3. 2016年11月13日 10:17:09 : kZ7Lxb4Joc : aslz3rukUmU[1]
イラクのシーア派はイラクナショナリズムを失っていない。
サダムがシーア派を差別していたというのはたんなるデマである。
バアス党、軍、政府、ここにシーア派がパージされていたという事実はない。
そもそもシーア派の大元(発祥地)はイラクであり、イランのシーア派は暖簾分けの支店に過ぎない。
イランのゴム(シーア派の神学の聖地)は、イラクのナジャフのカルバラーに比べれば重みの差は歴然、イランが逆立ちしたところでシーア派の聖地はカルバラーであることはいうまでもない。
つまり、イラクのシーア派がイランのシーア派の言うことを聞くということはありえないのだ。
では現イラクのシーア派政権(ダワ党)がなぜイランの傀儡かといえば、そもそもイラクにおける政権争い(軍事クーデターで王政が転覆した後の政変)をするうえで同じシーア派のイランから支援をしてもらっていた関係が深いことと、アメリカによるイラク攻撃と政権崩壊に乗じ、イラクの内務省にイランの革命防衛隊の影響下にある親イラン派のシーア派が入り込んで内政を牛耳っているからである。
そもそもイラクのシーア派がスンニ派嫌いなら、イライラ戦争のときイランの側についてサダム政権に対して叛旗を翻したはずだ。
ところがイライラ戦争でもっとも勇敢にイランの革命防衛隊と戦ったのはイラクのシーア派であり、シーア派住民がもっとも多いイラク南部のバスラでの激戦は今でも語り草になっている。
彼らはサダムに忠誠を誓うためにたち上がったわけではない。
イランにイラクを取られたくないから立ち上がったわけで、これはイラクナショナリズムの発露であり、同じシーア派だからという親近感だけでイランに与したりしなかった。
もちろんイランに阿るシーア派諸派はいる。
だがサダム政権はそれを厳しく監視、対処していた。
その政権を排除し、国を上手く回していたバアス党を追いやってしまったらイラクは回らない。
IS崩壊後もイラクの融和は進まない。
親イラン派の政権と、内務省を牛耳る親イランのシーア派集団を取り除かないかぎり、イラクナショナリズムを持つイラクのシーア派によるスンニ派との融和政権は望めない。
ISの出現はスンニ派の怨嗟の体現でもあり(ISを支持しているとかそういうこととは別に)、スンニ派によるイラクナショナリズム崩壊に対する抗議の体現でもある。