15. 2016年10月12日 00:12:42 : nW2H4Gc0wo : mt84R1Bakto[1]
>“被害者感情”を錦の御旗にした死刑・厳罰化要求の危うさ
よくぞ言ってくれた。
最近の
「あなたが家族を殺されても犯人に死刑を望まないのか?」
が胡散臭くてしかたなかった。
犠牲者遺族の
「犯人が憎い。極刑を望む」
というコトバを批判はしない。
そう望む遺族がたくさんいるだろうと十分理解できる。
でも。
被害者感情だけで議論するなら。
私が遺族になったら決して死刑は望まない。
『死』がどうして一番重い刑罰と言えるのか。
私が遺族なら、そんなに簡単に「終わらせて」ほしくない。
犯人には一生をかけて後悔して後悔して後悔し尽くすまで後悔してほしい。
一生、陽の目を見ない独房の片隅で、人を殺めた自分と向き合ってほしい。
『死』なんて一番楽な「生き方」じゃないか。
。。。という被害者感情だってあるのだ。
どんな刑罰を下しても
犠牲者遺族の感情がいやされることはないだろう。
「刑罰」とは被害者感情とは別の次元で語られるべきだ、と思う。
もう一つ。
「死刑」に反対する理由。
もし、まちがって犯人以外の人を死刑にしてしまったら。
「真犯人」に永遠の自由を与えることになる。
そんなこと、遺族として絶対に耐えられない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo214/msg/232.html#c15