38. 母系社会[1228] leqMbo7Qie8 2016年9月21日 22:20:28 : Lc2VB5T56w : ZMCt2j3hW0E[1]
>>34さん
>>36さん
●ヤクザは、日本社会の歪み=差別や貧困、無知が生み出したものなので、ヤクザを無くすには社会も変えなければなりません。日本の社会を変えずに、ヤクザだけを絶滅させても、ヤクザのような組織は何度でも復活します。場合によっては、今のヤクザよりも凶暴な反社会的な組織として復活する可能性さえもあります。
ですから、良く「ヤクザ組織が組員の暴発を防いでいる」とか言って、ヤクザ組織が自己正当化するのも一理あるわけです。彼らは今まで、他人から傷つけられたことはあっても、親切にされたことは一度も無く、唯一親切にしてくれたのがヤクザ組織なのでしょう。
とにかく、生まれながらのヤクザはいないので、一人のヤクザに、世話役・相談役として一人の警察官を専属で付けて、1〜2年間ぐらいの間、その警察官が徹底的に面倒をみたり、適当な働き口を世話すれば、彼らの社会に対する不信感や憎悪も無くなり、立派な社会人となって社会復帰するのではないでしょうか。
●この「生まれながらのヤクザはいない」というヤクザ観は、「生まれながらの悪人はいない」という人間観です。それで、日本が最も世界に誇るべきことは「技術力」とか、ゴミを道に捨てないとかの「公共心」ではなく、日本人の人間観であり、この日本人の人間観こそ、世界に広めるべきだと思います。
ヒットラーの遺体は焼かれて骨はエルベ川に流されたので、ヒットラーの墓はありません。欧米のキリスト教文化では、極悪人は生まれながらの悪人と見なして、一般人と同じ墓地に埋葬することも許さないようです。
ところが、日本ではどんな悪人でも、一般人と同じ墓地に埋葬することを許します。これは、日本の文化では、どんな悪人でも死ねばホトケ=神と見なして、通常は悪人でも死体は丁重に扱うからで、日本の文化では、生まれながらの悪人はいないと考えるからでしょう。生来的な悪人なら死んでも悪人であり、神であるはずがありませんので。
この人間観は、太古の縄文神道=古神道、つまり奈良の「大神神社」の三輪山や富士山のような山、そして巨木や巨石などの特異な自然物を神と見なすアニミズム的宗教の人間観です。
この宗教の死生観は非常にシンプルで、死ぬと魂は富士山のような山の頂上で少し休んだ後に、再び、子孫の家族の子供として生まれてくるという輪廻思想の宗教なので、地獄という観念がありません。それで、死ねば誰でも皆「天国」に行くわけです。地獄の思想は、生まれながらの悪人という人間観とセットだからです。(親鸞の浄土真宗は事実上、地獄を無くしてしまった世界に例が無い宗教ですが、最も日本化が進んだ仏教なのでしょう)
●アニミズム的な宗教は、今では世界各地の先住民以外ぐらいしか信者はいません。それで、日本のような「先進国」で、太古のアニミズム的な人間観が残存している国は、恐らく他に無いはずです。
キリスト教のように、生まれながらの悪人がいるという宗教だと、そのような人は矯正不可能ですから、殺すしかないわけです。一方で、生まれながらの悪人はいないという人間観の場合、悪人でも強いて殺す必要はないことになり、同種同士で殺し合うという人類に特有の悪弊を抑制するので、この人間観の方が優れているわけです。
自我さえ無いという「関係主義」の立場の仏教はもちろんですが、この日本の古神道や「衣食足りて礼節を知る」という儒教、それから、「陰陽説」の道教、そして、「全ての人類は潜在的なイスラム教徒」と考えるイスラム教など、アジアの伝統宗教には、生まれながらの悪人=悪という本質を具えている人はいないという人間観が共通しています。ですから、21世紀は、アジアが主導して世界を平和にすべきだと思います。
(モスクでは異教徒でも、困窮者には食事を与えるなどして助ける。イスラム教が異教徒も助けるのは、アダムは最初のイスラム教徒で、全人類はアダムの子孫だから、異教徒であれ潜在的にイスラム教徒ということになり、困窮者は誰でも助ける)