1. 2016年2月02日 00:51:54 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[1]
調和する力とはあなたそのものである。中和する力とも言う。
循環する力は停滞を生まない。停滞は凍りつくものを生む。
差別はそこに生まれる。
ただ、利を思えばよく、利を思うのに自他の差別はない。
分離を解消すれば、すべては元の流れに落ち着き、鞘に収まる。
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/831.html#c1
51. 2016年2月02日 15:37:07 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[2]
宗教はどれかひとつでは完成しないと思われる。
それぞれが欠けたものを補う関係が望ましいと思える。
ひとつだけでいいというのは信者にとって信仰心にかかわるところなのだろうが、
それならば他方を論ずることなく、また、他方を批判することせず、
熱心に各々成すべきところを成せばいい。
そうすれば互いに円満だろう。
宗教論争は財産相続を争う兄弟げんかのようなものだといつも思っている。
よって宗教論争はそれぞれの名声を地に落とすものだ。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/340.html#c51
1. 2016年2月21日 19:01:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[3]
丁寧な解説と投稿、ありがとうございます。
次第に人々はこうした宗教的な特別視される関係性に依存せずとも、
互いに自然な関係性に目覚め、良好な関係を築くための行為は、
なんら気負うことなく、自然に振舞えるようになることでしょう。
そこでは、差別視がなくなり、ゆえに融和し、垣根がなくなります。
他愛は自己愛と同一視されます。
利己的も利他的もなくなり、全体性の利するところに意識が向きます。
特別な関係性は必要ないと言えるまでに変化していくことでしょう。
それが転換後の世界観と呼べるものであるはずです。
http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/642.html#c1
1. 2016年2月22日 16:26:15 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[4]
新しい始まりを祝して、おめでとうございます。応援させていただきます。
ご自分の心に在るものをなにひとつ着飾ることなくして、
素直な思いとは筆に乗せてすらすらと流れ出るものですよね。
自然と連なるままに任せるというのは、自分と調和する行為といえますね。
自分とするものとの一致、そしてまたその自分とはいったいどこから生じているのかをこれからも心ゆくまで楽しまれるとよいのではないかという気がいたします。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/298.html#c1
1. 2016年2月29日 03:46:38 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[5]
コストコ方式というやつかな。コストコは会員の年会費でその資本のほとんどをまかなっている。要は、売り上げというものを気にしていない。だから低コストで商品を出せる。
その資本は10兆円をくだらないとされるが、内実的な売り上げで得ている資金ではないから、飽きられたら終わり。ただし、店舗を増やし続けられる間は、開店数を増やし続けて資金を手元に集め続けられる。
チェーン展開する企業はどれも同じだが、日本で一気に店舗を増やして急成長を図るのは単純に年会費集めに躍起になっているだけだという見方ができる。一気に資本を作る方法があるならどこもやっているが、その後の展開を考えていく時間も生まれる。うまいやり方だと思う反面、真似したいとは思わない。これがアメリカ式。
もちろん真似し始めた日本企業も多いようだが、結局、魅力ある企業とは安さが売りなだけだろうという点で、どこも長期的に、社会が正常に戻る足を引っ張っているだけだ。
このところのガソリンの値下げ合戦は、コストコに有利に働いた。ガソリンをつめるだけでも十分に会員になる価値があったからだ。飽きが来るのは早そうだが、会費を払うだけの魅力がなクテモ、とんとんに釣り合うだけの商品を買えればそれで会員は満足を得るのである。
都市部はもう店舗を増やせないとするのは底が見えているからではないかと考えるが、こうした職場は時給が高いといわれるものの、客足がおちつきだすと、従業員は半日で帰されるという話も聴いた。そうしたネガティヴな話は表側に出ていないので微妙な話である。
もともと個人客を相手にしていないそうだが、どちらにしても上げどまったが最後、後は縮小していくしかない訳で、どの時点で経営陣がトンズラするのかには関心が注がれる。こうした経済の成長に向けたあり方とは、相変わらず私はまったく理解できないでいる。
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/144.html#c1
27. 2016年3月01日 16:54:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[6]
彼らはすでにお手上げなのであって、後はわれわれ一人一人が動き出すほかないということがしめされている。
あらゆる存在は、この凄絶な世界で生き抜くための方法論、いわばお手本を示しているのであって、われわれはそれを真似してもよいと彼らに諭されているるようだ。
だが、われわれは自分たちだけが生き延びたいからといって、それを真似て、本当に自分のためになるかどうかを考えることができる。
われわれは常に自分のために取捨選択する余地を持っている。
われわれは自分の考えだけで判断することができる。
理解することは、権力志向の人間には何を言っても無駄だということ。
この世界は特定の権力者のものだと思っているわけだから。
それらに関与したくない世界に住むのがお望みなら、そこに関与しなければよいだけだと素直にそう思う。
生まれた場所に永住する権利、力というのは法律や生命規範というものに守られる以前に、あらゆる生命それ自身に託されてある。
規範として法律に制定したとして、それが絶対というわけでもない。
なぜならそれは変えられるし、解釈を捻じ曲げられて無効にもなる。そんなものはどうにもならない。
法律や権利という言葉のマジック以前に、生命の主権とはすべての存在に誰にも保証されることなく、永遠にあるはずのもの。
だから、あとは関与しなければよいだけ。
あらゆる圧力をかけて、力づくでも生命の世界から追い出そうというなら、それは神の力ではなく、蛮人のなせる業以外の何ものでもない。
われわれはそんな蛮人になりたいのだろうか。
何を言っても聞く耳を持たない蛮人になりたいのだろうか。
あなたも同様に、何を言っても無駄、何を聞かされても無駄を突き通せばいい。
彼らはそう手本を示している。法律などどういった解釈もできるのだから、と。
だが、それはもう彼らにはそれしか能力がないことを示しいることにもなるのである。
だからどうありたいのかを願うことであり、そう思うもの同士で住みたい世界を作ればいい。
そこにまだある、実践されていない方法論を示すのである。
自分たちもそうする。
ただそれだけだ。だから偉ぶった態度で、自分のいる場所に彼ら同様に争いを持ち込まないことだ。
私たちが願う世界にはACjapanもBPOも何の効力も持たない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/160.html#c27
2. 2016年3月01日 17:38:06 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[7]
>1
あなたはおもしろい方ですね。
あなたにそのまま賛同するわけではないけど、はっきりいって総裁選なんて誰がなっても問題ありで、だったら誰がましだろうというレベルで選ばれてきたという感じがします。
実際、そんなことで世の中はちっともよくはならない。なぜなら、国民は自分たちが引きずられていくのを承知で、よりましな先導者をただ選んでいるだけだから。
それはまるでレミング(劣民愚)。行く先がが崖なのだとしても、それすらもおまかせでひきずられて落ちていく。そしてもう既にひきずられている。
そこに足りないのは何か、というより、人間の場合、あれもこれもと足りすぎた固定観念に縛られ、自分の感性による考えをもてず、何をどうしたらいいか混乱してわからなくなっているのが現状だと思います。
現行の政治体制を壊すというなら、サンダースの考え方のほうがよりあなたの考える社会体制の基礎を作るのに一役かうのではないのですか?といっても選ぶのはアメリカ国民なのでしょうが、本当にトランプが良いから選ばれているのではない気がする。誰が見ても、政策としてなにもでてきていないのだから。
私が思うのは、本当に国家を二分する事態なら、単にそうすればそれでいいんじゃない?それで済むというものじゃないの?ということ。
分かれてみて、そこにあったそれぞれのよさに気づくこともできるはずだから。
資本国家か社会主義か、どれかひとつなんて、そもそも人は決められないもの。だったら互いに求められるものを持ち合って一時分かれてみればいい。
本当ならば、どちらも半々とりいれてしかるべき。
ドイツにヒトラーが生まれた背景にも、まさに国民全体の自滅願望(自然回帰願望)があったと思います。
あなたが言うのは、破壊後の更地に新たな展望が築かれるということになるだろうけども、破壊だけが目当てであれば、アメリカ国民はいま、ある年齢層を境にして、一方の高齢層は実質的には自滅の道(ネガティヴな方法での自然回帰)を追い求めているということになるのではないでしようか。
ヒトラーが生まれたときはまさにこんな感じだったでしょう。国民は自分たちを破滅の道へいざなう先導役を一人選んだのであって、いざそこで急に目が覚めたとしても遅かった訳です。もうこの段階で目が覚めてなければならない。それは無責任ながらも選任したものたち自身が招いた結論であり、責任は自分たちに帰ってくるわけです。
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/194.html#c2
1. 2016年3月05日 18:19:58 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[8]
よい悩みをもたれているようですね。そしてそれは必ず解決へと向かうでしょう。
悩みの多くは、自らを相対的な立ち位置に置いてしまうという、人間の癖を原因とするものですね。
いまなら、言葉遊びにも思える次の私の言うことも理解することは容易ではないでしょうか。
以前、「神聖視する」という言葉をここで述べたことがあります。
言い換えれば、「神聖視すること」とは「なんら特別視しない」ことです。
すべてはそもそも特別なのだから、特別さを追い求める必要はないのです。
何より優先して果たされるものとは「自己との調和」であるはずなのに、
人々は、「自己と非調和」して暮らしています。よって痛みを伴います。
なぜか、人は見晴らしの悪い観点から抜け出ることができないと自分に言い聞かせてだけいます。
これはのちにまた場所を借りて、スペースを頂いて書いてみたいと思います。
われわれが指すところの「自己」の意味は、
意識の段階によってそれぞれ意味を変えるようにいくつも存在しているといえますが、
最終的には、融和の中にすべてが自己と溶け合うという観点に進んでいくことは間違いありません。
よってわれわれは、現在においても、「あらゆるすべての事象は自己的表現とみなす」ということになります。
社会的枠組みはその真逆で、あらゆるものを分離分断し続けるように推進していく必要を常に感じている、ということのようですが、その構造機能を支えているのはわれわれの意識です。
それもまた現時点でのわれわれの姿だということができます。
こう考えてみれば納得がいくかもしれません。
「あなたは自己に包まれている」
そこにあるあらゆねものは、なんらあなたと区別することはできず、特別視するものはないということです。
対外的な評価などそこで気にすることはありません。恥の文化というものがなぜ推進されてきたのか、それは誰によって実現しているかを考えてみてください。
すべてはそれぞれが、他人の目を利用して、自分で推進してきたことだとわかるでしょう。
人の目を気にすれば、単純にそこであなたは、自分の望ましい意識に集中できていない、ということになります。
意識とは、常に自分の中心に在るように考えるのがただしいとしているでしょうが、
肉体と意識が交わる場所はすべて中心となりうるものだと理解します。
単に、意識の焦点が結ばれている場所から外れれば、
意識するのにどこか中心がひつようだという考えすら必要としなくなります。
すべての場所はあなたが差別視しない限り、あなたとの間に垣根を持ちこんだりしないものです。
望ましいのは、全体を常に俯瞰としてみることのできる見晴らしの良い場所にあなたがいるということです。
「神聖なものほど特別視するように」とする宗教の観点とは、
私は真逆のことを言っています。
そこで特別視すべき存在とされているのは、
そもそも敬愛すべき対象としてのことであるはずです。
敬愛することとは、その対象を遠く高く手の届かないところに置くことではない訳です。
それは相対的に自己蔑視を生むことにしかならず、また相手を差別するという行為です。またそこにあるのは、相手に特別な力を与えて、自分の力を失ってしまう関係性でもあります。
ゆえに相対的な立ち居地において比較することは、あらゆる蔑視につながります。
すべては特異な個性の表現的存在として、元来特別な意味を持っているのであり、
互いには、そこに気づきを与えられる存在として重宝します。
そうした意味ですべての存在はすべて「同じようになる」ことは在りませんが、
それぞれはかけがえのない特別な存在として、
ひとつのものを多角的な支店で支援しあい、支えあうのですです。
それぞれは、同じであるより、ばらばらであるほうが、より互いに良い刺激ときづきをもたらすといえるのであって、そうしてコミュニティを維持する働きがあります。
本来、自然な環境下においては、それらの自然な振る舞いをゆるし、
そこでそれぞれは、自ずと望ましいことにのみ、
自らに行動を促され(導かれ)るはずだといえます。
よって、そこではそれぞれが特別な存在であるといえ、
よって、何よりそれが当たり前であり、普通のことであるといえるのです。
よく「善行」といったものも、良心による振る舞いを人々は讃える節がありますが、
特別視することなく、単にできて当たり前のものであるのが基本である訳です。
ですから、あなたが自然な感性にあるとするなら、
自分が何かそのことで特別待遇を受けたり、報奨がうまれたり、
評価を受けたりするようなことを自分で違和感として覚えるのです。
ただし、もしそこに施しを受けたとする側ならば、
施しを受けて当たり前とするのではないというのは理解できることでしょうし、
そこでも素直にあたりまえに、感謝してそれを受ける関係性であればよいのです。
あなたの見る世界、触れる空間にはすべて、常時、恩寵としての空気が満ちています。
感謝するうれしさ、喜びの感情が、空間を埋め尽くしてあり、
その中にあなたが存在すると、そう想像してみてください。
愛情という水で満ちた海の中に沈んであなたがいます。
しかしそこでなぜ自分が、息苦しくいるかといえば、
その海水が自分の体の中へ流入してくるのを防いでいるのです。
あらゆる人の作った物事の捉え方を信じて、わざわざ体を壊してまで、
その未知なる外的知識の浸入を恐れるものだと見なして、抵抗してしまっています。
阻害のもととなるのは、広く知れ渡った常識といった、
道徳観を基本として生まれたルールという鉄条網に張り巡らされた保守的な守り、
恐れです。
すべての緊張の原因は、個人の中にある抵抗観念によるものでしかないわけです。
そこで知識とする道具とは、単に言葉の解釈であるため、立場によってその内容を真逆にもするものです。
自分に利点があると理解するためそれぞれの口に入れられるものですが、
おおよそ消化不良を起こして、それぞれの整合性を欠くためにしか働いていません。
たいてい単なる競争に勝ち残るため、または人をののしるために用いられています。
そうした人は、自分を正当化する必要性にせまられているのであり、
そのために次々にそのための知識を必要として、ますますバランスを崩していきます。
よって、絶えず頭に整合性を図ろうとして躍起になっているともいえます。
自分の頭に整合性が取れていないというのは、自分の立ち位置が常にふらふらして、
安定していないということです。
それは自分の考えに自信を持っていないことの裏返しで、
よって自分の考えをなんとしても押し通そうとします。
余計な力が入り、腕づくでも立とうと奮闘すれば、ますます、非調和の状態へと傾いてきます。
もし、あらゆるものは信頼なる友人であり、仲間であり、家族であるとすることができたとき、そこには融和の感情しか生まれません。
さて、ここで、あなたの感性が手腕を発揮します。
あなたがもし今現在、身体にわずかでもどこか痛み(抵抗意識)を抱えていると気づけたなら、そこから極力、緊張をとるよう勤めてみることです。
自然と同調すべく、意識的緊張を手放していくことを自らに宣言し、
そうすることで常に自身と同和し、そこから教えを請うこととなるのです。
今あなたはその状態に浸かっていることでしょう。
開放(解放)へと自然と導かれるのを自分に赦すことによって、ひとりでにあなたは何かをつかんでいきます。
すべての原因は自分に在ると宣言するとき、極力、
力とするものを使わずに自分をうごかしむるとすることで、
非調和の原因を取り除くことができるようになります。
あなたが望ましい状態にあるためにすべきことは、
自身がもつ抵抗感とするものをすべて探し出して、そこを解放の促しが訪れるのを赦すことです。
例えば、先ほどの例えのように、他者の目を気にせず、
唯一無二の自分の考えを信頼することができるということは、勇気を持つということですが、それはなんら当たり前のことだということです。
それでいてこそ頭の整合性がとれるというものであり、
それはいわば自分の二本の足だ立つということにほかなりません。
これは実際、実践できるものとして挙げますが、
その二本足で身体を支えてみようとするとき、そこで自分が普段意識せずどうした観念を抱いているかがよくわかります。
ふらふらするかもしれませんし、痛いところをカバーするように立つかもしれません。
また、ぐっと力を入れて立つかもしれません。
私が勧めたいのは、足の裏を手のひら同様に自然とひろげて大地へむけて足裏を開放するように立つということです。
そうして、足裏の緊張をまず解放します。
次第にふくらはぎへと向けてゆっくり確かめるように、緊張している場所をスキャンして、どんどん上へと意識の目を移動させます。
腰、胸、首、肩、腕、また頭頂へと力を抜いていくのですが、どうしても緊張してる部分を後回しにして、筋肉ではない別の力の流れを感じたら、その流れが止まらないように、自分の力を極力抜くことを意識します。
ふらふらしてしまうとするとき、よほど身体は不調和に歪んでいると考えますが、
そこで焦らず、ただどこに力みが抜けていないのかを探して、ゆっくり集中して、それを取り除くように働きかけていきます。
全体を融和、調和する方向へと向かわせると心で宣言していきます。
たいてい人があやまって思い込みとして持っているのが、
若いときの力がなくなったせいで、加齢による不調和は避けられないと考えていることです。
よって、単にバランスをとることをその場その場の、
外見的な見栄えだけをよくすることだと捉えて、その維持にだけ意識が向いてしまうことです。
力技で、立て直そうとすることによってそれがまた負へと傾く原因となるのです。
自分と調和することとは誰とも戦わないことなのです。
不調和の原因として考えられるものを見つけてもと対立しないことなのです。
よって、力みを極力捨てて立つ、そして歩くといったことをしてみればよいのです。
多くの人は、意識していないこととしながら、
普段から若さや力に対する衰えにまつわる観念を用いて自分をののしり、責めています。
そうしてはじめのうちは無意識的に若かったころの力を取り戻そうとして、
筋肉を使って体を支えようと必死になるかと思います。
しかし、慣れてくれば、無駄に筋肉が働いていることを痛みにて感じたら、
その感情をすぐさま、立て直すことができるようになります。
次第に精神的な負のスパイラルには落ち込まなくなります。
そこでようやく、肉体は自然との調和に向けて動き始めます。
最終的には一切筋肉の力を使わないで歩くということを目指してみてください。
天狗の一本下駄と同じです。
何をするにも、自然と調和することを目指していくと宣言するとき、
あなたはより自然に動こうと努力するようになります。
自己の調和が実現したとき、あなたは自分の上にも下にも人を作らないはずです。
人が変わらぬのは信じているものがみなと同じで、信じるものは全員で作っていなければならないという幻想です。
よって、それそのものの幻想が消えたとき、一気に不安に拍車がかかってしまうのです。
人が自然との融和、いわばあらゆる抵抗感情を消して融和の感情に浸るとき、
ただそこに当たり前の人の姿勢が現れてきます。
あらゆる非調和は消えていきます。調和が促されていきます。
ゆえにそこにいう人に必要な本当の勇気とは、なんのことはない、
何より自分と調和して、そして自己に集中できていることだということができます。
それを基本とする限り、人は誤りを見せないものです。
自身の頭に整合性がとれていれば、自然と身体も調律が取れていきます。
他人の影響力の介在しない自分の考えのみに信頼を持っていることによる心身の安定とは、
自分の二本の足で立つという当たり前のことであって、自立とは唯一そのことだけである、ということになります。
多くの人は、無理に整合性を取ろうとして、寄せ集めの知識で力づくで自分のバランスをとろうとしていますが、ゆえにそうしてバランスを崩すのです。
それぞれが本当に望ましいと思える自身の立ち位置にて、互いにあたりまえに自然に接すれば、それぞれの望むところも容易に見つけ、手にする事もまた容易になるとなっていくはずです。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/308.html#c1
2. 2016年3月05日 18:21:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[9]
Lu Zizianという方が居り、その方の118歳当時の映像が残っています。ぜひご覧になってみてください。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/308.html#c2
1. アーリエル[1] g0GBW4OKg0eDiw 2016年3月09日 04:23:12 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[10]
投稿規約理解済みです。
よろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/575.html#c1
3. アーリエル[2] g0GBW4OKg0eDiw 2016年3月09日 17:14:01 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[11]
ありがとうございます。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/575.html#c3
1. アーリエル[3] g0GBW4OKg0eDiw 2016年3月09日 19:39:16 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[12]
たびたびお手間を取らせてしまい申し訳ありません。記名も若干変更いたします。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/576.html#c1
3. アーリエル[4] g0GBW4OKg0eDiw 2016年3月09日 22:33:52 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[13]
恐れ入ります。
「パスの設定ミス」とは、こちらでパスに使う目的で事前に用意していた数字が、登録の際に設定し間違えて登録してしまったということです。
パスワードを控えてなかったために、亡失同様のヘマをしてしまったということです。
名前に関してもご指摘のように再度設定しなおしたいと考えます。
ですので、お手数ばかりおかけしますが、再度、同様の登録用投稿をさせていただきたいと思います。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/576.html#c3
4. アーリエル[5] g0GBW4OKg0eDiw 2016年3月09日 23:07:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[14]
「若干記名を変える」と私がしたコメントの意味とは、
はじめに登録させていただいたHNハンドルネームに対し、
これもパス設定ミス同様、当初、私が使いたいと考えていたものではないものを誤って登録してしまったということです。
いま、この時点で、つまり登録後にミスが発覚した時点で、すでに登録済であるHNを変えたいと今の私は考えている、ということです。
このことは長く使っていく名前に対する思い入れの表れだと受け取ってください。
確かに伝わりづらい伝文でした。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/576.html#c4
1. 2016年3月10日 13:37:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[15]
これいつの話?店頭にはもう並んでるよ。
http://www.asyura2.com/14/hasan92/msg/936.html#c1
6. アーリエル[6] g0GBW4OKg0eDiw 2016年3月10日 16:12:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[16]
大変お手間を取らせてしまいました。改めて登録お願いいたします。
では改めてよろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/576.html#c6
6. 2016年3月23日 02:19:10 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[17]
彼は経済のトリクルダウンはないと明確にコメントしているね。
私は安部政権をはじめとする日本の官僚エリートはみな劣等意識の塊だと思っている。
いずれも自身の支持、評価をほしがるだけで真に国のあり方、人のあり方のことなど考えていない。
日本が原発にこだわったきた理由がここにきてだいぶ露わになったと思う。昨今ずいぶんとあからさまに物事が表ざたになってきたなと思ったが、おかげでこうして誰の目にも世の愚公の動きが認識理解できる運びとなった。彼らはほんとに何のために存在するのか?それを理解するのは簡単だ。
これで若い世代はますます、現官僚社会、社会制度全般ににNOを突きつけ始めるいい機会を得たと思う。新たな世代が環境全体の意思によって選ばれる。世代交代が始まるのだ。
経済や先行きが不安定で、心理的にも不安が蔓延していなければ、誰もヒーローなどは求めない。官僚は常に人々を政治に関心を持たせていなくてはならない。彼らは自分たちの持つ力の分配はしない。それにしても政治の場には魅力ある人物がいない。若い議員はいったい何にあこがれて、何を目指して政治の舞台に躍り出ていくのか。
自衛隊にも十分な人員を集めたいと考えるなら、現在の法制度ではうまくいかないのは自明の理。向こうから来てもらうには、経済状況は常に低迷していたほうが好都合だとするのは十分納得できる話だ。
自公はこのまま衰退していく。あまりにも考えが時代遅れだし、彼らの話に誰も先を読み取れない。彼らは人々から考える力を奪い、迷わせることしかしない。
粉飾政治、粉飾社会、ここにきわまれり。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/768.html#c6
2. 2016年4月05日 03:05:25 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[18]
鋼がどこまで折れ曲がるかを確かめているうちにポキンと音を立てて折れる。
いくら性善説が正しいとしても、現状の社会性はその芽を摘みはしても育てたりはしないというだけだ。
だが、しなやかでみずみずしい川原の葦は折れ曲がっても容易に裂けたりはせず、ふたたび息を吹き返し立ち上がるだろう。
ならば、性善説が正しいと認識される世の中というのもまた、そのように存在するものが実現するものなのだろう。
1. 2016年4月06日 20:50:27 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[19]
odorikoさんへ
「夜の踊り子」なんてどうですか。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/330.html#c1
1. 2016年4月06日 22:17:53 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[20]
白鳥座のダイソン球はその後どうなったの?
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/289.html#c1
1. アーリエル[7] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月07日 15:33:15 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[21]
よろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/585.html#c1
3. 2016年4月07日 15:48:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[22]
もともと日本とは、アジア全体を指し、一国を示したのである。
ユダヤがまたそのヨーロッパ圏全体を統治していたのと同様のことであり、ユダヤと日本は親交が深かった。
国の定義とは、世界全体の秩序性を示すものであり、安寧と平和のためにある。
それがバイキングをはじめとする海賊団の略奪者の侵略により崩れた。
秀吉は海賊団の横暴な侵略の話を聞いていたから、再び世界の統治を目指すべく、挑戦へ出兵したのである。
朱子学は現在の官僚制度を作った基礎である。
朱子学は性善説を唱えない。
人の心を信じるということを教えていないのである。
現時点であらゆる欺瞞と粉飾が社会に溢れているのは元を糺せばこのことがある。
対する陽明学を唱えるものはことごとく首を刎ねられた。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/326.html#c3
4. 2016年4月07日 16:15:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[23]
仏教はかつて人の心を癒すための教えとして広まり、現代にまでそれは珍重されるが、根本的には人の心を救わない。
それはそこに依存しようとする人々の心をもってそうならざるをえないのであり、
よって本来は、仏の心の本質とはそこに依存することを望んでなどいないのである。
つまり、本来あるはずの仏教とは、汝自身の心を救うのはその依存心の鎖から解脱することだと説くもののはずである。
仏教もまた伝来の折には、多くの神職の首を刎ねた。政治に利用された道具は今でもまだ既得権益のために利用される道具でしかない。
心苦しいものが、救われようとどこぞの門戸をたたくのは、そこに悩みの種があるからである。
その職に就くものは心せよ。
人々の悩ましきは己の中にありと。
根本的に人々を悩ます種が何かを知ればよい。
まやかしはまやかしでしかない。
どこにいても大乗でありゼロであるなら、
どこまで登り詰めてもそこは常にゼロである。
そしてどこまで落ちても、そこもまたゼロであり、
常に今此処は始まりの場所でしかない。
ただ自身の身の内にある扉を開けばそれですむ。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/326.html#c4
19. 2016年4月07日 17:24:26 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[24]
賭博師たちを寄せ集めて丁半博打させてる連中が世の中うまく回せる訳がないでしょうに。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/149.html#c19
3. Air−Real[1] gmCCiYKSgXyCcYKFgoGCjA 2016年4月07日 17:31:36 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[25]
よろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/585.html#c3
4. 2016年4月07日 21:22:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[26]
>3
為替相場を読むというのは、場の空気を読むのと似ている。
うまく読めているつもりのときは安心していられるが、周りがばたばたすれば、すぐにそこに巻き込まれてばたばたしだす。そんなことでばたばたするのは、もともと安心なものだなどと思っていないからだ。いざというときは、誰かが馬鹿を見るのをわかっていながら売り抜ければよいとだけ考える。
株価や為替の変動は安定しているためにはそれなりの安心材料があるためだ。
だが誰がみてもわかるが、今はそうした安心材料などないのだ。
これをマスコミのせいだというのはおかしい。
そうした人心の投影が株価と為替の値動きに現れる。
そうした空気を醸成しているのは、それぞれ場の空気を読んでいるつもりの人間の中にあるのであり、外側に要因があるのではない。
扇動作用によって損失を作り出しつづけるというのなら、そんないい加減なものなどハナから採用しなければよいことだ。ただのギャンブルではないか。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/316.html#c4
5. Air−Real[2] gmCCiYKSgXyCcYKFgoGCjA 2016年4月07日 21:25:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[27]
お手数おかけしました。ありがとうございます。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/585.html#c5
7. 2016年4月08日 21:10:27 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[28]
>5
名台詞だな。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/310.html#c7
1. アーリエル[8] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月10日 16:53:13 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[29]
地球を独楽のように軸のある回転モーターのようにたとえるのは誤っている。
自然界には、ヴィクトルシャウベルガーの著作が示すように、二つの回転モデルが存在する。
われわれ人間が使ってきたモーターモデルは軸を利用する破壊的スピンであり、
台風のような中心が無風であるといった回転力が自然界の利用するエネルギーモデルである。
よって地球の回転もまた同じ原理だろうと考える。
爆縮の仕組みは、意識と空間との関わり、次元間のしくみが理解できるものの頭の中では解明されていることだと思う。
電子スピンはいわば創造のモデルであり、引力もまたそのように生まれていると考えられる。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/334.html#c1
1. アーリエル[9] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月11日 00:34:30 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[30]
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
また、「BI制度に依存せずとも、今すぐにはじめられる」といったアイデアなどもあれば募集します。
内容は誰もが納得する、具体的なものであることがのぞましいです。
ただし、望ましき国家社会において「社会保障」と名のつく制度とは、
社会全体の円滑な運営を実現するためのものであるのですから、
単に人々の日々の暮らしを支えるとするだけのネガティヴな枠組みに収まらないものが望ましいはずです。
単なるセーフティネットという受け皿にとどまるのでは、
社会生活における人々の意識はネガティヴな意識に飲まれてしまいます。
思い切って踏み込んだ政策を誰も実行に移せないというのは、
すでに社会全体は粘着質な枠組み(負のスパイラルネット)に足を絡めとられているからです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
なお、個人の感想ですが、BI制度が実現すれば、それを期に、
一気に物事の価値観は自然な様相へと向けて流れ動いていく、
つまり自然に突き動くままに、様変わりしていくのだと予想します。
施行による混乱があちこちで起こるだろうと容易に予測するというなら、
前もって具体的にどういったことが起こりそうなのかをここで提示しあってみましょう。
そして、全体は起こりえる困難をどう補填しあって、助け合っていけるのかをポジティヴにシミュレートしてみませんか。
よって、できるだけ多くの職業、また利権を持つ立場から、素直な意見を集めたいのです。
そしてそれらに対してわれわれとしてはどう向きあえるのか、どう向き合うのが本当に正しいといえるのか、それを皆にも考えてみてほしいのです。
21. 2016年4月11日 20:32:39 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[31]
面白くなってきやがった。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/310.html#c21
2. 2016年4月11日 22:06:56 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[32]
少し前までは、送料の格安な大手運輸会社と取引すれば可能だったはず。
ひとつあたり本土ならどこでも100円から馬鹿でかいものでも300円もしないはず。
現在はやや適正に近いところまで引き上げられたのかもしれない。
運送会社の営業はまとめていくらで格安で契約するだけ。
以前は目新しい業種だったため、競争が激しく、
アマゾンやアムウェイなど取り合いになったはずだが、
他の正規価格で預かる荷物よりも特別扱いせねばならず、
割に合わない以前に客だからというだけで、業者への扱いが失礼すぎる。
競争を利用して、契約をちらつかせ、安く引き受けさせて、
客だとばかりに上から目線で、勝手に注文客と約束した、
時間厳守の約束はただの丸投げだから、
そんなことしったこっちゃないとドライバーが怒るのも当然。
慢性的に人手不足のドライバー側から正規の順路を変えてまで届けることに、
不満が続出したため、加速するドライバー離れへの懸念から、
コストバランスに見合わない契約はすべて見直すことにしたはずだ。
無料でなくなったのは、以前の破格帯で契約してくれる業者が見つからなくなったからだろう。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/414.html#c2
2. 2016年4月11日 23:21:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[33]
単にJAに肩入れしたいって人間が、農家の中にも実際的には殆ど存在しないということじゃないだろうか。
JAから農薬を買わされて借金まみれになった農家の話を聞くたびにそんなことを思う。
借金返済するために金を借りて、その年が災害などで不作であっても、
普通に取り立てられて、また借金がかさんでいく。
農薬まみれの時代遅れナ食材はもうたくさんだが、それを変わらず推進しているのはJA
。
ネットなどで直接販売して利益を上げたいと考える先進的な若い農家は、農薬を極力減らすための新しい農業を開始してる。TPPなんて関係ない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/343.html#c2
3. アーリエル[10] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月12日 15:57:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[34]
>”日”氏
まずはありがとうございます。
あなたは世間体や周囲の空気に振り回されることなく、
しっかりと自分の意志に基づいて行動される方なので、
あなたの言葉は力強く感じることができます。
新たな時代に入りました。物事が進展しやすくなっています。
人の意思だけが、人間社会のひずみに隠れてきたものを明らかにするのです。
誰もがまだ自覚していないかもしれませんが、
意識による個々のつながりを感じています。
私とルーツを共にする方々は、誰もがまったく同じことを日々考えているのがわかります。
そしてこれは私の意志でかかれています。
いわば、自己満足のために書かれたものです。
しかしそこには、多くの方々の思いを代弁する意味がこめられてもいます。
以後のことはそれほど考えていません。
ただ自然に任せて、何かしらの反応がなくても、
長い目でそれが芽吹くのをただ待つだけです。
また自分の意思でやりたいということが生まれれば、そこに従って行動します。
吾、利得る。
ここでの私の名前は、言葉のaerielにかけて、そういう意味と、
本当の空気感を求める意識の現われにかけて、名づけました。
本当に自分のためになることのために動く、ということは、
全体のために動くことと一緒だということを伝えたいつもりです。
それらは本来、まったく一緒のものです。
もう降板されましたが、とあるニュースキャスターが、
悪辣な犯罪を報道する際の前置きで、よく口癖のようにこういっていました。
「人が人を信頼する、性善説の上に人間社会は成り立っているのですがね」・・と。
ぬぐいきれぬ違和感を感じたことはいうまでもありません。
現行の社会性はその性善説に基づいて生まれてはいないのであって、
逆に善性の芽をつぶす為の社会性であるのだと私は考えています。
性善説がいくら正しくとも、現行の社会性でいくらそれを言っても、
例えてそれは、
「鋼の強度を確かめようとしてどこまでしなるか、折れるまで観察しているようなもの」
でしかないわけです。
ですから、常識といった価値観や社会性に依存するのではなく、
まずは誰もが、自分の足で立つ。
社会が健全なものであるためには、その基本的な「立つ」という姿勢を
正しい考えの下に一から見直す、ということにほかならないと考えるのです。
直接自分の心や体は何を求めているかに耳を澄まし、そこに従って行動する。
今は、その基本的な動作を一から覚えなおす時だと考えます。
「立つことなんてことはだれでもできる」と誰もが思っていますが、
ほとんどの人は「立つということをよく理解していない」。
基本がおざなりだから、座ることも、歩くことも、寝ることすらままならない。
シンプルなものほど奥深く、立つことだけを極めるのにいくつもの人生を費やしてもいいと考える人もいるはずです。
私もその一人です。
それだけ体得すればそこに恩恵を得るということです。
人は物事を捉える為に何かしらのレッテルを貼り、それを判別します。
そこに自身の優越性も感じ取ります。そのためには必ずなんらかの判断指針を必要とします。
そのように人々は常識といった判断指針、狭量な価値観を常に用いて、
頭の理解のみに依存する傾向がある生き物なので、
そこには当然同質の社会性を作り、また依存せざるをえない状況を作り上げることになるのです。
ですからいまこのときとは、そうして頭を働かすことと同じくらい、
自然な自分の感性に耳を傾けることが大事だといえるのです。
しかし、まずはご忠告、ありがとうございました。
では。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/337.html#c3
1. 2016年4月14日 00:06:19 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[35]
そしてまた国家の首脳がそうならば、それは何を意味するのか。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/340.html#c1
8. 2016年4月14日 00:09:41 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[36]
タックスヘイブンに秘匿されている資産、すくなくともざっと総額3000兆円。だそうで。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/828.html#c8
15. 2016年4月14日 03:00:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[37]
現実的に考えて、軽自動車で、一日飛ばしに飛ばして350キロ走ってガソリン代は多く見て3000円。
燃費の普通な車ではおよそその二倍で6000円。
のろのろ走ってその金額には当然ならんが、だとしても、これで試算してみよう。
十日で六万。丸々一ヶ月350キロ毎日走って18万。
これが一年だとするという計算で、ようやく200万円台の支出が近づいてくるというものだ。
それはもちろん、毎日この距離を走破した場合に限られる。
さて、それに対してのこり300万かかるというのは国民の感覚からして、
政治活動には関係しない無駄な計上だといえるのではないかな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/373.html#c15
16. 2016年4月14日 03:03:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[38]
>10
何かを語るなら具体的な根拠として、数字を出して言え。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/373.html#c16
17. 2016年4月14日 19:07:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[39]
私も応援する。
>16
ふざけんな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/424.html#c17
2. 2016年4月14日 22:26:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[40]
なんということだ。テレビは全滅だな。もうテレビに期待することはないな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/469.html#c2
6. 2016年4月15日 00:23:02 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[41]
>4
一言一句同意。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/469.html#c6
3. 2016年4月15日 00:49:57 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[42]
>2
我欲がまさるというのはね、政治家やっちゃいけないとは思いますけど、
国家のためになんてなんて言葉もそもそも使われ方の向きが違えば怖い言葉だね。
それにしても、ここで地震とは。
私が今朝見た夢は火山の噴火だったけど、要するにそれはわたしそのものだね。
私の中の何かがはじけ飛んだみたいだから、この件で。
でも別にそこに呑まれてはいないから、我欲による怒りじゃあないね。
とりあえず、九州の人々が無事手あることを望みます。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/340.html#c3
5. 2016年4月15日 19:26:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[43]
>4
逆を言えば性欲や自己顕示欲が強い人間が政治家になっちゃいけないわけでもありません。
ただし、征服欲や支配欲といった権力志向の人間が、自分の野心をかなえるためだけに政治という舞台を道具として利用するというなら、それは必ず引きずり下ろされる運命にあります。
政治とは、人々全体のためにあります。もっといえば、自然環境すべてとの調和のためにあります。
特定のひどく落ちこぼれた人間の野心をかなえるためのものではありません。
独裁政権の成立とは、権力者気取りの人間だけでかなえられるものではなく、
その力を認め、恐れるものたちが多数必要となります。
ただそこに巻き込まれようとだけする人間が増えれば、独裁社会は実現するということです。
この国の政治のルーツをかつてのこの国の歴史に尋ねあたるというなら、
戦国時代ではなく、縄文文化にまでたどり着くべきです。
それは今年例祭を迎えた諏訪大社の祭りには、その片鱗をうかがい知ることができます。
「まつりごと(政)を知りたければ諏訪に聞け」。そのくらい迫力のある人間の力をこの祭りでは見ることができます。そして自然と調和ある人の姿も。
それだけ、理にかなった人の生き方がそこにはあります。
伊勢(いもおせ)が夫婦和合の道を説くなら、鈴明(すずか)は長生の道、そして諏訪は人助けの道を説きます。
政治とは、人間社会にとどまらず、同時に自然環境との調和をも実現するためのものでなくてはならないということです。
争いは果たして、何をもたらしますかね。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/340.html#c5
6. 2016年4月15日 19:31:23 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[44]
また、どんな野心を持っていたとしても、そこで我欲が勝って、
ある決断に際して、己に克つということができないとするなら、
その人間もまた、政治の舞台に立つものとしてはふさわしくないといえると思います。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/340.html#c6
4. 2016年4月16日 01:31:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[45]
>1
大方、仰ることの中身と方向性はこの程度の知能でも理解しているつもりですが、
それも古臭い骨組みから抜け出ず、いつまでも煮え切らない、
目先のいまだけに固執した考え方であるように聞こえます。
単なる個人的意見ですので、どうぞお気になさらず。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/525.html#c4
25. 2016年4月16日 02:43:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[46]
nhkのHPより
日本放送協会(以下「NHK」という)は、放送番組の制作にあたり、放送法に基づき自主的に制定した番組基準を順守するとともに、平成8年9月日本民間放送連盟と共同で「放送倫理基本綱領」を制定し、これを尊重、順守している。
この文書は、NHKの放送倫理に対する姿勢に関し、番組基準や綱領の精神を踏まえ、内外に基本的な考え方や取り組みを明らかにするものである。
【放送倫理の意味】
放送は、ジャーナリズムの一つとして、表現の自由のもとに、国民に多様な情報を提供するという民主主義にとって欠かせない役割を担っている。このため、制度的に番組編集の自由が保障されている。
********************中略
【公共放送としての基本的な姿勢】
NHKでは、公共放送の基本的な姿勢として、その放送番組の取材・制作において、以下の諸点を順守する。
□ 人権を尊重する。
・ 取材相手をはじめ関係者の立場に立ち、人権を尊重し、名誉棄損やプライバシー の侵害にならないよう配慮する。また、関係者の業務などへの影響にも十分注意して、コメントや編集のカットにいたるまで気を配る。
・ 職業をはじめ地位や身分などを差別的に扱ってはならない。
□ 正確を期す。
・ NHKのニュース・番組は「正確」でなければならない。
「正確」は、事実を正しく把握することを前提とする。しかし、何が真実であるかを確かめることは容易ではない。したがって、
「真実に迫ろうとする姿勢が、取材・制作のあらゆる段階で不可欠である。」
(大事なのはこれかな?
