[雑談・Story41] 新左翼のお祭りさわぎと、ガラパゴスのような、アメリカ人のような日本人 蒲田の富士山
8.
蒲田の富士山[127] ipeTY4LMlXiObY5S 2016年8月26日 15:19:58
: phN4ZADfeU
: rRq8qDg6o2U[1]
07様、コメントありがとうございました。
「入管闘争」で検索したところ、以下のようなものがありました。
−−−以下引用−−−
「中国の文化革命の影響と陳玉?留学生事件、李智成の服毒自殺事件などは、在日華僑青年たちの意識を大きく変えていった。まず、ハワイ大学に留学中、ベトナム北爆反対デモに参加した台湾政府から留学継続申請を棄却された陳は、帰国の途中で日本に寄り留学を要請したが法務省入管局によって拒否され強制送還された。その後、陳が台湾で死刑を宣告されたことに激怒した在日華僑青年は、1969円3月9日、華僑青年闘争委員会(以下「華青闘」)を結成した。華青闘は華僑連合や華僑総会とは違い、入管法案・外国人学校法案反対運動を「戦闘的」に展開することを決意した。
さらに、華青闘の李智成が二大法案に反対する遺書を残して服毒自殺した事件は、華青闘にさらなる衝撃を与え、華青闘は入管法案反対運動にとどまらず、排除と差別の「入管体制」全般に対する抗議運動を展開するようになった。華青闘の反「入管体制」運動は、日本人やアメリカ人との「国際連帯・共同闘争」の形で行われた。一方、在日韓国人の反対運動とハンストから強い影響を受けた改正等と国際青年共闘は、7月1日から新宿駅西口広場にすわり込み、ハンストを繰り返した。韓青と華青闘のハンストは、在日韓国・朝鮮人と在日中国人の連帯を通じて日本社会に入管法案の重要性を訴え、日本人の入管法案反対運動を促す役割をしたと評価された。」
−−−引用終了−−−
http://www.arsvi.com/2010/2010no.htm
華青闘の誕生のいきさつは知りませんでした。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/404.html#c8
rRq8qDg6o2U 全コメント
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > ASID2ごとのコメント > rRq8qDg6o2U
g検索 rRq8qDg6o2U