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[政治・選挙・NHK209] 東京の方教えて? 選挙結果(確定)から見る不思議。なぜ三宅洋平氏は東京都の僻地では人気?なの? 知る大切さ
13. 2016年7月11日 20:16:23 : GrRytMTgzY : x3NNiphpFdM[1]
自分は東京都民ですが、単純に三宅候補が訴えていた事が、多くの都民には受け入れられなかったからだと考えます。

三宅候補が全面的にうったえていた事が「自分らしくあれる社会」。

しかし有権者の多くは生活の事や自分の暮らし等の事について重視していたのではないでしょうか?

三宅氏の選挙フェスにいつも同行し、三宅氏の前に必ず前説として国民の置かれた危機的な状況(暮らしや、奨学金問題や、放射能の被爆の問題)を聴衆に訴えていた山本太郎議員。
その演説に共感し真剣に耳を傾ける聴衆の人達。

その様なある意味自分の暮らしが切羽詰まった聴衆の人々に対して、「自分らしくあれる社会」という三宅氏が選んだ言葉は有権者に訴えるのには抽象的というか、具体性において解かり辛い、(イメージしづらい、)ピンとこない(、訴える言葉としては弱い)スローガンだった様な感じがしてならないのです。

もちろん「自分らしくあれる社会」というテーマの中には経済格差是正や生活、暮らし等についても含まれていると三宅氏は主張するのでしょうが、単純に「自分らしくあれる社会」という言葉から、生活や暮らし、格差是正についてイメージが結びつかない、結びつけるのには、2段階くらい頭の中で各自が思考変換しなければならない様な、ある意味経済格差を訴えるスローガンとしてはこじつけ。
ダイレクトに有権者に通じる言葉ではなかったと私は思います。
つまり有権者に訴えるのには適切な言葉ではなかった、共感が得られなかったという事だと思うのです。

そして実際に三宅氏の演説の内容も経済格差について、山本太郎議員の様な今困窮している国民の立場に立った、国民の立場や気持ちに共感して、それを国民に代わって訴える様な演説ではなく、三宅氏の演説では、どこか他人事というか、人々が本当に困窮する現状に、心から共感しているのだろうか?と思わせる様な演説をしていた様に感じる事が多かったという印象です。
自分としては。

しかしながら、今回の選挙の争点が実は憲法改正であったこと。
そして改憲勢力が3分の2をとったら危険だという事。
自民党の改憲草案がヤバイという事。

これらの点に焦点をあて、それ等に時間をさいて毎回の選挙フェスで強く有権者に訴える事によって、自民党による憲法改正や自民党の憲法改正草案の危険性を一定の人々に周知するという事については、今回三宅氏は貢献したと自分は思っています。
その点では選挙フェスはとても今回の参院選に貢献したと思います。

自分の感想はその様な感想です。
失礼いたしました。
(自分は山本太郎議員の今までの活動に信頼をおいて、今回は三宅洋平氏に投票しました。)



http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/346.html#c13

[政治・選挙・NHK209] 東京の方教えて? 選挙結果(確定)から見る不思議。なぜ三宅洋平氏は東京都の僻地では人気?なの? 知る大切さ
17. 2016年7月11日 21:40:38 : GrRytMTgzY : x3NNiphpFdM[2]
データにマッチングしているか?という事はよく判らないんですけど、三宅氏の選挙フェスでの演説が全てのフェスを通してさっき自分が書いた様な印象だったと自分は(あくまでも私自身の感じでは)思っています。

しかしながら、三宅氏の演説は、内容も決まりきった一偏等のスピーチではなく、フェス毎に内容も変わるので、聴衆に受けた演説、受けなかった演説という差異はあると思います。
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/346.html#c17

[政治・選挙・NHK209] 東京の方教えて? 選挙結果(確定)から見る不思議。なぜ三宅洋平氏は東京都の僻地では人気?なの? 知る大切さ
18. 2016年7月11日 21:56:57 : GrRytMTgzY : x3NNiphpFdM[3]
>>17の続き

その中で、三宅洋平というキャラクターに強く共感し、フェスに毎回参加する様なコアな人々の存在もあったと思います。
そういう人達はどういう演説であろうと三宅氏を応援するというスタンスだと思うので、その様な人達の反応だけから演説が受け入れられているのかどうなのか?という判断をしていると、だんだんより広い視野に立ったというか、客観的な自分への評価、世間の自分に対する評価が判らなくなっていってしまった?そんな事も起こるのではないのかと推測できたりもします。
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/346.html#c18

