9. 2016年2月06日 11:26:22 : Ivldxf0QYg : enH68qvtdVM[1]
集団的自衛権が憲法違反だとは憲法の条文のどこを探しても書いていない。
植草一秀の指摘は間違っている。
砂川判決が出たのは1959年(昭和34年)12月16日。いわゆる60年安保闘争の最中である。判決直前の11月27日には全学連中心のデモ隊1万2000人が国会内になだれ込み警官とデモ隊双方に300人余の負傷者が出た。
70年安保でこの轍を踏んではならないーそうした政治判断から政府見解を編み出したいったのであろう。
本当に、朝日新聞が主張するように、砂川判決は集団的自衛権を認めていないのだろうか。砂川判決は憲法第9条を踏まえながら、こう述べた。
<しかしもちろんこれにより我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく(以下略)>
ここでは必ずしも個別的自衛権に限定していないのみならず、別の場所では
「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛権の固有の権利を有することを承認しているのに基づき」云々とも述べている。ゆえに、集団的自衛権を含め「固有の権利」として認めた判決と解釈しても牽強付会とは言えまい。
ちなみに「固有の権利」を国連憲章の正文である仏文(droit naturel)に戻し、訳し直せば「自然権」となる。その他の国連公用語で読んでも、そうなる。実定法で奪うことのできない自然権である。朝日新聞や日本の内閣法制局がどう解釈しようが、奪うことなどできない。
砂川判決で裁判長がつけた補足意見にも注目したい。
<今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである>
「一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきではない」−集団的自衛権という用語こそ出てこないが、明らかに集団的自衛権を認めた趣旨と解釈できるのではないだろうか。しかも「他国の防衛への協力」を「義務」と認定している。
さらにこう続く。
<およそ国内問題として、各人が急迫不正の侵害に対し自他の権利を防衛することは、いわゆる「権利のための戦い」であり正義の要請といい得られる。これは法秩序全体を守ることを意味する。このことは国際関係においても同様である>
「およそ国内問題として、各人が急迫不正の侵害に対し自他の権利を防衛すること」を正当防衛と呼ぶ。正当防衛を規定した刑法第36条は「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」と明記する。
国連憲章51条の「自衛権」は、仏文(正文)で「legitime defense」。つまり正当防衛である。以上を踏まえて言えば、急迫不正の侵害に対し自己の権利を守る正当防衛が個別的自衛権であり、他人の権利を守る正当防衛が集団的自衛権。どちらも「正義の要請」である。内閣法制局の解釈で奪えるようなものでは断じてない。
少なくとも私はそう思う。以上の事実関係に一言も触れることなく「ご都合主義」「牽強付会」「こじつけ」と断罪する姿勢こそ「ゴリ押し」ではないだろうか。
砂川事件最高裁大法廷判決
http://tamutamu2011.kuronowish.com/sunagawasaikousai.htm
(裁判官田中耕太郎の補足意見より抜粋)
一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。
およそ国内的問題として、各人が急迫不正の侵害に対し自他の権利を防衛することは、いわゆる「権利のための戦い」であり正義の要請といい得られる。これは法秩序全体を守ることを意味する。このことは国際関係においても同様である。防衛の義務はとくに条約をまって生ずるものではなく、また履行を強制し得る性質のものでもない。しかしこれは諸国民の間に存在する相互依存、連帯関係の基礎である自然的、世界的な道徳秩序すなわち国際協同体の理念から生ずるものである。このことは憲法前文の国際協調主義の精神からも認め得られる。そして政府がこの精神に副うような措置を講ずることも、政府がその責任を以てする政治的な裁量行為の範囲に属するのである。
本件において問題となっている日米両国間の安全保障条約も、かような立場からしてのみ理解できる。本条約の趣旨は憲法9条の平和主義的精神と相容れないものということはできない。同条の精神は要するに侵略戦争の禁止に存する。それは外部からの侵略の事実によって、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合に、止むを得ず防衛の途に出ることおよびそれに備えるために心要有効な方途を講じておくことを禁止したものではない。
