1. 2016年3月12日 20:22:24 : RhiXV5IOK2 : vcd7N3PaH@Y[1]
震災5年 高木復興相の居座りで復興行政はなお機能不全 自治体の職員不足も深刻…
産経新聞3月12日(土)10時15分
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0312/san_160312_8082077738.html
東日本大震災は政治や行政のあり方にも大きな影響を与えた。復興行政の変化、被災自治体の慢性的な職員不足など、今後の災害発生時の教訓とすべき点は数多くある。一方、東京電力福島第1原発事故に伴う避難実態調査も中途半端な状況だ。震災から5年たつ今、改めて浮かび上がってきた課題を検証する。
3月11日まで2日となった3月9日、国会内では高木毅復興相をめぐり、与野党が対立を深めていた。この日開かれた衆院東日本大震災復興特別委員会で、高木復興相が所信表明を行い、今後の復興政策の方針について語った。
野党は所信表明を受け、高木氏に出席を求めて10日に委員会を開くよう主張したが、与党は「来週以降にしてほしい」の一点張りで、ものわかれとなった。
こうした与党の対応に、民主党の安住淳国対委員長は、高木氏が女性下着の窃盗疑惑を指摘されていることを念頭に、「高木氏の過去のさまざまな問題が取り上げられるのが嫌で、逃げ回っているのだろう」と指摘。その上で、「疑惑追及が嫌だからといって『大臣隠し』をした。一番大事な復興特委を大震災から5年を前にやらないことに強く抗議する」と批判した。
これに対し、与党は所信表明直後に閣僚への質疑を実施した前例はないことから、「ここで認めると、他の委員会にも影響が出てしまう」(ベテラン議員)としている。ただ、「さすがに3・11の前日にはできない…」というのがホンネだったようだ。
改めて書くまでもないが、高木氏が復興相に就任してから復興行政は機能不全を起こしている。例えば、指定廃棄物の最終処分場や中間貯蔵施設の建設をめぐっては環境省に丸投げ。福島県の森林除染でも復興庁と環境省、林野庁が一体となった取り組みが停滞。業を煮やした自民党復興加速化本部が調整に動き、森林除染に関する政府方針が固まったほどだ。
こうした復興庁のあり方について、初代復興相の平野達男氏(無所属)は「復興庁は復興に関することであれば、何でもできる。私が復興相のときは役所から煙たがられた。『あんたらは会社しか見ていないから、住民の思いが分からないんだ』と何度もぶつかった」と振り返る。
その上で、高木氏に対し「やるならやるで、しっかり方向性を示してやるべきだ。『大臣、それは環境省の仕事ですから』といわれても、『関係ない、俺がやる』という気概を見せるべきだ」と注文をつけた。
2代目復興相の根本匠氏(自民党)も「復興庁は復興行政に関する司令塔だ」と強調する。そして、「能力のある官僚に適切に指示が出せれば、彼らは一生懸命に仕事する。彼らに持ち場、持ち場があるのは当然で、だからこそ明確な方向性を打ち出す政治のガバナンスが大事だ」と語る。
政府は3月10日、平成28年度から5年間の「復興創生期間」の基本方針を決定した。今後、復興庁は原発事故の補償問題、帰還困難区域の将来像、放射性廃棄物の中間貯蔵施設の建設、除染のあり方など、これまで以上に難しい課題に向き合わなければならない。改めて高木氏の復興相としての力量が問われる。
復興行政の機能不全の一因として、司令塔の不在に加え、被災自治体の慢性的な職員不足も指摘されている。この5年間で、全国から被災地に約9万人の応援職員が派遣され、高台移転に伴う用地買収など、さまざまな復興事業を進めてきた。
自治体職員の経験を持つ民主党の黄川田徹氏=衆院岩手3区=は「震災から5年たったと言っても、自治体がやるべき仕事は膨大。町の復興が進むと、また新しい課題が浮上してくる。深刻な人手不足は続いている」と話す。
被災自治体には平成27年度、全国から2202人の地方自治体職員が応援入りしており、28年度も少なくとも1550人の応援が必要とされる。菅義偉官房長官は3月8日の記者会見で、「地方自治体の職員に加え、専門性を有した公務員のOB、民間実務経験者、こういう皆さんも活用して何とか要請に応えていきたい」と前向きな姿勢を示した。
ただ、応援職員を派遣する側の自治体も人手不足となっており、「被災地ばかり優先する」という恨み節も聞こえる。
一方、政府は東京電力福島第1原発事故での避難者らの実態調査(平成26年2月〜5月実施)の結果を昨年12月、ようやく公表した。しかも、事故直後に事故情報や非難指示を何で知ったか、その後の避難時期・回数と家族の状況がどうなっているかなど、詳細を調査したのは今回が初めてだった。
調査により、自治体などから複数回出されていた避難指示を知っていた人は2割未満で、8割の人が情報を知らなかったことが判明。避難先に関しても「どこに避難すればよいかについての情報がなかった」が約6割に達した。さらに23年3月11日から4月30日の間に家族構成が変化したのは半数で、そのうち一緒に暮らさなくなった家族がいると答えた人は約8割に上っていることも分かった。
そうした避難時の状況や避難者の実態を政府が把握したのは、震災から4年半以上がたってからということになる。政府は結果から得た教訓を防災基本計画改定などに反映し、原子力災害指針でも対応したとしている。しかし、避難者らが高木氏の掲げる「被災地の皆さんに寄り添った支援」を実感できているかは疑問符がつく。詳細な調査が今回が最初で最後になり、避難者らは時間とともに忘れ去られてしまうのではないか、という不安もつきまとう。
震災から5年を迎え、検証しなければならない課題はまだまだ多い。(政治部 千田恒弥)
http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/697.html#c1