NHK全体が体たらくだから危機感を覚えて、国民に何かを伝える役職として国民に資する働きをと動いたわけだ。これこそが本物のジャーナリズムね。国民に資する人とは、こうした姿勢でいる人のことを言うのだなぁ。おじゃまんがはいらねーなぁ)
・ 事実関係の誤りは、調査のうえ明らかになれば、直近の機会に訂正する。
□ 公平・公正の立場を堅持する。
・ 放送は、公平・公正を維持するため、視聴者にできるかぎり幅広い視点から情報を提供する。
・ 公平さは、見かけ上の単純な中立性によってのみ得られるものではなく、公平さを求める厳格な姿勢によって確保されるものである。
・ 意見の対立する公共の問題を取り扱う番組では、個々の番組内、同一のシリーズ内または一定期間内の適切な場所でバランスをとる必要が (略
***********************
もうやめたんだから気にする必要もない。今後の活躍に期待です。
>23
とおもったらあーあー。NHKもか、そりゃやっぱり、疑惑の会社守らずすんだね。よかったね。
>24
偽装民主主義にならざるを得ない根本的な理由とは、勝ち負けの論理の上にすべてが成立していること。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/469.html#c25
26. 2016年4月16日 02:50:36 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[47]
http://echo-news.red/blog/Questionary-to-NHK-on-Panama-Documents-NHK-GLOBAL-INC
より以下コピペ
***************
NHKへの問い合わせ:パナマ文書記載のNHK GLOBAL INC. について
以下の通り出しています。
「NHK広報 XXさま
お世話になっています。
エコーニュースの江藤です。
いわゆるパナマ文書を調べたところ、 NHK GLOBAL INC. という社名の会社が ありましたが、これはNHK本体または子会社そのほかのグループ企業と、取引あるいは資本関係が存在 する企業でしょうか?それともまったく無関係な企業でしょうか?
http://echo-news.red/Japan/NHK-Global-Inc-on-Panama-Leaks
お忙しいところ恐縮ですが、明日、4月15日金曜日の午後3時までにご回答頂けると幸いです。」
【再掲】パナマ文書記載のタックスヘイブン利用企業に「NHK」名称の会社が存在
http://echo-news.red/Japan/NHK-Global-Inc-on-Panama-Leaks …
このNHK GLOBAL INC.と、日本のNHKの関係について、現在NHKの広報部に問い合わせ中。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/469.html#c26
3. 2016年4月16日 02:52:25 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[48]
http://echo-news.red/blog/Questionary-to-NHK-on-Panama-Documents-NHK-GLOBAL-INC
より以下コピペ
***************
NHKへの問い合わせ:パナマ文書記載のNHK GLOBAL INC. について
以下の通り出しています。
「NHK広報 XXさま
お世話になっています。
エコーニュースの江藤です。
いわゆるパナマ文書を調べたところ、 NHK GLOBAL INC. という社名の会社が ありましたが、これはNHK本体または子会社そのほかのグループ企業と、取引あるいは資本関係が存在 する企業でしょうか?それともまったく無関係な企業でしょうか?
http://echo-news.red/Japan/NHK-Global-Inc-on-Panama-Leaks
お忙しいところ恐縮ですが、明日、4月15日金曜日の午後3時までにご回答頂けると幸いです。」
【再掲】パナマ文書記載のタックスヘイブン利用企業に「NHK」名称の会社が存在
http://echo-news.red/Japan/NHK-Global-Inc-on-Panama-Leaks …
このNHK GLOBAL INC.と、日本のNHKの関係について、現在NHKの広報部に問い合わせ中。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/524.html#c3
3. 2016年4月16日 19:57:36 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[49]
思うのだが、ここの記載で指摘されているように、
>以下は一般論だが、タックスヘイブンへの資金移動には
>@租税回避行為の面があると共に、
>A資金の使途に付いて、外部から検証しにくくなる効果があり、
>役員や幹部職員による横領行為を極めて容易にするという側面がある
>(要は、国際投資と言う名目で、いったん租税回避地へ流した企業・
>団体の資金を今度はこっそりと自分たちの懐に資金を入れていても
>外部からは分からないということである)。
このような仕組みがあること自体、国際的に非難されてしかるべきものであって、
当然われわれは、このような仕組みを利用することを国際世論にのっとって、
断じて許してはいけないと感じる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/542.html#c3
10. 2016年4月16日 20:29:26 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[50]
>1
寝言はこっちのほうだ。
それとも、このことを1は伝えたかったのかな?
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6198046
2016年4月16日(土) 14時2分掲載(朝日新聞デジタル)
川内原発「停止の必要なし」=丸川担当相―熊本地震
丸川珠代原子力防災担当相は16日午前、熊本地震の非常災害対策本部で、
運転中の九州電力川内原発(鹿児島県)について、
観測された地震動が自動停止させる基準値を下回っているとして
「現在のところ、原子力規制委員会は停止させる必要はないと判断している」
と報告した。 (時事通信)
優先的するのは人命だが、そこに掛かりっきりになることで、
ほかの事をほったらかしてよいことはまったくといってない。
あらゆる問題が頻発している中でも、すべての問題に対して、
人々に必要な自浄作用とはきちんと同時的に機能していなくてはならない。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/839.html#c10
15. 2016年4月16日 20:38:45 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[51]
>7
自制できない感情はもつな。すべてのチャンスを失うぞ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/515.html#c15
15. 2016年4月16日 20:50:17 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[52]
一族の末路を憂い、それを変える人間もまた同族から生まれるものだ。
強い気概をかんることは間違いがなく、その方向性だけが問題だ。
「人口減少強みに変える」=自民若手、社会保障で提言
社会保障制度をめぐり、若者層が高齢層より冷遇されているとの指摘がある中、
提言は「政治がレールをぶっ壊して、自由に生きていける日本を創る」などと
若者向けのメッセージを記載。
高齢者への給付が中心の制度から、「全世代型の社会保障に転換する」ことを訴えた。
この言葉が真実で、ベーシックインカム制度の知名度と評価がそこに一緒にあがっていくなら、この発言も評価に値するが?
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/462.html#c15
2. 2016年4月16日 22:29:22 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[53]
>1
なるほど。そのコメントを発するあなたもまた同じ論理的思考を持つというわけですね?納得です。→プーチンみたいな
http://www.asyura2.com/16/kokusai13/msg/378.html#c2
9. 2016年4月17日 01:22:56 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[54]
もうこのことは数十年前からいわれてて、番組で取りざたもされています。
「大橋巨泉のこんなものいらない」という番組です。
当時子供でしたが、子供ながらに怒りを覚えたものです。
その番組内でははっきりと、使途不明金が数十億あることが取り上げられていました。
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/149.html#c9
1. 2016年4月17日 03:38:51 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[55]
「ただ無益で無能な連中が集まって会食しているだけに過ぎない」という感想しかない。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/560.html#c1
5. 2016年4月17日 16:11:31 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[56]
>4
ほんとそうだよなー・・・。さんざん、落ちるとこまで落ちてないとこうはならないよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/579.html#c5
30. 2016年4月17日 18:11:22 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[57]
優越性に浸るものの特長→劣等感と再度落ちこぼれることへの恐れ
三つ子の魂百までというが、子供のときに何かしら比較されて育ち、
その悔しさをばねに変えてそれらを覆そうとし、
そして大人になって地位や、名声、そして手に余るほどの金を手にしたとする。
その出発点が劣等感を払拭するためだとするなら、それはいつまでもついてまわる。
そうした人間が現総理だ。そしてそれを支持する人間も。ヒトラーもそう。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/545.html#c30
1. 2016年4月17日 18:32:04 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[58]
すべての優越性の由来は劣等感です。一番になろうという思索の出発点がそこであるかぎり、常に落ちこぼれへ回帰することへの恐れもついて回ることになるわけです。
彼ら、そしてわれわれにも通ずる病理はそこにあります。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/843.html#c1
1. 2016年4月17日 18:35:37 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[59]
彼らは何も破壊しきってないよ。
希望を創造するのはわれわれで、ゆえに既存の世界を破壊するのもわれわれです。
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/538.html#c1
29. 2016年4月17日 20:50:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[60]
われわれが認識する空間というものがどのように存在しているかを理解すること、
そして、既存の物理法則がその空間というものにどのように適合しているかということを理解しなくては、フリーエネルギーというものに対する懐疑的まなざしは払拭できない。
エネルギー保存の法則はもちろん存在する。しかし、それはオーバーユニティに欠かせない法則だ。勘違いしないように。
このことを理解できている人はすでに日本に存在しているし、
そしてそれは今から二十年ほど前のテレビに出演していた。
当時その科学者が言った言葉とは、「その発明はすでにできているが、そんなもの出したら石油メジャーから刺客が訪れ、殺されるだけだから今は発表できない」というもの。そして未来にはムー大陸は再び上昇して、そこまでリニアが十炉だろうとも予言した。(西ノ島のこと
そしてまた近年、すでに40年前には、そうした知識は世界に発せられ、
純粋な探求心をもつものの元で研究され始めている。
そうしたわれわれの認識に新たな物理の世界の扉は、すでに開かれている。
そしてそれらは書籍になり、今それを本当に必要とするものの手に渡っている。
読もうという気持ちがあれば、われわれもそれを手にし、読むことは可能である。
いま、まさに時代は新たなシーンを迎えている。大団円はせまっている。
希望を持って、恐れや怒りに我を腐らせることなく、一念を貫くことだ。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/840.html#c29
5. 2016年4月17日 21:40:17 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[61]
被害にあった人々をみつけては、ただいたずらにマイクを向け、カメラで追う。
なぜそれを悪趣味と感じるのか。
そう考えていたら、311を思い出した。
そういえば阪神淡路のときもそうだった。
被災地の道路を埋め尽くした騒ぎを求めて集まる人々の野次馬根性。
被災にあった側からしてみれば、神経を逆撫でされるような気持ちでしかない。
そうした感性がゴシップ記事を追いかける連中を指示し支えているわけだ。
だから偽善だ、悪趣味だと感じるのだろう。
だが、そこに率先して多くの人が自費で車をまわし、
誰の呼びかけでもなく、生活に必要なものを聞いて回ったり、
不便な状況下にある人々の足となって動くなら、そしてそうした人々がいまよりもっと多く、自然と集まるのならどうだろうと考える。
普段からそのような社会が生まれていたらと感じてしまったためだが、
こんな気持ちになるのは今回で何度目かしれない。
生活が不便な状況下にある人々の頼みを聞いて回る、
それは一時期、私はかなえかけたけれども、311でその夢はつぶされた。
ベーシックインカムは再びその夢を後押しするだろうか。でももうおなじ仲間は戻ってこない。
テレビの報道は、視聴率目当てだ。
彼らはわれわれ視聴者のためだとか、必要性に答えてということをいうだろうが、
われわれが求めているものは、フィクション映画のような物語や構成や演出ではない。
人々の感情をいたずらに揺さぶる映像を厳選するなといいたい。
被害にあった人々は何も不幸な状態であるなどと伝えられたいわけではなく、
どんな状況にもまけず、明るく、力強くあることを伝えたいのだ。
ただそこに必要とするものが何かだけ聞き出してほしいだけだ。
だれも同情を迫ったりなどしやしない。
被害者の心情やプライバシーを考慮せず、ヘリまで使って倒壊した家々を映しまわるのは正直、やめろといいたい。
余震が続く中で必要なのは、二次的な被害に対する必要な策と備えだ。
必要なものを届けるということ。
それはただ現政府の息のかかった自衛隊だけに任せるべきなどとは思わない。
テレビは、二次的な被害に対する安全対策を伝えることだけに要点をしぼって、
テキパキとそれを伝えるべきだ。情報とはただだらだら心情的に流すべきではない。
いま何をすべきか、次に何をなすべきか、安心して今を乗り越えられる心理的な後ろ盾を全体でどうつくっていくべきかを伝えてくれればそれでいい。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/588.html#c5
2. 2016年4月17日 21:58:50 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[62]
それでも自民党支配よりはいいんだから仕方がないね。
民進党ではなく、ここで男気を見せた共産がいずれ国民党を名乗って躍進すればいい。
そのためにも今は民進に一票。
何が何でも、今のこの有様はないのだから。
アヴェール一族の政権の下に引きずられることにノーを突きつける。
悔いは残したくないからね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/591.html#c2
16. 2016年4月17日 22:36:48 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[63]
>13
それは何より。よく読(毒)解してくださいました。
驕れる者は久しからず、といった盛者必衰の理というのも、そこには生命の自浄作用が働いているからだといえます。
今、現行社会、現政府に人々がノーをつきつけているというのも、
その本来の人の働きに目覚めた人々の力であり、それは自浄作用といえます。
パナマ文書を追求するということが、何かに比較して優先順位を落とすことなどできない。
人々の心情につけ込み、世論に乗じた政府の指差し案内でうまれた空気感など読む必要はなく、同調圧力に屈しないというのは、まさにこのことであり、
そもそも、社会という中において、
ありもしない空気を読むなどといった行為など、その必要性もあってはならないものです。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/839.html#c16
1. 2016年4月17日 22:53:19 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[64]
>「みんなが一丸となっているときにそんなことをいうのは不謹慎だ」などという無茶苦茶な論理で批判を封じ込めようとする。
これが国谷女史も懸念している、人々の心情につけこんだ「同調圧力」というものだ。
いつの時代も、こうした力を数の論理に必要として、政治は利用してきたわけだ。
今じゃそんな言葉、誰が聞いても、不自然だろう?
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/597.html#c1
1. 2016年4月17日 23:21:37 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[65]
現代のジャンヌダルクに重ねてみてしまいそうだな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/598.html#c1
2. 2016年4月17日 23:31:49 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[66]
>1
リンク先を読んだが、政府は現場の状況把握に努めていないか、状況を把握する能力がないかのどちらかのようだ。気持ちなどもともと把握できないのはわかっているから。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/596.html#c2
4. 2016年4月17日 23:36:49 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[67]
>2
みなが政治的な能力をもっているんだよ。だからここであなたの声も私の声も、政治的な力になりうる。
大事なのは、それが、全体のために生かそうとする声なのか、そうでないのか、それだけなんだ。
何が正しいのかを見極める目だけが必要なんだ。自分の本当の願い、そして望みに素直になりさえすればいいんだ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/597.html#c4
2. 2016年4月18日 01:57:16 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[68]
>1
本当なら、本当ならば、国旗、もとい国境などすべて廃止して、すべてが地つながりのひとつの国として運営されるのが一番よいのだ。
どんな大層な力を持っているとしようと、牙をむくのは、常に何かにおびえたものだけだから。
われわれは腕を噛ませて、血が流れて、怒りと痛みに耐えこらえて、それら臆病な心を抱いてなだめてやらなきゃならない。
いつか彼らは勇気を出して、ありがとうというだろう。
どんなに凍りついた心をも溶かす、そんな人間を常に目指していかなければならないと思う。
目指す場所がなければ、もうここに生きていたって仕方ないとだけ思ってしまうから。
いざこざなど起こせなくなる、そうした心の安定が誰にももたらさればよいと、
単純にそうとだけ思ってしまう。もう、いざこざは金輪際、うんざりだ。
と、嘆いていても仕方がない。まずは生きねば。そしてやることをやるまで。
だが投稿上限数がここまでだと告げられた。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/593.html#c2
10. 2016年4月18日 16:58:30 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[69]
>9
延縄の追い網漁で一網打尽まであとわずか。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/844.html#c10
3. 2016年4月18日 17:25:54 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[70]
311の経験からいうと、そうあせらなくても、少しだけ我慢すれば、きちんとほしいものは手に入るように必ずなります。
疑心暗鬼にならず、自分はそこで手を引いてでも、必要な他者に譲るという気持ちをみせたほうが後悔しません。
オムツや水はとくに乳幼児に必要なもの。
買いだめに走らず、わけあたえましょう。
できるだけ、その場で配りあいましょう。
みんなに行き渡るように動きましょう。
本当に必要としている人のところに必要なものを優先して渡しましょう。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/627.html#c3
3. 2016年4月18日 17:52:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[71]
不可視、また不可避のありもしない醸成された空気感をにて、同調を迫る圧力というもの。
「同調圧力には屈しない」そうした考えの下に人間は人間らしさを保ち、冷静な判断の元、動くことができる。
世論の力を利用する人間の心理には、権力支配への願望が隠されている。
それは劣等感から生まれている。
すぐに力を振りかざして、自分の力を誇示したいと考えるのは、臆病な者でしかない。
権力を支持する人間は、その力を信仰するため、そこに自分もなびく。
トラの威を借る狐とはこれで、人々をそこに思うように従わせたいとする願望が秘められているために、その力を支持するのである。これが人のおぞましさにつながる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/606.html#c3
1. 2016年4月18日 18:02:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[72]
政治家とはここまで劣化したかのかと改めて思う。
というより、自民党とはいったい、われわれをどこに誘導しようとする存在なのか。
オスプレイはそもそも、こうした風の強く吹き荒れる場所で有効なのか。
そしてまた、土地の乾燥した場所で、舞い上げる土ぼこりはいかほどか。
私の中学生時の教師は、「いいか、政治家と評論家にだけはなるなよ」とおっしゃっていたが、厳しい目でありながらも、人を見ており、
非常に信頼できるたのもしい厳格な人間性だった。
今の教師はどんな心境で子供たちに接しているのだろうか。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/629.html#c1
2. 2016年4月18日 18:43:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[73]
田舎の景色と平屋が一番。高いところに住みたいなら、岩盤に守られた山の中が一番。
家の周りに桜が咲いて、鶯のさえずり、小川の流れ。夜はふくろうが鳴く。
雉が庭石の上でくつろぎ、狸も食べ物頂戴と顔を出す。
なぜ都会のマンションに住みたがるのか。確かに五、六階くらいならまずまず眺めがいい景色だ。
けれど不便なのはエレベーターの乗り降り。
空気はいいかもしれないけど、住みたいとまでは思わないね。
そして、なぜ東京に住みたがるのかが私にはまったくわからない。遊ぶ場所ならたまに出向くぐらいがちょうどいい。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/583.html#c2
79. 2016年4月18日 19:16:01 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[74]
>68
>69
>72
>74
人間の驕りが人を破滅に導く。それをここに確信する。
社会に必要とされるものとは、全体による必要性によって生まれるものであって、
それはまたがちがちの正論であって当然のはずである。
原発の必要性とは一部の利権が持ち出した理屈であるために、
以降、そこにはいつまでも気分の悪くなる歪んだ理屈だけが続くだけとなる。
核による軍備の強化が抑止力となるというのは嘘で、
核施設(核武器材料の流用可能の原発)とは狙われやすいものであるため、
ウィークポイントとしかならず、そこに住む人々は人質として取られることにしかならない。
人質をとって脅されるために、原発とはあるようなものだ。もっとも初期のころには、ただ利権に目がくらんだ人々が推進したわけで、現在もそこに関与する人間が後を絶たないのは理解できる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/552.html#c79
8. 2016年4月18日 19:27:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[75]
>4
ゴミ散らかってると思ったら片しとけよ。
おまえが一番散らかしてるみたいだが。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/629.html#c8
10. 2016年4月18日 19:33:38 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[76]
>9
そういう理屈とそうした無駄をゴミというんだよ
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/629.html#c10
12. 2016年4月18日 21:06:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[77]
> nJF6kGWndY : n7GottskVWw
あなたもまた今の政府同様、無策で無能だ。
それはつまり誰からも求められないことを意味する。
それは他者を軽んずるその言葉に元凶がある。
こうしたところで単に批判と罵詈雑言を繰り返し、
コメント票数を増やしたところで、現行政治に対する直接的な圧力とはならない。
確かにそのことに対しては客観的にみて、的を得ていると感じる。素直に同意する。
しかし、ならばあなたはここに現れて何を期待してる?
そして、どんなきっかけで物事が変わっていくかは現時点で誰にもわからないとするなら、ここにもまた優れた方策が生まれるきっかけが現れるかも知れない。
私は阿修羅とはその為にあると感じているし、かつてそうあったし、今もそれは変わりないと感じている。
現政府や、それを支持するとした人間が無策ぶりを露呈する度、
そのためにさらに輪をかけてそこに批判が集中するというのは、
彼らの行動が誰からも望まれていない、期待されていないことを単純にも告げるものだ。
だがなぜそうなるのかと冷静に考えればわかるだろうが、
それは素直に頭を下げて、人々に教えを請わないせいだ。
ただ、「実行する力」だけが暴走している。
人々の協力を得られないのは当然で、求心力も得られないのはつまり、協力してほしいと呼びかけないことにある。
すでに遅いだろうが、もし、政府が、心から頭を下げて、
「何をすべきか、国民の皆さんの知恵と力をお借りしたい」とこう呼びかけたらどうなるだろう?
