たちが参入してくるし、
将来が保証されているわけでもないから、名前が載ることは名によりも優先することなのだろう。

黒田先生も音楽評論家だったから、この高名な評論家と立場としては同じである。
《めだって、広く世間にその名を知られるようになる、というのは、たまたまの結果でしかなく、目的であってはならないでしょう》
とも書かれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34528
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html#c11

[近代史4] 独裁者列伝 _ 金正恩 中川隆
11. 2021年4月15日 10:04:07 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[9]
【ゆっくり解説】北朝鮮と日本ヤクザとのつながりが予想以上だった…
2021/04/11






http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/804.html#c11
[近代史4] 独裁者列伝 _ 金正恩 中川隆
12. 2021年4月15日 10:06:03 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[10]

【ゆっくり解説】北朝鮮で蔓延する薬物が深刻すぎる状態だった
2021/04/12





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/804.html#c12
[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
119. 中川隆[-5697] koaQ7Jey 2021年4月15日 11:35:09 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[11]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=5845

山中先生は、この点どうかというと、パトリシアン600を使われていることからもわかるように、
背の高いスピーカーシステムに対して、瀬川先生のように拒否されるところはないわけだが、
以前書いたように、QUADのESLを、ぐっと思いきって上にあげて前に傾けるようにして聴くといいよ、
と、ESLを使っているときにアドバイスしてくださったことから、
むしろ瀬川先生とは反対に背の高いスピーカーシステム、
もしくは目(耳)の高さよりも上から音が聴こえてくることを好まれていたのでないか、とも思う。

スピーカーシステムの背の高さ(音が出る位置の高さ)を強く意識される方もいれば、
ほとんど意識されない方もいる。
これはどうでもいいことのように思えても、スピーカーシステムの背の高さを強く意識されている方の評価と、
そうでない方の評価は、そこになにがしかの微妙な違いにつながっていっているはず。

だから、なぜその人が、
そのスピーカーシステムを選択されたのか(選択しなかったのか)に関係してくることがあるのを、
まったく無視するわけにはいかないことだけは、頭の片隅にとどめておきたい。

メリディアンのM20もQUADのESLも、そのまま置けば仰角がつく。
フロントバッフル(もしくはパネル面)がすこし後ろに傾斜した状態になる。
これは何を意味しているのか、と思うことがある。
そして、メリディアンのM20をつくった人たち、QUADのピーター・ウォーカーは、
どんな椅子にすわっていたのか、とも思う。
その椅子の高さはソファのように低いものなのか、それともある程度の高さがあるものなのか。

私の勝手な想像にすぎないが、椅子の高さはあったのではないか、と思っている。
このことはESL、M20がかなでる音量とも関係してのことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5845


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=5876

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5876


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=5880

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=5880


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=5892

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=5892


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=5899

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=5899


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=5908

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。
http://audiosharing.com/blog/?p=5908


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=5927

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。
http://audiosharing.com/blog/?p=5927


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=5937

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5937


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=5939

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。
http://audiosharing.com/blog/?p=5939


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=5941

瀬川先生の「ずいぶんきつくて耐えられなかった」ということを、
オーディオの一般的な「きつい音」ということで捉えていては、なかなか理解できないことだと思う。

ダブルスタックとはいえQUADのESLから、いわゆる「きつい音」が出るとは思えない。
そう考えられる方は多いと思う。

私も、「ステレオのすべて ’81」を読んだときには、
「ずいぶんきつくて耐えられなかった」の真の意味を理解できなかった。
これに関しては、オーディオのキャリアが長いだけでは理解しにくい面をもつ。
私がこれから書くことを理解できたのは、ステレオサウンドで働いてきたおかげである。

コンデンサー型、リボン型といった駆動方式には関係なく、
ある面積をもつ平面振動板のスピーカーシステムの音は、聴く人によっては「きつい音」である。
それは鳴らし方が悪くてそういう「きつい音」が出てしまう、ということではなく、
振動板が平面であること、そしてある一定の面積をもっていることによって生じる「きつい音」なのだが、
これがやっかいなことに同じ場所で同じ時に、同じ音を聴いても「きつい音」と感じる人もいれば、
まったく気にされない方もいるということだ。

そして、一定の面積と書いたが、これも絶対値があるわけではない。
部屋の容積との関係があって、
容積が小さければ振動板の面積はそれほど大きくなくても「きつい音」を感じさせてしまうし、
かなり振動板の面積が大きくとも、部屋の容積が、広さも天井高も十分確保されている環境であれば、
「きつい音」と感じさせないこともある。

瀬川先生に直接「ずいぶんきつくて耐えられなかった」音が
どういうものか訊ねたわけではないから断言こそできないが、
おそらくこの「きつい音」は鼓膜を圧迫するような音のことのはずである。

私がそのことに気づけたのは、井上先生の試聴のときだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5941


Date: 9月 23rd, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=6043

じつは井上先生も、振動板面積の大きい平面型スピーカーの音に対して、
瀬川先生と同じような反応をされていた。
「くわっと耳にくる音がきついんだよね、平面スピーカーは」といったことをいわれていた。

といってもスコーカーやトゥイーターに平面振動板のユニットが搭載されているスピーカーシステムに対しては、
そういったことをいわれたことはまず記憶にない。
もしかするとすこしは「きつい」と感じておられたのかもしれないが、
少なくとも口に出されることは、私がステレオサウンドにいたころはなかった。

けれどもコンデンサー型やアポジーのようなリボン型で、低域まで平面振動板で構成されていて、
しかも振動板の面積がかなり大きいものを聴かれているときは、
「きついんだよなぁ」とか「くわっとくるんだよね、平面型は」といわれていた。

でもアポジーのカリパーをステレオサウンドの試聴室で、マッキントッシュのMC275で鳴らしたときは、
そんな感想はもらされていなかった(これは記事にはなっていない)。
だから私の勝手な推測ではあるけれども、
ステレオサウンドの試聴室(いまの試聴室ではなく旧試聴室)の空間では、
アポジーのカリパーぐらいの振動板面積が井上先生にとっては、
きつさを感じさせない、意識させない上限だったのかもしれない。

それにMC275の出力は75Wだから、それほど大きな音量を得られるわけでもない。
これが低負荷につよい大出力のパワーアンプであったならば、
ピークの音の伸びで「きつい」といわれた可能性もあったのかもしれない。

井上先生が「きつい」と表現されているのも、音色的なきつさではない。
これも推測になってしまうのだが、瀬川先生と同じように鼓膜を圧迫するようなところを感じとって、
それを「きつい」と表現されていた、と私は解釈している。

ただ、この「きつさ」は、人によって感じ方が違う。
あまり感じられない方もおられる。
いっておくが、これは耳の良し悪しとはまだ別のことである。
そして、圧迫感を感じる人の中には、この圧迫感を「きつい」ではなく、好ましい、と感じる人もいる。
だから、瀬川先生、井上先生が「きつい」と感じられたことを、理解しにくい人もおられるだろうが、
これはひとりひとり耳の性質に違いによって生じるものなのだろうから。
http://audiosharing.com/blog/?p=6043


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=6047

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=6047


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=6070

誤解のないようにもう一度書いておくが、
瀬川先生はQUADのESLを購入されている。シングルで鳴らすときのESLの音の世界に惚れ込まれていたことは、
それまで書かれてきたことからも、はっきりとわかる。
ただそれがダブルスタックになると、「きつい」と感じられる、ということだ。

おそらくESLは、ごく小音量で鳴らされていたのだろう。
そういう鳴らし方をしたときに、真価を発揮するESLが、ダブルスタックにすると一変する、というのは、
ダブルスタックの音に対して肯定的に受けとめられる人たちだ。

山中先生もそのひとりで、長島先生もそうだ。
長島先生はスイングジャーナルで、ダブルスタックの上をいくトリプルスタックを実現されている。

ESLのダブルスタックは香港のマニアの間ではじまった、といわれている。
その香港のマニアの人たちも、トリプルスタックをやった人はいないかもしれない。

しかも長島先生のトリプルスタックは、ただ単に3段重ねにしたわけではなく、
もともとの発想は平面波のESLから疑似的であっても球面波をつくり出したい、ということ。
そのため真横からみると3枚のESLは凹レンズ上に配置されている。

下部のESLは、ESLの通常のセッティングよりもぐっと傾斜をつけて斜め上を向き、
中央のESLはやや前屈みになり、下側のESLとで「く」の字を形成していて、
上部のESLは下部のESLよりさらに倒しこんで斜め下を向くように特註のスタンドは工夫されている。

聴取位置に対して、それぞれのESLの中心が等距離になるように、という意図もそこにはあったと考えられるが、
長島先生の意図は、疑似的球面波をつくり出すことによって、
平面波特有の音に対する長島先生が不満を感じていたところをなんとかしたい、という考えからであって、
このESLのトリプルスタックを実際に試された長島先生だからこそ、ESL63への評価がある、といえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=6070


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=6072

長島先生の音楽の聴き方として、前のめりで聴かれる。
それに長島先生はオルトフォンのSPUをずっと愛用されてきた。
ただし晩年はリンのカートリッジをお使いだったが。

そのSPUのコンシューマー用のGタイプではなく、プロフェッショナル用のAタイプのSPU-A/Eだった。
これは、Aタイプのほうが、Gタイプよりも、音の形が鮮明だから、ということが大きな理由である。

ジェンセンのG610Bを、タンノイのあとにいれられたのも、
このことがやはり関係しているはずである。

ステレオサウンド 61号で、こんなふうに語られている。
     *
(G610Bの)怪鳥の叫びのような、耳から血がでるような、それだけのエネルギーがでる。そんなスピーカーって聴いたことがなかった。そのエネルギーがすばらしいなって、ぼくはひそかに思ったわけです。〈これはつかっていけばなんとかなる!〉と考えました。それまではタンノイでした。タンノイのやさしさもいいんですが、ぼくにはもの足りなかった。あれは演奏会のずうっと後の席で聴く音でしょう。ところが、ぼくは前のほうで聴きたかった。それはもうタンノイじゃない。そこへ、このものすごいラッパを聴いたってわけです。
     *
そんなG610Bにつないで鳴らされたパワーアンプは、マッキントッシュのMC2105だった。
このMC2105に対して、61号では、「やさしいアンプ」と語られている。
だから力量不足がはっきりしてきて、次に同じマッキントッシュの管球式のMC275にされている。
このMC275についても、G610Bのエージングがすすんでいくにつれて、
甘さが耳についてきて、「その甘さはぼくには必要じゃない」ということで、もっと辛口のアンプということで、
マランツModel 2を導入され、続いてコントロールアンプをマッキントッシュのC26からModel 7にされている。

これらのことからわかるように、長島先生は、そういう音楽の聴き方をされてきた。
だからESLを、
「ナチュラルな音場空間が得られる製品。使いこなしには工夫が必要」(ステレオサウンド 47号)と、
評価されながらも、ESLはスピーカーとして理想に近い動作が期待できる、とされながらも、
もうひとつもの足りなさを感じられたことは、容易に想像がつくことだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=6072


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=6083

ステレオサウンド 61号には、長島先生による登場したばかりのQUAD・ESL63の詳細な記事が載っている。
1機種のスピーカーシステムに、16ページを割いている。

当然、記事の中でESL63の、ディレイによる球面波の効果についてふれられている。
     *
中域以上で球面波を作りだし、音像定位を明確にする全く新しい独創的な手法がとられていることだ。
いままで一般的に、ESLがつくりだす音像定位とステレオ感には独特のものがあるといわれてきた。これのひとつの原因としては、結果的に広い面積の振動板が一様な動きをするため、つくりだされる音の波面が平面波に近くなることが考えられる。これに対して、ふつうに使われるコーン型のダイナミック・スピーカーでは、波面はあくまでも球面波なのである。
このふたつの波面の違いは、実際に音を聴いたとき、音源までの距離感の違いとなってあらわれる。
点音源を考えたとき、発生する音の波面は球面波になる。この音をリスニングポイントで聴いたとき、音源の位置をどこに感じるかというと、波面と直角に引いた線の交点に音源位置を感じるのである。したがってESLの場合、つくり出される波面の曲率が非常に大きく平面波に近いため、球面波を発生する一般的なスピーカーよりずっと遠くに音源位置を感じてしまうのである。これがESLと普通のスピーカーの大きな違いになっている。
     *
タンノイですら、長島先生は「ずうっと後の席で聴く音」と評され、
前の席で聴きたくてG610Bにされているのだから、ESLはタンノイよりも「後の席で聴く音」になる。

長島先生はスイングジャーナルの別冊の「モダン・ジャズ読本」でESLの組合せを、
’76年度版と’77年度版、2回つくられている。
スイングジャーナルだから、当然、この組合せで鳴らされるのはジャズのレコードだ。
何も奇を衒って、長島先生はESLを使われているわけではない。
ESLの良さを十分認めておられるのは記事を読めばわかる。
だからこそ、ESLで、前のほうで聴けるようになれば、
長島先生にとってESLは理想に近いスピーカーだったのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=6083


Date: 1月 8th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=12917

ステレオサウンドにいたころ、ESLを買ったことを長島先生に話した時、
スイングジャーナルでのトリプルスタックの音について話してくださった。
そして、こういわれた。

「スイングジャーナルに、まだあの時のフレームがあるはずだよ」

あの時のフレームとは、 QUAD・ESLのトリプルスタック用のフレーム(スタンド)のことを指している。
つまり、私にESLのトリプルスタックをやってみなよ、ということであった。

あのころであれば、まだESLの程度のいいモノをあと二組手に入れるのは、そう難しいことでもなかったし、
費用もそれほどかからなかった。
その面では特に障害はなかったけれど、
さすがにトリプルスタックをいれるだけの天井高のある部屋に住んでいたわけではなかったから、
住居探しをまずやらなければならなくなる。

音は、長島先生が熱く語られていたことからも、良かったことはわかる。
かなりいい結果が期待できる──、とはいうものの、
背の高いスピーカーに対する強い拒否反応はないというものの、
トリプルスタックのESLの高さとなると、話は違ってくる。

天井高が十分にあり、広さも十分にとれる部屋にいたとしても、
トリプルスタックに挑戦したか、というと、なんともいえない、というのが正直なところである。

それでもトリプルスタックの音だけは、一度聴いてみたかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=12917


Date: 1月 9th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

演奏会で前の方で聴きたいから、ということで、
タンノイからジェンセンのG610Bにスピーカーを替えられた長島先生にとって、
ESLのトリプルスタックもまた、演奏会での前の方で聴く音だった。

長島先生は前の方で、山中先生の聴き方もそうだと思っている。
だが、クラシックを聴く人のすべてが前の方で聴きたい、と想っているわけではなく、
中ほどの席で聴きたい人もいるし、天井桟敷と呼ばれるところで聴きたい、という人もいる。

いわば音源との距離をどうとるのか。
ここでの音源とは、スピーカーと聴き手の距離のことではないし、
スピーカーのどの位置に音像を結ぶのか、その音像と聴き手との距離のことでもなく、
そういった物理的な距離とは異る、
スピーカーそのものが本来的に持つ鳴り方に起因するところの、音源との距離感ということになる。

1980年ごろまでのイギリスのスピーカーは、概ね、やや距離を置いた鳴り方をする傾向が強かった。
BBCモニター系のスペンドール、ロジャース、KEFなど、
アメリカや日本のスピーカーほど音量を上げられないということも関係して、
ひっそりと鳴る感じを特徴としており、そのひっそりと鳴るということは、
眼前で楽器が鳴っているという感じとは結びつかない。

このことは録音の場における、楽器とマイクロフォンとの位置関係にも関係してくることであり、
ピアノの録音にしてもオンマイクで録るのかオフマイクで録るのか、で、
楽器との距離感には違いが出るのと同じである。
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

Date: 7月 29th, 2017
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=23235

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。
http://audiosharing.com/blog/?p=23235
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c119

[リバイバル3] QUAD ESL57 が似合う店 _ 喫茶店 荻窪邪宗門 中川隆
22. 中川隆[-5696] koaQ7Jey 2021年4月15日 11:35:41 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[12]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=5845

山中先生は、この点どうかというと、パトリシアン600を使われていることからもわかるように、
背の高いスピーカーシステムに対して、瀬川先生のように拒否されるところはないわけだが、
以前書いたように、QUADのESLを、ぐっと思いきって上にあげて前に傾けるようにして聴くといいよ、
と、ESLを使っているときにアドバイスしてくださったことから、
むしろ瀬川先生とは反対に背の高いスピーカーシステム、
もしくは目(耳)の高さよりも上から音が聴こえてくることを好まれていたのでないか、とも思う。

スピーカーシステムの背の高さ(音が出る位置の高さ)を強く意識される方もいれば、
ほとんど意識されない方もいる。
これはどうでもいいことのように思えても、スピーカーシステムの背の高さを強く意識されている方の評価と、
そうでない方の評価は、そこになにがしかの微妙な違いにつながっていっているはず。

だから、なぜその人が、
そのスピーカーシステムを選択されたのか(選択しなかったのか)に関係してくることがあるのを、
まったく無視するわけにはいかないことだけは、頭の片隅にとどめておきたい。

メリディアンのM20もQUADのESLも、そのまま置けば仰角がつく。
フロントバッフル(もしくはパネル面)がすこし後ろに傾斜した状態になる。
これは何を意味しているのか、と思うことがある。
そして、メリディアンのM20をつくった人たち、QUADのピーター・ウォーカーは、
どんな椅子にすわっていたのか、とも思う。
その椅子の高さはソファのように低いものなのか、それともある程度の高さがあるものなのか。

私の勝手な想像にすぎないが、椅子の高さはあったのではないか、と思っている。
このことはESL、M20がかなでる音量とも関係してのことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5845


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=5876

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5876


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=5880

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=5880


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=5892

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=5892


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=5899

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=5899


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=5908

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。
http://audiosharing.com/blog/?p=5908


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=5927

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。
http://audiosharing.com/blog/?p=5927


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=5937

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5937


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=5939

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。
http://audiosharing.com/blog/?p=5939


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=5941

瀬川先生の「ずいぶんきつくて耐えられなかった」ということを、
オーディオの一般的な「きつい音」ということで捉えていては、なかなか理解できないことだと思う。

ダブルスタックとはいえQUADのESLから、いわゆる「きつい音」が出るとは思えない。
そう考えられる方は多いと思う。

私も、「ステレオのすべて ’81」を読んだときには、
「ずいぶんきつくて耐えられなかった」の真の意味を理解できなかった。
これに関しては、オーディオのキャリアが長いだけでは理解しにくい面をもつ。
私がこれから書くことを理解できたのは、ステレオサウンドで働いてきたおかげである。

コンデンサー型、リボン型といった駆動方式には関係なく、
ある面積をもつ平面振動板のスピーカーシステムの音は、聴く人によっては「きつい音」である。
それは鳴らし方が悪くてそういう「きつい音」が出てしまう、ということではなく、
振動板が平面であること、そしてある一定の面積をもっていることによって生じる「きつい音」なのだが、
これがやっかいなことに同じ場所で同じ時に、同じ音を聴いても「きつい音」と感じる人もいれば、
まったく気にされない方もいるということだ。

そして、一定の面積と書いたが、これも絶対値があるわけではない。
部屋の容積との関係があって、
容積が小さければ振動板の面積はそれほど大きくなくても「きつい音」を感じさせてしまうし、
かなり振動板の面積が大きくとも、部屋の容積が、広さも天井高も十分確保されている環境であれば、
「きつい音」と感じさせないこともある。

瀬川先生に直接「ずいぶんきつくて耐えられなかった」音が
どういうものか訊ねたわけではないから断言こそできないが、
おそらくこの「きつい音」は鼓膜を圧迫するような音のことのはずである。

私がそのことに気づけたのは、井上先生の試聴のときだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5941


Date: 9月 23rd, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=6043

じつは井上先生も、振動板面積の大きい平面型スピーカーの音に対して、
瀬川先生と同じような反応をされていた。
「くわっと耳にくる音がきついんだよね、平面スピーカーは」といったことをいわれていた。

といってもスコーカーやトゥイーターに平面振動板のユニットが搭載されているスピーカーシステムに対しては、
そういったことをいわれたことはまず記憶にない。
もしかするとすこしは「きつい」と感じておられたのかもしれないが、
少なくとも口に出されることは、私がステレオサウンドにいたころはなかった。

けれどもコンデンサー型やアポジーのようなリボン型で、低域まで平面振動板で構成されていて、
しかも振動板の面積がかなり大きいものを聴かれているときは、
「きついんだよなぁ」とか「くわっとくるんだよね、平面型は」といわれていた。

でもアポジーのカリパーをステレオサウンドの試聴室で、マッキントッシュのMC275で鳴らしたときは、
そんな感想はもらされていなかった(これは記事にはなっていない)。
だから私の勝手な推測ではあるけれども、
ステレオサウンドの試聴室(いまの試聴室ではなく旧試聴室)の空間では、
アポジーのカリパーぐらいの振動板面積が井上先生にとっては、
きつさを感じさせない、意識させない上限だったのかもしれない。

それにMC275の出力は75Wだから、それほど大きな音量を得られるわけでもない。
これが低負荷につよい大出力のパワーアンプであったならば、
ピークの音の伸びで「きつい」といわれた可能性もあったのかもしれない。

井上先生が「きつい」と表現されているのも、音色的なきつさではない。
これも推測になってしまうのだが、瀬川先生と同じように鼓膜を圧迫するようなところを感じとって、
それを「きつい」と表現されていた、と私は解釈している。

ただ、この「きつさ」は、人によって感じ方が違う。
あまり感じられない方もおられる。
いっておくが、これは耳の良し悪しとはまだ別のことである。
そして、圧迫感を感じる人の中には、この圧迫感を「きつい」ではなく、好ましい、と感じる人もいる。
だから、瀬川先生、井上先生が「きつい」と感じられたことを、理解しにくい人もおられるだろうが、
これはひとりひとり耳の性質に違いによって生じるものなのだろうから。
http://audiosharing.com/blog/?p=6043


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=6047

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=6047


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=6070

誤解のないようにもう一度書いておくが、
瀬川先生はQUADのESLを購入されている。シングルで鳴らすときのESLの音の世界に惚れ込まれていたことは、
それまで書かれてきたことからも、はっきりとわかる。
ただそれがダブルスタックになると、「きつい」と感じられる、ということだ。

おそらくESLは、ごく小音量で鳴らされていたのだろう。
そういう鳴らし方をしたときに、真価を発揮するESLが、ダブルスタックにすると一変する、というのは、
ダブルスタックの音に対して肯定的に受けとめられる人たちだ。

山中先生もそのひとりで、長島先生もそうだ。
長島先生はスイングジャーナルで、ダブルスタックの上をいくトリプルスタックを実現されている。

ESLのダブルスタックは香港のマニアの間ではじまった、といわれている。
その香港のマニアの人たちも、トリプルスタックをやった人はいないかもしれない。

しかも長島先生のトリプルスタックは、ただ単に3段重ねにしたわけではなく、
もともとの発想は平面波のESLから疑似的であっても球面波をつくり出したい、ということ。
そのため真横からみると3枚のESLは凹レンズ上に配置されている。

下部のESLは、ESLの通常のセッティングよりもぐっと傾斜をつけて斜め上を向き、
中央のESLはやや前屈みになり、下側のESLとで「く」の字を形成していて、
上部のESLは下部のESLよりさらに倒しこんで斜め下を向くように特註のスタンドは工夫されている。

聴取位置に対して、それぞれのESLの中心が等距離になるように、という意図もそこにはあったと考えられるが、
長島先生の意図は、疑似的球面波をつくり出すことによって、
平面波特有の音に対する長島先生が不満を感じていたところをなんとかしたい、という考えからであって、
このESLのトリプルスタックを実際に試された長島先生だからこそ、ESL63への評価がある、といえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=6070


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=6072

長島先生の音楽の聴き方として、前のめりで聴かれる。
それに長島先生はオルトフォンのSPUをずっと愛用されてきた。
ただし晩年はリンのカートリッジをお使いだったが。

そのSPUのコンシューマー用のGタイプではなく、プロフェッショナル用のAタイプのSPU-A/Eだった。
これは、Aタイプのほうが、Gタイプよりも、音の形が鮮明だから、ということが大きな理由である。

ジェンセンのG610Bを、タンノイのあとにいれられたのも、
このことがやはり関係しているはずである。

ステレオサウンド 61号で、こんなふうに語られている。
     *
(G610Bの)怪鳥の叫びのような、耳から血がでるような、それだけのエネルギーがでる。そんなスピーカーって聴いたことがなかった。そのエネルギーがすばらしいなって、ぼくはひそかに思ったわけです。〈これはつかっていけばなんとかなる!〉と考えました。それまではタンノイでした。タンノイのやさしさもいいんですが、ぼくにはもの足りなかった。あれは演奏会のずうっと後の席で聴く音でしょう。ところが、ぼくは前のほうで聴きたかった。それはもうタンノイじゃない。そこへ、このものすごいラッパを聴いたってわけです。
     *
そんなG610Bにつないで鳴らされたパワーアンプは、マッキントッシュのMC2105だった。
このMC2105に対して、61号では、「やさしいアンプ」と語られている。
だから力量不足がはっきりしてきて、次に同じマッキントッシュの管球式のMC275にされている。
このMC275についても、G610Bのエージングがすすんでいくにつれて、
甘さが耳についてきて、「その甘さはぼくには必要じゃない」ということで、もっと辛口のアンプということで、
マランツModel 2を導入され、続いてコントロールアンプをマッキントッシュのC26からModel 7にされている。

これらのことからわかるように、長島先生は、そういう音楽の聴き方をされてきた。
だからESLを、
「ナチュラルな音場空間が得られる製品。使いこなしには工夫が必要」(ステレオサウンド 47号)と、
評価されながらも、ESLはスピーカーとして理想に近い動作が期待できる、とされながらも、
もうひとつもの足りなさを感じられたことは、容易に想像がつくことだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=6072


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=6083

ステレオサウンド 61号には、長島先生による登場したばかりのQUAD・ESL63の詳細な記事が載っている。
1機種のスピーカーシステムに、16ページを割いている。

当然、記事の中でESL63の、ディレイによる球面波の効果についてふれられている。
     *
中域以上で球面波を作りだし、音像定位を明確にする全く新しい独創的な手法がとられていることだ。
いままで一般的に、ESLがつくりだす音像定位とステレオ感には独特のものがあるといわれてきた。これのひとつの原因としては、結果的に広い面積の振動板が一様な動きをするため、つくりだされる音の波面が平面波に近くなることが考えられる。これに対して、ふつうに使われるコーン型のダイナミック・スピーカーでは、波面はあくまでも球面波なのである。
このふたつの波面の違いは、実際に音を聴いたとき、音源までの距離感の違いとなってあらわれる。
点音源を考えたとき、発生する音の波面は球面波になる。この音をリスニングポイントで聴いたとき、音源の位置をどこに感じるかというと、波面と直角に引いた線の交点に音源位置を感じるのである。したがってESLの場合、つくり出される波面の曲率が非常に大きく平面波に近いため、球面波を発生する一般的なスピーカーよりずっと遠くに音源位置を感じてしまうのである。これがESLと普通のスピーカーの大きな違いになっている。
     *
タンノイですら、長島先生は「ずうっと後の席で聴く音」と評され、
前の席で聴きたくてG610Bにされているのだから、ESLはタンノイよりも「後の席で聴く音」になる。

長島先生はスイングジャーナルの別冊の「モダン・ジャズ読本」でESLの組合せを、
’76年度版と’77年度版、2回つくられている。
スイングジャーナルだから、当然、この組合せで鳴らされるのはジャズのレコードだ。
何も奇を衒って、長島先生はESLを使われているわけではない。
ESLの良さを十分認めておられるのは記事を読めばわかる。
だからこそ、ESLで、前のほうで聴けるようになれば、
長島先生にとってESLは理想に近いスピーカーだったのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=6083


Date: 1月 8th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=12917

ステレオサウンドにいたころ、ESLを買ったことを長島先生に話した時、
スイングジャーナルでのトリプルスタックの音について話してくださった。
そして、こういわれた。

「スイングジャーナルに、まだあの時のフレームがあるはずだよ」

あの時のフレームとは、 QUAD・ESLのトリプルスタック用のフレーム(スタンド)のことを指している。
つまり、私にESLのトリプルスタックをやってみなよ、ということであった。

あのころであれば、まだESLの程度のいいモノをあと二組手に入れるのは、そう難しいことでもなかったし、
費用もそれほどかからなかった。
その面では特に障害はなかったけれど、
さすがにトリプルスタックをいれるだけの天井高のある部屋に住んでいたわけではなかったから、
住居探しをまずやらなければならなくなる。

音は、長島先生が熱く語られていたことからも、良かったことはわかる。
かなりいい結果が期待できる──、とはいうものの、
背の高いスピーカーに対する強い拒否反応はないというものの、
トリプルスタックのESLの高さとなると、話は違ってくる。

天井高が十分にあり、広さも十分にとれる部屋にいたとしても、
トリプルスタックに挑戦したか、というと、なんともいえない、というのが正直なところである。

それでもトリプルスタックの音だけは、一度聴いてみたかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=12917


Date: 1月 9th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

演奏会で前の方で聴きたいから、ということで、
タンノイからジェンセンのG610Bにスピーカーを替えられた長島先生にとって、
ESLのトリプルスタックもまた、演奏会での前の方で聴く音だった。

長島先生は前の方で、山中先生の聴き方もそうだと思っている。
だが、クラシックを聴く人のすべてが前の方で聴きたい、と想っているわけではなく、
中ほどの席で聴きたい人もいるし、天井桟敷と呼ばれるところで聴きたい、という人もいる。

いわば音源との距離をどうとるのか。
ここでの音源とは、スピーカーと聴き手の距離のことではないし、
スピーカーのどの位置に音像を結ぶのか、その音像と聴き手との距離のことでもなく、
そういった物理的な距離とは異る、
スピーカーそのものが本来的に持つ鳴り方に起因するところの、音源との距離感ということになる。

1980年ごろまでのイギリスのスピーカーは、概ね、やや距離を置いた鳴り方をする傾向が強かった。
BBCモニター系のスペンドール、ロジャース、KEFなど、
アメリカや日本のスピーカーほど音量を上げられないということも関係して、
ひっそりと鳴る感じを特徴としており、そのひっそりと鳴るということは、
眼前で楽器が鳴っているという感じとは結びつかない。

このことは録音の場における、楽器とマイクロフォンとの位置関係にも関係してくることであり、
ピアノの録音にしてもオンマイクで録るのかオフマイクで録るのか、で、
楽器との距離感には違いが出るのと同じである。
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

Date: 7月 29th, 2017
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=23235

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。
http://audiosharing.com/blog/?p=23235
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/214.html#c22

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
124. 中川隆[-5695] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:07:36 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[13]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)


Date: 6月 17th, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=4864

今年、ロジャースは創立65周年にあたり、記念モデルとしてLS3/5Aを復刻している。
ロジャースは2008年にもLS3/5Aを復刻している。

このふたつの復刻LS3/5Aは当然おなじものなはずはなく、細部の使用は異っている。
2008年版は、オリジナルのLS3/5Aを範として、現在入手できるスピーカーユニットで再現したもの。
今回の65周年LS3/5Aは、元のユニット、
つまりウーファーはKEFのB110、トゥイーターはKEFのT27そのものをできるかぎり再現したものが、
使われている、とのこと。

それ以上の情報をまだ得ることはできないが、少なくとも写真を見るかぎり、
B110、T27そっくりに仕上がっている、といえる。
B110の振動板のてかり具合も、(あくまでも写真の上ではあるが)見事に再現されている。

2008年版LS3/5Aには興味をもてなかったのに、これは気になっている。
できるだけ早く聴いてみたい、とさえ思っている。

ウェブサイトに公開されている写真を見て、私と同じように思う人もいる一方で、
どうせ中国製だから、と音も聴かずに、関心をもたない人もいるはずだ。

確かに中国製なのだろう。
でも写真のままのLS3/5Aが登場してきたら、そのことはさほど気にすることはないはずだ。
ここまでのものが作れる、という事実に、日本製だろうと、イギリス製だろうと、中国製だろうと、
それは本質的な違いとなって音に現れることなのだろうか。

もちろん中国で作られている製品のすべてが良質なものでないことはわかっている。
ひどいものがある。けれど、素晴らしいものも、やはりある。

たとえばTADのスピーカーシステムは、中国で生産されている。
このことはオーディオアクセサリー誌だったと思うが、記事になっているからご存じの方も多いだろう。

何も知らずにTADのスピーカーシステムを見て、聴いて、中国製だとわかる人がいるだろうか。

心情的にはイギリス製であってほしい、という気持は、これを書いている私にもある。
でも音を聴かずに、実物を見ずもせずに、ただ中国製だから、ということで、関心をなくしてしまうのは、
もったいないこと、というよりも愚かに近い行為だと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=4864


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=5161

BBCモニターの開発過程における試聴プログラムソースに、
音楽だけではなくアナウンサー(主に男性)の朗読も使われていたのはよく知られていることだ。

そのこととLS3/5Aのサイズのことを一緒くたにして、
LS3/5Aというスピーカーはアナウンサーの声のチェック用モニターであって、
音楽を聴くために開発されたスピーカーではない──、
こんなことを言う人が、残念ながらいる。

KEFの創立者であるレイモンド・クックも、音楽以外にアナウンサーの声でチェックしている、と、
音楽之友社から出ている「ステレオのすべて ’75」の中で語っている。
レイモンド・クックは、BBCモニターの開発にも携わっていた人だから、
その開発手法のよいところは、そのまま受け継いでいるからだろうと思われるが、
クックは、音楽を聴いているとマスクされてしまうピーク、あるいはディップといった欠点が、
アナウンサーのスピーチでは聴きとれるからだ、としている。

「ステレオのすべて ’75」の、クックの発言は日本語訳がわかりにくいところがあるうえに、
省略されていると思われるところもある。
だから読み手側でクックの発言を深読み、というか、補うような読み方をしなければならない。

私なりの読み方では、次のようなことだと思う。
音楽がプログラムソースでは、音の強弱がある。ピアニッシモもあればフォルティッシモもあって、
大編成のオーケストラで優秀録音であればダイナミックレンジは広い。
その反対にアナウンサーのスピーチに、音楽のような、広い音の強弱はない。
クックのいうアナウンサーのスピーチは、朗読家による小説の朗読の類いではなく、
おそらくニュース原稿を読むアナウンサーのそれであろう。

それに音楽とスピーチとでは、録音に使うマイクロフォンの数とその使い方が大きく違う。
モノーラルならばスピーチの録音に使われるマイクロフォンの数は1本、
そこに凝った録音手法は使われることはない。

こういう違いのある音楽の音源と、スピーチの音源の両方を使い、
スピーカーシステムの開発を行っている、ということであって、
スピーチ用のスピーカーシステムとして作っているわけではない、ということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5161

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=5803

LS3/5A──、私にとってのLS3/5Aは最初に聴いたものも、
そののち手に入れたものもロジャースの15Ωタイプだったので、
私にとってのLS3/5Aといえば、ロジャース製のモノということになる。

ロジャースのLS3/5Aが、
パワーに弱い(音量を上げられない)、低音は出ないなどのいくつかの欠点をもっていながらも
日本では高い評価と人気を獲得したこともあってなのかどうかははっきりとしないが、
イギリスの各スピーカーメーカーからも、LS3/5Aが登場した。
KEF、スペンドール、チャートウェル、オーディオマスターなどがある。
これらすべて同一条件では聴いたわけではないし、チャートウェルのLS3/5Aは聴いたこともない。

同じ規格でつくられてはいても、製造メーカーが異るとLS3/5Aの音も微妙に違ってくる。
LS3/5Aに高い関心をもつ者にとっては、
どのLS3/5Aが音がいいのか、もしくは自分の求める音に近いのかが気になるところだろうが、
私はといえば、それぞれのメーカーの音の差に関心はあるけれど、
それでも私にとってのLS3/5AはロジャースのLS3/5Aであり、
ロジャースのLS3/5Aは他社製のLS3/5Aよりも、多少劣る面を持っていたとしても、
それはそれでいいではないか、と思っているところがある。

