5. 2020年6月26日 18:48:26 : lIsQoH76A1 : aE9wbzY3UGJkZmM=[1]
2020年06月13日
ラヂオ
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52304705.html
終戦後ロンドン郊外ミルフォード・ジャンクション駅の待合室
ふたりのテーブルには紅茶と菓子パン
「これでも自分の専門に関しては野心家でね」
「専門は?」
「予防医学・・知ってる?」
「わからない」
「良心的な医者は若い時は夢を持つが、多くは職業医にとどまる。退屈かい?」「いいえ、わからないけど」
「医者には何より情熱が必要だ、作家や画家と同じく使命感を持つこと、それを忘れてはいけない」
「そうね」
「病気の予防策1つには、50の治療法と同じ価値がある、というのが僕の信念、予防医学は生活、衛生、市民の共通認識、あらゆることに関わってくる」
「例えば炭疽病、ここには炭鉱があるから研究には最適だ」
「あなた、急に若く見えてきた。少年みたい」
「なぜそんなことを?」
「わからない、さあ、なぜかしら」
「聞かせてください」
「えーと、炭鉱の話でしたわね」
待合室のベルが鳴る
「汽車の時間よ、遅れるわ」
「わかってる」
「どうしたの?」
「いや、別に」
「ほんと楽しい午後だった」
「僕こそ、退屈な話をして悪かった」
「理解できなくてごめんなさい」
「・・・また会いたい、来週の木曜、同じ時刻に?」
汽車の音
「向こうのプラットフォームでしょ、走らないと」
「また会いたい」
「ええ、日曜日、ケッチワースの家で、きっと家族も喜ぶわ」
「どうか、お願いです、来週、同じ時間に」
「そんな、無理よ」
「無理は承知、どうか」
「乗り遅れるわ」
「じゃあ」と立ち上がる
「わたし、やっぱり行く」
「ほんと!ありがとう!じゃあ来週!」
アイリーン・ジョイスのピアノでラフマニノフの2番が流れる映画「逢びき」(1945年デイヴィド・リーン監督)をラヂオで聴いた。
ずいぶん前のこと、クーダムの裏通りにある小さな電気店のウィンドウの前に立ち止まったベルリンの友人、「ちょっと見ろよ、いいだろ?」と指さしたのがこのラヂオ。
当時と同じデザインながら最新モデルはBluetooth対応と聞いて、決めた。小さな箱のわりにずっしり重い。タブレットから音声を送ると思い通りの音が出た。まさしくラヂオの音!楽しくて置く場所をいろいろ試した。結局デスクの上の棚が一番空気を震わせてくれた。快適な音の環境が整った。シェーンベルクのピアノの低音が潤ってほぐれている。とても3インチのスピーカの音とは思えない。梅雨の季節、外に出られないとき。ディジタル臭さがないせいか、装置を気にせずにゆたかな音に包まれる。今となっては贅沢な音。棚自体が大きなスピーカボックスとなって、デスクに座れば前の壁に音が舞い降りてくる。映画の音声をラヂオに飛ばして聞く。
夫婦の居間
憔悴しきった妻に
「ローラ」
「なに」
「そんなに思い詰めて。あまり楽しくない夢のようだね?
「ええ」
「私で力になれるかな?」
「ありがとう、あなた」
「ずいぶん遠くへ旅していたんだね」
「そう」
「よく戻ってきた」
映画の主役はラフマニノフ、彼の音楽なしにドラマは成り立たない。セリフと演技だけでは退屈な一本だったはず。ラフマニノフもおかげでレコードが売れた。
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52304705.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/431.html#c5