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[政治・選挙・NHK201] 歴史を繰り返させるな 真の争点を見極めたい(サンデー毎日) 赤かぶ
30. 大和狼[475] keWYYZhU 2016年2月29日 15:32:45 : GtbKePOJIY : psuQQIbk260[1]
盧溝橋はコミンテルンが仕掛けて日本軍と国民党を戦闘開始させる為の策謀だったことは周恩来も認めているところだ。
満州国は満州人清朝の末裔溥儀の帝国再興の悲願に沿った国家再建の結果に成立した国家だ。
それをアヘンマフィアルーズベルト国際連盟調査団が日本軍の傀儡政権とし、日清戦争後の3国介入のように、日本国の満州、中国からの全面撤退を要求した。
脱退して当たり前だ。侵略植民地支配国の利権の巣窟だったからな。

中国では通州事件での日本人惨殺事件(その惨殺死体が南京虐殺の証拠として自分達の犯した犯罪を堂々と南京記念館に展示してある)、大山大尉殺害、日本人学校への通学する児童を誘拐殺害し首を電線に吊るすなど残虐シナ人は当然の報復として中国国民党軍を追撃したまでだ。それを中国侵略とは嘘つき盗人の中国らしい言い分だ。
インデアンは嘘つかないが、こいつらは嘘が飯を食うのと同じ。しかも食人の習慣も普通にある連中だ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/707.html#c30

[政治・選挙・NHK201] 歴史を繰り返させるな 真の争点を見極めたい(サンデー毎日) 赤かぶ
31. 大和狼[476] keWYYZhU 2016年2月29日 16:07:46 : GtbKePOJIY : psuQQIbk260[2]
中国の嘘つきの恥さらしを続ける典型的事例。
中国の言うことはすべて嘘、こういう認識で宜しいな、阿修羅の中国人の皆さん。
以下海外の反応というサイトから


今回は中国の歴史認識に関するウォール・ストリート・ジャーナルの記事から。
海外「中国の歴史は嘘だ」 米紙が指摘する欺瞞に満ちた中国の歴史認識

要点は以下

・日中戦争時に日本と8年に渡り対峙してきたのは国民党トップの蒋介石であり、
 終戦後に戦後処理について米ルーズベルト大統領、英チャーチル首相と、
 同じテーブルで話し合ったのは蒋介石であった。

・しかし現在の中国政府は、蒋介石を歴史の脇役として位置づけている。
 日本を破ったのは蒋介石ではなく、毛沢東と共産党軍ということにしたいのだ。

・中国の歴史認識には2つの目的がある。
 1つは最大のライバルである日本の戦争責任を強調することで、
 もう1つは、共産党が果たした役割を底上げすること。

・アメリカの参戦なしには、両陣営の対日戦勝利はなかった。

・冷戦時は日米を引き離すべく、戦時中の日本の行為について一切非難をしなかった。
 しかし天安門事件後は、党の正当性の後押しを反日ナショナリズムに頼った。

・平和国家となった日本を非難する声や(韓国は例外だが)、
 中国の軍事的台頭を歓迎する声は中国以外からは殆ど聞こえない

・カイロ会談に出席する毛沢東が登場する中国の映画「カイロ宣言」のポスターは、
 今月になって中国のソーシャルメディア上で激しい非難を浴びた。
 なぜなら、当時の代表は蒋介石であり、毛沢東はその場にはいなかったからだ。
 しかしながら、上記の映画のポスターをめぐるオンライン上の騒動は、
 中国の一般市民が、いかにでっち上げられた歴史に抵抗しているかを示している。
 これこそ、アジアが緊急に必要としている、和解へ向けた最初の一歩だ。

以上になります。
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/707.html#c31

[政治・選挙・NHK201] 歴史を繰り返させるな 真の争点を見極めたい(サンデー毎日) 赤かぶ
32. 大和狼[477] keWYYZhU 2016年2月29日 17:24:23 : GtbKePOJIY : psuQQIbk260[3]
コメントの一部を恣意的にアップ。
世界の若者?の方が日本が悪かった歴史観に染まってる硬直脳より
上を行ってる。

