31. 2016年2月17日 20:34:00 : gsaS3prMZU : tgRPJ_AvDpQ[1]
ダイナモ先生、アンタは嘘を書いてたことをみんなに知られており、しかも訂正もなにもしてないってことを忘れるなよ。
笑ってられる身分じゃないはずだぜ。
笑えないよう追い込みかけてやろうか?
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/182.html#c31
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笑ってられる身分じゃないはずだぜ。
笑えないよう追い込みかけてやろうか?
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/182.html#c31
口封じのために暗殺されたという証拠がないから、さもそうであるかのように印象づけて、受け手にすり込もうというならなおさらだな。
http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/593.html#c2
常岡はムスリムに改宗し、黒井は取材での海外滞在経験とシリア人の伴侶を持っていた(今は離別)関係上、シリアの情報に詳しいという強みがあり、黒井のブログではシリア情勢の参考としてアラブやシリア滞在経験がある人の話として聞いてくれればいいと断っているが、ツイッターではどこ吹く風で自分の強みを最大限利用し、アサドやプーチン側が発する情報を真に受ける情弱を叩きまくっている。
常岡も英語ができ、フリーランスとして紛争地域を渡り歩いてきた経験という強みをこれまた利用し、イスラム国に入ろうとした北大生に絡んでガサ入れを受けたことを逆手に取りツイッターでは自身を容疑者と呼んで、黒井と同じくアサドとプーチンとそれに同調する側を叩きまくっている。
この二人ともシリア情勢を巡っては意見はほぼ一致するが、常岡はイラク戦争取材、アフガン取材においては米軍の侵略であることを批判非難しているのに比べ、黒井はインテリジェンスを売りに軍事や外交を国家戦略に生かすのが仕事のため、アカラサマに米国や米軍を非難するということはない。
いわば常岡は大国による介入に批判的だが、黒井は必ずしもそうではない、むしろ積極的に介入すべきだという側に立つこともある。
けれども常岡、黒井ともに共通しているのは小国であれ大国であれそれが独裁的色彩および独裁者と思しきイメージを醸し出す者たちは徹底的に叩くという姿勢である。
俺は別に常岡と黒井の物言いに同意してはいないが、独裁者あるいは独裁的色彩を醸し出す国や人物を非難したり叩くことに文句はないにしても、それだけに拘泥しそれらを叩きたいがゆえにヒイキの引き倒しに陥り、ウクライナのネオナチ極悪クーデター政権をプーチンに敵対するからという理由だけで擁護したり、アラブの春がシリア以外の国でどういう結末を辿ったのかということに無頓着で、何が何でもアサドを倒せと声高に喚き散らすことや、アサドやプーチンの体勢が常岡や黒井たちから見ると独裁的色彩や独裁者そのものだと見えたとしても、だからといってアメリカのやっていることを民主主義で民主主義は必ず修正が効くシステムだからまだいいんだとばかりに批判のトーンを抑えるのは、アメリカの民主主義がいつ修正が効くほどにアラブの介入に控えめになったかという懐疑もなしにそんな決めつけをするのは、フリーランスでもなければインテリジェンスでもない、ただの感情に任せた主観の押し付けでしかないと嫌悪を覚える。
この戦争板で言うならダイナモ先生の論理がまさに、常岡浩介や黒井文太郎のそれと同じなのだ。
俺がダイナモ先生に違和感を覚えるのはそういうことなのである。。
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/182.html#c33
イスラムについての考察をするほど深い知識も知恵もないが、これだけは言える。
アラブはイスラム教徒だけが住んでいる地域ではないし、アラブ人だけが住んでいるわけではないし、肝心のイスラム教にしてもカッチリと色分けができているわけではないということである。
ムスリムばかりが被害を受けるというある種の擁護は、イスラム教徒ひいてはイスラム教の脆弱さ、とくにサウジやクウェート、カタールなどの宗教主義を採る国の腐敗したシステムを覆い隠し、なおかつスンニ×シーアといった宗派対立の単純的な構図を塗布させることによって、必ずしもスンニとシーアに収束できない多様で奇怪なイスラム教が幅広く存在する現実とそれらを収拾しきれないイスラム教の限界があることをも覆い隠している。
たとえばアサドも信奉するアラウィ教はシーア派に属してはいるが、アラウィー派をイスラム教と見るムスリムはほとんどいないというように、アラブの各地域には部族の掟や風習がそのままイスラムの教義になってしまっている宗派が数多く存在すると言うし、スンニ派でも皆一様ではない。
たとえば常岡のようにムスリムに改宗しムスリムとして見たとき、シリアでアサドにより攻撃を受ける同胞をなんとかしたいという感情的同調から、よりアサドと政権に個人的怨嗟を覚えて非難するというロジックは理解はできないこともない。
しかし、それもしょせんは引かれ者の小唄でしかないと俺には思える。
ムスリムの視点から考えるという指摘は大切だが、ムスリム以外の視点から考えること、あるいはムスリムにも難があることを考察して問題点を洗い出す、内省的な視点を持つことはそれ以上にはるかに大切だ。
紋切型の指摘や思考ばかり横行するシリア問題は評者や論者ジャーナリストも紋切型地獄に陥っている。
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