策がないから頭を下げて協力してほしいと素直に呼びかけるのだ。
現行政府は、その逆をしつづけている。
そして、結局誰からも支持し期待されていないことを先に理解したつもりになってそのように動くのだ。
それが国民蔑視とつながり、そこに軽んじた発言を重ねていくのである。
現総理の劣等感と、腐敗した政治全般が、その負のスパイラルを促進しているんだよ。
よって、いつまでも誰かに期待されたり、信頼されることなど断じてなくなる。
あなたもまたそうなる。
いつまでも、同じ場所に居続けることになる。
そして誰にも、自分にも望まれないことを延々とやり続ける羽目になる。
賢こぶるならなら、そのくらいのことは理解したほうがいい。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/629.html#c12
1. 2016年4月18日 22:40:49 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[78]
政策と称して、政治と世論を利用し、自分たちの目論む(国民からすれば危ういはずの)思想世界の実現過程から、事あるごとに国民の注意をそらし、論理の正当化を目指すためには、仮想敵国の存在は絶対的に不可欠で、好都合。
われわれ人類は今、ツバメのひな鳥のように、口をあけてえさを待つだけの状態。
そこから巣立つこと。
そのためには代案を提案すること。
名ばかりの国民主権から自立していくことを夢見ること。
国民同士でつながること。
全体に、現政権の政策よりまともな提案をすればよいだけのこと。
http://www.asyura2.com/16/china8/msg/505.html#c1
3. 2016年4月19日 15:32:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[79]
>1
なにも自浄浄化の作用の一端を担うのは、われわれ一人一人でもあるんだよ。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/637.html#c3
7. 2016年4月19日 15:43:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[80]
今の政権に依存しない取り組みが国民側の意識に必要だということだと考えるべきだ。
そのためにネットはその結集のために活用すべき財産だ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/661.html#c7
35. 2016年4月19日 20:03:30 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[81]
当然考えてるでしょう。→国谷さん。
山田君。おじゃまんがに毛布一枚かけとくれ。鼻たれてるから。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/469.html#c35
2. 2016年4月19日 21:05:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[82]
国家間をまたぐギャンブル狂の人種にとって、国なんて下足箱位の感覚でしかないことも、連中が何を一番恐れているかも、誰かのおかげてよくわかる。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/491.html#c2
18. 2016年4月20日 15:26:26 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[83]
トヨタのハイエース二台分。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/694.html#c18
14. 2016年4月20日 15:39:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[84]
>5
>発言禁止法
それはあくまで捉え方の問題で、権力側に直接するいい機会を得られたと私は思っています。だから目立つことだけをこれからする予定です。
言葉など、解釈しだいでどうにでもとられるものは彼らが示しました。
逆手をとれば、ここでの発言、正論が本当に世論を抱き込み、
力を持っていくのはこれからです。
外側の現実社会にそれらが流出していくパイプが繋がれたということと感じています。
正しく物事を動かそうと本気で思っているのならば、その力はそこから外へと漏れ出して、人々を感化していくと信じています。
私個人は何にも臆することはありません。巻き込むつもりもありませんのでご安心を。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/852.html#c14
1. 2016年4月20日 17:25:23 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[85]
この流れにいたることは随分と前からわれわれの元に明るみにされてきたものです。
ようやく顕著化してきました。
情報ありがとうございます。
http://www.asyura2.com/16/kokusai13/msg/433.html#c1
6. 2016年4月20日 21:31:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[86]
これが、よい方向に向けばよいのであって、
この結果をメディアは政党は真摯に受け止めればいいと思います。
まったく騒ぐ話じゃない。
騒ぐのは現自公政権への批判と受け捉えるからであって、
騒げば騒ぐほど、それだけこの世界的評価には影響力があり、
そして指摘が当たっているということを認めることになる。
これにはクロ現を降板された国谷さんの話も大きいところだと思いますが、
世界は日本の政治動向を不安視して見ているのだということがわかります。
感心しますね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/728.html#c6
7. 2016年4月20日 21:42:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[87]
世界的なジャーナリズム機関がちゃんと機能していることには救われる思いがする。
それだけ今の日本の閉鎖性は世界的に危機感を与え、速やかな改善が求められているということが明らかになったわけだ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/721.html#c7
1. 2016年4月20日 22:23:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[88]
金の流れが不透明であれば、疑惑を受けて当然。
不健全な企業体質は暴露される。そして是正される。
なにもおかしくない。当たり前のこと。
誰かが匿ってくれることを期待して政府の法制に関する特権にべったり癒、もとい、寄り添っているのが、経団連。
これまでの正当性なんてものは数の論理を利用して幅を利かせて来ただけのものに過ぎない。
そこでの正しさとは「正しいから正しい」という何の根拠もないものだ。
そこに依存し続けるだけでよしとする、企業体質の人間の声はどこにも響かない。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/672.html#c1
2. アーリエル[11] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月22日 02:53:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[89]
>1
私たちは、知覚とするものによって自分たちやその世界の様相を感じ取ることができるとしています。
そこで私たちが知覚とするものとは、一般的には、物理的な身体の五感を指しています。もうひとつ足して六感ともしていますがそれは科学的な根拠をもって説明できないとされます。
私たちはそこに何があるかを捉え、把握するために、それら感覚器官に頼り、そこより得る情報と、経験則や観察眼、または学習にて得た価値観といった観念的な判断指針に照らして、物事の真偽や、性質などを総合的に判断しています。そして、以後、その判断内容が新しく刷新されるまで、そこに依存するものとしています。
以下は、お尋ねであるかもしれない「魂」についての独自の追加視点的解釈です。
***********
魂:「たま(意識本体:精)」と「しい(生物的記憶:根)」の融合体。概念的存在性。天(陽)と地(陰)の交わりに生じるもの。物理的身体(生物的肉体)に接合点(焦点)をもって結ばれている意識的な存在。生物的原理原則と精神的な感応性とイマジネーションの三位一体の場に成立するもの。創造的意思の具現的顕れ。成長と発展性の永続を意味する創造性の源泉から地続きであるもの。また、情熱そのもの。流動的な生命エネルギーの媒体とするもの。生物的経験の蓄積されゆく、複合的霊性を含む多次元的存在の単一次元的側面。
霊性:あらゆる概念の枠組みに縛られることのないエモーション。純粋無垢な魂の状態。その本質。
***********
上記は私の言葉で説明しうる限りの解釈であり、独自的な解釈と今は思っていただいてかまいませんが、元にしたソースが存在しないわけではありません。
蛇足かもしれませんが、言葉の「魂」については、「神」同様、使う場所やお国柄によってさまざまな思想的解釈が存在しているので、現状況下においては、訳者によってさまざまに存在する解釈をそのまま飲み込むことは、それ以後の理解にますます混乱を生じさせる原因になると思われます。
解釈のあいまいさを回避して、言葉で何かを説明、または理解するということ自体を難しいものと捉えることもできますが、そうしたところは何も改善できないものではありません。
今それが可能かについて懐疑的であるあなたに真摯に向き合いたいと思ったため、一応、上の説明で納得がいくかどうかはわからないとした上で、現時点で可能な説明を試みてみました。どうでしょうか。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/348.html#c2
7. 2016年4月22日 23:17:42 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[90]
経団連はグルになって「文書の重要性はわれわれにとってトイレ紙以下」と目くらましたいのでしょうが、庶民の頭もグラグラです。時間稼ぐも策はでず、資産隠して尻隠さず、まっ黒お腹もグルグルです。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/862.html#c7
4. 2016年4月22日 23:48:37 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[91]
日本人の多くは自分たちにあるとする日本人の美徳というものすらをも取り違えている。
日本人の多くは「守破離」という言葉すら知らない。ちなみに断捨離ではない。
伝承、また継承するということとは、雛形はそのままに、その形に固執することなく、そこにある真髄に対する自分なりの解釈を技芸にしてそこに追加するということに意味がある。
そこに以後そこに続くものたちへ対する教材となり、進歩への道筋が生まれる。
踏襲制にだけ固執して、形を壊すということをただ恐れてしまうというのは、もはや形骸化してあり、そこにある本質を伝えるものはもう誰もいないということである。
そこにそれを続ける意味など残っていないも同じであり、今われわれが使っている言語、言葉もそれと同じである。
改良、改善、改革していくことを恐れてしまって何もしないというのは、もはや歴史もそこで終わってしまっていることを意味する。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/824.html#c4
6. 2016年4月23日 01:02:49 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[92]
私は安倍総理の奥さんだけはテレビで一度見た限りだけど、印象としては人として誠実で、期待と責任をきちんと背負うタイプに感じた。よって嫌いじゃないし、むしろ好き。
金を持っているか持っていないかにはなんら関心はないが、その金がどう使われているかについては、そのことで社会にどうした影響を与えているのかという問題と結びつくときに大きな関心となる。
この度のパナマ事件に関連する話題に対しては、つまり私はそこに怒涛の怒りと、それによる関心を持って見ているということである。
パナマに名前を残すものたちの以後の動向を追うにつけ、穏便にはすませないことが日に日に増えるのだから、ますます関心と怒りは大きく募っているということになる。
よって今回のパナマ事件に対する政府の反応、そして経団連以下、所属企業の動向を注視するし、社会を正常なものに戻すことに対して国民の一人として積極的に働きかけをしていきたい。
こうしたことが以後も起こりうるそうした温床としてあるというその問題の背景をきちんと明るみにしない限り、人々の関心をそこから離れないはずである。
そしてそのことと同時に、社会全体に寄与する、全体に賛同される方策案を提議していきたいと思うとともに、人々の意識をよりよい社会システムのあり方へと誘導していきたいと考える。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/720.html#c6
2. 2016年4月23日 01:07:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[93]
お忙しいところお手数おかけします。
コメント欄の利用方法に関しては、ご意見を承りました。
その上で、必要性を感じた場合意外はコメント欄を使用いたします。
2. 2016年4月23日 01:10:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[94]
了解しました。適切な対応、ありがとうございます。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/591.html#c2
39. 2016年4月25日 18:10:48 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[95]
>18
その線で調べなおしの旨を世論と野党連合に伝えてみるというのはありですね。
国民に不審の声ありとするならば、そこに対する説明責任は野党側にもありますからね。まずは野党がその点に納得しているかどうかを聞いてみたい。
とりあえず、今回の結果がどうあったとしても、野党間の結束という新たな息吹が生まれたことに対して、私個人は非常に満足してますし、その流れをつくったイケマキさんには今後もチャンスは訪れますし、人々はそこに注目していくはずです。そして全体票の半分が自公にノーをつきつけているという事実もまた明白なものとなったのですから、このまま人々の意識は新しい時代の扉を押し開くまで加速していくことになると思います。
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/911.html#c39
1. 2016年4月27日 12:44:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[96]
いくら合法だと言い分が通るのだとしても逸税であることはあきらかで、節税(節約)という言葉の本質とは、そもそも意味がまるで違う。不可解な国民全体に対する重税負担の原因がここにあるのだとしたら、その不可解さが解けた今、それは当然国民全体の世論で追及していくべき問題である。
つまり、これに対しては刑事罰を問うような結末を求めるのではなく、以後、それを脱法認識して、改めてどれだけの資産が国外の課税から逃れているのかを把握して、返還、返納してもらえばよく、一から見直した社会作りをただしていけばよいだけだ。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/872.html#c1
2. アーリエル[12] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月27日 15:47:02 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[97]
>1
それをそうだとだけ言って何に満足できるというのか。
あなたの思いはまた、裏返しである。
そしてその原因は社会性、そこにある社会システムにあるといえるだろう。
ここから変えていこうとするならば、常にそこはゼロであり、始まりである。
どこまで落ちても、ゼロでありそこからがはじまりである。
もちろん、どこまで上っても際限はない。そこもまた常にゼロである。
つまり、あなたのいる場所、そして私のいる場所は常にゼロである。
何もない。空っぽである。だがゆえにすべてがある。
安心とはそういうことだ。意識して、ゼロを自身の中に見つけていく作業が必要だ。
逃げない。戦わない。おびえもない。すくみもしない。
むき出しの捨て身。それがもののふである。
火の粉を払い、ただ心を明らかにして人を迎える。
それがいいと私は思っている。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/347.html#c2
7. 2016年4月28日 01:29:25 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[98]
>1
ユダの福音書は名前だけは知っています。コプト文字で書かれていたようですね。
死海文書というものも名前だけは知っています。
ですが、読みたいというほどの興味もありません。
ですから、私に引用コピペは不要です。以後お断りします。
私はあなたにとって話のわかる人間でも、宗教マニアでもありません。
あなたのコメントは一通り目を通して、面白いことが書いてあるとは思いますが、
私の投稿内容に対して仰りたいことは最初の一文だけであるようです。
私の知見に異論があるならば、何よりも先に、あなたが私に述べたいことの趣旨、要点のみをまとめてここにコメントされますようお願いします。
簡潔にすますことが無理というなら、多少冗長的になっても問題はありません。
真摯に読ませていただきます。
ただ、ここで既にあなたがコメント内に残された物語にもまったく興味がわかなかったことを伝えさせていただきます。
そしてまた、あなたの引用されたそれらの話から、
宗教家たちは何を導こうとしてきたかを思うと、私はただ首を横に振るばかりです。
もう少し世界的な研究が進むとよいですね。
>2
1に対する直接的なコメントだと理解します。よってスルーさせていただきます。
1と同様、あなたもまた何を誰におっしゃりたいのか要点がつかめません。
私は性格的にはっきりとものを言う人を好みます。あなたもまたそうあるとよいのですが。
ただひとつ、あなたもまたこうした話に興味がおありのようですので、お聞きします。
イエスは「すべての人間に平等に光を見た」と聞いています。
この言葉の意味をあなたならどう理解されますでしょうか。
私が思うには、それはあなた方の世界の秩序を保つとされる、倫理観の基礎、
つまり悪名高き「善悪の概念」自体を問い質す言葉にも見て取れます。
あなたは前回、私の言った「魂とは創造性の塊」についてコメントされた方です。
私はあの投稿で「悪いこと」という言葉を用いていますが、
私自身は「悪い、だめ」といった言葉をほぼ使用しないと決めています。
それらの言葉はとっさに人に対して投げかけれるものですが、
その言葉を受けたものをみればわかるように、それら言葉は人の理解を通り越して、
その者の行動をただ停止するために使われていることが理解できます。
つまり、それは人の感性に響かない、理解できない類の言葉であるからです。
では、「悪い」「だめ」に換わる言葉として、あなたならどんな言葉を使おうとするでしょうか。
そこにある答えこそが、生命の基本的な倫理行動指針に適うものとしてあるはずです。
倫理観というものはキリスト生誕以前からすでに人々の中にあり、
つまり善悪の概念、そして原罪意識や罪悪感というものも存在していたということのようです。
つまり、私たちが使い慣れてきた概念、そしてそこから生まれた言葉自体に問題がある、ということが理解できます。
私たちがいくら貴重な装丁の本をうやうやしく持っていたとしても、中身がどうあれ、それを解釈する現代語自体が本質を覆い隠す可能性があるならば、私はそんなものはさっさと見限るべきだとだけ考えます。
そのことをよくよく踏まえず、自分たちが現時点で持ちうる理解の価値観の範疇で、
「神」「善」というものを言葉に捉えよう、解釈しなおそうとしても、
余計病理の汚染は広がるばかりのように思います。
さきほどのイエスの言葉にかんがみれば、あなたの理解する「聖者」の対にあたる存在に光がないということにもなりません。
それがわからないとするうちは、正しいものをもとめて、
正解を追い求めようとしていくのでしょうが、
それ自体、私はあなた方の言う「三毒に冒されていく行為だ」、とだけ伝えておきましょう。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/354.html#c7
1. アーリエル[13] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月28日 16:42:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[99]
>平 仮名冴門さま
人の本質はいつまでも子供であると私は思います。
そこに大人ぶった威厳が加わると、とんでもないことが起こってしまうというだけです。
私は進化論という学問もまた面白いと思います。
ただしそれをどう利用するかは別問題だということです。
大人であらねばならないという考え方は主に、危険視することと向き合ったときに起こります。つまりその本質は防御膜、鎧、覆い隠してしまうもの、それらに類する価値観を示します。
本来、人の生き方にはなんら間違ったことなど起こりません。
何をしてもよい、ただしかし、それらが人々を制圧することになってはならないだけです。
起きたことに対して、それが単に望ましいか、そうでないかを見極めることは実に簡単なことなのですから。
人々もそのようにして自然のほかの動植物たちと同じく、
望ましい事柄にだけ目を向けて進化していけるはずです。
自然の法則性から意図的に乖離されていると判断する人間の場合は、
自然な進化を促す法則作用を間接的に利用しています。
それは、価値観、心の働きを採用することによって得ています。
つまり、フィルターを通して、一旦ばらばらにした物事を改めて自分たちの価値観に解釈を置き換えて組み立て直すということをやっているわけです。
よって、そこでは当然、いかに純粋な心のあり方を保つことができるかが大事になってきます。
たとえば苦痛に耐えることが大人である、といった価値観があるとします。
本来なら、単に苦痛の原因を解消すれば、避けられる痛みを、
徒に大人っぽさを演出するためだけにわざわざ我慢し続けるということをしてしまいます。
その結果、頑張った大人の証だとして、
体に不要な病気の原因を溜め込むことにもつながるのです。
これは心の痛みを持つことで、罪悪感を無くそうとすることによる自傷行為も同じです。これは幼いときから、善悪の概念を押し付けられた子供に多く見られます。
つまり熱心な宗教活動家に多く見られるものでもあります。
子供もまた周囲の評価がそこに集まると理解すると、そうした部分を真似します。
よって、人の生き方とは何かを求めるなら、ただただ純真な心を持つ子供にのみそれを理解することができるとい言えると思います。
または、純粋な動物のたたずまいに習うほうが大きいといえるかもしれません。
現代においても子供たちは、そうして大人が発する道義的な物言い、つまり、
大人大人した価値観の中にもみくちゃにされているのが現状だと思いますが、
そこで自身の本質的な生命の躍動を生き方にマッチさせることができなくなれば、
すぐに自律神経の失調を引き起こします。
本質的な生命の躍動、喜びの流れをせき止められれば、当然頻繁に起こりうるもので、
それは頭での理解が肌感覚の理解をかき乱しているせいでもあるでしょう。
そしてその混乱は人々から表情を奪います。
無表情になるほどに、感情的に蓄積された混乱は、表面的な行動として外に現れてしまいます。
人々から笑顔が消えれば、とんでもないことが起こるということです。
人間からその本質的な生命の躍動と切り離すような措置はすべきではありません。
危なげなく子を育てたいと思うのであれば、自然な性質を不審に思うのはやめて、
喜びとその楽しみを共感する力を伸ばすために、ただその流れの方向性を与えてやればよいだけです。
つまり、今やっていることが肌の感覚に望ましいと伝えられているかどうかをきちんと問い、感覚的に理解させるのです。それが正しいこととマッチすることだと認識させるのです。
大人は頭で理解するもののみに心を奪われて、体裁だけを気にし、
一般的な価値観にのみ沿って、間違っていると判断できることには、
ただ制限を与えればよいとだけ考えるようになっています。
そこに正しいといえることはありません。
自然界あらゆるものに対して人間独自の価値観を採用し、
そのように人間ご都合主義に振舞っている現状を見直すことは急務の課題です。
本来、子供は夢中になれるものを見つけたら、あとはわき目も振らずまい進します。
子供たちが何かをするのは、誰かの笑顔のためであり、それは大人の価値観や尺度で否定したり介入することはできません。
そのエネルギーをきちんと誰もが肌感覚で理解することが大事です。
このことはとてつもなく重要なことです。
私たちも本質は子供たち同様にいつまでも純真で無垢なままの存在として存在します。
子供たちはそれを見極めています。ですから無理せず、楽しんでいきたいものですね。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/355.html#c1
2. アーリエル[14] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月28日 22:47:45 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[100]
>1
あなたは面白おかしい人ですね。
長々と書いていただいて申し訳ないが、私には必要ないよ。
私は仏教用語としての厳密な意味や解釈を日常会話で求めはしない。
だが、私はそれらの言葉の意味を知っているよ。
それらはあなたと問答するためにあるわけでもないことをね。
あなたは鏡に自分の顔を映して、自身の目を覗いてみたらどうだろう。
そこに光明があるかどうかわかるだろう。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/356.html#c2
7. アーリエル[15] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月29日 15:15:55 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[101]
>2
ご無沙汰してます・・ですかね。
いま、あらゆる社会の枠組み、価値観の見直し、建て直しが生まれているのではないでしょうか。
義務教育なんてものは必要ないと思いますね。
社会に出る前段階の子供たちの社会生活の場としてみても、
今の大人の社会同様に、暗くゆがんだ社会性もまた、
そのまま生き写しであるようにも感じます。周囲の大人を見て育つのですから、当然だといえますが。
私がもし現在不登校中の子供を育てている親なら、自分の子供の感性と自分で選んだ人生にただ惚れ惚れするかもしれない。
その上できちんと学校で何がしたかったのか聞いてあげることが必要かもしれない。
その子供もまた自分の理解度を頼りに生きている。
そして自分の持つ価値観を確かめようとしている。
またそこに自分らしさを得ようとしている。周囲に合わせようともしている。
けれどもそれでいて、その子は周囲とのずれや温度差を確信している。
息苦しさを覚えている。そして自分の世界を閉じてしまいそうにもなっている。
どれほどの強さを秘めた子かと思う。
ならば、もっとその価値観を活かせる世界に飛び出して生きてみるのが私は正解だと思う。
義務教育の現場など、振り返ってみてどの程度のものかと思う。
私はその力、つまり子供の感性は世界全体にとっての自浄的作用であると信じている。
現社会はその声を大事にしていない。金枠からはみ出すものは無視され隠されてしまおうとする。
その現状をいつまでも放置しておくわけにはいかないと感じる。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/355.html#c7
27. アーリエル[16] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月29日 17:24:26 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[102]
>10
>イエスは「すべての人間に平等に光を見た」と聞いています。
>この言葉の意味をあなたならどう理解されますでしょうか。
すみません。これはあなたへの問いではないです。
>11
真摯に上記の私の問いに向き合い、答えていただいてありがとうございます。
まあ、あなたも道元氏の言われる文言をお出しになられるのでしたら、
ほどほどにのめりこむ事をお勧めいたします。
そのうち、これに関連した新しい投稿をするかもしれません。
↓ ↓
「”場”と”空間”:知覚による情報のやりとり」とでも表題を予定していますが、
そこで私からのあなたへ対する納得できる答えを見つけていただきたいと思っています。
ですが、すでに答えていただいたあなたの声にはテキパキと返答しておきたいと思います。
では早速。
> これにかんして、私なりの解釈は
> @イエスと釈迦は 聖者であり真理、覚りに達しておられるので、同様な考え方を
> されている、 つまり、他人と自分を区別しない、平等観をもっておられる。
あなたはそこで、”平等観”という言葉を出しておられますので、
そうした「”なんらかの価値観”に沿って、彼らはそのような判断を下している」、
と、あなたに理解されているということがわかります。
そしてまたその回答は、一般には模範的とされる解釈に沿って返答されているものだということと理解します。
仮に、それがあなたの現時点での「解釈」なのだとしましょう。
そしてあなたは、「では私も真似してみよう」と、
その解釈のとおりに実践に移そうと試みるわけです。
・・ところが、そこであなたは「そんなことはやっぱり無理だ」となってしまうということでしょうか。
そして、あなたが「聖人と凡人」とを区分けしたくなる理由はここにある、ということだと理解します。
あなたが「自身に解釈された価値観」どおりにいくら実践しようとしても、
あなたがそれ以前にすでに持っていた「別の価値観」が、
あなたが新しく受け入れようとする価値観に対して異論を唱える(邪魔する)、というわけですよね。
おもしろいですよね。単にそこには、そもそも自分で自分を蔑んでいるとしか思えない構図が浮かび上がります。
あなたはほかの多くの方々と同じように、何かに”依存的な性質が強い”ということがわかります。
凡人という言葉に示される存在も、聖人の対称にあるとするも、それはそれで特別な存在価値を持ちます。
けれども両者はけして、対立している間柄であるわけではないですよね。
まずは何よりそこで大事なのは、あなた自身がその「価値観」を必要としているかどうかではないですか?
あなたもまた、無理やりなんらかの義務を自身に果たさせようとだけする、
半ば、強制的な支配観の中に息苦しく生きてきた記憶があるように私は感じています。
>「善と悪」 凡人と聖者では判断がちがってきます、多分
> 凡人(私をふくめて)は自分に都合のよいことが善 でその反対は悪
> と考えたがる。自分中心です大体は。
あなたは自分を”凡人”としているので、「自己中心です大体は。」のこの言葉は、
これは自己嫌悪することになりながらも、そこから抜け出して、その”凡人”批判も同時にしています。
なんでも都合よくひっくり返して全の反対にあるものを敵対視(悪と標榜する)、
という判断指針(善悪の概念)は、
白(人)が善なら黒(人)は悪、といった、なんとも不条理な価値観をたくさん生む原因ともなりました。
昼働くことが正しくて、夜働くことはいかがわしいといったものも、
色が黒いと健康的で、色が白いと不健康といったものも、
そうした「無思考による判断による理解」の業のなせるものです。
そのようにすべての判断、そしてまたその判断により下される結論とは、
何かしら必ず「価値観」とするフィルターを通して得られるものであるはずです。
聖人と謳われる彼らも、凡人と揶揄するあなた方も、互いに肉体を持っている間は、
そこには共有した資質として肉体的感覚、また同質の知覚を通して、
情報を共有したり、コミュニケーションによるつながりを得る間柄にあります。
であるからには、そこにおける本質はまったく同じであるということです。
では何が違うのかと考えたときに、あなたは価値観が違うといっておられるわけです。
そしてそれは価値観を駆使するという部分では正解ともいえます。
しかし、彼らの伝えようとしていることは、あなた方にとって未知なる概念であることを忘れないでください。
(つまり、あなた方の常識や概念、そして価値観によって、
自然にあるものの姿をひどく歪んで見ているのです)
相手の価値観を理解し、共有したうえで、彼らは、あなた方の理解力に応じた答えを見つけ出し、
それを伝えようとしているのです。→方便の必要性
彼ら(聖人とされる人々)の多くは教えを説く際によく比喩を使います。
なぜなら既存の人間的な価値観や概念を避ける必要があるからです。
→誤認識、誤解釈させないため
(つまりそうしないかぎり伝えることすら難しい、
人々が理解できていない未知の概念というものを)そうして伝えようと試みているのです。
方便により伝えられるものは、その概念の本質です。
それを聞く側の想像性が試されることにもなります。
(ここに理解できることは、私たちは新たなツールとして未知の概念や知識を手にする挑戦を
常に嬉々として自身の中に見出すべきだということです。)
彼らの為した事とはあなた方の価値観にとって、驚くべき奇跡と映るのですが、
それは科学分野から一歩たりとも外へ出ないものです。
よって彼らの奇跡とは、現人類の現行の科学知識で単に認識されていないだけで、
自然界に当たり前に存在する無視されている恩恵とすべきものに対して、
意識を促すための気づきを与えようとしていただけだということが理解できるはずです。
凡人とは、ある特定の価値観に依存的になることにより、そこに属さないものを一切認識せず、
そのことで、そこにあるはずの恩恵をすべて無視してしまっていいるということです。
→驕りの宗教、自惚れの科学、人間都合主義
そして聖人とされる部類の存在とは、
自然界に「単なる自然な存在価値であるもの」、そしてそれらの恩恵に対しての気づきを
促そうとしていたに過ぎないということが理解できます。
しかし先ほどの価値観の話に戻れば、
彼らはそこで、人々と同様の価値観を用いて、人々と同じ「判断」はしたかということですが、
「判断」まではしていたとしても、そのことによる「結論」は一切していなかったとみるべきです。
悪というものを認識し、それを敵視せよなどとは一切教えていないはずですから。
つまり、パウロと日蓮はそこから外れてしまいすね。
しかし考えてみれば、当時の混乱を極めた時代において育った人々の理解度に合わせれば、
善悪の概念を用いるほかなかったと判断してしまったわけです。
もちろんそれは誤りだったと彼らは理解しているはずですが、人々はその価値観に依存していた。
そして人々がそれを求めたのです。
ですから、その時代はそこに理解しやすい方便ツールを用いるほかなかったわけです。
しかし、彼らはその善悪の概念を使ったとしても、
つまりそのツール自体をまったく評価していないと見るべきだというのが私の見解でもあります。
また彼らもそこに同意するでしょう。
つまり、優れているとする教師が、いかに真理とするもの、
つまり世界がいかにして存在するかを方便を用いてこれまでこの世界に現れて大なり小なり伝えてきたとしても、
それを書きとめて解釈する側の人間が、原理だけを守り、善悪の概念だけにずっと依存してきたとすれば、
根本的な解釈の誤りはいつまでも見直される機会を得ず、以後もそのまま、ずっと誤りのまま伝えられ続けるだけとなります。
よって私もまた、宗教は要らないと強く言うわけです。惰性でこのまま続けても何も意味しませんし、世界はますます混乱していくだけでしょう。
すみません。思いのほか長くなってしまいました。
さらにこの三倍もの文量が控えています。
いったん、ここで止めて、別投稿にしたいと思います。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/354.html#c27
34. アーリエル[17] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月30日 01:50:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[103]
>nakid
まあ、あなたが何を言おうがわめこうが私はかまいませんよ。
こうしてあなたのおかげて注目を浴びるだけ、好都合です。
満足のいくまでどうぞ好きなだけおつづけなさいませ。
別にあなたの言っていることを私は否定してはいませんよ。
多様性が花開く中において、さまざまな比較対象は当然必要です。
そしてあなたがいくら私の拙い駄文を批判したところで、
私は痛くもかゆくも感じていません。
相手にしていただいて恐縮です。そしてお気に召さぬようで何よりです。
>ドクトル88
あなたは随分賢い方ですね。
なにやら信頼がもてる感じがします。
ちょっとさぼっておりますが、のちほど上げますので、
お時間が許せば、続きをぜひ読んでいただければと思います。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/354.html#c34
15. アーリエル[18] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月30日 14:41:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[104]
>8
業界の後ろ盾のことをいっているのですかね?
それとは違いますが、どんなサークルであってもそこであった仲間は不思議と縁が深いといった感慨は確かに私にもあります。
>おねいさんへ
>義務教育に関して
「必要ない」とする部分とはあなたの意見に寄り添います。
それは、制度そのものに対していっているわけではないからです。
教育とはそれを受ける側をさして「与えられるもの」としますが、
自ら進んで吸収していく中で実質的な学びとは得られるものですよね。
「選択肢」がないとする部分では「義務」であり、
それ以外は選択肢があるとしますが、自由度がないと感じるのは間違いないと思います。
選択教科を選ぶということに対しても、やはり自由度は著しく低いと思います。
未来に何をしたいかがまず彼らに明確なビジョンとしてなければ、
そこにただありていの教科を並べても、何も身につくはずはありません。
はっきりいえば、教師という職のあり方が問われるのです。
そうした彼らにとってふさわしい存在としての役割が必要だと思います。
ただ教科内容を叩き込むだけのつながりでは抵抗が生まれるだけです。
すべて「義務」という言葉に問題は凝縮されているように感じます。
時に情操教育にとってもさまざまな弊害となる資質をもそこにはらんでいるといえるでしょう。
つまり、押しつけがましい国の教育基準となるもの自体、彼らを差別的な生き物に変える性質わもつのです。そうしたものはあるべきではないと私は思います。
まずは彼ら独自に自分たちに何が必要かを見極める目を持たせ、それを建設的な方向へと教育者であるものが促し、そのまま伸ばしてやれるということがふさわしい教育であると私は理解しています。
そのことをまず先に伝えて、あなたの意見に全般同意する旨もここに伝えます。
aerial
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/355.html#c15
36. アーリエル[19] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月30日 17:31:15 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[105]
>35
・・・ともかく、あなたのことは信頼に足ると理解しました。
今後気軽に私に至らない点や質問があれば、その箇所を抜き出して質問してください。
私がそれに気づいた限りにおいて返信させていただきます。
nakidを擁護するわけではないのですが、ただ、心理療法かは存じませんが、ヒーリング効果とはすべて「催眠療法」の原理で行われています。
つまり、「そのものが自身を治している」のです。
ヒーラー側に、それを促す技術があるということです。
このことは現代医療にも同じことが当てはまると言えます。
さらにいえば、ジャングルの奥地のシャーマンの儀式、
あらゆる厄払い、すべてそのような働きによる、といえます。
nakid曰く、「かつて人間は現代よりも単純だった・・」とするのは何も間違っていないと思います。そのことで恩恵を受けていたといえば聞こえはいいでしょう。
それ自身の”場”についての解釈を理解すればなぞは解けます。
あなたの理解する仏陀はそのセンスに恵まれていたということだと思います。
催眠は術者と被験者の療法のセンスと相性が大きく関係します。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/354.html#c36
37. アーリエル[20] g0GBW4OKg0eDiw 2016年4月30日 21:00:02 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[106]
>dr88
すでにあなたは自分に必要な理解には十分に到達されて、ご自身そこに納得されているように感じうけます。
私も他者の価値観に対して、共感はしても、関与しなくていい話題にまで、
積極的に関与しようといった暇は持ち合わせておりませんので、
私の返信とする文がもし、読むのが苦痛だな、と感じるなら、即スルーされて結構です。
これは何もあなたの価値観を破壊しようといったことが目的で書かれているわけではありません。
ただ、あなたが興味を持ってこの話題に積極的に関心を持つというなら、
それに答えようというだけのことです。それゆえに、私も楽しんで書かせていただいております。よって、私は自己中心的に、自分中心にいて、
文章を書き上げた時点の段階で、すでに十分私は利とするものを得ております。
まずはそのことを前置きしつつ、つづきを新しい投稿のなかに混ぜ込んで書くことにします。
6. 2016年5月01日 00:07:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[107]
わたしはやっぱりイマジンがいいなぁ。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/347.html#c6
7. 2016年5月01日 00:11:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[108]
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/347.html#c7
21. アーリエル[21] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月01日 14:36:12 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[109]
まぁ、ともかく、これからの世代(子供たち)が自分たちの理解をもって、
社会を変えていくと思いますし、そこには当然私たちも頼まれれば加勢したいと考えますが、
自分たちの世代で得たことだけを押し付けることはやめたいと考えます。
→義務感への抵抗とはそのような押し付けに対して身構えることにより生まれますが、
それは裏を返せば、期待に答えなければならないという思いの表れです。
よって、そこには単に、「逃げるな、けれど戦うひつようもない」とだけ伝えればよいと考えます。
ただ、自分が正しいと思うことのみを行動に起こせばそれでいいと思っています。
社会を俯瞰することで問題視することにぶつかっても、
そこから建設的な議論へむけては、常に希望観測を含めた見解を導いていきたいところです。
本質的には自然の秩序性とは、環境保全、全体のバランスを保つ働きであるということと理解できますが、
その働きを人間社会に当てはめて考えれば、当然義務感という言葉の性質は、
不自然な様相を示すものと感じられます。
もちろん、人間がそれを採用してみようと決めたわけですから、そこに一旦は従ってみることに異論はありません。
けれど、そこで新たにどういう結論が生まれるかは別の話ですので、
一度できたものだからというだけで、改善の余地があるのにもかかわらず、それを押し通すだけということには異を唱えます。
それは安保法案に対しても同様のことが言えるのであり、それが全体にとって芳しくない結果を招くものだと感じる時点で、それはすぐにでも改善されるべきものです。
つまり、義務というものについても、法案といったものに関しても、権限といったものがそこに付随してきます。
言葉に重圧が掛けられていると感じられるというのは、そこに、
自然にあってしかるはずの柔軟性というものが欠けているのです。
千と千尋を言うのであれば、劇中のサイン(契約/盟約)といった実際は何の効力もないものに人々は(自ら)魔法を掛けられて縛られていくというシーンがそれです。
脱線しますが、私は安保法案は災害の緊急性にのみ対応する、限定的なものとして必要性を感じますが、もちろん全体として反対する立場のものです。
戦争は人災であり、それを回避するには別の方法があるのであり、そのことを無視することにつながるものだと考えるからです。
天災による被災も人災による被災も、そこには緊急対策が必要ですが、現行の法案がその働きを阻害するものであるというのは考えられません。
あるに越したことはないという考えももてません。
今回の安保法案に関しては、その適用範囲のあいまいさが問題視できる部分であるわけですが、人々の間にある認識のズレをついたもので、その隙間をついて、権力の横暴性が見え隠れしているということには単純に薄気味悪いといった感覚を得ています。
人々がどう存在するかに対しては、全体の人々、社会全体が責任を持つことになります。
ですから、一部の権力機構だけに物事が単純に動かされてしまうというあり方は全体に問われてしかるべきです。
話を戻せば、基本人々は、そうした不自然な要素の一切を必要とせずとも、
きちんとその本能を発揮するものだということを今後学んでいく機会に恵まれていくと考えており、私もまたわずかでも及ばずながら、そこに携わりたいと考えます。
自然に習えば、「全体性としての人々」とは、上も下もなく自然に触れ合い、
常に誰かとの均一的なバランスの兼ね合いを感じる中にて、
自らその場に必要とするものを互いに補い合う、そうした働きを示していくことのできる存在であると考えます。そして現行の社会性がそれを単に阻害しているとも考えています。
ですから、義務という法的な権限の下に、特定の個人に限定して責任の一切を付与し、
そこに絶対的な義務と称する働きを与えるだけというのは、
この自然な法則性への解釈を限定したものに変えてしまっているだけになると思っているのです。
子供時分には、そうした解釈まで理解できないとするのでしょうが、
当然そのための教育とはそうして社会全体でまかなっていかなくてはなりません。
赤ん坊のときは、もちろん周囲の大人の保護を利用するほかないのですが、
現在の大人の解釈とは、単にその限定された期間で得た「保護の必要性」というものを
子供の扱い方全般に拡大(延長)して適用しているのであって、
その認識を少し変えて、もっと実質的な教育理念をもって、
子供たちには自然な価値観というもの、単なる宗教的、
また道義的な価値観や善悪の倫理観を押し付けるだけではなく、
方法としてもっと自然の感性に触れさせ、そこに理解できるものをともに見つけ出してあげるという作業が必要かと思います。
そこにあるのは”義務”と呼ぶようなものではなく、
理性の外側に意味される「自然な役割」という様相であると思います。
そうしたことから教育とは、教鞭をとるものが大人ぶる環境を作ることではなく、
単に親元や周囲から愛情が注がれる環境を作りもすればよいということになるはずですが、
ある意味、大人たちの用意した枠組みを外れて、
勝手に社会性を吸収して子供たちは育つのですから、
これまでの人間的理解が想像で作り上げた価値観をいますぐはずしても、
たいした差はないと考えます。
現行の社会におけるあらゆる事業の成立は、本質的な生命倫理を破壊しつくした上に存在しますから、
その逆も当然生まれることになるだろうと思います。
けれどもそれらを分解しても、すぐに必要なものは新たに組み立てられるとも理解しますし、
自然に沿った考えの下に沿うのですから、時間もかからず、スピーディに物事は進んでいくでしょう。
現在のように、すべてが法の言葉の権限の基に、
あらゆる活動の自由性が制限されているというのは、
私は真の自立のための教育から、大人も子供も、
目を逸らし続けることにしかなっていないと考えています。
単に事件を起こした子供を刑法の低年齢科へ適用するか否か、
というような貧しい人間的感性をさらけ出す話題にしかならないというのは、
如何に現行の社会性が歪んでしまっているかを如実に示すものだと理解します。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/355.html#c21
8. 2016年5月01日 16:44:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[110]
数字では確認できないことだが、実質的な共産党支持者は多い。
これまでも民主を支えてきた支持票の割合の多数は、
「隠れ」ともいえる共産党支持者からの得票である。
そのことを考えれば、今回の共産とのタッグはすんなり受け入れられているのは当然のことである。
http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/383.html#c8
49. アーリエル[22] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月01日 22:21:44 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[111]
私の立場を改めてここに明示するならば、厳格に「宗教は必要ない」という立場であり、
形式ばった秘儀や儀式といったものになんら関心もありません。
誰かにそれが必要だととも私は理解しません。必要ないものは必要ないものでしかありません。
ですが、それぞれの宗門にて、喧騒の街中にほっとする場所が現代において存在し、
人々は心の安寧を目的としてその価値観を利用しているということをも理解します。
そうしたあり方に限定してあるならば、そこには一言も誰も文句などないものでしょう。
あなた方の不安や疑念は不透明であるものに対してであり、
そこに改めて、すべてを開示する必要性を感じることによるものでしょう。
あ、それから、宗教が必要ないとすることが、=神などいない、また要らない、
とするような意見となる訳ではない、ということもここに伝えておくこととします。
そのことはまったく別の話です。
>38
「パウロの失敗」とする部分とは、舌足らずであったと反省します。
→宗教というものを確立させてしまったことにあります。
改めて感想を漏らすなら、あなた方の求めてきた価値観、
また世界とは実に狭量的なものだと感じます。
あなた方がそこに魅力を感じるというならそれを続ければよいことで、
関心のない私にはまったくそれらは関係しないことです。
ただそれだけです。
私が述べたことは、事実として、それを理解するものは同様のソースから得ています。
それらはすでに私の生まれる以前に世界中に拡散されているものです。
この流れで仏教界についてまで語るつもりはないですが、
あなたの抱え持つ不安は多くの人間が抱えるものと同様と理解します。
しかし、それはあなた御自身の問題であり、解決する者もあなた以外ないはずです。
そうした質問こそ、nakidに打診すればよろしいでしょう。
あらゆる不安は解消することができます。
その力はあなたにもあるのですよ?