■ 歴史はいつだって書き換えられていくもんだ。
  今のニュースメディアを見てみろよ。 +1 アメリ

■ たぶん中国はプロパガンダが一番上手い国に教えてもらったんでしょ。
  つまりアメリカさんとイギリスさんに。 +2 国籍不明

■ 共産党って終戦時は政権の座にもついてなかったじゃん。
  まぁ実際に日本に抵抗してはいたけど。
   +3 アメリカ

■ 史実を違う視点から見るのって本当に興味深いなぁ。 オーストラリア

■ 中国は今頃、新しいターゲットを探してるんだろうな。 ネパール

■ 共産党の言い分は本当に馬鹿げてる。完全に子供のそれ。 マレーシア

■ 中共はほとんど何もやってない。
  でも国民党の指導者たちだって、日本軍を追い出すことよりも、
  価値の無いものを守ることにより集中してたのも事実。 アメリカ

■ アジアでの戦いに目を向けさせるためには必要だったんだろう。
  みんな戦時中に欧州や日本で起こったことは話題にするけど、
  中国で起こったことに関しては知らなすぎなんだよ。 +2 アメリカ

■ 日本を唯一破ることが出来たのは、エノラ・ゲイだけだろ……。 +1 アメリカ 
   ■ 悲劇的な話ではあるけど、真実だね。 アメリカ

   ■ そのとおり。日本の都市の33%は空襲で焼かれていて、
     もう戦えるような海軍力も残ってなかったけれど。 アメリカ

■ 滑稽でバカらしいことだよね。 台湾

   ■ そうだな。まるでアメリカの歴史のようだ。 +1 アメリカ

■ どの国も歴史の光の部分しか国民に教えないもんだよ。 +1 アメリカ

■ 中国は共産主義の名のもとに何百万っていう自国民の命を奪った。
  中国(国民)にしてみれば共産主義は、
  日本と同じくらい苦しみをもたらしたものだ。 アメリカ

■ 一方的に有利な見方をするのはいわば世界の常識だろ。 +1 アメリカ

■ 中国の歴史は結局歴史修正主義者が作った歴史さ。 国籍不明

■ 共産党が果たした役割を底上げしてるって?
  笑わせないでくれ。蒋介石がやったことに比べたら、
  毛沢東たちの対日戦での貢献は微々たるもんだろうに。 +10 国籍不明
■ 皮肉なことだけど、戦時中に日本軍が奪った中国市民の命よりも、
  毛沢東が奪った命のほうが多いっぽいんだよね。 +2 アメリカ

   ■ 共産党による犠牲者のほうがはるかに多いよ。
     4千万人って推定されてるんだから。
     その数に勝てるのはモンゴル軍くらいでしょ。
     宋を攻めた時の犠牲者の数は4千万から1億って言われてる。 国籍不明 

■ 確認事項1:毛沢東は日本軍より多くの命を奪った。
  確認事項2:アメリカは原爆を投下して多くの一般市民の犠牲者を出したが、
          そのことに関して日本に謝罪をしただろうか。
  確認事項3:満州に行ったことのある人間なら誰でも、
          日本が建設した建物が一番優れていると評価するだろう。
    ちょっと挙げるだけでも共産党の欺瞞が分かる! +1 アメリカ

■ いや〜、こういう視点で見るとまた興味深いものになるね……。 イギリス
■ 中国の歴史は嘘だ。
  蒋介石のほうが対日戦勝利に貢献した。
  毛沢東は、美味しいところだけ持って行きたかったんだ。 アメリカ    
■ まぁ中国がプロパガンダをやめることはないでしょうねぇ。 インド
 
■ 対日戦に勝利できた
  (国連憲章の記載だと)国連の常任理事国の席は、
  中華民国のものになってるしね。 +11 中国出身

■ 中国が第2次世界戦で重要な役割を担ったって?
  ソ連が中国北部で日本軍を掃討するまで、
  それからアメリカが2発の原爆を落とすまで、
  当時の共産党は何もやってないじゃん。
  勝利を主張して、さらにスポットライトまで浴びたいの?
  中国のプロパガンダは歴史から作られていくんだね。 +28 ベトナム