私が気になるのは、LS3/5Aそれぞれの音の違いではなくて、
LS3/5Aの良さを受け継いで、あとほんのすこしスケール豊かに鳴ってくれるスピーカーシステムに関して、である。

LS3/5Aの欠点を解消するために、ロジャースからはサブウーファーが2度、登場している。
最初はL35Bと呼ばれるもので、33cm口径のウーファーをW46×H83×D42cmの密閉型エンクロージュアにおさめ、
このエンクロージュア上部の指定された位置にLS3/5Aを置くようになっている。
LS3/5Aとのクロスオーバ周波数は150Hzで、
専用のエレクトロニック・デヴァイディングネットワークXA75にはパワーアンプも搭載されており、
L35BとXA75、そしてLS3/5Aによるシステムを、ロジャースはReference Systemと名づけていた。
1978年の製品だ。

2度目は、1990年代なかばごろに登場したAB1がある。
このモデルはLS3/5AのウーファーB110を採用し、シンメトカリーロデット方式とよばれるエンクロージュアを採用、
このサブウーファーの出力は、B110から直接ではなく、
エンクロージュア上部サイドに設けられているポートから、となっている。
AB1にはLS3/5A用の出力端子が備えられていて、バイアンプ仕様のReference Systemとは異り、
それまでLS3/5Aを鳴らしてきたシステムにそのまま組み込める簡便さをもっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=5803


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=5805

Reference Systemは一度聴いてみたかった。
XA75に内蔵されているパワーアンプではなく別途、サブウーファー用にパワーアンプを用意すれば、
より高品質な音が得られる可能性は、Reference Systemにはあったことだろうが、
写真でみるかぎりでは、大型エンクロージュアの上に、ポツンとLS3/5Aが乗っかっている感じで、
システムとしてのまとめ方のよさ──
しかもそれがロジャース純正であるだけにそういったことをより強く求めたくなるものだが──、
残念ながら備えていなかったように思える。

LS3/5Aのよさをいささか損なうことなく、スケール感をもうすこし欲することは無理な要求なのだろうか……。
KEFの105(Uni-Qユニット採用の105ではない)は、
それに近い印象を受けていたけれど、LS3/5Aの底光りする品位の良さまでは、
KEFの音は磨きあげられていないようも感じた。
105も、もちろん高品位でこれ単体で聴いている分には、その点に関しては申し分なく感じけれども、
すこし厳格すぎる性格、というか真面目すぎる性格が禍しているのだろうか、
音楽をより魅力的に響かせる方向での音の磨き方ではないようなところがある。

LS3/5Aの音には、私は、磨かれることで底光りしている音は、黒光りしている、とも感じている。
この光りの感じに、私は惚れてきたところがある。

だから、この磨きあげられることで生れてくる光りが音の中にはあり、
あとすこしのスケール感を……、ということになると、
そう難しくはないようなことに思えがちだが、意外に、そういう要求を満たしてくれるスピーカーシステムは少ない。

私がステレオサウンドにいたころ、ひとつだけ出合えた。
メリディアンのM20である。
http://audiosharing.com/blog/?p=5805


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=5826

メリディアンのM20はパワーアンプ内蔵の、メリディアンがアクティヴラウドスピーカーシステムと呼ぶもので、
使用ユニットはウーファーが11cm口径のベクストレン・コーン型、トゥイーターは35mm口径のソフトドーム型で、
トゥイーターを2発のウーファーで挟み込むインライン配置、つまり仮想同軸配置を採用している。
内蔵パワーアンプはウーファー用が70W、トゥイーター用が35Wの出力によるバイアンプ仕様。

見た目はこれといった特徴的なところはない、地味な印象のほうが強いスピーカーシステムだから、
期待はほとんどしていなかった。
だから、音が鳴ってきた瞬間に、M20が醸し出す、いい雰囲気の音に、どきっとした。
LS3/5Aの音をスケールアップした音が、いまここで鳴っている──、
その事実に、とにかく嬉しくなった。

実は試聴の前に、サランネットを外してユニットを見たわけではなかった。
もともと期待していなかったスピーカーシステムだったから、
サランネットを外すことなく音を聴くことになったわけで、だからこそ驚きは大きかった。

試聴が終り、好奇心からネットを外すと、そこにはLS3/5Aで見慣れたウーファーがあった。

ウーファーのメーカーについては発表されていないが、あきらかにKEFのB110である。
LS3/5Aと同じウーファーを奥行きが38cmと、かなり深いバスレフ型エンクロージュアにおさめている。
内容積は、LS3/5Aにくらべかなり余裕をもったものとなっている。

トゥイーターはLS3/5Aに搭載されているKEFのT27ではないが、
これも見た目から判断するとKEFのユニットだと思われる。

KEFの105のような厳格さは、メリディアンのM20にはない。
もっと音楽を楽しんで聴く、という目的のためには、
結果として、わずかな音の演出を認めているようにも聴き手には感じられるM20の音は、
艶っぽく、底光りする音で、品位も高く、LS3/5Aには求められなかったスケール感がある。

そのスケール感は大型フロアー型のようなスケールの大きさではないけれど、
当時(1980年代まで)のイギリス的な家庭で楽しむ音量としては、充分なスケールがあった。

いま、この音を聴かせてくれたM20(現物)を、そのまま持ち帰りたくなるくらい、
私にとってはLS3/5Aの、正しく延長線上にあるスピーカーシステムだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5826


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=5828

CDが登場する以前、アナログディスクがメインのプログラムソースであったころには、
LS3/5Aを鳴らすコツのひとつとして低域の適切なコントロールがあげられていた。
サブソニックによってLS3/5Aの小口径のウーファーがフラフラしていたら、
ただでさえ耐入力不足のところに、さらに不利な再生条件になってしまう。

ステレオサウンドでの組合せでQUADの405がよくとりあげられていたのも、このことが関係している。
405は大出力になると低域をカットするような設計になっている。
同じことは管球式パワーアンプについても、いえる。
アウトプットトランスを背負っていないOTLアンプは関係ないが、
アウトプットトランスの性格上、管球式パワーアンプの周波数特性をみると、
1W出力時と定格出力時とでは、低域のカットオフ周波数が、定格出力時ではどうしても高くなってしまう。
これはアウトプットトランスの性格上避けられないことでもある。

1982年にラジオ技術別冊として出た「集大成 真空管パワー・アンプ」の巻頭に、
管球式パワーアンプ15機種の回路図と実測データが載っている。
QUAD II、サンスイ AU111、ダイナコ MKIII、ダイナベクター DV8250、テクニクス 20A、40A、
デンオン POA1000B、フッターマン H3、マイケルソン&オースチン TVA1、マッキントッシュ MC275、MC3500、
マランツ Model 98、ラックス MQ36、MQ68C、SQ38FD。
測定を担当されたのは、オーディオノートの創設者、近藤公康氏。

これら15機種のなかでOTL方式なのは、テクニクスの20A、ラックスのMQ36、フッターマンのH3だけで、
残り12機種はすべてアウトプットトランスをもつ。

周波数特性は1W出力時、10W出力時、定格出力時の3つのデータが載っている。
出力に余裕があるアンプ、もしくは設計の新しいアンプでは、
!W出力時と10W出力時の周波数特性はほぼ同じか、すこしだけ低域のカットオフ周波数が上昇する傾向があるが、
小出力のものでは1Wと10W出力時でもずいぶんカットオフ周波数が違うものがあり、
定格出力時では200Hzあたりから低域のレスポンスが下降していくアンプもある。

ソリッドステートの優秀なパワーアンプの周波数特性と比較すると、
なんというひどい周波数特性なんだ、ということになりそうだが、
LS3/5Aのようなスピーカーシステムにとっては、これはむしろいい方向に働くこともある。
http://audiosharing.com/blog/?p=5828


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=5833

CDの登場は、アナログディスクにはつきものであったサブソニックから解放されたことであり、
LS3/5Aにかぎらず、1970年代に開発されたBBCモニタースピーカーに共通してあった耐入力のなさは、
ある程度解消されていった。
あきからにLS3/5Aから得られる音量は、CDによって増していた。
もっとも、増した、といっても、あくまでもLS3/5Aでの話ではある。

CDの普及とともに、LS3/5Aサイズの小型スピーカーシステム用のスタンドがいくつか出はじめたことも関係してか、
LS3/5Aは、CD登場以前とは異る聴き方がされるようになってきた。

それまでは(アナログディスク時代)は、スタンドは使わず、
しっかりした造りの机の上に、手の届く距離に置いて聴く、というスタイルが多かったのではないだろうか。
すくなくとも私は、瀬川先生や井上先生がLS3/5Aについて書かれたものを読んで、
そういう使い方をイメージしていた。

こういう置き方を含め、低域の適切なコントロールなど、
制限された使いこなしの中でうまく鳴らしたとき、LS3/5Aの魅力は最大に発揮される──、
こんなふうにも思っていた。

実際にそうやって聴くLS3/5Aのひっそりとした親密な空気をかもしだす雰囲気は、
聴く音楽も音量も聴取位置も限定されるけれど、そんなことを厭わず鳴らしたときの魅力は、
何度でも書きたくなるほどのものを、私は感じている。

でも、いい変えれば、やや面倒なスピーカーシステムといえなくもなかったのが、
CDの安定した低域によって、すこしばかり気軽に鳴らせるようになった。

いまLS3/5Aをお使いの方は、スタンドに乗せて、という方が多いのかもしれない。
けれども、私にとっては、机の上に置くスピーカーシステムであり、
つまりこのことはスピーカーを上から眺めるようなかたちで聴く、ということでもある。
http://audiosharing.com/blog/?p=5833


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=5843

井上先生は「見えるような臨場感」、「音を聴くというよりは音像が見えるようにクッキリとしている」と、
瀬川先生は「精巧な縮尺模型を眺める驚きに緻密な音場再現」、
「眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する」、
こんなふうに表現されている。

どちらも視覚的イメージにつながる書き方をされている。
それこそガリバーが小人の国のオーケストラや歌手の歌を聴くのと同じような感覚が、そこにはある。
いうまでもなく、これは正しくLS3/5Aを設置して、正しい位置で聴いてこそ得られるものであって、
いいかげんな設置、いいかげんな位置で聴いていては、このような音場感は得られないし、
そうなるとLS3/5Aはパワーも入らないし、低域もそれほど低いところまでカヴァーできないし……など、
いいところなどないスピーカーシステムのように思われるだろうが、
それは鳴らし方・聴き方に問題がある、といえる。

とにかく、そういうLS3/5Aが小音量時に聴かせてくれる、
「見えるような臨場感」を、私は、LS3/5Aをすこしばかり上から眺めるような位置で聴きたい、と思う。

スピーカーシステムの位置と耳の位置の、それぞれの高さの関係については、
使っているスピーカーシステムによっても、その人の聴き方にも関係してくることであって、
ここには正解は存在しない、といえる。

たとえば瀬川先生は、背の高いスピーカーシステムを好まれない。
というよりも、音楽之友社から出ていた「ステレオのすべて」の1976年版のなかで、
菅野先生、山中先生との鼎談「オーディオの中の新しい音、古い音」でこう語られている。
     *
たとえば見た目から言ったってね、ぼくはご在じの通りね、昔から背の高いスピーカー嫌いなんです。どうしても目の高さよりね、音の出て来る位置が高くなっちゃうとね、なんだか全然落ち着かないわけね。これは本当に、この部屋に入って来て座った時から、見れば見るほど、ますます大きくなっていく感じがするわけね。すごい背が高い。
 ちっとも小さくならない、慣れても。たとえばこういう大きいスピーカーだったらぽくはどうしたって横倒しにしちゃいたいぐらいの感じです。これは横倒しにできないスピーカーだけれども。
     *
ここで語られている「この部屋」とは山中先生のリスニングルームであり、
「横倒しにしちゃいたい」スピーカーシステムは、エレクトロボイスのパトリシアン600のことである。
http://audiosharing.com/blog/?p=5843

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=5845

山中先生は、この点どうかというと、パトリシアン600を使われていることからもわかるように、
背の高いスピーカーシステムに対して、瀬川先生のように拒否されるところはないわけだが、
以前書いたように、QUADのESLを、ぐっと思いきって上にあげて前に傾けるようにして聴くといいよ、
と、ESLを使っているときにアドバイスしてくださったことから、
むしろ瀬川先生とは反対に背の高いスピーカーシステム、
もしくは目(耳)の高さよりも上から音が聴こえてくることを好まれていたのでないか、とも思う。

スピーカーシステムの背の高さ(音が出る位置の高さ)を強く意識される方もいれば、
ほとんど意識されない方もいる。
これはどうでもいいことのように思えても、スピーカーシステムの背の高さを強く意識されている方の評価と、
そうでない方の評価は、そこになにがしかの微妙な違いにつながっていっているはず。

だから、なぜその人が、
そのスピーカーシステムを選択されたのか(選択しなかったのか)に関係してくることがあるのを、
まったく無視するわけにはいかないことだけは、頭の片隅にとどめておきたい。

メリディアンのM20もQUADのESLも、そのまま置けば仰角がつく。
フロントバッフル(もしくはパネル面)がすこし後ろに傾斜した状態になる。
これは何を意味しているのか、と思うことがある。
そして、メリディアンのM20をつくった人たち、QUADのピーター・ウォーカーは、
どんな椅子にすわっていたのか、とも思う。
その椅子の高さはソファのように低いものなのか、それともある程度の高さがあるものなのか。

私の勝手な想像にすぎないが、椅子の高さはあったのではないか、と思っている。
このことはESL、M20がかなでる音量とも関係してのことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5845


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=5876

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5876


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=5880

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=5880


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=5892

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=5892


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=5899

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=5899


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=5908

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。
http://audiosharing.com/blog/?p=5908


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=5927

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。
http://audiosharing.com/blog/?p=5927


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=5937

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5937


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=5939

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。
http://audiosharing.com/blog/?p=5939


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=5941

瀬川先生の「ずいぶんきつくて耐えられなかった」ということを、
オーディオの一般的な「きつい音」ということで捉えていては、なかなか理解できないことだと思う。

ダブルスタックとはいえQUADのESLから、いわゆる「きつい音」が出るとは思えない。
そう考えられる方は多いと思う。

私も、「ステレオのすべて ’81」を読んだときには、
「ずいぶんきつくて耐えられなかった」の真の意味を理解できなかった。
これに関しては、オーディオのキャリアが長いだけでは理解しにくい面をもつ。
私がこれから書くことを理解できたのは、ステレオサウンドで働いてきたおかげである。

コンデンサー型、リボン型といった駆動方式には関係なく、
ある面積をもつ平面振動板のスピーカーシステムの音は、聴く人によっては「きつい音」である。
それは鳴らし方が悪くてそういう「きつい音」が出てしまう、ということではなく、
振動板が平面であること、そしてある一定の面積をもっていることによって生じる「きつい音」なのだが、
これがやっかいなことに同じ場所で同じ時に、同じ音を聴いても「きつい音」と感じる人もいれば、
まったく気にされない方もいるということだ。

そして、一定の面積と書いたが、これも絶対値があるわけではない。
部屋の容積との関係があって、
容積が小さければ振動板の面積はそれほど大きくなくても「きつい音」を感じさせてしまうし、
かなり振動板の面積が大きくとも、部屋の容積が、広さも天井高も十分確保されている環境であれば、
「きつい音」と感じさせないこともある。

瀬川先生に直接「ずいぶんきつくて耐えられなかった」音が
どういうものか訊ねたわけではないから断言こそできないが、
おそらくこの「きつい音」は鼓膜を圧迫するような音のことのはずである。

私がそのことに気づけたのは、井上先生の試聴のときだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5941


Date: 9月 23rd, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=6043

じつは井上先生も、振動板面積の大きい平面型スピーカーの音に対して、
瀬川先生と同じような反応をされていた。
「くわっと耳にくる音がきついんだよね、平面スピーカーは」といったことをいわれていた。

といってもスコーカーやトゥイーターに平面振動板のユニットが搭載されているスピーカーシステムに対しては、
そういったことをいわれたことはまず記憶にない。
もしかするとすこしは「きつい」と感じておられたのかもしれないが、
少なくとも口に出されることは、私がステレオサウンドにいたころはなかった。

けれどもコンデンサー型やアポジーのようなリボン型で、低域まで平面振動板で構成されていて、
しかも振動板の面積がかなり大きいものを聴かれているときは、
「きついんだよなぁ」とか「くわっとくるんだよね、平面型は」といわれていた。

でもアポジーのカリパーをステレオサウンドの試聴室で、マッキントッシュのMC275で鳴らしたときは、
そんな感想はもらされていなかった(これは記事にはなっていない)。
だから私の勝手な推測ではあるけれども、
ステレオサウンドの試聴室(いまの試聴室ではなく旧試聴室)の空間では、
アポジーのカリパーぐらいの振動板面積が井上先生にとっては、
きつさを感じさせない、意識させない上限だったのかもしれない。

それにMC275の出力は75Wだから、それほど大きな音量を得られるわけでもない。
これが低負荷につよい大出力のパワーアンプであったならば、
ピークの音の伸びで「きつい」といわれた可能性もあったのかもしれない。

井上先生が「きつい」と表現されているのも、音色的なきつさではない。
これも推測になってしまうのだが、瀬川先生と同じように鼓膜を圧迫するようなところを感じとって、
それを「きつい」と表現されていた、と私は解釈している。

ただ、この「きつさ」は、人によって感じ方が違う。
あまり感じられない方もおられる。
いっておくが、これは耳の良し悪しとはまだ別のことである。
そして、圧迫感を感じる人の中には、この圧迫感を「きつい」ではなく、好ましい、と感じる人もいる。
だから、瀬川先生、井上先生が「きつい」と感じられたことを、理解しにくい人もおられるだろうが、
これはひとりひとり耳の性質に違いによって生じるものなのだろうから。
http://audiosharing.com/blog/?p=6043


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=6047

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=6047


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=6070

誤解のないようにもう一度書いておくが、
瀬川先生はQUADのESLを購入されている。シングルで鳴らすときのESLの音の世界に惚れ込まれていたことは、
それまで書かれてきたことからも、はっきりとわかる。
ただそれがダブルスタックになると、「きつい」と感じられる、ということだ。

おそらくESLは、ごく小音量で鳴らされていたのだろう。
そういう鳴らし方をしたときに、真価を発揮するESLが、ダブルスタックにすると一変する、というのは、
ダブルスタックの音に対して肯定的に受けとめられる人たちだ。

山中先生もそのひとりで、長島先生もそうだ。
長島先生はスイングジャーナルで、ダブルスタックの上をいくトリプルスタックを実現されている。

ESLのダブルスタックは香港のマニアの間ではじまった、といわれている。
その香港のマニアの人たちも、トリプルスタックをやった人はいないかもしれない。

しかも長島先生のトリプルスタックは、ただ単に3段重ねにしたわけではなく、
もともとの発想は平面波のESLから疑似的であっても球面波をつくり出したい、ということ。
そのため真横からみると3枚のESLは凹レンズ上に配置されている。

下部のESLは、ESLの通常のセッティングよりもぐっと傾斜をつけて斜め上を向き、
中央のESLはやや前屈みになり、下側のESLとで「く」の字を形成していて、
上部のESLは下部のESLよりさらに倒しこんで斜め下を向くように特註のスタンドは工夫されている。

聴取位置に対して、それぞれのESLの中心が等距離になるように、という意図もそこにはあったと考えられるが、
長島先生の意図は、疑似的球面波をつくり出すことによって、
平面波特有の音に対する長島先生が不満を感じていたところをなんとかしたい、という考えからであって、
このESLのトリプルスタックを実際に試された長島先生だからこそ、ESL63への評価がある、といえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=6070


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=6072

長島先生の音楽の聴き方として、前のめりで聴かれる。
それに長島先生はオルトフォンのSPUをずっと愛用されてきた。
ただし晩年はリンのカートリッジをお使いだったが。

そのSPUのコンシューマー用のGタイプではなく、プロフェッショナル用のAタイプのSPU-A/Eだった。
これは、Aタイプのほうが、Gタイプよりも、音の形が鮮明だから、ということが大きな理由である。

ジェンセンのG610Bを、タンノイのあとにいれられたのも、
このことがやはり関係しているはずである。

ステレオサウンド 61号で、こんなふうに語られている。
     *
(G610Bの)怪鳥の叫びのような、耳から血がでるような、それだけのエネルギーがでる。そんなスピーカーって聴いたことがなかった。そのエネルギーがすばらしいなって、ぼくはひそかに思ったわけです。〈これはつかっていけばなんとかなる!〉と考えました。それまではタンノイでした。タンノイのやさしさもいいんですが、ぼくにはもの足りなかった。あれは演奏会のずうっと後の席で聴く音でしょう。ところが、ぼくは前のほうで聴きたかった。それはもうタンノイじゃない。そこへ、このものすごいラッパを聴いたってわけです。
     *
そんなG610Bにつないで鳴らされたパワーアンプは、マッキントッシュのMC2105だった。
このMC2105に対して、61号では、「やさしいアンプ」と語られている。
だから力量不足がはっきりしてきて、次に同じマッキントッシュの管球式のMC275にされている。
このMC275についても、G610Bのエージングがすすんでいくにつれて、
甘さが耳についてきて、「その甘さはぼくには必要じゃない」ということで、もっと辛口のアンプということで、
マランツModel 2を導入され、続いてコントロールアンプをマッキントッシュのC26からModel 7にされている。

これらのことからわかるように、長島先生は、そういう音楽の聴き方をされてきた。
だからESLを、
「ナチュラルな音場空間が得られる製品。使いこなしには工夫が必要」(ステレオサウンド 47号)と、
評価されながらも、ESLはスピーカーとして理想に近い動作が期待できる、とされながらも、
もうひとつもの足りなさを感じられたことは、容易に想像がつくことだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=6072


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=6083

ステレオサウンド 61号には、長島先生による登場したばかりのQUAD・ESL63の詳細な記事が載っている。
1機種のスピーカーシステムに、16ページを割いている。

当然、記事の中でESL63の、ディレイによる球面波の効果についてふれられている。
     *
中域以上で球面波を作りだし、音像定位を明確にする全く新しい独創的な手法がとられていることだ。
いままで一般的に、ESLがつくりだす音像定位とステレオ感には独特のものがあるといわれてきた。これのひとつの原因としては、結果的に広い面積の振動板が一様な動きをするため、つくりだされる音の波面が平面波に近くなることが考えられる。これに対して、ふつうに使われるコーン型のダイナミック・スピーカーでは、波面はあくまでも球面波なのである。
このふたつの波面の違いは、実際に音を聴いたとき、音源までの距離感の違いとなってあらわれる。
点音源を考えたとき、発生する音の波面は球面波になる。この音をリスニングポイントで聴いたとき、音源の位置をどこに感じるかというと、波面と直角に引いた線の交点に音源位置を感じるのである。したがってESLの場合、つくり出される波面の曲率が非常に大きく平面波に近いため、球面波を発生する一般的なスピーカーよりずっと遠くに音源位置を感じてしまうのである。これがESLと普通のスピーカーの大きな違いになっている。
     *
タンノイですら、長島先生は「ずうっと後の席で聴く音」と評され、
前の席で聴きたくてG610Bにされているのだから、ESLはタンノイよりも「後の席で聴く音」になる。

長島先生はスイングジャーナルの別冊の「モダン・ジャズ読本」でESLの組合せを、
’76年度版と’77年度版、2回つくられている。
スイングジャーナルだから、当然、この組合せで鳴らされるのはジャズのレコードだ。
何も奇を衒って、長島先生はESLを使われているわけではない。
ESLの良さを十分認めておられるのは記事を読めばわかる。
だからこそ、ESLで、前のほうで聴けるようになれば、
長島先生にとってESLは理想に近いスピーカーだったのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=6083


Date: 1月 8th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=12917

ステレオサウンドにいたころ、ESLを買ったことを長島先生に話した時、
スイングジャーナルでのトリプルスタックの音について話してくださった。
そして、こういわれた。

「スイングジャーナルに、まだあの時のフレームがあるはずだよ」

あの時のフレームとは、 QUAD・ESLのトリプルスタック用のフレーム(スタンド)のことを指している。
つまり、私にESLのトリプルスタックをやってみなよ、ということであった。

あのころであれば、まだESLの程度のいいモノをあと二組手に入れるのは、そう難しいことでもなかったし、
費用もそれほどかからなかった。
その面では特に障害はなかったけれど、
さすがにトリプルスタックをいれるだけの天井高のある部屋に住んでいたわけではなかったから、
住居探しをまずやらなければならなくなる。

音は、長島先生が熱く語られていたことからも、良かったことはわかる。
かなりいい結果が期待できる──、とはいうものの、
背の高いスピーカーに対する強い拒否反応はないというものの、
トリプルスタックのESLの高さとなると、話は違ってくる。

天井高が十分にあり、広さも十分にとれる部屋にいたとしても、
トリプルスタックに挑戦したか、というと、なんともいえない、というのが正直なところである。

それでもトリプルスタックの音だけは、一度聴いてみたかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=12917


Date: 1月 9th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

演奏会で前の方で聴きたいから、ということで、
タンノイからジェンセンのG610Bにスピーカーを替えられた長島先生にとって、
ESLのトリプルスタックもまた、演奏会での前の方で聴く音だった。

長島先生は前の方で、山中先生の聴き方もそうだと思っている。
だが、クラシックを聴く人のすべてが前の方で聴きたい、と想っているわけではなく、
中ほどの席で聴きたい人もいるし、天井桟敷と呼ばれるところで聴きたい、という人もいる。

いわば音源との距離をどうとるのか。
ここでの音源とは、スピーカーと聴き手の距離のことではないし、
スピーカーのどの位置に音像を結ぶのか、その音像と聴き手との距離のことでもなく、
そういった物理的な距離とは異る、
スピーカーそのものが本来的に持つ鳴り方に起因するところの、音源との距離感ということになる。

1980年ごろまでのイギリスのスピーカーは、概ね、やや距離を置いた鳴り方をする傾向が強かった。
BBCモニター系のスペンドール、ロジャース、KEFなど、
アメリカや日本のスピーカーほど音量を上げられないということも関係して、
ひっそりと鳴る感じを特徴としており、そのひっそりと鳴るということは、
眼前で楽器が鳴っているという感じとは結びつかない。

このことは録音の場における、楽器とマイクロフォンとの位置関係にも関係してくることであり、
ピアノの録音にしてもオンマイクで録るのかオフマイクで録るのか、で、
楽器との距離感には違いが出るのと同じである。
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

Date: 7月 29th, 2017
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=23235

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。
http://audiosharing.com/blog/?p=23235
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c124

[番外地9] ネトウヨの話は嘘ばかりだから、真実を伝えているだけです 中川隆
1. 2021年4月15日 12:19:23 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[14]
WiLL、正論、チャンネル桜、未来ネットや高橋洋一・三橋貴明 等のネトウヨの話は悪質な嘘とデマばかりなので、騙されない様に真実を伝えているだけです
僕が自分独自の勝手な意見を書いても仕方ないので、学問的に既にほぼ定説になっている事だけを紹介しています
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/307.html#c1
[近代史5] 日本人による極悪非道の世界侵略の歴史 中川隆
10. 中川隆[-5694] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:52:08 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[15]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/537.html#c10

[近代史5] 明治維新と太平洋戦争の真相 中川隆
15. 中川隆[-5693] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:52:57 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[16]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c15

[近代史5] 関東大震災とJPモルガン 中川隆
7. 中川隆[-5692] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:54:27 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[17]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/278.html#c7

[近代史4] 独裁者列伝 _ 昭和天皇 中川隆
19. 中川隆[-5691] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:55:02 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[18]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/799.html#c19

[近代史4] ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト 中川隆
12. 中川隆[-5690] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:56:10 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[19]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html#c12

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か 中川隆
1. 中川隆[-5689] koaQ7Jey 2021年4月15日 13:46:16 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[20]
Date: 5月 30th, 2015
BBCモニター、復権か(胴間声)
http://audiosharing.com/blog/?p=17238

BBCモニターの開発において、
指向特性、周波数特性、位相特性、リニアリティ、高調波歪率、混変調歪率、
インパルスレスポンスなどの諸特性が測定されるともに、
耳による試聴も重要となる。

BBCモニターが開発時の試聴には、
ノイズ(ランダムノイズ)、スピーチ、音楽ソースを使い、
多角的に行っている、とされている。

ノイズテストは、二種類のスピーカーをきりかえながら、ノイズのスペクトラムを判断するのが有効であり、
スピーチは男性アナウンサーが使われることは、
ショーターの論文にある、と岡先生が以前書かれていた。

男性アナウンサーのスピーチが使われていることは、
BBCモニターに関心をもつ人ならば当然知っていることであった。

男性アナウンサーのスピーチは、スピーカーに強い共振があれば胴間声になりやすい。
BBCモニターで男性アナウンサーの声を聴いてみると、
決して胴間声になることはない。とにかく明瞭にスピーチが聞き取れることに気づく。

以前ならば、BBCモニターでは胴間声にならないんだよ、といえば通じた。
けれど、いまは「胴間声?」と聞き返されることもある。

胴間声とは……、という説明をしなくてはならないこともある。
胴間声は死語とまではいかなくとも、それに近くなりつつあるのか。

BBCモニターがさっぱり話題にならなくなった時期がある。
胴間声が通じなくなったことと無関係ではないと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17238
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html#c1

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か 中川隆
2. 中川隆[-5688] koaQ7Jey 2021年4月15日 13:52:53 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[21]
Date: 6月 9th, 2015
BBCモニター、復権か(音の品位・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17343

「コンポーネントステレオの世界 ’82」をひっぱり出してきて、
巻頭鼎談「あなただけの音楽を、音を探す旅にでよう コンポーネントはそのための興味ぶかい乗物だ」を
読みなおしていた。
この鼎談は岡先生、菅野先生、黒田先生によるものだ。

この鼎談、いま読み返してみると、やっぱりあれこれ思ってしまう。
この鼎談が行われたのは1981年の秋ごろだろう。
もう30年以上が経過している。

ここで語られていたことは、その後、どうなっていったのか。
そのことを考えながら読み返すことの興味深さは、
当時読んだときには味わえなかったものが、とうぜんのことながらある。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」をお持ちの方は、ぜひ読み返してほしい。

この鼎談の中に、音の品位について語られているところがある。
ここには瀬川先生の名前も出てくる。
     *
菅野 これは先日亡くなられた瀬川冬樹さんからきいた話ですが、あるとき、若いファンが瀬川さんに、よく先生方は、この音は品位があるからいいとか、品位が高いとかいわれるけど、その品位という意味がよくわかりません、という質問をされたそうです。ぼくもこれはいろんな意味で、たいへんおもしろい問題提起だと思う。たしかに説明しろといわれてもたいへんこまるし、ひとことで理解させるということは至難の技だと思ったけれど、強いていうとクォリティというのは、そういった意味に近いわけですね。
黒田 ぼくもそうなんです。
菅野 そうですよね。だから、決して物理特性のいいものを品位が高いとはいわない。クォリティを日本語に訳すと、品質ということになるから、これまたこまってしまう(笑い)。それで品位という言葉を使う。だから品位という言葉は、ある意味ではずるくてあいまいで、あやふやなところがある言葉だから、わからないというのはたいへん率直な質問だと思うんです。ただ、そういうものが音楽を聴く場合には大切な要素として存在しますから、あいまいであるけれども、品位という言葉を使わざるをえないわけです。
     *
音の品位。
品位は英語ではdignity、graceとなる。
この鼎談のころは、グレースというカートリッジの老舗ブランドがあった。
そんなことも思い出しながら、dignityとgraceとでは、ここでの音の品位は後者だろうな、と思いつつも、
人によっては前者のほうを思い浮べることはあろう。

音の品位といっても、人によって同じ場合もあれば違う場合もある。
これも「コンポーネントステレオの世界 ’82」で語られている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17343


BBCモニター、復権か(音の品位・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17377

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の鼎談では、音の品位に関して、
岡先生が《菅野さんのいっている品位という意味と、瀬川さんのいっている品位というのは、また違うんでしょう》
と発言されている。

菅野先生もそのことは認められていていて、
《違う場合もありますし、同じ場合もあります》と答えられ、続けてこう語られている。
     *
だから品位ということがもし普遍的に理解される概念をもつとすれば、コンポーネントには品位があってしほいわけです。しかしこの言葉は普遍的な概念としてとらえるのはむつかしいですから、何となくクォリティというほうが多少はとらえやすいような気がするんで、クォリティというふうにいっているわけです。
     *
(その1)で引用した菅野先生の発言からわかるように、
この鼎談が行われたのは瀬川先生が亡くなられた直後である。

ここに瀬川先生がおられたら、音の品位についてどう語られたであろうか。

音の品位。
最近のステレオサウンドにはどのくらい登場するであろうか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」のころ、音の品位がわからないと瀬川先生にたずねた若いファンは、
50をこえているであろう。
まだオーディオを趣味としている人なのか。
だとしたら、この若いファンは、音の品位を、その後どう捉え理解していったのだろうか。

たしかに音の品位について明快に語るのは非常に難しい。
もし私が若いオーディオマニアに、音の品位についてたずねられたらどうするか。
音を出して語れるのであれば、
音の品位を感じさせてくれるオーディオ機器(特にスピーカーシステム)を選んで聴いてもらう。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の当時であれば、私ならばBBCモニターを選んで鳴らす。
瀬川先生もそうされたのではないだろうか。
他のスピーカーも選ばれたであろうが、BBCモニターは間違いなく鳴らされたであろう。

だがいまは2015年。
どのスピーカーシステムを選んで鳴らすだろうか。
クォリティの高いスピーカーシステムはいくつも頭に浮ぶ。

でも、ここでは音の品位であって、
クォリティ(品質)とは微妙に、でもはっきりと違う音の性質についてである。

いったい何があるのかと考えると、音の品位については、
昔と今とでは、どちらが理解されていたであろうか、ということについて考えざるをえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17377

BBCモニター、復権か(音の品位・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17380

音の品位に関して、菅野先生と瀬川先生で違っているところは、どういうところで、どういうことなのか。
このことについての大きなヒントは、ステレオサウンド 60号の特集にある。

60号の特集は「サウンド・オブ・アメリカ」。
1920年代に建てられたという、90uの広さの旧宮邸を試聴室として、
当時のステレオサウンドの試聴室にはおさまっても、
サイズ的に大きすぎるスピーカーシステムを集めての試聴となっている。

この特集にはアルテックのA5、MANTARAY HORN SYSTEMのほかに、A4も含まれている。
他にはJBLのパラゴン、4345、4676-1、インフィニティのIRS、クリプシュのKLIPSCHHORN II K-B-WO、
ウェストレイクのTM3、ESSのTRANSAR III、エレクトロボイスのパトリシアン800などがあり、
マッキントッシュのXRT20もそうである。

このXRT20のページにおける菅野先生と瀬川先生のやりとりこそ、
ふたりの音の品位についての違っているところが、はっきりとあらわれている。

瀬川先生はXRT20の音について、こう語られている。
     *
 ただ、ぼくは今聴いているとちょっと不思議な感じを抱いたのだけれど、鳴っている音のディテールを論じたら違うんですが、全体的なエネルギーバランスでいうと、いまぼくがうちで鳴らしているJBL4345のバランスに近いんです。非常におもしろいことだと思う。もちろん細かいところは違います。けれども、トータルなごく大づかみな意味ではずいぶんバランス的に似通っている。ですから、やはり現在ぼくが鳴らしたい音の範疇に飛び込んできているわけです。飛び込んできているからこそ、あえて気になる点を言ってみると、菅野さんのところで鳴っている極上の音を聴いても、マッキントッシュのサウンドって、ぼくには、何かが足りないんですね。かなりよい音だから、そしてぼくの抱いている音のイメージの幅の中に入ってきているから、よけいに気になるのだけれども……。何が足りないのか? ぼくはマッキントッシュのアンプについてかなり具体的に自分にとって足りない部分を言えるつもりなんですけれども、スピーカーの音だとまだよくわからないです。
     *
瀬川先生が「何かが足りない」といわれているものとは、いったいなんなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17380


