28. 2016年10月06日 12:29:27 : XYb01hDXs6 : pqu8KQNdTWw[1]
長岡市冊子より「米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ」
新井満さんでも啄木でも安吾でもええが、ふるさとに向かいて言うことなし、何が悲しいかって、人間、故郷を失うこと、墳墓の地を失うこと、住めなくなることだ。原発は一たび間違えれば、故郷を失うことになる、とにかくおっかねえよ。柏崎・刈羽だってその電力は都民が使う、じゃったら原発を東京に置いたらええじゃあねえか、長距離送電コスト無駄じゃあねえかと、誰もが思う。東京だって冷却用の海なんか、いくらでもあるぞ。それが、余りに物騒で余りにおっかなくって、できねえんだ。新潟県民を騙して、はしたゼニ握らせ、鼻薬きかせ、再稼働狙ってくる。目先のゼニなんか直ぐ無くなるが、どこも誰も嫌がるもんだから、とにかくええことだらけのバーゲンセール言ってきおる。加えて、口から出鱈目のネガキャンも現地紙交え大合唱だ、やれ原発停止で新潟経済発展が停滞したとか、生産が減少したとか、ヨタ話をまき散らす。原発がそんなにええもんなら、現地東京で回したらよい。しかし、東京立地なんか言ったら、そ!そいだけは!ご勘弁!そげん物騒なもんは新潟へ持っていけと、都民の大合唱の大騒ぎは必定だ。とにかく、原発はおっかねえ、
原発のゲと聞いただけで、数十キロは離れる必要あるくれえ、こええもんだ。今もこええが、故郷の先の将来考えたときも、原発は希望与えてくんねえよ。原発と一緒じゃあ、将来は真っ暗だな。原発推進政策は、大先輩の米百俵の精神とは、真逆だな。目先でねえ、百年先・二百年先の新潟の発展考えたとき、答えは明らかだ。森民なんかも、長岡を占領した薩長ゲリゾウ軍の現場軍監みてえなもんだ、長州ゲリゾにヘイコラしおって。河合継や小林虎の、中央とは一線画する気風受け継いちょるんは、むしろ魚沼方面ちゅうか、米山側だよ。原発なんぞ維持するのは、米百俵の大先輩たちに顔向けできねえよ。