35. 2016年4月13日 09:34:06 : XRxinFrHIo : qsqT8CjiBQQ[1]
スポーツは心身を強化するにはいい。
だけど、メダルキチガイが蔓延った結果、
「強くなるためなら何をしてもいい」になる。
その洗脳のために利用される危うさはある。
私は公的な場所でスポーツ施設で働いていたことがあるのだけれど、
ゆっくりなのだけれど、一心に泳ぎ続けている人がいて、同じコースで泳いでいた人が、
自分の方が速いのに、止まって譲らないからその人を何とかしろ、というクレーマーがいた。その人はゆっくりだけれど、ルールは守っていた。
安全を確認して抜かしてもいい、と言うと、対面から人が来るから抜かせない、と言う。
では、安全を確認して折り返してもいい、と言うと、タイムを計りたいから続けて泳ぎたい、と言う。そんなに混雑しているのに、タイムを図るような泳ぎ方をしたい、と言うのはわがままだと思うのですが。
気持ちもわからないではないのだけれど、私はそのような場合は別の練習をしていましたし、タイムを計るような場合は時と場所を選んでいました。
また、知人の子供がコーチに連れられて練習に行った時、
年配の方がいて邪魔で、
「一本だけ譲っていただけないか」と言った時、断られたので、
「じゃあ行ってしまいなさい、責任取るから」と言って行かせたそうです。
(まぁそのおじさんも意固地だな、とは思いますが)
そんな育ちをした人は、
「弱いものは強いものに譲れ」
「ぶつかって相手にケガをさせても、強いものは(お金で解決できるから)何をやってもいい」=拝金思考、に、なるのでしょう。
真に心身を鍛える、というのは、
予め場所を選び、もしくは誠意を持って、自分の都合なのだけれど譲っていただけないか、と交渉出来、またダメだった場合は違う方法も取れ、
自分が譲ってあげる立場の時には、意固地にならず譲ってあげられる(子供の成長を見守ってあげられるような)大きな心になれるよう、対処できるよう、
自分を鍛える、ということではないでしょうか。
コーチは自分の手柄の為にゲスな真似をし(結局はそういうことですよね)、
子供もそれが当たり前に通用するのだ、と洗脳されて育ち、
弱者はルールを守っているにも関わらず、公平な第三者ではない管理者までも強いものに加担し、権利を奪われるのが普通になる。
そのような方向性の国になってはいけないと思うのですよね。
スポーツマンシップ、正々堂々、ではなく、
威風堂々、などと言い換える辺りからも、透けて見えますけどね。
私がそのコーチだったら、本当に前日で、どうしても、だったなら、
おじさんに土下座しますわ。
相手の権利を奪わずとも、心を変えていただく最大限の努力をする。
それが本当の強さだと思うので。
(まぁ前もって、手配すると思いますけど)
で、私集団ストーカーに遭ったんですよね。
「その人たち」にとって、邪魔な人物だから、ってことだと思いますけどね。
スポーツマンシップ、正々堂々が無いスポーツ選手なんて、尊敬の対象になりますか?
「メダルが尊敬の対象」っていう風潮を加速させるものでしかないですよね。特に東京オリンピックは。経緯からもね。
何がアンダーコントロールだ。嘘つきめ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/339.html#c35