[政治・選挙・NHK207] 舛添知事は生け贄? 室井佑月「だからなにも変わらない」〈週刊朝日〉 赤かぶ
9.
2016年6月03日 23:04:54
: E8ml0B4HhU
: jZYbCDg4nao[1]
近頃の日本政治は、選挙さえクリアできればしめしめと目論み、さもしい政治屋が政治の舞台にシャシャリキ出まくって、主権者国民ののための政治をぐちゃぐちゃにしてくれている。
厚かましくてさももしい政治屋は、公金にまでもたかってくる。
あまりにも異常だ。
これは、メディアが本来の役目を放棄して、機能していないことも一因ではあるが、根本的なことは選挙で国会議員などの議員を選出することに大きな問題が内包されていると思う。
中学校の公民の授業で三権分立のことを学習した時、三権のどこかが暴走して他の二権のどこがが抑制に回ったとしても抑制できない場合は、どうなるのかと質問したら、先生は、マスコミが登場して抑えると指導してくださった。
しかし現実はなんなのさ・・・!?
選挙で議員を選出するということで、俺らには逆らえないだろうと言わんばかりに、大手マスメディアもつけあがってきたわけだ。議員がメディアに立ち向かうことなんてほとんど見受けられない。議員は、メディアに睨まれることを恐れている。
そこにおごりが生じ、メディアの使命をないがしろにするようになったと思われる。使命よりもメディア利権に奔走しているのが現実だ。
ちょっと脱線しかかったが話を戻せば、いずれにしてもあくどさの大きい小さいではない。
このようなさもしい小物でも国民・都民・市民を裏切るようなさもしい政治屋を見つけたら、手当たり次第、主権者国民は叩き潰すべきである。
小物の政治屋からでも叩き潰すことが積み重なることで、大きな力になるのである。
継続は力なりである。裏切るようなことをしたらタダでは許さんぞという毅然とした実績を作ることである。
そういう意味でも、主権者国民の主権者国民としての確固たる自覚を促すうえでも、“経費増し添え過ぎる”はよい契機にすべきである。思い立ったが吉日である。
主権者国民は、“経費増し添え過ぎる”に対して、手綱を緩めきではない。集中して叩きのめすべきである。
支離滅裂とか嘘つきオンパレードとか巷でつぶやかれている某政権は、矢継ぎ早に次から次へと“問題あり閣僚や議員”を排出したが、問題議員が一人出てくると、また他の問題議員を出しまくって、一人の問題議員に批判の目が集中することを避けて、辞任に追いやられることを凌いできたと思われる。これもしたたか某政党の支離滅裂とか嘘つきオンパレードとか巷でつぶやかれている某政権の辞任を免れるための戦略だったわけだと捉えれば、絶対に手綱を緩めるべきではない。
主権者国民は、主権者国民を裏切るようなさもしい政治屋を、あくどさの大小にかかわらず、見つけ次第、徹底的に叩き潰す実績をつくりだすことである。そうすることによって、さもしい政治屋の政界へのしゃしゃりき出を抑制できるようになるわけである。「クリーンな政治」と口先だけで叫んでもくそにもならない。裏切るさもしい政治屋を叩き潰す行動に出て、始めて少しずつ「クリーンな政治」に近づけるわけである。これを実行していかないと、日本の政治の舞台は、裏社会の人々で埋め尽くされると思う。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/198.html#c9
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