153. 何が真実か[139] ib2CqpBejsCCqQ 2016年6月02日 10:06:45 : OFrqTvOL6w : oSNaT4qLuMQ[1]
>152
>とうとう、ボロを出したな あんたの示したウヨサイトですら こう書いてあるではないか
貴殿が引用したその下を
以下引用
東京裁判以来の反日・自虐史観では、この満州事変は日本のシナ侵略の第一段階と決め付けている。しかし、日本側が起こさなければシナ側が必ず起こしていたものである。それほど満州は緊迫した状況になっていたのだ。柳条溝事件は無数の原因の累計の上に加えられた最後の小原因であり、満州事変は東京裁判で決め付けられたような「シナ侵略の出発点」では決してなく、4半世紀にわたるシナの排日侮日政策の必然的結果であった。
中村粲氏は「大東亜戦争への道」の中で以下のように喝破している。
「危険なガスの充満する満洲で、現実に柳条溝の満鉄爆破事件というマッチを擦ったのが日本側であったことは、今日知らぬ者とてない。東京裁判以来、満洲事変はわが国の中国侵略の第一段階とするのが定説のごとくだ。だが、日本側が点火しなければ、必ず中国側にひょって点火されていたに違いない。それ程、満洲の緊迫状況は持ちこたえ得る限界に近づいていた。・・・それ故、満洲事変は原因ではない」
この当時の日本軍の行動は、当時の先進国と呼ばれた国ならどこでもやっていることである。それなのに、同じことを日本がやれば「侵略」で、欧米がやれば「侵略ではない」という理屈がどうしてできるのだろうか。そもそも、当時の満州で日本が軍事行動を起こしたことについて、国際法上、何の問題もない。というのも、第一に日露戦争のポーツマス条約において、日本はロシアから南満州における権益を譲られている。これは当時のシナ政権も承認したことであって、何も不法に満州に入っていたわけではない。しかも、満州にいた日本人が、満州事変当時、シナ人によって危険な状況にあったのも動かしがたい事実である。関東軍が満州事変を起こした目的は、このような危機的状況を解決するために、シナの軍隊や匪賊を満州から排除することにあった。現地の居留民に危害が及んだ場合、本国政府が彼らの安全を守ろうとするのは、今日の世界でも当たり前に行われていることである。そのために軍隊が出動するというのは、当時の国際社会では広く認められたことであった。
関東軍は朝鮮人を含む日本人居留民の安全を守るために実力行使をしたのであって、これは外交上、特に非道なことをやったとは言えない。
しかも、関東軍は満州を制圧したまま居すわったわけではない。満州地方の安全を維持するため、溥儀を迎えて満州国を作った。
満州国建国(1932年)
満州事変を理解するには以下の満州事変に至るまでの満州の状況を理解しなければ絶対に不可能である。
満州事変に至るまでの満州の状況
この満洲事変を考え出したのは石原莞爾である。石原は、日本が莫大な投資を行なった満州権益と在留邦人の命を守るには、満州をシナから切り離すしかないと判断した。そして独断で満州事変を起こした。
下っ端に過ぎない関東軍の青年将校が、司令官にも東京の軍本部にも、ましてや政府首脳にも知らせず勝手に兵を動かしたことに、陸軍も怒った。しかし、統帥権干犯問題を振り回し、政府をないがしろにする「下克上」をよしとしたのは軍部である。
日本政府は不拡大の方針(幣原外交)だったが、現地の軍部を抑えられず、戦線は拡大した。政府は結局既成事実として事後承認した。
このような複雑な状況が他の列国にわかるべくもない。満州事変の釈明のため、日本代表は国際連盟で事態の説明を試みるが、出先の軍隊が勝手にやったことをうまく説明できるはずもなかった。問題の根本を知らない列国は「日本は二重政府(ダブルガバメント)」と激しく非難した。
こうして、これまで外交の優等生だった日本の信用は地に落ちる。満州事変は「侵略戦争」では決してなかったが、確実に日本の将来を大きく狂わせた。
満洲事変に対する他国の反応
ソ連は第一次経済開発5カ年計画の真っ最中で中立不干渉だった。
イギリスやフランスは恐慌対策で忙殺されていた。
例によってアメリカのみが満州事変のすべての結果に不承認を唱えた。しかしアメリカも恐慌対策に必死であったため日本の行動を黙認した。
しかし、シナの抗議を受けて国際連盟はリットン調査団を派遣した。
満洲事変は塘沽(たんくう)停戦協定で終了した。
引用終わり
この中に
「満州にいた日本人が、満州事変当時、シナ人によって危険な状況にあったのも動かしがたい事実である。関東軍が満州事変を起こした目的は、このような危機的状況を解決するために、シナの軍隊や匪賊を満州から排除することにあった。現地の居留民に危害が及んだ場合、本国政府が彼らの安全を守ろうとするのは、今日の世界でも当たり前に行われていることである。そのために軍隊が出動するというのは、当時の国際社会では広く認められたことであった。」
「この当時の日本軍の行動は、当時の先進国と呼ばれた国ならどこでもやっていることである。それなのに、同じことを日本がやれば「侵略」で、欧米がやれば「侵略ではない」という理屈がどうしてできるのだろうか。そもそも、当時の満州で日本が軍事行動を起こしたことについて、国際法上、何の問題もない。」
日本人居留民が危険な状況になったことに反撃したのが満州事変。
抗日運動が激しくなったことは貴殿が認めた、それは正当に暮らしていた日本人への挑発である、それに対して反撃した侵攻は侵略では無い。
ともかくも満洲事変は塘沽(たんくう)停戦協定で終了した。
何が侵略か?