35. 2016年6月06日 15:15:19 : izBXwSzI4Q : rFnbPP1mg3g[1]
日本を自由社会たらしめてきた皇室を破壊しようとする日本共産党 2016年6月
皇室のお世継ぎについては、我々が喋々すべきことではないので、詳しくは書きません。皇室の御蔭で連綿たる日本文明が保たれてきた。だから今後も日本をお治め下さるよう伏してお願いするというのが筋で、日本の存亡に関わるから皇統を何とかしてくれと注文を付けるのは筋違いだからです。そういう議論の代わりに、ここでは、皇室が日本の存続とどうして切り離せないのかを論じておきたいと思います。
皇室崇敬などと殊更に言うと、頑迷な守旧派のように見做される、左翼全盛期が過ぎ去った今でも、まだそういう傾向は強いようです。
しかし、これは話が全く逆なのです。頑迷どころか、皇室こそは日本の柔軟性や自由、適量のダイナミズムを生み出す上で不可欠な存在だったと言う方が遥かに実情に近い。
皇室は、永遠の昔から固定した姿で存在した訳ではありません。
逆に、日本の皇室伝統が素晴らしいのは、歴代天皇が、長い歴史の中で、それぞれに自らのあり方を深められ、掘り下げ続けられた。皇室が固定したイデオロギーと化さずに、変化し成長、成熟してきたことにあると言える。
最初の大きな自覚は、天智天皇、天武天皇の御兄弟で日本の礎を確立されたことです。
天智天皇が蘇我一族の支配から日本を取り戻し、大陸からも撤退する一方、支那から文化と政治システムを輸入して内治を強化されたのに対して、天武天皇はそれを引き継ぎつつも、日本の国柄を確立されました。天武天皇は壬申の乱(ユリウス暦672年7月24日 - 8月21日)で伊勢神宮に詣でられ、神示によって戦に勝利された。日本書紀、古事記の編纂も天武天皇の御命令であり、万葉集も天武天皇なしには成立し難かったでしょう。こうした、二帝の築いた礎石の上に、「日本」は方向を誤ることなく成熟することができた。
一方、天皇の本質は祈りにありという自覚を深められ、その後の皇室のあり方を決定づけたのは、承久の乱<承久3年(1221年)>で流された後鳥羽院でした。
権力によって道を正すという狙いが敗れた。この後、後鳥羽院以後、皇室は祈りによって日本の本質を顕現するという道を深められ始めます。
天皇家は、権力を志向せず、祈りに専念されるようになった。その過程で祈りの道が自覚されたのは元寇の時でした。
これらを通じて、日本の深い宗教性、それも排他的な一神教ではなく、誰ともぶつからず、祈りを通じて自然、先祖、神社の祭神と繋がり、そうした祈りが同時に国を守る祈りともなるという非常にユニークな日本独自の神の道が拓かれます。常民の祈りと天皇の祈りとが共鳴し、民の幸の祈りと国を思う祈りとが溶け合う国柄が時代と共に確かなものとなってゆく。
皇室伝統は皇室だけで作ってきたのではありません。皇族政権の時代が終わった後、藤原氏であれ、その後の武家政権であれ、権力を取った者は、皆、皇室から最高権威を奪わず、逆にあくまでもこれを押し頂いてきた。皇室を敵に回したら日本では誰も権力を樹立できないという伝統を作ったのは、歴代の権力者たちでした。誰かが一度踏みにじればそれで終わりだったのに、誰一人それをしなかった。易姓革命による王朝の廃絶を繰り返す支那を先進文明と仰ぎながら、我が国の権力者の誰一人として、支那の例に従わず、万一そういう人間が出ればその都度排除された。
こうした民の祈りとの共振と、権力者による皇室崇敬が、上下から皇室伝統を紡ぎ、ついに我が国の国柄は皇室に集約されるという国学の思想に集約され、それが自然な国民的な合意となるに至りました。
日本が平和な時は、皇室はこの合意の影に隠れていらっしゃいます。が、いざ国民が帰趨に迷う存亡の危機ー歴史上最大の危機は今のところ幕末と大東亜戦争終結時ですがーには、誰に強制されなくとも、皆の思いが天皇に集中するようになる。
こうして歴史的に形成された天皇の制度は、非合理的な時代遅れどころか、風通しのよい自由社会を維持する上で、世界史上でも稀な程、有効な手立てと言っていい。
天皇の制度の下では、絶対的な権力が生まれ難いからです。
権力者の上に、歴史に強く担保された最高権威としての天皇がいる。
しかもこの天皇は権力で富や命を収奪したり、全体主義的な命令や強制を決してしない。それどころか己を棄てて国安かれとのみ祈り続けている。日本ではそういう存在が一番頂点に存在する。
日本史上では、織豊時代から徳川初期が、最も強権的な軍事政権でしたが、それでさえ世界史の中で見れば相対的な権力に過ぎませんでした。