その力のことを私はここで言って居るつもりです。
「結局、誰もが無知である」とした見解に落ち着こうとする者は、
自身の無力さや決断力の乏しさを、同じ姿を他者に見出すことで、
自身に正当性を与えたり、納得させようとしているだけです。
ただ俯瞰から全体を眺めてみればよろしいのです。
私の投稿に関心がなければ、ただ離れるのがよろしいのです。
誰に依存せずとも、必要とされる気づきは誰のもとにも必ず訪れます。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/354.html#c49
1. アーリエル[23] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月02日 00:04:12 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[112]
*キリストの物語とは、その当時の人類の意識(地球意識)が勧請(要請)したものだということ。
人類の意識がひとつの大きな泡の塊ようなものだとすれば、キリスト意識は、
より遥かに多様なさまざまな概念的体系での経験を経て、
人類より遥かに豊富な経験と知識と精神性が集った老齢なる意識、ということになるだろう。
(すべては同時的に存在するということだが、)
人類の泡がその老齢なる巨大な泡に接する時はこれまでも、そしてこれからも、
周期的にあると考えることができる。
その人類である泡に、教師としての泡が接する時、地球には偉大な教師が誕生する。
そのとき、それまでになかった新たな概念が人類に贈与される。
キリストの物語に三人の役割が必要だったのは、
その魂の巨大さにも比例されることだが、
上演される物語が(当時の)人類の許容範疇(尺度)に収まらない、
壮大なものであったからだということとも理解できる。
ひとつの意識は三つに分かれて、それぞれ、その土地とそれぞれの時代背景を要したのである。
そして、私の知る限り、これもまた知る者は知る周知の事実として、
空海と日蓮もまた同様の条件下に生まれたひとつの教師的魂であったということである。
(パウロと日蓮が似ているといったのはこのことを含んでいたため)
これまでもキリストは時代と場所を変えて、規模の大小はあるが、
そのドラマ以前も、それ以後もこの地球上に現れ、人々に必要とするドラマが上演される予定である。
そして最寄の上演は既に始まっていると見ることができる。
+ + + + + + + + + + + + +
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/358.html#c1
56. アーリエル[24] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月02日 15:20:58 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[113]
>55
基本的にあなたの言動は誤解を生みやすいのだと考えるが、それは私も同様のものだろう。
よくよく読んでみるとあなたの考えと私の考えは基本的に構造は同じのようである。
>50
かつての私はあなたのようにあった時も確かにあるといえるし、あなたのその不安と怒りという感情の出所を理解するが、今はっきりといえることは、そのときの考え、そしてそこから生まれる感情は自分に何も生まない。つまり、自分に偽善的であったということだ。
あなたの崇拝するものを大事にするあまり、自身のきづきをおろそかにすることはない。あなたにもし、敬うべきすばらしい恩師がいるというなら、あなたが自分を裏切ってでも、自分の足で、自分の心で、わが道を確かなものとして歩んでいくことを望み、そして頼もしく思うだろう。
狭義に生きることなかれ。
あなたは今のあなたの生き方にしたがっていけばそれでよい。だが、それで人を巻き込む必要はない。あなたにもきっと理解できるときが来る。
そして私たちの言うことが誤りだというなら、それはそれでいいではないか。
何も人々は自分の信じる道を自分で模索すべきものであり、あなたが誰かの無知さに頭を抱えている必要はないのである。
勧誘をしているつもりでもなければ、私はあるゆる宗門も持たない。
営業マンとしては私は力を発揮するだろうが、自社の特定の商品だけを売り込んだりはしない。
利益にもならないことを理解しながら、私は自然に体のよいものだけを人に勧めて、そしてその会社を自ら辞めるだろう。というか実際そうしてきたのが私だ。
私はどこまでも自分に正直にあるだろう。なぜそこに恥を感じることがあるだろうか。笑うものには笑わせておけばよいだけだ。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/354.html#c56
57. アーリエル[25] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月02日 15:30:53 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[114]
失礼。
>55は「>54」の誤り。
>55に対しては特になし。
つまりnakagawake宛て。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/354.html#c57
14. 2016年5月02日 18:48:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[115]
>おじゃまんが
支離滅裂。
自民の幹部らには、直接コネがあるんだろう。オスプレイ押し売り産業と。
http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/368.html#c14
4. アーリエル[26] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月02日 19:33:42 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[116]
>nakid
あなたの知識とするものは中身がない。本質がごっそり抜けている。
そして私への反論になっていない。ただの拒否反応しかみせていない。
それは、もちろんあなただけではないが。
だが、その反応は大方、誰もが正解とみなすだろう。
私は誰かに気に入られようとしてこれを書いているわけではないので、勘違いしないでほしい。
あなた方を脅かすものでないと知るのなら、何も恐れることはない。
これはあなた方を驚かすことになるとは思うが、怯えさせるために書かれているのではないのだから。
まあ、いずれあなたも知ることになる。そのときが楽しみだ。
その時は人々のために本当に必要とされる力であってほしい。
もっと素直に自分をさらけ出したほうがいい。とアドバイスだけしておこう。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/358.html#c4
3. アーリエル[27] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月03日 13:13:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[117]
あなた方に足りていないのは根本的な理解、それは存在の本質への理解だ。
そもそもあなた方に説いて聞かせようなどとするほどの大層な話はここにはない。
あなた方が知ることができるものとは、自分自身のことでしかない。
そしてそれを知る時、あなたは自身にただ素直なあり方を取り戻す、
ということをただ伝えたいだけである。
あなた方はそれを無防備で危険なことだと認識する。
たとえば、知識がなければ、人にだまされたり、あらぬ宗教に属して、被害を受けたり、最後的には人々を戦争に駆り立てたりするというようなことを想像してまで危惧し、人を引き止める。
そして「正しいもの」だけを人は持つべきで、
それは与えてやらなければならないとして、論理的な正当性までを自分に与えようとする。
そこに誤りが生まれているということだ。
そして、ここにあるのは実に単純な理解だ。
単にそれで足りるものをあなた方はわざわざ避けている。
つまりそこにあるのはそれぞれの個人が持つ、
自身の価値観による行動、その正当性の上塗りのための行為でしかない。
私がいっていることとは、
あなたが自然な存在として、誰に対しても自分の心を開放してそこに向き合うなら、
あなたの中に光明は見出されるというだけのことに過ぎない。
ということだけである。
言葉は要らない。心に感じるものをただ望ましいとする自分の力と見て、
実行に移すということだけでいい。
鏡を使って自分の目を見て感じてみればいい。
あなたに対峙するのはあなた自身だけである。
外側の知識とするものに対して執着があるのは、
あなたがたの概念化に生まれた多くの思い込みによるものであり、
そうした執着を手放せないうちは、あなた方もまたひとつの正義に燃える僧兵として、
そこにある概念の手先としてその砦をただ守ろうとして動くことになるたけだ。
そこにある教義、イニシエーション、戒律、立法、
さまざまな制約じみた威厳があなた方を囲い、
そこであなた方は自身の存在本質をますます見誤る。
あなた方の本質とは、あらゆる概念下の影響から自由である。
あなたはあなたの”場”を持ち、そこに存在し、そこであなたの必要とされているものはすべて得ることができる。
あらゆる判断のために得られる知識は、
あなたがその自然性を自覚したあとでいつでも手に入るものだ。
だがその時には、求めていたとするそれらのものは、
もはやなんの魅力も価値もないものになっているということになるはずである。
人間的な概念に依存しているうちは、
そこにある思想、想念、感情、さまざまなものに取り憑かれる。
それはそれでよいことだ。
だがそこからどうするかがあなたの課題であり、
あなた方はそこで感じたことにたいして考え、それらが自分たちに適合するかどうか、
そしてまた自分たちとはどうありたいのか、どう変わっていきたいかの想いを明確にすることで、進化の道のりに足を踏み込むことができる。
あなた方は常に、先に出会うものすべての答えを知っているが、
あくまでそれをここで知らないとすることで、その想いに得た力の働きを
この概念体系の世界に反映させることになるのである。
頭で理解するのは、そのような理解だけでいい。
要は素直に感じ、素直にその想いの力を発揮するということだけが肝要であり、
意識の中心に自身を迷わせるものはいらないということである。
あなた方世代が、単に次の世代の種子を刺激して、その成長を促進させる役割でしかないとするならそれはそれでけっこうなことだ。
あらゆるものすべては無駄にならない。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/359.html#c3
4. アーリエル[28] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月03日 15:04:06 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[118]
>2
言葉足らずにその害毒にまで口をはさんで他者に危険喚起していながら、
その蛇口から垂れ流れた情報に自らを汚染させることにどれたけの意味があるのかは理解できません。
(まあ、言葉足らずなのは自分の書いた本文を見て反省しきりの私も同じですが)
人の自然な感性が、絶えず、そうして刺激に対する耐性を得ようとする行為の陰に
麻痺していく一方であるとするなら、そこには当然、
「(不自然な)人間の価値としての判断指針が必要だ」、といった意見が幅を利かせるようになります。
あらゆる刺激的な事象に興味があるなら、それは個人の判断で追いかけられればよいとは思いますが、
上記の理由から、それらを率先して拡散すべきことに意義があるとはわずかにも思いません。
自分の行動には誰もが後ろ盾や力添えをほしがるものですが、
そのこと自体が自分の力となるわけでもなく、
また自身の存在性に対して、なんらかの正当性を与えることになる訳でもありません。
あなたが自身のとる行動を本心でははっきりと望んでいないと気づいているのなら、
そこには「自制」する働きが足りていないということになります。
そもそも、自然界に存在する力の働きをそのまま伝えるものとして、
言葉というものもまたそこに”その存在性”を示すものであるはずですが、
例えば、「無」や「中心」、「ゼロ」というものは存在しないけれども、
人々の頭の中に何かを描く時に必要な、基準というものをとりわけ理解するために存在するわけです。
「力」という言葉も、概念的なもので、「物理的な力」もあれば、「愛の力」もまたそこにはあるわけです。
人々は、この概念を利用して言葉の論理性というものを展開し、
自然界には存在しない力の働きさえも、さも実在するかのように見せかけることができます。
政治的論理、社会性を背景として出来上がったあらゆる法的根拠などとして使われている言葉はほぼ概念の乱用です。
そこに人々の自然性、つまり言ってみれば、
「自然な善性の働き」をも閉じ込めてしまうものでしかありません。
あなたが、本来望んでいることに対してそれを自制する働きや、
またそのための道理などもあなたの存在性の中に必要とはされていないはずですが、
人々は「人を制する必要性」を常に感じるのは、
言葉の持つ「論理的拘束力」の働きに魅力を感じることに加えて、
その力を守ろうとする意識によるものです。
恥や罪悪感といった価値観を利用してまで、人々を自制するよう促したり、
考えを改めさせるといった働きかけをしたりしますが、実際的にそこにはなんら力はありません。
これは人々を「自制する必要性の認識」による論理性といえますが、
自制すべきと認識する場において、それが果たせないことによる悔やみがそこに拍車をかけます。
しかし、本来ならばそれは、それぞれがそうした場に臨んだとき、
「それをすることを本当に自身が望んでいるのかどうか」をただ自身の胸に問えば、
そこに感覚的に、感覚的に理解されるものであるのです。
そしてそれは雑多な価値観を用いて、そこに照らし合わせて「その行為の正当性を得る」ということではなしに、
自然な感性の元に直接的に理解していなければならないものです。
あなた方の知る教義とするものが如何に制約に満ちたものかは見れば理解できますが、
それらの内容が宗派ごとに違うといったことに関しては、なんらおかしなことはありません。
人々には宗教を必要とする正当性としてのものが、きちんとあるのです。
それは現代社会における法律や規則となんら変わらないものです。
そこで人々が抱いている考えがそれら社会性を生んでいるのです。
つまり本質的に「自身を支配する必要性」というものを信じているためにそれは起こります。
つまり、人間批判を繰り返すものを中心に多く見られることですが、自己批判、他宗差別、すべて、
根本的な問題はそれぞれの個人の問題とするところに収まります。
現在必要とするとした社会依存の論拠となるものとは、
「人々の無知さによる横暴性=無価値な存在性=支配する必要性」を中心として生まれた、
危険性の回避に集約されており、当然そこには、悪(危険視されるもの)が栄えることへの不安があり、
そうした対立の構図が人々のアイデンティティとして生き続けることになります。
本質的にそうしたデータは誤っているといえ、
それらがずっと今日まで一人歩きしてきたのが現状だと言わざるを得ないものです。
あなた方が人々を不安視する原因となるものは、
そうした物事へのきちんとした把握力と対応力、そして自制心がないとすることへの苛立ちから生まれています。
ともかく、そうして外側にある脅威とは、すべてそれぞれの個人の場において形成されており、
外側に感じられる問題、またその原因とはすべて、それぞれ個人的に抱える問題が投影されているに過ぎません。
外側の問題を解消しようと努力するのではなく、それぞれが自分に素直に向き合って、
自分の中身を変えることによって、また外側もそのことで改善されていくに過ぎないということです。
逃げていても何もならないということです。
しかしながら御幣があるとまた言葉足らずになってしまうのでいいますが、
「戦うこともしない」ということです。
ただ望みとするもののみに集中して、人々がその想いをひとつにしていけば、
おのずとすべてはリンクして大きなうねりとなり、新しい時代を呼び込む働きとなります。
不安視することによる心の働きとは、あなたの存在する場において、
それら望みの実現を阻害する抵抗力にしかならない、ということです。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/359.html#c4
30. アーリエル[29] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月06日 16:50:44 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[119]
>27
あなたの議論の意図するところは理解しています。
しかし、危惧、懸念が先にたてば、冷静な判断を欠くことでしょう。
人々に「求められているもの」が明確に理解できるのならば、
その必要性は実現化にむけて議論されるものであるでしよう。それは当然の話です。
今回出てきた問題の山は、長らく鬱積してきた、
この国の国民性を現す、精神性の土台をなしてきたものであるはずです。
そこにおいて必要な議論をきちんと終えたとき、
28で書かれた後半の部分が実現に向けて運び出すこととなるはずです。
そこにおいて議論となるものとは、変えていく必要性あるものは変え、
その必要性のないものに関しては変えなくてもいいとするだけの話です。
当たり前にそのスタンスで物事を見ていけば、ただよいだけのことでしょう。
もちろん、いつ、どのようにしてそれら「必要性」が、
多くの人々に観念的に刷り込まれてきたかについては言及する余地が十分に有ります。
ですが、本質部分においては、国民ひとりひとりにその事に対する立場を表明し、意見する責任(権利)はあるものです。
一連の問題の要点となる部分とは、件の懸念となる部分であり、
それは安保法改正という名目の元に、切り分けられるべきものとそうでないものとが混在したままにされているというところでしょう。
この時点において、われわれは、それらをまず明確に、それぞれ個別の案件(別件)として認識し、
それぞれに細部にわたって結論づけるべきもの、という考えを持つことです。
そのことで、以後複雑化する議論に歯止めをかけるべきだと考えます。
どれも一緒くたに、単に政党を支持するかしないかのみに収束する話で決めるべきことではなく、
それぞれの法案はこれこれの理由で、賛成か、また反対かと議論されるべきです。
今回の一件は、このことで人々に改めて、政治のあり方を大きく問うためのきっかけを与えて、
そしてまたそのことで国民もまたそこにあり方が問われることになるのだと思っています。
つまり、ここまで回避し続けてきた議論がこの国の人々にはあるのだと思います。
>限定的な賛成
そこにあるのは、「それ以外ペケ」ですから、全体としてペケだと伝えているものですし、
無視できない認識にまでノーを突きつけることはしない、と伝えたまでです。
確か、政府発行したという小冊子には、記載されている災害時の緊急性の一例として、
事例を挙げて、被災現場における緊急車両優先を法令化する、
といったものがあったことに由来するのですが、
そもそも、”その程度のこと”(つまり誰もが当たり前に認識すること)をわざわざ
罰則付きの人権拘束といった公的権限なるものをつけてまで法令化の義務を
「推進すべきものか」という議論もほしいところです。
そこでの結論には人々が、「自分達という存在をどのように見ているのか」、
そこにある人々の「変わらない価値観」もまた明らかにされるでしょう。
そのほかでいえば、たとえば、
ガソリン燃料や電気使用の制約を一時的に人々に課すといったこともそこに含まれてあるでしょうか。
憶測をも持ち出して、考えられる「事例への対処」に対しては、
こちらも憶測で対処するほかありません。
そもそも「すべては権限のもと法令化すべし」といった趣旨には賛同できません。
議案として論じる必要性として、必ずその法令化がついてくるというのは異常です。
つまり、どんなものでも、一度決まったからといって、変えられないとする議論を当てはめることはできません。
それが人々の必要性に反して、望まれてないものならば、いつの時点でも、
常にその改訂版を作成すればよいだけの話です。
もし安保法が、「刀狩」のような意図的な悪法であることがわかったならば、その時点で、
人々はその「必要性」という正当な改憲理由にのっとって、速やかに改善すればよいだけです。
そもそもが、今のわれわれに必要なのものとは、
法案による人的権限の拘束性といったものではないのです。
それらをいったん皆無にする必要性すら感じるということです。
まずは自身の心というものが一方的な価値観に汚染されていないかを見極め、
それら観念的制約の枠組みから自身を取り外してみることによって、
素直な認識とクリーンな心を取り戻すということです。
そこでは、戦争というものがどれだけ人間性を失った中に行われるものかを理解できるはずです。
われわれも子供達に習ってそうあるべきですが、あらゆるものは、
一度決まったら、何が有ってもそこに人々は服役しなければならない、
変えてはならないとする考えや主張自体こそが、理解できないものだと知ることです。
このたび改めて理解したことは、政権は常に集団的対立の構図を利用しているということで、
ここには集団性を利用した単純化された政治的論法があることをわれわれに教えています。
そこではできるだけ争点を単純にすることだけが大事とされるようです。
政権側から見れば人々を「対立させることによって」、
彼らに何かしらの正当性と推進力を常に「与えてくれる」存在であることが理解できます。
私は以前から言っていますが、
政治とはいざこざのある中に生まれはしません。
今現在の政治の舞台での対立構造は、そのまま国民性を分断するためにしか働きません。
国民も含めて、そこには人のおろかさがあると思っています。
彼らの権力抗争に利用されることにしかなっていないのですから。
改憲派と護憲派の争いといった単純な図式のなかに人々は取り込まれ、
ただいたずらに対立感情を煽られるだけになっていてよいのでしょうか。
そこに煽られるだけでいれば、それは図らずも、政権与党側に加担するにも等しい行動となります。
護憲派とされる人々に対して、改憲理由の不透明さに対する嫌疑があります。
そこにに直接かかるのは、
「変えなくてもいいものを無理やり変えようとする必死さ」です。
その不思議さを感じるところに政府への不信が大きく働くのですから、
そこを明らかにしようとすればよいだけです。
報ステは見てなかったのですが、聞くところによると、
古館氏のときにでていた私も好きな木村草太氏がでていたそうで、
下記のように発言されたとの事。
↓
<<「デモに参加している人の主張には、いろいろあるが、戦争に行きたくないというだけではなく、世界の平和に貢献する方法は憲法9条を生かして実現するという考え方もあるということ。」木村氏>>
↑
私もまさにそのとおり、と同意します。彼は見ていてとてもすがすがしい。
私の素直な私見とするところは、法案の法的権限の有無、その効力以前に、
人々に大事とする守り抜くべきものとは、「自分達の手で平和を実現しようとする」という意思だけであり、
その手立てとなるのはそれぞれの自身の心のあり方だけです。
私は人類というものがいまだ心を育てている途中の段階であると理解します。
人々の心というものが、真には、法的根拠そのものとして働き、
あらゆるシーンが自発的に人々の心を育てる現場だと理解するまでに成長することを望んでいます。
新たにその心をはぐくむための保障整備が生まれればよいだけです。
そこで人々は自分達のコミュニティを保護し維持するための、
新たな人間的な価値観を確立していく知恵を持つと理解しています。
そうして考えれば、単に憲法9条が平和憲法だとみなして、
それのみを維持する必要性を感じて、そこを境に争うことしかできない、というのもおかしな話です。
それだけが頼りであるかのように振舞う姿もまた、
そこ(28)で言われるような感想が割り当てられることになるかと思います。
考えることは、法的権限といった拘束性に対し、
「絶対的に服従してしまわねばならない」と考えること自体、思考停止であるのであって、
それはそこで著しく社会性を失うと予測することによる精神的な怯え、
そして冷静さを欠くことによる激情の現れも、そこへの反発心によるものなのでしょうが、
そもそもそうした”権限の法的根拠を許す”(権限を認める)こと自体、
私はどうにも理解できないことに思えるのです。
何らそこに認めるべき自分の否など認められないのですから当然です。
国民はなべてみなそうあるべきだ、とする考えに持っていこうと、
あらゆる解釈や手段に出ること自体がいかがわしいのです。
実際は法性と心は一体のものです。政治とはそこから発生しているものです。
社会とは人々のために有るのです。
何らかの災害時のおりに、われわれの社会性とは機能すべきかどうかは人々にかかっています。
政府が一任されるべきものでは有りません。
普段から、われわれひとりひとりのこころであらゆるすべての面が機能しているべきであるのは当然のことです。
現実的に、人々が必要とする緊急時における対策というものに対して、
人々がしっかりと明確に議論していくことは大事です。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/355.html#c30
31. アーリエル[30] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月06日 17:50:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[120]
>26
>誤解
単一的な価値観のみに埋没する時には気づけなかったことも、
目新しい価値観に触れることで、考えを新たにするきっかけも生まれます。
できるだけ私はそうして新たな意識の呼び水ともなりうるものだけをここに書こうとしています。
そこで誤解が生まれることは必然だという気がします。
既存の考えや価値観に対して「対立する構図」を読み取る限りにおいては、
「どちらか一方への押し付け」と受け取られるのは当然のことだからです。
しかしながらそこは慎重に通過することになるでしょう。
敢えて長い間懐疑的なままであったとしても、
一度引っかかった疑問点は容易に見過ごされることはないのですから、
いずれ反復されることになります。
どうした価値観も優劣はなく、それぞれに利用すべき価値のあるものです。
どの時点においても、それぞれが新しいものを手にするかどうかは、
自発的な判断に一任されているということであって、
一方からかけられた圧力などによって、自然な理解など促されはしないのですし、
それぞれの「存在」の根本的な価値とは、
どれかひとつの人間的な価値基準だけに選定されるものではないのですから、
それぞれのタイミングで、自分の必要とするものをそれぞれは得ているということになります。
人間は自身の存在の”場”にあらゆる概念を持ち込んで、
その概念上で価値という認識を得ようとしているにすぎません。
大事なのはその上でそれぞれ自分はどうありたいかということだけです。
他者の批判だけに終始する間は、そこに自分がなく、
ゆえにそこに抱えている自分の価値観というものに、ただ流されているというだけの話です。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/355.html#c31
8. アーリエル[31] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月06日 20:29:05 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[121]
>5
ご存知のように、その後180度転換することになるが。
組織的見地というものが人々の信憑性の基礎となりうる、という考えが人々にある限り、
組織的宗教が獲得しようとするものが何かもまた、そこに理解できるものである。
「相場は決まっている」とはじめから結論づけてしまえることを
当時のパウロが理解できていなかったわけではない。そこには回避できない認めざるを得ない事情というものがあったのである。
そこには、人間側の無責任さぶりを改めて感じるものである。
さて、組織的見地による信憑性に対して、
”個人的見地における信念”とは、どういうものだといえるだろうか。
私にも覚えがあるのだが、そのもの自身にしか起こりえない強烈な体験によって、
獲得しうるものであり、そこに組織的見地は常に対立するものとしてある、ということができる。
パウロもまたその強烈な個人的体験によって、それまでの自身を変えてしまった。
ということである。
教義にあることを頭で理解する以前に、先に”経験させられる”という体験を通して、
そのもの自身がそれに向かって必死に究明しようと動き出すことになる。
私のこれまでの半生もまさにそうしたものだった、だから容易に理解できるのである。
つまり、それは全体性のドラマの中で予定されていたことだと言える。
>6
あなたが感じておいでの”パウロ像”はあなた独自のものであり、
それを正しいとみる根拠もまたあなたの中にしかないが、それがあなたに何らかの恩恵を与えるというのなら、ここに書かれていることは何もそれを阻害するものではない。
あなた自身が何かそのことで損害を受ける、というものでない限り、
互いに好きにすればよいだけのこと。
そして、ここに書かれている内容物に関して、興味がなければそれでいいはずだ。
価値観を対立させることによって、あなたが常々何を果たそうとしているかは、
ご自身でご自分の”ハラ”に理解されているはず。
>7
純粋にデータを通して本質を見抜こうとしている努力家の姿勢であることは認めます。
そのことで、人々のためになろうとしているはずですが、
逆に人々に閉塞感を与えてしまっていてはいないかということです。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/358.html#c8
33. アーリエル[32] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月07日 16:28:41 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[122]
>32
あなた御自身はその真逆であるとでも主張したい口ぶりですが、
単に矢面に立たず、何の自尊心もないで、批判だけは一人前という人間にしかおもえません。
いかがですか?
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/355.html#c33
14. 2016年5月08日 13:36:26 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[123]
>>論争や評論や批判を繰り返すことではない。
>> 一つでもいいから、目の前の深刻な問題を解決することだ。
当然過ぎるほどの正論。必要な政治とはこれだけのものだ。
それが理解できない人間は当然そこで終わりとなる。
道連れにされるのはそういう人間だけ。
2. 2016年5月09日 13:47:42 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[124]
荒み切った人間の心のあり方の影響のほうがよっぽど環境に害をなすというもの。
寒冷化しかり、温暖化しかり。すべては人々の心による人災だと捉えたほうが無難なのは、今世紀の人間にも当てはまる。
それを理解していなければ何も改善しない。
どんなデマであれ、それを信じることによってあらゆる経験はもたらされるものだから。
1. 2016年5月09日 15:02:48 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[125]
肉体の概念を超えたところにある生命の本質を唄ったものだということが理解できますね。
私は別段すごいとも好きとも思いませんし、
ほかの表現方法でいくらでも同様のことを語っている方もいることを知ってますが、
今の時代の荒んだ感性にはストレートに響くのでは?
そして阿部さんは余計ですね。
それより、温暖化疑惑に関する書籍をもっとここでも拡散してご覧になっては?
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/361.html#c1
75. 2016年5月10日 21:37:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[126]
じゃあ国なんてそもそもいらないじゃん。政府もいらないじゃん。
http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/716.html#c75
4. 2016年5月10日 23:16:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[127]
>1
しらないなんていう人間のほうが珍しい。
国産安全信仰?は?なんかずれてるね。
味がいいとするのならともかく。
古くからのほとんどの農家は農薬を使うことを問題意識にもしてない。
そうした世代は今もまだついえてはいないだろうが、時代には逆行してるね。
最近の若い世代は無農薬でも商売ができると理解して、挑戦するものは年々増えている。
それぞれが独自のルートを開拓して、ネットを通じて、
採算性の取れる価格の商品だけを作ることもできるようになってきた。
ほとんど高級レストランや富裕層にむけた販売価格だ。
もともと、農薬を使って長年国民の食べるものをつくってきたという自負が農家には根強い。
しかし、単にそうしてきたというだけの事実的見地から、
農薬を使っても大丈夫だ、という論理に摩り替わりを見せていることには今の人間には我慢できないことだろう。
なら自分で作ってみろとと言われるのがオチだ。
体にいいことがないということは誰もが理解している。
体に害がないのではなく、まず知覚の働きが鈍感になって、
日増しに年食って病気になるまで、
ずっと放置してしまうようになるというだけ。
環境破壊は小ざかしい経済観念のはびこりによるものだが、
そうした人体も、人間の知能も破壊しているわけだ。
認識としてはそれでも一応、今でも農薬使用は肯定されて、
まっとうな農家の言い分として正しい姿勢ということになってるが、
何の信憑性も根拠もそこにはないし、今ではだいぶEMや減農化が進んできた。
それでも正しいことをやってるということにはならないし、
すり替えには違いないが。
贈答品向けで見た目重視で作ってきたのが日本の農家で、無意味に桐箱に入れたり、
海外の農家はそんな外側の見た目にこだわるなんてばかげた意識がもともと存在しないから、
そこでまともな物を生産してこれたというだけ。
だがそれが正しい。
農薬たっぷりの見た目だけの食べ物は、環境に対する耐性がない。
すぐカビが生えるし、腐って溶け出すのも比較して早い。
そんなもの食べつづけて体に良い訳がない。
海外に冷蔵で運んだところで日持ちしないから、利益になんて絶対ならない。
実際やってみればわかるはずだが、
市場に出るまで耐えうる品質維持の問題が一番のネックになる。
海外で成功するのはせいぜい米や実の硬いまま出荷できる果物、梨やリンゴくらいだろう。
海外の拠点それぞれに自社経営か、共同経営者の所有する倉庫も必要となるはずだし、それなら海外で直接日本の苗を持っていって農家したほうが個人的には面白そうではある。
農薬の多用された日本の土壌は破壊されていると見ることができるが、
自然の自浄作用の観点から見れば、そうした深刻な状況に対しても常に何らかの働きかけがなされているということが理解できるから、
人間的な視点で理解できない数々の自然の奇行は、病気や虫の大量発生なども、
その原因はそもそも人間的な価値観によるものだろうと理解する。
それは土壌の均衡のバランスの崩れにあるのだろう。
ともかく、人間の浅ましい考えが改められる機会もまたそうして与えられるはずだ。
http://www.asyura2.com/16/hasan108/msg/461.html#c4
5. 2016年5月11日 14:48:49 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[128]
>3
小さいころから評価されなかった経緯があるから、いま評価されたがってるだけでしょ。
だとしたら当然、口ばっかでは無理だという話だけど。
http://www.asyura2.com/16/hasan108/msg/483.html#c5
20. 2016年5月11日 14:54:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[129]
>Sister.MuZe
あなたが相手にしなくてもいいんですよ。相手にする必要はまったくないです。
どういう相手かはもうわかってるんで、ただ無視してください。
6. 2016年5月11日 15:01:03 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[130]
>1
ホリエモンて目をつけるところはいいんだけど、
中身はどうしようもない馬鹿だと思う。
あんたも行き着く先は同じだよね?
