14. 2015年12月24日 10:52:15 : SeZRtuBXk6 : nRwriE1rUZU[1]
現在の氏の稲田氏Wikipediaには、なぜかその父上の椿原泰夫氏(教育者であり皇国史観思想家)のことが一行しか載ってないんですね。
>父親の椿原泰夫は、郷里の京都で「京都讀書會」を主宰している他、「頑張れ日本!全国行動委員会」京都本部会長も務める[要出典]。
私も昔、信徒だったことのある生長の家ではかなり有名な父娘でしたが。いまの稲田氏があるのも父上の椿原氏あればこそのはず。以下に書かれた経歴で、それに触れられてれていないのはおかしいでしょう。少なくとも私は十年以上前に、椿原氏の文章が載ったサイト(今はみつかりませんが)で椿原氏が早くから南京事件や百人切り裁判に強い関心を持たれていたという記事を読んだ記憶があります。娘である稲田氏がそのお父さんと無関係にそうしたことに関わったとは考え難いです。
>政治家になった経緯
>早稲田大学法学部在学中、当時男女雇用機会均等法も無く就職先がほとんど無かったので、司法試験を受けようと考えた。1日約16時間ほど勉強した。弁護士になると、5年間イソ弁し、子供ができた際にやめる。夫が産経新聞と正論を読んでいたので、稲田朋美も読みまた『いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか』というような事などを投稿する様になる。その後弁護士である高池勝彦から電話で『南京事件についていっしょに裁判をやらないか』と声をかけられる。本人はその事を「東京日日新聞、現在の毎日新聞が戦意高揚で書いた嘘の記事が唯一の証拠になって、戦後の南京の軍事裁判のB、C級戦犯として2人が処刑された。まったく嘘のことが、日本の名誉を傷つけるようなことが教科書でも教えられているし、本当のこととして流布されているという現状を私は日本人として放置できないと思ったんです」と述べている。最終弁論の日、向井少尉の次女である向井千恵子に出会い。女性1人で戦っている姿を見て感銘を受ける。そして遺族の名誉毀損の裁判を起こす。毎日新聞と朝日新聞、本多勝一さんらを相手取った裁判であった。稲田朋美は「私は政治には全然興味がなかったんですけど、嘘のことで日本の名誉が毀損されているという状況を何とかしたいと思ったんですね。」と述べている。郵政解散のちょうど2週間ほど前に、自民党で百人斬りの話を講演する機会があり、そこにいた安倍晋三(当時)幹事長代理の目に留まり、政治家になる。[1](Wikipedia 稲田朋美より)
「百人切り」に関しては初めから朝日の本多勝一記者が「事実ではないことを意図的に狙って蒸し返した」という見方があるようですが、事の経緯を順序立てて書かれているサイトもあります。
「百人斬り競争」論議の開幕
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/hyakuningiri/kaimaku.html
ちなみに現在の生長の家の総裁は右翼とは言えない、むしろ“左翼的”とさえ言われる人物で、二十年以上前に教団から右翼関係者を一掃しましたが、最近、現総裁を認めない当時の右翼系の関係者の一部が教団の別組織を乗っ取るような形を取って裁判を起こし、本部に闘いをしかけていて内紛状態らしいです。
大体は以下にtogetterにあるのが正しい状況かと思います。
稲田氏が今も教団に関わっているかは知りませんが、もしつながりがあるとすれば、この回帰右翼系に属する方たちとでしょう。
宗教右翼(特に生長の家)と自民党
http://togetter.com/li/790067
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/519.html#c14