[政治・選挙・NHK209] ≪批判殺到≫三宅洋平氏と安倍昭恵さんが会談!安倍総理と電話も「(三宅氏)立場は各々ながら、国を思い世界を憂う国士として… 赤かぶ
206. 2016年7月20日 12:21:28 : GrRytMTgzY : x3NNiphpFdM[4]
「なぞの下から目線」という三宅氏が今回の選挙演説でよく使っていた言葉に違和感と嫌悪感をおぼえた。

三宅氏は今回の参院選の選挙演説の中で「なぞの下から目線」「頑張ってくださいじゃなくて自分が頑張れ」「公明党支持の創価学会の人達のあの部分(知人100人から300人に電話をかけまくる)はすごい。だからあなた達も見習え」

これ等の言葉は私が三宅氏の演説で違和感と嫌悪感を感じた言葉だ。

それこそ一見論理的には筋が通っているかの発言だが、「なぞの下から目線」「頑張ってくださいじゃなくて自分が頑張れ」というのは、こちら側、有権者の人々に対して攻撃をしている様に、威圧している様に自分は感じた。

自分は髭をそらない、髪も切らない、このままの自分でやるんだと言いながら、有権者(他人)には「なぞの下から目線」「頑張ってくださいじゃなくて自分が頑張れ」等の言葉を使って威圧し、「お前が変われ」、「あんたの考え方を変えろ」 と繰り返し言っている様に私には感じられたからだ。

だから演説を聞く度に、すごく矛盾していると感じていたし、安倍の事を批判しているけど、自分も同じではないのか?これじゃあ三宅洋平=暴君じゃないかと正直思ってしまった。

だから、途中で演説が聴いていられなくなって、投票をすすめた知人にそれを訂正する連絡をしようかと考えた。

しかしながら、それを思い止まったのは三宅氏と共に演説をしていた山本太郎氏の存在があったからだ。

三宅氏も今回の演説でよく言っていた「山本太郎を一人にしない」「もう一人山本太郎を国会へ送り込む」

この言葉が自分がそうする事を思い止まらせた。

三宅氏の自分は違和感のある演説の前に山本氏は必ず演説をしていて、その話す内容は自分にとってはとても共感できたし、有権者の自分達に問題意識を伝える良い演説だと感じた。

一方三宅氏は憲法改正の事についてかなり力を入れて話していた。
それも有権者に問題意識を伝える良い演説だと感じていた。

だからこの二人はセットなんだと、三宅洋平氏の前述の違和感 嫌悪感のある演説も、もしも三宅氏だけの演説しかなかったのなら、聴けない、支持できないかもしれないけど、山本太郎氏の演説とセットで一つなんだと考えたらまあ聴ける(納得できる)のかとそう思う事にしてしまった。

しかしそう思う事にしても、投票日が近づくに従って、youtubeで演説を聴く度に三宅氏に対する疑問と不信感が消える事はなくむしろ深まっていった。

途中で反三宅陣営からのネット上での誹謗中傷に対し、三宅氏を応援する人達が反論し、ネガティブな書き込みをするネガティブ合戦みたいになった時、ツイッターでの三宅氏の発言は「ネガキャンをしないでポジティブキャンペーンで行こう」みたいな発言をしていた。
「選挙にネガキャンはマイナスなので」
これも一見筋が通っている様に聞こえる。
でもここでも有権者に上から目線で「これはやってはダメ」とああしろこおしろと命じている形だ。

ところが三宅氏本人はネットの中で三宅氏をディスる発言に対して、カッと来たのだろうと思うが、演説の中でその発言に対して自らは言い返す様な発言をしていた。
支持者に対してはディスられても挑発に乗って反論するなと言いながら、自分はカッとなって反論してしまう。