http://www.asyura2.com/16/hasan108/msg/483.html#c6
1. 2016年5月11日 15:16:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[131]
この人の論説が今一番信頼できる。若くしてたいした人物だ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/816.html#c1
1. 2016年5月12日 00:35:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[132]
そこにある情報は正しいと思いますよ。
ただしそれを知識として理解して、いざ実践しようとしても、
容易に真似できるかという問題があります。
ほぼそうした価値観に自立したものは、はじめからほかの観念にほだされる下地がない。
もうまさに無地、白紙の自分の感性の上に直接的な経験をする。
そして素直にその経験を自分のものにする。
よってそこには組織的見地からの信憑性というものを必要としないままに、
自己的見地による信念に直結した行動パターンが細胞にも移植されるというわけです。
一般の価値観に長らく在籍したものは、そこに対する依存はパターンが根強く作用します。それゆえに、それまで信じてきた価値観が途端に、
今度は裏返しになって自己に対する強迫観念となって襲い掛かってくることでしょう。
組織的見地の元になる、あらゆる科学的実験による観測データもまた、
あらかじめ人間が予測した観念的作用から抜け出ることはありません。
ほとんどの医療データもまた、そうした人間的な思惑の影響が関与したものです。
そこでは純粋な被験者が常に選ばれるため、
その対象者があらかじめよい薬をくれると理解していれば、それが結果に反映されます。
意識世界でのテレパシックなやりとりを抜きにしても、大まかにそれだけでも理解できるものです。
つまりそこで生まれた治療薬で治る者がいれば治らない者もいるのは、
それはそこにそれぞれ、信憑性に対する観念の影響の差が存在するからです。
そうした意味においてどうしたデータも正しく、
情報の内容がまったく真逆をさすものどうしであっても、
正しくもあり、また間違ってもいる、といわざるを得なくなります。
そしてまたそれは地球規模の天候や災難についても同様にそうした人々の思惑の影響がてでいるものだということができます。
何を望んでいるかではなく、望まないことに意識を向け続けていれば、
そのような被災体験を地球規模で人類は体験することになるというだけのことです。
人工的な災難、犯罪、人災に関しても、人が一方的な価値観に依存し、
そこに正しさをかざして人を批判し非難し続ける限り、なくなりはしないものです。
そこに人間的な賢さなど一行に見ることはできないものです。
http://www.asyura2.com/15/health17/msg/682.html#c1
1. 2016年5月12日 01:19:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[133]
この流れの先に見えるのは、段階的に資本社会と社会主義の二本柱に移行した社会です。そのワンクッションが必要だと思いますし、そこで十分に時間を要して、
次の選択肢を自ら人々が選択していけるようになると思います。
BIが柱となれば、人材はあらゆる分野に十分行き届くはずですし、
そこで不要なものはそぎ落とされていくでしょう。
企業体質も変化せざるを得なくなります。
あらかじめ準備意識として、その来るべき社会に備えて
どうすべきかの議論をわれわれはそれぞれの経験則を照らし合わせて、話し合い、
これまでの社会から移行する上で、最低限混乱を生じない機能を
どう全体は維持していけるかを現実的に話し合っていく段階にきているのだと思います。
ここ(ネット環境)はもともとそのように用意された場であると思います。
そしてまたその意識を共有し拡散していくことによって、
その進展の時期は早まっていくと考えます。
社会全体にとって必要とされる機能は、
ほぼボランティアでまかなえるものですから、人々は自然な感性を徐々に取り戻し、
これまで人々に不本意に存在した企業体質や、
そこにあった悪辣とされてきた人間的様態がクローズアップされることがなくなり、
社会の隅々にいたるまで不自然かつ不必要な様相のすべては自然淘汰されていくと理解します。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/372.html#c1
26. アーリエル[33] g0GBW4OKg0eDiw 2016年5月12日 15:31:13 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[134]
>9,10
同格においてはいけない、おかなければならない、といった基準で、
すべての存在のあり方を順位付けようとする時点で、
その価値観は根本的に自分の立場を制限するために働きもし、それは、
物事の本質にたどり着くことを自ら放棄するようなことだとも言えます。
価値観を大事にするのと執着するのとでは意味が違いますが、
ある意味、そこに毒されていながら、そのことに気づけないままであるというのが、
現代までに続いたあらゆる病理の根源であると思います。
特定の価値観の元に理性は働きもしますが、
そこにある理性の働きがそもそも正しいと判断するのは人間的な価値観のみです。
そこで徐々に感性の働きが蝕まれてきた、ということだと言えはしないでしょうか。
それは、聖書などをいくら繰り返し読んでもたどり着かない見地であるということができます。
むしろどうしたものも、そうして繰り返すことによって、
なんら人々の求めるものに辿りつかないことを知るとき、
人はそこから納得して自分の力で離れることができるのでしょう。
その時には、それに変わる新たな見地を求めることになるはずですが、
それは同様の宗教観などではない、ということに自然となるはずです。
結局のところ、そうして、その時代時代にあわせて、
ありていの人間的な解釈に収まりを見せるだけというのなら、
なにも特定の観念的な価値観など、はじめから人は必要とはしないものです。
私はそもそも本というものを読んで何かを得ようという考えを持たなかった人間です。
押し付けられる価値観に対しては、ことに極端な反発を繰り返してきました。
ただし、自分では判断しようのない体験をしたときだけに限り、
手にとりはしましたが、パラパラとめくるだけで、
十分それが必要な情報かそうでないかを感覚的に察知し、
目の止まった場所だけ吸収する、ということをやってきました。
ですから、何かを探していて、真っ先に手に取り、
一番先に開いたページに必要な情報が載っている、
ということが当たり前に日常で起こりえたのですが、これに関しても、
私の心からの知人となる方々は、同様の経験をしている事がわかるために、
そのことで一瞬にして意気投合し、それ以上言葉を交わさずとも、
そこに深いつながりを感じ取ることになるわけです。
私も10代20代前半は、激しい気性の持ち主だったとも言え、
体験主義的な様相の中に、自分の考えを確立することに躍起でした。
感覚的な判断ですべてイエスサインがでたので、
他人の持つ余計な価値観や観念を極力持ち込むことはありませんでした。
そのことによって、自然と独自的に「自己的見地による信念」にたどり着いたのです。
そうして信念がひとつ自分の中心にあるとわかると、
あらゆる自分の必要とする情報が、自然な流れで、
多くの専門的な人物などを介して集まってきて、
不思議なことで毎日が彩られるといった恵まれた環境を感じていたものです。
私はその一風変わった人々との関わりの中で、多くの立場に接し、
立場によるさまざまなものの見方、そしてそこにある流儀や、
物事の解釈もまた多様にあっていいのだということを理解することができました。
つまり、どれかだけが正しいとする考えを私はそこで持つことができなかったのです。
しかしながら、そのどれもが、それぞれの多様な価値観に対応して、必要であるのです。
よって私は独自に、自身の納得する、それらをまとめるひとつの解釈を求める旅に出ることになったのです。
私の場合はまず”経験ありき”で、必要なきづきの為の体験を”させられ”ました。そう思っています。
神秘的な体験後、自分がそのことについてひとり理解を深めていくと、
しばらくしてそこにはまた自然と、その独自的考えが正しいものかどうかの答え合わせが待っているわけです。
そして言うまでもなく、すべて正解だったと気づいたときには、
必然的にそこでその独自的見解へ対し、より自信を深めることにつながったわけです。
けれども今の私は、そうした自信というものがまた驕りにつながるものと感じ、
自分のより上の気づきを阻害するものだとして、すでに過去のものにしてきました。
それらすべてはたったひとつの気づきのためでしかなかったと理解しています。
今はより統合された自分を感じています。
そしてそこに自己として執着するものがほとんど消えてしまいました。
批判的な態度、つまり抵抗感情を自分の中から消すことによってそれはいつでも可能となります。
それら批判的な感情は恐れや怯えとつながり、自己の本来の能力を制限するものは、
すべて自分の価値観のフィルタを通すことによって得られるものです。
ですから、そうした感情によって自分を制限したくない、
また心から望ましい自分にたどり着きたいと願うのであれば、
その自身の価値観の見直しを自分の手ですることです。
もし現代に、キリストや釈迦といった人物が現れていると仮定するなら、
人々は新たな自分の能力を開花するための価値観を手に入れることができるのかもしれませんが、
たんにそこに依存的になり始めるだけであれば、
それは相変わらず、そこに宗教的な枠組みが生まれてしまうだけかもしれません。
ですから、次に現れる時がいつかは、
”時宜にあわせて適宜に現れる”ということとして理解されているものです。
つまり同じ過ちはしないのです。
人々は常に、そこに価値観による振り回された自分の姿を感じ取ることです。
そうしてその自分の望まない姿を十二分に感じ取ればよく、
自己の存在性の本質に気づきたいと願うのであれば、まず、
その望まない自分の姿を自らの手で、意思の力で変える、
ということだけがそのもの自身に要求されることです。
今私が感じていること、そして伝えたいこととは、
いままさに、その機会が訪れている、その恵まれた機会を逃すなということです。
つまり、自身で作り上げているすべての個人的な問題を
一挙に解決できる機会はもうすでに訪れているのです。
私はそのことを日々感じ取っています。
そこにのみ目を向けられるべきでしょう。
かつて作り上げた自分の思い込み、価値観によって今まだ、
狂気の淵を彷徨い歩き、苦しんでいる者がいるとしたら、
それを自分の力で、そこにある観念を塗り替えることが容易となっています。
すべての転生における集大成がいまこの時期のあなた方一人ひとりに現れていると考えることは無難なものです。
>nakid
私は私以外の者に”私の肩代わりになって意見される”ことを好まない。
だからご辞退いただいたまで。
けれどそこで、私自身はあなたに意見しないとは一言も言っていない。
そもそもこちら側からはそちら側に反論する理由が見当たらない。
ただひとつあるとすれば、私がなんらかの”専門家”を自称したことは一度もないということだ。
そしてあなたの意見はどれもすべて、
信憑性の域をでない組織的見地によるものであるはずだが、
それを「正しい」と一点張りできる姿勢にも理解できない。
まああなたの言い分では、正しいとするから正しいとする、だけだろう。
そして宗教的に依存する人々を批判するという一方で、
あなたもまたその宗教的教義に依存的なままであり、
もしくは同質の依存的性質をずっと抱え続けたままであり、
ともに狂気の淵を彷徨う仲間を勧誘しつづけているだけのような気がする。
私は、「批判を受けることを前提」に書かれたものであるが、
あなたに返す言葉がないというのはそれ以前の問題だ。
ともかく、あなたが抱えるあなた個人で片付ける問題を外側に求めていることは理解できる。
あなたの投稿姿勢、その動機、そこにある狂気、
すべてはあなた自身で作り上げたものだ。
自分の手で作り上げたものは自分の力で抜け出せばいい。
誰もあなたを助けるものはいない。そんなことはできないからだ。
自分が何を望んでいるかにきちんと気づいてやることだ。
あなたはまず自分を信じなさい。
そのことであなたは真に人から信じられるものとになる。
誰も先にあなたを批判して攻めたりはしていない。
そこに気づくことだ。
自分で自分を責め立てているに等しいことが理解できれば、単にやめればいい。
できなくとも、誰もそれで何も困らない。それが楽しいなら、好きにすればいい。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/358.html#c26
1. 2016年5月13日 21:08:38 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[135]
経済版でナイスなコメントがなぜか荒しとして消されているのでここに転載。
以下。
^^^^^^^^^^^^^^^^^
【画像】東京MXテレビがパナマ文書問題で「電通」の名前を報道
↓
73 :名無しさん@1周年:2016/05/12(木) 21:40:27.34 ID:hOc1bdaQ0.net
苫米地氏から国民のみなさまへのプレゼント
今後出てきそうなリスト記載者の言い訳を論破するために
「ビジネスのためで租税回避目的でない」
→租税回避目的以外で租税回避地は使われない
「投資先の依頼で」
→投資先の租税回避に協力、さらに自分も租税回避、言い訳にならない
「損したから租税回避ではない」
→国内で課税対象の元本の租税回避であり、投資後のゲイン(利益)の話ではない。
租税回避への投資そのものが税逃れ行為。
「租税回避地と認識していなかった」
→契約書に登記地明記。プロとしてあり得ない。
「金額が小さい」
→大小の話ではなく国民の当たり前の義務を回避したということ
「政治家でないから節税は問題ではない」
→節税ではなく脱税。政治家でなくても犯罪。
「みんなやっている」
→子供の論理
(東京MX「バラいろダンディ」5/12放送より)
70 :名無しさん@1周年:2016/05/12(木) 21:40:17.65 ID:BEs4Zg3q0.net
MXテレビがパナマ文書問題頑張ってる
http://free.5pb.org/i/s/yccp160512212834.jpg
http://free.5pb.org/i/s/yccp160512212758.jpg
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1463056234/
ht tp://hosyusokuhou.jp/archives/47544615.html
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/362.html#c1
8. 2016年5月14日 22:39:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[136]
事実は小説より奇なり。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/315.html#c8
13. 2016年5月15日 00:23:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[137]
怒りの陰には恐れがあり、恐れは常に怒りの仮面をかぶっている。
被害者側に再び蹂躙されるかもしれないという恐怖感が植えつけられてあり、
それが完全に払拭されない限り、被害者側の怒り(いわば恐れ)が根本から解消されることはない。
人間的な解決方法はひとつ。
融和しかない。”文化的な国境”をなくすほかないだろう。
それぞれの思想と誤解を解消するのに、政府に限定された外交などに任せても進展はなく、必要なのは民間での文化交流が果たすの思想の融和だけである。
問題を解決するために必要なものとして、根本にあるのは恐れの払拭だけである。
それ以外の方法で、たとえば金銭的な保障、利益の譲渡などで片付くと思うほうが異常だ。
つまり、問題の解消とは完全に怒りの対象を彼らの前から消してしまうこと以外ないという訳だが、その恐れを煽り、助長する働きを日本政府が取り続けている限り、
常に向こうの国民感情は振り出しに戻るのは当然で、
政治的に国益の損失を演出する外交取引は、
国内の日本国民の対立感情を刺激し、世論を煽るための小ざかしいトリックでしかない。
敢えて我々日本人が他国側に視点を置けば、すぐにわかるはずの問題だろう。
現・日本政府側の意図的な外交は、常にいざこざを長引かせる必要性を感じているところに、その愚かさがあるのである。
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/445.html#c13
4. 2016年5月16日 16:34:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[138]
>1
おおむね同意見。
現時点で人間的価値観というものは「(超自然・霊的な)無知」を土台にして存在する。
それは本来われわれの皮膚感覚に語られる知性とは別のところにあるものである。
根源的な真理性というものをいくら人間が通説的、
また俗説的な組織的見地に解釈しなおしたとしても、
そこに本質と乖離した齟齬が感じられる限り、われわれはその違和感を引きずることとなる。
そうして感性を麻痺させて理解しているもの、
本質を無視したままあるのがわれわれの知性と呼ぶものであり、
それは単純にいってしまえば、知性とは呼べるものではなく、「知性的なもの」でしかない。
そうした所にアイデンティティという”道具”が割り込む余地が生まれる。
われわれが根本的に無知であることを認めぬまま、
それでいて、知性的にあろうとすることが数々の問題を作り出す原因となる。
つまり、そこで人であろうとすることとは「人であるフリをする」ことでしかなく、
それは図らずも、われわれの心理を自身で縛りあげる事にしかなっていないというわけである。
そこにあるのが知性だとは、単純にも呼べはしないことは理解できるはずだろう。
それが真に理解できるのは、
信じるとか信じないといった自己防衛的なアイデンティティを手放したときだけである。
単に人は普段、そこで「人である」フリをしているということである。
そこに気づき、そういうことをただやめさえすれば、
そこに素直に「人」が現れるというだけである。
もちろんそこに違和感なく、皮膚感覚による「知性の働き」とは得られるものである。
人間的な価値観に解釈を置き換えて、その都度何かを理解したつもりでいても、
根本的な知がそこに働いていなければなんら意味がないのである。
それはほぼ俗説として広がっている数多の宗教観も同様のものと理解したほうがいい。
善悪といった概念自体、自己の本質的な見落としを気づきにくくさせるものであり、
自分の本心に気づきにくくさせるということは、すなわち人の心理を覆い隠すものでしかないのである。
そうした意味で私が理解する反知性主義といえるものとは、
人間固有の概念上にしか存在しないそうした「人にとっての知性」に対する反発であり、
対してそこに、本質的な意味での自然発生的な知、
つまり環境に循環するような知性を取り戻すことを意味しているように感じ取る。
そうした意味で捉えれば、”反知性”という言葉が存在することに、
社会的になんら不都合なものではないと理解することができるだろう。
これはむしろそこに不都合さを感じるとする人間の人間中心主義に対する反発であり、
横暴なる知性(権威的威力の乱用)の性質を絶えず隠し持てるその温床を破壊するための、主張なのである。
無知であることを認めず、また、意図的にそうあり続けようとするかぎり、
そこに支離滅裂の語源でもある、「支離」といった官僚支配の本質的働きを維持し続けることができるいえるだろう。
この度の政府与党の生んだ、改憲派、護憲派といった言葉でのレッテル張り自体、
それが使い方次第で、武器にも道具にもなりうることをわれわれに示している。
アイデンティティもまた道具として利用される。
まことに反知性主義となりうるにふさわしい立場とは、
本質的な知性への返り咲きを唱えるものだけということになるだろう。
よって、その主張自体はなんらアイデンティティとしての威力を伴うことはないと考えるものである。
ここに書かれた内容で反知を唱える立場とは、厳密には相容れないと一応書いておくことにする。
特定の宗教的組織を背景にあってもいいが、もつ必要はないのである。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/258.html#c4
2. 2016年5月16日 18:17:06 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[139]
論説が的確だ。拡散しよう。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/203.html#c2
3. 2016年5月16日 18:27:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[140]
>2
大麻禁止法の成立に関する裏事情は別問題だが、
そこにある認識のズレとは、
そもそもどうしてそこに認識の薄さが生まれるか、
という問題と捉えて考えていく必要がある、という気がする。
>1
は、
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/17049
にある動画内容のもののようです。
【超必見】バラいろダンディ・Dr苫米地氏「パナマ文書は脱税!電通・東電・JALを取り上げない日本のメディアはジャーナリズム失格!日本の政治家います!」
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/362.html#c3
5. 2016年5月16日 18:51:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[141]
>4
たとえば、人間的な視座に細胞の見地というものが捉えられるかを考えてみればいい。
細胞は当然人間的な視座を理解することはなく、淡々とその神聖なる性質のままに、そこに存在するものであるだろう。
だがそれは人から見れば、そこに無数の生命の記憶が宿されていると見ることができるのである。
人間的見地にはそれが遺伝子の働きとして、
もともとデータべースとして存在するかのように捉えられているが、
細胞単体は人間的な概念下に、押し込められることはない。
単に、自然な神聖な性質の元、それらが協力し合い、
組織的な働きを生み出して、そこに必要とされる記憶にアクセスしているだけであるだろう。
主体である人間的な意識は、もっとも協力に細胞に指令となる影響力を与えているといえるが、
それは細胞単体からみれば、単に、電気抵抗的な負荷による圧力が加えられ、
本来の自然な働きに対する閉鎖的な命令として与えられるだけになる。
つまり、人間的な意識はその自然な働きを単に支配し、本来の神聖な働きは制限されうることになる。
細胞は人間的な概念を理解しない。ゆえにそこに対する抵抗や反発もない。
そして、細胞はそのアクセスする記憶の中に、
人間的な意識による新たな生命の変遷をも記憶していく。
つまり、遺伝子コードは常に人間の意識の変質過程で、新たなものに置き換わる可能性があるということ。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/258.html#c5
1. 2016年5月17日 16:42:13 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[142]
すみません、電通の住所記載が一部おかしく記載されています。
これは単純に書き起こした私のミスです。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/365.html#c1
3. 2016年5月18日 14:07:57 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[143]
単にこれまで鳴りを潜めていた自民を支えてきた組織的な礎としての思想が、この人間の性格を伝って、表面に現れてきたということにすぎないのではないかと理解する。
つまり、戦後ずっとわれわれは勘違いして来たに過ぎない。
戦後経済成長期に自由を感じてきた世代は単にそこが彼らの思想下にある一時の箱庭に過ぎなかったことを今気づかされるときが来たのである。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/281.html#c3
6. 2016年5月19日 23:21:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[144]
憲法の文言とはあくまでそれ自体に効力があるといった呪縛的な力を示すものなのではない。
その言葉を人がどう感じて、どう動くかという指針が書かれているに過ぎない。
人間の意識がその文言の力となって行動に示されるとき、
それが世論の動きとなって社会に秩序性がもたらされる。
平和の為の憲法とはその為のものなのである。
平和憲法とは人々の平和を求める意識を文言に記した宣言文なのであり、
それは繰り返す過ちに歯止めをかけるという強い反省の念から刻み込まれている。
>dr88(Infinity
よって、わが国は武装して守りに入るといったことではなく、
他国の世論をも、この平和の理念でつき動かしていくといった、
つっきった行動理念が唯一この稀有な憲法の果たすべき役割ではないかと考える。
もちろん当然ながら、そこには何の武装の必要もない。
宣言とは、外側に向けたもので、内向的な性質を表すものではない。
憲法の条文で平和を謳っているかどうかが問題なのではなく、
平和であるためにはどうすべきかを直接的に、国民であるわれわれに問うているものだと考える。
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/447.html#c6
1. 2016年5月22日 17:28:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[145]
いや、だから問題はすでに個々人の問題としてゆだねられているわけで、
いい加減いつまでも人質をとられているように意識するのはやめて、
ただ単に、自分たちが信じたものだけを今後利用して食べるものを作っていけばよいだけではないのか?
戦争しかり、法律しかり、教育しかり。
社会全般、権威の手にすがらず、人々の新たな認識の手でもって再構築すればよいだけの話である。
何も敵を潰そうとするのではなく、そんな無駄な力を使うくらいなら、その分必要なものを自分たちで用意するようになれば、不要なものは自然淘汰されるだけの話だ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/481.html#c1
2. 2016年5月23日 13:42:30 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[146]
はぁぁぁ!?
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/517.html#c2
24. 2016年5月24日 16:31:17 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[147]
いつから、米軍は移民扱いになったんだろう?
彼らの癒し場所の本拠地はアメリカだし、そこに家族も家もあるだろうに。
それだったら彼らを帰してやるのが一番の解決策なんだろうな。
それ以前に、沖縄県民とて同じ人として見られなければならない。
彼らだけが米軍、そして日本政府側の問題、その両方の問題を癒す義務などある訳ないのだから。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/558.html#c24
24. 2016年5月24日 17:48:48 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[148]
まぁ、どっちにしたって、まともじゃない(笑
これが積み重ねてきた人間の知能てやつの限界か。笑える。
放棄的な知性。まともじゃない。
8. 2016年5月24日 22:56:16 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[149]
>7
ほんとそうですね。
そして私たちはそうした場所に感じる閉塞感というものに常に自立を促されているのでしょうね。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/340.html#c8
6. 2016年5月25日 21:56:03 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[150]
悪いことでないことだけは確かだね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/623.html#c6
7. 2016年5月25日 23:10:05 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[151]
人種、色、関係ないですよね。国も関係ないです。平和を語るってそういうことじゃないですよね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/623.html#c7
1. 2016年5月26日 00:22:37 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[152]
民主主義は往々にして狂うのだ、ではなくて、
資本主義は〜の間違いでしょう。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/643.html#c1
7. 2016年5月26日 14:52:23 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[153]
>4
それはある種警察に対する過度な期待というもので、その分市民が積極的に動き出して、取締りの必要のない健全な社会性に変えていこうとすることが大事です。
それとこれとは別の話ですが、確かに、
警察がそこに潜んでいることからもわかる通り、取締りにはそうした未然に防止する意識はないということです。あくまで強権を発動して取り締まるという方法論があって、
広範に網をかけるのは罰を与える目的なのか、それとも心に罪の意識を作らせようとしていることなのか、解釈しだいでそのどちらでもなく、単に権力の顕示のみがあるのかもしれません。
警察はそもそも事件を未然に防ぐことに特化した組織ではないです。
未然に防ぐためとするなら、彼らが持たない、別の方法論が語られなくてはなりません。そのために人々に耳に新鮮な新たな教育の場が生まれることを望みます。
そこでは自ら自分たちの手、また口から、社会性を健全なものに変えて、なお維持していくための積極的平和論法が語られるべきです。
ということで、ついに、未然に防ぐという目的で動き出せる特権が彼らに与えられたとして、それはとてもあぶなっかしいものになるでしょうし、あらゆる人権侵害沙汰も、その組織の介入のもとで合法化に至るようになってしまいかねない。そんな事態こそ未然に防止したいものです。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/617.html#c7
15. 2016年5月26日 16:06:31 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[154]
>4
「日本の安全の保証」というものがそもそも幻想でしかないのでは。
「サウジの安全の保証」「ロシアの安全の保証」「アメリカの安全の保証」。
そのどれもが仮想敵に対して国民という位置づけにあたる人々に半ば勝手に持たされた幻想・デマゴギーでしかないような気がします。
「積極的な平和を生み出す力、方法論、そこに費やされる思考力」すらそこに抑え込まれてしまっている(という演出による洗脳)状態のままで、主体的にそれぞれが人間社会を生み出せると理解すること自体、おかしなものです。
なぜなら、そこに押さえ込まれているものは、「人間として存在するため」の本質全般といえるものだから。
つまりそこに自分の身も心も自身で押さえ込む結果になってる。
それに気づかないフリをしていながら、何かであるフリ、何かになったつもりになってるだけ。それは人間の驕りといえるものだけども、いまわれわれが手にしている人間の定義といったものもまた、その抑圧された場所に居合わせるための後付された解釈にすぎないので、そこに気づけない。
自身の本心を覆い隠すものたちだけが集って、国家社会を演出してる。
そこにある人間的価値観はすべて、その舞台の演出のために用意されたものでしかない。
平和を実現するのに右派も左派もない。
それらは何かしら薬物依存から脱却できていない人間と同じとみるべき。
人間でもなければ、動物にもなれない、中途半端な存在であるとみるべき。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/661.html#c15
1. 2016年5月27日 02:48:04 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[155]
http://www.fsight.jp/articles/print/9625
スイスその1 不正資金の凍結を強化する本当の理由
2004年2月号 0
マネーロンダリング(資金洗浄)目的などで不正に持ち込まれた資金に対して、スイスがかつてないほど厳しい姿勢をみせ始めた。
昨年十月にペルーのフジモリ元大統領の隠し資産とみられる資金を凍結、ペルー政府との司法共助に乗り出したほか、十二月には日本の山口組系暴力団によるヤミ金融事件にからんで持ち込まれていた資金も凍結、日本の捜査当局への協力姿勢を打ち出している。第三者には絶対に情報を漏らさないことが「売り」だったスイスの銀行界の姿勢変化にもみえるが、実際は「不正資金の温床」という諸外国からの批判をかわすための、したたかな戦略が見え隠れする。
これまでもスイスの銀行には世界の独裁者が隠し資産を持つ例が少なくなかった。フィリピンのマルコス元大統領や、ナイジェリアのアバチャ元暫定統治評議会議長、ユーゴスラビアのミロシェビッチ元大統領の預金が発見され凍結されている。マルコス元大統領の隠し資産については昨年、スイス連邦最高裁がフィリピン政府への返還を許可する決定も下した。こうした不正蓄財の返還が決まったのも初めてのケースだ。
ではスイスの銀行の強さの源泉とも言われる「銀行守秘義務」が消え去るのか、というと決してそうではない。欧州連合(EU)との間では、口座情報の提供はしない代わりに、非居住者が持つ預金にかかる三五%の利子課税で得た税額の七割強を居住国に分配することで合意。「銀行守秘義務」の規定は守り抜いた。資金洗浄や犯罪にからむ資金については、外国当局に積極的に情報提供する姿勢を強調することで、スイスの銀行界のクリーンさをアピール、銀行守秘義務規定が「不正資金の温床」になっているという批判を封じ込める狙いがある。
もちろん守秘義務規定がある以上、スイス当局といえども強制的に顧客リストなどを出させることができるわけではない。頭取らごく一部しか所有者の名前が分からないナンバー・アカウントなどは今でも健在だ。不正口座を見つけ出す手法は一切公表されていないが、銀行側が適当に「人身御供」を提供しているとみるのが正しいだろう。凍結される口座のほとんどが、権力の座から転げ落ちた人物のものであることは、決して偶然ではあるまい。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/368.html#c1
10. 2016年5月28日 17:32:01 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[156]
詭弁に過ぎない。そんな論法が成立するなら、法治国家はいらない。
そして法制度は裏返して法逃れを容認する制度でもある。
つまりそんなものは見せ掛けだけで、実質的に国民のために機能していないに等しい。
では誰のために機能しているのか。
そうして世界がまともに機能していないのは、
そもそも法治という制度にあまりにも人々が狂信的でまた、依存的であるからだ。
そしてそこに民意は常に抑え込まれているだけ。
世界を機能不全にするのは人々の自己不信にある。それにより自己以外のものへ信仰態度を強くするのだ。そこに口をふさがれる落とし穴がある。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/192.html#c10
11. 2016年5月28日 18:04:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[157]
この消して代わり映えのしないタックスヘイブン擁護の動きにみられるのは、
単純にそれら詐欺グループと利益共有できるか、
すでに国民の大半がその共犯としての位置づけに晒されているようなことと一緒。
つまり、反論する立場にあるかどうか聞かれてるのと一緒。
もともとなんら抵抗していない市民を捕まえて、
犯罪者一味に「一枚噛むか?」と聞かれて、加担するかどうかを迫られているシーンで、
カメラを引いたら、背後から銃を突きつけられている、というのと一緒。
これはつまり、ここに要約できることは、
民意が一番力を持ちえると認められているということでもあり、それを畏怖する存在があるということ。
そこに対しての単なる懐柔といった働きかけがこれ。
まずそれが如何なる国家に属す人々に対する謀叛であるか、
それを認識できもしないものに、和解・譲歩を促す資格はない。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/192.html#c11
4. 2016年5月28日 19:31:02 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[158]
法治国家のいう合法って何?法に反することって何?法の抜け道多すぎるだろ。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/207.html#c4
8. 2016年5月29日 15:10:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[159]
すべて身から出た錆。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/207.html#c8
1. 2016年5月29日 18:32:39 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[160]
オバマ氏は、自らの意思で広島に来たといわれてもいますね。
アメリカ国内の世論はあいかわらず軍産複合体が権力機構のトップであることを認めているわけで、そこから鑑みても、オバマ氏がアメリカの世論を振り切って代表としてきているというのではなく、任期を終えるばかりであるために、国内の世論を交わす必要もなく、単独、一人の誠実な政治家として、以前からの個人的な思いを果たすべく、任期ぎりぎりの今を利用して訪れたものだと私は見ることにしています。
そこには純粋なひとりの青年の姿しかないものです。
そこに見るのは国を超えて人をつなぐ平和の本質ではないかと思います。
それをそれぞれの立場がどのように捉えて批評するかで、
現れるべき本質が書き換えられることになるわけです。
そこに純粋に平和を願う人の姿を見ることもできなくなってしまうのでしょう。
それは人として不幸なことです。
http://www.asyura2.com/16/kokusai13/msg/892.html#c1
24. 2016年5月29日 19:04:49 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[161]
最大の悪とはそれを野放しにしつづける、資本主義のメカニズムに依存的な体質であるものすべてだといったほうが人としては誠実だ。つまりそこには何も変えようとしないまま、問題を棚上げにし続けるだけの自分たちにも責任があるはずだということ。
半ば惰性で辿り着いた場所がこの現状だ。
アメリカ国内にある空気はほかの国の人間が正確に論ずるところにない。
そこにあるのは、武器商人、軍産複合体に国民が言論封鎖され、人質に取られているといった構図かもしれない。
オバマ氏はそこに単なるクグツには収まらなかったというだけだ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/757.html#c24
1. 2016年5月30日 16:26:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[162]
まず訪問の態度に対して、儀礼的に、こちら側にもその態度を幾分汲み取る能力はあるはずです。
そしてその効果はなかったわけではないのだと思います。
本当に自国民の平和を願うのならば、
これを好意的に受け取るか否かに悶着するのではなく、
その後の展開につなげていくためにはどうするか、
ということに知恵をまわされればよいかと思います。
私がこうした言い分に反応するのは、互いにそれぞれ歩み寄って平和とは実現するものであるという観点からです。そうした点で私はオバマ氏の訪問を快く感じています。
政府主導のセレモニーだと見ることができるのだとしても、きわめて異例なことに間違いはありません。
短絡的に形式だけで事を済ませられるとした考え自体、きわめていびつなものだと踏まえたうえで、しかしながら、そこから始められるものもあるはずです。
確かにそこに謝罪があったら、すべては解決したかのように錯覚はできますでしょう。
けれどもそれはそこにいる人間たちが、まったく自分たちのおかれた状況に対して、
まったく問題をみていないということになるのではないかと思います。
つまりそこから以後、継続して、どのように親交を深めていくか、という過程にこそ平和とは感じられるのだと思いますし、ある意味においては、
それはすでにはじまっており、果たされていく過程にあるとも考えることができるものです。
ですが、人々にその継続の意思がないということが認められる状況がつづくなら、
再び、そこから望ましくない状況に舞い戻ってしまうということも言えるのだと思います。
私は社会生活における基礎的な体力さえも人々に与えうることができたならば、
それらは維持されうるものだと考えています。その実現がどうしても平和と呼ぶ世界には必要だと考えます。
http://www.asyura2.com/16/kokusai13/msg/901.html#c1
2. 2016年5月30日 17:00:50 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[163]
坪井氏の「謝罪を求めていない・アメリカを責めていない」との言葉も、
それはこの日本の抱えてきた歴史的史実をしっかり受け止めて、
自国民として受け継いできたその性情を踏まえたものの言える言葉だともいえますでしょう。
邂逅が果たせるのは、相手を赦すことによってのみであり、
そこに自責の念もまた消えていくからです。
この場合、戦争被害を受けることになったそもそもの原因とは何か、を考えるならば、
日本という国を構成していた人々の意識が、あるひとつの思想のもと、
ひとつの価値観に集団がただのっかることをよしとしたことに始まるのではないかと思ったりします。
ひとつの方向性に足並みを揃えて動いていくこと自体、
そこで、誰もその足並を乱すことができなかったとするのは、
そこに多様な価値観が生息しえなかったことを物語ります。
ならば、実際的に過去を振り返って反省し謝罪すべきは、
自国民に対して、現在そこを統括する日本政府が、ということにならないでしょうか。
現時点で、再び似たような状況が作り出される懸念があるのですから、
問題視すべきはまずそこだという気がします。
http://www.asyura2.com/16/kokusai13/msg/901.html#c2
4. 2016年5月30日 17:30:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[164]
そこに記載されたロシアの報道官の言葉がこのことを適切にあらわしています。
「何がどうして起きたか」、加えて厳密に言い表せば、
どうした思想や価値観が、その人をどのような筋道を辿らせるか、
そしてどうした一生の終わりへとたどり着かせるか、(どうした死・結末を迎えさせるか)といったことです。
国が変わらなくては、たぶんに同じことは繰り返されます。
それは国民の意識が変わるということで、
国民のひとつの人間的とされてきた社会的価値観への依存心が弱まるということといえるかもしれません。
よってそれは政府方針が変わるということではありません。
我々が今持っている集合的な価値観は、この島国を舞台に繰り返されてきた自国民への愛、そのための略奪行為への正当性の中ではぐくまれてきたものだと捉えることもできます。
そうして我々の文化的な血潮の中に組み込まれてきたものです。
そこに戦後の日本も同様に、ずっとそこに正当性を確かめるかのように、
歴史を学んできたともいうことができます。
そうしていないと、自分たちの存在意義を守れなかったかのようにです。
そしていま我々はその価値観を受け継いだままにこの時点に存在しているともいえます。
ある意味、人はそのひとつの生を終えたあとで、そのことを深く理解することになります。
そしてつぎの生で何をどれだけ理解しえたかを再び試すのです。
そして十分理解したと認識できた暁には、その次にそれを生かせるようになるわけです。
人々はそこに何が正しいのかということとは別に、
望むべき平和というものがあるのだということを十分に認識してこれたはずです。
ひとつの方法論に単に集団が乗っかるだけでは、よいものとなるわけではない。
けれどもひどく依存的にならざるを得ない。これは現時点でも自国民として抱える問題としてあるはずです。
ならばどうするか、が次のステップです。
そもそも、自国に対する愛国心というものだけが守るべき対象と限定されるのはおかしな話です。
5. 2016年5月30日 18:34:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[165]
いずれにしても、日本国民は自国の政策にもなんら信頼を寄せていないのだと思います。
他方、アジアに対する日本政府の働きかけもほぼこれまで、同質のものとしてあったわけで、自国の政府見解はどうあれ、国民である人々は少なくともそこに対しての後ろめたさも当然背負わされてしまっているわけです。
今回の言動に注視する動機は様々なものだとしても、
これを機に、平和実現のための積極的なアプローチとはなんだといえるのか、
それを考えるというなら、それと同時に、日本が本当にこれまで平和を望んできたのか、
そのためのなんらかの動きを国民は見せてきたのかをもひとつのテーマの中に取り上げられたほうがいいでしょう。
その上で、本当にわれわれはいま、何がしたいのか、何をどうしたいのか、
どうありたいと願っているのか、しっかりそれを認識しあうための議論の高まりが必要だといえるはずです。
他国任せ、自己の政府任せで何か望んでだけいても満足した解決はえられません。
それだけで正しいものが実現すると考えているなら、それは大きな間違いです。
人の意識の流れを変えうる力があるとするなら、それはどんな力だといえるのか。
そしてそれはどのように影響していくものなのか。
それを考えてみてほしいと思います。
結局のところ、アメリカ本国でも意見は割れて、
それを統率する力を現在誰もが見失っているのだ思います。
それはどの国においても同じく言えることです。
よって他国・隣国とのパワーバランスを保つといった考え自体は、
単に体制を拮抗し維持するだけにとどめるもので、
自分たちの望む方向性における流れとは一致しないということはたやすく理解できるはずです。
そこにいつまでもただ脅威を感じてしまっているのみというのは馬鹿らしい話だという気がします。
そこに我々も、敗戦から引きずる敵対意識、敵対感情を捨て切れていないというだけです。それはほぼ自身の臆病な性質を隠すためだけに作用しているに過ぎないということです。
臆病さから抜け出したいと考えていたとしても、そこで必ず何かと対峙し、戦わなければならない必要性などないのです。
そこにはそうした結末に向かわせるための思想や価値観の働きがあるということです。
平和を望み、それを実現するためとするなら、ヘイトデモはその対極にあたるものです。
どうしたデモも平和を訴えるとしていながら、好戦的な態度にしかでれないとするなら、
そこで自己矛盾・ジレンマを抱えていくことにしかならないはずで、であれば、
それらはまったく本質的に問題を解決するプロセスとして妥当なものではないということになります。
本質的にデモを平和実現に根ざした順当なものにしたいのであれば、
ほかのやり方を考えるしかありません。
たとえば真逆にリオのカーニバルのように、
積極的に祭りやパレードとしてのデモで平和理念を貫き通すかです。
それならば、自分の問題として取り上げ、問題を棚上げしていないことになります。
単に無責任に関与だけしてやろうといったことではなく、
積極的に他社と喜びを共感することになるのですから。
そうした態度で戦争してきた諸国に出向いて、祭をするとか、花火を打ち上げるとか、
民間でやれる平和貢献は数多く存在するはずです。
そしてそれは日本人にしかできないことでもあるでしょう。
デモをパレードにして、問題を解決するプロセスに転換していくというやり方は、
すでにきっと行われており、関心を持つ人々を多く呼び込んでいるはずです。
祭とは政・まつりごとであるということで、人々が行える政とは客を招きいれ、すべて陽気に振舞う祭であるということです。
積極的な平和貢献とは、あくまでそのように嬉しさだけを伝えるリオのパレードのようにあるべきような気がします。
http://www.asyura2.com/16/kokusai13/msg/901.html#c5
5. 2016年5月31日 01:00:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[166]
>3
私も同様の感想を持っています。
人為的なものにしろ、自然発生的なものであれ、そこには人間の意識が関与していると私は理解しているからです。
バタフライ効果と意識の作用は原理的に似ているものです。
ある種すでにわれわれはから発せられるホルモン物質の自然気象に対する影響まで解明されています。
宇宙のフラクタルが人為的には〜の部分に対しては、一言、
人類の意識が何でできているかもわからない今、
そこにいまだ理解していない影響があるということは否定できないでしょう。
14. 2016年5月31日 01:18:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[167]
オリンピック飽きたなぁ。どうせただ混雑するだけだろうしなぁ。
どうせビジネスで何かやるんなら、観光地に分散して、瀬戸内海で那須与一みたいに弓手の腕競ったり、琵琶湖周辺で甲冑武者姿の徒競走とか、流鏑馬とかしたほうが外国客たくさん来そうだし、人気が出れば毎年できるし、そっちのほうが国際的に面白くなりそうだなぁ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/860.html#c14
21. 2016年5月31日 19:41:12 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[168]
こうした状況を作り出したのは誰かと考えると、自己責任という言葉で片付けられないものが浮かび上がる。
たとえば、一般的な人質事件には警察の出番だが、
今回のように介入できない規模の事件に対しては、
そこにあった正義とは何の力をさすものだったかを考えさせられる。
これまで単なる力づくで押さえ込めることを正義と表してこれたのだとするなら、
この状況は、いかにこれまで人々が物事を表面的にのみ片付けてきたかをも物語るものだ。
ある意味において、自己責任という言葉は正しいが、
その言葉は批判するためにはなく、自身を讃えるためにのみあるのだと理解する。
なんらジャーナリズムの果たせてないこの日本に、人々の真実を浮かび上がらせる鏡はあるのだろうか。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/900.html#c21
31. 2016年5月31日 20:31:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[169]
【批判殺到】安倍首相の「リーマン級」に海外から批判が相次ぐ!フランス大統領「経済危機にはない」エコノミスト「データちぐはぐ」
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/785.html
ここに貼り付けてる
官邸サイドの情報ダダ流しとされたテレ朝の動画。
「安部総理は、”リーマンショックに匹敵するほど世界経済が悪化している”と云うデータを何度も示しながら・・」と報道している。
◇
首相の「リーマン級」に異論 エコノミスト「データちぐはぐ」
2016年5月28日 東京新聞
安倍晋三首相は二十七日に閉幕した主要国首脳会談(伊勢志摩サミット)で、リーマン・ショック時と同じ程度の下落を示す一部の経済指標を持ち出し「世界経済の危機だ」と繰り返した。しかし、エコノミストからは「今の世界経済はリーマン・ショックの時と状況が異なる。例示するデータがちぐはぐだ」と冷めた意見が相次いでいる。 (白山泉)
◇
安倍首相がこじつけとも言えるデータを示して「危機に陥るリスクに立ち向かう」と強調した背景について、ある金融市場関係者は「日本経済は不調が続いているが、アベノミクスが失敗しているとは口が裂けても言えない。景気対策の財政出動をするためには、リーマン・ショック級のデータを示すしかなかったのだろう」と指摘している。
◇
ちゃんとカメラの前で弁明したほうがいいね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/891.html#c31
34. 2016年5月31日 21:16:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[170]
>32
それってさ、自分でコピペした文紹介して、
自分は言ってない、僕はコピペしただけ、って言う奴と同じレベル・笑
>19
彼らはさ、自分たちが食えりゃあいいんだよね。自分のことだけ。結局自民愛なんてものはなくて、安倍さん黒田さん言ってるけど、なんとも思ってない。
普通は好きな政治家煽られたら怒るんだけど、彼らはその点まったく醒めてる。実にドライとして淡々。そしてやっぱり本人が煽られると紅潮するの。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/891.html#c34
60. 2016年6月01日 16:38:38 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[171]
>32,35
ふれどさん、ちゃうちゃう・笑
あなたのことじゃなくて、あなたの意見に同意したってこと。書き方悪かった。ごめんね。^−^;
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/891.html#c60
35. 2016年6月02日 15:43:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[172]
ここに救いがある。
世界のジャーナリズムはわれわれの住むこの国の方向性を外側から正しく捉えている。
内向性の中にはぐくんできたこの国の独自的な文化体質、そこにある国民の性向をきちんと把握し、そして守ろうとさえしてくれている。
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/892.html#c35
24. 2016年6月02日 15:54:58 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[173]
というより、この政権を支持する国民の半分は、
正論を封じ込める役割がトップとして君臨することをむしろ好んでいるということなのでしょう。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/134.html#c24
9. 2016年6月02日 16:22:49 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[174]
思わず噴出した。空ぶかしのたとえおもしろいな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/163.html#c9
11. 2016年6月02日 18:17:01 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[175]
金のばら撒きにしても、彼らの既得権益・利権に部外者を寄せ付けないための、
一定の距離を保った防御策、いわば縄張りのフンを使った彼らなりの奇策と理解します。
実際的に、恒久的な社会保障を実現する狙いで権限を使える立場にあるのなら、
どこにどう金を使ったらいいかわからないような政策ばかりを打ち出すのは、
ただただ既存の社会の枠組みを維持しようとするためのごまかしでしかないものです。
そこにあるのは既得権益を失うことにたいする恐れによる凶悪な判断だけです。
安倍氏が使ったこの例えと同様の例えを国民側から提示するならば、
この双方に無益な状態を打破するためには、
針の穴を通るほどに国と国民全体がその身を一身に収縮してひとつとならなければ突破できないのだ、ということです。
そこで国民側から言うべきことは、
「トップにいるものとは、そうして自分たちの利権を捨てても、
常にそれ全体と心中する覚悟でいなければ勤まらない」、
ということだけです。
つまり彼らはその覚悟で政治の舞台に上っているわけではないことが明らかとなります。
組織のトップにいるという驕りにも似た自覚(倒錯感)がある限り、
そこに隠れた野心を押さえ込むのにもまた困難にさせるのでしょうが、
そんなことは国民側から見たら許せるものではありません。
彼らを見ているとあからさまに、これでもかとばかりに襤褸をだしてきます。
それはまた彼の性向を通じて外側に漏れ出しているだけのようですが、
そこに彼らと体を為す、その背後にある思想本体の影響力もまた見えてくるというものです。
政治的手腕として、外交的な一面を抱えることは良質な政治家の資質としては認められるものの、それが国内において国民に対して向けられてしまっているのではたまったものじゃないということです。
ではそこで国民側に秘匿された本性とはいったい何かということになります。
国民に対して透明性を維持できない、いわば二面性を抱える者が公の舞台に上がることができたとしても、桝添都知事同様、必ず我欲で身を滅ぼします。
ひとつの思想や価値観が目指させる場所は結果として必ずたどり着くところは一緒となるでしょう。
国民の意思と離反した関係を維持するために、
政治的な役職での権限を行使するというのは、
国民の立場からみれば、それは国家反逆罪に問うてもなんら不思議なものではありません。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/163.html#c11
9. 2016年6月02日 20:55:55 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[176]
どんな歌だって強制されてなど歌いたかないね。
それで飯を食えていると考えるから右へならえでどこまでも突き進むんだろうが、
それでよく教員なる役職が務まるね。
強制的な規制の枠組みに人々を押さえつけることで、
あらゆる組織的なつながりが維持されるべきだといまだに考えている連中がいるこの国は実にこっけいだよ。
この国の基底の思想自体いびつで異常。戦後この国は何も変わってない。政府与党の姿がそれを裏付けている。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/173.html#c9
2. 2016年6月03日 17:47:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[177]
これはつまり、金を求めて入隊するやつと大儀のために入隊するやつ、
そして、国に対して何の疑問も抱かないで奉公するやつを「バカ」といっているということ。
つまり・・・(笑)いいたいことはわかるよね?
