2. 2015年12月12日 10:10:09 : 3mgJvqLV7M : vXTqeHoOVoY[1]
あらあら、アメリカの奴隷の自民党と、統一教会の掌でいいように転がされている脳天パーの4153木卯正一の反日片棒担ぎの飼い犬がよく言えたもんだこと。
ったく、臍で茶を沸かすってなもんですなあwwww.
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/884.html#c2
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ったく、臍で茶を沸かすってなもんですなあwwww.
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安倍自公政権に与する(仲間の意)脳天パーの木卯正一もお願いね ♪
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/866.html#c4
一方で憲法学では、憲法条文が法律の雛形であるという基本に帰れば、条文(9条条文のみに拘らない)に法律を認めうる痕跡あるいはそれと現実の流れとの折衷が認められれば必ずしも、9条にのみにその帰結の是非を求めうる必要性はないと唱える説もある。
改正派や改憲派にもさまざまな立場があるが、概ね合憲解釈でこれまでの安全保障法案を取りまとめてきたものだと思う。
この際の合憲解釈とは、いうまでもなく国際的規約や国内法の再整備という要求に沿う形で9条以外の条文からその根拠を援用して、作り上げてきたもので合憲であるという一点で反対の声を封じ込めてきた。
改正派や改憲派こそが合憲論を持ち出して、9条は守っていると言い繕ってきた一方で同時に改正派や改憲派は何かあるごとに憲法改正を訴えては集会を開き、安全保障を危機バネに利用してきた。
とはいうものの、では改正派や改憲派が現実に憲法を改正改憲しようという動きを行ったのかといえば、過去から今に至るまで皆無である。
安倍晋三は来年は改憲元年だと息巻いているようだが、俺の見るところとてもそんな余裕や力があるとは思えない。
あったら今般の安保法制で憲法改正を正式に打ち出して、国民に問うたはずである。
ところが安倍もまた従来の与党が行ったように、とことん合憲で無理強いしたのみである。
不思議なことに安全保障法をそのたび改正していくのは改正派や改憲派でありながら、そのたびに実に微細に憲法条文の隅の隅までをつついて合憲解釈の根拠を引きずり出すように弄してきたのも彼らであった。
コメントにはなにやら、そうした改正派や改憲派の誤魔化しに従ってきただけの反対派という図式で、9条は破られ続けてきたと反対派だけを糾問するかのような改憲論者がいるようだが、実に小狡いやり口ではないのかね。
9条がシュールであろうと無価値であろうと、その下で我々は暮らしている。
そんなことを言い出せば世の中の決まりや慣習ひとつとってさえ無価値やシュールに思えるものがいくらだってあるわけで、つまりは何を言いたいのかというと憲法でも法律を作る際には慣習法は適用されているということである。↓
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuichi/rest/constit/constit.html
9条が無価値でシュールだというなら、それを測り要るのか要らないのかを判決できる憲法裁判所を作れというほうがまだ現実的だ。
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/812.html#c16
思い起こせ。
サダム・フセイン政権はアルカイダを匿っていると無茶苦茶な大嘘をついていたアメリカを。
桜井よしこにつける薬なし。
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