1. 2016年8月20日 23:46:16 : 0RWt6qfBkE : dcT83aKTtoc[1]
>国民共同体(Nation)と権力機構(State)を同一視し、国家は悪ではなく国民と一体のものなので、その権力を制約するのはおかしいと。
この種の意見はネットでよく見る。
いわく民主主義社会においては権力者は国民の代表だから権力を縛るのは国民を縛ることで非民主的だという意見。
現実の国家(に限らないが)や社会のヒエラルキーというものを全く無視した意見だし、民主主義はあくまで集団的な決定に関する制度であるので国民各個人の権利と言う問題は生じてくるのだが。
でも考えてみると、素朴な民主主義の建前を無批判に受け入れるとこうなるのかなと思わないでもない。これは、高齢層?に見られる前近代的な思考からくる反動性とは異なる、戦後民主主義にどっぷりつかった人間ならではの発想といえないこともない。
階層の激しい戦前社会の経験者やマルクス主義的な国家論の影響がまだ残っていた
時代では、「民主主義」の建前に対しても一定の免疫があったのかもしれないです
が、戦争体験者も高齢となり戦後生まれが多数を占め、マルクス主義の影響も消滅した現代ではどうなるか?
近代的な民主主義国家は、生(なま)の民主主義をそのまま肯定しているわけでは
なく、民主主義と自由主義(人権保障はこちらに含まれる)の2つの原理を基本と
している。あくまで一定の範囲で制約を受けた民主主義を採用しているにすぎない。
しかし振り返ってみると、(一般の人が見聞きする範囲では)その点が明示的に指摘されることは少なく、リベラル派の言説も含めて「民主主義」の一言ですべてを済ませてきたことが多いのではないだろうか。それが長い間続いた後、はじめのような言説が出てきたともいえる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/517.html#c1