BBCモニター、復権か(音の品位・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17451

ステレオサウンド60号で瀬川先生が発言された「何か」については、
菅野先生なりに、JBLの4345とマッキントッシュのXRT20の違いについて語られている。
長くなるので引用は控えておくが、ひとことで言えば、音の輪郭のシャープさである。
ただそれもはっきりとわかる違いとしてではなく、
《ほんの紙一重の違いの輪郭の鮮かさの部分》としてである。

瀬川先生も、このことにはほぼ同意されている。
     *
瀬川 ぼくが口に出すとオーバーになりかねないと言ったところは、ほぼ菅野さんのいうところと似ていますね。確かに輪郭のシャープさ、そこでしょう。
 ぼくに言わせれば、そのシャープさから生まれてくる一種の輝き──同じことかもしれないんですが──それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分なんですね。それがあった方がいいとかない方がいいとかいう問題じゃない。JBLはあくまでもそういう音なんだし、マッキントッシュはあくまでもあの音なんで、そこがとにかく違いだと。
     *
「何か」のひとつは、音の輪郭のシャープさで間違いない。
けれど、あくまでも「何か」のひとつであって、すべてではない。
他の「何か」とはについて、瀬川先生の発言を拾ってみよう。
     *
瀬川 それから、菅野さんが指摘された弦、木管、これは、4345のところでも言ったように、弦のウッドの音が4345まで良くなって、やはりそれ以上のスピーカーがあるということを思い知らされた。ただ、ぼくにとって、特に弦といっても室内楽の、比較的インティメイトな弦の鳴り方、あるいは木管でもそこに管が加わったりクラリネットの五重奏とか、要するにオーケストラまでいったってそれは構わない、とにかく弦なり木管のインティメートな温かい感じね──なめらかな奥行きを伴った──それは、ぼくはマッキントッシュじゃ不満なんですよ。どっちみちぼくはアメリカのスピーカーじゃその辺が鳴らないという偏見──偏見とはっきり言っておきますが──を持っていますので。ぼくのイメージの中ではそれはイギリス(ないしはヨーロッパ)のスピーカーでなくては鳴らせない音なのです。どうせJBLで鳴らせない音なら、マッキントッシュへいくよりは海を渡っちゃおうという気がする。
     *
この弦の音。
ここにマッキントッシュのXRT20に対する菅野先生と瀬川先生の評価の違いがある。
後少しステレオサウンド 60号から世が和戦瀬戸菅野先生の発言を引用しておく。
     *
瀬川 あなたの家で「これ、弦がいいんだ」とヴァイオリンを聴かせてくれましたね。ところが、ぼくはやっぱりあのヴァイオリンの音はだめなんだ。
菅野 ぼくがいままで、ぼくの装置だけじゃない、常にずうっとJBLを好きでいろいろなところで聴いてきているでしょう。しかし、どうしてもJBLではあそこへはいかないわけ。
瀬川 JBLじゃ絶対いかない。だから、ぼくはそれがJBLで出ると言っているのじゃなくて、いっそのことヨーロッパへいってしまおうと思う。
菅野 確かにヨーロッパにはマッキントッシュに近いものがあるね(笑い)。それと同時に、ヨーロッパのスピーカーで不満なのは、ぼくは絶対的にジャズ、ロック、フュージョンが十全に鳴らせないことなんだ。ところが、マッキントッシュは、一台でその両方が出せる。これが、総合的にマッキントッシュに点数がたくさんついちゃう原因なんですね。
     *
菅野先生と瀬川先生の、音の品位に関して違っているところが、まさにここである。
http://audiosharing.com/blog/?p=17451

BBCモニター、復権か(音の品位について書いていて)
http://audiosharing.com/blog/?p=17453

音の品位について書いている。
音の品位を言葉で表していくことは確かに難しい。

例えば試聴記に「品位」がどの程度出てきて、
どういう意味で使われているのかを探ろうとしても、
さまざまな試聴記を読めば読むほど、わからなくなってしまうという人がいても不思議ではないし、
実のところ、よくわからないという人の方が多いのかも知れない、とも思えてくる。

私のもうひとつのブログ、the re:View (in the past)で、「品位」で検索してみると、
かなりの数が表示される。

文字だけで音の品位について理解しようと思っても、それはそうとうに困難というか無理なことではないのか、
そう思えてくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17453
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html#c2

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か 中川隆
3. 中川隆[-5687] koaQ7Jey 2021年4月15日 14:01:26 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[22]

Date: 6月 2nd, 2018
BBCモニター、復権か(音の品位・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=25912

(その4)までで引用してきたステレオサウンド 60号での試聴は、
個別の試聴ではなく全員での試聴である。
瀬川先生も菅野先生も、同席されての試聴である。

音の品位は、なにもスピーカーについてのみいえるのではなく、
アンプについても、カートリッジに関しても、他のオーディオ機器であってもいえる。
けれど、もっとも感覚的に捉えられるのは、やはりスピーカーである。

60号の一年半前にステレオサウンドは、スピーカーの試聴を行っている。
54号である。
この時の試聴は、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によるものだが、
個別試聴である。
試聴レコードも三氏で違うし、
スピーカーを鳴らすオーディオ機器(プレーヤー、カートリッジ、アンプ)も三氏皆違う。

それに試聴方法も違っている。
スピーカーだから、そのセッティングが重要になるわけだが、
ここも微妙に違っている。

そのうえで、特集の鼎談を読むわけだが、
ここでも音の品位について、菅野先生と瀬川先生とでは、
完全に一致しているわけではない。

たとえばグルンディッヒのProfessional BOX 2500。
     *
菅野 私は、瀬川さんがこのスピーカーに、まあ9点はびっくりしましたが、8点くらいつけるのはよくわかる気がします。瀬川さんは、あるところ非常にハードに厳しいけれど、あるところすごく甘いところがあるように思う。徹底してどちらかにいってしまう。
瀬川 ……(苦笑)。
菅野 引っかかると徹底的にハードを追求し、引っかからないと徹底的にハードを無視してソフトに行くという、そういう性癖がある(笑い)。
 このグルンディッヒはひっかかってきたひとつだと想うのです。まず音が非常に電蓄的ですね。先ほど古いとおっしゃったが、まさにその通りでノスタルジーは感じます。しかし、今日の水準で聴くと、クォリティ面で、特にユニット自体の品位があまり高くないことが露呈してくる。
瀬川 そうですか? 品位は高いと思いますけれど……
菅野 それは全体としてでしょう。バランスはそれなりにとれていると思いますが、たとえば低域は、なかなか重厚といえば重厚だが、よく聴くとボコボコですよ。
瀬川 私が鳴らすとボコボコいわないんてすよ。
     *
編集部によると、Professional BOX 2500での三氏が鳴らす音に、
それほど大きな違いはなかった、とあるが、
三氏がそれぞれに指摘している長所、短所は、同席していて納得がいくともある。

Professional BOX 2500は、60号でのマッキントッシュのXRT20とは反対に、
菅野先生は品位がない、と感じ、瀬川先生は品位があると感じられた例である。
http://audiosharing.com/blog/?p=25912


Date: 6月 4th, 2018
BBCモニター、復権か(音の品位・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=25931

ステレオサウンド 54号の特集に登場したスピーカーシステムで、
音の品位に関して、瀬川先生と菅野先生の意見が食い違っている機種は、他にもある。

エレクトロボイスのInterface:AIIIとInterface:DIIにおいては、
瀬川先生はInterface:DIIの方を高く評価され、
Interface:AIIIに関しては力に品位が伴っていない、と。

一方菅野先生は、どちらのエレクトロボイスも評価されている。
Interface:AIIIの力に品がないとは聴こえなかった、といわれている。

グルンディッヒのProfessional BOX 2500も、
エレクトロボイスの二機種、どちらも私は聴く機会がなかった。

なのではっきりしたことはいえないのだが、
もし新品に近い状態の、これらのスピーカーシステムを聴くことがあったとしたら、
音の品位に関しては、瀬川先生寄りのところに、私の印象はあるのではないか、と思う。

これが音の品位ではなく、音の品質ということだったら、
あまり食い違いは起こらないはすだ。
なのに品位ということになると、ここに挙げた機種以外にも微妙な違いが感じられる。

それでいて、たとえばスペンドールのBCII。
54号には登場していないが、この素敵なスピーカーに関しては、
菅野先生も瀬川先生も、音の品位に関しては一致している。

あまり古いスピーカーばかりに例に挙げても、
イメージがまったく涌かない、という人も少なくないだろう。

ならばB&Wの800シリーズはどうだろうか。
ステレオサウンドでも高い評価を得ている。
優秀なスピーカーの代表格のようにもいわれている。

私も、優秀なスピーカーだとは思っている。
けれど、このスピーカーの音には、品位があるのだろうか、と思うことがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=25931


BBCモニター、復権か(音の品位・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26645

音の品位について語ることの難しさがあるのを実感している。
音の品位に関係してくるものに、教養のある音、というのがある。

この表現も、わかったようなわからないようなものだ。
その教養のある音にも、音の品位にも関係してくるのに、いぶし銀がある。

いまでも、音の形容詞として、このいぶし銀は使われているのだろうか。

ステレオサウンド 207号にタンノイのスピーカーは、
EatonとArden、Kensington/GRの三機種が対象となっているが、
その試聴記に、いぶし銀が出てくるのは、和田博巳氏担当のArdenだけだ。

いぶし銀はいつごろから使われているのだろうか、
ということを九年前に「井上卓也氏のこと(その20・補足)」で書いている。

いぶし銀そのもののではないが、
ほぼ同じ意味合いの表現が、五味先生の「西方の音」に出てくる。
     *
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     *
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

いぶし銀とは、硫黄をいぶして、表面の光沢を消した銀のことなのだから、
音を銀でいぶしたような──は、正しい表現とはいえないわけだが、
とにかく英国の「教養ある音」のことであり、
それがいつしかタンノイの音の代名詞のようになっていったのではないだろうか。

とはいえ、この「いぶし銀」でどういう音をイメージするのかは、
そうとうに人によって違うようにも感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26645


BBCモニター、復権か(音の品位・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26648

教養ある音、とひとつ前に書いた。
この「教養ある音」も、わかりやすいようで、
いざ誰かに説明しようとなると、なかなか難しいことに気づく。

目の前にいくつものスピーカーがあって、
その中に、私が教養ある音を感じる音を出すスピーカーと、
その反対に教養のない音といいたくなる音のスピーカーをふくめて、
いくつかのスピーカーが用意されていたら、説明は少しは楽になり、
具体的になっていく。

けれど、いざ言葉だけで、
しかも教養ある音という意味をまったく理解していないと思われる人にどう説明するか。
結局、教養ない音を説明していくしかないのか、と思う。

私の表現力が足りないといえばそれまでであるのだが、
それでも教養ある音を見事に説明している表現に出合っていない。

たとえば別項「オーディオ機器の付加価値(その5)」に登場する人は、教養ある、とはいわない。

知識はいっぱい持っている。知識欲も高い。ついでに学歴も高い。
それが教養ある人じゃないか、といわれると、これの説明もまた困るけれど、
堂々めぐりすることになるが、結局、品がないのだ。

音の品位について書いていて、
そこでいぶし銀、教養ある音を持ち出してきておいて、
それらについて満足に説明せずに、品がない、と言ってしまう。

いいかげんな説明(にもなっていないのはわかっている)だ。
それでも、品がない、のだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26648


Date: 1月 7th, 2020
BBCモニター、復権か(音の品位・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=31022

大辞林には、教養とは次のように記してある。
(1)おしえそだてること。「父は其子を—するの勤労を免かれ/民約論(徳)」
(2)社会人として必要な広い文化的な知識。また,それによって養われた品位。「—を身につける」
(3)〔英 culture; (ドイツ) Bildung〕
単なる知識ではなく,人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など。

教養ある音の「教養」とは、三番目か。
単なる知識ではなく、とある。
スピーカーの音にあてはめれば、単なる情報量ではなく、ということになろうか。

情報量ということでは、
1970年代から1980年代にかけてのBBCモニターよりも、
同クラスの現代のスピーカーシステムのほうが、上であるモノが多い、といえよう。
それに情報量の多さだけでなく、精度の高さでも、上といえよう。

古いスピーカー(に限らず古いオーディオ)をまったく認めない人たちからすれば、
私が教養ある音といっている音を出してくれるスピーカーは、
情報量の少なさを、
教養ある音、という、ひじょうに曖昧な、正体不明の音でごまかしているだけではないか──、
そんな声が挙ってもこよう。

現代の優れたスピーカーの視点からすれば、
足りないところもあったといえるのは、事実である。

1970年代に登場したBBCモニターとその系列のイギリスのスピーカーシステムは、
現在のスピーカーからすれば、制約もいくつかあった。

四十年間に、スピーカーの技術は進歩している。
けれど、音、それも音の品位ということではどうだろうか。

《人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる》音といえるだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=31022
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html#c3

[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
10. 2021年4月15日 15:51:40 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[23]
 10年前に比べて実感として2倍になっている食品価格
2021年04月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1464.html


 とにかく、食品が高い。生鮮野菜が高い。肉が高い。スーパーに行って店頭の価格表示を見ただけでげんなりして、とても手が出ない。
 私のような超低年金老人は、エンゲル係数が50%程度はあるので、スーパーに行くのは、値引き売り尽くしサービスが始まる17時以降に限られてくる。

 とにかく、安い食品を探して鵜の目鷹の目で陳列棚を漁る。買うのは割引表示のある消費期限が近いものばかり。アジの干物が大好物なのだが、私の買う半額干物は、生臭くて美味しくない。
 結局、何を食べているかというと、ドラッグストア(当地ではバロードラッグ)で売ってる18円のうどんと焼きそばばかりだ。バロー白だしで味をつけて、切り落としベーコンとカット野菜を入れて食べる。毎回毎回同じメニューで飽きたわい。

 野菜も高いので、バロードラッグでカット野菜の売れ残り値引き品ばかり買っている。春になれば、畑を耕して、苗を植え付け、なるべく自給自足にする。
 今年植え付けたものは、大根・トマト・茄子・キュウリ・蕪・ネギというところ。だが何よりも、肥料がめちゃくちゃ上がった。中袋500円だった油かすが二倍の1000円になっている。だから、使いたくないが安い化成肥料を使うことにした。

 この時期は、まだ凍結・遅霜が五月まで続くので、屋根のない場所に置いたら一発アウト、だからベランダの屋根の下で大きめのプランターで育てるしかない。
 種やら支柱やら、肥料やら、いろいろ金がかかって決して経済的なわけではないが、安心できる食材ということだ。

 コンポストを使いたいが、うちはカラスや野生動物に狙われて、発酵する前にむちゃくちゃ荒らされる。鶏糞は鳥インフルエンザ以来、石灰の量が増えて、酸性を好む芋類ができなくなる。
 畑の野菜も、アライグマに荒らされるので、まともな収量は期待できない。アライグマは知能が高いので、獣害対策など平気ですり抜けてくるのだ。
 野ネズミも凄い数がいて、芋類を荒らしまくる。
 
食料品が高くなり始めたのは、たぶん昨年の春頃からだ。一説によればコロナ禍の影響ともいわれるが、たぶん違う。これは世界的な蝗害と、中国の食料不足が影響を及ぼしているのだ。
 現在、主要食料としては、小麦粉が1割ほど値上げされている。米はあまり上がっていない。トウモロコシは、消費者レベルでは分かりにくいが、畜産飼料としては深刻な状態だといわれる。

 食料価格推移をネット上で調べているが、分かりやすい資料が少ない。2021年度データが含まれているのは以下くらいしかない。
 https://www.jircas.go.jp/ja/program/program_d/blog/20210215_1

syokuryou001.jpg


 上の解説をみると、中国が大規模に食料買い付けに走っている事情が見える。
 結局、食料品価格の上昇の大元には、昨年の蝗害と、中国の大水害による不作がありそうだと見えてくる。
 上のグラフは、残念ながら、都市の街角での食料品価格を反映しているようには見えないが、今年2021年は2006年のちょうど二倍に達していることが分かる。

 もっと直接的な日清製粉の小麦粉価格を見てみよう。
 https://kona-mon.com/%E6%9C%80%E8%BF%91%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E7%89%A9%E4%BE%A1%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB/

 syokuryou002.jpg

上のグラフは、2013年、キロ225円だった小麦粉が、2018年255円に上昇したことを示す。
 以下は、2020年データを含むGDFREAKのグラフ。
 https://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050006070101020/3
syokuryouhin003.jpg

 上の小麦粉指数では、2006年77程度だったものが、2020年には、111まで上昇している。これは過去最大の上昇であると書かれていて、やはり原因が中国の食料危機にあることを示している。
 メディアは、このことを、ほとんど報道していないが、実際には、昨年の蝗害と大水害の影響が、我々の食料価格に深刻に反映されているのだ。
 なぜ、メディアは伝えないのか?

 こうして調べてゆくと、昨年春から上昇が続く食料価格が、簡単には終わりそうもないとわかり、今年、再び、蝗害と中国大水害が続くなら、日本列島もとんでもない事態になる可能性を考えなければならない。食料危機が始まっているのだ!

 モス、串カツ田中、丸亀が「一斉値上げ」…ウラにある「世界の物資争奪戦」のヤバい実態 2021年4月14日(現代ビジネス)
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82211

 日本ではデフレが続いていると喧伝されており、物価は下がっているとイメージしていた人も多い。だが生活必需品は一貫して値上げが続いており、事業者側はそれを悟られないよう価格を据え置いて内容量を減らす、いわゆるステルス値上げを行ってきた。

 だが、こうした小手先の対応も今年あたりで限界となる可能性が高い。世界経済はコロナ危機と米中デカップリングが重なり、サプライチェーンが混乱あるいは縮小しており、物資の争奪戦となっている。資材価格や食料価格が急騰しており、いずれ最終製品に転嫁される可能性が高まっている。

 始まった物資の争奪戦

 今年の4月から小売店や外食などで商品やサービスの値上げが相次いでいる。ファストフードのモスバーガーが主力商品を20〜30円値上したほか、居酒屋の串カツ田中も全商品の9割について平均10円程度の値上げを実施。丸亀製麺も「かけうどん(並)」や「ぶっかけうどん(並)を300円から320円に改定するなど一部商品の値上げを行った。

 4月は消費税の総額表示義務化のタイミングと重なっており、これが価格改定のきっかけとなっているのは間違いない。だが、値上げの根本的な原因は表示の問題ではなく、全世界的な原材料価格の高騰である。

 小売店で売られる食品も価格が上がっている。食用油などを製造する昭和産業は、消費者向けのサラダ油ハンディやキャノーラ油を3月に値上げしたが、6月にも値上げキロあたり30円の値上げを行う。日清オイリオグループ、J−オイルミルズも4月に続いて6月の再値上げを決めている。

 今のところ最終商品の価格には反映されていないが、砂糖は卸価格が上昇中であり、小麦粉については政府の売り渡し価格が4月から5.5%引き上げられた。小麦は国内生産者保護のため基本的に政府が買い付けているが、2007年以降、政府の売り渡し価格は市場価格に連動する仕組みになっているので、このまま上昇が続くとパンなどにも影響が出てくるだろう。

 コロナ危機で不景気が続いているので、食品価格の上昇について疑問を持つ読者の方もいると思うが、実はコロナ危機こそが食品価格上昇の元凶となっている。

 新型コロナウイルスの感染が拡大したことで、全世界的に物流網に混乱が生じており、コンテナ船の運賃は下がるどころか逆に跳ね上がった。航空機も便数が減った分、搭載できる貨物の量が減っており、必要な量の物資を運べないという状況が続いている。このため航空貨物の運賃も上がる一方である。

 一方で、日本を除く先進各国ではワクチン接種が順調に進んでいることから、各企業はすでにコロナ後の景気回復を見込んで、商材の確保に躍起となっている。物流が混乱しているところに、コロナ後を見据えた物資の争奪戦が加わっているので、食料を中心に世界のコモディティ価格が跳ね上がっているのだ。

 国連食糧農業機関(FAO)が産出する世界食料価格指数は、2月時点で116を突破しており、コロナ前をはるかに上回っている。食料だけでなく、半導体や金属類など物資の争奪戦が始まっており、あらゆる資材の価格が急上昇している。

 トランプ政権がもたらした「中国の台頭」

 しかも、困ったことにこの動きは一時的なものではない可能性が高まっている。その理由は、トランプ政権が始めた米中分離(デカップリング)政策である。

 トランプ政権は中国からの輸入に高関税をかけて、中国からの輸入を制限した。その結果、中国は東南アジアとの貿易を拡大させ、米中の経済的関係が急速に希薄化した。これまで、米国が中国からの輸入を制限することは、中国にとって最大の脅威だったが、実際に米国が関税をかけても、思った程、中国の経済は悪化しなかった。このため、中国は米国の通商政策を恐れる必要がなくなり、米国に対して強気に出るようになってしまった。

 3月にアラスカで行われた米中会談では、冒頭から激しい議論の応酬となったが、ここまで中国側が強気のスタンスを見せたことはなかった。米国側はトランプ政権が関税カードを使い切ってしまったため、十分な交渉カードを持っていない。

 バイデン政権は人権問題を前面に出して争う構えだが、中国側から譲歩を引き出すのは容易ではないだろう。実際、ウイグル問題で東南アジア各国は、制裁を強く主張する米国には同調しない方針を明確にしつつある(困った事に米国に同調しない国の中には日本も含まれている)。

 このまま米中分離(および東南アジアと中国の一体化)が進んだ場合、世界経済は米中欧という3つの大国を核にブロック化が進むことになる。ブロック経済下においては、近隣諸国との貿易比率が高まるのは確実なので、従来のような全世界的なサプライチェーンは縮小する。

 サプライチェーンが縮小すると、遠距離の輸送コストは上昇し、仮に遠隔地から買う方が価格安い場合でも、輸送コストの関係から採算が合わないケースが出てくる。結局は多少、コストが高くても、近くの経済圏から調達する割合が高くなるので、これは価格上昇要因となる。

 脱炭素で逆に原油価格が上昇する

 コスト上昇要因はそれだけではない。このところ電気料金やガス料金など光熱費も値上げが続いているのだが、これもコロナ後の景気回復期待から原油価格が上昇した影響が大きい。だが景気回復期待が一服すれば、原油価格は下がるのかというと、そうはいかないというのが市場関係者の一般的な見方だ。

 その理由は、今後、脱炭素シフトが進むことで石油の需要減少が見込まれることから、産油国が収益を維持するため、価格を引き上げる可能性が高いからである。

 現時点においても、産油国が増産を決断すれば原油価格は下がる可能性が高いが、産油国は減産維持で一致している。脱炭素で原油の消費量が減っていくのは確実なので、産油国は需要の低下に合わせて価格を高めに誘導していくだろう。

 再生可能エネルギーの発電コストは、すでに火力の半分以下となっており、脱炭素シフトが順調に進めば、長期的にはエネルギー価格は低下が予想される。だが、これは10年〜20年というスパンの話であり、近いタームでは、産業界は値上がりした原油価格に大きな影響を受けてしまう。

 つまり、資材価格、食料品価格、エネルギー価格のいずれも上昇が続いており、世界経済の構造転換によってそれが恒常化する可能性が高まっているのだ。

 実は海外では日本ほど露骨にステルス値上げが行われるケースは少なく、原材料コストが上昇した場合には、そのまま製品価格に転嫁されることが多い。日本でステルス値上げが横行しているのは、日本経済の貧困化によって消費者の購買力が著しく低下しており、価格を上げると販売数量が激減してしまうからである。

 だが、事業者がステルス値上げで対処するにしても物事には限度というものがある。ここまで各種コストが上昇してしまうと、製品価格に転嫁できなければ、企業は利益を維持出来なくなる。筆者は、これまで継続してきたステルス値上げは今年あたりで終了になると予想している。今後、仕入れコストの上昇に直面した事業者は、いよいよ最終製品に価格を転嫁していくことになるだろう。

 どういうわけか、ネット上では「日本はデフレだ」と声高に主張する意見が多い。だが、消費者物価指数はほぼ毎年のように上昇しているし(繰り返すが、上昇率が鈍いだけで、絶対値は確実に上がっている)、何より日常的な買い物をしていれば、値上げが続いていることは一目瞭然である。

 筆者は「この人たちはスーパーに買い物に行かないのだろうか」といつも不思議に思っているのだが、いくらデフレだと叫んだところで、名目価格が露骨に上昇すれば、さすがに物価が上がっていることに気付くはずだ。公務員など特別な環境にいる人を除いて、多くの労働者の賃金は大幅に下がっているので、ほとんどの人にとって、生活はますます苦しくなる。
********************************************************
 引用以上

 上で語られていることを要約すると
 @ 昨春から始まった食料品値上げブームは、これまで価格を上げずに内容量を減らすステルス値上げで行われてきたが、すでに限界に達していて、これからは実質的値上げに転嫁される。

 A 現在、食用油・砂糖・小麦粉の値上げが予定されているので、食パン値上げが避けられない。

 B コロナ危機が物流停滞、輸送費上昇を招いている。

 C ワクチン普及後の経済回復を視野に入れて、物資争奪戦が始まっている。

 D トランプ政権の中国孤立化政策のため、逆に中国の台頭を許している。

 E このままでは、米中対立は、世界ブロック閉鎖経済を生み出す。

 F 全世界的サプライチェーンは縮小し、グローバルスタンダードは後退する。

 G 「脱炭素」政策で、石油需要が減少することで、投機筋は市場縮小を前提に、石油価格を上げてくるので、これも食料価格を押し上げる。

 H 日本はデフレではない。すべての価格が上がるスタッグフレーションに移行する。

だいたい、こんなところだが、昨年の巨大な蝗害被害や中国大水害に触れていない。
 実は、蝗害は1年だけの突発はなく、最低でも3年続くといわれているので、今年もまた昨年並みの蝗害が起きる可能性が強い。
 中国大水害も、本当の原因は、中国がインドに渇水不作をもたらすため、ヒマラヤ山麓(チベット高原)に数万カ所のヨウ化銀射出装置を設置したことで、降雨が「東亜三角弧」=長江流域のような特異地形に集中したせいと言われている。

 中国は、ヨウ化銀人工降雨政策をやめていないので、今年も、大水害が繰り返される可能性が強い。
 
長江大洪水と天河計画 2020年07月28日
 https://f2.proxypy.org/o/6c6d74682e393931312d7972746e652d676f6c622f6d6f632e3263662e3936676f6c622e616d6169616b6f742f2f3a70747468

 もしも、昨年と同じような農業被害が生じるなら、今年の食料危機は半端なものにならない可能性がある。
 あらゆる食品の大規模な値上げが避けられなくなり、本当の品不足も生じるだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1464.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c10

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
20. 中川隆[-5686] koaQ7Jey 2021年4月15日 15:52:19 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[24]
 10年前に比べて実感として2倍になっている食品価格
2021年04月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1464.html


 とにかく、食品が高い。生鮮野菜が高い。肉が高い。スーパーに行って店頭の価格表示を見ただけでげんなりして、とても手が出ない。
 私のような超低年金老人は、エンゲル係数が50%程度はあるので、スーパーに行くのは、値引き売り尽くしサービスが始まる17時以降に限られてくる。

 とにかく、安い食品を探して鵜の目鷹の目で陳列棚を漁る。買うのは割引表示のある消費期限が近いものばかり。アジの干物が大好物なのだが、私の買う半額干物は、生臭くて美味しくない。
 結局、何を食べているかというと、ドラッグストア(当地ではバロードラッグ)で売ってる18円のうどんと焼きそばばかりだ。バロー白だしで味をつけて、切り落としベーコンとカット野菜を入れて食べる。毎回毎回同じメニューで飽きたわい。

 野菜も高いので、バロードラッグでカット野菜の売れ残り値引き品ばかり買っている。春になれば、畑を耕して、苗を植え付け、なるべく自給自足にする。
 今年植え付けたものは、大根・トマト・茄子・キュウリ・蕪・ネギというところ。だが何よりも、肥料がめちゃくちゃ上がった。中袋500円だった油かすが二倍の1000円になっている。だから、使いたくないが安い化成肥料を使うことにした。

 この時期は、まだ凍結・遅霜が五月まで続くので、屋根のない場所に置いたら一発アウト、だからベランダの屋根の下で大きめのプランターで育てるしかない。
 種やら支柱やら、肥料やら、いろいろ金がかかって決して経済的なわけではないが、安心できる食材ということだ。

 コンポストを使いたいが、うちはカラスや野生動物に狙われて、発酵する前にむちゃくちゃ荒らされる。鶏糞は鳥インフルエンザ以来、石灰の量が増えて、酸性を好む芋類ができなくなる。
 畑の野菜も、アライグマに荒らされるので、まともな収量は期待できない。アライグマは知能が高いので、獣害対策など平気ですり抜けてくるのだ。
 野ネズミも凄い数がいて、芋類を荒らしまくる。
 
食料品が高くなり始めたのは、たぶん昨年の春頃からだ。一説によればコロナ禍の影響ともいわれるが、たぶん違う。これは世界的な蝗害と、中国の食料不足が影響を及ぼしているのだ。
 現在、主要食料としては、小麦粉が1割ほど値上げされている。米はあまり上がっていない。トウモロコシは、消費者レベルでは分かりにくいが、畜産飼料としては深刻な状態だといわれる。

 食料価格推移をネット上で調べているが、分かりやすい資料が少ない。2021年度データが含まれているのは以下くらいしかない。
 https://www.jircas.go.jp/ja/program/program_d/blog/20210215_1

syokuryou001.jpg


 上の解説をみると、中国が大規模に食料買い付けに走っている事情が見える。
 結局、食料品価格の上昇の大元には、昨年の蝗害と、中国の大水害による不作がありそうだと見えてくる。
 上のグラフは、残念ながら、都市の街角での食料品価格を反映しているようには見えないが、今年2021年は2006年のちょうど二倍に達していることが分かる。

 もっと直接的な日清製粉の小麦粉価格を見てみよう。
 https://kona-mon.com/%E6%9C%80%E8%BF%91%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E7%89%A9%E4%BE%A1%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB/

 syokuryou002.jpg

上のグラフは、2013年、キロ225円だった小麦粉が、2018年255円に上昇したことを示す。
 以下は、2020年データを含むGDFREAKのグラフ。
 https://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050006070101020/3
syokuryouhin003.jpg

 上の小麦粉指数では、2006年77程度だったものが、2020年には、111まで上昇している。これは過去最大の上昇であると書かれていて、やはり原因が中国の食料危機にあることを示している。
 メディアは、このことを、ほとんど報道していないが、実際には、昨年の蝗害と大水害の影響が、我々の食料価格に深刻に反映されているのだ。
 なぜ、メディアは伝えないのか?

 こうして調べてゆくと、昨年春から上昇が続く食料価格が、簡単には終わりそうもないとわかり、今年、再び、蝗害と中国大水害が続くなら、日本列島もとんでもない事態になる可能性を考えなければならない。食料危機が始まっているのだ!

