332. 旅する鯰[1] l7eCt4Lp6c4 2016年5月02日 08:44:41 : pTiIB6KcVI : nCy@k6DPALI[1]
「世田谷一家惨殺事件」とは。
警察と「くもん教育研究会」が司法取引をしました。それで、迷宮入り状態です。
被害者「宮沢泰子」さん一家は、公文「くもん式」の教室運営者。
事件当時、公文は株式の上場を目指していました。教室主宰者の多くは株を購入。そこそこ夢のある話であったのです。公文の教室は、謂わば嘗ての保険の外交員と同様の気軽な主婦のアルバイト。そこに起きた衝撃的事件でした。
当時の公文社長は、野村證券から引き抜かれた「杏中 保夫」氏。
警察は事件発生後まもなく犯人を特定。「公文渋谷事務局」と連絡を取り、教室運営者である泰子さんの、生徒情報を確認します。
「杏中 保夫」氏は仰天します。上場どころの騒ぎではありません。犯人が「くもんの生徒」であることが、世間の知るところとなれば、くもん式は完全壊滅。2001年の新年のニュースが「くもん生徒の惨殺事件」に始まる、となればもっと衝撃的です。
犯人は教室に通っていた「元生徒」です。風呂場に投げ入れられていた書類とは、教室の成績表でした。「元生徒」は教室で泰子さんから侮辱を受けていて、この資料を先ず第一に消したかったのです。惨殺の後に。
それほどまでに恨んでいました。教室でことあるごとに「宮沢泰子」さんから、槍玉に挙げられていたのでしょう。「宮沢泰子」さんには、精神疾患のある息子さんがいました。この息子さんと「元生徒」が重なって、虐めがエスカレートします。
事件のあった世田谷「祖師谷」に転居する前に、「宮沢泰子」さんは「くもん式教室」を東急線、奥沢駅前に始めて開設します。けれども、ここで執拗な嫌がらせに遭い、身の危険を感じて「祖師谷」に転居しました。
事件はそれから間もなくです。