1. 2016年2月14日 08:03:20 : HQly0676lE : xPvZBSYQ1fc[1]
【海軍乙事件】 捕虜になり機密書類奪われても昇進 = アベノ役人機構とまるで同じ
http://carpenter.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1455302337/
ウィキペディアより
>海軍乙事件(かいぐんおつじけん)は、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月31日、
>連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件である。
>事件の際に日本軍の最重要軍事機密文書がアメリカ軍に渡った。
>連合艦隊司令部は、米軍がパラオに上陸してくると判断。
>3月31日夕刻、ミンダナオ島のダバオへ飛行艇(二式大艇)で移動を図ったが、
>途中で低気圧に遭遇し、古賀が乗っていた一番機(機長:難波正忠中尉)が行方不明となった。
>二番機はセブ島沖に不時着し、搭乗していた連合艦隊参謀長福留繁中将以下の
>連合艦隊司令部要員3名(他、山本祐二作戦参謀、山形掌通信長)を含む9名は泳いで上陸したが、
>ゲリラの捕虜となり、1944年(昭和19年)3月8日に作成されたばかりの新Z号作戦計画書、
>司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍事機密を奪われた。
>作戦計画書等の機密文書はのちにゲリラからアメリカ軍の手に渡り、
>ブリスベーン郊外の連合国軍翻訳通訳部で、
>アメリカ陸軍情報部(Military Intelligence Service, MIS)の要員によって翻訳された
>戦陣訓に見られるように、当時の日本では敵の捕虜となる事をこの上ない恥としており、
>福留繁中将がゲリラに捕縛された事を敵の捕虜になったとみなすかどうかが問題となった。
>戦時は捕虜にならなかったという見地で不問になった。 福留は海軍上層部の擁護もあり、
>軍法会議にかけられる事も、予備役に退かされる事もなく、第二航空艦隊司令長官に着任
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/291.html#c1