 モス、串カツ田中、丸亀が「一斉値上げ」…ウラにある「世界の物資争奪戦」のヤバい実態 2021年4月14日(現代ビジネス)
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82211

 日本ではデフレが続いていると喧伝されており、物価は下がっているとイメージしていた人も多い。だが生活必需品は一貫して値上げが続いており、事業者側はそれを悟られないよう価格を据え置いて内容量を減らす、いわゆるステルス値上げを行ってきた。

 だが、こうした小手先の対応も今年あたりで限界となる可能性が高い。世界経済はコロナ危機と米中デカップリングが重なり、サプライチェーンが混乱あるいは縮小しており、物資の争奪戦となっている。資材価格や食料価格が急騰しており、いずれ最終製品に転嫁される可能性が高まっている。

 始まった物資の争奪戦

 今年の4月から小売店や外食などで商品やサービスの値上げが相次いでいる。ファストフードのモスバーガーが主力商品を20〜30円値上したほか、居酒屋の串カツ田中も全商品の9割について平均10円程度の値上げを実施。丸亀製麺も「かけうどん(並)」や「ぶっかけうどん(並)を300円から320円に改定するなど一部商品の値上げを行った。

 4月は消費税の総額表示義務化のタイミングと重なっており、これが価格改定のきっかけとなっているのは間違いない。だが、値上げの根本的な原因は表示の問題ではなく、全世界的な原材料価格の高騰である。

 小売店で売られる食品も価格が上がっている。食用油などを製造する昭和産業は、消費者向けのサラダ油ハンディやキャノーラ油を3月に値上げしたが、6月にも値上げキロあたり30円の値上げを行う。日清オイリオグループ、J−オイルミルズも4月に続いて6月の再値上げを決めている。

 今のところ最終商品の価格には反映されていないが、砂糖は卸価格が上昇中であり、小麦粉については政府の売り渡し価格が4月から5.5%引き上げられた。小麦は国内生産者保護のため基本的に政府が買い付けているが、2007年以降、政府の売り渡し価格は市場価格に連動する仕組みになっているので、このまま上昇が続くとパンなどにも影響が出てくるだろう。

 コロナ危機で不景気が続いているので、食品価格の上昇について疑問を持つ読者の方もいると思うが、実はコロナ危機こそが食品価格上昇の元凶となっている。

 新型コロナウイルスの感染が拡大したことで、全世界的に物流網に混乱が生じており、コンテナ船の運賃は下がるどころか逆に跳ね上がった。航空機も便数が減った分、搭載できる貨物の量が減っており、必要な量の物資を運べないという状況が続いている。このため航空貨物の運賃も上がる一方である。

 一方で、日本を除く先進各国ではワクチン接種が順調に進んでいることから、各企業はすでにコロナ後の景気回復を見込んで、商材の確保に躍起となっている。物流が混乱しているところに、コロナ後を見据えた物資の争奪戦が加わっているので、食料を中心に世界のコモディティ価格が跳ね上がっているのだ。

 国連食糧農業機関(FAO)が産出する世界食料価格指数は、2月時点で116を突破しており、コロナ前をはるかに上回っている。食料だけでなく、半導体や金属類など物資の争奪戦が始まっており、あらゆる資材の価格が急上昇している。

 トランプ政権がもたらした「中国の台頭」

 しかも、困ったことにこの動きは一時的なものではない可能性が高まっている。その理由は、トランプ政権が始めた米中分離(デカップリング)政策である。

 トランプ政権は中国からの輸入に高関税をかけて、中国からの輸入を制限した。その結果、中国は東南アジアとの貿易を拡大させ、米中の経済的関係が急速に希薄化した。これまで、米国が中国からの輸入を制限することは、中国にとって最大の脅威だったが、実際に米国が関税をかけても、思った程、中国の経済は悪化しなかった。このため、中国は米国の通商政策を恐れる必要がなくなり、米国に対して強気に出るようになってしまった。

 3月にアラスカで行われた米中会談では、冒頭から激しい議論の応酬となったが、ここまで中国側が強気のスタンスを見せたことはなかった。米国側はトランプ政権が関税カードを使い切ってしまったため、十分な交渉カードを持っていない。

 バイデン政権は人権問題を前面に出して争う構えだが、中国側から譲歩を引き出すのは容易ではないだろう。実際、ウイグル問題で東南アジア各国は、制裁を強く主張する米国には同調しない方針を明確にしつつある(困った事に米国に同調しない国の中には日本も含まれている)。

 このまま米中分離(および東南アジアと中国の一体化)が進んだ場合、世界経済は米中欧という3つの大国を核にブロック化が進むことになる。ブロック経済下においては、近隣諸国との貿易比率が高まるのは確実なので、従来のような全世界的なサプライチェーンは縮小する。

 サプライチェーンが縮小すると、遠距離の輸送コストは上昇し、仮に遠隔地から買う方が価格安い場合でも、輸送コストの関係から採算が合わないケースが出てくる。結局は多少、コストが高くても、近くの経済圏から調達する割合が高くなるので、これは価格上昇要因となる。

 脱炭素で逆に原油価格が上昇する

 コスト上昇要因はそれだけではない。このところ電気料金やガス料金など光熱費も値上げが続いているのだが、これもコロナ後の景気回復期待から原油価格が上昇した影響が大きい。だが景気回復期待が一服すれば、原油価格は下がるのかというと、そうはいかないというのが市場関係者の一般的な見方だ。

 その理由は、今後、脱炭素シフトが進むことで石油の需要減少が見込まれることから、産油国が収益を維持するため、価格を引き上げる可能性が高いからである。

 現時点においても、産油国が増産を決断すれば原油価格は下がる可能性が高いが、産油国は減産維持で一致している。脱炭素で原油の消費量が減っていくのは確実なので、産油国は需要の低下に合わせて価格を高めに誘導していくだろう。

 再生可能エネルギーの発電コストは、すでに火力の半分以下となっており、脱炭素シフトが順調に進めば、長期的にはエネルギー価格は低下が予想される。だが、これは10年〜20年というスパンの話であり、近いタームでは、産業界は値上がりした原油価格に大きな影響を受けてしまう。

 つまり、資材価格、食料品価格、エネルギー価格のいずれも上昇が続いており、世界経済の構造転換によってそれが恒常化する可能性が高まっているのだ。

 実は海外では日本ほど露骨にステルス値上げが行われるケースは少なく、原材料コストが上昇した場合には、そのまま製品価格に転嫁されることが多い。日本でステルス値上げが横行しているのは、日本経済の貧困化によって消費者の購買力が著しく低下しており、価格を上げると販売数量が激減してしまうからである。

 だが、事業者がステルス値上げで対処するにしても物事には限度というものがある。ここまで各種コストが上昇してしまうと、製品価格に転嫁できなければ、企業は利益を維持出来なくなる。筆者は、これまで継続してきたステルス値上げは今年あたりで終了になると予想している。今後、仕入れコストの上昇に直面した事業者は、いよいよ最終製品に価格を転嫁していくことになるだろう。

 どういうわけか、ネット上では「日本はデフレだ」と声高に主張する意見が多い。だが、消費者物価指数はほぼ毎年のように上昇しているし(繰り返すが、上昇率が鈍いだけで、絶対値は確実に上がっている)、何より日常的な買い物をしていれば、値上げが続いていることは一目瞭然である。

 筆者は「この人たちはスーパーに買い物に行かないのだろうか」といつも不思議に思っているのだが、いくらデフレだと叫んだところで、名目価格が露骨に上昇すれば、さすがに物価が上がっていることに気付くはずだ。公務員など特別な環境にいる人を除いて、多くの労働者の賃金は大幅に下がっているので、ほとんどの人にとって、生活はますます苦しくなる。
********************************************************
 引用以上

 上で語られていることを要約すると
 @ 昨春から始まった食料品値上げブームは、これまで価格を上げずに内容量を減らすステルス値上げで行われてきたが、すでに限界に達していて、これからは実質的値上げに転嫁される。

 A 現在、食用油・砂糖・小麦粉の値上げが予定されているので、食パン値上げが避けられない。

 B コロナ危機が物流停滞、輸送費上昇を招いている。

 C ワクチン普及後の経済回復を視野に入れて、物資争奪戦が始まっている。

 D トランプ政権の中国孤立化政策のため、逆に中国の台頭を許している。

 E このままでは、米中対立は、世界ブロック閉鎖経済を生み出す。

 F 全世界的サプライチェーンは縮小し、グローバルスタンダードは後退する。

 G 「脱炭素」政策で、石油需要が減少することで、投機筋は市場縮小を前提に、石油価格を上げてくるので、これも食料価格を押し上げる。

 H 日本はデフレではない。すべての価格が上がるスタッグフレーションに移行する。

だいたい、こんなところだが、昨年の巨大な蝗害被害や中国大水害に触れていない。
 実は、蝗害は1年だけの突発はなく、最低でも3年続くといわれているので、今年もまた昨年並みの蝗害が起きる可能性が強い。
 中国大水害も、本当の原因は、中国がインドに渇水不作をもたらすため、ヒマラヤ山麓(チベット高原)に数万カ所のヨウ化銀射出装置を設置したことで、降雨が「東亜三角弧」=長江流域のような特異地形に集中したせいと言われている。

 中国は、ヨウ化銀人工降雨政策をやめていないので、今年も、大水害が繰り返される可能性が強い。
 
長江大洪水と天河計画 2020年07月28日
 https://f2.proxypy.org/o/6c6d74682e393931312d7972746e652d676f6c622f6d6f632e3263662e3936676f6c622e616d6169616b6f742f2f3a70747468

 もしも、昨年と同じような農業被害が生じるなら、今年の食料危機は半端なものにならない可能性がある。
 あらゆる食品の大規模な値上げが避けられなくなり、本当の品不足も生じるだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1464.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c20

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か 中川隆
4. 中川隆[-5685] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:46:36 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[25]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か

Date: 10月 30th, 2014
BBCモニター、復権か(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=15192

LSナンバーをもつ、いわゆるBBCモニターが商品化、市販されるようになったのは1970年代からである。
LS3/5Aは最初はロジャース製だけだったが、
チャートウェル、ハーベス、KEF、オーディオマスターからもLS3/5Aが登場した。
これがBBCモニターの全盛だったようだ。

LSナンバーのBBCモニターは、LS5/9を最後に途絶えてしまった。
BBCモニター、BBCモニターの流れを汲むスピーカーシステムに惹かれてきた私は、寂しい思いをしていた。

LS3/5Aはいまでも人気である。
けれど日本ではBBCモニターの人気が高かった、とは思えない。
むしろ低い。

瀬川先生も嘆かれていた。
私の手元には瀬川先生のメモがある。
その中にロジャースのPM510について書かれたものがある。
三年前にも書いているが、もう一度書いておく。
     *
◎どうしてもっと話題にならないのだろう、と、ふしぎに思う製品がある。最近の例でいえばPM510。
◎くいものや、その他にたとえたほうが色がつく
◎だが、これほど良いスピーカーは、JBLの♯4343みたいに、向う三軒両隣まで普及しない方が、PM510をほんとうに愛する人間には嬉しくもある。だから、このスピーカーの良さを、あんまりしられたくないという気持もある。

◎JBLの♯4345を借りて聴きはじめている。♯4343よりすごーく改良されている(その理由を長々と書く)けれど、そうしてまた2歩も3歩も完成に近づいたJBLを聴きふけってゆくにつれて、改めて、JBLでは(そしてアメリカのスピーカーでは)絶対に鳴らせない音味というものがあることを思い知らされる。
◎そこに思い至って、若さの中で改めて、Rogers PM510を、心から「欲しい」と思いはじめた。
◎いうまでもなく510の原形はLS5/8、その原形のLS5/1Aは持っている。宝ものとして大切に聴いている。それにもかかわらずPM510を「欲しい!!」と思わせるものは、一体、何か?

◎前歴が刻まれる!
     *
一部、判読困難な文字がいくつかあり、数カ所、書き間違えているかもしれないが、
瀬川先生がPM510をどう思われていたのか、そして日本でのPM510の評価も知ることはできる。

私もPM510には惚れ込んだ、だから、このスピーカーシステムも相当に無理して買った。
http://audiosharing.com/blog/?p=15192


BBCモニター、復権か(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=15197

ロジャースのPM510はいいスピーカーだ。
けれど改良型にあたるPM510IIは、少しもいいとは思えなかった。

PM510の低音はぶよぶよじゃないか、という人たちは、PM510IIの方がずっといい、といっていた。
だが締っている低音が優れた低音ではないし、表現力豊かな低音でもない。
私が聴きたい音楽にとって、PM510の低音は不満となることはなかった。

PM510IIは中途半端に感じてしまう。
PM510の良さが、もう感じられなかった。

PM510IIが、他のスピーカーシステムの改良型であれば、もう少し認めることもできると思うのだが、
惚れ込んだスピーカーシステムの改良型として登場して、
惚れ込んだ男に愛想をつかしてしまう出来のモノを認めることはできない。

今年二月に、ある人のリスニングルームを訪れた。
メインのスピーカーシステムはアメリカ製のモノ。
だが部屋の片隅にPM510が置いてあった。
PM510IIではなく、PM510である。

こればかりは手離せない、ということだった。
その気持はよくわかる。

瀬川先生が《心から「欲しい」》と思われたスピーカーシステムとしての良さは、
PM510にあり、PM510IIにはないと言い切れる。
http://audiosharing.com/blog/?p=15197


BBCモニター、復権か(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=15199

PM510をいいスピーカーと認めている人は確かに少ない。
それでもいいじゃないか、と思うのだが、
PM510をいいスピーカーとしながらも、PM510IIを改良型として高く評価している人をみると、
この人が感じているPM510の良さと私が感じているPM510の良さは違っているんだな、と思ってしまう。

PM510はロジャースのLS5/8の内蔵ネットワーク版である。
LS5/8は型番が示すようにBBCモニターであり、
QUADのパワーアンプ405にデヴァイディングネットワークを内蔵しバイアンプ駆動するというシステム。
ユニット構成、エンクロージュアはLS5/8、PM510は同じである。

このLS5/8はロジャース(スイストーン)が買収した会社チャートウェルが開発したモノだ。
チャートウェル時代の型番はPM450E(LS5/8)、PM450(PM510)だった。
もちろんチャートウェルのLS5/8も存在している。

ロジャース製とチャートウェル製は、若干音のニュアンスが違う、といわれている。
そうだろう。
同じ規格で作られているLS3/5Aが、各社、音のニュアンスが微妙に違うのと同じである。
チャートウェル製も聴きたいという気持はあるけれど、
ロジャースのPM510に惚れ込んでいたのだから、
どちらがいいのかを判断するようなことは、いまではどうでもよくなっている。

ロジャースからはLS5/8に続いて、中型モニターのLS5/9が登場する。
ちょうどステレオサウンドにいたころだった。
聴く機会は何度もあった。

でもLS5/8とLS3/5Aの間に位置するサイズ。
このサイズにした理由をついあれこれ考えてしまうくらいに、
私には中途半端な大きさに思えたし、そうなると出て来た音もなんとなくそう感じられてしまう。

でもPM510の低音をぶよぶよじゃないか、という人はLS5/9の方を高く評価していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=15199


BBCモニター、復権か(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=15203

1983年にステレオサウンドからTHE BRITISH SOUNDという別冊が出た。
この本に岡先生によるBBCモニター物語という記事がある。
この中で、岡先生が書かれている。
《BBCモニターのことを書くべき最適任者は、故瀬川冬樹さんだったと思う》と。
BBCモニターに関心のある人の多く(すべてといっていい)が、首肯いたことだろう。

瀬川先生によるBBCモニター物語、
きっと瀬川先生自身も書きたいと思われていただろうだけに、
読みたかった……、という気持は募る。

岡先生はBBCモニター物語を書くにあたり、
ステレオサウンド編集部から、瀬川先生が渡英の際に入手されたいくつかの資料を借覧されている。

その瀬川資料の中に、BBCモニターの型番のクラシフィケーションの説明があり、
その資料を元に岡先生がLSナンバーの区分について書かれている。
     *
●LS1/ アッセンブルされたラウドスピーカーで、用途は種主あるが主力にはなっていない(現用正式モデルではない)。
●LS2/ シャーシ・ユニットのみのもの。
●LS3/ アッセンブルされたスピーカー(主として外録その他に使用される。可搬性をもつ小型のもの)。
●LS5/ アッセンブルされたスピーカー(スタジオ用)。
 将来は、LS1/、LS2/、LS5/のクラシフィケーションを用いることになり、外録用のLS3/シリーズもLS5/のコード番号のなかに組み込まれることになる、という注記がある。
     *
LS5/9は20cm口径のウーファーとソフトドーム型トゥイーター、
エンクロージュアの外形寸法はW36.0×H55.0×D36.0cm。
本来ならばLS3/8という型番がついても不思議ではないし、
むしろ、その方が、このスピーカーシステムの性格をはっきりとさせると思うのだが、
岡先生が書かれているとおり、LS3/シリーズはLS5/シリーズに組み込まれたことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=15203


BBCモニター、復権か(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=15219

こういう音が好きなんだ、と実感した最初のスピーカーシステムは、スペンドールのBCIIだった。
瀬川先生が熊本のオーディオ販売店に定期的に来られていた時に聴くことができた。
そのとき、もうひとつスピーカーがあった。JBLの4341だった。

このころすでに4341は製造中止になっていて4343に切り替って二年くらい経っていたはずなのに、
なぜか4341だった。
4341はすごいスピーカーだ、と感じた。
けれどその後に鳴らされたBCIIの音に惹かれた。

スピーカーシステムとしての性能の高さは、はっきりと4341が格段にBCIIよりも高い。
けれどどちらの音に惹かれるのか、といえば、BCIIとはっきりといえた。

BCIIも、このスピーカーをつくっているスペンドールも、BBCモニターの流れを汲んでいる。
つまり、この時がBBCモニターの音との出会いだった。

それから一年くらい経って聴いたBBCモニターはLS3/5Aだった。
その前にKEFのModel 105を聴いている。
この時代のKEFのスピーカーシステムも、私にとってはBBCモニター系列に属する音である。
ややきまじめすぎる印象はあるけれど。

ハーベスのMonitor HLも、しばらくして聴いた。
それからロジャースのPM510を聴いた。

BCIIからPM510を聴くまでに、他のスピーカーシステムも聴いてきた。
その中にはイギリスのスピーカーを代表する存在であるタンノイも含まれる。

同じイギリスのスピーカーであっても、BBCモニター系列の音とは違う。
私が惹かれるのは、この時代はBBCモニターの音であった。
BCII、Model 105、LS3/5A、Monitor HL、PM510、
その音を思い出すと(美化されているのだろうが)、グッドリプロダクションとはまさにこういう音であり、
いまも惹かれていることを感じてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=15219


BBCモニター、復権か(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=15222

ロジャースのPM510は、ピーエム・ファイヴ・テンと読む。
ピーエム・ゴーイチマルでもピーエム・ゴヒャクジュウでもない。

PM510に惚れ込んだ人に対しては、510(ファイヴ・テン)で通じる。

書いていて思い出した。
以前、PM510をことを話していたら、「ほんとうにファイヴ・テンっていうんですか」と言ってきた人がいる。
揚げ足を取りたい感じだった。
惚れ込んで買ったスピーカーの正しい呼称を間違えるはずがないし、勝手に読み方を考えたわけでもない。

PM510がステレオサウンドに登場したのは56号。
瀬川先生の文章によってだった。

PM510の音を、こう書き出されている。
     *
 PM510は、本誌試聴室と自宅との2ヵ所で聴くことができた。
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。たとえばJBLのモニターや、国産一般の、概して音をピシッと引緊めて、音像をシャープに、音の輪郭誌を鮮明に、隅から隅まで明らかにしてゆく最近の多くの作り方に馴染んだ耳には、最初緊りがないように(とくに低音が)きこえるかもしれない。正直のところ、私自身もこのところずっと、JBL♯4343の系統の音、それもマーク・レヴィンソン等でドライヴして、DL303やMC30を組み合わせた、クリアーでシャープな音に少々馴染みすぎていて、しばらくのあいだ、この音にピントを合わせるのにとまどった。
     *
音の傾向がBCIIのようなタイプとあったのが、うれしかった。
しかも「グンと格上げして品位とスケールを増した音」である。
BCIIの音に惚れ込みながらも、オーディオマニアとしてモノとしてのBCIIにのめり込めるかというと、
どこが不満というわけではないけれど、もの足りなさをおぼえてしまう。

だからこそPM510の登場と、瀬川先生の文章のこの部分に、待望のスピーカーシステムの誕生(登場)だと思った。

これはもう早く聴きたかった。
実際に聴けたのは一年くらいしてからだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15222


BBCモニター、復権か(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=15228

ロジャースのPM510を聴いたのは、オーディオフェアでの輸入元であったオーデックスのブースだった。
1981年のオーディオフェアは私にとって初めてのオーディオフェアであったし、
オーデックスのブースでは予定では瀬川先生がPM510を鳴らされる、ということになっていた。

オーディオ雑誌に掲載されていたオーディオフェアの予定表を見ながら、
これだけは絶対に聴き逃せない、と思い楽しみにしていた。
けれど直前に出たオーディオ雑誌に載っていた予定表からは、瀬川冬樹の名前が消えていた。
えっ? と思いつつも、以前の予定表と同じように、その日、その時刻にはPM510のデモが行なわれる。

結局、瀬川先生は来られなかった。
あとで知ることになるのだが、このときすでに入院されていた。

よくインターナショナルオーディオショウの条件はひどい、という人がいる。
出展社のスタッフにも来場者にもいる。
けれど、晴海で行なわれていたころのオーディオフェアの条件は、もっと厳しいものだった。

そんなところで音を聴いて、何がわかるの? という人もけっこう多い。
それでもわかることは、はっきりとある。
1981年のオーディオフェアのオーデックスのブースで、私はPM510を初めて聴いた。

いま思えばさほどでもなかったけれど、それでもステレオサウンド 56号に瀬川先生が書かれた音が、
少なくとも私には聴き取ることができた。

どんな条件で聴いても、自分にとって運命のスピーカーといえるモノであれば、すぐにわかる。
そのことを瀬川先生から聞いたことがある。

そういう存在のスピーカーがあることを感じとれるのが、直感であり、
スピーカー選びで大事なことは、この直感だけでしかない。

どんなに試聴環境を整えようと、自宅でいま鳴らしているスピーカーと時間をたっぷりかけて比較試聴しようと、
それで自分にとって正しいスピーカーが選べるとは限らない。
むしろ誤ってしまう可能性を自分で高めているだけなのかもしれない。

そうやって私はPM510を選んだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15228


BBCモニター、復権か(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=15230

1981年のオーディオフェアで、もうひとつよく憶えているのはエレクトリのブースだった。
マッキントッシュのXRT20が鳴っていた。菅野先生によるデモだった。
ブースに人がはいりきれないほどで、立って聴いていた。それでも窮屈な思いをしながら聴いた。

この年の6月に出たステレオサウンド 59号の新製品紹介のページで、
菅野先生がXRT20について書かれていた。
その数ヵ月後のオーディオフェアである。
衆目を集めるのは当然とはいえ、オーデックスのブースの人の入り具合がなんとなく悲しく思えた。

本来ならば瀬川先生が鳴らされるはずだったのが無理になったことも重なって、
これが人気のあるスピーカーとさほどでもないスピーカーの違いでもあるという現実だった。

BBCモニター系列のスピーカーシステムは、アメリカのスピーカーシステムからすれば、地味といえた。
それに物量投入という点でも、BBCモニターにはもの足りなさをおぼえていたことは、すでに書いた。
BBCモニターの音に惚れ込んでいる私でもそうなのだから、
BBCモニターの音に魅力を感じない人にとっては、よけいにもの足りなさとなるはず。

それに瀬川先生も書かれているように、クリアーでシャープな音、
いいかえれば最新の音の傾向に馴染んでしまっている耳に、
音のピントを会わせるのに時間が必要だったのかもしれない。

私はそのころは最新の音に馴染む機会はあまりなかったし、
スペンドールのBCIIの音が心のどこかに残っているくらいだったから、
条件的には決していいとはいえない環境で鳴っていたPM510の音に、ピントはすぐに合った。
というよりもとくに合わせる、という意識はなかった。

私には、PM510の音は異色などではなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15230


BBCモニター、復権か(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=15243

ロジャースのPM510を手離して、それからいくつかのスピーカーシステムを鳴らしたあと、
BBCモニタースピーカーの原点ともいってよいLS5/1を手に入れた。

まだインターネット・オークションはなかった時代だから、
オーディオ雑誌の巻末に載っている売買欄の「売ります」に、LS5/1が載っていた。

そこにはKEF LS5/1Aとあったが、実際にはLS5/1だった。
美品とあったけれど、お世辞にも美品とはいえなかった。
附属の専用アンプのオーバーホール済み(ACバランス、DCバランスともに調整済み)と書いてあったが、
中をみればわかるのだが、いったいどこを調整したの? といいたいくらい状態だった。

LS5/1とPM510の音の傾向はずいぶんと違うところがある。
それでも音が鳴った瞬間、いいなぁ、と反応してしまっていた。
改めてBBCモニターの音には惹かれてしまうことを再確認した。

これが1990年だった。
このころBBCモニターの新製品はまったく登場してこなくなっていた。
BBCの放送局で使用する性格のモノだけに、新製品が毎年登場するわけではない。
それはわかっていても、オーディオ雑誌の誌面にもほとんど登場していなかった、と記憶している。

イギリスのスピーカーといえば、タンノイがあったしB&W、ATCなどもあった。
B&WのスピーカーはタンノイよりもBBCモニターの方に近い、といえなくもないが、
同じとは決していえず、優秀なスピーカーという印象に、私の場合、留まってしまう。

もうBBCモニターの音、その流れを汲む音は忘れ去られてしまっているのか。
ますますそう感じるようになっていっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=15243


BBCモニター、復権か(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=15245

忘れ去られていく音(音の良さ)というのは、確かにある。
これについてはいずれ新たに項を立てて書いていきたいテーマである。
BBCモニターの音は忘れ去れていく音に入っていた。

スペンドール、ハーベスがあったことをわすれているわけではない。
だがハーベスもハーウッドからアラン・ショウに代替わりしてからのスピーカーシステムには、
私個人は惹かれなくなっていた。
HL Compact 7ES-3が出てくるまでのハーベスのスピーカーに関しては、そのせいもあって関心が薄かった。

スペンドールもスペンサー・ヒューズから息子のデレク・ヒューズの時代になり、
BCIIに匹敵する傑作が生まれなくなっていた。

この二社が輝いていれば、少しは状況は違っていたのか、というと、
必ずしもそうとはいえない、とも思う。
HL Compact 7ES-3はアラン・ショウのハーベスのスピーカーの中で、もっともいいスピーカーだが、
世評も良かったはずなのだが、BBCモニターの音に対する関心が高まってくるようなことはなかった、と感じている。

だがLS3/5Aに対する関心だけは違っていた。
LS3/5Aが再評価されるようになったのは、この10年くらいだろうか。
中古市場でも人気がある、ときいている。

でも、この現象はBBCモニターが、
というよりもLS3/5Aという特定のスピーカーシステムに対しての現象だと私は受けとっていた。

けれどどうも私が間違っていたようだ。
LS3/5Aだけでなく、LS3/6、LS5/9の復刻版が出ている。
LS3/6を作っているのは一社だけだが、LS3/5Aは三社、LS5/9は二社が作っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=15245


BBCモニター、復権か(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=15249

BBCのライセンスが与えられていることをあらわすLSナンバーのつくスピーカーシステム。
現在入手できるのは、ロジャース・ブランドのLS3/5A。
これには通常のヴァージョンの他に、65th Anniversary Editionもある。
それからLS5/9。こちらも型番の末尾に”65th Anniversary Edition”がつく。

ロジャースといっても、以前の体制とは違っていて、いまでは中国で製造されている、ときく。
とはいえ写真で見ても、販売店に並んでいるモノを見ても、少なくとも見た目の雰囲気は、
昔のロジャースのLS3/5Aそのものに感じられる。

同様に中国で生産されていると言われているのが、チャートウェル・ブランドのLS3/5Aだ。

これらとは異りイギリスで製造されているのが、
スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2とLS3/6。
それにグラハムオーディオのLS5/9である。

これらの中で、スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2の音は、
ハイエンドオーディオショウでたまたま入ったブースで鳴っていた。

LS3/5a V2の真横にもスピーカーシステムが置いてあったし、後にも複数のスピーカーシステムが並べてあったが、
鳴っていた音を聴いて、LS3/5a V2が鳴っていることはすぐにわかった。

これはきちんと聴いておきたいと思い、いちばん前の席がひとつ空いているのを見つけ坐った。
でもすぐにスピーカーが他の機種に切り替えられてしまった。

じっくりとは聴けなかった。一曲のみである。
しかも聴いたことのディスクではあった。

ただ音量が少しばかりLS3/5aには大きすぎていた。
女性ヴォーカルのCDだったが、そこでの張った声がヒステリックになりかけていた。
あきらかにLS3/5aというスピーカーに要求する音量をこえたところで鳴らしているからである。
http://audiosharing.com/blog/?p=15249

BBCモニター、復権か(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=15254

LS3/5Aはもともと大きな音で鳴らせるスピーカーではなかった。
ウーファーは10cm口径。
昔のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEを見れば、
このユニット(B110)はウーファーのところではなくスコーカーのところに掲載されている。

しかも以前はアナログディスクで鳴らされることがもっぱらだった。
低域共振の問題をうまく処理しておかなければLS3/5Aのようなスピーカーを鳴らすのは難しい。
ウーファーが余計な信号で揺すられてしまえば、そのだけパワーは入れられなくなる。

CDにはそういった問題はなかった。
低域共振の問題から解放されたLS3/5Aは、意外にもパワーが入れられる。
そうなるとLS3/5Aのセッティングも、以前とは違ったものになってきた。

LS3/5Aを持っている人は割と多い。
そういうところで何度か聴いている。
私がそうやって聴いたLS3/5Aの持主はメインスピーカーは別にもっていて、
あくまでもLS3/5Aはサブ的な使い方(鳴らし方)だった。

ただ皆2mから3mくらい離れたところに置いて鳴らしていた。
そうやって鳴らされるLS3/5Aの音を聴くたびに、
この人もLS3/5Aはいいスピーカーだ、といっているけれど、
私が感じている良さとこの人が感じている良さは、かなり違うようだ、と思っていた。

CDのおかげでパワーの心配をする必要はなくなったけれど、
それでもLS3/5Aはぐっと近づいて聴いてこそ魅力的な世界を展開してくれる。
私が理想とするLS3/5Aのセッティングは一辺が1mの正三角形の頂点にスピーカーと聴き手の頭がくる配置である。

ここまで近づいた時にLS3/5Aの音はある種の密度の高さがあり、
このスピーカーがなぜこれほど高い評価を得てきたのかが瞬時に理解できるはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15254


BBCモニター、復権か(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=15260

ハイエンドオーディオショウでLS3/5Aでの鳴らし方、
個人宅でのいくつかのLS3/5Aの鳴らし方、
これらを聴くたびに、私がBBCモニターに感じている良さは違うだけでなく、
個人的なところにつよく関係している良さであることを確認していたように思う。

BBCモニターは万能なスピーカーシステムでは決してない。
欠点も少なくない。
なのに、私の場合、これまで挙げてきたBBCモニターで聴くと、ほとんどストレスを感じない。

ジャズを眼前に鳴っているようには絶対に鳴らないスピーカーである。
PM510はジャズ好きの人が「低音がぶよぶよじゃないか」といっているくらいだから、
強烈な音のエネルギーを浴びるような聴き方にはまったく向いていない。

それではジャズがまったく聴けないのか、というと、そうでもない。
確かに眼前で鳴っている感じはしないし、強い衝撃的な音でもPM510はそのまま出してくることはない。

その意味で不満を感じる人がいるけれど、
そういった音を直接的に表現しないだけで、
聴き手には、いま鳴っている音はその種の音だということは伝えてくれる。
だから、私はPM510でもジャズを聴いていける。

このことにストレスを感じてしまう人もいれば、
私のようにストレスを感じることなく聴ける人もいる。
多くを要求しようとするとBBCモニターのスピーカーには不満が少しずつ生じてくることだろう。

それでも人は多くを求めたくなる。
私だってそうである。
PM510は一本440000円した。

このときJBLの4343はフェライト仕様のBタイプになり、価格も変った。
サテングレー仕上げが720000円、ウォールナット仕上げが730000円(その後600000円、630000円になる)、
アルニコ仕様の4343は、その半年前までは560000円と580000円だった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15260


BBCモニター、復権か(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=15262

JBLの4343が一本560000円だった時期とPM510の登場には半年ほどの間があるというものの、
ほぼ同価格帯のスピーカーシステムとして見られていたことだろう。
そうなると、4343は15インチ・ウーファー、10インチ・ミッドバス、ホーン型のミッドハイとトゥイーター、
しかもマグネットはすべてアルニコ。
PM510は12インチ・ウーファーとソフトドーム型トゥイーター。マグネットはフェライト。
こんなふうに書いてしまうと、4343とPM510はスピーカーとしてのポテンシャルに大きな違いあるように感じる。

実際に大きな違いがあった。
ステレオサウンド 56号の組合せの特集で、瀬川先生がこう書かれている。
     *
 だが、ここにもっと欲ばった要求をしてみる。クラシックも好き、ジャズやロックも気が向けばよく聴く。ニューミュージックも、ときに艶歌も聴く。たまにはストリングス・ムードなどのイージー・リスニングも……。そういう聴き方だから、レコードの録音も新旧、内外、多岐に亘り、しかも再生するときの音量も、深夜はひっそりと、またあるときは目の前でピアノやドラムスが直接鳴るのを聴くような音量まで要求する──としたら?
 これは決して架空の設定ではない。私自身がそうだし、音楽を妙に差別しないで本当に好きで楽しむ人なら、そう特殊な要求とはいえない。だとしたら、どういうスピーカーがあるのか。
 再生能力の可能性の、こんにち考えられる範囲でできるだけ広いスピーカーを選ぶしかない。となると、これが最上ではないが、といってこれ以外に具体的に何があるかと考えてみると、結局、これしかないという意味で、やはりJBL♯4343あたりに落ちつくのではないだろうか。
     *
音とは正直な面があり、広範囲の要求をすれば、
PM510よりも4343に可能性がある、といえる。

PM510よりもすべての点で4343が優っているわけではなくとも、
瀬川先生も書かれているように「再生能力の可能性」ということでは、はっきりとした違いがある。

このことを承知のうえで、私はPM510を買った。
4343も欲しかったスピーカーである。

瀬川先生はKEFのLS5/1AとJBLの4341(のちに4343にされている)を鳴らされていた。
これを目標としていた。
どちらを先に手に入れるか。
迷うことなくPM510だった。

なぜか。
4343よりもPM510のほうが、私ひとりのために鳴ってくれる実感を強く感じたからだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15262


Date: 2月 18th, 2015
BBCモニター、復権か(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=16362

菅野先生が、ステレオサウンド 70号の特集の座談会でいわれたことを、いまも思い出す。
特集はComponents of the yearで、ダイヤトーンのDS1000が選ばれていて、
このスピーカーについての座談会で発言されている。

《スピーカーというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

未完成であるけれど、ゆえに完結していくこることが求められるオーディオ機器が、
スピーカーシステムであることは、
歳を重ね、さまざまなスピーカーシステムを聴き、
スピーカーの進歩というものにふれていると、つよく実感できる。

ロジャースのPM510は未完成なスピーカーシステムだった。
けれど、PM510よりも完成度の高いほかのスピーカーシステムよりも、完結していた。

このことはLS3/5Aについてもいえる。
当時のLS3/5Aは、こまごまとした欠点を抱えているスピーカーではあったが、
ある条件下での完結した音の世界は確実にもっていたスピーカーであった。

そのことがひとりの聴き手のために親密に鳴ってくれる感じを醸し出していたのかもしれない。

昨秋のオーディオショウで聴いたスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は、
その点で疑問を感じている。
広いスペースでの鳴らし方ということもあったし、じっくり聴けたわけでもなかったので、
はっきりしたことはなんともいえないのだが、音色的にはLS3/5Aと感じても、
30年以上前に聴いて、購入したLS3/5Aに感じた良さはかなり薄れてしまっているかのようだった。

スピーカーとしての完成度はスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は高くなっているのかもしれない。
けれど完結しているということに関しては、いまのところなんともいえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16362


BBCモニター、復権か(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=16368

スピーカーの完成度は高くなり、完結しているのが理想ではある。
けれど完成度を高くすることを目指しているうちに、完結することを忘れてしまったスピーカーもある。

そういうスピーカーシステムのつくり手は、もしかすると完結していることを目指していないのかもしれない。
私は完成度の高さとともに完結していることをスピーカーに求めているけれど、
すべてのつくり手がスピーカーを完結させようとしているとは限らないし、
また受け手(鳴らし手)においても、私と同じように完結していることを求めている人もいれば、
ひたすら完成度の高さのみを求める人もいよう。

だから完成度が高く完結していることを理想とするのは、必ずしも一般的な理想とはいえないのかもしれない。
どちらが正しいということではなく、完結であることを求める人とそうでない人とでは、
スピーカーの評価も違ってくる。

BBCモニターは、いうまでもなくモニタースピーカーとして開発されたモノだ。
モニタースピーカーをどう定義するのかについて、ここで書いていくと、
いつまでも先に進めなくなるので割愛するが、
モニタースピーカーに完結していることは求められるのか。

私がこれまでに聴いてきたBBCモニターに感じてきた完結している良さは、
つくり手が意識していたことなのか、それとも聴き手(つまり私)の勝手な解釈にすぎないのか。

LS3/5A、LS3/6、LS5/9と復刻が続いているBBCモニターをじっくりと聴く機会はないものの、
なんとなく感じているのは、このことである。
なんとなくでしかないのだが、完結しているかどうかに関してのつくり手側の意識はないか、
稀薄になってしまったかのように感じてしまっている。

そこで、BBCモニター、復権か、と考えてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16368


BBCモニター、復権か(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=16370

株、為替といったものは変動することで利益が生れる。
安定してしまっていたら、これらで利益を得ることはできないのではないだろうか。
そう考えると、いまの資本主義においては、変動こそが利益なのかもしれない、と思ってしまう。

だからそれぞれの業界は変動を必要とする。そうも思えてしまう。
ブームがあるのもそのためではないのか。

私はBBCモニターへの思い入れが強い。
BBCモニターが最高のかたちで復刻されるのは嬉しいし、
さらには新しいBBCモニターが開発されること(おそらくないだろうが)も望んでいる。

そうであるから、昨今のBBCモニターの復刻を好意的にみていきたい、という気持は強い。
それでも、復刻が続いている理由のひとつは、
BBCがライセンス料で稼ぎたいということが大きく絡んでいるような気がするのだ。

BBCモニターのLSナンバーを型番に使うには、BBCにライセンス料を収めなくてはならない。
だから当時は、同クラスのスピーカーシステムよりも、
LSナンバーがつくスピーカーは高価だった。
これはいまもそうだと思う。

もしかすると、いまはライセンス料が撤廃されているのかもしれない。
だとしても、最近のBBCモニターの復刻は、こういう世の中で利益を得るための変動要素なのではないか。
そう思えてしまうところがある。

そんなことはない、と払拭しようとしても、そう思える。
これは何もBBCモニターに関してだけではない、
アナログディスクのブームにも、同じような臭いを感じてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16370


Date: 1月 14th, 2017
BBCモニター、復権か(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=21881

(その17)で、BBCモニターのライセンス料について触れた。
そのことがあるから、素直にBBCモニター、復権、とは言い切れないもどかしさがつきまとう。

勘ぐりすぎの可能性もわかっている。
ライセンス料はすでになくなっている可能性も十分あるが、
BBCの経営状況に関する記事を数年前に読んでいるから、そう思えないところが残ってしまう。

BBCモニターの新形がまだ登場していた時代、
BBCモニターとしてのヘッドフォンはないのだろうか、と思ったことがある。

小型モニター、可搬型モニターとしてのLS3/5Aの存在があったにしても、
ヘッドフォンをBBCではまったく使っていなかったのだろうか。

使っていたとしても、簡単なチェックのみで、音質にはこだわっていなかったのか。
それとも既製品のヘッドフォンで優秀なモノを選定して使っていたのだろうか。

少なくともBBCモニターとしてのヘッドフォンの存在はなかったようだ。

BBCモニターとしてのスピーカーシステムには、
loudspeakerの略であるLSから始まる型番がつけられている。
アンプの型番はAMで始まる(amplifierの略だ)。

ならばヘッドフォン(headphone)だから、HPで始まるモニターとしてのヘッドフォンはなかったのか。

ここでふと考えるのは、いまはヘッドフォンがブームである。
となると、BBCモニターを謳うヘッドフォンが登場してくるかもしれない。

もしBBCモニター・ヘッドフォンなるものが登場したら、
やはりライセンス料がいまも……、ということにつながっていく。
http://audiosharing.com/blog/?p=21881


Date: 3月 6th, 2017
BBCモニター、復権か(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=22259

いまタンノイのLegacy Seriesのことを書いている。あと少し書く予定である。
書いていて、そうだ、タンノイもBBCモニターもイギリスのスピーカーであることを思い出した。

タンノイはひとつの会社であり、BBCモニターはいくつかの会社であり、
会社の規模はタンノイの方が、いまも昔もBBCモニターをつくっている会社よりも大きい。

同一視できないところがいくつもあるのはわかっていても、
なぜ、いまイギリスで1970年代後半から1980年代前半ごろのスピーカーシステムが復刻されているのか。

単なる偶然なのだろうと思う。
それぞれの思惑が偶然重なっただけなのだろう、と思いつつも、
1970年代後半からオーディオに入ってきた者にとっては、
この時代のスピーカーに対する思い入れは、他の時代よりも強いところがどうしてもある。

これはバイアスでもある。
そういうバイアスが私にはかかっているから、と思いつつも、
やはり、なぜ? と考える。

そしてセレッションは?、とも思う。
セレッションからDittonシリーズが登場してきたら……、と考えている。

ここまで書いてきて、もうひとつあったことに思い出す。
ヴァイタヴォックスがそうだ。

ヴァイタヴォックスは、もう少し前の時代のスピーカーではあるが、
ユニットもエンクロージュアも復刻されている。

ムーブメントといえるのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=22259



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html#c4

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
125. 中川隆[-5684] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:47:26 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[26]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か

Date: 10月 30th, 2014
BBCモニター、復権か(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=15192

LSナンバーをもつ、いわゆるBBCモニターが商品化、市販されるようになったのは1970年代からである。
LS3/5Aは最初はロジャース製だけだったが、
チャートウェル、ハーベス、KEF、オーディオマスターからもLS3/5Aが登場した。
これがBBCモニターの全盛だったようだ。

LSナンバーのBBCモニターは、LS5/9を最後に途絶えてしまった。
BBCモニター、BBCモニターの流れを汲むスピーカーシステムに惹かれてきた私は、寂しい思いをしていた。

LS3/5Aはいまでも人気である。
けれど日本ではBBCモニターの人気が高かった、とは思えない。
むしろ低い。

瀬川先生も嘆かれていた。
私の手元には瀬川先生のメモがある。
その中にロジャースのPM510について書かれたものがある。
三年前にも書いているが、もう一度書いておく。
     *
◎どうしてもっと話題にならないのだろう、と、ふしぎに思う製品がある。最近の例でいえばPM510。
◎くいものや、その他にたとえたほうが色がつく
◎だが、これほど良いスピーカーは、JBLの♯4343みたいに、向う三軒両隣まで普及しない方が、PM510をほんとうに愛する人間には嬉しくもある。だから、このスピーカーの良さを、あんまりしられたくないという気持もある。

◎JBLの♯4345を借りて聴きはじめている。♯4343よりすごーく改良されている(その理由を長々と書く)けれど、そうしてまた2歩も3歩も完成に近づいたJBLを聴きふけってゆくにつれて、改めて、JBLでは(そしてアメリカのスピーカーでは)絶対に鳴らせない音味というものがあることを思い知らされる。
◎そこに思い至って、若さの中で改めて、Rogers PM510を、心から「欲しい」と思いはじめた。
◎いうまでもなく510の原形はLS5/8、その原形のLS5/1Aは持っている。宝ものとして大切に聴いている。それにもかかわらずPM510を「欲しい!!」と思わせるものは、一体、何か?