いわゆる正当原因による戦争、一国の死活にかかわる、その生命権をおびやかされる場合の正当防衛の性質を有する戦争の合法性は、古来一般的に承認されているところである。そして日米安全保障条約の締結の意図が、「力の空白状態」によってわが国に対する侵略を誘発しないための日本の防衛の必要および、世界全体の平和と不可分である極東の平和と安全の維持の必要に出たものである以上、この条約の結果としてアメリカ合衆国軍隊が国内に駐留しても、同条の規定に反するものとはいえない。従ってその「駐留」が同条2項の戦力の「保持」の概念にふくまれるかどうかはーー我々はふくまれないと解するーーむしろ本質に関係のない事柄に属するのである。もし原判決の論理を是認するならば、アメリカ合衆国軍隊がわが国内に駐留しないで国外に待機している場合でも、戦力の「保持」となり、これを認めるような条約を同様に違憲であるといわざるを得なくなるであろう。
我々は、その解釈について争いが存する憲法9条2項をふくめて、同条全体を、一方前文に宣明されたところの、恒久平和と国際協調の理念からして、他方国際社会の現状ならびに将来の動向を洞察して解釈しなければならない。字句に拘泥しないところの、すなわち立法者が当初持っていた心理的意思でなく、その合理的意思にもとづくところの目的論的解釈方法は、あらゆる法の解釈に共通な原理として一般的に認められているところである。そしてこのことはとくに憲法の解釈に関して強調されなければならない。
憲法9条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まって不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。しかしこれによってわが国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない。我々として、憲法前文に反省的に述べられているところの、自国本位の立場を去って普遍的な政治道徳に従う立場をとらないかぎり、すなわち国際的次元に立脚して考えないかぎり、憲法9条を矛盾なく正しく解釈することはできないのである。
かような観点に立てば、国家の保有する自衛に必要な力は、その形式的な法的ステータスは格別として、実質的には、自国の防衛とともに、諸国家を包容する国際協同体内の平和と安全の維持の手段たる性格を獲得するにいたる。現在の過渡期において、なお侵略の脅威が全然解消したと認めず、国際協同体内の平和と安全の維持について協同体自体の力のみに依存できないと認める見解があるにしても、これを全然否定することはできない。そうとすれば従来の「力の均衡」を全面的に清算することは現状の下ではできない。しかし将来においてもし平和の確実性が増大するならば、それに従って、力の均衡の必要は漸減し、軍備縮少が漸進的に実現されて行くであろう。しかるときに現在の過渡期において平和を愛好する各国が自衛のために保有しまた利用する力は、国際的性格のものに徐々に変質してくるのである。かような性格をもつている力は、憲法9条2項の禁止しているところの戦力とその性質を同じうするものではない。
要するに我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる「自国のことのみに専念」する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない。
我々は「国際平和を誠実に希求」するが、その平和は「正義と秩序を基調」とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち「法の支配」と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。
以上の理由からして、私は本判決理由が、アメリカ合衆国軍隊の駐留を憲法9条2項前段に違反し許すべからざるものと判断した原判決を、同条項および憲法前文の解釈を誤ったものと認めたことは正当であると考える。
2016.2.6 05:04
【産経抄】
自衛隊の憲法解釈、率先して動くべきは誰か 2月6日
http://www.sankei.com/politics/news/160206/plt1602060002-n1.html
憲法学者の約7割が、自衛隊は違憲または違憲の恐れがあると判断しているという。この問題が国会で取り上げられ、安倍晋三首相は憲法改正によって「(そんな)状況をなくすべきではないかという考え方もある」と指摘した。
▼現在の政府解釈では自衛隊は合憲だが、憲法9条2項にはこう書かれている。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。条文を素直に読めば、確かに合憲と受け取るのは難しい。自衛隊を軍でも戦力でもないと言い張るのは、やむを得なくてもいっそむなしい。