        ■ ベトナム人は日本に勝ったなんて嘘は言わない。
        単に連合国が勝ったから、自主を取り戻したんだ。
        すべてのベトナム人そう言うだろう。
        歴史を歪曲して、「奮戦した」なんて喧伝するのは恥ずべき事だ。
        中国から多くの戦死者が出たのは懸命に戦ったからじゃなくて、
        日本のほうが優れた兵器と戦略を持ってたからだろ。 +ベトナ    ■ 死傷者の数で功績は語れないさ。
        よく言われてるのは、中国は日本を泥沼に引き込んで、
        限られていた資源を日本に浪費させたってことだね。
        中国が常任理事国でいられてるのは主に政治的な理由で、
        ソ連の膨張を抑える防波堤的な役割が期待されてたんだ。
        決して強大な国だったからってわけじゃない。 +4 アメリカ
      ■ インドのほうがよっぽど勝利に貢献してるよw インド

   ■ そんなこと言ったら英仏だって戦勝を祝えないぞ! +1 中国

■ 俺たちだって同じことをやってるように思えるけどね。
  もちろん中国にじゃなくて、アメリカの都合のいいように。
  今ある歴史は、そうあって欲しいという理想に過ぎないんだ。 +1 アメリカ
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/707.html#c32

[政治・選挙・NHK201] 歴史を繰り返させるな 真の争点を見極めたい(サンデー毎日) 赤かぶ
34. 大和狼[478] keWYYZhU 2016年2月29日 22:15:28 : GtbKePOJIY : psuQQIbk260[4]
「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第3章 引きずりこまれた日中戦争

 戦前、日本と中国が戦った戦争は、歴史的にはシナ事変といいます。近年、日中戦争といわれることが多いのですが、戦争と事変の違いは、戦争は政府が宣戦布告をした戦闘行為、事変は宣戦布告なき戦争をいいます。日本・中国とも宣戦布告をしなかったので、シナ事変といわれます。
 張作霖爆殺事件について書いたように、『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)には、戦前の日中関係史につき、根底を揺るがすような数多くの新発見が盛り込まれています。その新発見の一つに、シナ事変の展開があります。

◆中共のスパイによって全面戦争に

 シナ事変の発端は、昭和12年7月8日、深夜に起こった盧溝橋事件です。その後、日中の全面戦争になったきっかけとなったのは、同年8月13日に起こった第2次上海事件でした。『マオ』は、この事件について、国民党の張治中という将軍が、蒋介石の命令を無視して、日本軍攻撃を指揮して起きたものであることを明らかにしていまし。張治中は、中国共産党の秘密党員であり、スパイ工作員でした。中共とコミンテルンの指令を受けた張の企てによって、日中は全面戦争へと導かれたというのです。
 当時、スターリンは、シナ大陸に駐屯している日本軍が、北上してソ連に侵攻することを防ぎたいと考えていました。それには、日本軍をシナ大陸で国民党軍と戦わせればよいと考えたのです。一方、毛沢東は、国民党軍を日本軍と戦わせながら、中国共産党の勢力を温存し、シナの奥地で勢力を拡大しようと考えていました。スターリンと毛の思惑は一致したのです。
 『マオ』によれば、これを一人で実現したのが、張治中でした。日本は、共産主義の謀略によって、泥沼のような戦争に、引きずり込まれたのだ、ということになります。

 この説の持つ重大性を理解するには、シナ事変の発端から確認する必要があります。昭和12年(1937)7月初旬から8月中旬にかけての展開を追跡しつつ、その重大性を考えてみたいと思います。
 この年7月8日、シナの盧溝橋で日中両軍の衝突事件が起こりました。第1次近衛内閣の時です。当時、日本軍がシナに駐屯していたのは、侵略のためではありません。清国は各国に対して駐兵権を認めていました。日本軍も、その駐兵権に基づいて駐屯していたのです。日本軍は国民党軍と戦う意思はなく、蒋介石も日本軍との戦いを望んでいませんでした。ところが、深夜突如として日本軍と国民党軍に不法射撃をして姿を消した者がありました。
 わが国は事件発生当初から不拡大方針をとりました。現地部隊は数度の不法射撃に対しても、7時間にわたって、一発の応射もせずに隠忍自重したのです。政府も陸軍中央も現地解決を期待して、3週間にわたり、事態の推移を注視しました。決して、中国との戦争を仕掛けたわけではない証拠です。ところが、その後の展開によって、徐々に戦争に引き込まれていってしまいます。