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/412.html#c2
10. 2016年6月03日 18:01:45 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[178]
第二次大戦から何も変わっていない。再び軍国化したい狙いなんでしょう。
彼らが果たしたいのはそういうこと。
つまり彼らの知能だけで国民を抑えていることが限界に来ている。
再び財閥中心の強い権力の象徴を取り戻したい。日本をとり戻すというスローガンはそういうこと。その一心でそのための流れをつくっている。
イシバがいっていたように自主的に徴兵させる流れを作れなければ、無理やりすればいいだけ。
日本は連中のやりたい放題ということ。
そんなことはさせませんよというのが共産党。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/201.html#c10
4. 2016年6月03日 18:19:44 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[179]
>3
?
どこで指摘してるの?
>社会の構造的要因への関心・洞察が薄いという点
を「貧乏人」や「馬鹿」だと揶揄してるということ?
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/412.html#c4
17. 2016年6月03日 18:26:05 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[180]
>16
御神体?宗教儀式?何の宗教をモデルにしたもの?神道は宗教ではありませんし。
その思想的な建前自体、相当薄っ気味悪いものに感じますが。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/173.html#c17
5. 2016年6月03日 18:31:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[181]
>3
改めていうが、何にも違っていないと理解しているが?
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/412.html#c5
2. 2016年6月03日 18:57:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[182]
つぎいってみよう!
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/218.html#c2
5. 2016年6月03日 19:07:15 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[183]
ある種スプーン曲げと似ている問題かね。規模が小さいほど観察者の意識の作用しない実験結果などありえないから。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/346.html#c5
7. 2016年6月03日 21:20:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[184]
>1
>心の中は、当然違うから不安や不満が溢れるわけだ
それが人の本音。あたりまえ。それを語るに適切なのはこの一文のみ。
単純な話、これをなくすにはどうするか、どうしたいか、という話。
建前という鎧を着てることに気づいたら、重たければそんなもの脱ぎ捨てればいいだけね。
「日本はいい国」とするのは、自国民がいうならこれは対外的に持つ「信仰」の一種。
軽薄なブランド志向とかと一緒。外国人は日本をいい国とするのは「理想」としているから。
そして日本人はよけいにそのことでそう感じられるということ。
>多くのマスコミが、いつも不満を煽るような将来不安や反政府宣伝ばかりしており
事実だからしかたない。上のとおり、あなたも言っているように、
自分たちの抱える問題は他人に責任転嫁も棚上げもできないのだから、
自国民の自覚と覚醒を促すには好材料。
現状は口先ばかりのな政府任せ、他人任せ。
海外からは、日本人はだれもが自分の本音を言えないのか?という、批判さえある。
「アホ」というよりこれは「心理性の病気」ということかな?
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/364.html#c7
2. 2016年6月03日 22:58:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[185]
いいね。その通りだと思うよ。
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/226.html#c2
14. 2016年6月03日 23:35:19 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[186]
>3
自己愛というものではなく、それは地位を登りつめたことに対するある種の倒錯によるおごり。
そこに傲慢な本心を隠し通すことが難しくなっているというだけ。
自己愛とは寛容さによるもの。それは自分を認める態度としての赦しであり、そこに他者へ対する奉仕の精神も生まれるというもの。
自分の我欲をただ満たすという行為はおごりにみるうぬぼれでしかない。自己愛とうぬぼれとは本質的に違う。言葉は似ても非なるもの。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/182.html#c14
1. 2016年6月04日 01:51:31 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[187]
http://www.nikkei.com/article/DGXLASB7IIAA6_T00C16A6000000/
◆投資家、円高リスクで金縛り 内需株に消去法の買い
証券部 岸田幸子 2016/6/3 16:24 日本経済新聞 電子版
3日の日経平均株価は3日ぶりに反発し、前日比79円高の1万6642円で取引を終え
た。
ただ、寄与度の大きいファーストリテイリング株が7%上げ、1銘柄で日経平均
を76円押し上げた。
それを除くとほぼ横ばいで、前日までの2日間で672円下げた割に反発力は弱い。
日本時間の午後9時半に5月の米雇用統計の発表を控え、様子見姿勢の投資家が多いのは事実だ。それだけではない。来週以降を見通しても円高に振れかねないイベントが相次ぐ。投資家は身動きが取れず、当面は上値の重い展開となる可能性がある。
ロンドン株3日 小反発 24.02ポイント高で終了
2016/6/4 1:08
【NQNロンドン】
3日のロンドン株式相場は小反発。
FTSE100種総合株価指数は前日終値に比べ24.02ポイント高の6209.63で引けた。
構成銘柄の半数以上が上昇した。
米雇用統計の発表を受けて投資家がリスク資産を圧縮する動きから欧州株式相場が軒並み下落する中、資源株の買いが指数を下支えした。
もっとも、午後に入り取引を手じまう動きも出て指数の上げは小幅にとどまった。
金鉱のフレスニージョとランドゴールド・リソーシズが6〜7%超高と大幅上昇した。
ドル安の流れで金価格が上昇したことが追い風になった。
資源商社のグレンコアやアングロ・アメリカンなども高かった。
原油相場が持ち直していることで石油株も買われ、全面高で引けた。
景気動向に振れにくいとされるたばこ株や公益事業株も堅調だった。
半面、内需株の小売り関連株や金融関連株が売られた。
なかでもテスコをはじめスーパーマーケット株が安かった。
利益確定目的の売りで前日大幅上昇した特殊化学のジョンソン・マッセイは下落した。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/440.html#c1
4. 2016年6月04日 02:30:04 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[188]
>3
どこにそのソースがあるの?
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/226.html#c4
1. 2016年6月04日 02:42:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[189]
食品に依存するだけじゃなく、精神面のトレーニングをしたほうがいいね。
六日間ひとりで山にいた七歳児の体験談聞くほうがよっぽどありがたいな。
http://www.asyura2.com/15/health17/msg/721.html#c1
2. 2016年6月04日 22:56:16 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[190]
美しいなあ、この人は。女性としても人としても。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/257.html#c2
9. 2016年6月04日 23:32:13 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[191]
>6
確かにそのそしりは免れないですね。
ただし、そこに至るまでの経緯に、内実、どのくらいの政治的圧力がかけられていたかを私たちは誰一人として知る由もありません。
一国の首相にその全権限を委ねているだけとした、ある種、平和主義を貫こうとしても、必ずその役割を押し付けられる。そうした国であることは理解しています。
そこで、たったひとりに全責任を負わせる(転嫁する)というのも、
実に彼ら(軍隊)らしい卑怯なやり方だということもできないかとお返しします。
アメリカでは、軍人は国家的なヒーローとして祭り上げられています。その地位は何より高いといわれています。
軍産複合体にとりこまれている現在のアメリカという国の政府の実情をわれわれはほぼ把握し理解していません。それを把握もせずに、身勝手なことなどなにひとつ私はいいたいとは思わないということです。
言いたいことは、オバマ氏ひとりの決断と責任ではないということです。
英国王室のスキャンダルでパパラッチから終われて逃げる途中で事故死したあの事件も、地雷撲滅で動き出していたことに対する黒幕(武器商人≠政財界)からの圧力によるものであったことがわかっています。
つまりわれわれは本当の敵とするものから目をそらしています。批判する相手を間違っているということです。
>7
ご自分で確かめられましたか?
まさかあの隕石がそうだ、とでもいうのではないでしょうね。
12. 2016年6月04日 23:56:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[192]
>11
ご返答ありがとうございます。
それは与党に対する今の野党のようなもので、
まともな対案というものすら出せないまま批判する側に回っても、
それは単なる無責任な批判や罵倒にしかならない。
”自分たちの抱える問題”として本当に全体のことを考えているとするなら、
批判や罵倒にまわす時間などただただ無駄なはずで、
その分頭を回せ、ということになる。
そうしないのは、積極的に”無責任に社会に関与”しようとするだけで、
そこでは「自分は悪くない、あいつが悪い」というだけで、
実質的に問題は棚上げにしたまま、問題に関与したフリをしてるだけも同然だといえます。
ま、互いにおっしゃることはごくごく普通のことでしかないわけですね。
ですから、そこで「ではどうするか?」ということだけがここにおいても大事なわけですね。
では、これからそれを本当の意味の「覚醒」とするところとして、
以後精進いたしたいと思います。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/364.html#c12
2. 2016年6月05日 23:53:41 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[193]
否決は当然のこと、というより、これがなぜ当然だとされてしまうだけにとどまるのか、
そのことを考えるきっかけとなってくれたことに感謝したいと思う。
ここに、人々に必要とされるしかるべき”会話”がようやく始まったとことを知らせるものだ。
12. 2016年6月06日 18:23:22 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[194]
”ヘイトスピーチを許さない”とする「ヘイトスピーチ」に対して、
どう対抗したらいいのかということでしょうか?
ヘイワノスピーチを行ってください。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/345.html#c12
1. 2016年6月07日 00:41:07 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[195]
国民とするものは相当馬鹿にされているのだな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/368.html#c1
11. 2016年6月09日 01:33:07 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[196]
小乗と大乗は真理とするものへのアプローチの方向性が違うだけと理解する。
真理性へ単に帰属することだけを理解するなら、小乗だけで事足りると言える。
けれどもわれわれがいまあるのは未知なものに対する先駆的な立場である。
それは太平の人の世を作り出すという作業に結実してあり、そこには当然、
量子論的な実現のための方便をも利用するし、同時に、
人間としての体験やプロセスを余すところなく生かし、それを利用する。
そもそもわれわれが繰り返しているのは、その体験を通しての理解を持ち帰るという作業のはずである。
大乗とするのは宗教的であるも、それは政治的であるからである。
そこには人の心を説く学びがあり、人の世の驕りを正しく説き伏せるという真理性がある。
そしてそれはよりよい政治のあり方を後世に伝えるものである。
小乗はあくまで、動機が反社会的なものからの逃避が主で、
個人的な超越的体験のみを重視するあまり、
ある種人の世俗的な様相を全否定することに特化してしまっており、
反宗教的であるとするも、それはそれで学問的な見地として乏しい。
未知なる体験を受け入れることには不寛容で、人間的な体験を不得手とする限り、
そこにある真理性を社会生活に活かしきることは難しいとも言える。
今あるスピリチュアルはどちらかというとその両方をひとつとして伝えるものではないかと理解する。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/326.html#c11
1. 2016年6月09日 20:07:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[197]
内容の変更です。
宇宙ステーションは回転させることにより、人工的に重力を得ていますが、
地球も同様に回転する遠心力によって重力が発生するとしたら、それは内部のはずですね。そしてまた外側に働くのは浮揚力としてであるような気がします。
よって、われわれが住む地上である、地球の外殻の外側に働くのは、
回転することによる遠心力ではなく、
内破的な回転運動によるいわば吸心力が、遠心力による浮揚力を相殺した差によって生じた力である、とするのが妥当な気がします。
そして、ステーション内部同様、地球も内部に遠心力による圧力がかかるとしたら、
内側は空洞化するはずだと思います。
もし、人類が、先に内破エネルギーを発見していたら、
重力という概念に支えられた現在の宇宙モデルは違っていたものになっていたはずです。
ま、お遊び的な考えですので、真に受けないようにお願いします。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c1
2. 2016年6月09日 21:24:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[198]
ダイハツのエンジンも、もともとスズキがつくってたんでしょ?
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/591.html#c2
4. 2016年6月09日 23:15:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[199]
>2
他人の私にわざわざありがとうございます。
あなた方はよく方々の投稿のコメント欄で見かけるのですが、
もしかしてご兄弟のようなご関係ですか?
違っていると思えないほど、いつも息がぴったりですね。うらやましいです。
そしてその見識の高さもよく似ていて、いたく寒心しております。
私のような子供の遊びごときに口を出されるとは、あなた方の名汚れとなります。
ですから今後はお控えになられたほうがあなた方のためと思います。
いま、周波数を磁力線に転換して放出する機械があればどうかと考案ごっこにふけっています。
そのためのよいアイデアを探していたら、以下のURLが面白そうだと思いました。
もし、ほかにもよりよい知恵がおありの方がいれば、ここにコメントお願いします。
考えてみれば、ネットでは学校の授業など受けずとも、
さまざまな勉強ができる環境がととのっているんですね。改めて面白い環境だと思っています。
>2
これからもよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/watch?v=eIAVcy1vPFQ
5. 2016年6月09日 23:18:07 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[200]
>3
なぜスピンという意味はないのにスピンと呼称されているか知っていますか?
ぜひご教授ください。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c5
9. 2016年6月10日 13:17:51 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[201]
>6
わざわざありがとうございました。納得しました。
超弦理論についてはどう思われますか?
この物理世界には、次元は何次元あるとお思いでしょうか?
>7,8
ありがとうございます。では、冗談として聞いておきますが、実に楽しい解釈です。
たまたまそばに未読のままの本を開きましたら、そのページに正に書いてありました。
精神は肉体に対して一オクターブ高いという考えのもと、
浮揚力は重力に対して一オクターブ高いとして、
対極的なエネルギーの相和で自然界のエネルギー運動法則は成り成っている。
そしてまた、
求心力は圧力に対して一オクターブ高いと。
そしてまたそこに、
利他主義は利己主義より一オクターブ高く、そこに調和があり統一されたもの、
との見方があります。
そのならびにまた「拡大は縮小と統一」ともあり、
私たちの意識はマクロに拡大するように認識されていながら、
同時に縮小しつづけてもいるということも理解させてくれます。
瞑想する際に、自分というものを物質的に極小のミクロの見地におくと、
このことは実に深遠な意識の気づきを与えてくれます。
ま、いつものごとく、お遊びの一環として聞いておいてください。
このことは誰かを救おうというお遊びでもありません。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c9
11. 2016年6月10日 18:43:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[202]
>10
まずは、貴重なお時間を割いてまで真摯にご回答いただきましてありがとうございました。
なるほど。「とんち」を出したつもりはなかったのですが。
ウィキにも、「超弦理論は10次元時空でのみ理論が定式化される」とあります。
ですからそれは定式化されてあるものと理解します。
その答えは”10次元以上ある”という期待をこめて、
改めてそれが何次元あるのか、あなたのお考えをお聞きしたいとおもいます。
現実主義か実証主義かどうかを抜きにしても、
実証できるものだけを語るほかないとするのは、ある意味、正しいと思います。
けれども現実的には、それだけで現実世界の様相を理解したつもりになることはできません。
でなければ、ある意味それは「現実とは見えるものだけでできている」と語ってしまっているのも同じことといえるでしょう。
物理学の世界では主流派は権威者を気取るものたちの”おためごかし”のために方便を採用しているだけだといっている立場だとするのであれば、これ以上ご質問させていただくことはありません。
権威的高みを守るための”素人ホイホイ”としての理論だけを学んでも仕方のないことですからね。
私はそれについての解答わかりませんので、
おわかりになるのでしたら、ぜひご教授いただきたいと思います。
それと、質問ではありませんが、
あなたなら、次のゲーテの言葉をどう解釈されますでしょうか。
”「人間が自分に与えることのできる最も驚くべき教養は、他の人たちは自分のことなど求めてはいない、という確信である。 ゲーテ 」”
ほかならぬ皆様のためにも、下に英文ですが、彼の言葉を残しておくことにします。
”Whatever you cannot calculate you do not think is real.”
”You’ll never speak from heart to heart, unless it rises up from your heart’s space.”
”We must always change, renew, rejuvenate ourselves; otherwise we harden.”
”We only see what we know.”
”Whatever you can do, or dream you can, begin it. Boldness has genius, power, and magic in it.”
”None are more hopelessly enslaved than those who falsely believe they are free.”
”He only earns his freedom and existence who daily conquers them anew.”
Johann Wolfgang von Goethe
では。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c11
15. 2016年6月11日 02:36:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[203]
>12
ご回答ありがとうございました。
色々データを取らせていただきました。
そもそもあなたはこの理論については否定的な見解であるようですので、
この質問にはそもそも進んで関心を示されないようですね。
先にご指摘の点から。
あなたのご指摘である「方便」については、
「光の速度を一定と仮定することにより数式化したまで」、ということですよね。
わざわざそれをご指摘されるまでもなく、私はもともと光の速度が一定だとも、
それ以上のスピードが存在しないとも言っていませんので、無用のご指摘だと申し上げて起きます。
その「仮定としての光速度不変の数式が方便だとは本人が言ってる」し、
また、「万能だともそこで誰も言っちゃいない」、
ということも併せてここで強調しておきたいようなのですが、
そのことも当然ながら、不要な計らいとさせていただきます。
そうした発言を目にされた場所でのみされてください。
>真理として残るのは 4次元形式で現わした力学と電磁場の方程式だけ
ふむ。では、あなたはそれだけは信じるに値すると仰りたいわけですから、大事になされてください。
>12
>それはミクロ空間や超マクロ空間が人間が見る事ができる時空とは違う
>という前提ですべてを記述するには何次元空間が必要かという話ですね。
その解釈でのみ答えたいとするなら、それで結構です。
こちらはすべてあなたの力量にお任せした問いかけとなっております。
>それはミクロ空間や超マクロ空間が
>人間が見る事ができる時空とは違う という前提で
なにやら不可解な前提文が挿まれていますが、
この一文自体は何を証明したいものなのか、ちょっとわかりづらいです。
>ミクロ空間や超マクロ空間が
↓
>人間が見る事ができる時空とは違う
わからないまま失礼なのですが、
次の一文が上記前提にかかった答えとなっていると理解してよろしいのですかね?
>人間が見る事ができる時空の次元とは全く関係ない
?
すみません。よくわかりません。
ではその仰る”ミクロ空間と超マクロ空間”とは一体どこにあるんですか?
我々はてっきりそこに同居しているのだとばかり思っていましたが。
それと、言葉をほぼ繰り返されただけのようにみえますが、どうしてですか?
私はキツネを見ることには癒しを感じるタイプですが、
キツネにつままれることに癒しを感じる趣味はないです。
>何次元空間が必要かという話ですね。
はい。そのように持ち上げられておいでの答えを期待しています。
ですから、何次元だとお思いなのですか?
・・次回に期待してよろしいのですね?
私は出してもいない「とんちの回答」に一抹の救いを見るタイプでもないので、きちんとしたご回答お待ちしています。
2. 2016年6月11日 03:13:17 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[204]
時代に逆行した政治が続いていると私は思っています。
リベラルかどうかなんて問題はたいした評価の論点にならないはず。
時代に合わせて国民の必要性に対しての答えを出せばいいだけです。
壊せるものは壊したほうがいいです。
その上で、きちんと必要なものを理解できたはずです。
そして必要とされるものだけをきちんと作ればいいだけです。
我々は経験しているのですから、無からしっかりとした循環基盤、必要とされる連携を作り上げることができるるはずです。
大事なことは、ただ壊したままで、以後、必要とされる社会基盤を作ろうとしてこなかったことです。
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/544.html#c2
18. 2016年6月13日 01:11:19 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[205]
>16
指摘させていただいた質問には答えられてないようです。
あなたは何をなさりたいのかよくわかりません。
人に教える気などさらさらないように思えますので、これで終わりにします。
私からの指摘、質問に対してもまったくご理解されてない様子。
幻滅しました。
>16,17
あなた方の心に人間的なものがおありなら、まだ救いがあります。
あなた方の言動から理解しますが、自分たちを何に比較して優れているとお思いですか?
あなた方はその能力を何にお活かしになられていますか?
社会の問題をあなた方はどのように解決に導きたいと考えていますか?
こんな他愛もない投稿になぜこうまで口を出したがるのか、かなり不可解です。
それとも私は何かあなた方の権利を侵害しているとでもいうのでしょうか?
そして、なぜあなた方はここで選任教師のように振舞うのでしょうか。
私には教師を選ぶ権利もあります。
私はあなた方に、人間的な魅力を感じてはおりません。
あなた方から直接学ぶこと何一つないでしょう。
ここまで黙っていましたが、「表現の自由」をこれ以上侵害されてはたまりませんね。
誰が見ても楽しんでいるもの、そしてそれ以外でもない無害なものに対して、ちょっと執拗すぎますね。
あなた方の知識が優れているものだとするなら、それを証明してみなさい。
あなた方の知識が無価値なものではないのだとするなら、
その能力を一部の者たちを擁護するためだけに使うというのはやめなさい。
それは、ここであなた方が見せたように、馬鹿を気取ることにしかなりません。
それは格別無能な人間、つまり私でもやれることなのですから。
もし、本当にあなた方の能力が人間的に認められる、
価値あるものだとするなら、その能力を社会全体が救われる方向へと、
遺憾なく発揮してほしいと思っています。
どんなことも真に受けないように。
ここで格別仕事熱心なのはあなたが方くらいのものです。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c18
19. 2016年6月13日 02:52:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[206]
https://www.youtube.com/watch?v=LIYJAcib1iQ
たまたま面白い動画にヒットしたので貼っときます。
(MZおねいさん宛てですが、お気に召さないかもしれません)
IHヒーターは、トーラス型(りんごを縦に切った断面図みたいな形)に磁力線を発生し、そこに生じる電気抵抗によって鍋を熱する機械なわけですが、
なんらかの実験に使えるのではないかと、たいてい犬の散歩中に思いつくわけですが。
そのくらいしか正直、ものを考える時間をもちませんので(笑。
IH利用のための適材金属は、強い磁力性を示す鉄製が最適ということになりますが、
銅なべは熱伝導(振動)率は高い材質ですが、ほぼステンレス同様、
電気抵抗を生まないので、IH向きではないわけですよね。
単純に地球から発せられる磁力線もまた同じ例えで、
トロイド状に放射されているその磁力線に触れるものはすべて、
電気抵抗を受けて、熱せられているということになりますね。
もちろん、それがまったく同質のものだとは思いませんが。
そこにあるエネルギーの働きとは、
われわれにとってひとつのエネルギーの働きしか感じられないけれど、
つまり、そこに感じている熱とは、その反対にある冷たさを生む働きとの統一が果たされたのちに生まれる「差分」のエネルギーだと理解するわけです。
お遊びの仮定としていうことですが、
基本この世界には、「冷たい」というより、”振動を下げ続ける働き”が機能していて、
対して、そこに振動を高めるエネルギーも参加している。
つまりその見事な総和、統一による差分として現れたエネルギーをわれわれは、
熱なり温かみとして感じ取っていることになるわけです。
磁気と電気もまた、それぞれ別のものが、組み合わさって、
ひとつの統一されたエネルギーとして利用していると考えられます。
つまり、そこに理解することになるのは、熱と電気は一オクターブ低く、
冷たさと磁気は一オクターブ高い性質だとする考え方です。つまり差分として表れる方を一段階上の次元のものと認識することになります。
たとえば、肉体と精神では、精神が一オクターブ高いわけです。
そうすると、われわれの住む地球は、基本、
日中の陽の当たる場所以外は何らかの働きによって、
”冷やされている”、と考えることもできることになりますね。
われわれの環境に確認できる、それぞれのエネルギー関係を熟知すれば、
地球内部の地質内の鉱石といった物質がどう影響しているか、
どうした条件下で何が起こりうるのかをもまた、
ある種違った角度からアプローチして考えることもできるようになるはずですね。
そして、それらの影響力は人体に対しても同じものがあるはずです。
面白いですね。
先月、13歳の子が空気中の電気を捕まえたとして話題にもなってますが、
フリエネに関しての話題も少しずつ動き出していますね。
日本では、平松氏でしたっけ。あの、手動スタート式の、
”四連磁力抵抗ほぼゼロの発電機”は、だれでも真似して作れそうです。
ネットに現物の写真も、作図もありますし、学会で実証もされたと聞きました。
それと合わせて、私がここで参照したViktor Shawbergerの研究内容の解説が、
図面とテキスト(英文ですが)ネットにありましたので、
せっかくですから参考としてのっけておきます。
http://free-energy.xf.cz/SCHAUBERGER/Hidden_Nature.pdf
皆様においても、これは楽しいお遊びとしてご理解いただけるとありがたいです。
そういえば昨晩、非可換幾何学が、次元間の多重性を証明するものだとして、
ここですでに書いていた、「空間がどのようにできているか」についての、
私の稚拙な考察の説明と一致しているものだということを理解しましたので、
そのうち、人間の知覚認識による現実認識のいいかげんさについての話題もどこかで提供したいとおもっています。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c19
1. 2016年6月13日 20:17:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[207]
ロイターでアベノミクスについて採点評価を求めるオンライン調査やってます。
http://jp.reuters.com/news/politics?view=results&pollid=9438174
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/270.html#c1
32. 2016年6月14日 01:05:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[208]
>MZ姉貴さま
ね。面白いでしょ?
