17. 木曽の山猿[358] ltiRXYLMjlKJjg 2016年7月19日 00:31:38 : VgHwPOUTkA : gb4t5MLF8OQ[1]
三宅洋平が単なる床屋談義をしているだけの酔っ払いのおやじなら、
自民党憲法草案反対を論じ戦争法案反対を論じアベノミクスを非難しながら、
安倍晋三と酔いの勢いで電話で話して「想い通ずる」と意気投合するのも良かろう。
でも安倍晋三は政治家で、
三宅洋平は政治家たらんとして立候補したはずじゃなかったのか。
であるなら政治家としての節操は絶対に忘れてもらっては困る。
安倍晋三に政治家としての節操がないことは最初から分かっていること、
安倍昭恵は政治家でないのから政治家の節操を理解できなくて責められはしない。
しかし三宅洋平はかりそめにも政治家たらんとして立候補したのではないか。
安倍晋三と電話で話をして個人的に意気相通ずるなどとか、
あるいはそれを公然と言ってはばからないというなら、
じゃあ問うが、
安倍晋三が「国士」としてする原発推進は肯定できるのか、
安倍晋三が「国士」としてするアベノミクスは肯定できるのか、
安倍晋三が「国士」としてする自民党憲法草案は公定できるのか。
安倍晋三が冷血漢で悪人だから悪いというのではない。
アドルフ・ヒトラーも愛人には優しかった。
東条英機も家族に対しては良き夫良き父親だった。
同じように安倍晋三も、いかに考えが違おうと安倍昭恵にはとっては良き夫だろう。
政治家アドルフ・ヒトラーはユダヤ民族浄化の政策を推進し、
東条英機は侵略戦争へと日本を導いて結局は数百万の犠牲を出したではないか。
同様に、個人的な人間性は政治家安倍晋三とは全く関係がないと見なさなくてはならない。
引退し「回想」政治家と話をするのでなく、現役の政治家と話すのであれば、
それが政治家としての節操なのだ。
個人のレベルで話をすれば、
ヒトラーも東条英機も「国士」として政策を行い、
結局は世界を「悲惨」のどん底に陥れたのだ。
政治の冷徹さをわきまえて行動できなければ、
いくら現在は護憲、平和主義的、および反原発や環境保護的言辞を述べていても、
情勢が変化すればいくらでも権力に取り込まれ、場合によってはファシストにさえ転向する。
政治家としての節操がないものは、
いつでも「情」にほだされ転向してしまう。
「感性」だけでは政治は出来ない。
「情熱」だけでは政治的責任は全うできない。
三宅洋平が当選できなかった理由があるとすれば、
ミュージシャンとしての訴求力は確かにあったけれど、
政治家としての資質において説得力と損来性に欠けていたのではないか。