もう一つ気になったのが、途中から三宅氏が演説の中で言い出した「俺は許す」発言だ。
演説の中で散々安倍政権を批判していた文脈で「でも俺は許す」発言。

これも何か一見とても良い事の様に聞こえる。
「今までの様に相手を攻撃するだけでは何も解決しない。」この様な事を言っていたと思う。

これを聴いた人の中にも、「三宅氏はスゴイ」「新しいタイプだ」「共感できる」等の感想を言っている人達がいたが、自分はこの言葉にも違和感と疑心を感じる事となった。

それは、自分は安倍や安倍政権に対して怒りを感じている、演説を聴いている聴衆の人達の中にもそういう人達も多い事だろう。

しかし三宅氏は安倍や安倍政権に対して拳を振り上げる様な演説で聴衆を煽っておいて、「でも俺は許す」発言だ。

それはどういう事かというと、結局は「俺も許すから、お前達も(安倍)を許せ」と言っている事に等しいと感じたからだ。

三宅氏がいろんな事を思って安倍を許すのは三宅氏の自由だ。
しかし、三宅氏の演説で煽られて安倍に怒りを感じた訳ではない、その前から安倍のやり方や安倍政権に対して怒りを感じている自分を含めた、多分他にも居るであろう聴衆(有権者)に対して「俺は許すよ(だからお前達も許せよ)」みたいな発言をするという事は、人の内面にズカズカと入ってきて、個人の内面から沸き上がる感情を否定する発言の様に自分は感じたのだ。
「俺は許す」は三宅氏の勝手だが、他人にまでその考えを押し付けるのは、高圧的というかそれこそ日本国憲法に保証された良心の自由と相反する自由意志の否定につながるやり方ではないのか?

振り上げた拳を下ろすのはあくまでも本人の自由意志でだ。
誰かが下ろせと命じたから下ろすものではないのだ。

そこが判っていない。
「そんな事をお前に言われたくはない」
正直そう思って怒りを感じた。

選挙中の演説の中で三宅氏の発言には他人に対して「ああしろ」「こうしろ」等のなぞの下から目線ならぬ、なぞの上から目線をとても強く感じた次第だ。

だから正直投票日前日の最後の日に23時59分まで頑張れと三宅氏は有権者を鼓舞していたが、正直もう動けなかった。
自発的に多くの人に三宅氏に投票してくれと勧める気がもう起きなかったからだ。

そして選挙の結果が出て三宅氏の会見をネットで見たが、IWJの人の問いに三宅氏が「今回の選挙で、おれが頑張るんじゃなくてあなたが頑張れと自分は言ってきたが、それでも選挙中、頑張って下さいみたいな事を言ってくる人達がいて、自分はそういう人達には冷たく対応した」みたいな発言をしていたが、選挙に落選した理由を有権者の頑張りが足らなかったからだみたいな感想を語っていたのを聞いた時、本当にこれはもう選挙に立候補する以前の問題なんじゃないかと正直思った。

じゃあ三宅氏はどうするべきだったのか?
公明党の様に電話をかけまくる?
有名人に支持されている事をアピールする?
大政党の様に電通方式でメディアを使ってもっと大々的にアピールする?

有権者が知人に電話をかけたくなる様な聴衆を本当に引き込む演説をすれば良いのではないのか。
その為にはフェスの様な一方的に有権者に語りかけるスタイルだけではなく、有権者と直に話をして、それこそ対話をして、話を聴いてそれを元に演説をする。

有権者、民衆が何を感じているのか、何を思っているのか。

ありふれたやり方かもしれないけど、そういう事からスタートしていったらいいんじゃないだろうか。

それと自分が立候補した理由をもう一度自分に問うてみたら良いのではないか?

「山本太郎を一人にしない。」
本当にそれが動機なのか?

じゃあ山本太郎氏が政治家でなかったら政治家になろうとは思わなかったのか?
そこら辺のところを今一度考えてみるべきではないのか。

山本太郎という存在抜きで三宅洋平として有権者、人々と対話し、相手の思いや考えを聴き、自分(三宅氏)自身の考えを伝える。

その様なところからやっていってはどうだろうか。

以上今回三宅氏に投票した一都民の感想です。

http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/674.html#c206

[政治・選挙・NHK209] ≪批判殺到≫三宅洋平氏と安倍昭恵さんが会談!安倍総理と電話も「(三宅氏)立場は各々ながら、国を思い世界を憂う国士として… 赤かぶ
214. 2016年7月21日 06:16:02 : GrRytMTgzY : x3NNiphpFdM[5]
>213の方へ。

だから有権者との対話が必要なんだと思います。

「俺は許す」と壇上で声だかに宣言するという事は、聴衆の中にいる安倍氏に対して怒っている「俺は許さない」と思っている人に対して向けられている言葉だと思うのです。
もちろん三宅氏が自分自身に対しても言っている言葉だとも思うのですが。

じゃなかったらあのような場面でその様な発言をするでしょうか?

