1. 2015年12月14日 11:50:14 : fpUYYpq8DE : aEvMYKZJke0[1]
記事のツイッターの中にこういう文章があった。
>Cdb @C4Dbeginner
ところでザッカーバーグさん、日本語が読めないので知らないとは思いますが、あなたのサイトで好き放題に暴れてるこの人についてのお話なんですけど…
https://www.facebook.com/%E3%81%AF%E3%81%99%E3%81%BF%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-984279651598190/ …
2015年12月11日 10:32
ここで紹介されているURLだが、これはシリア難民を侮蔑差別したイラストで物議を醸した、はすみとしこのページのリンクである。
見るだに吐き気を催すような醜い偏見と歪んだ正義感の羅列が、写真と文章で書き連ねられている。
はすみとしこのような差別主義者たちは、他民族や国家に対してのエスノセントリズムは国際的に禁じられているヘイトスピーチの根源になっていることにあまりにも無知である。
はすみたちは自分たちに向けられている難民イラスト批判を、言論の自由を規制する言葉狩りだと反論し、自分たちのほうが被害を受けているんだと開き直っている。
日本国憲法に明記してある言論の自由は、それを公共の福祉を害さない限りという注釈が打ってある。
公共の福祉とは公が私より上であるから、公より私(個)が上に行くこと、すなわち個が自由になにをしてもいいということではないと思われがちだが、それは間違いであり個が集団化したのが公であるから、いかに個の表現の自由が認められているからといっても、別の個をそれによって不快にさせたり傷つけてはいけないという意味である。
そもそもはすみとしこに代表されるネトウヨたちにとって日本国憲法は占領押しつけ憲法であり、自国による憲法制定が望ましいと考えているわけだから、はすみたちにとって理想に近いのは自民党が用意してある憲法案であるはずだ。
そして自民党のものでは公共性という概念は、従来の日本国憲法に保障されている公共の福祉(個が集まった公における人権の調整)ではなく、はっきりと天皇や政府が上位であるとされている。
天皇や政府の権限を公共性といい、個は制限されるということである。
その段から言うならば、はすみたちが主張する言論の自由に代表される表現の自由ははすみたちが唾棄すべき占領押し付け憲法によってこそ保障されているのであり、はすみたちが望む自民党の憲法試案が現実のものとなれば、必ずやはすみたちの表現の自由は規制されるだろう。
はすみたちネトウヨの考えはこのようにいつも短絡的で思慮が浅い。
バカなくせに逃げ口上だけはいつも設けてあるが、その手口もズサンでグダグダだ。
ザッカーバーグ氏は差別攻撃に苦しむイスラム教徒に味方する発言と同時に、Facebookにおけるはすみとしこたちのような低劣で悪辣な差別主義者のページの管理にも徹底していただきたい。