事実はあなたの指摘するとおりだと思いますよ。
http://www.kodenjiki.com/
このURL先の動画も面白いですよ。
引力と斥力
https://www.youtube.com/watch?v=UTV1oqJ2Ro8
渦とサイホン(フリーエネルギー
https://www.youtube.com/watch?v=a5I0Rt-z9ac
から、転載します。
↓↓
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
渦とサイホンの模型を使って、フリーエネルギーとは、
どのような概念なのか説明します。
ポテンシャルからエネルギーを取り出したらお終いなのは、当然ですけれど、
ポテンシャルの原因が「別の次元軸」にあると考えると
模型のようなことが可能になります。
最近、我々はエネルギーの量が正しく測れていないことが分かってきました。
エネルギーの次元をとると[E]=[M][L^2][T^(-2)]です。
問題は時間[T]にあります。
数学者の岡潔は、「自然科学者ははじめに時間と空間があると思っている。」
「運動は時間に比例すると決めてかかって、そういう時間があると決めてかかって、
時間というものは分かっていると思っている。」
「人は時間を表そうとすると運動を使う。」と述べました。
突き詰めると「時間は運動から求め、運動は時間から求めている」ということになります。
つまり、自然科学は本質的には時間[T]を決定していないのです。
同じく、相対性理論は、光速度cを中心に据えて組み立てられています。
速度vの次元をとると[v]=[L][T^(-1)]です。
ここでも時間[T]が問題となり相対論は誤りだということです。
運動の古典的な範囲においては、たぶん問題はないでしょうけれど、
「事象の地平面」や「相対論的補正を施した素粒子の世界」には適用できないと考えられます。
エネルギー保存の法則はこれまでに例外がないとされる経験則です。
そこで、質量や質量が持つ運動、及び全てのポテンシャルの原因を
別の次元軸
に求めます。
その次元軸とはエネルギー軸です。
エネルギーは直接計測できていないとの考え方です。
質量や質量が持つ運動並びにポテンシャルは、
エネルギー軸上にある「実体」との「位相」により出現すると考える一つの仮説です。
この仮説(弧理論Ark Theoryといいます。)によれば
空間からエネルギーを運動として取り出すことが可能
だという結論になります。
電気磁気の現象は、必ず90度位相がずれて生じます。
電気現象と磁気現象は一つの実体の異なる側面だということです。
この電気磁気の現象を3次元空間上で操作することによって、
エネルギー軸上に存在する実体に作用することができると考えて考察したのが
井出治氏の開発した超効率インバーター「デゴイチ」の第3起電力を説明した
「第3起電力のエネルギー源について(考察)」です。
単極誘導モーターについて調べましたので、併せてご覧ください。
http://youtu.be/Axb9fE1_OsQ
関係する動画「引力と斥力」
http://youtu.be/UTV1oqJ2Ro8
当方のサイトで詳しく解説しています。
http://www.kodenjiki.com/ と
http://www.kodenjiki.com/wp/ ブログです。
〜〜〜〜〜〜〜〜
以上です。
ここにも書いてあるとおり、
ポイントは、”電気磁気の現象は、必ず90度位相がずれて生じます”というとこですね。
また、”電気現象と磁気現象は一つの実体の異なる側面だということ”であるというのは、ここに私も書いたとおりですね。
電気に対して、磁気は、”一オクターブ高い”わけです。
ではでは。
>31
してませんが?何か。
あなたが困っても私は愉快になるわけでもありません。
思い過ごしは毒ですから、ご自分で解毒してください。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c32
5. 2016年6月17日 00:17:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[209]
>JPLさん
この観測実験は、『如何にノイズの少ない中で観測するか』
にかかっているようですから、比較的ノイズの影響の少ない静かな場所、
つまり宇宙空間の中でもさらに”比較的観測に適した場所”
をもとめる実験のようです。そのため、実験結果の精度を高めるには、
観測場を地球から離れた場所に設定する必要があるとしています。
私も懐疑的なものにたいしては盲目的に信じたりはできないタイプですが、
どうした学派のどうした言い分があったとしても、
そのことで自分たちの言い分だけを通すような、
「無意味な権威主義」に陥ってしまわない限りは、
さまざまな観点があっていいのではないでしょうか。
単に”主流派”でありたいとすることが面白い発見を生み出すわけはありません。
主流派が単なる実証主義のあつまりだとするなら、
そこには天才を輩出する気風も土台も存在しないといえます。
主流派を自称するほとんどの学者が、
単なる頭数の集まりの働きしか持ち合わせていないと言えるのなら、
あなたの言うようにそれはまさに宗教的な様相を呈するものとなるでしょう。
”社会的な危機感を演出するのは、常に権威主義に陥ることによる横暴なる知性の働きである”
あなたの投稿にもそうしたものに対する反発心と怒りを感じ取るものですが、
ただ無闇に反発することになってしまえばそれも意味を失うので、
ご自身の投稿が誰に対してどうした影響力を持つものとなりうるのか、
もう少し精査してみられることをお勧めします。
私もあなたの意見と寄り添う立場だとご理解下さればうれしく思います。
ちなみに私は宗教は”必要ないとしている派”ですが、
政治的な意味合いとして人々の望みと調和して機能する、ということであるなら、
それは名目上、宗教的であったとしても「よいもの」だと理解します。
というより、宗教的枠組みとはある意味、これまでの政治そのものだとする見方をしています。
関係ないことまですみません。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/355.html#c5
35. 2016年6月17日 00:45:19 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[210]
>33,34
私に関われば、ご自分の品位を落としますよ、と申し上げているのに、
なぜ執拗に私に関わってご自分の品位を落とし続けるのか理解に苦しみます。
”うぬぼれる”わけではありませんが、
それだけ、あなた方にとって私は”うざい”存在なのだということが理解できます。
あなた方はますますそうして本質を忘れた人間性を示す『サンプル』を私に提示することになります。
もちろん私は、はじめからあなた方を”釣る”ことを狙ってこうした投稿を続けているわけではありませんが。
まぁ、人にとやかくいうことではありませんが、
あなた方も他人に口を出す前にご自分をもっと「科学的に」省察されてみてはどうでしょうか?
1. 2016年6月17日 01:03:45 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[211]
>原油価格の持続的上昇を世界が望んでいるが・・・
誰も望んでない。常習賭博依存症の患者を除いては。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/856.html#c1
37. 2016年6月17日 02:05:31 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[212]
>35
言いたいことを言ってすっきりしましたか?
すっきりしていないなら、自分の言葉として言いたいことをはっきり言えてないからです。
自分の言葉をつかってものを言えていなければ、
いつまでも、うやむやのまま霧がかって鬱蒼とした気持ちのままでしょう。
あなたは自分の本心を覆い隠すことばかりにとらわれてしまっている、といっているのです。
あなたは「人を救うための力」を願っているのですか?
それとも「人をいたぶるための力」をほしがっているのですか?
それを自身に問いかけてみたらどうでしょうか。
あなたの本心はどんな答えをあなたに示すでしょうか。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c37
43. アーリエル[34] g0GBW4OKg0eDiw 2016年6月18日 04:01:11 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[213]
>姉御さま
メールなどであれば、あなたが私に対して疑問に思ういくつかの話のソースをそっと提供できるのですが。
やはり、ここでは茶を濁すことで精一杯となります。
まあ、ここにはもともとそういった目的で訪れている訳ではないですから別にいいのですが。
それにしても、除草剤を撒けば、自分たちの都合のよい環境を整えようとすることができると考えるものが居るようですが、何かしら理解力があるとするなら、自分たちのやっていることがどれだけ馬鹿げたことかを理解する知恵を持ってほしいものです。
はやくそのような世の中になってほしいと思いますし、私はそのために議論をしにきたのでした。
〜 〜 〜 〜
ここしばらく、ある種作り上げたアバターを演じてきましたが、限界ですね。
もともと仮面をかぶってまで”人間のフリ”をしつづけたいとは思えない私です。
そこには、ある種”虚妄という信仰”が必要だということがよくわかりました。
人間社会とは、誰もが何かを信じているつもり、
人間であるそぶりをしつづけているだけだと理解します。
ここでは当初目的としていたものを展開することの無益さをほどなく理解しました。
ここにいる論者に何か期待していた事が間違いだったのでしょうか。
この場所の存在意義をいまここでみつめていても致し方ないので、
すでに違う場所での活動を想定しています。
具体的に面白いアイデアが湧いておりますので、
ここはもう敬遠しようと思っています。
ここにいる論者で期待できる人をしいてあげるなら、『仁王像』さんくらいですかね。
ほかにもいるかとは思いますが、何をしたくてここにきているのか、イマイチよくわかりません。
私はここに集う方たちの、問題に対する意識の高さの度合いというものを見ていました。
問題を改善に向かわせるための意思のかかわりの力強さとは、
問題に関わる存在に対する愛情の一途さだけであると感じています。
未解決の問題に対する議論においてはその思いの強さと意志力が何よりの頼りとなります。
私も時間があれば、仁王像氏とのつながりを得るために、議論のひとつも参加したかったと思い、書きかけていたものもありますが、時間の許すところにありませんでした。
仁王像氏、こちらから関りはありませんでしたが、ありがとうございました。
>仁王像氏へ議論のあり方について
他人へ責任を委譲したままなされる無責任な議論など、はなから議論とは呼べませんよね。
全体の問題を自分の問題として認識できないなら、どんな問題を取り上げたとしても、
そこにはまともな知恵も、解決策としてのまとまりを得ることもないはずです。
そして代わりにそこにあるのは罵倒と批判だけです。
ここにいるみなさん、こまごまと大層知恵はあるようなのですが、
根本的な議論の本義的な部分にまったく結びついていかない。
そこで語られる厳密な互いの知識の解釈の如何に終始することはあっても、
耳に新しい他者の解釈についてはまったく触れずにスルーするか、
懐疑的なの目を向けるのが定例のようで。
議論に必要なものとは決まりきった手順を踏むことなどではないはずですが、
知識はあくまで”その知識単体としてのみ息づくことが許される”とでも言いたげに、
義務的に理解されるもののみを知恵と見做してそれを壊せないわけです。
つまり、気転の利いた応用というものがまったく存在していない。
そこでは、すでに誰かが提唱しているものだったり、
実践されたることによる信憑性を担保として、取り扱える知識としているのですね。
これは知識の持ち方として、ひどく「なさけない自体」であるとおもいます。
われわれの社会に今、必要な議論の始まりとは、まずは既成の概念の枠組みを壊すためのものでなくてはならない。
そして議論のゴールとは、当然、問題が解決された場所、
つまり、誰もが求める、納得できる新たな枠組みが再構築を果たす場所でなくてはならない。
そこではそれぞれ自分らが持つ、人間的であることに対する、
知性的なおごりが仇となっているように思えます。
そこに持たれる知識によって、自由で柔軟な発想が制限されてしまっている。
人の持ち味としてのよさもそこで掻き消えている。
馬鹿げたことだと思います。
ここにいる誰もが、積極的に問題に関与しようという意識は感じられるのですが、
それぞれの主張の始まりが「自分は悪くない」、『自分に責任はない』からのスタートですから、その先が続かない。
はじめから問題は棚上げ。はじめから責任転嫁。
で、議論なんか存在しない。単なる無責任な立場からの愚痴の言い合い。
「あいつが、こいつが」『左が右が』「リベラルが保守が」『自国が他国が』。
無責任を通り越して、関与だけは積極的であろうとするから、
罵りと批判に終始する。
挙句の果ては、「見よ、私はコピペしただけ」と支離滅裂。
誰も自分の言葉で語れない。常に何かに怖れている。
よって、私の議論に参加していただきたい論者はあなた以外ここにはいないと理解しました。
ということで、ここでの作業終わり。
終わりに一言。
「”自分の利益のために、無益に事に従事する他人をネタにする人間性”が一番度し難い」
3. 2016年6月18日 13:18:13 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[214]
>1
ありがとうございます。情報感謝です。早速見てみます。
私一人でも必要な仕組みを概要として提示することはいつでもできます。
けれども同時進行で議論をしたいのです。
われわれには問題を解決に導く力が必要です。
必要なのはののしりではなく知恵を集結すること。
問題を自分たちの問題だとして底人世する責任を育てること。
つまり本物の議論が必要です。
新しい社会の仕組みの詳細も、すでに頭の中では出来上がり、
そのために不可欠な人員配置のポストも存在しています。
自然な循環境を実現さえすればよく、そこでは経済も教育も当たり前に成長し続けます。
そこに自然淘汰されるものは当然ながら人々にとって必要とされていない産業および機関ということになるでしょう。
ともかくここでの議論は形式上難しいものと理解します。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/373.html#c3
4. 2016年6月18日 14:06:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[215]
>1
なるほど、視聴してみました。
あなたはちょうどこの時代をリアルタイムで過ごされたと理解します。
とても熱い時代の幕開けを予感させるものだったはずですね。
私たちはその延長上に、より根本的な解決をもとめていきたいと思います。
人々の恐怖の洗脳を解くためにそれを可能とせねばならないでしょう。
ただし、何の反発も戦いも違法性もなく、それを実現したいと考えます。
1億2800万を覚醒した人間の数144kで割ると、888.888888・・・。
8の重なり、無限の可能性。
音の八番目とは、より振動数の高い次のオクターブのはじまり、
すなわちこの答えは、次のステージはこの日本からはじまることを示唆することを印象付けるにふさわしいものです。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/373.html#c4
5. 2016年6月18日 16:16:23 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[216]
格差社会における階層差別、また人種差別が起こりえるのも、
そこに人間観に不信感を助長するための価値観があり、
その常識的なものとされるだけの価値観に対する人々の信仰が根強いためです。
そうした信仰は強い恐れに支えられています。
人が何かを強く嫌悪するのは、その対象をひどく恐れるためです。
そしてまたなぜ恐れるのかといえば、その対象が自分の能力に対して常に疑義を感じさせるからです。
なぜ自身の能力に対して疑義を抱かざるを得ないのかといえば、
その者は自分を特別な存在だと理解する必要性に常に迫られているからです。
なぜ特別なものだと理解する必要があるのかといえば、
そのことでそこに自分が守られる対象として属することになると信じているからです。
”そこでの特別さとは『人間的に』正しくあるかどうか”で、”そうでないもの”は排除されうるからです。
(もちろんそこでの「人間的」とは、自分たちで取り決めた価値観にすぎません)
人間的な価値観とはすべて、(自分たちだけが)”優れたものである”ことによって守護者から守られることを目的とした信仰から始まっています。
ゆえに、人々は今でも、常に人間であるフリさえもしておけばよく、
大樹の陰で守られるためにはおとなしくもしつづける必要があるとだけ理解しているのです。
そこから先はループです。
信仰に背を向けるこで(枠組みを破る)ことは恐れであり、
恐れは人々を混乱させる状況だけを生み出し、
そこには何らかの被害から助かりたい、守られることだけをただひたすら考えさせることにだけなります。
信仰は目先の恐れを回避させる力がありますが、それは本質のすべてを常に覆い隠すものです。
守られることで安心を得ようとするがために信仰が不可欠なものとなるのです。
ですから、内心はそれに変わる本当の安心を得たいと願っているはずです。
まずはその自分たちの本質にたどり着くためには、覆われたものを剥がしていくことが必要です。
そしてそのためには不安から離れ、自然な思考を促すための時間が必要です。
すべての国民にとって、まず自分たちすべての存在の抱える不安を解消する必要性を理解することです。
一人ひとりは全体の「安心を生むために生きる」、
「そのための環境を整備すること」が第一段階です。
そこで時間が生まれれば、人はその自然な心に沿った本質的な生き方を蘇らせて生きます。
自然な”精神的な時間の流れ”を理解していけば、自然の恩恵を自分たちの生活に取り入れて、常にそこに自然との一体感を感じ取ることもできていきます。
二段階目で、やっと「人間であるフリ」から外れて、自身の本質的な姿に立ちかえっていく事が可能となる時期を迎えることができます。
あらゆる犯罪心理も自然淘汰されていきます。
足りないものを求めるという必要性が消えていきます。
性善説が本領発揮するのはこの段階からです。
一段階目では、自分の自然な性質に向き合っていく時間を得るということです。
信仰は必要なくなります。神と一体である喜びを常に胸に抱いて、
自分たちが心からなしたいことに対して、一心不乱に取り組むことができるようになっていきます。
〜〜〜〜〜〜〜
■信仰の起源についてのあらまし■
人類(子)の意識は自然(親)から切り離されました。
兄弟たち(動植物)とも意識のつながりが絶たれました。
まず、人々は兄弟たちが持つ、自然なナビゲーションにアクセスすることが不可能となりました。
それは自ら投げ捨てました。
すべてを一からスタートする実験に参加したのです。
何をすればよいかもわからない、孤独な存在としてはじまりました。
そこでは、本質的な知恵に目覚めることが絶たれているのです。
自然の猛威には、自分たちは蹂躙されているとだけ感じました。
野生の兄弟たちも否応なしに恐怖を感じることにしかなりませんでした。
そこで存在するというだけで、それはただただ恐れでしかありません。
そこでは恐怖のみが意識の中に強化されていくだけです。
そして、自分たちが十分な力をもててない存在であると悟ると、
自分たちに欠けている「力」の象徴として、自然を凌駕する強大な力の化身を
自分たちの似姿として偉大なる父の存在を自分たちの外側へと求めたのです。
それがヤハウェ信仰のはじまりです。
”巨悪な自然という化け物”を退治する守護神を意識の中に強く信仰として持ち、日々その力を礼賛しました。
それが人の作り出した神の信仰の始まりです。
しかしてそれは自分たちの意識を分けた、
概念的な存在形態として確かに存在し続けます。
それは惑星が一定の周期で軌道上を旋回するようにして、われわれの意識(宇宙空間)に存在します。
人間の意識同様、その与えられた人格的性質もまた意識の中で成長しつづけます。
単に人類の一部から切り分けられた概念的な存在でしかないものですが、
それはわれわれの意識がいまこうして存在することと何一つ違いはありません。
悪魔もまた同じです。(実態的にそうした性質が自然の中に存在はしません。
あくまでそれを信仰する人間の価値観の中に観念的に息づくものとして取りざたされているだけです。)
白人である彼らが信仰していたキリスト信仰はやさしく温和すぎて、
黒(つまり白を善とすれば対照的な黒は悪)に対する畏怖に太刀打ちできないと感じていました。
つまり黒人のエネルギッシュなパワーに対する畏怖は、裏を返せば実際には憧れだったのです。
けれども、自分たちにもともとあった優越思想による意識がそれを邪魔しました。
その自らの働きによって劣等感が日に日に大きなものになっていったのです。
悪魔信仰とは、そのもともと彼らの信仰する力をただの権力的な力による支配力、
または権力と同一視することによって、生まれたものだといえます。
権力志向の人間は、パワフルな黒の力をほしがったのです。
つまり、白では黒に太刀打ちできないと囁かれるようになって、
はじめてそう看做すものたちの手によって、
新しい思想とは生まれていくことになるのです。そしてそれはその性質から密かに信仰されていくのです。
6. 2016年6月18日 16:20:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[217]
>1
そういえば、このFBIの陰謀を暴いた人の数も8人ですね。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/373.html#c6
22. 2016年6月18日 16:48:51 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[218]
>20
円がもっとも自然で機能的な形状なんでしょうね。
地下2800キロ地点までは、あなたの指摘するような対流の発生によるマントルの活動が確認できると思います。あなたのコメントの趣旨は投稿者の趣旨と重なるものですね。
今では地下2900キロの地点から中心に向かってさらに4900キロ地点まで、
海のような流体、液体の流れがあることが判っています。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/347.html#c22
1. 2016年6月18日 16:53:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[219]
痛みは電気抵抗によるものです。
http://www.asyura2.com/15/health17/msg/753.html#c1
10. 2016年6月18日 17:04:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[220]
>8
それがここでもっともまともな意見だけど、それだけでは何も変わらないよね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/116.html#c10
8. 2016年6月19日 18:17:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[221]
>7
いえ、そのような凝り固まった考えを払拭する新たな思考回路を求めてください。
今年10月ころから大転換がはじまります。これからに備えるための議論が必要です。
48. 2016年6月19日 19:03:15 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[222]
>47
いえ、私は彼の言うことも一理あるのだと理解しています。
人の知識の行き着くところはここです。
私のほうもまた、彼らの煽るとおり、正しいわけではない。彼らにとっては間違いであるわけです。
私は内心、そこへの気づきを促したいという目的で、あえて彼らに芝居を打ったということもできます。
私もまた彼の言い分を邪魔したくもないし、まただれであっても邪魔されたくもない。
自分で行き着こうとする喜びを奪う資格は誰にもない。それぞれが懸命に自分と向き合うことがなにより喜びとなるわけですから。
個々の働きがひとつの経験則として、種全体に生かされる知恵となるわけでしょう?
彼らが私を妄想だというのもある意味では正しく、私は妄想の世界に生きているといえる。
けれど、それは誰もが同じことだといえるのです。
彼らもまた自分たちの価値観の内側で生きている。
だから、そこに自分たちで特定の人格を呼び起こして、他人に投影し、
自ら虚像を浮かび上がらせてそこに対峙している。
彼らの解釈に対して、私はひとつの側面を彼らに提供していることになる。
中国だろうが北朝鮮だろうが、アメリカだろうが、ロシアだろうが、アイシスだろうが、それらはわれわれの解釈によってどうにでも変化するわけです。
枯れた想像性によれば、自分たちの敵として浮かび上がるだけ。
われわれの心が豊かであれば、彼らに自分たちの喜びを伝えて、ともに仲間に勧誘することができる。
虚像相手に奮闘する必要はないわけです。それほど無益なことはないわけですから。
誰もが妄想の世界に生きているといえるわけです。
ならば、より素敵な妄想を見るべきでしょう。
つまりそうして、個々には何らかの、自分たちのより深層の階層意識に求められるものに答えるため、こうして人生を歩んでいるということができるのです。
自分たちが、本当に何をどれだけ理解したか。
それを改めて経験しているわけです。
彼らは彼ら、私たちは私たち。
妄想からあらゆる形が生まれるわけです。
ここは、妄想を形にしていく、という世界ですから。
しかしそうして、この人間社会、それを構築した価値観も真実とは直結していないことも知るべきであり、私たちはもう次のステップへと移行する段階に来ている。
彼もまた純粋な意識レベルでつながりをもつ仲間としてみています。
だから、彼らを哀れんだりしようとは思いません。
意識のさまざまな階層、群れ、種全体の意識、それらまったくばらばらな意識のレベルの違いがあり、さまざまなつながり方ができている。
そこにあらゆる経験が必要なのですから、彼らは私たちにとってかけがえのない役割を担ってくれていると見ることができます。
ですから、ここで彼らの言い分に真摯に怒りをもつということも正常な対応なのです。
すべては必要な経験のためです。
こう言ってしまうと元も子もないのですが、それがわかってしまえば、
あとは何をすべきか、自然とわかってくるというものです。
私たちはそれぞれが望ましいとする世界を作らねばならないということです。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c48
31. 2016年6月19日 20:52:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[223]
奇抜なことについていけない頭ではこれからの時代、何をどうすることもできませんね。
全体の印象がどうだという話は誰も訊ねておらず、
そこにある内容のみを取り上げてどうかと聞いている。
ひとつの事象の読み捉え方として正鵠を射る内容だとしても、
まったく別のところでひとつの粗をみつけて、
それで全体像を転覆させるというものの見方自体信用がならない。
教科書通りの説明で満足するなら、誰もここにきちゃいない。
表向きなことが今世の中で起きているわけではない。
ここに来る誰もがそんなことは理解している。
今後ますます荒唐無稽な展開は加速されていくのみ。
そして、それは考えられる限りの転換策が試行及び、施行されていくということ。
何の打開策も自ら示すことなく、自分たちに都合のよい価値観がいつまでも続くはずがない。
延々と引延ばし策を懇願したとしても、そのひとつの結果がこれなんであって、もはやどうにもならない。
専門家だろうと素人だろうと関係なく、現実を直視するのみ。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/851.html#c31
30. 2016年6月20日 14:49:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[224]
デマゴーグがばれるのも時間の問題。→どちらの話かいまにわかるでしょう
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c30
31. 2016年6月20日 15:32:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[225]
>苫米地が「マイナス金利なんて実在しない」と喚いているが、これもデマゴギー。
>「マイナス金利は存在する。
ほんとたいした話でないですね。
あなたがたは非常に視野を狭くして、都合のよいものだけを見ている。
見ないで済ましておけるものには極力蓋をしておきたいだけ。
『実在していない』は、ひっくり返せば、「デマゴギーとして存在している」といっているのと内容としては同格です。
架空経済を経由させて、実体経済へと浮かび上がるのをただ期待しましょうというのが彼らの政策理論。
その間やってきたことは、
大企業に対して大きな設備投資を得るための資金を与える。
↓
年金を使って国内の企業(経団連の息のかかった企業)株を買い漁る。
↓
賭博師たちもそれらめぼしい企業を買い漁る。
↓
結果、年金運用資金の大損
愚にもつかないことをやって開き直って大言壮語を吐いている。
実体経済に大企業の設備投資が整って、トリクルダウンで恩恵がもたらされる、
それまで待つほかないとした、その間の人々は、何の恩恵の関わりもない。
これこそがデマゴギーに踊らされているということでしょう。
「そうではない、これは実在する実体経済なのだ」、とするならば、
あなたのお得意な論証で、
「マイナス金利」は架空経済の中のみにあらず!」
「実体とし経済の中に循環し『実在している』!」ときちんと論拠と筋道立てて、仰ることですね。
>阿修羅には陰謀論者と脳弱者がウジャウジャいるから教えてあげよう。
はじめから、どういう視点で何を語ろうとしてるんですか。この人は?
>中央銀行にせよ民間銀行にせよ、それを「主権者国民」が掌握できるか否かは、
>「主権者国民」の覚醒度次第なのだ。
かようなことをいっておきながら、自分の脆弱な体裁と都合を死守することに懸命。
随分と『ちぐはぐ』な印象をうけるのですが?
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c31
13. 2016年6月21日 01:22:31 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[226]
古市ってやつ、こいつ最低だね。っていうかこいつ終わりでしょ。
こんなやつ本当にいるんだね。
っていうか、
>5
17. 2016年6月21日 01:29:02 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[227]
これで激怒しないやつがいたらそれこそ異常だ。
>1,2
ふざけんなよおまえら
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/225.html#c17
9. 2016年6月21日 14:32:55 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[228]
>2,3
遊んでやりたい気持ちはわかるけど、相手するのよしたほうがいい。
こいつらを変えることはできない。こいつらを信用するやつも、どうせ同じ道逝きたいだけだろうから無駄だ。
その時間と能力使って、ほかにすべきことがあるよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/261.html#c9
52. 2016年6月21日 15:51:11 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[229]
>51
あなたに捧げます。
『CHILDREN OF THE LIGHT 〜 光の天使 〜 』(Lyrics:Tony Allen/Music:Keith Emerson)
It's time for us
To start over trusting our dreams
The light is love that gives us all the strength
To shine throughout our lives
A new dawn awaits us all
今こそ 私達みんなで夢を信じて やりなおす時
愛の光は私達を勇気づけてくれる
生きる限り 輝き続ける
私達の前には 輝く夜明けが待っている
In years to come
We'll build a world where love is all
We'll learn to live and there will be no doubt
And every heart will be true(free)
この先 何年かかろうと私達は愛に満ちた世界を築くだろう
生きる喜びをかみしめ、疑う心もなく
そして 人々の心には真実(自由)のみが……
The path we choose
Is leading us beyond our space and time
The whisper in the darkness of the night
Echoes eternally
Beautifull melodies
私達の選ぶ道は果てしない宇宙と時間を越える
光ない世界のささやきも 時を越えてこだまする、その素晴らしいメロディー
The future waits
We'll build a new life from this fiery birth
A world where prophecies waits to be
Fullfilled in time to come
広がる未来に向かって燃えるような新しい生命がはじまる
神のことばを待つ新しい世界はやがて 現実となっていく
We're children of the light
The future we will guide
The light will lead us on
Love is on our side
And bright are the days ahead
私達は光の天使、未来を導くのは私達
輝く光のもとに愛が私達を支えてくれる
そして 輝かしい日々はもう目の前に――
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
遊んでいただきありがとうございました。
われわれは人間という衣服を被っているだけです。
その『衣服』とするものは「肉体」のことではなく、
「人間的な価値観」のことだといえるでしょう。
これまでの遊びを通して、これからも私はあなたをかけがえのない仲間として見ていることには変わりはないでしょう。
人は、人間であるために衣服を着込むように、自分の本質を覆い隠しつづけています。
それでは、いつまでたっても、自分とはいったいどうした存在なのか、気づくことはできないままでしょう。
完璧な人間などいないのです。
私はあなたのある側面を素敵に感じております。
そしてあなたの気がかりな部分も存じております。
あなた自身について、誰よりもそれを知るはずのあなたが、
自分自身に対して非礼な仕置きをし続けるというのは、他人が見ていても酷なことといえます。
あなたは自分のある一面を非常に恐れている。
しかし、それは単に自分の本質に向き合えていないからだと理解します。
あなただけでなく、自分を苦しませている人々は大勢いますが、
上記の私のコメントに当てはめれば、その苦しみは自分自身で求めてきたのだといえます。
解決策は存在します。何かであるフリをするのをやめればよいことです。
そこに浮かび上がる本質を自分だと理解して生きてください。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c52
41. 2016年6月21日 17:11:44 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[230]
>40
最後の一文まで含めて賛同いたします。お疲れ様でした。
私たちは、人間でありつづけるために何をすべきか。今できることとは何か。
それは諸問題の根本的な解決のための議論です。
あなたならどうされるべきと考えますか?
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c41
2. 2016年6月21日 17:14:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[231]
ナチスと同じ実験結果だね。
http://www.asyura2.com/16/hasan110/msg/155.html#c2
42. 2016年6月21日 18:28:50 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[232]
>けろりんさん
独特の語り口で読み応えありました。概ね同意します。
このまま延命措置を繰り返しても、そろそろ経済は破綻します。
いま、その覚悟ができているものと、そうでないものとで、どれだけの差があるか。
これからあなた方のあり方、その本領が発揮されていくかどうかです。
もう時間はありません。議論に参加し始めてください。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c42
47. 2016年6月21日 21:37:52 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[233]
>けろりんさん
と、声掛けしたのは私ですが、今回が初めてです。
>44
で、もし私のことを言ってるのだとしたら、それは完全な人違いか誤解です。
でもあなたのおっしゃる肌感覚はすべて私から見て正解です。
準備ができてないと仰るなら、それまで期待してお待ちしています。
その意思が確かで、自分に対して誠実なものであれば、きっとまたどこかでお会いできるでしょう。
人を変えるのではなく、誰もが”人となれる場所”を私たちは作るべきです。
そうではありませんか?
知識など必要ではない。
あなたのような肌感覚がもっとも大事なのです。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c47
59. 2016年6月22日 22:26:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[234]
>49
すいません。けろりんさん、あなたの言ってることが理解できません。
何か誤解されたままのようですが、こじらせるつもりもないのでこれで結構です。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c59
60. 2016年6月22日 22:28:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[235]
>母系社会さん
わざわざ丁寧なご返信ありがとうございます。時間をかけて、じっくり読ませていただきます。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c60
61. 2016年6月22日 22:35:03 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[236]
>けろりんさん
たびたびすみません。私の勘違いだったようです。大変失礼しました。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c61
63. 2016年6月22日 22:51:05 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[237]
>けろりんさん
>44氏
をけろりんさんからの返答と勘違いしてしまったようです。
下らぬ勘違いで困惑させてしまったようで大変恐縮の至りです。
お二方とも大変失礼しました。
57. 2016年6月23日 15:06:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[238]
>56
再度同じ問いかけはいたしません。
これがあなたに対しては最後のコメントです。
真剣さと誠実さでご自身に向き合うことをお勧めします。
それ以上は私の口出すことではございません。
あなたはあなたの生きたいように生きればよいだけです。
他者もまたそれぞれがすべて自身の責任において生きています。
誰のフリをすることもできません。誰のフリをする必要もありません。
それぞれの思想、価値観、考えには、それぞれに見合った結末による反省が用意されています。
そのことをお忘れなきよう。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/349.html#c57
3. 2016年6月23日 15:12:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[239]
>1
もうひとりの私に賛同します。
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/340.html#c3
25. 2016年6月23日 19:26:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[240]
これでまた、テレビはこれ一色になっちゃうのカイ?
誰がこの馬鹿な流れを止められるって!?
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/327.html#c25
26. 2016年6月23日 19:38:54 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[241]
これ、ケッサクだなぁ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/272.html#c26
28. 2016年6月23日 22:48:03 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[242]
>27
うん。書いた自分もそう思ってる。笑
けど、いつ切ってもいいとかげの尻尾でしかないってのは間違いないね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/327.html#c28
8. 2016年6月23日 22:57:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[243]
>5
ほんとに、よくわかりにくい見出しですね。
同意です。お疲れ様です。
http://www.asyura2.com/16/hasan110/msg/199.html#c8
3. 2016年6月24日 02:03:56 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[244]
>1
ばかくさ。
確かに原文タイトルには放棄しろとなく、直接的な言葉を使うはずもないが、
内容はまったくそのもの。
当然ながら、”同じものを装填しろ”の意味ではない。
ここでの”reload”は”中身”である「積荷」を移し代えろとの意味。
比喩として使ってる。意味としては現時点の積荷を放棄しろとのことであってる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/356.html#c3
72. 2016年6月24日 03:58:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[245]
>55 母系社会さん
なんだか他の皆さんの会話に割ってはいるのが恐縮なんですが、一応(笑。
あなたから返答していただいた文章、コピーして読ませていただいてます。
あなたに対する私からの返答も出来上がり、用意してはいるんですが、
ちょっと一息で読んでいただける内容ではなくなってしまったので・・、
ここに披露するのが憚られております。
内容はもちろんあなたの意見に賛同の旨を伝えるものではあるのですが、他に気になっていることもあるので。
もし違った場所で、そのHNを目にした際に・・ということに、もしくは返信を辞退してこの場を去ろうかなと思ってもいます。
投下しようかどうか考えあぐねているのは、ここで思ったような議論ができないことがうすうす理解できてきたからです。
まずは報告まで。すみません。
http://www.asyura2.com/16/hasan109/msg/890.html#c72
2. 2016年6月24日 14:17:57 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[246]
人一人にとって、一つの人間を体をなす、人格を支えるもの(思想価値観)がいかに大きいものかわかる。
ついに化けの皮がはがれる時代がきたね。
誰もが予想できたことをあからさまに主権者の手柄のように伝えるのは滑稽極まりない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/384.html#c2
3. 2016年6月28日 15:53:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[247]
更生しようとする人間のでばなをくじくのが今の社会性。
酒やドラッグだけでない、常用の睡眠薬や精神安定剤、そして暴飲暴食。
これも立派な逃避行動だといえる。
軽度の自虐罪、つまり自分に対する責め苦であり、自らに対する犯罪は程度の差こそあれほとんどの人間がやっている。
なぜこの社会はこれらを助長、また促すようにできているのか。
反省から学ぶのが人間だとしても、何かを学ぶのに必ず反省する出来事が必要なわけでもない。
犯罪心理を減少させるための社会性をわれわれはどのようにして作り上げることができるか。社会をわれわれの望んだものにつくり変えていくことができるのか否か。
「社会とは人間の、人間による、人間のためのものだ」、ということに大方なるだろうが、
人間であるためにどのような社会性が必要かを考えるために、いまの社会とはあるのであり、
継続してよりよいものに作りかえるためにすべては暫時的に存在するのである。
だが、その「人間」というものが何かをこの時点の人々は実はよくわかっていない。
そこでは人間のふりをすることには懸命だ。つまりその故に逃避に走るのである。
http://www.asyura2.com/16/kokusai14/msg/398.html#c3
81. 2016年7月04日 11:51:17 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[248]
映画「バードマン」はご観覧されたでしょうか?
自分に浴びせられたスポットライトに陶酔していくさまは、まさに役者冥利に尽きるといえます。
うわさの、次回作「女版ジョーカー」の主役ポストは誰がゲットするのでしょうね?