聴衆に壇上から同意を求めていたのではないのでしょうか?

自分はその様に受け取りました。

「俺は許す」の後に、「だから安倍政権に退場してもらおう」と、三宅氏なりの論理を言っていましたが、それは三宅氏の中では論理的に筋が通っているのかもしれませんが、「許す」には「安倍政権退場」がセットというのは三宅洋平氏個人の考え方であって、三宅氏の演説を聴いている大勢の人々、一人ひとりの「許す」という行為は必ずしも「安倍政権退場」とリンクされているわけではないですよね。

「許す」とか「許さない」とか「怒っている」という個人の内面の問題に対して、壇上から、「許す」(条件)「安倍政権退場」と宣言=同意を求められても、許すという行為は先程から当方が言っている様に、個々人の内面の問題だし、その様に(三宅氏と同じ論理思考)をしない人だって当然居ますよね。

だから当方が言いたいのは、「許す」という行為は、簡単な行為ではないという事なのです。

人それぞれ色々な葛藤があるでしょう。
いろんな思いがあるでしょう。

じゃあそれ一人ひとりの葛藤やこだわりや思いが間違っているのか。

私はそうは思いません。

だから考えてみると「許す」という言葉はとてもセンシティブな内容を含んだ言葉だと思うのです。

だから私は三宅氏が演説で壇上から「俺は許す」という発言をした時に違和感と疑問を感じたし、怒りも感じたし、そういう次第です。

最初に「だから対話が必要だ」と書いたのは、その様な三宅氏の考え、主張と有権者の考えを対話をする事によって、すり合わせて行き、相互の理解を深めていく事だと思うのです。

今回のフェスの様なスタイルだけだとこの話の様に一方的に三宅氏が聴衆に対して語りかける(自論を展開する)形で、有権者(支持者)との相互理解が深まっていかない、ゆくゆくは支持が拡がっていかないと思うのです。

そしてあなたが私に書いてくれたコメントの中で三宅氏の「なぞの下から目線」という言葉の意味は

>日本を良くしようと思うなら、そういう「なぞの下から目線」ではなく、自分に何ができるかを考え、皆さんも私たちと一緒に行動してほしいのです。皆さんひとりひとりが私たちなのです」というのが三宅候補のメッセージだったと記憶しています。

たしかに「なぞの下から目線」という言葉にはそういう思いも込められていたのではないかと私も思います。

しかし一方でその様な思いも、有権者 聴衆に対して「なぞの下から目線」という言葉で表現すると、その言葉のニュアンスから私の様に威圧された、攻撃しているのではないのか?と受け取ってしまう人も中には居ると思うのです。

言葉って難しいとは思いませんか。


>>210  gvKl5@23F80さん

自分のコメントを読んでくれて感想をいただきありがとうございます。

213さんもありがとうございます。

今回の選挙自分なりに自分が出来る範囲でかなり集中して三宅候補の応援に携わってきたと思ってます。

なので三宅氏の様々な発言に関して、三宅氏自身も言う様に疑問も感じたし、賛同できない事もありました。

それで選挙の結果が出た時に、やっぱりこの結果を受け止めて、分析とか総括をしなくてはいけない。

それにはやっぱり三宅氏に投票したり、応援したり、興味を持った人達が、肯定も批判も含めて辛辣な意見もあるかもしれませんが、三宅氏には聞き辛い(特に今一番落ち込んでいるのは三宅氏本人だと思いますので)感想も出す(記憶が薄れない内に出来るだけ早く)事も、そしてそれを三宅氏サイドが読んでくれたのなら、もしも三宅氏が今後も選挙に出るならば、その為にも必要な事だと考えて敢えて、言うか言うまいか迷っていたけれども、コメントを書いた次第です。

だから今後の三宅陣営の為にも三宅氏を応援した全ての人達にもこれからの方向性を考えていく上で参考になると思うのでこの動画を貼っておきます。

http://twitcasting.tv/yamamototaro0/movie/287015974



http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/674.html#c214

   

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