5. 2016年11月16日 13:20:57 : aWfqHhKAzI : Xp67EHR1LPk[1]
本文>「文書ではまた、南スーダンには国際機関職員などとして活動する日本人約20人がいると指摘。「不測の事態が生じる可能性は皆無ではない」として駆け付け警護のニーズがあるとの見方を示し、法的な根拠を与える必要性を強調した」
CIA筋の情報は完璧だった、日本の軍事トップがスカート・ハイヒールで9月17日に来ると、今度こそ討ち漏らさねえぞと、反政府武装勢力は手ぐすねひいて待ち構えておった。別筋のCIAルートの内通があったらしく、急遽ハイヒールが来るんは取り止めとなり、急襲は計画だけで終わり、残念つう感じじゃった。7月に続いて、又々チャンスを逸したが、7月の時はCIA筋の計画で、日本の軍隊を完全に制圧する計画であった。先ずジュバ国際空港を占拠して、そこから難民宿営地を楯にして、日本軍の宿営地を制圧する、制圧つうより殲滅する予定であった。じゃけん、別ルートのCIA情報で政府勢力が駆け付け、日本軍宿営地の隣りのビルの争奪戦となり、国際空港までは手が出せなかった。国際石油資本とネオコンの代理戦争であるスーダン内戦は、暗躍するんはCIA等の諜報勢力であり、内戦を激化させること自体が目的であり、最早敵も味方も見分けがつかなくなってる。こっからは架空実況であるが、7月や9月を踏まえると、あながちとばかりはいえねえ。
12月15日、到着したばかりの自衛隊第11次隊500名弱は、ジュバ国際空港経由で隣の宿営地に入った。夕飯も早々に寝込もうとした途端に、携帯型ロケットランチャーの猛歓迎を受けた、反政府武装勢力の攻撃だ。自動小銃乱射で突入してくるもんもいる。自衛隊は、当初は64式小銃で応戦したが、火力で圧倒され気味で、ついに施設隊司令は軽装甲機動車の出動命じた。機動車つっても、5.56ミリ機銃搭載が5両あるだけで、これの集中射撃で多少挽回したが、次第に宿営地の片隅に追い詰められだした・・・。こうして、1902年1月の青森歩兵第5連隊(第8師団所属)雪中行軍部隊壊滅の汚名雪ぐべく派遣された、後継、青森普通科第5連隊(現第9師団所属)派遣PKO第11次隊は、第5連隊の連隊史に新たなTページを加えることに・・・
平和憲法と、とりわけ第九条により、戦後、戦争では一人も殺し殺されてこなかた我が国の戦争放棄路線が、今安倍自公政権の愚行で、ガムでも捨てるように、いとも容易くポイ捨てされようとしている。数百万人の尊い犠牲の上での、勝ち取った戦争放棄路線なんだ。安倍をとるか、戦争放棄とるか、いよいよ白黒つけるときが来たようだ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/147.html#c5