3. 2016年8月03日 15:19:27 : xPXQ73Ttlg : xmf@K8zVxz8[1]
>>1.
>民衆とは基本的に保守的なのだ。自らの生活がいよいよ成り立たなくならない限り革命など望みはしない。なぜならそれは冒険だからだ。博打をするよりまだ貧しい方がいいというのが本音ではないだろうか。
一見、ヒトの本性を表しているかのようですが、確かに保守的ともいえますが、「冒険」ではないはず。
前提が違っているのす。
>いつの時代でも、権力(支配力)というものは民衆の支持によってしか成立しない。
権力を監視抑止するため、民衆のために憲法があるのです。
だから「冒険」ではなく、「法治国家」を熟成していく民度であり、その作業こそ民衆の絶え間ない努力が必要になるのです。
つまり、博打を避けているのではなく、逃げであり誰かがやってくれるだろうという依存病国民になっているのです。
不正選挙を追及する闘いは、冒険ではなく、法治国家を壊す権力に対して、特に、憲法に対する背信行為であることを突きつけることです。
本来、勇気でも何でもなく当然の合法的行為ですが、開票所に行けば分かるように、まさに893の世界。恐怖を感じさせます。
だから、多くが一緒に行き、実態を知り、有権者の貴重な一票が簡単に捨てられている真実をつきとめなければいけない。理屈も何もなく、単純に、この不正の現場に行く勇気と監視の結果、問題指摘する勇気を求められるだけです。
コメント欄に多くが主張するように、そのエネルギーを一度だけ開票所に行き、現場の実態を監視することに当てる勇気が欲しい。
もちろん、学者らも弁護士らも。そして、必須なのは、落選候補者その人自身。
多くが、投票して終わり。開票所で何が起きても、監視から逃避したのだから、不正三昧でも反論しないだけなんでしょう。冒険でも何でもない。