◎前歴が刻まれる!
     *
一部、判読困難な文字がいくつかあり、数カ所、書き間違えているかもしれないが、
瀬川先生がPM510をどう思われていたのか、そして日本でのPM510の評価も知ることはできる。

私もPM510には惚れ込んだ、だから、このスピーカーシステムも相当に無理して買った。
http://audiosharing.com/blog/?p=15192


BBCモニター、復権か(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=15197

ロジャースのPM510はいいスピーカーだ。
けれど改良型にあたるPM510IIは、少しもいいとは思えなかった。

PM510の低音はぶよぶよじゃないか、という人たちは、PM510IIの方がずっといい、といっていた。
だが締っている低音が優れた低音ではないし、表現力豊かな低音でもない。
私が聴きたい音楽にとって、PM510の低音は不満となることはなかった。

PM510IIは中途半端に感じてしまう。
PM510の良さが、もう感じられなかった。

PM510IIが、他のスピーカーシステムの改良型であれば、もう少し認めることもできると思うのだが、
惚れ込んだスピーカーシステムの改良型として登場して、
惚れ込んだ男に愛想をつかしてしまう出来のモノを認めることはできない。

今年二月に、ある人のリスニングルームを訪れた。
メインのスピーカーシステムはアメリカ製のモノ。
だが部屋の片隅にPM510が置いてあった。
PM510IIではなく、PM510である。

こればかりは手離せない、ということだった。
その気持はよくわかる。

瀬川先生が《心から「欲しい」》と思われたスピーカーシステムとしての良さは、
PM510にあり、PM510IIにはないと言い切れる。
http://audiosharing.com/blog/?p=15197


BBCモニター、復権か(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=15199

PM510をいいスピーカーと認めている人は確かに少ない。
それでもいいじゃないか、と思うのだが、
PM510をいいスピーカーとしながらも、PM510IIを改良型として高く評価している人をみると、
この人が感じているPM510の良さと私が感じているPM510の良さは違っているんだな、と思ってしまう。

PM510はロジャースのLS5/8の内蔵ネットワーク版である。
LS5/8は型番が示すようにBBCモニターであり、
QUADのパワーアンプ405にデヴァイディングネットワークを内蔵しバイアンプ駆動するというシステム。
ユニット構成、エンクロージュアはLS5/8、PM510は同じである。

このLS5/8はロジャース(スイストーン)が買収した会社チャートウェルが開発したモノだ。
チャートウェル時代の型番はPM450E(LS5/8)、PM450(PM510)だった。
もちろんチャートウェルのLS5/8も存在している。

ロジャース製とチャートウェル製は、若干音のニュアンスが違う、といわれている。
そうだろう。
同じ規格で作られているLS3/5Aが、各社、音のニュアンスが微妙に違うのと同じである。
チャートウェル製も聴きたいという気持はあるけれど、
ロジャースのPM510に惚れ込んでいたのだから、
どちらがいいのかを判断するようなことは、いまではどうでもよくなっている。

ロジャースからはLS5/8に続いて、中型モニターのLS5/9が登場する。
ちょうどステレオサウンドにいたころだった。
聴く機会は何度もあった。

でもLS5/8とLS3/5Aの間に位置するサイズ。
このサイズにした理由をついあれこれ考えてしまうくらいに、
私には中途半端な大きさに思えたし、そうなると出て来た音もなんとなくそう感じられてしまう。

でもPM510の低音をぶよぶよじゃないか、という人はLS5/9の方を高く評価していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=15199


BBCモニター、復権か(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=15203

1983年にステレオサウンドからTHE BRITISH SOUNDという別冊が出た。
この本に岡先生によるBBCモニター物語という記事がある。
この中で、岡先生が書かれている。
《BBCモニターのことを書くべき最適任者は、故瀬川冬樹さんだったと思う》と。
BBCモニターに関心のある人の多く(すべてといっていい)が、首肯いたことだろう。

瀬川先生によるBBCモニター物語、
きっと瀬川先生自身も書きたいと思われていただろうだけに、
読みたかった……、という気持は募る。

岡先生はBBCモニター物語を書くにあたり、
ステレオサウンド編集部から、瀬川先生が渡英の際に入手されたいくつかの資料を借覧されている。

その瀬川資料の中に、BBCモニターの型番のクラシフィケーションの説明があり、
その資料を元に岡先生がLSナンバーの区分について書かれている。
     *
●LS1/ アッセンブルされたラウドスピーカーで、用途は種主あるが主力にはなっていない(現用正式モデルではない)。
●LS2/ シャーシ・ユニットのみのもの。
●LS3/ アッセンブルされたスピーカー(主として外録その他に使用される。可搬性をもつ小型のもの)。
●LS5/ アッセンブルされたスピーカー(スタジオ用)。
 将来は、LS1/、LS2/、LS5/のクラシフィケーションを用いることになり、外録用のLS3/シリーズもLS5/のコード番号のなかに組み込まれることになる、という注記がある。
     *
LS5/9は20cm口径のウーファーとソフトドーム型トゥイーター、
エンクロージュアの外形寸法はW36.0×H55.0×D36.0cm。
本来ならばLS3/8という型番がついても不思議ではないし、
むしろ、その方が、このスピーカーシステムの性格をはっきりとさせると思うのだが、
岡先生が書かれているとおり、LS3/シリーズはLS5/シリーズに組み込まれたことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=15203


BBCモニター、復権か(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=15219

こういう音が好きなんだ、と実感した最初のスピーカーシステムは、スペンドールのBCIIだった。
瀬川先生が熊本のオーディオ販売店に定期的に来られていた時に聴くことができた。
そのとき、もうひとつスピーカーがあった。JBLの4341だった。

このころすでに4341は製造中止になっていて4343に切り替って二年くらい経っていたはずなのに、
なぜか4341だった。
4341はすごいスピーカーだ、と感じた。
けれどその後に鳴らされたBCIIの音に惹かれた。

スピーカーシステムとしての性能の高さは、はっきりと4341が格段にBCIIよりも高い。
けれどどちらの音に惹かれるのか、といえば、BCIIとはっきりといえた。

BCIIも、このスピーカーをつくっているスペンドールも、BBCモニターの流れを汲んでいる。
つまり、この時がBBCモニターの音との出会いだった。

それから一年くらい経って聴いたBBCモニターはLS3/5Aだった。
その前にKEFのModel 105を聴いている。
この時代のKEFのスピーカーシステムも、私にとってはBBCモニター系列に属する音である。
ややきまじめすぎる印象はあるけれど。

ハーベスのMonitor HLも、しばらくして聴いた。
それからロジャースのPM510を聴いた。

BCIIからPM510を聴くまでに、他のスピーカーシステムも聴いてきた。
その中にはイギリスのスピーカーを代表する存在であるタンノイも含まれる。

同じイギリスのスピーカーであっても、BBCモニター系列の音とは違う。
私が惹かれるのは、この時代はBBCモニターの音であった。
BCII、Model 105、LS3/5A、Monitor HL、PM510、
その音を思い出すと(美化されているのだろうが)、グッドリプロダクションとはまさにこういう音であり、
いまも惹かれていることを感じてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=15219


BBCモニター、復権か(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=15222

ロジャースのPM510は、ピーエム・ファイヴ・テンと読む。
ピーエム・ゴーイチマルでもピーエム・ゴヒャクジュウでもない。

PM510に惚れ込んだ人に対しては、510(ファイヴ・テン)で通じる。

書いていて思い出した。
以前、PM510をことを話していたら、「ほんとうにファイヴ・テンっていうんですか」と言ってきた人がいる。
揚げ足を取りたい感じだった。
惚れ込んで買ったスピーカーの正しい呼称を間違えるはずがないし、勝手に読み方を考えたわけでもない。

PM510がステレオサウンドに登場したのは56号。
瀬川先生の文章によってだった。

PM510の音を、こう書き出されている。
     *
 PM510は、本誌試聴室と自宅との2ヵ所で聴くことができた。
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。たとえばJBLのモニターや、国産一般の、概して音をピシッと引緊めて、音像をシャープに、音の輪郭誌を鮮明に、隅から隅まで明らかにしてゆく最近の多くの作り方に馴染んだ耳には、最初緊りがないように(とくに低音が)きこえるかもしれない。正直のところ、私自身もこのところずっと、JBL♯4343の系統の音、それもマーク・レヴィンソン等でドライヴして、DL303やMC30を組み合わせた、クリアーでシャープな音に少々馴染みすぎていて、しばらくのあいだ、この音にピントを合わせるのにとまどった。
     *
音の傾向がBCIIのようなタイプとあったのが、うれしかった。
しかも「グンと格上げして品位とスケールを増した音」である。
BCIIの音に惚れ込みながらも、オーディオマニアとしてモノとしてのBCIIにのめり込めるかというと、
どこが不満というわけではないけれど、もの足りなさをおぼえてしまう。

だからこそPM510の登場と、瀬川先生の文章のこの部分に、待望のスピーカーシステムの誕生(登場)だと思った。

これはもう早く聴きたかった。
実際に聴けたのは一年くらいしてからだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15222


BBCモニター、復権か(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=15228

ロジャースのPM510を聴いたのは、オーディオフェアでの輸入元であったオーデックスのブースだった。
1981年のオーディオフェアは私にとって初めてのオーディオフェアであったし、
オーデックスのブースでは予定では瀬川先生がPM510を鳴らされる、ということになっていた。

オーディオ雑誌に掲載されていたオーディオフェアの予定表を見ながら、
これだけは絶対に聴き逃せない、と思い楽しみにしていた。
けれど直前に出たオーディオ雑誌に載っていた予定表からは、瀬川冬樹の名前が消えていた。
えっ? と思いつつも、以前の予定表と同じように、その日、その時刻にはPM510のデモが行なわれる。

結局、瀬川先生は来られなかった。
あとで知ることになるのだが、このときすでに入院されていた。

よくインターナショナルオーディオショウの条件はひどい、という人がいる。
出展社のスタッフにも来場者にもいる。
けれど、晴海で行なわれていたころのオーディオフェアの条件は、もっと厳しいものだった。

そんなところで音を聴いて、何がわかるの? という人もけっこう多い。
それでもわかることは、はっきりとある。
1981年のオーディオフェアのオーデックスのブースで、私はPM510を初めて聴いた。

いま思えばさほどでもなかったけれど、それでもステレオサウンド 56号に瀬川先生が書かれた音が、
少なくとも私には聴き取ることができた。

どんな条件で聴いても、自分にとって運命のスピーカーといえるモノであれば、すぐにわかる。
そのことを瀬川先生から聞いたことがある。

そういう存在のスピーカーがあることを感じとれるのが、直感であり、
スピーカー選びで大事なことは、この直感だけでしかない。

どんなに試聴環境を整えようと、自宅でいま鳴らしているスピーカーと時間をたっぷりかけて比較試聴しようと、
それで自分にとって正しいスピーカーが選べるとは限らない。
むしろ誤ってしまう可能性を自分で高めているだけなのかもしれない。

そうやって私はPM510を選んだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15228


BBCモニター、復権か(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=15230

1981年のオーディオフェアで、もうひとつよく憶えているのはエレクトリのブースだった。
マッキントッシュのXRT20が鳴っていた。菅野先生によるデモだった。
ブースに人がはいりきれないほどで、立って聴いていた。それでも窮屈な思いをしながら聴いた。

この年の6月に出たステレオサウンド 59号の新製品紹介のページで、
菅野先生がXRT20について書かれていた。
その数ヵ月後のオーディオフェアである。
衆目を集めるのは当然とはいえ、オーデックスのブースの人の入り具合がなんとなく悲しく思えた。

本来ならば瀬川先生が鳴らされるはずだったのが無理になったことも重なって、
これが人気のあるスピーカーとさほどでもないスピーカーの違いでもあるという現実だった。

BBCモニター系列のスピーカーシステムは、アメリカのスピーカーシステムからすれば、地味といえた。
それに物量投入という点でも、BBCモニターにはもの足りなさをおぼえていたことは、すでに書いた。
BBCモニターの音に惚れ込んでいる私でもそうなのだから、
BBCモニターの音に魅力を感じない人にとっては、よけいにもの足りなさとなるはず。

それに瀬川先生も書かれているように、クリアーでシャープな音、
いいかえれば最新の音の傾向に馴染んでしまっている耳に、
音のピントを会わせるのに時間が必要だったのかもしれない。

私はそのころは最新の音に馴染む機会はあまりなかったし、
スペンドールのBCIIの音が心のどこかに残っているくらいだったから、
条件的には決していいとはいえない環境で鳴っていたPM510の音に、ピントはすぐに合った。
というよりもとくに合わせる、という意識はなかった。

私には、PM510の音は異色などではなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15230


BBCモニター、復権か(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=15243

ロジャースのPM510を手離して、それからいくつかのスピーカーシステムを鳴らしたあと、
BBCモニタースピーカーの原点ともいってよいLS5/1を手に入れた。

まだインターネット・オークションはなかった時代だから、
オーディオ雑誌の巻末に載っている売買欄の「売ります」に、LS5/1が載っていた。

そこにはKEF LS5/1Aとあったが、実際にはLS5/1だった。
美品とあったけれど、お世辞にも美品とはいえなかった。
附属の専用アンプのオーバーホール済み(ACバランス、DCバランスともに調整済み)と書いてあったが、
中をみればわかるのだが、いったいどこを調整したの? といいたいくらい状態だった。

LS5/1とPM510の音の傾向はずいぶんと違うところがある。
それでも音が鳴った瞬間、いいなぁ、と反応してしまっていた。
改めてBBCモニターの音には惹かれてしまうことを再確認した。

これが1990年だった。
このころBBCモニターの新製品はまったく登場してこなくなっていた。
BBCの放送局で使用する性格のモノだけに、新製品が毎年登場するわけではない。
それはわかっていても、オーディオ雑誌の誌面にもほとんど登場していなかった、と記憶している。

イギリスのスピーカーといえば、タンノイがあったしB&W、ATCなどもあった。
B&WのスピーカーはタンノイよりもBBCモニターの方に近い、といえなくもないが、
同じとは決していえず、優秀なスピーカーという印象に、私の場合、留まってしまう。

もうBBCモニターの音、その流れを汲む音は忘れ去られてしまっているのか。
ますますそう感じるようになっていっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=15243


BBCモニター、復権か(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=15245

忘れ去られていく音(音の良さ)というのは、確かにある。
これについてはいずれ新たに項を立てて書いていきたいテーマである。
BBCモニターの音は忘れ去れていく音に入っていた。

スペンドール、ハーベスがあったことをわすれているわけではない。
だがハーベスもハーウッドからアラン・ショウに代替わりしてからのスピーカーシステムには、
私個人は惹かれなくなっていた。
HL Compact 7ES-3が出てくるまでのハーベスのスピーカーに関しては、そのせいもあって関心が薄かった。

スペンドールもスペンサー・ヒューズから息子のデレク・ヒューズの時代になり、
BCIIに匹敵する傑作が生まれなくなっていた。

この二社が輝いていれば、少しは状況は違っていたのか、というと、
必ずしもそうとはいえない、とも思う。
HL Compact 7ES-3はアラン・ショウのハーベスのスピーカーの中で、もっともいいスピーカーだが、
世評も良かったはずなのだが、BBCモニターの音に対する関心が高まってくるようなことはなかった、と感じている。

だがLS3/5Aに対する関心だけは違っていた。
LS3/5Aが再評価されるようになったのは、この10年くらいだろうか。
中古市場でも人気がある、ときいている。

でも、この現象はBBCモニターが、
というよりもLS3/5Aという特定のスピーカーシステムに対しての現象だと私は受けとっていた。

けれどどうも私が間違っていたようだ。
LS3/5Aだけでなく、LS3/6、LS5/9の復刻版が出ている。
LS3/6を作っているのは一社だけだが、LS3/5Aは三社、LS5/9は二社が作っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=15245


BBCモニター、復権か(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=15249

BBCのライセンスが与えられていることをあらわすLSナンバーのつくスピーカーシステム。
現在入手できるのは、ロジャース・ブランドのLS3/5A。
これには通常のヴァージョンの他に、65th Anniversary Editionもある。
それからLS5/9。こちらも型番の末尾に”65th Anniversary Edition”がつく。

ロジャースといっても、以前の体制とは違っていて、いまでは中国で製造されている、ときく。
とはいえ写真で見ても、販売店に並んでいるモノを見ても、少なくとも見た目の雰囲気は、
昔のロジャースのLS3/5Aそのものに感じられる。

同様に中国で生産されていると言われているのが、チャートウェル・ブランドのLS3/5Aだ。

これらとは異りイギリスで製造されているのが、
スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2とLS3/6。
それにグラハムオーディオのLS5/9である。

これらの中で、スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2の音は、
ハイエンドオーディオショウでたまたま入ったブースで鳴っていた。

LS3/5a V2の真横にもスピーカーシステムが置いてあったし、後にも複数のスピーカーシステムが並べてあったが、
鳴っていた音を聴いて、LS3/5a V2が鳴っていることはすぐにわかった。

これはきちんと聴いておきたいと思い、いちばん前の席がひとつ空いているのを見つけ坐った。
でもすぐにスピーカーが他の機種に切り替えられてしまった。

じっくりとは聴けなかった。一曲のみである。
しかも聴いたことのディスクではあった。

ただ音量が少しばかりLS3/5aには大きすぎていた。
女性ヴォーカルのCDだったが、そこでの張った声がヒステリックになりかけていた。
あきらかにLS3/5aというスピーカーに要求する音量をこえたところで鳴らしているからである。
http://audiosharing.com/blog/?p=15249

BBCモニター、復権か(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=15254

LS3/5Aはもともと大きな音で鳴らせるスピーカーではなかった。
ウーファーは10cm口径。
昔のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEを見れば、
このユニット(B110)はウーファーのところではなくスコーカーのところに掲載されている。

しかも以前はアナログディスクで鳴らされることがもっぱらだった。
低域共振の問題をうまく処理しておかなければLS3/5Aのようなスピーカーを鳴らすのは難しい。
ウーファーが余計な信号で揺すられてしまえば、そのだけパワーは入れられなくなる。

CDにはそういった問題はなかった。
低域共振の問題から解放されたLS3/5Aは、意外にもパワーが入れられる。
そうなるとLS3/5Aのセッティングも、以前とは違ったものになってきた。

LS3/5Aを持っている人は割と多い。
そういうところで何度か聴いている。
私がそうやって聴いたLS3/5Aの持主はメインスピーカーは別にもっていて、
あくまでもLS3/5Aはサブ的な使い方(鳴らし方)だった。

ただ皆2mから3mくらい離れたところに置いて鳴らしていた。
そうやって鳴らされるLS3/5Aの音を聴くたびに、
この人もLS3/5Aはいいスピーカーだ、といっているけれど、
私が感じている良さとこの人が感じている良さは、かなり違うようだ、と思っていた。

CDのおかげでパワーの心配をする必要はなくなったけれど、
それでもLS3/5Aはぐっと近づいて聴いてこそ魅力的な世界を展開してくれる。
私が理想とするLS3/5Aのセッティングは一辺が1mの正三角形の頂点にスピーカーと聴き手の頭がくる配置である。

ここまで近づいた時にLS3/5Aの音はある種の密度の高さがあり、
このスピーカーがなぜこれほど高い評価を得てきたのかが瞬時に理解できるはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15254


BBCモニター、復権か(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=15260

ハイエンドオーディオショウでLS3/5Aでの鳴らし方、
個人宅でのいくつかのLS3/5Aの鳴らし方、
これらを聴くたびに、私がBBCモニターに感じている良さは違うだけでなく、
個人的なところにつよく関係している良さであることを確認していたように思う。

BBCモニターは万能なスピーカーシステムでは決してない。
欠点も少なくない。
なのに、私の場合、これまで挙げてきたBBCモニターで聴くと、ほとんどストレスを感じない。

ジャズを眼前に鳴っているようには絶対に鳴らないスピーカーである。
PM510はジャズ好きの人が「低音がぶよぶよじゃないか」といっているくらいだから、
強烈な音のエネルギーを浴びるような聴き方にはまったく向いていない。

それではジャズがまったく聴けないのか、というと、そうでもない。
確かに眼前で鳴っている感じはしないし、強い衝撃的な音でもPM510はそのまま出してくることはない。

その意味で不満を感じる人がいるけれど、
そういった音を直接的に表現しないだけで、
聴き手には、いま鳴っている音はその種の音だということは伝えてくれる。
だから、私はPM510でもジャズを聴いていける。

このことにストレスを感じてしまう人もいれば、
私のようにストレスを感じることなく聴ける人もいる。
多くを要求しようとするとBBCモニターのスピーカーには不満が少しずつ生じてくることだろう。

それでも人は多くを求めたくなる。
私だってそうである。
PM510は一本440000円した。

このときJBLの4343はフェライト仕様のBタイプになり、価格も変った。
サテングレー仕上げが720000円、ウォールナット仕上げが730000円(その後600000円、630000円になる)、
アルニコ仕様の4343は、その半年前までは560000円と580000円だった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15260


BBCモニター、復権か(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=15262

JBLの4343が一本560000円だった時期とPM510の登場には半年ほどの間があるというものの、
ほぼ同価格帯のスピーカーシステムとして見られていたことだろう。
そうなると、4343は15インチ・ウーファー、10インチ・ミッドバス、ホーン型のミッドハイとトゥイーター、
しかもマグネットはすべてアルニコ。
PM510は12インチ・ウーファーとソフトドーム型トゥイーター。マグネットはフェライト。
こんなふうに書いてしまうと、4343とPM510はスピーカーとしてのポテンシャルに大きな違いあるように感じる。

実際に大きな違いがあった。
ステレオサウンド 56号の組合せの特集で、瀬川先生がこう書かれている。
     *
 だが、ここにもっと欲ばった要求をしてみる。クラシックも好き、ジャズやロックも気が向けばよく聴く。ニューミュージックも、ときに艶歌も聴く。たまにはストリングス・ムードなどのイージー・リスニングも……。そういう聴き方だから、レコードの録音も新旧、内外、多岐に亘り、しかも再生するときの音量も、深夜はひっそりと、またあるときは目の前でピアノやドラムスが直接鳴るのを聴くような音量まで要求する──としたら?
 これは決して架空の設定ではない。私自身がそうだし、音楽を妙に差別しないで本当に好きで楽しむ人なら、そう特殊な要求とはいえない。だとしたら、どういうスピーカーがあるのか。
 再生能力の可能性の、こんにち考えられる範囲でできるだけ広いスピーカーを選ぶしかない。となると、これが最上ではないが、といってこれ以外に具体的に何があるかと考えてみると、結局、これしかないという意味で、やはりJBL♯4343あたりに落ちつくのではないだろうか。
     *
音とは正直な面があり、広範囲の要求をすれば、
PM510よりも4343に可能性がある、といえる。

PM510よりもすべての点で4343が優っているわけではなくとも、
瀬川先生も書かれているように「再生能力の可能性」ということでは、はっきりとした違いがある。

このことを承知のうえで、私はPM510を買った。
4343も欲しかったスピーカーである。

瀬川先生はKEFのLS5/1AとJBLの4341(のちに4343にされている)を鳴らされていた。
これを目標としていた。
どちらを先に手に入れるか。
迷うことなくPM510だった。

なぜか。
4343よりもPM510のほうが、私ひとりのために鳴ってくれる実感を強く感じたからだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15262


Date: 2月 18th, 2015
BBCモニター、復権か(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=16362

菅野先生が、ステレオサウンド 70号の特集の座談会でいわれたことを、いまも思い出す。
特集はComponents of the yearで、ダイヤトーンのDS1000が選ばれていて、
このスピーカーについての座談会で発言されている。

《スピーカーというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

未完成であるけれど、ゆえに完結していくこることが求められるオーディオ機器が、
スピーカーシステムであることは、
歳を重ね、さまざまなスピーカーシステムを聴き、
スピーカーの進歩というものにふれていると、つよく実感できる。

ロジャースのPM510は未完成なスピーカーシステムだった。
けれど、PM510よりも完成度の高いほかのスピーカーシステムよりも、完結していた。

このことはLS3/5Aについてもいえる。
当時のLS3/5Aは、こまごまとした欠点を抱えているスピーカーではあったが、
ある条件下での完結した音の世界は確実にもっていたスピーカーであった。

そのことがひとりの聴き手のために親密に鳴ってくれる感じを醸し出していたのかもしれない。

昨秋のオーディオショウで聴いたスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は、
その点で疑問を感じている。
広いスペースでの鳴らし方ということもあったし、じっくり聴けたわけでもなかったので、
はっきりしたことはなんともいえないのだが、音色的にはLS3/5Aと感じても、
30年以上前に聴いて、購入したLS3/5Aに感じた良さはかなり薄れてしまっているかのようだった。

スピーカーとしての完成度はスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は高くなっているのかもしれない。
けれど完結しているということに関しては、いまのところなんともいえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16362


BBCモニター、復権か(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=16368

スピーカーの完成度は高くなり、完結しているのが理想ではある。
けれど完成度を高くすることを目指しているうちに、完結することを忘れてしまったスピーカーもある。

そういうスピーカーシステムのつくり手は、もしかすると完結していることを目指していないのかもしれない。
私は完成度の高さとともに完結していることをスピーカーに求めているけれど、
すべてのつくり手がスピーカーを完結させようとしているとは限らないし、
また受け手(鳴らし手)においても、私と同じように完結していることを求めている人もいれば、
ひたすら完成度の高さのみを求める人もいよう。

だから完成度が高く完結していることを理想とするのは、必ずしも一般的な理想とはいえないのかもしれない。
どちらが正しいということではなく、完結であることを求める人とそうでない人とでは、
スピーカーの評価も違ってくる。

BBCモニターは、いうまでもなくモニタースピーカーとして開発されたモノだ。
モニタースピーカーをどう定義するのかについて、ここで書いていくと、
いつまでも先に進めなくなるので割愛するが、
モニタースピーカーに完結していることは求められるのか。

私がこれまでに聴いてきたBBCモニターに感じてきた完結している良さは、
つくり手が意識していたことなのか、それとも聴き手(つまり私)の勝手な解釈にすぎないのか。

LS3/5A、LS3/6、LS5/9と復刻が続いているBBCモニターをじっくりと聴く機会はないものの、
なんとなく感じているのは、このことである。
なんとなくでしかないのだが、完結しているかどうかに関してのつくり手側の意識はないか、
稀薄になってしまったかのように感じてしまっている。

そこで、BBCモニター、復権か、と考えてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16368


BBCモニター、復権か(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=16370

株、為替といったものは変動することで利益が生れる。
安定してしまっていたら、これらで利益を得ることはできないのではないだろうか。
そう考えると、いまの資本主義においては、変動こそが利益なのかもしれない、と思ってしまう。

だからそれぞれの業界は変動を必要とする。そうも思えてしまう。
ブームがあるのもそのためではないのか。

私はBBCモニターへの思い入れが強い。
BBCモニターが最高のかたちで復刻されるのは嬉しいし、
さらには新しいBBCモニターが開発されること(おそらくないだろうが)も望んでいる。

そうであるから、昨今のBBCモニターの復刻を好意的にみていきたい、という気持は強い。
それでも、復刻が続いている理由のひとつは、
BBCがライセンス料で稼ぎたいということが大きく絡んでいるような気がするのだ。

BBCモニターのLSナンバーを型番に使うには、BBCにライセンス料を収めなくてはならない。
だから当時は、同クラスのスピーカーシステムよりも、
LSナンバーがつくスピーカーは高価だった。
これはいまもそうだと思う。

もしかすると、いまはライセンス料が撤廃されているのかもしれない。
だとしても、最近のBBCモニターの復刻は、こういう世の中で利益を得るための変動要素なのではないか。
そう思えてしまうところがある。

そんなことはない、と払拭しようとしても、そう思える。
これは何もBBCモニターに関してだけではない、
アナログディスクのブームにも、同じような臭いを感じてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16370


Date: 1月 14th, 2017
BBCモニター、復権か(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=21881

(その17)で、BBCモニターのライセンス料について触れた。
そのことがあるから、素直にBBCモニター、復権、とは言い切れないもどかしさがつきまとう。

勘ぐりすぎの可能性もわかっている。
ライセンス料はすでになくなっている可能性も十分あるが、
BBCの経営状況に関する記事を数年前に読んでいるから、そう思えないところが残ってしまう。

BBCモニターの新形がまだ登場していた時代、
BBCモニターとしてのヘッドフォンはないのだろうか、と思ったことがある。

小型モニター、可搬型モニターとしてのLS3/5Aの存在があったにしても、
ヘッドフォンをBBCではまったく使っていなかったのだろうか。

使っていたとしても、簡単なチェックのみで、音質にはこだわっていなかったのか。
それとも既製品のヘッドフォンで優秀なモノを選定して使っていたのだろうか。

少なくともBBCモニターとしてのヘッドフォンの存在はなかったようだ。

BBCモニターとしてのスピーカーシステムには、
loudspeakerの略であるLSから始まる型番がつけられている。
アンプの型番はAMで始まる(amplifierの略だ)。

ならばヘッドフォン(headphone)だから、HPで始まるモニターとしてのヘッドフォンはなかったのか。

ここでふと考えるのは、いまはヘッドフォンがブームである。
となると、BBCモニターを謳うヘッドフォンが登場してくるかもしれない。

もしBBCモニター・ヘッドフォンなるものが登場したら、
やはりライセンス料がいまも……、ということにつながっていく。
http://audiosharing.com/blog/?p=21881


Date: 3月 6th, 2017
BBCモニター、復権か(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=22259

いまタンノイのLegacy Seriesのことを書いている。あと少し書く予定である。
書いていて、そうだ、タンノイもBBCモニターもイギリスのスピーカーであることを思い出した。

タンノイはひとつの会社であり、BBCモニターはいくつかの会社であり、
会社の規模はタンノイの方が、いまも昔もBBCモニターをつくっている会社よりも大きい。

同一視できないところがいくつもあるのはわかっていても、
なぜ、いまイギリスで1970年代後半から1980年代前半ごろのスピーカーシステムが復刻されているのか。

単なる偶然なのだろうと思う。
それぞれの思惑が偶然重なっただけなのだろう、と思いつつも、
1970年代後半からオーディオに入ってきた者にとっては、
この時代のスピーカーに対する思い入れは、他の時代よりも強いところがどうしてもある。

これはバイアスでもある。
そういうバイアスが私にはかかっているから、と思いつつも、
やはり、なぜ? と考える。

そしてセレッションは?、とも思う。
セレッションからDittonシリーズが登場してきたら……、と考えている。

ここまで書いてきて、もうひとつあったことに思い出す。
ヴァイタヴォックスがそうだ。

ヴァイタヴォックスは、もう少し前の時代のスピーカーではあるが、
ユニットもエンクロージュアも復刻されている。

ムーブメントといえるのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=22259



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c125

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
126. 中川隆[-5683] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:48:32 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[27]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か


Date: 5月 5th, 2015
BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=16946

今年の一月だったか、そのくらいの時期、
BBCモニターのLS5/9を復刻したイギリスのグラハムオーディオがLS5/8も復刻する予定だと知った。

LS5/8には日本はチャートウェル・ブランドとロジャース・ブランドのふたつが輸入されている。
前者のLS5/8の輸入量はごくわずかである。
チャートウェルそのものがロジャースに買収されてしまったためだ。

LS5/8は他のBBCモニターと違う点がある。
それまでのBBCモニター、LS3/5AにしてもLS3/6、LS5/5にしても、
BBCがプロトタイプを開発して、それを民間のオーディオメーカーにライセンス料を聴取してつくらせていた。

LS5/8はチャートウェルが独自開発したモデルをBBCが、
LS5/8というスタジオモニターとして採用した初めての例である。
それゆえにLS5/8は、チャートウェルのPM450Eという型番も持っていて、
日本にはノアがPM450Eとして輸入していた。

LS5/8(PM450E)は、QUADのパワーアンプ405のシャーシないのわずかな隙間に、
エレクトロニッククロスオーバーを組み込み、バイアンプ駆動するというシステムだ。

チャートウェルにはこのPM450Eの他に、PM450もあった。
こちらは内蔵ネットワーク仕様モデルである。

これらがロジャース・ブランドの LS5/8、PM510となっていく。
グラハムオーディオがLS5/8を復刻すると知って、この点をどうするのかが気になっていた。
オリジナルのLS5/8を受け継いでバイアンプ駆動とするのか
(当然アンプは405が製造中止なので他のアンプに変更されるだろうが)、
それともPM450(PM510)のように内蔵ネットワークとするのか。