 歴史家の秦郁彦氏は、最初の「なぞの発砲」がシナの第29軍第3大隊第11中隊から行われたことを、第3大隊長だった金振中の回想録から突き止めました。金振中は事件から2年後、中国共産党軍に転じています。第29軍には、ほかにもかなりの中国共産党シンパが潜入していたのです。
 中国共産党は早くも事件の翌日に、日本との開戦を主張する激烈な声明を出しました。そして、蒋介石に対日開戦を強く迫っていたのです。
 今日では、「なぞの発砲」が中国共産党員によって行われたものであることが、明らかになっています。このことは、中国共産党の指導者が、自ら明らかにしていることです。

 昭和24年(1949)10月1日、中華人民共和国宣言の際、周恩来首相は誇らしげにこれを語りました。「あの時、我々の軍隊が日本軍と中国国民党軍の両方に鉄砲を撃ち込み、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨げたのが、我々に今日の栄光をもたらした起因である」と。
 また、毛沢東に次ぐナンバー2だった劉少奇(後に国家主席)は、「盧溝橋事件によって、蒋介石と日本の軍国主義を両方とも滅亡させることができた。中国軍にとってはまさに思うつぼであったのである」と演説しました。劉少奇の部下が、「なぞの発砲」を工作したことが、中国側の資料によって、わかっています。それでもなお盧溝橋事件は、日本軍が発砲したものという説を唱えている学者がいます。どちらが発砲したかわからないという説を唱える学者もいます。これでは学問の名を借りて、真実を隠し、国民を誤導するものといわざるを得ません。

 中国共産党の謀略に背後には、スターリンからの指令があったのです。盧溝橋事件の後、モスクワのコミンテルン本部は、直ちに次のような指令を発しました。(興亜院政務部『コミンテルンに関する基本資料』による) 

一、あくまで局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かねばならない。
ニ、右目的の貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって、支那の解放運動を裏切る要人は抹殺してもよい。
三、下層民衆階級に工作し、彼らに行動を起こさせ、国民政府として戦争開始のやむなきにたち到らしめねばならない。
四、党は対日ボイコットを全支那に拡大し、日本を援助する第三国に対してはボイコットをもって威嚇せよ。
五、党は国民政府軍下級幹部、下士官、兵並びに大衆を獲得し、国民党を凌駕する党勢に達しなければならない。

 毛沢東率いる中国共産党は、この指令に従って行動し、幾度も停戦協定を破りました。そして、日本側から働きかけた事変解決のための和平交渉をすべて失敗に帰さしめたのです。

◆停戦への努力が水泡に

昭和12年7月8日、盧溝橋事件の勃発後、日本政府は不拡大方針をとり、早期解決に努力しました。その最中に、同月29日、悲惨極まりない日本人虐殺事件が起こりました。通州事件です。
 この日、中国保安隊約3千名が突如、日本軍守備隊を攻撃しました。同時に、日本人居留民を襲撃しました。在留邦人385名のうち、女性、子供を含む224名が惨殺されました。ある者は耳や鼻を削がれ、女性は陰部に棒切れを挿し込まれ、あるいは生き埋めにされ、手をワイヤーロープにしばられ、つながれ、素裸にされて池に投げ込まれたのです。居留民の家屋はすべて焼かれ、家財は略奪されました。これこそ、まさに虐殺、つまりむごたらしい殺し方です。

