32. 2016年2月20日 21:42:08 : 0n5E3NJgU6 : pAhlczOY1cA[1]
慰霊の日は怒号が飛び交う政治集会に
沖縄戦終結から70年の節目となる2015年6月23日の「慰霊の日」。沖縄県が開いた沖縄全戦没者追悼式は、例年と違った異様な雰囲気に包まれた。翁長知事が「平和宣言」の中で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設反対を訴えたためだ。
「辺野古に新基地を建設することは困難であります」
平和宣言を読み上げた翁長氏には参列者から大きな拍手が湧き、続いて登壇した安倍首相には「帰れ」などの怒号と野次が飛んだ。
慰霊の日は沖縄では最も厳粛な日であり、学校や官公庁も休みで、沖縄県全体が鎮魂の祈りに包まれる。沖縄本島だけでなく、周辺の八重山諸島や宮古諸島でも戦没者追悼式が開かれる。しかし沖縄本島であれ八重山であれ、こんな騒々しい政治集会のような追悼式を目にしたのは初めてだった。
慰霊の場に政治的主張を持ち込むことが許されるのか。本来は政治的な立場を棚上げし、心を1つに戦没者の冥福を祈るべき場ではないか。式典が翁長氏の政治的パフォーマンスに利用されたというほかない。参列者の拍手や野次は翁長知事が煽動したも同然だった。こんな追悼式で、果たして御霊は安らかでいられるだろうか。
翁長知事の平和宣言に辺野古反対を盛り込むよう求めていたのは反基地派であり、翁長知事は結局、メディア受けを優先させたのではないか。翌日の沖縄県紙は《ここ数年の平和宣言の中で、県民の意思を最も反映したものだった》(琉球新報社説)などと高く評価した。県政、反基地派、そして沖縄メディアの「共闘」は沖縄では周知の事実であり「筋書き通り」というところだろう。翁長氏の言動は、大衆迎合主義の雰囲気も濃厚だ。
ただ私から見ると、どれほど言葉を取り繕っても、拍手や野次が響き渡るような追悼式が正常な姿とはとても思えなかった。引き金となった沖縄県の平和宣言は、言葉とは裏腹に日米両政府に対する闘争宣言に他ならない。沖縄県民の1人として、イデオロギー県政と化した翁長県政の先行きに、ますます不安を感じずにはいられない。
この日、沖縄のテレビ局がどのような報道をしたのかも検証したい。沖縄のメディアというと「反基地」に傾斜した沖縄県紙の一方的な報道ぶりが指摘されることが多いが、テレビ局も負けていない。
沖縄で視聴できるテレビはNHK、沖縄テレビ、琉球放送、琉球朝日放送の4局ある。
全戦没者追悼式を報じた各局のニュースを見ると、いずれも当時、安倍首相が成立を目指していた安保関連法案と普天間飛行場の辺野古移設を槍玉に挙げ、「安保法案=辺野古移設=戦争」という論調が共通していた。どのチャンネルを回しても、インタビューを受けた式典参列者は異口同音に安倍政権を批判した。
「戦争法案(安保法案の言い換え)と辺野古新基地(辺野古移設の言い換え)は連動する。一番被害を受けているのは沖縄だ」
「安倍政権は日本を再び戦争ができる国にしようとしている」
「70年前のあれ(戦争)が目の前に来ているのではないか」
インタビューを受けた参列者は本当に、全員がこんな受け答えをしたのだろうか。これほどのイベントで参列者全員の政治的思想が同じということは、動員でもされていない限り有りえない。製作者側が参列者のコメントを意図的に取捨選択している可能性すら感じる。
琉球朝日放送は「遠ざかる記憶 近づく足音」というテーマを設定し、慰霊の日に向けたシリーズ番組を集中放送した。「遠ざかる記憶」とは沖縄戦の記憶が失われつつあるという意味で、「近づく足音」とは安保法案や辺野古移設を通じて安倍政権が戦争をもたらすと暗示している。
追悼式後には、沖縄県内の有識者2人を会場である糸満市の平和記念公園に招き、対談を行う番組もあった。2人とも安保法案、辺野古移設に反対する立場で、安倍政権をひたすら非難し、司会役のアナウンサーも当然のような顔をしていた。安保法案や辺野古移設に賛成する意見は全く紹介されなかった。
別の民放局では、追悼式後の特集で、辺野古移設反対を訴えるため、移設予定地に隣接する米軍キャンプ・シュワブ前で抗議活動する反基地派の老人の姿をドキュメンタリー方式で迫った。
老人は平和の闘士として描かれており、ナレーションは「(老人は)負の連鎖を断ち切るため、辺野古の現場に通います。戦争につながるものは一切拒否するという強い意思を持ち、岐路に立つ辺野古で、抵抗の最前線に身を置いています」と神々しい存在に持ち上げた。
しかし、一般視聴者として、ここで根本的な疑問に向き合わなくてはならない。なぜ慰霊の日の戦没者追悼式を報じるニュースが、辺野古移設や安保法案反対を訴える抗議活動のドキュメンタリーにすり替わるのか。慰霊の場に政治的主張を持ち込む報道姿勢は、追悼式の翁長知事と全く同じスタンスではないか。慰霊の日と辺野古移設、安保法案は本来、何の関係もない。関連づける必然性もないのである。
もちろん、報道の手法として、これらを関連づけることを否定するものではない。しかし、「安保法案=辺野古移設=戦争」という一面的な主張だけで押し通すのはアンフェアだ。
慰霊の日に日本の安全保障を問うのであれば、石垣市の尖閣諸島を狙う中国の動き、沖縄の平和を守るために在沖米軍や自衛隊が果たしている役割などにも言及しなければ公平とは言えない。
「安保法成立と辺野古移設は日米同盟を安定化させ、尖閣有事を防ぐことで平和の維持に寄与する」。たった一言、誰かがそう言うだけでいい。異なった意見が存在することを紹介し、その選択を読者や視聴者に委ねるのがメディアの役割ではないか。しかし私が見た限り、そのように配慮された報道は皆無だった。
改めて沖縄の言論空間がいかに窮屈か実感される。沖縄県民は新聞を広げても、テレビのスイッチをつけても、常に辺野古反対、安保法案反対の洪水のような論調に晒されている。
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/516.html#c32