製品として売れるであろうと思えるのは、内蔵ネットワーク仕様である。
けれど仮にもLS5/8を謳っている以上は、バイアンプ仕様とするのか。
この点が気になっていた。

結果、登場したLS5/8は内蔵ネットワーク仕様である。
http://audiosharing.com/blog/?p=16946

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=16951

ということはグラハムオーディオのLS5/8は、
チャートウェルPM450、ロジャースPM510の復刻といえるのかというと、
写真をみると、そうともいえない点がある。

グラハムオーディオのサイトには、今日の時点ではLS5/8のことは公開されていない。
だがグラハムオーディオのfacebookには、LS5/8の情報と写真がいくつか公開されている。
それを見ると、フロントバッフルには、LS5/8、LS5/9と同じタイプのトゥイーターのレベルコントロールがある。

PM450、PM510にはこのレベルコントロールはない。
つまり今回のLS5/8は、PM450、PM510のLS5/9的モデルとでもいおうか、
BBCモニター的仕様とでもいったらいいのか、
とにかくLS5/8の正確な復刻モデルとも、PM450の正確な復刻モデルともいえない。
その中間に位置するような復刻である。

とはいえ、私は今回のLS5/8は聴いてみたい、と思っている。
LS5/8そのままの復刻でもないし、PM510そのままの復刻をめざしたモノでないからこそ、
聴いてみたい気持にさせてくれる。

グラハムオーディオのLS5/8は、
チャートウェルのPM450に、より近いスピーカーシステムのような気がするからである。

チャートウェルのPM450は、ステレオサウンド 49号に登場している。
瀬川先生が書かれている。
     *
おそらくバイアンプのせいばかりでなく、LS5/1Aよりも音のひと粒ひと粒を際立たせるような解像力のよい、自然な、しかしイギリスの良質のスピーカーに共通のどこか艶めいた美しい音は、聴き手をひき込むようなしっとりした雰囲気をかもし出す。
     *
チャートウェルのPM450E、PM450は、元PM510ユーザーとして、いまでも一度聴いてみたいスピーカーなのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=16951


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=16953


チャートウェルのPM450からロジャースのPM510にも、外観上の変更点はあった。
PM450は型押ししたフォーム・プラスチックで、縦に三本のラインがアクセントになっていたのに対し、
PM510では平織りの一般的なサランネットになっていた。アクセントとなる縦のラインもない。

LS5/8はプロ用モニターということもあって、
エンクロージュア両サイドに持ち運びを容易にするための把手があった。
PM450よりもPM510は把手がすこし下がった位置になっている。

今回のグラハムオーディオのLS5/8にも、
トゥイーターのレベルコントロールの他にいくつかの外観上の変更点がある。
まず把手が省かれている。
それからフロントバッフルがツキ板仕上げとなっている。

チャートウェルもロジャースのLS5/8、それに他のBBCモニターも、
フロントバッフルは黒の塗装仕上げである。
このことは、サランネットを装着した状態で聴くことを前提としている。

ところがグラハムオーディオのLS5/8(LS5/9もそうだが)、
フロントバッフルを外の面と同じに仕上げてあるということは、
サランネットを外した状態を、標準としていると見ていいだろう。

それとスペックをみて気づくのは出力音圧レベルに違いがある。
PM510はカタログ発表値は94dB/W/m、グラハムオーディオLS5/8は89dB SPL (2.83V, 1m)とある。
インピーダンスは8Ωだから、測定条件は同じといえるわけだから、
このふたつの発表値を信じるのであれば、5dBほど能率が低くなっている。

このことはトゥイーターのレベルコントロールの増設は関係しているような気がする。
http://audiosharing.com/blog/?p=16953

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=16960

チャートウェルのPM450、ロジャースのPM510、そして今回のグラハムオーディオのLS5/8は、
どんな違いがあるのだろうか。

PM450は1978年に登場している。日本への入荷数は数ペアだときいている。
PM510は1980年に登場。こちらは私も購入したくらいだし、けっこうな数が入荷していると思われる。
けれどもう30年以上経過しているスピーカーシステムということになる。

いまもロジャースという会社は残っているけれど、
このころのロジャースとは違ってきている。
PM510のメンテナンスをどうしたらいいのか。悩まれている方も少なくないはずだ。

ポリプロピレンコーンは特許をとっている。
その内容のすべてを知っているわけではないが、そのひとつは接着に関することである。
当時ポリプロピレンの接着は非常に難しかった、ときいている。

最近になってやっと日本の接着剤メーカーからポリプロピレンを接着できる製品が登場している。

余談だが、LS5/8、PM510は、当時のイギリスのスピーカーシステムとしては高耐入力だった。
そのためリアバッフルには”WARNING”と書かれたシールが貼られている。
耳の孔に指を差し込んでしかめっ面をしているイラストの横には、
耳を痛めるほどの大音量再生が可能なので、注意、とある。

山中先生がスイングシャーナルの組合せの取材でLS5/8を使われた。
その取材に立ち会った人から直接きいた話なのだが、
たしかにパワーは入る。それで気持ちよく聴いていたら、
ウーファーのポリプロピレンコーンが溶けてしまったそうだ。

ボイスコイルが発する熱がポリプロピレンコーンに伝わりそうなったらしい。

話を戻そう。
PM450にしてもPM510にしても新品同様のモノはもう存在しない。
充分に使い込まれ、鳴らし込まれたモノである。
そういうスピーカーシステムと、
でき上ってきたばかりのグラハムオーディオの LS5/8を並べて聴く機会が仮に得られたとしても、
参考程度にはなっても正確な比較試聴は無理である。

比較は想像の上でしか成り立たないのである。
ならば……、と想像してみよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16960


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=16962

私が1982年に購入したロジャースのPM510は、
サランネットを外すにはスピーカー本体を仰向けにして、底板前方にあるネジを二本外さなければならなかった。
いわゆるマジックテープ(面ファスナー)で固定されていたわけではなかった。

今回のグラハムオーディオのLS5/8は写真をみるかぎり、
面ファスナーでサランネットを固定しているようだ。
つまりロジャース時代のLS5/8、PM510はサランネットを装着したままで聴くことを前提としている、
そういう見方ができるのに対し、
グラハムオーディオのLS5/8はフロントバッフルもツキ板仕上げとしていることと考え合わせると、
サランネットなしで聴くことを前提としている、
もしくはサランネットなしで聴くことも想定してある、とみていいのではないか。

もちろんフロントバッフルの仕上げの違いによっても音は変化する。
塗装仕上げとツキ板仕上げでは音は違って当然であり、
サランネット装着を前提としていても、
仕上げによる音の違いを考慮してのツキ板仕上げとも考えられないわけではないが、
どちらかといえばサランネットなしを前提としているように思える。
(このへんは実際に音を聴いてみないことにははっきりとはいえない。)

個人的には音の違いがあったとしても、フロントバッフルは黒で仕上げてほしかった。
これはポリプロピレンという乳白色の半透明の素材であるだけに、
ユニットが取り付けられるバッフルは黒い方が、ポリプロピレンコーンが色気を感じさせてくれる。

そんなふうに見てしまうのは私だけなのかもしれないけれど、
フロントバッフルをツキ板仕上げ(つまり木目)にしてしまうと、
ウーファーがそこだけ浮いてしまうように感じる。

これはPM510のイメージが強く残っているからかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16962


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=16977

ロジャースのPM510の記事は、ステレオサウンド 56号が最初だった。
瀬川先生が担当された新製品紹介の記事だった。
夢中になって、何度も何度も読み返した。

チャートウェルのPM450はもう聴けないとわかったので、よけいに読み返していた。
この記事の終りに、こう書かれている。
     *
 同じイギリスのモニター系スピーカーには、前述のようにこれ以前には、KEFの105/IIと、スペンドールBCIIIがあった。それらとの比較をひと言でいえば、KEFは謹厳な音の分析者。BCIIIはKEFほど謹厳ではないが枯淡の境地というか、淡々とした響き。それに対してPM510は、血の気も色気もたっぷりの、モニター系としてはやや例外的な享楽派とでもいえようか。その意味ではアメリカUREIの方向を、イギリス人的に作ったらこうなった、とでもいえそうだ。こういう音を作る人間は、相当に色気のある享楽的な男に違いない、とにらんだ。たまたま、輸入元オーデックス・ジャパンの山田氏が、ロジャースの技術部長のリチャード・ロスという男の写真のコピーをみせてくれた。眉毛の濃い、鼻ひげをたくわえた、いかにも好き者そうな目つきの、まるでイタリア人のような風貌の男で、ほら、やっぱりそうだろう、と大笑いしてしまった。KEFのレイモンド・クックの学者肌のタイプと、まさに正反対で、結局、作る人間のタイプが音にもあらわれてくる。実際、チャートウェルでステヴィングスの作っていたときの音のほうが、もう少しキリリと引緊っていた。やはり二人の人間の性格の差が、音にあらわれるということが興味深い。
     *
チャートウェルのPM450とロジャースのPM510の音の違い、
PM450はキリリと引緊っていて、PM510はモニター計としてはやや例外的な享楽派。
同じスピーカーユニット、同じサイズのエンクロージュア、おそらくネットワークも同じか、
違っていたとしてもそう大きな違いはないと思われるのに、
PM450とPM510には共通した音の性格がありながらも、はっきりとした違いがあることがわかる。

リチャード・ロスの写真も、ステヴィングスの写真も見たことがある。
一枚の写真でどれだけのことがわかるのか──、それはなんともいえないけれど、
ロスとステヴィングスの顔つきは、
レイモンド・クックとリチャード・ロスほどの違いはないけれど、やっぱりずいぶんと違う印象を受ける。

となるとグラハムオーディオのLS5/8の音を想像していく上で重要なのは、
開発スタッフの写真ということになる(?)。
http://audiosharing.com/blog/?p=16977

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=16984

頼りになるのは瀬川先生の文章である。
ステレオサウンド 56号でのPM510の記事、
それからステレオサウンド 54号の特集でのLS5/8の試聴記がある。
     *
 たまたま、自宅に、LS5/8とPM510を借りることができたので、2台並べて(ただし、試聴機は常に同じ位置になるように、そのたびに置き換えて)聴きくらべた。LS5/8のほうが、PM510よりもキリッと引緊って、やや細身になり、510よりも辛口の音にきこえる。それは、バイアンプ・ドライヴでLCネットワークが挿入されないせいでもあるだろうが、しかし、ドライヴ・アンプの♯405の音の性格ともいえる。それならPM510をQUAD♯405で鳴らしてみればよいのだが、残念ながら用意できなかった。手もとにあった内外のセパレートアンプ何機種かを試みているうちに、ふと、しばらく鳴らしていなかったスチューダーA68ならどうだろうか、と気づいた。これはうまくいった。アメリカ系のアンプ、あるいは国産のアンプよりも、はるかに、PM510の世界を生かして、音が立体的になり、粒立ちがよくなっている。そうしてもなお、LS5/8のほうが音が引緊ってきこえる。ただ、オーケストラのフォルティシモのところで、PM510のほうが歪感(というより音の混濁感)が少ない。これはQUAD♯405の音の限界かもしれない。
 いずれにせよ、LS5/8もPM510も、JBL系と比較するとはるかに甘口でかつ豊満美女的だ。音像の定位も、決して、飛び抜けてシャープというわけではない。たとえばKEF105/IIのようなピンポイント的にではなく、音のまわりに光芒がにじんでいるような、茫洋とした印象を与える。またそれだから逆に、音ぜんたいがふわっと溶け合うような雰囲気が生れるのかもしれない。
(ステレオサウンド 56号)

最初のモデルにくらべると、低音域を少しゆるめて音にふくらみをもたせたように感じられ、潔癖症的な印象が、多少楽天的傾向に変ったように思われる。しかし大すじでの音色やバランスのよさ、そして響きの豊かになったことによって、いわゆるモニター的な冷たさではなく、基本的にはできるかぎり入力を正確に再生しながら、鑑賞者をくつろがせ楽しませるような音の作り方に、ロジャース系の音色が加わったことが認められる。低音がふくらんでいる部分は、鳴らし方、置き方、あるいはプログラムソースによっては、多少肥大ぎみにも思えることがあり、引締った音の好きな人には嫌われるかもしれないが、が、少なくともクラシックのソースを聴くかぎり、KEF105IIの厳格な潔癖さに対して、やや麻薬的な色あいの妖しさは、相当の魅力ともいえそうだ。
(ステレオサウンド 54号)
     *
54号の試聴記で最初のモデルと書かれているのはチャートウェルのPM450E(LS5/8)のことである。
ここでチャートウェルのLS5/8には潔癖症な印象があり、
それがロジャース版では楽天的傾向になり、
さらにPM510では享楽派となっていたことが読みとれる。

チャートウェルとロジャースでは、音が違う。
とはいえLS5/8というBBCナンバーで発売するスピーカーシステムであるのだから、
ロジャース版の開発を担当したリチャード・ロスも、そこから大きく逸脱することはしなかった──、
そう思えるし、そんな縛りのないPM510では、より積極的であったようにも読める。

つまりPM510ならではの、あの音の世界はリチャード・ロスによる独自の音の世界だとわかる。
ロジャースのLS5/8は聴く機会があった。
PM510と直接比較ではなかったけれど、たしかに瀬川先生が書かれているとおりの音の違いがあった。

そうなるとグラハムオーディオのLS5/8に、PM510の音の世界は、あまり期待しない方がいいだろう。
グラハムオーディオの開発スタッフの写真は見ていると、
そこにリチャード・ロス的雰囲気の人はいない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16984


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=16995

グラハムオーディオのLS5/8は、ほぼ間違いなくロジャースのPM510ではなく、
チャートウェルのPM450に近い音を出すであろう。

でも、そのことをあれこれ考えて、というよりも、
グラハムオーディオのLS5/8の写真を見た時からわかっていたことかもしれない。

チャートウェルのLS5/8の別の型番はPM450Eであり、
そのパッシヴ型(LSネットワーク仕様)がPM450であるわけだが、
チャートウェルの、このふたつのスピーカーは、実はフロントバッフルの仕上げが違う。

LS5/8はプロフェッショナル用ということもあって、黒の塗装仕上げ、
PM450はグラハムオーディオのLS5/8と同じようにツキ板仕上げである。
PM450は、ウーファーの水平方向の指向特性を改善するために、
ウーファーをフロントバッフルの裏側から取り付け、開口部を丸ではなく矩形にしているのに対し、
グラハムオーディオは矩形ではなく丸である。

ロジャースのモノも初期の製品では矩形だったが、すぐに丸に変更になっている。
ただしいずれもウーファーはフロントバッフルの裏から取り付けている。
つまりウーファーのフレームが露出しておらず、
この部分からの輻射の影響を抑えている。

チャートウェルのPM450の写真は、ステレオサウンド 62号掲載のオーディオクラフトの広告で見れる。
当時のオーディオクラフトの社長であった花村圭晟氏は、チャートウェルのPM450を、
「完全に私の好み」と表現されている。

花村氏のPM450は本来別の人のモノだったが、無理をいって借りて鳴らされていた。
広告にはこう書いてある。
     *
私は森田さんのお宅に伺うたびに、ほれにほれ込んで……といっても絶版ではどうにもなりませんしね。ロジャースの510が登場した時はしめたとばかりに飛びついたんですけどね。しかしオーディオは面白いもんでして、作る人間が変ると同じような技術でも音が違うんですね。確かに同じ系列のスピーカーシステムなんだけど、私はほれた女が悪かった。良すぎたんですね。結局510は現在お蔵入り……。510もいいスピーカーなんですけどね。
     *
花村氏はグラハムオーディオのLS5/8を聴かれたら、なんといわれるだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=16995
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c126

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
127. 中川隆[-5682] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:48:59 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[28]
Date: 5月 30th, 2015
BBCモニター、復権か(胴間声)
http://audiosharing.com/blog/?p=17238
BBCモニターの開発において、
指向特性、周波数特性、位相特性、リニアリティ、高調波歪率、混変調歪率、
インパルスレスポンスなどの諸特性が測定されるともに、
耳による試聴も重要となる。

BBCモニターが開発時の試聴には、
ノイズ(ランダムノイズ)、スピーチ、音楽ソースを使い、
多角的に行っている、とされている。

ノイズテストは、二種類のスピーカーをきりかえながら、ノイズのスペクトラムを判断するのが有効であり、
スピーチは男性アナウンサーが使われることは、
ショーターの論文にある、と岡先生が以前書かれていた。

男性アナウンサーのスピーチが使われていることは、
BBCモニターに関心をもつ人ならば当然知っていることであった。

男性アナウンサーのスピーチは、スピーカーに強い共振があれば胴間声になりやすい。
BBCモニターで男性アナウンサーの声を聴いてみると、
決して胴間声になることはない。とにかく明瞭にスピーチが聞き取れることに気づく。

以前ならば、BBCモニターでは胴間声にならないんだよ、といえば通じた。
けれど、いまは「胴間声?」と聞き返されることもある。

胴間声とは……、という説明をしなくてはならないこともある。
胴間声は死語とまではいかなくとも、それに近くなりつつあるのか。

BBCモニターがさっぱり話題にならなくなった時期がある。
胴間声が通じなくなったことと無関係ではないと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17238
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c127

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
128. 中川隆[-5681] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:50:05 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[29]
Date: 6月 9th, 2015
BBCモニター、復権か(音の品位・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17343
「コンポーネントステレオの世界 ’82」をひっぱり出してきて、
巻頭鼎談「あなただけの音楽を、音を探す旅にでよう コンポーネントはそのための興味ぶかい乗物だ」を
読みなおしていた。
この鼎談は岡先生、菅野先生、黒田先生によるものだ。

この鼎談、いま読み返してみると、やっぱりあれこれ思ってしまう。
この鼎談が行われたのは1981年の秋ごろだろう。
もう30年以上が経過している。

ここで語られていたことは、その後、どうなっていったのか。
そのことを考えながら読み返すことの興味深さは、
当時読んだときには味わえなかったものが、とうぜんのことながらある。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」をお持ちの方は、ぜひ読み返してほしい。

この鼎談の中に、音の品位について語られているところがある。
ここには瀬川先生の名前も出てくる。
     *
菅野 これは先日亡くなられた瀬川冬樹さんからきいた話ですが、あるとき、若いファンが瀬川さんに、よく先生方は、この音は品位があるからいいとか、品位が高いとかいわれるけど、その品位という意味がよくわかりません、という質問をされたそうです。ぼくもこれはいろんな意味で、たいへんおもしろい問題提起だと思う。たしかに説明しろといわれてもたいへんこまるし、ひとことで理解させるということは至難の技だと思ったけれど、強いていうとクォリティというのは、そういった意味に近いわけですね。
黒田 ぼくもそうなんです。
菅野 そうですよね。だから、決して物理特性のいいものを品位が高いとはいわない。クォリティを日本語に訳すと、品質ということになるから、これまたこまってしまう(笑い)。それで品位という言葉を使う。だから品位という言葉は、ある意味ではずるくてあいまいで、あやふやなところがある言葉だから、わからないというのはたいへん率直な質問だと思うんです。ただ、そういうものが音楽を聴く場合には大切な要素として存在しますから、あいまいであるけれども、品位という言葉を使わざるをえないわけです。
     *
音の品位。
品位は英語ではdignity、graceとなる。
この鼎談のころは、グレースというカートリッジの老舗ブランドがあった。
そんなことも思い出しながら、dignityとgraceとでは、ここでの音の品位は後者だろうな、と思いつつも、
人によっては前者のほうを思い浮べることはあろう。

音の品位といっても、人によって同じ場合もあれば違う場合もある。
これも「コンポーネントステレオの世界 ’82」で語られている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17343


BBCモニター、復権か(音の品位・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17377

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の鼎談では、音の品位に関して、
岡先生が《菅野さんのいっている品位という意味と、瀬川さんのいっている品位というのは、また違うんでしょう》
と発言されている。

菅野先生もそのことは認められていていて、
《違う場合もありますし、同じ場合もあります》と答えられ、続けてこう語られている。
     *
だから品位ということがもし普遍的に理解される概念をもつとすれば、コンポーネントには品位があってしほいわけです。しかしこの言葉は普遍的な概念としてとらえるのはむつかしいですから、何となくクォリティというほうが多少はとらえやすいような気がするんで、クォリティというふうにいっているわけです。
     *
(その1)で引用した菅野先生の発言からわかるように、
この鼎談が行われたのは瀬川先生が亡くなられた直後である。

ここに瀬川先生がおられたら、音の品位についてどう語られたであろうか。

音の品位。
最近のステレオサウンドにはどのくらい登場するであろうか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」のころ、音の品位がわからないと瀬川先生にたずねた若いファンは、
50をこえているであろう。
まだオーディオを趣味としている人なのか。
だとしたら、この若いファンは、音の品位を、その後どう捉え理解していったのだろうか。

たしかに音の品位について明快に語るのは非常に難しい。
もし私が若いオーディオマニアに、音の品位についてたずねられたらどうするか。
音を出して語れるのであれば、
音の品位を感じさせてくれるオーディオ機器(特にスピーカーシステム)を選んで聴いてもらう。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の当時であれば、私ならばBBCモニターを選んで鳴らす。
瀬川先生もそうされたのではないだろうか。
他のスピーカーも選ばれたであろうが、BBCモニターは間違いなく鳴らされたであろう。

だがいまは2015年。
どのスピーカーシステムを選んで鳴らすだろうか。
クォリティの高いスピーカーシステムはいくつも頭に浮ぶ。

でも、ここでは音の品位であって、
クォリティ(品質)とは微妙に、でもはっきりと違う音の性質についてである。

いったい何があるのかと考えると、音の品位については、
昔と今とでは、どちらが理解されていたであろうか、ということについて考えざるをえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17377

BBCモニター、復権か(音の品位・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17380

音の品位に関して、菅野先生と瀬川先生で違っているところは、どういうところで、どういうことなのか。
このことについての大きなヒントは、ステレオサウンド 60号の特集にある。

60号の特集は「サウンド・オブ・アメリカ」。
1920年代に建てられたという、90uの広さの旧宮邸を試聴室として、
当時のステレオサウンドの試聴室にはおさまっても、
サイズ的に大きすぎるスピーカーシステムを集めての試聴となっている。

この特集にはアルテックのA5、MANTARAY HORN SYSTEMのほかに、A4も含まれている。
他にはJBLのパラゴン、4345、4676-1、インフィニティのIRS、クリプシュのKLIPSCHHORN II K-B-WO、
ウェストレイクのTM3、ESSのTRANSAR III、エレクトロボイスのパトリシアン800などがあり、
マッキントッシュのXRT20もそうである。

このXRT20のページにおける菅野先生と瀬川先生のやりとりこそ、
ふたりの音の品位についての違っているところが、はっきりとあらわれている。

瀬川先生はXRT20の音について、こう語られている。
     *
 ただ、ぼくは今聴いているとちょっと不思議な感じを抱いたのだけれど、鳴っている音のディテールを論じたら違うんですが、全体的なエネルギーバランスでいうと、いまぼくがうちで鳴らしているJBL4345のバランスに近いんです。非常におもしろいことだと思う。もちろん細かいところは違います。けれども、トータルなごく大づかみな意味ではずいぶんバランス的に似通っている。ですから、やはり現在ぼくが鳴らしたい音の範疇に飛び込んできているわけです。飛び込んできているからこそ、あえて気になる点を言ってみると、菅野さんのところで鳴っている極上の音を聴いても、マッキントッシュのサウンドって、ぼくには、何かが足りないんですね。かなりよい音だから、そしてぼくの抱いている音のイメージの幅の中に入ってきているから、よけいに気になるのだけれども……。何が足りないのか? ぼくはマッキントッシュのアンプについてかなり具体的に自分にとって足りない部分を言えるつもりなんですけれども、スピーカーの音だとまだよくわからないです。
     *
瀬川先生が「何かが足りない」といわれているものとは、いったいなんなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17380


BBCモニター、復権か(音の品位・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17451

ステレオサウンド60号で瀬川先生が発言された「何か」については、
菅野先生なりに、JBLの4345とマッキントッシュのXRT20の違いについて語られている。
長くなるので引用は控えておくが、ひとことで言えば、音の輪郭のシャープさである。
ただそれもはっきりとわかる違いとしてではなく、
《ほんの紙一重の違いの輪郭の鮮かさの部分》としてである。

瀬川先生も、このことにはほぼ同意されている。
     *
瀬川 ぼくが口に出すとオーバーになりかねないと言ったところは、ほぼ菅野さんのいうところと似ていますね。確かに輪郭のシャープさ、そこでしょう。
 ぼくに言わせれば、そのシャープさから生まれてくる一種の輝き──同じことかもしれないんですが──それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分なんですね。それがあった方がいいとかない方がいいとかいう問題じゃない。JBLはあくまでもそういう音なんだし、マッキントッシュはあくまでもあの音なんで、そこがとにかく違いだと。
     *
「何か」のひとつは、音の輪郭のシャープさで間違いない。
けれど、あくまでも「何か」のひとつであって、すべてではない。
他の「何か」とはについて、瀬川先生の発言を拾ってみよう。
     *
瀬川 それから、菅野さんが指摘された弦、木管、これは、4345のところでも言ったように、弦のウッドの音が4345まで良くなって、やはりそれ以上のスピーカーがあるということを思い知らされた。ただ、ぼくにとって、特に弦といっても室内楽の、比較的インティメイトな弦の鳴り方、あるいは木管でもそこに管が加わったりクラリネットの五重奏とか、要するにオーケストラまでいったってそれは構わない、とにかく弦なり木管のインティメートな温かい感じね──なめらかな奥行きを伴った──それは、ぼくはマッキントッシュじゃ不満なんですよ。どっちみちぼくはアメリカのスピーカーじゃその辺が鳴らないという偏見──偏見とはっきり言っておきますが──を持っていますので。ぼくのイメージの中ではそれはイギリス(ないしはヨーロッパ)のスピーカーでなくては鳴らせない音なのです。どうせJBLで鳴らせない音なら、マッキントッシュへいくよりは海を渡っちゃおうという気がする。
     *
この弦の音。
ここにマッキントッシュのXRT20に対する菅野先生と瀬川先生の評価の違いがある。
後少しステレオサウンド 60号から世が和戦瀬戸菅野先生の発言を引用しておく。
     *
瀬川 あなたの家で「これ、弦がいいんだ」とヴァイオリンを聴かせてくれましたね。ところが、ぼくはやっぱりあのヴァイオリンの音はだめなんだ。
菅野 ぼくがいままで、ぼくの装置だけじゃない、常にずうっとJBLを好きでいろいろなところで聴いてきているでしょう。しかし、どうしてもJBLではあそこへはいかないわけ。
瀬川 JBLじゃ絶対いかない。だから、ぼくはそれがJBLで出ると言っているのじゃなくて、いっそのことヨーロッパへいってしまおうと思う。
菅野 確かにヨーロッパにはマッキントッシュに近いものがあるね(笑い)。それと同時に、ヨーロッパのスピーカーで不満なのは、ぼくは絶対的にジャズ、ロック、フュージョンが十全に鳴らせないことなんだ。ところが、マッキントッシュは、一台でその両方が出せる。これが、総合的にマッキントッシュに点数がたくさんついちゃう原因なんですね。
     *
菅野先生と瀬川先生の、音の品位に関して違っているところが、まさにここである。
http://audiosharing.com/blog/?p=17451

BBCモニター、復権か(音の品位について書いていて)
http://audiosharing.com/blog/?p=17453

音の品位について書いている。
音の品位を言葉で表していくことは確かに難しい。

例えば試聴記に「品位」がどの程度出てきて、
どういう意味で使われているのかを探ろうとしても、
さまざまな試聴記を読めば読むほど、わからなくなってしまうという人がいても不思議ではないし、
実のところ、よくわからないという人の方が多いのかも知れない、とも思えてくる。

私のもうひとつのブログ、the re:View (in the past)で、「品位」で検索してみると、
かなりの数が表示される。

文字だけで音の品位について理解しようと思っても、それはそうとうに困難というか無理なことではないのか、
そう思えてくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17453


Date: 6月 2nd, 2018
BBCモニター、復権か(音の品位・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=25912
(その4)までで引用してきたステレオサウンド 60号での試聴は、
個別の試聴ではなく全員での試聴である。
瀬川先生も菅野先生も、同席されての試聴である。

音の品位は、なにもスピーカーについてのみいえるのではなく、
アンプについても、カートリッジに関しても、他のオーディオ機器であってもいえる。
けれど、もっとも感覚的に捉えられるのは、やはりスピーカーである。

60号の一年半前にステレオサウンドは、スピーカーの試聴を行っている。
54号である。
この時の試聴は、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によるものだが、
個別試聴である。
試聴レコードも三氏で違うし、
スピーカーを鳴らすオーディオ機器(プレーヤー、カートリッジ、アンプ)も三氏皆違う。

それに試聴方法も違っている。
スピーカーだから、そのセッティングが重要になるわけだが、
ここも微妙に違っている。

そのうえで、特集の鼎談を読むわけだが、
ここでも音の品位について、菅野先生と瀬川先生とでは、
完全に一致しているわけではない。

たとえばグルンディッヒのProfessional BOX 2500。
     *
菅野 私は、瀬川さんがこのスピーカーに、まあ9点はびっくりしましたが、8点くらいつけるのはよくわかる気がします。瀬川さんは、あるところ非常にハードに厳しいけれど、あるところすごく甘いところがあるように思う。徹底してどちらかにいってしまう。
瀬川 ……(苦笑)。
菅野 引っかかると徹底的にハードを追求し、引っかからないと徹底的にハードを無視してソフトに行くという、そういう性癖がある(笑い)。
 このグルンディッヒはひっかかってきたひとつだと想うのです。まず音が非常に電蓄的ですね。先ほど古いとおっしゃったが、まさにその通りでノスタルジーは感じます。しかし、今日の水準で聴くと、クォリティ面で、特にユニット自体の品位があまり高くないことが露呈してくる。
瀬川 そうですか? 品位は高いと思いますけれど……
菅野 それは全体としてでしょう。バランスはそれなりにとれていると思いますが、たとえば低域は、なかなか重厚といえば重厚だが、よく聴くとボコボコですよ。
瀬川 私が鳴らすとボコボコいわないんてすよ。
     *
編集部によると、Professional BOX 2500での三氏が鳴らす音に、
それほど大きな違いはなかった、とあるが、
三氏がそれぞれに指摘している長所、短所は、同席していて納得がいくともある。

Professional BOX 2500は、60号でのマッキントッシュのXRT20とは反対に、
菅野先生は品位がない、と感じ、瀬川先生は品位があると感じられた例である。
http://audiosharing.com/blog/?p=25912


Date: 6月 4th, 2018
BBCモニター、復権か(音の品位・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=25931

ステレオサウンド 54号の特集に登場したスピーカーシステムで、
音の品位に関して、瀬川先生と菅野先生の意見が食い違っている機種は、他にもある。

エレクトロボイスのInterface:AIIIとInterface:DIIにおいては、
瀬川先生はInterface:DIIの方を高く評価され、
Interface:AIIIに関しては力に品位が伴っていない、と。

一方菅野先生は、どちらのエレクトロボイスも評価されている。
Interface:AIIIの力に品がないとは聴こえなかった、といわれている。

グルンディッヒのProfessional BOX 2500も、
エレクトロボイスの二機種、どちらも私は聴く機会がなかった。

なのではっきりしたことはいえないのだが、
もし新品に近い状態の、これらのスピーカーシステムを聴くことがあったとしたら、
音の品位に関しては、瀬川先生寄りのところに、私の印象はあるのではないか、と思う。

これが音の品位ではなく、音の品質ということだったら、
あまり食い違いは起こらないはすだ。
なのに品位ということになると、ここに挙げた機種以外にも微妙な違いが感じられる。

それでいて、たとえばスペンドールのBCII。
54号には登場していないが、この素敵なスピーカーに関しては、
菅野先生も瀬川先生も、音の品位に関しては一致している。

あまり古いスピーカーばかりに例に挙げても、
イメージがまったく涌かない、という人も少なくないだろう。

ならばB&Wの800シリーズはどうだろうか。
ステレオサウンドでも高い評価を得ている。
優秀なスピーカーの代表格のようにもいわれている。

私も、優秀なスピーカーだとは思っている。
けれど、このスピーカーの音には、品位があるのだろうか、と思うことがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=25931


BBCモニター、復権か(音の品位・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26645

音の品位について語ることの難しさがあるのを実感している。
音の品位に関係してくるものに、教養のある音、というのがある。

この表現も、わかったようなわからないようなものだ。
その教養のある音にも、音の品位にも関係してくるのに、いぶし銀がある。

いまでも、音の形容詞として、このいぶし銀は使われているのだろうか。

ステレオサウンド 207号にタンノイのスピーカーは、
EatonとArden、Kensington/GRの三機種が対象となっているが、
その試聴記に、いぶし銀が出てくるのは、和田博巳氏担当のArdenだけだ。

いぶし銀はいつごろから使われているのだろうか、
ということを九年前に「井上卓也氏のこと(その20・補足)」で書いている。

いぶし銀そのもののではないが、
ほぼ同じ意味合いの表現が、五味先生の「西方の音」に出てくる。
     *
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     *
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

いぶし銀とは、硫黄をいぶして、表面の光沢を消した銀のことなのだから、
音を銀でいぶしたような──は、正しい表現とはいえないわけだが、
とにかく英国の「教養ある音」のことであり、
それがいつしかタンノイの音の代名詞のようになっていったのではないだろうか。

とはいえ、この「いぶし銀」でどういう音をイメージするのかは、
そうとうに人によって違うようにも感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26645


BBCモニター、復権か(音の品位・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26648

教養ある音、とひとつ前に書いた。
この「教養ある音」も、わかりやすいようで、
いざ誰かに説明しようとなると、なかなか難しいことに気づく。

目の前にいくつものスピーカーがあって、
その中に、私が教養ある音を感じる音を出すスピーカーと、
その反対に教養のない音といいたくなる音のスピーカーをふくめて、
いくつかのスピーカーが用意されていたら、説明は少しは楽になり、
具体的になっていく。

けれど、いざ言葉だけで、
しかも教養ある音という意味をまったく理解していないと思われる人にどう説明するか。
結局、教養ない音を説明していくしかないのか、と思う。

私の表現力が足りないといえばそれまでであるのだが、
それでも教養ある音を見事に説明している表現に出合っていない。

たとえば別項「オーディオ機器の付加価値(その5)」に登場する人は、教養ある、とはいわない。

知識はいっぱい持っている。知識欲も高い。ついでに学歴も高い。
それが教養ある人じゃないか、といわれると、これの説明もまた困るけれど、
堂々めぐりすることになるが、結局、品がないのだ。

音の品位について書いていて、
そこでいぶし銀、教養ある音を持ち出してきておいて、
それらについて満足に説明せずに、品がない、と言ってしまう。

いいかげんな説明(にもなっていないのはわかっている)だ。
それでも、品がない、のだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26648


Date: 1月 7th, 2020
BBCモニター、復権か(音の品位・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=31022

大辞林には、教養とは次のように記してある。
(1)おしえそだてること。「父は其子を—するの勤労を免かれ/民約論(徳)」
(2)社会人として必要な広い文化的な知識。また,それによって養われた品位。「—を身につける」
(3)〔英 culture; (ドイツ) Bildung〕
単なる知識ではなく,人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など。

教養ある音の「教養」とは、三番目か。
単なる知識ではなく、とある。
スピーカーの音にあてはめれば、単なる情報量ではなく、ということになろうか。

情報量ということでは、
1970年代から1980年代にかけてのBBCモニターよりも、
同クラスの現代のスピーカーシステムのほうが、上であるモノが多い、といえよう。
それに情報量の多さだけでなく、精度の高さでも、上といえよう。