▼「自衛権発動としての戦争も交戦権も放棄した」。昭和21年6月には、当時の吉田茂首相もこう答弁している。これがもともとの政府の9条解釈だった。「国土を防衛する手段として武力を行使することは憲法に違反しない」と大転換したのは自衛隊が発足した29年のことである。
▼「このままにしていくことこそ、立憲主義を空洞化する」。自民党の稲田朋美政調会長が、3日の衆院予算委員会でこう問いかけたのは道理にかなう。誰が見ても無理がある解釈の積み重ねで切り抜けるばかりでは、憲法自体の信頼性を損なうことだろう。
▼「今や自衛隊に対する国民の支持は揺るぎない」(安倍首相)。厳しい国際情勢を持ち出すまでもなく、もとより自衛隊の解消という選択肢は採り得ない。そうであれば、憲法を改正して自衛隊をきちんと位置付けるべきなのは当然である。
▼解せないのは、自衛隊違憲論を主張する憲法学者や、専門家の意見を尊重しろと声高に訴えてきた野党議員らの態度である。彼らこそ、憲法と自衛隊が矛盾したり、矛盾が疑われたりしないよう率先して改憲を求めていいはずだが。
2016.2.5 20:07
安倍首相「改憲項目は自民党草案で」 「3分の2以上」にならないなら他党とも柔軟対応
http://www.sankei.com/politics/news/160205/plt1602050045-n1.html
衆院予算委員会で質問に答える安倍晋三首相=5日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影)
安倍晋三首相は5日の衆院予算委員会で、憲法改正の項目として、9条改正を含む自民党の憲法改正草案を夏の参院選で示す考えを明らかにした。「どこから変えていくかは、わが党の案で示したい。どれに優劣を付けるかは差し控える」と述べた。
首相は草案で9条に自衛権と「国防軍」の保持を明記している点について「自民党の総裁として同じ考え方だ」と述べた。一方、改憲の発議に必要な「衆参3分の2以上」の勢力確保は「簡単なことではない」と強調。「どんなに主張しても、私たちが持つ議席以上に広がらないなら、政治の現実としてはあきらめなければならない。どの条文で3分の2を形成できるか、憲法審査会において議論を重ねていく」と述べ、改憲に前向きな勢力と柔軟に協議する姿勢を示した。
首相はまた、正規・非正規間の賃金や待遇格差を是正する「同一労働同一賃金」について、「非正規雇用労働者の待遇改善は極めて重要であり、働き方改革の大きな課題だ。均等待遇も含めて踏み込んで検討する。必要であれば、法律を作ることは当然だ」と述べ、法制化を検討する考えを明らかにした。
2016.2.3 21:34
【衆院予算委員会】
安倍首相、憲法9条改正の必要性に言及
http://www.sankei.com/politics/news/160203/plt1602030071-n1.html
衆院予算委員会で民主党の玉木雄一郎氏の質問に答弁する安倍晋三首相=3日午後、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影)
衆院予算委員会は3日、安倍晋三首相と全閣僚が出席して平成28年度予算案に関する基本的質疑を行い、実質審議入りした。首相は戦力の不保持を宣言した憲法9条2項について「7割の憲法学者が自衛隊について憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきではないか、という考え方もある」と述べ、改正の必要性に言及した。自衛隊については「60年以上にわたり国内外で活動を積み重ね、いまや国民の支持は揺るぎない」と強調した。
さらに、現行憲法について「占領時代につくられ、時代にそぐわないものもある」と指摘。その上で「私たちの手で変えていくべきだとの考えの下で自民党の憲法改正草案を発表した。国会は発議するだけで、決めるのは国民だ。国会が国民に決めてもらうことすらしないのは責任の放棄ではないのか」と述べ、改めて憲法改正に前向きな姿勢を示した。
具体的な改正内容については「国民の理解が不可欠だ。国会や国民的な議論と理解の深まりのなかで、おのずと定まってくる」と述べた。
一方、衆院の「一票の格差」是正のための選挙制度改革をめぐり、議員定数を10削減する有識者調査会の答申に対し、自民党が定数を維持する草案をまとめたことを踏まえ、「答申が出た以上、自民党が尊重するのは当然だ。その上に立って結論が出てくると考えている」と語った。自民党の稲田朋美政調会長らの質問に答弁した。
http://www.asyura2.com/16/senkyo200/msg/737.html#c9