2. 2019年7月19日 07:52:52 : zFve9Fv6Rk : a1hxdFMxZVFsMXM=[1]
>しかし、今月1日現在で住民登録者数5567人のうち村内居住者は1324人と、帰還率は2割にとどまる。
大変な思いをして避難された人々であってみれば、余程のメリットが無いと帰還しないでしょうなあ。
エフ1★の爆発で飛散した汚染プルームは、★ 〜 飯館〜 前橋(飯館ルート)と流れた。
周囲の南相馬、川俣、葛尾、田村、川内、富岡、楢葉などが「計画的避難区域」に指定されて避難する
なか、飯館は取り残された。
-------(引用始め)
・3月14日午前11時頃
東京電力福島第一原発3号機が水素爆発し、建屋が大破。
※この時点での飯館村の放射線数値
→1時間当たり0.09マイクロシーベルト
通常の値です。(富山での平均程度)
・3月15日正午頃
放射線量の数値が急上昇。
・3月15日午後6時頃
飯館村の放射線量
→44.7マイクロシーベルトを記録。(1時間当たり)
・3月16日
放射線量が49マイクロシーベルトを記録。
・3月17日
95.1マイクロシーベルトある中長泥住民は炊き出しをしていました。
・3月25日
リスクアドバイザー高村昇長崎大学院教授による講演会開催。
高村教授「医学的には注意事項を守れば健康に害なく村で生活していけます」
・4月22日
ようやく、国が飯館村全体を「計画的避難区域に指定」と発表。
「高い放射能であるにもかかわらず、自宅待機を続けた住民、本当に危険な状況において、
様々な間違った行動を政府がとらなければ、我々は安全を考えて早く非難することができたのに・・・」
-----------(引用終わり)
引用元:http://t-koukyouso.labornet.jp/tabisaki/tabisaki-630
飯館村がようやく「計画的避難区域」に指定されて避難が始まったのが2011年4月22日。
避難が概ね完了したのが同年6月22日ということだ。
今回、被ばく量が年20ミリを下回るとして避難指示が解除され、住宅支援は打ち切られたが、
生活の基盤ともいえる農作物を育てる生業が再び成り立つのか。それが見えてこないことには
帰還するのは難しいだろう。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/728.html#c2