古いスピーカー(に限らず古いオーディオ)をまったく認めない人たちからすれば、
私が教養ある音といっている音を出してくれるスピーカーは、
情報量の少なさを、
教養ある音、という、ひじょうに曖昧な、正体不明の音でごまかしているだけではないか──、
そんな声が挙ってもこよう。

現代の優れたスピーカーの視点からすれば、
足りないところもあったといえるのは、事実である。

1970年代に登場したBBCモニターとその系列のイギリスのスピーカーシステムは、
現在のスピーカーからすれば、制約もいくつかあった。

四十年間に、スピーカーの技術は進歩している。
けれど、音、それも音の品位ということではどうだろうか。

《人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる》音といえるだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=31022
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c128

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
20. 中川隆[-5680] koaQ7Jey 2021年4月15日 18:22:20 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[30]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論

Date: 4月 22nd, 2015
モニタースピーカー論(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=16844

「正しい音はなにか?」を書いていて、モニタースピーカー論が書けるような気がしてきた。

ステレオサウンド 44号、45号はスピーカーシステムの特集だった。
46号もスピーカーの特集号だったが、44号、45号が基本的にコンシューマー用スピーカー中心だったのに対し、
46号では「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」と題して、
世界各国のモニタースピーカーの特集だった。

特集の冒頭には、
岡先生による「モニタースピーカー私論」、
菅野先生による「レコーディング・ミキサー側からみたモニタースピーカー」、
瀬川先生による「モニタースピーカーと私」が載っていた。

世の中にはMonitor Speaker、もしくはStudio Monitorと呼ばれるスピーカーシステムがある。
これらはプロ用スピーカーとも呼ばれることもある。
録音スタジオ、放送局などで使われるスピーカーシステムのことをモニタースピーカー、
もしくはスタジオモニターという。

では「モニタースピーカーとは何か?」となると、
ステレオサウンド 46号の三氏の文章をどれだけ読もうとも、
明解な答が得られたと思えない。

モニタースピーカーだからといって、
コンシューマー用スピーカーと違う方式のユニットが採用されているわけではない。
むしろコンシューマー用スピーカーのほうが、さまざまなユニットが使われているともいえる。
それでもモニタースピーカーもそうでないスピーカーも、基本的に同じといえる。

にもかかわらず、モニタースピーカーとそうでないスピーカーとの間には境界線がある。
はっきりとその境界線を見定めようとすればするほど、
その境界は曖昧なものであることに気づかされる。

それでもモニタースピーカーの定義を考えている。

いままでモニタースピーカー論は避けてきたテーマである。
まだどこまで書けるのか自信がないようなところもある。
それでも「正しい音とはなにか?」を書いてきて、
なんとなくではあるが「モニタースピーカーとは何か?」について答が得られそうな気がしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=16844


モニタースピーカー論(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=16885

数年前だった。ある中古オーディオ店にセレッションのDitton66が置いてあった。
懐しいスピーカーだなぁ、と近づいてみて気づいた。
銘板にDitton66の他に、”Studio Monitor”とあったことを、この時初めて知った。

Ditton66は1970年半ばのスピーカーシステムである。
ややトールボーイ型のエンクロージュアに、
30cm口径のウーファー、5cm口径のドーム型スコーカー、2.5cm口径のドーム型トゥイーター、
それに低域はパッシヴラジエーター(セレッションではABRと呼んでいた)の3ウェイ。

Ditton66の音は、暖かく、どこか保守的なイメージを残す響きをもつ。
ゆえに鮮明さ、鮮鋭さといった印象は、Ditton66にはない。
音のアラさがしをするような聴き方に向いていない。

イギリスならではのグッドリプロダクションな聴き方に、もっともフィットするスピーカーといえる。
そういう性質のスピーカーに、セレッションは銘板に”Studio Monitor”と入れている。
そのことが、だからすごく意外な感じだった。

当時のセレッションのスピーカーシステムには、DittonシリーズとULシリーズがあった。
瀬川先生もステレオサウンド 45号、Ditton33の試聴記に書かれているように、
ULシリーズは音をより正確に再生するシリーズであり、
Dittonシリーズはホームユースとして楽しめる音をねらっている、といえる。
ULシリーズはその後SLシリーズへなっている。

だからULシリーズを”Studio Monitor”と謳うのは、まだ理解できる。
けれどDitton66を”Studio Monitor”と謳っているのを見て、考えてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16885

モニタースピーカー論(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=16958

もし私が録音の仕事をすることになり、
モニタースピーカーとしてセレッションのDitton66しかない、といわれたら、
録音する音楽にもよるが、文句を言わずにDitton66を使うであろう。

コンシューマー用スピーカーとして、
というよりも家庭用スピーカーとしてといいかえたようがいいけれど、
Ditton66は好ましいスピーカーであり、充分な性能を持っている。

それでもDitton66の銘板に”Studio Monitor”とあることには、少々違和感をおぼえる。
“Studio Monitor”のStudioとは録音スタジオを示す。
レコード会社の録音スタジオ、放送局の録音スタジオということになる。
そこでスピーカーで聴くのは、ほとんどすべて音楽といえよう。

家庭できくのもほとんどが音楽である。
ならば性能が優秀なスピーカーシステムであれば、
モニタースピーカーとしてすべて使えることになるわけではないのか。

なのに、なぜモニタースピーカーという括りがあるのか。

たしかにスタジオでも家庭でも音楽であることに相違ないが、
微妙に違う点もまたある。

まずスタジオではマイクロフォンが拾った音をそのままスピーカーから聴くこともある。
すべてが録音された音楽を聴く家庭とは、ここが大きく違う。

マイクロフォンから直に音が来る──、
そういう音を体験してみると、いかに録音された音と違うのかがわかる。
つまりスタジオモニター、モニタースピーカーとは、
マイクロフォンから直に来る音を聴くためのスピーカーでもあるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=16958


モニタースピーカー論(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=16975

もちろんモニタースピーカーでも録音された音を聴く。
その意味では家庭用スピーカーと同じではないか、と思われるかもしれないが、
ここにも違いがある。

マスターテープの音とLPなりCDになった音との違いもあるが、
それ以上に違いがあるのは、
家庭で聴くのは、いわばまとめられた音楽である、ということである。

そのまとめ方のうまいへた(つまり録音の良し悪しに関係してくる)はあるけれど、
2チャンネル・ステレオで再生するための音源として仕上げられている(まとめられている)。

そのまとめられているものを制作するのがスタジオであり、
そこで使われるのがモニタースピーカーである。

完全なワンポイントマイクロフォンによる録音ならば、
このことはいえないけれど、マルチマイクロフォン、さらにマルチトラックでの録音となると、
いわばバラバラに収録したものを編集・構成して、ひとつの音楽をまとめる。

つまりモニタースピーカーに要求される性能とは、
その作業のために必要な十分な性能ということになる。
http://audiosharing.com/blog/?p=16975

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c20

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論 中川隆
1. 中川隆[-5679] koaQ7Jey 2021年4月15日 19:03:15 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[31]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論

Date: 6月 10th, 2015
モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17350

ソニーのもうひとつのオーディオブランドであったエスプリ。
エスプリ・ブランドの最初のスピーカーシステムは、APM8だった。


ESPRIT APM-8
¥1,000,000(1台、1979年頃)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-8.html

ESPRIT APM-6Monitor ※受注生産品
¥500,000(1台、1981年6月発売)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-6monitor.html


1978年に登場したこのスピーカーシステムは、

当時日本のメーカーで流行ともいえた平面振動板が採用されている。
しかも当時日本で驚異的な売上げであったJBLの4343をはっきりと意識していた構成であった。
4ウェイで、外形寸法も4343とほぼ同じといえる。

だから、当時の私は、エスプリ(ソニー)によるスタジオモニターというふうに捉えていた。
けれど、エスプリからは二年後にAPM6が登場した。

こちは2ウェイ。価格はAPM8の100万円(一本)に対し、50万円と、
ユニットの数も半分ならば価格もちょうど半分となっている。

もちろんAPM6もアルミハニカムを採用した平面振動板のユニットである。
こんなふうに書いていると、APM8の弟分として開発されたのがAPM6というふうに受けとめられるかもしれない。

けれどAPM8は、型番の末尾に何もつかなかった。
APM6にはMonitorとついている。
APM6の正式型番はAPM-6 Monitorである。

APM6とAPM8の違いは、Monitorがつくのかつかないのか、
ユニットの数が二つなのか四つなのか、という違いの他に、
エンクロージュアの考え方に大きな違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=17350


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17361

エスプリ(ソニー)のAPM8は、
ステレオサウンド 53号の新製品紹介で初登場し、
54号の特集「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」にも登場している。

新製品紹介では井上先生、山中先生によって評価され、
54号の特集では、黒田先生、菅野先生、瀬川先生によって試聴されている。

黒田先生は、試聴記の冒頭に《このスピーカーには、完全に脱帽する》と書かれている。
試聴記の最後はこう結ばれている。
     *
いつの日かここでそのように口走ったことを後悔するのがわかっていて、これをパーフェクトだといってしまいたい誘惑に抗しきれない。すばらしいスピーカーだ。
     *
この特集の冒頭に「スピーカーテストを振り返って」という座談会が載っている。
編集部から、今回聴いた46機種のスピーカーの中で、
一台を自宅に持ち帰るとすればどれを選ぶかという質問がある。

ここでも黒田先生は《迷うことなくエスプリAPM8です」と答えられている。

菅野先生、瀬川先生の評価も高い。
ふたりとも一本100万円という価格がひっかかって、推選、特選機種とはされていない。
瀬川先生も菅野先生も価格が半値であったら10点をつけるといわれていてる。
さらに菅野先生は、
《今回のテストで、最も印象づけられたスピーカーなのです》とつけ加えられている。

瀬川先生は《あらゆる変化にこれほど正確に鋭敏に反応するスピーカーはないですね」といわれ、
試聴記にあるように《レベルコントロールの0.5dBの変化にも反応する!》、
こんなスピーカーは他にはない、とまでいわれている。

APM8がきわめて優秀なスピーカーシステムであることが伝わってくる。
そしてAPM8は、スタジオモニターとしての性能をもっているとも感じていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=17361


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

ステレオサウンド 54号、瀬川先生のAPM8の試聴記には、
《レベルコントロールには0・1dBきざみの目盛が入っているが、実際、0・5dBの変化にもピタリと反応する。調整を追い込んでゆけば0・3dB以下まで合わせこめるのではないだろうか。これほど正確に反応するということは、相当に練り上げられた結果だといえる。》
とある。

つまりAPM8には、連続可変型のレベルコントロールがついていた。
APM6には、レベルコントロールはついていない。
当時は、これが意味することがわかっていなかった。

レベルコントロールがないんだ、ぐらいにしか捉えていなかった。
このことと、APM8とAPM6のエンクロージュアの形式の違いは密接に関係している。

APM8はソニー・ブランドで出ていたSS-G9の平面振動板タイプと、外観上はそういえるところがある。
ほぼ同じ寸法のエンクロージュアに、レベルコントロールと銘板の位置もほぼ同じである。
そして特徴的であるAGボード(アコースティカル・グルーブド・ボード)の採用。

縦横溝が刻まれたフロントバッフルは、波長の短い中高域を拡散させるものである。
APM8にもAGボードは採用されている。

SS-G9はコーン型、ドーム型ゆえ、ユニットの形状は円であり、バスレフポートの開口部も円。
APM8は平面振動板であり、ユニットの形状は四角。
そのためであろうバスレフポートの開口部も四角に変更されている。

そんな違いはあっても、SS-G9とAPM9と共通するところの多いスピーカーシステムである。

ところがエスプリ・ブランドのスピーカーシステムの第二弾であるAPM6は、
エンクロージュアの設計はSS-G9、APM8とはまったく別モノといえる。

APM6のエンクロージュアは、スーパーオーバル(超楕円)といわれる形状をしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17373

APM6が登場したとき、その形状に関しては、ラウンドバッフルをフロントだけでなくリアにまで採用した、
その程度の認識で捉えていた。

APM6の広告はステレオサウンド 61号に載っている。
設計者の前田敬二郎氏による解説が載っている。
当然、そこにAPM6のエンクロージュアの形状について書かれている。
     *
一般にスピーカーは無限大バッフルに取りつけるのが理想的で、現実に一部のスタジオのモニター設備ではスピーカーを壁面に埋めこんで使用しています。これは有限のエンクロージャーにスピーカーを取りつけると回折が起こり、指向特性を劣化させるからです。しかし理想的とはいっても個人用として無限大バッフルは、いかにも非現実的です。では、どんな方法があるか。解決はスーパーエッグがもたらしました。つまりスーパー楕円エンクロージャーです。
     *
この広告からわかるのは、
APM6のエンクロージュアは無限大バッフルを現実的な形とすることから生れたものということ。
APM6のエンクロージュアは楕円を縦四分割し、パーティクルボードと天然木を曲げながら積層し、
最後に天板と底板と一体化するという手法でつくられている。

おそらくAPM8のエンクロージュアよりも手間がかかっているはずだ。
このエンクロージュアとAPM6からレベルコントロールが廃されているのは、実は関連している。
でもAPM6登場の1981年、私はそのことに気づいていなかった。

白状すれば、APM8に魅力を感じていたし、
ほぼ同時期にテクニクスから発表になったSB-M1の方に強い関心をもっていた。

そのSB-M1には別称がある。MONITOR 1である。
このことからわかるようにM1のMはMonitorの頭文字である。

同時期にソニーとテクニクスから、モニターと名のつく平面振動板のスピーカーシステムが登場したわけだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17373


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=17421

ソニーもテクニクスも、それ以前に、
型番にMonitorとつくスピーカーシステムは作ってこなかった。
それが1981年のほぼ同時期に、APM6 MonitorとSB-M1(Monitor 1)を出してきた。

APM6とSB-M1、このふたつのスピーカーシステムを比較してみると、
ソニーとテクニクスの違いが実に興味深い。

APM6はすでに書いているように2ウェイ。
SB-M1は4ウェイ。
どちらも平面振動板ユニットを全面的に採用しているが、
ソニーは角形に対してテクニクスは円型という違いがある。

どちらもアルミハニカム材を使用しているが、
ハニカムコアがソニーは均一であるのに対し、
テクニクスは扇のように、中心部はコアの密度が高く、外周にいくほどコアの間隔が広がっていく。
それから駆動方式というか構造も違っている。
こんなふうに、それぞれの違いを書いていくと、それだけでけっこうな長さになっていくので、
外観からうかがえることに絞って書いていく。

SB-M1はJBLの4343を意識しているところは、ソニーのAPM8と同じである。
4ウェイのバスレフ型で、エンクロージュアの外形寸法も、APM8とSB-M1ともに、4343とほぼ同じである。

しかもSB-M1はエンクロージュアの仕上げも4343をかなり意識している。
とはいえデザインの見事さでは4343のレベルには達していない。

SB-M1は4343を意識しているスピーカーであるから、エンクロージュアは一般的な形である。
ラウンドバッフルを採用したりしていない。

わりとのっぺりした印象のSB-M1だが、フロントバッフルの両端に把手がついている。
これがけっこう長い。
ウーファーからミッドバスまでのスパンとほぼ同じである。
これが視覚的アクセントになっているわけだが、
聴感上でもアクセントになっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17421


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=17433

一般的なウーファーであるコーン型だと振動板の中心は奥にある。
つまり凹みがある。
大口径になればなるほど凹みは大きくなる(奥に引っ込む)傾向にある。

ドーム型は逆ドーム型のモノもあるが、大半は前面に出ている。
コーン型と反対で凸である。

ホーン型はホーンの形式による。
基本的にはホーンなので奥に長いわけだが、
音響レンズがついていると、前に張り出している

平面振動板には、当然なのだが、この凹凸がない。
それが平面振動板ユニットの、他の方式のユニットにはないメリットではあるものの、
実際にフロントバッフルにとりつけてスピーカーシステムとしてまとめてみると、
それまでの凹凸のあったスピーカーシステムを見馴れた目には、
振動板だけでなく、フロントバッフル全体も平面(平板)な印象になってしまいがちだ。

エスプリ(ソニー)のAPM8が細かな凹凸だらけのAGバッフルを採用したのは、
もちろん音質面での配慮からだろうが、
外観が平板にならないように、という意図もあったのかもしれない。

テクニクスのSB-M1の左右両端の把手も、そういう意図があるのかもしれない。
テクニクスの発表資料には、指向特性の改善に貢献している、とあるが、
果して、どれだけの効果があるのだろうか。

私がそう思ってしまうのは、SB-M1のレベルコントロールもそうだからだ。
ミッドバス、ミッドハイ、トゥイーター、それぞれ連続可変のレベルコントロールをもつ。
つまり三つのツマミを配したパネルは、フロントバッフルより奥まった位置に取りつけられている。
この部分には凹みができている。

エスプリのAPM6には、レベルコントロールはない。
このレベルコントロールの有無、その取りつけ方法。

ここからいえるのは、聴感上のS/N比に対する配慮の違いだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17433


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

実際に試したわけではないが、テクニクスのSB-M1から把手を外して、
レベルコントロールの凹みを良質の自然素材(たとえばウール)で埋める。

これだけで聴感上のS/N比はそうとうに高くなるはずだ。
凹み部分からの不要輻射を吸音し、把手部分の共鳴もなくしてしまえるからだ。
この手の実験はステレオサウンドの試聴室でかなりやってきた。
だから確実に、そうなると断言できる。

聴感上のS/N比が高くなることは、多くの人の耳が認めることだろう。
けれど、その音をいいと判断するかどうかは、また違ってくる。

聴感上のS/N比は確実に良くなっているのだから、
音は良くなっている──、とはいえる。
それでもメーカーは、把手込み、レベルコントロールの凹み込みで音を追い込んでいたのであれば、
聴感上のS/N比が高くなったかわりとして、音のバランスが若干変化するし、
音のアクセントといえるものがなくなり、印象としてもの足りなさをおぼえてしまうことも考えられる。

いわゆるノイズも音のうち、ということだ。

この点が、SB-M1とAPM6の大きな違いである。
スピーカーシステムにおける聴感上のS/N比の向上は、
SB-M1、APM6登場以降のスピーカーにおける潮流となっていく。

この視点からみれば、
SB-M1は1970年代までのスピーカーシステムのひとつとしての登場であり、
APM6は1980年代のスピーカーシステムのはじまりとしての登場といえる。

同じエスプリのAPM8は、SB-M1と同じといえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

エスプリ(ソニー)のAPM6が登場したころの私には、
このスピーカーシステムを、聴感上のS/N比に注目して捉えることはまだできなかった。
だから、気がつかなかったことがいくつもある。

聴感上のS/N比という視点でAPM6をじっくりみていくと、
日本のスピーカーシステムで、
いくつかの共通点を見出せるスピーカーシステムが存在していたことにも気づくことになる。

ダイヤトーンの2S305である。
NHKの放送技術研究所と三菱電機とが共同開発した、このスピーカーシステムは、
はっきりとモニタースピーカーである。

なぜAPM8にはMonitorの文字がつかず、APM6にはついているのか。
そのことを考えても、ダイヤトーンの2S305の存在が浮んでくる。

APM6の設計者の前田敬二郎氏は、
APM6の開発において2S305の存在を意識されていたのだろうか。
勝手な推測にすぎないけれど、まったく意識していなかった、ということはなかったように思える。

2S305の開発において、聴感上のS/N比が開発テーマになっていたとは思えない。
NHKがモニタースピーカーに求める性能を実現した結果として、
2S305は、あの当時として、かなり優秀な聴感上のS/N比の高さを実現したのではなかろうか。

おそらく、いまでも現代の優秀なパワーアンプで鳴らせば、
2S305は多少ナロウレンジでありながらも、
聴感上のS/N比のよい音とは、こういう音だという見本という手本のような音を聴かせてくれるはずだ。

2S305は、日本を代表するスピーカー(音)といわれていた。
それは海外製のスピーカーシステムとくらべると、パッシヴな性格のスピーカーシステムであり音である。

そのため聴き手(使い手、鳴らし手)がより積極的に能動的でなければ、
海外製のアクティヴな性格のスピーカーシステム(音)を聴いた後では、
ものたりなさを感じてしまうような音でもある。

APM6の音を、私は聴くことがなかった。
どんな音なのかは、だから正確にはわからない。
それでも2S305に通じる、パッシヴな性格をもったスピーカーシステムであるはずだ。

APM6を、いまじっくりとみつめていると、
1976年当時のオーレックスの広告にあったコピーが思い出される。

「趣味も洗練されてくると大がかりを嫌います。」
「趣味も洗練されてくると万人向けを嫌います。」

APM6の広告にもそのまま使えるのではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652

ステレオサウンド 59号のベストバイで、エスプリのAPM6に星をつけている人は、
APM8の六人(井上、上杉、岡、菅野、瀬川、柳沢)に対し三人(岡、菅野、山中)だった。

ここでひっかかったのは山中先生が、APM8には入れずAPM6に二星をつけられている。
これが意外だった。

山中先生といえば新製品紹介のページでも海外製品を担当されていた。
それまで書かれたものを読んできても、国産スピーカーをあまり高く評価されることはなかった。
その山中先生が、なぜだか理由はわからないけれど、APM6に二星。
しかも多くの人が評価しているスピーカーとはいえないAPM6に対して、である。

59号の約半年後に出た「コンポーネントステレオの世界 ’82」でも、
山中先生はAPM6の組合せをつくられている。
この別冊では他に二つの組合せをつくられている。
ひとつはQUADのESL63、もうひとつはエレクトロボイスのRegency IIIである。

QUADとエレクトロボイスは、すんなりわかる。
けれど、山中先生がAPM6? と思った。

それまでのステレオサウンドを読んできた者にとって、これは意外なことだ。
APM6の組合せならば、それまでのステレオサウンドならば、
岡先生、上杉先生、柳沢氏の誰かだったはずだから。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の半年後の63号でのベストバイ。
ここでも山中先生はAPM6を評価されている。

ここでつくられた組合せの次の通りだ。

●スピーカーシステム:エスプリ APM6 Monitor(¥500.000×2)
●コントロールアンプ:エスプリ TA-E900(¥600.000)
●パワーアンプ:ヤマハ BX1(¥33.000×2)
●カートリッジ:フィデリティ・リサーチ FR7f(¥77.000) デンオン DL305(¥65,000)
●プレーヤーシステム:パイオニア Exclusive P3(¥600.000)
組合せ合計 ¥3.002.000(価格は1981年当時)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=17662

山中先生は、エスプリ(ソニー)のAPM6のどこによさを認められていたのか、
「コンポーネントステレオの世界 ’82」での組合せでは、どういう音を求められていたのか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのもうひとつき山中先生の組合せ、
QUADのESL63の組合せとAPM6の組合せには、共通する言葉が出てくる。

ESL63の組合せの最後に山中先生が語られている。
     *
 最近は室内楽のレコードをほんとうに魅力的に再生できるシステムが非常に少ない。この組合せにあたってドビュッシーのフルートとハープとヴィオラのソナタを聴きましたが、こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、音が空間に漂うように再生するということだろうと思います。そのあたりの雰囲気が、かけがえのない味わいで出てくるわけで、ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです。
 それをこういう装置で聴くと、またまた狂いそうで心配です。最近の自分のシステムでいちばん再生困難なソースだったけれども……。
     *
ESL63の組合せはQUADのアンプ(44+405)に、
アナログプレーヤーはトーレンスのTD126MKIIICとトーレンスのカートリッジMCH63、
昇圧トランスはオーディオインターフェイスのCST80E40で、組合せ合計は¥1,710,000(1981年当時)。

室内楽については、APM6のところでも語られている。
     *
 この組合せのトータルの音ですが、最初に意図した、おらゆるソースにニュートラルに対応するという目的はかなり達せられたと思う。たとえば、かなり大編成のものを大きな音量で鳴らしても大丈夫ですし、楽器のソロのような再生の場合でも焦点がピシッと定まる。決して音像が大きく広がらないで、定位の点でも問題ないし、ディテールも非常によく出ると思います。
 ただ、私の好みもあって、いろいろなソースを聴いてみますと、一番よく再生できたなという感じがしたのは、クラシック系のソースです。特に小編成の室内楽とか声楽、それからピアノの再生がかなり良かったと思います。それがこのスピーカーシステムの一つの特徴なのかもしれません。楽器のイメージというか、とくにサイズの感覚が非常によく出る。たとえば、ギターのソロの場合、スピーカーによってはギターが非常に大きくなってしまって、両方のスピーカーの間隔いっぱいに広がるような、巨大なギターを聴くという雰囲気になるんですけど、そういうことは全くなくて、ピシッとセンターに焦点が合う。しかも、その楽器の大きさらしい音で実感できる。こういう点がこのシステムの一番素晴らしいところだと思います。
     *
この、再生される楽器の大きさについては、ESL63のところでも語られている。
     *
 人間が人間の大きさでちゃんと再現される。動きもわかる。楽器がそれぞれ大きさでちゃんと鳴る。小さな楽器は小さく、大きな楽器は大きく、ちゃんと感じられる。
     *
APM6とESL63、
それに鳴らされる(組み合わされる)アンプもずいぶんと傾向の違いを感じるが、
意外にもどちらの組合せでも、共通する意図が、そして音があったことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17662


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=17678

自分がいま鳴らしている音を冷静に捉えている人であれば、
自分のシステムがうまく鳴らしてくれないレコード(音楽)を、
いともたやすく鳴らしてくれるスピーカーがあったならば、やはり惹かれてしまう。

いま鳴らしている音の延長線上にある音に惹かれることもあるし、
自分のスピーカーに不満に思い続けているところがよく鳴っているからこそ惹かれることもある。

前者の場合、グレードアップにつながっていく。
後者の場合はどうだろう。新たなスピーカーを導入するきっかけとなることだってある。

山中先生にとって、1981年の時点で、
QUADのESL63とエスプリのAPM6は、後者の場合にあたるスピーカーだったといえよう。

山中先生はESL63を導入されている。
QUADのアンプを含めての導入で、
リスニングルームではなくリビングルームにQUADのシステム一式は置かれていた。

APM6はリビングルームに置くスピーカーという雰囲気ではない。
やはりリスニングルームに置くスピーカーであるし、
型番にMonitorとつくぐらいであるからスタジオでの使用を前提としているともいえる。

そういえば、山中先生は「コンポーネントステレオの世界 ’82」のAPM6の記事の最後にこういわれている。
     *
 最後に、このAPM6というのは家庭に持ち込みますと意外と大きいんです。ショールームとか、どこかの展示会の会場で見ている場合には、角のない楕円形のカタチのせいか、そう大きく見えないのですが、実際に部屋に置くとたいへん大きいスピーカーで、狭い部屋ですとセッティングに苦労することがあるかもしれません。
     *
確かにAPM6はカタチのお陰で、写真でみるとそう大きくは感じられない。
けれど外形寸法はW54.4×H82.0×D37.3cmある。わりと大きめのサイズであることは確かだ。

だがESL63はどうだろう。
W66.0×H92.5×D27.0cmある。奥行き以外はESL63の方が大きい。
にもかかわらずESL63の記事では、APM6のように実際には大きいとは語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17678


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=17693

山中先生が《ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです》と語られているドビュッシー。
ステレオサウンド 88号の特集「最新コンポーネントにおけるサウンドデザイン24」、
この中に「山中敬三のサウンドデザイン論 そのバックグラウンドをさぐる」がある。
そこで語られていることを思い出していた。
     *
──好きな音楽は?
 わりと広いほうです。若いときから、その時期ごとに、一つのものに傾倒して、それがシフトしていって、結果的にかなり広いジャンルを聴くようになった。
 自分自身でレコードを買うようになったのはジャズ……スイングの後半からモダン・ジャズまでです。ベニー・グッドマンにはじまり、コルトレーンでストップ。
 兄がクレデンザの一番いいやつを持ってて、それでジャズを聴いてしょちゅう怒られました。でもあの音は素晴らしかった。
 クラシックで最初に好きになったのは、フォーレとかドビュッシーとかのフランス音楽だったんです……。
──S/Nをとるのがむずかしい……!
 苦労しましたね。低音を出そうと思ってもS/Nがとれない。フォーレのレクイエムを聴くために壁バッフル作ったり……。
 フランス音楽のあの積み重なりが好きになったんでしょう。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのESL63の組合せでは、
《こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、
音が空間に漂うように再生するということだろうと思います》といわれている。

フランス音楽の積み重なり、これが漂うように再生されるかどうか。
「漂い」に関しては、88号の特集で菅野先生も語られている。
     *
──鳴らし方のコツのコツは……?
 オーディオマニアは「漂い」という言葉を使わない。「定位」という言葉がガンと存在しているからだ。「漂い」の美しさは生のコンサートで得られるもの……。それを、もうちょっとオーディオマニアにも知ってほしい。これこそ、一番オーディオ機器に欠けている部分ですね。
 最新の機械を「漂い」の方向で鳴らすと、極端にいうと、みんなよく鳴るように思います。最新の機械で「定位」という方向にいくと「漂い」がなくなって、オーディオサウンドになります。
     *
山中先生が自宅のシステムとしてAPM6ではなくESL63を選ばれた大きな理由のひとつが、
この「漂い」だと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17693


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

ソニー・エスプリのAPM6は、モニタースピーカーとして開発された、といっていいだろう。
けれど、APM6をモニタースピーカーとして導入したスタジオはあっただろうか。

CBSソニーのスタジオには導入されたのだろうか。

QUADのESL63は、家庭用スピーカーとして開発された。
にも関らず、当時のフィリップスがモニタースピーカーとして採用し、
それに応じてESL63 Proが登場した。

ESL63 Proは、型番からわかるように、モニタースピーカーとしてESL63の別ヴォージョンだ。

APM6はモニタースピーカーを目指しながら、採用されることはなかった。
ESL63は家庭用でありながら、モニタースピーカーとして採用されていった。

フィリップスの録音エンジニアは、おそらくAPM6の存在は知らなかったのではないか。
知っていたとして、音を聴いていたのだろうか。

もし彼らがAPM6を聴いていたとしても、
結局はESL63がモニタースピーカーとして選ばれたように思う。

その理由は、(その12)の最後に書いている「漂い」の再現なのだろう。

日本ではモニタースピーカー・イコール・定位の優れたスピーカーというイメージが、
アルテックの604シリーズが、広くモニタースピーカーとして使われていたことからもある。

ESL63をモニタースピーカーとして選んだフィッリプスは、
クラシックの録音を行う部門であるから、「漂い」が、その理由のように思うのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1173.html#c1

[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
120. 中川隆[-5678] koaQ7Jey 2021年4月15日 19:04:50 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[32]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論

Date: 6月 10th, 2015
モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17350

ソニーのもうひとつのオーディオブランドであったエスプリ。
エスプリ・ブランドの最初のスピーカーシステムは、APM8だった。


ESPRIT APM-8
¥1,000,000(1台、1979年頃)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-8.html

ESPRIT APM-6Monitor ※受注生産品
¥500,000(1台、1981年6月発売)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-6monitor.html


1978年に登場したこのスピーカーシステムは、

当時日本のメーカーで流行ともいえた平面振動板が採用されている。
しかも当時日本で驚異的な売上げであったJBLの4343をはっきりと意識していた構成であった。
4ウェイで、外形寸法も4343とほぼ同じといえる。

だから、当時の私は、エスプリ(ソニー)によるスタジオモニターというふうに捉えていた。
けれど、エスプリからは二年後にAPM6が登場した。

こちは2ウェイ。価格はAPM8の100万円(一本)に対し、50万円と、
ユニットの数も半分ならば価格もちょうど半分となっている。

もちろんAPM6もアルミハニカムを採用した平面振動板のユニットである。
こんなふうに書いていると、APM8の弟分として開発されたのがAPM6というふうに受けとめられるかもしれない。

けれどAPM8は、型番の末尾に何もつかなかった。
APM6にはMonitorとついている。
APM6の正式型番はAPM-6 Monitorである。

APM6とAPM8の違いは、Monitorがつくのかつかないのか、
ユニットの数が二つなのか四つなのか、という違いの他に、
エンクロージュアの考え方に大きな違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=17350


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17361

エスプリ(ソニー)のAPM8は、
ステレオサウンド 53号の新製品紹介で初登場し、
54号の特集「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」にも登場している。

新製品紹介では井上先生、山中先生によって評価され、
54号の特集では、黒田先生、菅野先生、瀬川先生によって試聴されている。

黒田先生は、試聴記の冒頭に《このスピーカーには、完全に脱帽する》と書かれている。
試聴記の最後はこう結ばれている。
     *
いつの日かここでそのように口走ったことを後悔するのがわかっていて、これをパーフェクトだといってしまいたい誘惑に抗しきれない。すばらしいスピーカーだ。
     *
この特集の冒頭に「スピーカーテストを振り返って」という座談会が載っている。
編集部から、今回聴いた46機種のスピーカーの中で、
一台を自宅に持ち帰るとすればどれを選ぶかという質問がある。

ここでも黒田先生は《迷うことなくエスプリAPM8です」と答えられている。

菅野先生、瀬川先生の評価も高い。
ふたりとも一本100万円という価格がひっかかって、推選、特選機種とはされていない。
瀬川先生も菅野先生も価格が半値であったら10点をつけるといわれていてる。
さらに菅野先生は、
《今回のテストで、最も印象づけられたスピーカーなのです》とつけ加えられている。

瀬川先生は《あらゆる変化にこれほど正確に鋭敏に反応するスピーカーはないですね」といわれ、
試聴記にあるように《レベルコントロールの0.5dBの変化にも反応する!》、
こんなスピーカーは他にはない、とまでいわれている。

APM8がきわめて優秀なスピーカーシステムであることが伝わってくる。
そしてAPM8は、スタジオモニターとしての性能をもっているとも感じていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=17361


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

ステレオサウンド 54号、瀬川先生のAPM8の試聴記には、
《レベルコントロールには0・1dBきざみの目盛が入っているが、実際、0・5dBの変化にもピタリと反応する。調整を追い込んでゆけば0・3dB以下まで合わせこめるのではないだろうか。これほど正確に反応するということは、相当に練り上げられた結果だといえる。》
とある。

つまりAPM8には、連続可変型のレベルコントロールがついていた。
APM6には、レベルコントロールはついていない。
当時は、これが意味することがわかっていなかった。

レベルコントロールがないんだ、ぐらいにしか捉えていなかった。
このことと、APM8とAPM6のエンクロージュアの形式の違いは密接に関係している。

APM8はソニー・ブランドで出ていたSS-G9の平面振動板タイプと、外観上はそういえるところがある。
ほぼ同じ寸法のエンクロージュアに、レベルコントロールと銘板の位置もほぼ同じである。
そして特徴的であるAGボード(アコースティカル・グルーブド・ボード)の採用。

縦横溝が刻まれたフロントバッフルは、波長の短い中高域を拡散させるものである。
APM8にもAGボードは採用されている。

SS-G9はコーン型、ドーム型ゆえ、ユニットの形状は円であり、バスレフポートの開口部も円。
APM8は平面振動板であり、ユニットの形状は四角。
そのためであろうバスレフポートの開口部も四角に変更されている。

そんな違いはあっても、SS-G9とAPM9と共通するところの多いスピーカーシステムである。

ところがエスプリ・ブランドのスピーカーシステムの第二弾であるAPM6は、
エンクロージュアの設計はSS-G9、APM8とはまったく別モノといえる。

APM6のエンクロージュアは、スーパーオーバル(超楕円)といわれる形状をしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17373

APM6が登場したとき、その形状に関しては、ラウンドバッフルをフロントだけでなくリアにまで採用した、
その程度の認識で捉えていた。

APM6の広告はステレオサウンド 61号に載っている。
設計者の前田敬二郎氏による解説が載っている。
当然、そこにAPM6のエンクロージュアの形状について書かれている。
     *
一般にスピーカーは無限大バッフルに取りつけるのが理想的で、現実に一部のスタジオのモニター設備ではスピーカーを壁面に埋めこんで使用しています。これは有限のエンクロージャーにスピーカーを取りつけると回折が起こり、指向特性を劣化させるからです。しかし理想的とはいっても個人用として無限大バッフルは、いかにも非現実的です。では、どんな方法があるか。解決はスーパーエッグがもたらしました。つまりスーパー楕円エンクロージャーです。
     *
この広告からわかるのは、
APM6のエンクロージュアは無限大バッフルを現実的な形とすることから生れたものということ。
APM6のエンクロージュアは楕円を縦四分割し、パーティクルボードと天然木を曲げながら積層し、
最後に天板と底板と一体化するという手法でつくられている。