権力はあくまで天皇から預かっているのであり、権力者がそれにふさわしくなくなったら奉還しなければならないという暗黙のタブーが厳然としてあったからです。第一、国民の平安を祈り続ける人が頂点にあるのに、それを滅ぼさないまま極端な圧政を強行する構図はあり得ません。度重なる試練の中で、武断的な権力者も天皇の地位は犯せないというタブーが形成されたことが、日本人の抑制的な権力観を強化してきました。
自虐史観や共産主義史観ではない普通に書かれた日本の歴史を通読した後に、中国史やローマ史、近代ヨーロッパ史を読めば、どれだけ日本が平和で自由な国だったか分かります。
天皇の存在とそれを尊重する暗黙の了解という日本が育んできた統治倫理、統治構造そのものが、権力を相対化し、社会の全体主義化、国民を弾圧する独裁政権の誕生を防いできたと言っても、さほど乱暴な議論ではないでしょう。
そして、もし天皇の制度を政治体制としての得失から論じるなら、この観点ほど重大な点はないのではないかと思われます。世界史を通じて、自由を守り、圧政を除去し続けるのは極めて困難なことだからです。今日でもそれは全く変わりません。大東亜戦争が世界を西洋の植民地支配から解放して70年、東西冷戦により「自由社会の勝利」が宣言されてからでも25年経つのに、結局民度の高い安定した自由社会は、欧米と日本以外ではまだ限定的にしか達成されていないことを見てもそれは分かる。いや、それどころかアメリカやヨーロッパが自由のもたらす格差と不安定化のジレンマに苦しんでいるうちに、非近代的な帝国としての中国、ロシアや暴力集団のISILが台頭する始末です。
そして、そういう世界情勢下で、今、日本の自由の最大の保障者だった皇室の存続に憂慮が生じている。
その上、まるでそれと軌を一にするかのように日本に起きているのが、自由社会を窒息させるような動きです。
日本を全体主義化する圧力と言い換えてもいい。
細かい社会的圧力は多々ありますが、ここではその象徴として日本共産党の台頭を上げておきたい。野党連合を呼び掛け、2012年11月まで政権政党だった旧民主党(現・民進党)が選挙協力に応じている始末だが、日本共産党は綱領において、未だに社会主義革命を明確な目標としている政党です。
社会主義革命とは何かもはっきりしている。
現在も日本共産党の実権を持っているとされる不破哲三氏が、『「科学の目」で見る日本と世界』(新日本出版社、2011年)の中で次のように書いているのを見れば、難しい理論など聞かなくとも一目瞭然だ。
「旧ソ連は、・・・途中で社会主義の道の外に踏み出した。・・・いま私たちが社会主義をめざす国としてあげているのは、中国、ベトナム、キューバの三つの国です」
驚くべき認識でしょう。要するに、今後、日本共産党が万一政権に潜り込みでもしたら、中国、ベトナム、キューバのような国を目指すと言っているのと同じことだからです。
民進党はそれを知っているのでしょうか。また、反安倍プロパガンダに乗って日本共産党に投票している国民はこういうことを知っているのでしょうか。
日本共産党の綱領は天皇について次のように踏み込んでいる。
日本共産党綱領 2004年1月17日 第23回党大会で改定
http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo/
〔憲法と民主主義の分野で〕
11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。
何と不気味な、恫喝的な文章でしょう。日本共産党が政権を取った時の「国民の総意」が恐怖の専制の別名に過ぎないことは地上全ての共産党政権が証明しています。要するにこの文章は日本共産党が政権に入れば天皇の制度は廃絶するという端的なメッセージに過ぎません。
その日本共産党が、民進党を篭絡し、乗っ取ろうとしている。
統治能力のない素人集団のまま衰退し続ける民進党を日本共産党がコントロールできるようになれば、衆参両院現有で160議席以上を日本共産党が意のままにできることになる。
そうなれば、中国共産党の日本上層部への工作は、格段に進行するに違いない。一角を牛耳れたらそこからこじ開けるようにある国の実権を奪取するというのは共産主義の常套手段だからです。
国民世論を日米安保体制から中国寄りに向け変えるのは不可能に決まっていますが、国会=立法府の支配は可能だという点が恐ろしい。この事実を我々は本当に肝に銘じなければならない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/299.html#c35