3. 2016年10月07日 19:10:02 : NgxU4vydJE : etdhmuY0Sl4[1]
アレッポは今のアサドの父親時代、ムスリム同胞団を掃討する名目で大虐殺を行った俗にいうハマーの虐殺で有名な街だ。
もっともそのころは圧政に立ち上がる世直しの宗教運動体は、総じて好意的に報じられていたのでムスリム同胞団なんていったいどういう連中なのか誰も注意を払う者はいなかったので、もっぱらアサド体制だけが問題視された。
狡猾なアサドは政治的には超リアリストであり、そのうえどこに着けば得点が稼げなおかつ自分たちの政体を保持できるか、情勢読みに長けていた。
シリアがアラブで名をはせるのはなんといってもレバノン紛争でターイフ合意のもと、群雄割拠する民兵たちを引き離すためにシリア軍を派遣して実質的にレバノンを平定したことだろう。
これでアサドは念願だったレバノンをシリアの領土として実質的に手に入れたことになる。
シリアをレバノン平定のために軍隊を入れることに対して、アメリカのお墨付きがあったことは言うまでもなく、アメリカとシリアの蜜月はアラブの春がシリアに波及する前年まで続いていた。
アサドの息子、今の大統領とケリーの仲が良いのはだから当然のことだが、なぜかアラブの春以降、ケリーは対シリア強硬派に転じた。
以後、アメリカの対シリア政策はレバノンで見せたように後手後手に回る失策を重ねレバノンでは地の利のあるシリアに頼らざるを得なくなったように、シリアではロシアに肩を貸してもらってやっとこさ歩ける程度と言っていいほど体力(超大国としての力)を弱めた。
アレッポ攻防戦でガタガタのアメリカが必死になっているのは、ハマーの虐殺の記憶を呼び起こし、世界の目と耳を体制側(アサド政権とロシア)の暴力が再びアレッポを蹂躙しているという負のイメージを喚起させ、乗じて反体制側にこそ正義があると印象づけたいからだろう。
相も変わらずやることが姑息である。