5. 2016年9月16日 10:09:05 : KeUma876Y6 : q2Wgq48EiBQ[1]
森清勇の記事を読むと日本人の意識の深層に根付く、中国への劣感情が横たわっていることがよくわかる。
中国人は日本人と同じ人種であり顔つきも体つきも似通っているし、中国は日本への文化の伝搬の先達の国だから、日本人は中国人と無意識に共通項も多く言葉は違えども習慣もどこか似ているだろうと思い込んでいる節がある。
だから中国人の自己主張の強さを間近に見せられてカルチャーショックというより幻滅する日本人が多いと聞く。
また中国人は間違えても絶対に謝罪しないと仕事で彼らと関わった経験のある知人が、軽率を込めて酒席の世間話で教えてくれたこともある。
日本では互いに恐縮することが人間関係でトラブルを回避する術であることが空気になっているが、民族や習慣が異なる大陸で暮らす人々が違う者同士だから意見の表明をしあい何を考えているか理解するのが常識だが、空気でわかりあう表層文化の日本とは異なることが理解できない。
まして見た目も文化の共通性も共有していると思い込んでいる中国人が、自分たちのように繊細さに欠いた行動や発言をすると「実は劣っているんじゃないの中国人?」という偏見が生まれるのもある意味仕方ないのかなとも思う。
「おもてなし」という言葉はマレビト(あくまでお客の外国人)に向けられた外面の良い日本を表した比喩と見ればこれ以上に上手い表現はないと思うが、マレビトではない共生者として外から入ってくる人たちには空気を読めない異物として冷たく突き放す日本人にとって「おもてなし」は必要ないのだろう。
外面と内面を使い分け、マレビトには事細かにおもてなしする日本、一方で空気を読めない外国人がルールを守らないと困惑する前に彼らと話し合いルールの説明もしていないことを何とも思わない日本人の二重性(本当はなにを考えているのかわからない)に困惑する外国人は多いが、日本人はそう見られていることを理解していない。
実はこちらのほうが問題だと思う。