おそらくAPM8のエンクロージュアよりも手間がかかっているはずだ。
このエンクロージュアとAPM6からレベルコントロールが廃されているのは、実は関連している。
でもAPM6登場の1981年、私はそのことに気づいていなかった。

白状すれば、APM8に魅力を感じていたし、
ほぼ同時期にテクニクスから発表になったSB-M1の方に強い関心をもっていた。

そのSB-M1には別称がある。MONITOR 1である。
このことからわかるようにM1のMはMonitorの頭文字である。

同時期にソニーとテクニクスから、モニターと名のつく平面振動板のスピーカーシステムが登場したわけだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17373


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=17421

ソニーもテクニクスも、それ以前に、
型番にMonitorとつくスピーカーシステムは作ってこなかった。
それが1981年のほぼ同時期に、APM6 MonitorとSB-M1(Monitor 1)を出してきた。

APM6とSB-M1、このふたつのスピーカーシステムを比較してみると、
ソニーとテクニクスの違いが実に興味深い。

APM6はすでに書いているように2ウェイ。
SB-M1は4ウェイ。
どちらも平面振動板ユニットを全面的に採用しているが、
ソニーは角形に対してテクニクスは円型という違いがある。

どちらもアルミハニカム材を使用しているが、
ハニカムコアがソニーは均一であるのに対し、
テクニクスは扇のように、中心部はコアの密度が高く、外周にいくほどコアの間隔が広がっていく。
それから駆動方式というか構造も違っている。
こんなふうに、それぞれの違いを書いていくと、それだけでけっこうな長さになっていくので、
外観からうかがえることに絞って書いていく。

SB-M1はJBLの4343を意識しているところは、ソニーのAPM8と同じである。
4ウェイのバスレフ型で、エンクロージュアの外形寸法も、APM8とSB-M1ともに、4343とほぼ同じである。

しかもSB-M1はエンクロージュアの仕上げも4343をかなり意識している。
とはいえデザインの見事さでは4343のレベルには達していない。

SB-M1は4343を意識しているスピーカーであるから、エンクロージュアは一般的な形である。
ラウンドバッフルを採用したりしていない。

わりとのっぺりした印象のSB-M1だが、フロントバッフルの両端に把手がついている。
これがけっこう長い。
ウーファーからミッドバスまでのスパンとほぼ同じである。
これが視覚的アクセントになっているわけだが、
聴感上でもアクセントになっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17421


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=17433

一般的なウーファーであるコーン型だと振動板の中心は奥にある。
つまり凹みがある。
大口径になればなるほど凹みは大きくなる(奥に引っ込む)傾向にある。

ドーム型は逆ドーム型のモノもあるが、大半は前面に出ている。
コーン型と反対で凸である。

ホーン型はホーンの形式による。
基本的にはホーンなので奥に長いわけだが、
音響レンズがついていると、前に張り出している

平面振動板には、当然なのだが、この凹凸がない。
それが平面振動板ユニットの、他の方式のユニットにはないメリットではあるものの、
実際にフロントバッフルにとりつけてスピーカーシステムとしてまとめてみると、
それまでの凹凸のあったスピーカーシステムを見馴れた目には、
振動板だけでなく、フロントバッフル全体も平面(平板)な印象になってしまいがちだ。

エスプリ(ソニー)のAPM8が細かな凹凸だらけのAGバッフルを採用したのは、
もちろん音質面での配慮からだろうが、
外観が平板にならないように、という意図もあったのかもしれない。

テクニクスのSB-M1の左右両端の把手も、そういう意図があるのかもしれない。
テクニクスの発表資料には、指向特性の改善に貢献している、とあるが、
果して、どれだけの効果があるのだろうか。

私がそう思ってしまうのは、SB-M1のレベルコントロールもそうだからだ。
ミッドバス、ミッドハイ、トゥイーター、それぞれ連続可変のレベルコントロールをもつ。
つまり三つのツマミを配したパネルは、フロントバッフルより奥まった位置に取りつけられている。
この部分には凹みができている。

エスプリのAPM6には、レベルコントロールはない。
このレベルコントロールの有無、その取りつけ方法。

ここからいえるのは、聴感上のS/N比に対する配慮の違いだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17433


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

実際に試したわけではないが、テクニクスのSB-M1から把手を外して、
レベルコントロールの凹みを良質の自然素材(たとえばウール)で埋める。

これだけで聴感上のS/N比はそうとうに高くなるはずだ。
凹み部分からの不要輻射を吸音し、把手部分の共鳴もなくしてしまえるからだ。
この手の実験はステレオサウンドの試聴室でかなりやってきた。
だから確実に、そうなると断言できる。

聴感上のS/N比が高くなることは、多くの人の耳が認めることだろう。
けれど、その音をいいと判断するかどうかは、また違ってくる。

聴感上のS/N比は確実に良くなっているのだから、
音は良くなっている──、とはいえる。
それでもメーカーは、把手込み、レベルコントロールの凹み込みで音を追い込んでいたのであれば、
聴感上のS/N比が高くなったかわりとして、音のバランスが若干変化するし、
音のアクセントといえるものがなくなり、印象としてもの足りなさをおぼえてしまうことも考えられる。

いわゆるノイズも音のうち、ということだ。

この点が、SB-M1とAPM6の大きな違いである。
スピーカーシステムにおける聴感上のS/N比の向上は、
SB-M1、APM6登場以降のスピーカーにおける潮流となっていく。

この視点からみれば、
SB-M1は1970年代までのスピーカーシステムのひとつとしての登場であり、
APM6は1980年代のスピーカーシステムのはじまりとしての登場といえる。

同じエスプリのAPM8は、SB-M1と同じといえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

エスプリ(ソニー)のAPM6が登場したころの私には、
このスピーカーシステムを、聴感上のS/N比に注目して捉えることはまだできなかった。
だから、気がつかなかったことがいくつもある。

聴感上のS/N比という視点でAPM6をじっくりみていくと、
日本のスピーカーシステムで、
いくつかの共通点を見出せるスピーカーシステムが存在していたことにも気づくことになる。

ダイヤトーンの2S305である。
NHKの放送技術研究所と三菱電機とが共同開発した、このスピーカーシステムは、
はっきりとモニタースピーカーである。

なぜAPM8にはMonitorの文字がつかず、APM6にはついているのか。
そのことを考えても、ダイヤトーンの2S305の存在が浮んでくる。

APM6の設計者の前田敬二郎氏は、
APM6の開発において2S305の存在を意識されていたのだろうか。
勝手な推測にすぎないけれど、まったく意識していなかった、ということはなかったように思える。

2S305の開発において、聴感上のS/N比が開発テーマになっていたとは思えない。
NHKがモニタースピーカーに求める性能を実現した結果として、
2S305は、あの当時として、かなり優秀な聴感上のS/N比の高さを実現したのではなかろうか。

おそらく、いまでも現代の優秀なパワーアンプで鳴らせば、
2S305は多少ナロウレンジでありながらも、
聴感上のS/N比のよい音とは、こういう音だという見本という手本のような音を聴かせてくれるはずだ。

2S305は、日本を代表するスピーカー(音)といわれていた。
それは海外製のスピーカーシステムとくらべると、パッシヴな性格のスピーカーシステムであり音である。

そのため聴き手(使い手、鳴らし手)がより積極的に能動的でなければ、
海外製のアクティヴな性格のスピーカーシステム(音)を聴いた後では、
ものたりなさを感じてしまうような音でもある。

APM6の音を、私は聴くことがなかった。
どんな音なのかは、だから正確にはわからない。
それでも2S305に通じる、パッシヴな性格をもったスピーカーシステムであるはずだ。

APM6を、いまじっくりとみつめていると、
1976年当時のオーレックスの広告にあったコピーが思い出される。

「趣味も洗練されてくると大がかりを嫌います。」
「趣味も洗練されてくると万人向けを嫌います。」

APM6の広告にもそのまま使えるのではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652

ステレオサウンド 59号のベストバイで、エスプリのAPM6に星をつけている人は、
APM8の六人(井上、上杉、岡、菅野、瀬川、柳沢)に対し三人(岡、菅野、山中)だった。

ここでひっかかったのは山中先生が、APM8には入れずAPM6に二星をつけられている。
これが意外だった。

山中先生といえば新製品紹介のページでも海外製品を担当されていた。
それまで書かれたものを読んできても、国産スピーカーをあまり高く評価されることはなかった。
その山中先生が、なぜだか理由はわからないけれど、APM6に二星。
しかも多くの人が評価しているスピーカーとはいえないAPM6に対して、である。

59号の約半年後に出た「コンポーネントステレオの世界 ’82」でも、
山中先生はAPM6の組合せをつくられている。
この別冊では他に二つの組合せをつくられている。
ひとつはQUADのESL63、もうひとつはエレクトロボイスのRegency IIIである。

QUADとエレクトロボイスは、すんなりわかる。
けれど、山中先生がAPM6? と思った。

それまでのステレオサウンドを読んできた者にとって、これは意外なことだ。
APM6の組合せならば、それまでのステレオサウンドならば、
岡先生、上杉先生、柳沢氏の誰かだったはずだから。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の半年後の63号でのベストバイ。
ここでも山中先生はAPM6を評価されている。

ここでつくられた組合せの次の通りだ。

●スピーカーシステム:エスプリ APM6 Monitor(¥500.000×2)
●コントロールアンプ:エスプリ TA-E900(¥600.000)
●パワーアンプ:ヤマハ BX1(¥33.000×2)
●カートリッジ:フィデリティ・リサーチ FR7f(¥77.000) デンオン DL305(¥65,000)
●プレーヤーシステム:パイオニア Exclusive P3(¥600.000)
組合せ合計 ¥3.002.000(価格は1981年当時)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=17662

山中先生は、エスプリ(ソニー)のAPM6のどこによさを認められていたのか、
「コンポーネントステレオの世界 ’82」での組合せでは、どういう音を求められていたのか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのもうひとつき山中先生の組合せ、
QUADのESL63の組合せとAPM6の組合せには、共通する言葉が出てくる。

ESL63の組合せの最後に山中先生が語られている。
     *
 最近は室内楽のレコードをほんとうに魅力的に再生できるシステムが非常に少ない。この組合せにあたってドビュッシーのフルートとハープとヴィオラのソナタを聴きましたが、こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、音が空間に漂うように再生するということだろうと思います。そのあたりの雰囲気が、かけがえのない味わいで出てくるわけで、ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです。
 それをこういう装置で聴くと、またまた狂いそうで心配です。最近の自分のシステムでいちばん再生困難なソースだったけれども……。
     *
ESL63の組合せはQUADのアンプ(44+405)に、
アナログプレーヤーはトーレンスのTD126MKIIICとトーレンスのカートリッジMCH63、
昇圧トランスはオーディオインターフェイスのCST80E40で、組合せ合計は¥1,710,000(1981年当時)。

室内楽については、APM6のところでも語られている。
     *
 この組合せのトータルの音ですが、最初に意図した、おらゆるソースにニュートラルに対応するという目的はかなり達せられたと思う。たとえば、かなり大編成のものを大きな音量で鳴らしても大丈夫ですし、楽器のソロのような再生の場合でも焦点がピシッと定まる。決して音像が大きく広がらないで、定位の点でも問題ないし、ディテールも非常によく出ると思います。
 ただ、私の好みもあって、いろいろなソースを聴いてみますと、一番よく再生できたなという感じがしたのは、クラシック系のソースです。特に小編成の室内楽とか声楽、それからピアノの再生がかなり良かったと思います。それがこのスピーカーシステムの一つの特徴なのかもしれません。楽器のイメージというか、とくにサイズの感覚が非常によく出る。たとえば、ギターのソロの場合、スピーカーによってはギターが非常に大きくなってしまって、両方のスピーカーの間隔いっぱいに広がるような、巨大なギターを聴くという雰囲気になるんですけど、そういうことは全くなくて、ピシッとセンターに焦点が合う。しかも、その楽器の大きさらしい音で実感できる。こういう点がこのシステムの一番素晴らしいところだと思います。
     *
この、再生される楽器の大きさについては、ESL63のところでも語られている。
     *
 人間が人間の大きさでちゃんと再現される。動きもわかる。楽器がそれぞれ大きさでちゃんと鳴る。小さな楽器は小さく、大きな楽器は大きく、ちゃんと感じられる。
     *
APM6とESL63、
それに鳴らされる(組み合わされる)アンプもずいぶんと傾向の違いを感じるが、
意外にもどちらの組合せでも、共通する意図が、そして音があったことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17662


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=17678

自分がいま鳴らしている音を冷静に捉えている人であれば、
自分のシステムがうまく鳴らしてくれないレコード(音楽)を、
いともたやすく鳴らしてくれるスピーカーがあったならば、やはり惹かれてしまう。

いま鳴らしている音の延長線上にある音に惹かれることもあるし、
自分のスピーカーに不満に思い続けているところがよく鳴っているからこそ惹かれることもある。

前者の場合、グレードアップにつながっていく。
後者の場合はどうだろう。新たなスピーカーを導入するきっかけとなることだってある。

山中先生にとって、1981年の時点で、
QUADのESL63とエスプリのAPM6は、後者の場合にあたるスピーカーだったといえよう。

山中先生はESL63を導入されている。
QUADのアンプを含めての導入で、
リスニングルームではなくリビングルームにQUADのシステム一式は置かれていた。

APM6はリビングルームに置くスピーカーという雰囲気ではない。
やはりリスニングルームに置くスピーカーであるし、
型番にMonitorとつくぐらいであるからスタジオでの使用を前提としているともいえる。

そういえば、山中先生は「コンポーネントステレオの世界 ’82」のAPM6の記事の最後にこういわれている。
     *
 最後に、このAPM6というのは家庭に持ち込みますと意外と大きいんです。ショールームとか、どこかの展示会の会場で見ている場合には、角のない楕円形のカタチのせいか、そう大きく見えないのですが、実際に部屋に置くとたいへん大きいスピーカーで、狭い部屋ですとセッティングに苦労することがあるかもしれません。
     *
確かにAPM6はカタチのお陰で、写真でみるとそう大きくは感じられない。
けれど外形寸法はW54.4×H82.0×D37.3cmある。わりと大きめのサイズであることは確かだ。

だがESL63はどうだろう。
W66.0×H92.5×D27.0cmある。奥行き以外はESL63の方が大きい。
にもかかわらずESL63の記事では、APM6のように実際には大きいとは語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17678


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=17693

山中先生が《ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです》と語られているドビュッシー。
ステレオサウンド 88号の特集「最新コンポーネントにおけるサウンドデザイン24」、
この中に「山中敬三のサウンドデザイン論 そのバックグラウンドをさぐる」がある。
そこで語られていることを思い出していた。
     *
──好きな音楽は?
 わりと広いほうです。若いときから、その時期ごとに、一つのものに傾倒して、それがシフトしていって、結果的にかなり広いジャンルを聴くようになった。
 自分自身でレコードを買うようになったのはジャズ……スイングの後半からモダン・ジャズまでです。ベニー・グッドマンにはじまり、コルトレーンでストップ。
 兄がクレデンザの一番いいやつを持ってて、それでジャズを聴いてしょちゅう怒られました。でもあの音は素晴らしかった。
 クラシックで最初に好きになったのは、フォーレとかドビュッシーとかのフランス音楽だったんです……。
──S/Nをとるのがむずかしい……!
 苦労しましたね。低音を出そうと思ってもS/Nがとれない。フォーレのレクイエムを聴くために壁バッフル作ったり……。
 フランス音楽のあの積み重なりが好きになったんでしょう。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのESL63の組合せでは、
《こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、
音が空間に漂うように再生するということだろうと思います》といわれている。

フランス音楽の積み重なり、これが漂うように再生されるかどうか。
「漂い」に関しては、88号の特集で菅野先生も語られている。
     *
──鳴らし方のコツのコツは……?
 オーディオマニアは「漂い」という言葉を使わない。「定位」という言葉がガンと存在しているからだ。「漂い」の美しさは生のコンサートで得られるもの……。それを、もうちょっとオーディオマニアにも知ってほしい。これこそ、一番オーディオ機器に欠けている部分ですね。
 最新の機械を「漂い」の方向で鳴らすと、極端にいうと、みんなよく鳴るように思います。最新の機械で「定位」という方向にいくと「漂い」がなくなって、オーディオサウンドになります。
     *
山中先生が自宅のシステムとしてAPM6ではなくESL63を選ばれた大きな理由のひとつが、
この「漂い」だと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17693


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

ソニー・エスプリのAPM6は、モニタースピーカーとして開発された、といっていいだろう。
けれど、APM6をモニタースピーカーとして導入したスタジオはあっただろうか。

CBSソニーのスタジオには導入されたのだろうか。

QUADのESL63は、家庭用スピーカーとして開発された。
にも関らず、当時のフィリップスがモニタースピーカーとして採用し、
それに応じてESL63 Proが登場した。

ESL63 Proは、型番からわかるように、モニタースピーカーとしてESL63の別ヴォージョンだ。

APM6はモニタースピーカーを目指しながら、採用されることはなかった。
ESL63は家庭用でありながら、モニタースピーカーとして採用されていった。

フィリップスの録音エンジニアは、おそらくAPM6の存在は知らなかったのではないか。
知っていたとして、音を聴いていたのだろうか。

もし彼らがAPM6を聴いていたとしても、
結局はESL63がモニタースピーカーとして選ばれたように思う。

その理由は、(その12)の最後に書いている「漂い」の再現なのだろう。

日本ではモニタースピーカー・イコール・定位の優れたスピーカーというイメージが、
アルテックの604シリーズが、広くモニタースピーカーとして使われていたことからもある。

ESL63をモニタースピーカーとして選んだフィッリプスは、
クラシックの録音を行う部門であるから、「漂い」が、その理由のように思うのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c120

[番外地9] 盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。 中川隆
3. 中川隆[-5677] koaQ7Jey 2021年4月15日 19:17:31 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[33]
天皇家は完全フリーセックスの伝統があるから苦労するだろうな
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/22/2016102220161022120000/
ミテ子さんのカッコウ(鳥)疑惑はかなり前から一部で噂になっていましたが、もっと凄いのがありまして盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。(たぶん婚活パーティーの仲間)それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。
表面上は流産だが実は…喜久子妃の言葉が苛めの一つとして伝わっていますが、皇太子以外ミテ子にされた仕打ちは知っていた。
ミテ子はヒステリーで発狂して手の施しようがなく別荘に篭って落ち着くのを待った。
真相は…若くして二度と子を産めなくされたこと。

昭和帝のご長女様が若くしてガンで亡くなった直後にミテ子は一家でリゾートに旅行し、あろうことか長女を亡くしてふさぎ込む香淳皇后に皇室のクレームをつけています。

盗宮を生んだミテ子さんは調子に乗りすぎて香淳皇后をないがしろにする態度がひどく目に余るようになり、昭和帝はリンチを命じたのだろうと伝わっています。

その後ミテ子さんは甲状腺の病気を発症してどんどん痩せて…顰蹙を買いながら昭和帝が亡くなるのを待って自分らの代になり…今に至るところでしょう。

旧宮家関係もミテ子さんのカッコウや別腹説やリンチは知っているでしょうが内々でしか話さない。

ミテ子は面倒なキャラクターだから。闘争か何だか知りませんが、清浄な中に土足で入って行って何もされないのがどうかしています。皇室を舐めてかかったミテ子さんと取り巻きが甘かったのでしょう。排除されても仕方がない事です。

≪私の返事≫
貴重な情報有難うございました。驚くべきことがあったんですね。
美智子が、徳仁ばかり可愛がって、文仁親王や、清子様に冷たい意味がよくわかりましたよ。自分の産んだ子が徳仁だけだから、愛子を女帝にと固執するのがよくわかりました。たとえ東宮は自分の腹を痛めた子でも、東宮ほど両親にも、兄弟にも、祖父母にも、母方の祖父母や叔父叔母にも似ていないのが昔から不思議でした。

私が、一部知っていたのは「美智子さんが、流産し、その時誰かから嫌みを言われたので、狂乱状態になり、拘禁服を着せられて、葉山の御用邸にいかれ、2,3か月療養されたとのこと。

何故流産ぐらいで発狂し、拘禁服を着させられたかが疑問でしたが、F氏の証言で腑に落ちました。侍従らに折檻されて、「石女(うまずめ)」にされたんですね。びっくりしましたが、表面に出ないだけで、皇室内の折檻というのは、昔からあったのではないでしょうか?

江戸時代、武家の家では妻が浮気すると、間男を捕まえ、二人を裸にして、女を上に乗せ、一太刀で真っ二つにしたそうです。

「姦婦姦夫の重ね斬り」と言います。普通の武家の家でそうですからね。

2800年続く、世界最古の王家で、しかも世界最高権威をもつ日本の天皇家に、史上初めて民間から入内した嫁が、人の良い皇太子を騙して、東宮出産後も間男と「昼下がりの情事」を楽しむなんて、戦前は大日本帝国の大元帥のヒロヒトとして、世界から恐れられた、気性の激しい昭和天皇を激怒させたのです。

「殺されなかっただけ感謝しろ」の話ですよ。

ロミオとジュリエットの様に、皇太子が熟睡した深夜、東宮御所の外の森で、逢引するぐらいなら未だ可愛げがありますが。白昼堂々ですからね。婚約交渉の時、母親の富美子が、昭和天皇に散々の悪態をつき、記者のカメラが向くと決まって不機嫌な表情をする。母親のこうした「日本人離れした」態度を見て、美智子も横着になったんでしょう。

ある皇室ブロガーさんの豊富な写真を見ると、ナルへの溢れんばかりの愛を隠さない美智子さんと、無視された無念さをかみ殺す文仁親王と複雑な表情の清子内親王の対照的な姿。

★お土産をなるの分しか用意しなかった用意しなかった正田富美、用意がいいですね(笑)ある意味、托卵を積極的に仕組んだのはこの母親です。娘が折檻されることも計算のうちだったかもしれません。

正田富美(旧姓副島、上海生まれの佐賀人;本籍多久市)のこの天皇家に対するあくなき敵意、婚約交渉中の昭和天皇に対する発言、天皇家を「あちらよばわり」「婚約はストラングル(闘争)です」、婚約後の会見で不機嫌そうに「最良の結婚と最適な結婚は違うんですよ」等々、

少なくとも武家の家柄(副島氏は多久藩2万石の下級武士)では口を裂かれても言えない言動です。どうさかさまから見ても朝鮮人です。しかも夫の正田英三郎は出自は部落民です。

石高2万石と言えば、旧日本陸軍の研究では、1万石で兵士250人、2万石だから、武士階級は500人いるかいないかの超小藩です。特に本藩の佐賀藩は、支藩に対する搾取がきつく、特に多久は、鍋島家の元主家竜造寺家(家老鍋島直茂は主人の竜造

寺家を乗っ取った)の藩ですから、搾取はより一層きつかったらしいです。

ですから、多久の下級武士は相当生活が苦しかったはずです。維新後、副島家からは、ブラジル移民も出ましたが、普通の武士階級では海外移民などいきませんよ。平民以下の人が多かったのです。

加えて戦中上海生まれとする自称日本人には在日朝鮮人がいます。

元総理の鳩山由紀夫の妻、鳩山幸が両親とも在日朝鮮人でした。なんせ、戦前は各国の租界が有り、列強の謀略戦が繰り広げられ「魔都」と呼ばれた上海ですから、日本人と

言っても疑ってかかるのが正解です。

昭和天皇は嫁が産んだ男子が、長男の子ではない、浮気相手の男の子だという事を直観的に感ずいていたのでしょう。

カッコウの雛鳥には「徳仁」の「徳」という、最も不吉な文字を付けました。

私はこれは昭和天皇が行った一種の呪詛だと思います。徳仁の即位を絶対に阻止するつもりだったのでしょう。

ご自分の死後、皇太子妃の美智子が【皇室を破壊すること】を読んでいたと思います。

東宮は両親に似ていない、弟、妹とも似ていない、祖父母、従姉とも似ていない。正田家の祖父母とも似ていない。叔父叔母とも似ていない。従姉とも似ていない。

英国、初め世界の人気者だった故ダイアナ妃は夫のチャールズがカミラ夫人との浮気を知ると、騎兵で馬術のインストラクターであったジェームズ・ヒューイットと5年間不倫しました。

英国王室の法律では、皇太子の妃を寝取った男は、死刑だそうです。未だにヒューイットは刑死していませんが、これは、チャールズも離婚後、人妻カミラと再婚した負い目もあるでしょう。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/296.html#c3

[近代史5] 米国株のはじめ方 メリット・デメリットを解説 中川隆
1. 中川隆[-5676] koaQ7Jey 2021年4月15日 20:44:11 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[34]
鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html

バフェットの2面性 庶民を装う超富裕層の素顔
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/715.html

株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html

バブル崩壊の歴史と これから起きる超円高によるバブル崩壊
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/388.html

日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/149.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/589.html#c1

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
1. 中川隆[-5675] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:00:30 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[35]
共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

20世紀の自称共産主義とは一体何だったのか?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/116.html

世界で唯一成功した共産国家はバブル崩壊までの日本だけだった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/117.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

脳動脈硬化症で晩節を汚した(?)レーニン _ 実際は若い時から…
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/756.html

帝政ロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに逃げてきて共産主義者になっていった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1214.html

ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html

「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html

ネオコンとはトロツキスト共産主義のこと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/364.html

アメリカの共産主義者の実態はユダヤ移民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/366.html

社会主義の20世紀 |バルトの悲劇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/788.html

社会主義はそんなに悪いか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html

ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/757.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1053.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/963.html

ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年〜1945年に1400万人を殺害した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html

犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/345.html

ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1195.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c1

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
2. 中川隆[-5674] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:01:42 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[36]

チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

J・F・ケネディ-はヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

社会主義の20世紀 おしつぶされた改革 〜プラハの春・ドプチェクの証言〜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/794.html


▲△▽▼


エリツィン大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1082.html

プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html

プーチン大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html

プーチンは CIA右派のエージェトだった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/363.html

カネも通信も丸裸、ロシア「監視社会化」の恐怖
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/599.html

ソ連の細菌兵器と炭疽菌の流出事件
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/917.html

ネット上のフェイクニュースの発信源は「ロシア」「中国」「イラン」が3大超大国
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/887.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c2

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
3. 中川隆[-5673] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:03:06 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[37]
マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

高校生で人生がほぼ決まってしまうフランスの超学歴社会…日本人ははるかに幸せ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/962.html

上級国民/下級国民 _ 『持てる者』は“事実上の一夫多妻”、『持たざる者』は生涯独身
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/689.html

“独立”する富裕層  政府による所得再分配は努力して金持ちになった人の金を盗む行為だから許せない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/701.html

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html

欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html

シリコンヴァレーで加速する「カースト制度」の真実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/609.html

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

社会主義はそんなに悪いか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html

マルクス経済学の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/915.html

マルクスの貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html

ト・アペイロン 経済原論概説
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1118.html

白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html

パリ・コミューンについて
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html

帝政ロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに逃げてきて共産主義者になっていった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1214.html

アメリカの共産主義者の実態はユダヤ移民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/366.html

ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html

「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html

【英文資料】ソルジェニーツィン氏が、最新歴史研究書のなかでロシア革命におけるユダヤ人の役割を総括
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/753.html

ソルジェニーツィンの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1236.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

ネオコンとはトロツキスト共産主義のこと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/364.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c3

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
4. 中川隆[-5672] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:04:41 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[38]
ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

関東大震災とJPモルガン
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/278.html

昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html

ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1049.html

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html

チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html

イスラエル建国
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1024.html

イスラエルは中東の対立を煽る為に作られた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/833.html

欧米の中東侵略の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/942.html

J・F・ケネディ-は東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html

キッシンジャーがやった事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1109.html

ロスチャイルドの番頭で殺人鬼だったジョージ・ソロス
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1194.html

ロスチャイルドのエージェントのソロスは反共・反中国だった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/215.html

イスラエル、過去2700人も暗殺? 制度化し首相決裁
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1217.html

アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1114.html

アメリカの上流階級の人間はユダヤ人の家族に囲まれている
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1108.html

ユダヤ人の「リベラル」思想とはどういうものか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/922.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c4

[近代史5] 昭和の日本のスピーカーは世界最高峰だった 中川隆
6. 中川隆[-5671] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:25:32 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[39]
ソニー 平面型ユニット スピーカー ESPRIT APM-8・APM-6Monitor
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1175.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/443.html#c6
[近代史4] 日本のスピーカー 中川隆
5. 中川隆[-5670] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:26:28 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[40]
ソニー 平面型ユニット スピーカー ESPRIT APM-8・APM-6Monitor
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1175.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/114.html#c5
[近代史5] 伝説のスピーカー 中川隆
26. 2021年4月15日 23:10:59 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[41]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1173.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 BBCモニター考
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1170.html

audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html

audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1171.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/414.html#c26

[近代史4] イギリスのスピーカー 中川隆
24. 中川隆[-5669] koaQ7Jey 2021年4月15日 23:11:53 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[42]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1173.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 BBCモニター考
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1170.html

audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html

audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1171.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/111.html#c24

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
129. 中川隆[-5668] koaQ7Jey 2021年4月15日 23:15:37 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[43]
BBCモニター復活!ロジャース「LS5/9(65th Anniversary Edition)」の魅力に迫る! 2014/04/29
https://blog.joshinweb.jp/.s/hiend/2014/04/bbcls5965th-ann-e24b.html?yclid=YSS.1000018606.EAIaIQobChMIuYX8h7aA8AIVSWoqCh3dDAXrEAAYAyAAEgK1jvD_BwE


本日は、イギリスBBC(英国放送協会)モニターで有名な老舗スピーカーブランド、ロジャースのスピーカー「LS5/9(65th Anniversary Edition)」の魅力に迫ります。オーディオの魅力や奥深さを知り尽くした方にこそお勧めしたいスピーカーです。

ロジャース 2ウェイバスレフ型スピーカー
LS5/9 (65th Anniversary Edition)

■ ロジャース(Rogers)というメーカー

ロジャースは、第2次大戦直後の1947年に設立。紆余曲折を経て、現在は香港の企業グループの傘下にあります。ちなみに、日本国内の発売元は、ロジャース・ラボラトリー・ジャパンとなっています。

BBCのモニタースピーカーの型番には必ず「LS」が付いています。これは「Loudspeaker」を意味し、BBCのモニタースピーカーの規格名になります。続いて、「LS」の次の数字は用途、「/」(スラッシュ)の次の数字は開発順を表しています。ちなみに、LS3はスタジオ用小型モニターのことで、超有名な「LS3/5a」は小型で5番目に開発されたモニタースピーカーの規格ということになります。今回取り上げる「LS5/9」は中型で9番目に開発されたスピーカーであることを意味しています。あくまで規格であるため、過去には多くのスピーカーメーカーから同規格のスピーカーが発売されていました。

■ BBCモニターとは

ここで、BBCモニターの歴史を少し紐解きます。1号機は1958年の「LS5/1」で、ツイーターも後に一世を風靡したセレッションのHF1300が使われていました。その後の「LS5/5」には、ウーファー振動板にスペンドールのBC2などでもお馴染みのベクストレン樹脂が採用されました。

70年代には「LS3/5a」「LS3/6」などの小型モニターが開発されました。特に「LS3/5a」は超小型の移動用モニタースピーカーで、ユニットには有名なKEFの「B110」と「T27」が使われていました。「LS3/5a」は、KEF、ハーベス、スペンドール、チャートウェル、そしてロジャースなど、多くのメーカーから発売されていました。箱の規格とユニットは決められてはいるものの、内部のネットワークは各社で少しずつ違いがあり、実際音も少しずつ違いました。私は、能率が非常に低いながら、音のしっとり感とヌケの良さからロジャースの「LS3/5a」を大いに気に入り、手に入れました。

そして、80年代後半(私がJoshin三宮1ばん館に赴任していた時代)に大ヒットしたBBCモニターが、ロジャースの「LS5/8(PM510ファイブテン)」と「LS5/9」でした。当時の私は、その暖かく柔らかで包容力のあるサウンドに憧れました。たくさんのお客様にご購入いただきました。今回、その「LS5/9」が「LS5/9(65th Anniversary Edition)」として約30年ぶりに発売されたのですから、大注目しないわけには参りません。

■ LS5/9の復刻版が発売に!

「LS5/9(65th Anniversary Edition)」は、1985年頃にBBCの中型モニターとして発売された「LS5/9」の復刻版で、当時と全く同一の仕様となっています。オリジナルの「LS5/9」同様、ポリプロピレンコーンのミッドバスとソフトドームツィーターを搭載した2ウェイバスレフタイプです。ロジャース65周年記念として発売されたもので、オリジナルのエンクロージャーの色は、チークとローズウッドがありましたが、今回の復刻版はシックで落ち着いた雰囲気のローズウッドのみとなっています。大変魅力的で綺麗なデザインです。オリジナルは発売当時、チークよりローズウッドの方が高く、価格は約40万円したとのことですが、今回の復刻版がほぼ同一価格を実現していることは驚異的です。

オリジナル「LS5/9」の特徴はユニットにあり、ツイーターには当時の主流であったソフトドーム(34mm)を採用し、ウーファーには振動板に半透明のポリプロピレンを使った200mmコーン型を採用しています。また現在ではあまり見られないフロントバッフル上部に、大きく口を開いた左右対称配置のバスレフポートも大きな特徴となっています。

復刻版のウーファーのポリプロピレンコーンは、かつてのような半透明ではなく、かなり透明度の高い改良型となっています。ツィーターはオリジナルと同様の34mmソフトドームです。ただグリルは、バッフルのマジックテープが丸見えと言うデザイン的な面だけでなく、音質の面からも取り外さない方がいいようです。

ちなみに、ポリプロピレン樹脂は、初期のBBCモニターや民生用スピーカーに採用されていたベクストレンが、本来その素材が持つ固有の振動音を抑えるために塗るダンプ材により振動板自体が重くなってしまうため、さらに特性の良い材料が研究されました。70年代の半ば過ぎ、ダンプ剤を塗る必要のない乳白色がかった半透明の樹脂であるポリプロピレンが選ばれたのです。これがBBCモニターにおける第2世代の振動板材料であるポリプロピレンというわけです。

■ 魅力的なサウンド

そのサウンドは、BBCモニター特有の懐の深さを持っており、大らかで肉厚な中低域、滑らかで艶っぽい中高域は大変魅力的で、音楽のジャンルを選びません。クラシックでは、大編成のオーケストラは開放感たっぷりに、小編成のストリングスはストレスのない豊かな響きが、ボーカルはその温かくナチュラルな肉質感が、そしてジャズは軽やかで屈託のない開放的なサウンドが魅力的です。近年流行の高解像度スピーカーとは一線を画する別の魅力がありました。

「LS5/9(65th Anniversary Edition)」は、決して現在的なスピーカーではありません。正直、オーディオが最も華やかかりし、良い時代のヨーロッパ系スピーカーの中でのタンノイと並ぶ一方の雄です。いわゆる、JBLをはじめとした米国系モニター系の音とは真逆の、ニュアンス豊かなサウンドに、ゆったり包み込まれるような聴き方にピッタリのスピーカーだといえます。オーディオの魅力や奥深さを知り尽くした方にこそお勧めします。

https://blog.joshinweb.jp/.s/hiend/2014/04/bbcls5965th-ann-e24b.html?yclid=YSS.1000018606.EAIaIQobChMIuYX8h7aA8AIVSWoqCh3dDAXrEAAYAyAAEgK1jvD_BwE

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