12. 2016年11月13日 22:27:00 : cWEf4VxMwg : nnQISQ3jdL0[1]
>>10
>日記という証拠があるのに。
その日記を批判的に分析をした論的な証拠があるのか。
アンネの日記は肝心のガス室の描写がない。
さらにアンネはアウシュヴィッツからチフスなのにもかかわらずベルゲン・ベルゼンに移っているんだが。
そしてルドルフ・ヴルバのレポートも一番肝心なガス室の図面がでたらめなので信用性がない。
日記が自動的に証拠になるとは限らない傍証だろう。
アウシュヴィッツの犠牲者数
<900万人>:ドキュメンタリー映画『夜と霧』[10]
<800万人>:フランス戦争犯罪調査局とフランス戦争犯罪情報サービスによる[11]
<600万人>:Miklos Nyiszli (1951)の序文の筆者Tibère Kremer[12]
<500万から550万人>:クラクフ・アウシュヴィッツ裁判、『ルモンド』[13]
<400万人>:ニュルンベルク裁判が「法廷に顕著な事実」としたソ連側資料[14]
<300万>:David Susskind (1986)[15]ともっとも重要なカリフォルニアのユダヤ系週刊誌Heritage(1993)
<250万人>:アイヒマン裁判(1961)でのRudolf Vrba[16]
<150万人から350万人>:歴史家Yehuda Bauer (1982)[17]
<200万人>:歴史家Léon Poliakov (1951)[18]、歴史家Georges Wellers (1973)[19]、歴史家Lucy Davidowicz (1975)
<160万人>:歴史家Yehuda Bauer (1989)[20]
<150万人>:アウシュヴィッツの新しい記念碑[21]
<1471595人>:歴史家Georges Wellers (1983)[22]
<125万人>:歴史家Raul Hilberg(1961+1985)[23]
<110万人から150万人>:歴史家Yisrael Gutman、Franciszek Piper (1994)[24]
<100万人>:Jean-Claude Pressac (1989)、Dictionnaire des noms propres published by Hachette (1992)[25]
<80万人から90万人>:歴史家Gerald Reitlinger (1953)[26]
<77.5万人から80万人>:Jean-Claude Pressac(1993)[27]
<63万人から71万人>:Jean-Claude Pressac (1994)[28]
<51万人>:『シュピーゲル』編集長フリツォフ・マイヤー(2002)[29]
アウシュヴィッツは人数の見解があるんだが。
ただしこれらもユダヤ人の定義がないと意味がないのは同じだが。
リテラは南京で何人殺されたのか明らかにすべきであろう。
つまり30万人の証拠とあと600万人確定に使われたユダヤ人の定義もだか。
ユダヤ人の定義がないとユダヤ人は数えられない。
リテラはソ連の4分の1ユダヤ人だけでも数える方法を明らかにすべき。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/749.html#c12