 通州邦人虐殺事件は、シナの冀東保安隊第一、第二総隊の計画的行動であることが、中国側資料によって明らかになっています。
 邦人虐殺が報道されると、わが国の国民の憤慨は頂点に達しました。日本人がかつて知らない地獄図絵でした。「悪逆無道の支那を討つべし」という声が全国に轟々と巻き起こりました。
 しかし、それでも政府は不拡大方針を変えませんでした。昭和天皇は外交解決を希望しておられました。その御意思を体して、政府・軍部は一致協力し、中国との交渉を開始しました。
 ところが、その開始当日の8月9日、上海で大山中尉虐殺事件が発生しました。中国兵によって、大山勇夫海軍中尉と斎藤一等水兵が惨殺されたのです。この事件によって、交渉は即日中止されました。 一体、誰が何のためにこんな時に、事件を起こしたのでしょうか。なぞのまま今日まで数十年が経過しています。

 当時、日本側が用意していた和平案は、簡単に言うと満洲国だけを認めてくれれば、満洲事変以降に発生した中国における日本の権益はすべて白紙に戻す、そして共同で共産勢力の防止にあたり、経済面では両国の貿易を促進しよう、という内容でした。中国側が塘沽停戦協定で実質的に満洲国を認めていたことを考えれば、中国に対する新たな要求は何もありません。その上、日本の多くの権益を放棄するという、思い切った譲歩案でした。直前に邦人多数が虐殺された通州事件があったにも関わらず、日本側はこのような提案を用意していたのです。

 大山中尉らの惨殺の後も、なお日本側は慎重に対応しました。8月12日、岡本上海総領事の提案により、停戦協定共同委員会において、「日華双方とも、互いに相手より攻撃を受けない限り戦端を開かない旨、日華委員より双方の司令官に申し入れる」との決議を行っています。
しかし、翌13日、中国軍が攻撃を始めたのです。これが、第2次上海事変です。この時点で日本の兵力はわずか4千人でした。それに対し、中国兵は配備された者に限っても3万人にいました。この兵力差を見れば、日本が中国を侵略するどころか、在留邦人を守るのさえ困難な状況にあったことは、明らかです。

 翌14日、中国側は、自国民、外国権益に対する見境のない空爆を行い、本格的な戦争に発展していきました。その2日後、わが国は「従来とり来たれる不拡大方針を放棄し、戦時態勢上、必要なる諸般の準備対策を講ずる」という閣議決定を行いました。日本側が臨んだのではありません。事ここに至って、望まざれども戦いをせざるをえなくなったのです。

 盧溝橋事件の後、通州事件、大山中尉虐殺事件、第2次上海事変が続いたことによって、日本は泥沼の戦争に引きずり込まれていきました。決して計画的な侵攻ではないのです。事変を拡大したくなかったのです。
 東京裁判では、通州事件に関する日本側の証拠は、7割方、却下されました。大山中尉虐殺事件、無差別誤爆事件に関する証拠も多く却下されました。そんな不公平ななかで行なわれたのが、東京裁判です。しかし、現在も、東京裁判の判決が、多くの日本人の歴史観を拘束しています。
 蘆溝橋事件は、偶発的に起こったと書いている歴史書や百科事典が多くあります。これに対し、第2次上海事変については、ほとんどが日本の「侵略行為」として書いています。果たしてそうなのでしょうか。

 『マオ』は、シナ事変の展開に関する新たな事実を明らかにしています。『マオ』は、当時、日本側も蒋介石側も、衝突を望んではいませんでした。望んでいたのは、ソ連のコミンテルンと中国共産党だったというのです。
 『マオ』は、次のように書いています。「スターリンは、いずれ日本が北へ転じてソ連を攻撃するのではないかと心配していた。スターリンの狙いは、中国を利用して日本を中国の広大な内陸部におびきよせ、泥沼にひきずりこむこと、そして、それによって日本をソ連から遠ざけることだった」と。
 では、スターリンの意思はどのように、実行されたのでしょうか。その点を次に書きたいと思います。

http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/707.html#c34

[政治・選挙・NHK201] 歴史を繰り返させるな 真の争点を見極めたい(サンデー毎日) 赤かぶ
36. 2016年2月29日 23:24:17 : GtbKePOJIY : psuQQIbk260[5]
↑偉そうにあー言えばジョーユーの中国共産党員がな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/707.html#c36

   

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