1. 2016年4月03日 06:58:30 : lSwLtNBcvA : xYDrRd5ITnw[1]
アゼルバイジャンで武力衝突 30人死亡
4月3日 6時42分 NHK
旧ソビエト、アゼルバイジャン西部のナゴルノカラバフ自治州の独立を巡って対立するアゼルバイジャンとアルメニアの間で武力衝突が起き、これまでに双方の兵士合わせて30人が死亡しました。
アゼルバイジャンとアルメニアの間ではソビエト崩壊後、アルメニア系住民が多数を占めるアゼルバイジャン西部、ナゴルノカラバフ自治州の独立を巡る対立から紛争が起き、1994年に停戦することで合意したものの、その後もたびたび戦火を交えています。
こうしたなか、ナゴルノカラバフ自治州で2日、アゼルバイジャンとアルメニアが武力衝突し、アゼルバイジャン国防省の報道官によりますと、アゼルバイジャン軍の攻撃用ヘリコプター1機が撃墜されて兵士12人が死亡しました。一方、アルメニアのサルキシャン大統領は、今回の衝突でアルメニア軍の兵士18人が死亡し、35人がけがをしたと明らかにしました。ナゴルノカラバフ自治州でアゼルバイジャン軍とアルメニア軍がこれほどの規模で衝突したのは、おととし、双方合わせておよそ50人が死亡して以来2年ぶりです。
こうした事態を受けて、旧ソビエトの両国と関係の深いロシアのプーチン大統領は戦闘の即時停止を呼びかけましたが、緊張緩和に向かうのかどうかは予断を許さない情勢です。
ナゴルノカラバフ紛争とは
アゼルバイジャンとアルメニアの間では、ソビエト時代の1988年に、アルメニア系住民が多数を占めるナゴルノカラバフ自治州のアゼルバイジャンからの帰属替えを巡って対立が激しくなりました。そして、ソビエト崩壊の前後にアルメニア系住民がナゴルノカラバフ独立の動きを強めると、両国の間で武力衝突が激しくなりました。1994年に、両国がともにつながりの深いロシアの仲介で停戦に合意するまでにおよそ2万人が死亡し、数十万人が難民になったとされています。
ナゴルノカラバフはその後もアルメニアの後ろ盾を受けて独立を主張し、アゼルバイジャンの支配が及ばない状態が続いており、双方の間で散発的な戦闘が続いていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160403/k10010466211000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_003
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/469.html#c1