ヒースレジャーよろしく、鬘の中の地毛まで染めるような怪役ぶりを発揮するものにそのお鉢が回ってくるのだという気がします。
けれど、もうそのような映画は作られましたしね。二番煎じは閑古鳥が鳴くでしょう。
どうした映画ももはや出尽くした感があるのが今で、
現実として誰も食えない一人芝居をするものは
そろそろ転職を考えないといけなくなりますね。
ある性格の映画の舞台の中ではヒール役とは確かに”望まれた役柄”です。
ヒットする映画とは当然、”人々がどうした映画を見て興奮したいか”を受けて作られているわけです。
つまり、人が「人というものを知りたい」とするなら、
そこには、先入観としての方向性による発想が
すでに”見る側には盛り込まれている”ということになるでしょうね。
だから「予想と違う」と感じると、つまらないとだけ感じてしまう。
本当にすごいと思わせる映画とは、その予測を常に裏切らなくてはならない。
けれども、ちょっとでも間違うと批評家に酷評されるとんでもない駄作とされてしまう。
観客側の視点にも寄りますが、それは見終わった後、
それを自分の経験に役立てようとするときに現れるわけです。
だから、大方、すばらしい監督とは、「映画帰りに、単に気分がよくなったとか、
なんとなく満足できた気になれる映画を作るほかない」といいつつも、
自分のシナリオ作りの才能を叩かれるのをひどく恐れながらも、
何か人の心に訴える、娯楽を超えたものを常に作ろうとし続ける。
観客側は、それで重い気分になったとしても、
「なぜその映画でどうして自分がこうした気分になったか」、
以後、その映画のメッセージを考えることも映画の楽しみ方だと理解することで、
再度、映画というものを深く味わえるようにもなるわけです。
自分のために自分は何をしたらよいか、それは、映画だけではなく、
人生という場所においては日々、考える機会としてそこは自分に必要とされてあるわけです。
本当に評価される映画とは、その後に観客らが自分たちについて考えることになるものでなくてはならない。
皆さんがここで演じているとする役柄とは、「誰の何のためのものか」
それを考える必要があるのではないでしょうか。
精妙な意識で、肉体と感情と精神、そして魂の四部作である『自分』というものを
それぞれの役回りの確かさをきちんと把握し、そこであなたが一人の役者としてあり、
それらすべてを把握し、協調性のあるものにしていかなければ、まともなものはできない。
ともかく、あなたは「酩酊した一人芝居を打つ、危ない人」としての演技は、
みなの知るところとなりました。
それが誰の何のために役立てられたのかをきちんと自分が把握することです。
しかし、そもそもここはそんな役柄のオーディション予選会場ではありません。
あなた方とかかわって理解したことは、
私が人を通して知りたいことは確かに多いが、
知らなくていいものもまた多い。
私の感想はそんなところです。
2. 2016年7月06日 01:09:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[249]
>1
ありがとう。メッセージは受け取ったよ。あなたもまたあなたらしくあれ。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c2
8. 2016年7月06日 01:20:01 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[250]
ばかばかしい。
必要ないものは自分たちにとって必要だとするものに変えればいいだけ。
憲法憲法ってそこに縛られたくなければ、
自分たちを縛らないものへと変えればいいだけ。
社会全般そのように自分たちで変えればよいだけ。
国民がそれをすればいい。無能な政治家にまかせて置けないというならそうするしかないでしょう?
ただそれだけ。
無能な政治家に任せてちゃいけない時代が来た。彼らは無能だ。
そのことで国民もまた同じ無能となってしまっている。ならば変えるまでのこと。
それには無能な役人に代わって国民が知恵を出せばよいだけのこと。
ただそれだけのこと。それをせずに文句だけを言っていても意味がない。
無責任でしかないというだけのこと。
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/861.html#c8
5. 2016年7月07日 15:11:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[251]
>3
寝ぼけた意見なんて私はまったくもとめちゃいないよ。
基本的なことなんて、小さな子供でもわかっていなきゃならないことのはず。
それ以外ない。それをまたお菓子の包装紙で包み隠してしまおうとするのかい?。
あなたはひどく思想的な価値観念にとりつかれているね。それは感じる。
そしてきづいているのかいないのか、あなたはその自身の嫌悪する思想の宣伝媒体、つまり広告塔となっている。
恐怖を人に伝えるためにはすごく活躍しているが、それをどう改めていくかの課題への関心が欠如している。
あなたはそれらに「自分は嫌悪する」としながら、そこにある横暴な力に魅入られているのだよ。
そしてその力をあなたはさも自分の力をかざすように、外側に振りまいている。支離滅裂とはこのこと。
ミイラ取りがミイラに魅入られて、なぜゾンビになる?
そしてそこに「基本」などどうしてあるといえる?
あなたのわかっているとする『基本』からは、いったい何を始められるというんだい?
それは単にあなたの不本意ながら支持し支える、いやただ寄りかかっているだけの、
その特定の思想の基盤のことをさしているにすぎないだけじゃないか。
誰かに期待されるために何かをしなくていい。誰に何を期待しなくともいい。
ただ「自分に人として何かしら期待する」としたなら、
その「自分の期待を裏切るような真似だけはしないほうがいい」。
まあ、今のあなたに何を言っても仕方がないだろうね。
わかるまで、もう一度人類やり直したらいいんじゃない?
>4
奪い奪われるといったものへの恐れ、トラウマが人々を苦しませている。
それを解消するには、ある種その視座を人間の頭上高く超えたところに
設定した自己を持たなければならないと思います。
ISISという組織がひとまとまりになっていることに対して、何か個別に彼らが思想的に満たされていると感じられるものはありません。
彼らが行き着くところは宗教的な死です。
われわれが理解しなければならないのは、
いわば人間として尊厳ある死をもとめて、
そこに行き着いてしまった若者たちがいる、ということです。
そこに属する手下である彼らはみな、人生に悲観したものです。
国際社会に対して否定と反発を抱き、憎悪を抱き、
そして死ぬことを選んでいる若者だと理解します。
刹那的な生き方を私は誇らしいものだとは思いませんが、
彼らがある種社会を変えたいと願っているということもそこに理解しなければなりません。
彼らはそうして生きることをけして望んでいるわけではない、ということです。
であれば、彼らを救うのは他の宗教観でもなく、
どこか遠い国の恵まれた社会国家から届けられる愛情でもないはずです。
いま、彼ら自身を救うことができるのは、その自らを称え、
その生き方を全うすることなのです。
つまりそうした彼らを支えるものとして、
その宗教観をもとにした思想が選ばれたということでしかありません。
つまり彼ら自身の中ではそれが死であるだけなのです。これは太平洋で散ったわれわれの祖先ともなんら変わりありません。
彼らの死が世界に対してメッセージを投げかけるわけです。
われわれはそのメッセージを軽んじたり、ただ敵視したりしてよいわけでないことは理解できることでしょう。
彼らもまた、そのことで世界中の人々の目を集めて、彼ら自身が自ら立ち上がって、何かを変えてくれることをも期待する部分はゼロではないと理解します。
つまり、われわれは、その流れの中になんら切り離されていないのであり、
ある意味では、われわれが彼らを救う手立てをもっていることとなる。
誰もが差別なく寄り添うことのできる社会を自らの手で作ろうと立ち上がった暁には、
彼らのような人間をこれ以上増やすことはないだろうということはいえるのですから。
現時点で彼らは単にひとつの組織的宗教でつながりを持つように見られているだけで、実際はひとつの社会思想に敵対し団結した無国籍な集団としてあるといえます。
宗教的つながりというより、ひとつの代わり映えのない思想に敵対する形で人々が集まり動いている。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c5
3. 2016年7月07日 15:26:05 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[252]
>2
7. 2016年7月07日 20:05:11 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[253]
>6
それは君たちの問題だ。何度もいうが、解決したきゃ自分で決めな。
こっちは君になにひとつ期待しちゃあいないぜ。
9. 2016年7月07日 22:13:34 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[254]
常に勝ちたくて仕方がないというのは、常に負けを予感して生きているということ。
ずっとやってな。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c9
3. 2016年7月07日 22:17:22 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[255]
ころころころころ、いつまで続くやら(笑
http://www.asyura2.com/16/hasan110/msg/620.html#c3
16. 2016年7月09日 13:53:17 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[256]
>14
申し分ありません。
「為そうとして為したのではない」という言葉が、心に響きます。
あなたの中にあるその静かなことばに語られる真理を私も共有します。
皆には心で世界を見ることを推奨したいと思います。
17. アーリエル[35] g0GBW4OKg0eDiw 2016年7月09日 13:56:50 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[257]
頭の脳を使わず、心で考える。それは可能でしょうか?
胎児の肉体は脳が形成される以前に、心臓の鼓動を機能させます。
それは心臓そのものに脳細胞が存在するからです。
それは一元性の思考を生む唯一の動力です。
何をも排除せず、感情も肉体も、それぞれの独自的働きのすべてを受け入れ、
自分の中に敵視した反応をすることなく、ただすべての有り様を包み込み、信頼する。
胸に息を吸い込むように世界を受け入れて、それまで自分だったものを吐ききる。
脳の過剰な反応へと意識するのを薄めていき、次第に腹へ、そして胸へと集中していく。
人間のスペックを最高のもの(覚醒)へと導くのは、人の頭、
つまり脳ではなく心、つまり心臓で決まります。
原始脳である心臓、そして腸、そして脳下垂体と松果体をひとつのエネルギーの循環の帯でつなぐようなイメージです。
腹で話をしたり、胸で話をしたり、肉体の知識、概念から離れていきます。
人間的な価値観に依存せぬようにしていくことに、少しずつ慣らしていきます。
私もまた、ここで何かに敵対しているわけではありません。
けれども、誰が見ても明らかであるように、戦中の狂ったものが再び地表にようやく表れてきました。
その異質な世界観によって人々は目覚めを促されます。
それはある側面で、彼らもまたわれわれの覚醒を手助けする役柄であると捉えることは可能なものです。
人は切羽詰らないと動こうとしません。それもまたひとつの変わるべき転機で、変容の一つです。
これが、自分たちを自縛して苦しませる真似をやめるためのよい機会となります。
あとは、みなで、誰もが敵対しない世界、狂わなくてすむ社会、それを作ればよいだけです。
何をしたらよいか「わからない」。だからいつまでも、変わるための行動を誰も起こせない。
それならば、皆が「何をすればよいかがわかる」ようになればよいだけです。
そうではないですか?
誰もが当たり前に望ましいものを当たり前に享受できる社会がどのような歯車で動くのか、その仕組みを誰もが理解すれば、それをただ実践すればよいとだけ思う、そして動くようになる。
そして、それを世界に輸出すればいい。それだけの話です。
よって、今ここでも為されているように、
ただ何かと反発、敵対を繰り返していても仕方がない。
それでは何も変わるはずがない。
今の政権与党、野党、ともども、同じことの繰り返しで何も換えられるはずがない。
誰も助け合わない。
人の上に立つとするものがこれでは国民は分断されるだけです。
こんな馬鹿な国ともいえないところに私たちは住んでいるのです。
これはわれわれ一人ひとりのあり方もまた問われているということです。
彼らを無能だと思えば、何の役職ももたない国民であっても、それら人々に代わって知恵を出さなくてはならない。
与党は最大の無能集団です。ですから暴力沙汰にのみ訴えるのです。そして彼らほど怯えた思想集団はいません。劣等感の塊です。
そこに敵対するだけの野党もほぼ一緒です。
敵対しても始まらない。
その形を変えなければならないのです。
ある意味、彼らはその無能さぶりで、われわれを覚醒へと促してこれたのです。
必ずそのように改善へと変化を促すしくみに物事はなっている。
全体がそこにただ習ってだけいれば、全体がいつまでも代わり映えのしないまま、
無能で無価値なままとなる。
自身で抑圧をかけている。いつかそれが爆発する。ISISの若者同様、自滅の道を選ぶということです。
他者に依存していても始まらない。
だからそれをこうして最前線において、意識してきた人々が、
その新たな社会の仕組みの雛形をつくり、
それを皆で考えるための議論の基盤をつくる、ファーストステップとしての役割がある。
もちろん、選挙に行っても仕方ないということでもなく、ここで隠された情報を見るなということでもない。
それらと同時に、プラスアルファのことをしてください、
自分たちの問題を「私は関係ない、私は悪くない、あいつらが悪い」
そうして責任転嫁、問題の棚上げをしながらも、対して罵倒を浴びせることにだけは積極的に問題に関与しようとし続ける。
そのあり方に疑問を呈しているのです。
怒りで頭に血を上らせて、同様に馬鹿になることに夢中。
それで次にどうするのか?ということです。
2. 2016年7月09日 14:00:39 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[258]
>1
相変わらず愚かしいままだね。
http://www.asyura2.com/16/hasan110/msg/670.html#c2
8. 2016年7月09日 14:05:58 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[259]
>1
同意。
戦前の日本は戦後よりGDPは高い。
それいぜんに精神性の卓越した豊かな暮らしぶりが整っていた。
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/235.html#c8
9. 2016年7月09日 14:09:04 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[260]
「戦前」を「戦争に入っていった時代」つまり「戦中の頭部分」とまぜこぜにしないほうがいい。
戦前は確かに豊かだったのである。
11. 2016年7月09日 14:12:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[261]
なんでもかんでも、敵対するな。狂うな。
まず、何を発言するものであろうと、「人を人と思え」。
>1
あなたにも同じことが言える。
かこの投稿をみたが、あなた自身もまた狂ってはいけない。
1. 2016年7月09日 14:18:39 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[262]
それだけではなく、それと同時に、人々の意識を変えるためには内側から、中身としての自分たちからつくり替えていく。それが必要です。
そのために必要なことを考える。何が功を奏するか。
そして、絶えずそのための努力を推し進めていかねばなりませんね。
そしてそれは、人々にとってはただ楽しいことであるはずです。
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/402.html#c1
12. 2016年7月09日 14:27:25 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[263]
>6
あなたの意見、主張に同意します。
彼の合氣の精神が本物であれば、彼は政治を変える人間の一人となるでしょう。
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/214.html#c12
13. 2016年7月09日 14:32:03 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[264]
>6
あなたがどうした人物かは知りませんが、あなたの主張はどこも狂っておらず、正しいものです。
毒されないうちに、自身のブログでも立ち上げて、あなたと同じように同士を呼びかけているものとつながったほうがいい。
ここで無駄な議論をすべきではないです。
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/214.html#c13
22. アーリエル[36] g0GBW4OKg0eDiw 2016年7月09日 17:40:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[265]
>21
心という言葉もまた解釈によって定義づけが為されるものです。
それが何か「わからない」ではなく、「わかるものにしなくてはならない」のだと思います。
「心」、「人間」、そして「そこになすべきもの」、それは私にはすでにわかっています。
誰かが仮定したものを後追いで常に頼りにしていくだけでは、学問としては程度が低いものとされてしまいます。
自分の中で違和感を感じていたら、それを自身の感性と意識で明確にすることです。
言葉にまとめる必要はありません。それは誰も聞きません。それで人を変えることはできません。あなた自身を満足させ、他者を変えるのは唯一あなた自身の想いを現した行動だけです。
理性といったもの。心は即ち理である、としたのは王陽明ですが、
それに対して、「人の心というものは信じられない」とする一派である
支離の立場が現在の官僚制の大元になっています。
日本にもそれらを広めるものたちはおりました。しかしことごとく斬首されています。
人が国を収めるとは、人の上に立つということであり、
その人の上に立つものが人を信じられないというのでは、
そうした国は歴史が示すように、ことごとく壊滅します。当たり前のことです。
心を意識的な人間社会を理解するためのデータベースとするなら、
それはまだまだ半分ほどに差し掛かったばかりで、
まだ未開発のものといったほうがいいでしょう。
よっていまだ心とは、そうして、人のためのツールとして完成途中のものであるということです。そしてそれを完成に導くのもまた人であり、そこに続くものは常に社会と対立してきました。
心はまた概念的な価値観を理解し、人々を解放へと導くために使われるものです。
それに対して、常に表面的なものだけを取り繕っていれば人間として看做されるという考えが今です。
それを私は「人間のフリ」そして「自分であるフリ」、また「何かであるフリ」をしつづけることにしかなっておらず、それは自分への裏切り行為であるといっています。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c22
8. 2016年7月11日 23:56:12 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[266]
物質の密度の問題。
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/514.html#c8
4. 2016年7月12日 00:03:07 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[267]
>3
自分の生き方をみつめるいい機会だ。
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/515.html#c4
17. 2016年7月12日 00:23:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[268]
今回の選挙は面白い。秋田を除く東北、信濃、新潟と意識の高いところはみな縄文勢じゃないか。日本が真っ二つだ。
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/409.html#c17
2. 2016年7月15日 22:23:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[269]
科学の本質はプラシーボ。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/377.html#c2
29. 2016年7月18日 15:21:55 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[270]
主観と客観性の融合。
あなた方の大事とする価値観の説明はわかりました。
誰にも、魂が肉体から離れていくとする、死という儀礼的なものがあります。
そこを通過していく際にも、あなた方はそこで一歩自身の身を引くという寛容な態度が求められます。
でなければただ混乱を生じさせることになってしまいます。
死というものはあなた方の価値観では、生と対峙してあり、そこに死とは遠ざけるものとされています。
そこでは、何かを遠ざけることによってあなた方の生活とは守られていると感じています。
そこを土台として人間的価値観とは発展したのであり、そこであらゆる名誉欲、自己顕示欲をあなた方に与えるものとされています。
そしてその「とりあえずの自己」の保身のために、
あなた方はその「融合」の際、そこに混乱を生じさせてもいます。
いわば混乱の原因としても、それら価値観とは存在しているのだと理解してください。
”通過儀礼”を終えた後、あなた方は再び恩寵に包まれた自分を取り戻すことができます。
というより、あなた方はいつでもその人間的な価値観を外した場所では、自然とともにあります。
こうした儀礼がなぜ必要かを考えてみれば、たいていのことは理解できるようになります。
ひとつの価値観はひとつの宗教といえ、それぞれが、その思想や価値観の手先として存在するのも同然の振る舞いをしています。
あなた方そのものが同化しているのですから当然といえば当然です。
そこにあなた方は真実の姿を隠すことになっています。
あなた方の世界が抱えている問題の原因のほとんどは、霊的な無知、自己的存在への関心の低さから生じています。
多くの国では、死と生はまったく相容れない真逆の性質のものとして、
そこに生きる人々の価値観によって片方は忌み嫌われ、片方はより崇高な美徳と権威を持つとし、互いは永遠に隔絶された関係にあるとします。
遠ざける必要こそないものを無理やり遠ざけ、そこに生まれたものとはなんでしょう。
結果そこに不自然なものが生じることになったと、考えにくいのは何故でしょうか。
人間的な価値観によって、死というものへのまなざしがどのように理解され、捉えられているかを考えてみてください。
そこにあなた方の生き方も実に不自然なものになり、
自分の感性以外の価値観に依存的で縛られたものとなって存在しているということです。
根本的な知識が隔絶されているということです。
しかし、いま、それが取り戻されつつあります。
あらゆる融和に向けた働きかけに際し、抵抗が生まれています。
恐れを持つなといえばますます、恐れが広がる、
しかしそもそも恐れというものなど存在していないとしたら?
そのようなことです。
人間的な性質である捕食的な価値観というものが、
どのようにあなた方を制限した生き物に変えているかを理解するときです。
人間的な驕りというものから何故すみやかに離れることができないか、
あなた方自身、自分をよく見てさえいればそれは理解できるものです。
ですから、自分たちがよく見えていないのは、自身の本当の望みが見えていないのです。
誰か他人に作られた望みに縛り付けられています。
死がそうであるように、あなた方は誰の信頼を勝ち取るでもなく、
誰の知識に依存するでもなく、自らその体験の時をその知性に迎えることになります。
そのように、自身に重大な変化に対しては、死と同様に、
あなた自らがなんら対外的なフィルタを通さず、
それを自身に知らしめることが重要になります。
あなた方の知性にとって現在不都合とされている事実の多くは、そのようにしてあなた方の元へとやってきます。
死があなたの人生の一部であるように、
自身の思考を盾にしていくらそれの訪れを防ごうとしても、
それはもともとあなた自身であるために、防ぎようがありません。
痛みや苦痛となる感情が生まれるのは、
人間的な価値観というフィルタを通すことで生まれる抵抗観念のためです。
それはただ自然な流れを阻害することで発生するものです。
一定の場所で起こる電磁パルスの抵抗のパターンが固定化することになれば、
そこには実際的に病気の原因となる障害(患部)が生まれてしまいます。
逆を言えば、どんな病気であっても、原因が特定できれば、患部を治癒することは可能だということになります。すでにそうした発明は正式な認可こそされていませんが、存在して販売されてもいます。
この”患部”をある特定の人間として捉えてみることも可能です。
このように人の発想というものが正式に人のためにあるものだとするならば、
心というものもいまだ完成を見ないものであるということは明らかです。
もちろん、理性も人間的価値観も未成熟のままあると言えるでしょう。
ですから心とは単なる価値判断のためのツールとして捉えて、
他人の働きに期待、また依存するのではなく、
自らが率先して自分を正しい場所へと誘導するために発揮せねばならないものであるのです。
そしてそれは単なる善悪といった価値観に同化したり、
判断基準となる指針と同化して正しさというものを仰ぐということではなく、
自らの感性そのものの解放に従って、すべてを迎え入れるように行動するということです。
これまで人に語られてきた心とは、未完成というよりは、
単にそこに片方(半分)しか語られて(存在して)いなかったも同然だということです。
自身にとって影響力としてもっとも強力なものとは、
そのもの自身の主観による判断であるということができます。
その判断もまた何らかの価値観のフィルタを通して得られたものであるとするなら、
ここで語ってきたように、人はそれ以外のもの、つまりそれらを超えた何かと同化して行動すべきということになります。
人間というものが人間的な価値観への陥溺なくして存在しないというのではなく、
それら判断指針、価値観を超えたところに自分を置くということがこれから必要となってくるのです。
そしてかつて、人間はそのように暮らしており、現存するいくつかの部族もまたそのように平和裏に暮らすことを伝えています。
如何に、ひとつの価値観が存在そのものを縛ることになっているかを知らなくては、
あらゆる正しさを理解するという心もまた正しく機能することはありません。
そうした社会においても、あなたがまず、そこに捉われもしなければ、
あなたにとって唯一強力な影響力(優位性)を示す自意識の庇護の下、
あなたは自然な感性のままに平和裏にやっていけるということです。
そしてそれはほかの者へも伝わります。
まず洗脳をとくには、その者自身の”捕食する性質”が変わらねばならないということです。
間違った比較、判断、心の使い方をやめればよいことです。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c29
31. 2016年7月18日 21:05:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[271]
>30
既存の社会、つまり資本経済を引き継ぎつつ、社会主義的な全体性による国家の運営、企業、生産性の維持をしていくやりかたで、いくらでもあなたの嘆く社会の現状は改善できます。
ちょっと考えれば誰でも思いつきますよ。
要は誰かがやるのを待つのではなく、自分を変えていくということだけです。
そこには、「楽しさ」しかなくなります。
楽しいと感じることをどんどん考えてやっていくということだけに集中すれば世界は変わりますよ。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c31
34. 2016年7月20日 01:11:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[272]
>32,33
あなたの現状を変えるのはあなたです。
あなたはまずエネルギーの捉え方からはじめなくてはなりません。
だって、そうでしょう?
あなたは現状、いかに自分がエネルギーロスを繰り返しているかに気づいていないのですから。
いかにエネルギーが無尽蔵だとしても、肝心のあなたがそのエネルギーを捉えきれていなければ、つまり、自分の力を制限し、他の価値観によって自分の可能性を否定し続けていれば、そこにあるはずのエネルギーを感じることも、当然、使うこともできるはずがないのです。わかりますか?
であれば、まずは、効率よく自分に与えられたもの、つまり身体の機能をいかに無駄(ロス)なく使うか、というところから訓練するしかないはずです。
これには、瞑想や武術的な身体の使い方を学ぶ上でも重要な要素となってきます。
あなたが思うように自分を使い切ることから、あなたの願う自身の生き方、
満足できる人生とはようやく始まるのではないですかね?
自分にとって重荷となる不要なものを捨てられないで、溜め込んでしまうのではなく、まずは身軽になることをお勧めします。もちろんそれは無理なく、可能な範囲からはじめるべきです。
まず「感じる」というところからはじめてほしいと思います。
常に価値観にて事象を限定したものに「捉える」のではなく、つまり、
何らかの価値観を通じて、あなたが知覚に捉えたものに、
あなたが理解できる範囲でそこに対して”意味を与えることをやめる”という練習です。
単調な価値観を基礎に置いた社会に適応することを余儀なくされれば、
そこでの人々は知覚性能を限りなく平均に落とし込むようになります。
そして、常識に合わせた範囲内のものしか感知できなくなっていきます。
そこに慣れてしまえば、素で感じるという当たり前にできることも、
かなり難しいものに感じててくるはずです。
ですからたとえば、人間的な価値観に落とし込んできたこれまでの反射的な捉え方を一度捨ててしまうことが必要かもしれません。
誰にも素の感覚というものが存在します。
あなたの知覚を通じて流入してくる外界というものを一切の価値観を迂回させずに、
自分の中に直に感じとおすということです。
これまでのお決まりの反応をやめて、つまり価値観のフィルタを通すことなしに、「感じる」ということです。
これを日々、どこでも、意識的に練習することで、あなたは今より自分の身体の精妙なつくりに気づき、今より違和感をもって自分の身体に関心が出てくるはずです。
たとえば、なんらかの不快な感覚、痛みなどを”感じている”自分に気づいたら、
それは実際的には痛みを”=悪いもの、遠ざけるもの”といった意味として捉えて、
あなたの脳はそこに「抵抗」を発して(感じて)いるわけです。
それはあなたと一体となった社会的価値観、または人間的な価値観(理屈や常識)がそうあなたに捉えさせて(感じさせて)いるわけです。
その”電気抵抗=痛み”は脳が意識せずとも、
今日まであなたが作り上げた価値観による回路が自動的に作り出しているわけです。
あなたが瞬時にそうした自分の意識の働きに気づいたら、
そのしくみと回路を客観的に見つめなおし、
自分で作り上げている限界というものに挑んでみればよろしいのです。
脳、価値観による働きにしがみついたり縛られている自分の姿を、
心、または感性の視点からあなたが客観的にその自分を見つめている自分に気づくとき、
あなたは今よりもっと自由でのびやかに息づいている自分であることに気づくはずです。
意識がそのように別の自分に移行していく段階で、何か反転するような感覚が得られるかもしれません。
あなたが今よりもうちょっとだけ違った自分を感じられたら、
古い自分を少しずつ脱ぎ捨ててみようとするかもしれません。
そんな心境を得るのではないでしょうかね。
ですから、あなたが何か悩みを抱えた不快かつ痛みを覚える状態にあるというなら、
まず、それはあなたが今、素の外界を「感じる」状態になく、
人の手で作られた不自然な価値観で「捉える」状態にあるということが瞬時に理解できるはずですので、すぐにモードを変えて、まずは落ち着いて知覚そのものの働きに集中して、身体の至る所に感じうけているはずのものをニュートラルに感じきってほしいと思います。
そうして少しずつ何かこれまでの自分と決別するようなことをしていただきたいものです。
そうすれば、何か無償で与えられたものを無制限に使って、
使い切ってしまえばあとは終わりという考えはもはや出てこなくなるはずだと思います。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c34
1. 2016年7月20日 20:03:32 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[273]
イスラムに関しては、わたしの手元にあるのはW・モンゴメリ・ワットの書籍だけですが十分な内容です。
西洋社会の中東に対する風当たりの強さは、かつてそこに抱いた嫉妬心と羨望、
そしてイスラム圏の文化的資産の上に彼らの生活がそのまま定着しているということに対する負い目によるもの、
つまりそうした自分たちに対する嫌悪感である、と考えることは至極妥当なものと理解します。
これは黒人を奴隷として扱ってきたアメリカ白人の歴史にも近いものを感じます。
つまり表立ってはいないけれど、彼らは、黒人文化に実際的には傾倒しているのです。
しかしながら彼らにはもともと選民意識、白人至上主義をうたった長い歴史観があり、
近代まで続く特権階級のもつ優越意識(裏を返せば劣等意識の呼び水)はそこから連綿と続いたものだと考えます。
そうした驕りそのものといえる彼らの意識のDNAから消え去らないということがまた、
ある種自縛めいたものとして、そこに彼らの喘ぎ、苦しみがあったのだと想像します。
彼らの信仰の中心基盤をなす原罪といった概念もまた、彼ら自身にかけられた呪いであるはずです。
それが怨霊のようにいつまでもつきまとい、自分たちを悩ませつづけてきたものだとするなら、
彼らはこれにいつか勝利し、決別するときを必要とするはずでしょう。
そうした彼らの思想の世界は常に単純明快で、悪か正義かのコントラスト一色でした。
昨今のスピリチュアルブームもしくはニューエイジ思想というものが興ったのは、
第二次大戦終わり、ヒッピーといった若い世代を中心に勃興したものですが、
そのムーブメントは現在に至っています。
そうした運動の意味は人類にとっても大きく、変化は突然のものでした。
突然変異(ミュータント)という言葉が流行りだしたのもこのころでしょう。
突如沸き起こった意識変革の道へと若者たちが誘われたことは、実際そうした彼らを責め続けていた暗部に対する救いとも見て取れます。
それは当然、既成の宗教では答えの出ない、彼ら(というより人類全般)が求めてきた、より優れた思想なり、
近代史の哲学が築き上げてきた難問を解き明かす本質へ対する答えなりが、
そこに確かに存在することを人々が感じ取ったということを物語っています。
このことはまた、現代の文化的ハザードとも関連し、自国には見られない、
多様な価値観や文化的背景、つまり自分の関心ごとのルーツを新たに国外へと求める人々が増加しています。
そうして近年、急速に民間レベルでのボーダーレスな意識社会作りの機運も高まっています。
そうした意識的な国境なき文化親交の広がりは、ますます顕著なものとなっていくでしょう。
多方面からの価値観の影響を受けて、比較的大人し目な人々も、そこに刺激を受けることで、多面的な感性の開花も期待されます。
世界的に今、あらゆる価値観の融合が起きていると見ることができます。
ここに、宗教的、そして思想的にも、これまでのような単純な価値観による対立はなくなっていくだろうとうのが私の考えです。
はっきり言ってしまえば、今テロが起きているというのは、そうしたこととはまた別の、
新しい動きを感じ取って、古い社会にしがみつこうとする、過去に捨てさられる勢力による最後の足掻きと考えます。
若い世代は既に新たな自分たちの道筋を選択しているのであり、それは揺るぎのないものです。
そこには新しい社会基盤の道しるべとなる、いくつもの可能性を示唆する道筋となる人々が存在しています。
ともかく、彼ら、そしてわれわれを悩ませ続けてきた呪縛があるのなら、またそれを解き放つものがあるのであり、人々は何らかの救いの道をずっと模索してきたわけですが、その不幸な時代を乗り越えて、いまようやく、何らかの方向性を見据える段階にたどり着いたということだといえるだろうと思っています。
それは過去の有史数千年の歴史を振り返ってみれば、あまりにも奇跡的な進展があったのだといえることであり、その為まだ人々の多くは、そのことにピンときていないのではないかと考えます。
よって、われわれは、それまでの歴史を繰り返し、再度、認識の旅に出るまでもなく、
彼ら若者中心を支持し、新しい時代の幕開けがきられたことに対してただ期待をもってみていいと考えています。
われわれが認識する苦難の時代は、実は単なる彼ら(われわれ)の思想(妄想)が迎えたひとつの結末として認識すれば、
以後それを繰り返さず、ただ改めればよく、そこで方向の転換を図る必要があるわけです。
いまだ、そこにたどり着いていないように見えていても、確かに進展は起こっているのであり、新しい秩序の世界の分布図は広まりゆくだけです。
私たちはそれを後押しすることに尽力すべきと考えます。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/379.html#c1
37. 2016年7月20日 20:45:22 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[274]
>35、36
あなたが如何に純粋な思考をもっているかは理解します。
そしてあなたのその考えでいいと私も理解を示したいと思います。
ならばそのような社会を作るためにあなたもまた自らその実現のために動き出さなくてはなりませんね。
あなたのそうした呼びかけは、あなた自身が自らに対して誠実にいることが何より重要なことだと思います。
そこに必要なものは集まると思います。
どれだけあなたが社会に対して誠実な人間であろうとしていたとしても、あなた自身が自分に誠実でなければならないということです。
ガソリンが燃焼して爆発し、それをそのまま大気中に放出してだけいるのが現在のエネルギーの使い方です。そうではなく、燃焼し空気中に蒸発した液体を再度液体に戻すということをすればよいのです。
社会も同じ事で、エネルギーの効率的な循環を実現しようとすれば、そこにあたりまえのものが出来上がるというだけです。
あなた自身の体だってそうですし、エネルギーに対する意識としては、目減りする”消耗”に意識するのではなく、ただ『感じる』(=受け入れる)ことに意識を保つということが大事だということです。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c37
40. 2016年7月22日 01:56:31 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[275]
>39
しあわせになれるかどうかは、すべて自分の感じ方しだい。
言い換えれば、自分がしあわせでないとするのは価値観で決まるもの。
子供は自分が寝入るまでの間、精一杯楽しむことがしあわせだということを知ってる。
皆が楽しまないと自分もつまらないということを知ってる。
楽しんで疲れて寝入る。みんながしあわせだといいね。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/391.html#c40
3. 2016年7月24日 01:08:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[276]
>2
”地中海世界のイスラム”という邦題で、要点が明確で、内容に偏りがなく、読みやすい本です。彼らへ対する偏見を取り払うにはその一冊で十分な内容であると思います。
けれど、敢えて薦めるものでもなく、大方、あなたには既知の内容物でしかないはずです。
ですので、それはあなたへの薦書として宛てたのではなく、あなたの投稿にコメントする上で、最低限の礼節として、わたしもまた彼らへの共感を有していることを弁えとしてそこに示そうとしたものでしかありません。
私のような進んで浅学であろうとする今生の私(経験主義の人間)は、容易に他人の考えを受け入れたがらないのですが、そうした単なる本嫌いが、イラク戦争を契機として、多少なりともイスラムに関心を示し、知っておくべきことがあると思ったところで購入した本はわずかその一冊だけでした。
あなたには根源的な知識への渇望が見て取れますし、私もかつてそうでしたし、今ももちろん変わりなく「そうある」といえます。
人間として生まれたからには、”人間が知るべき必要な知識”を”すべて身に修む”と不意に決意し絵馬に書き込んだ、今から二十年ほど過去の私に対し、いまだに私自身、リスペクトしてもいます。自分自身に敬意を表すとはそういうことではないのだろうかと考えたりもします。
未来がわれわれにとってすべてが解明にいたる『明快な場所』だとするなら、
今ある人間とは、いわばその『すべてが明らかとなる未来』の自分、つまり、『神』の古い部分を演じているのだということができます。
そう考えると、すべてはいまだ完成に至らない、よって未来永劫完璧で完成に至るものなどなく、それはわれわれと「いつなるもの」であり、そのわれわれをして証明できるもの、むしろ証明していかなければならないのだ、ということができます。
必ずしも、宗教で描かれるような神の姿が正しいものだということもできるわけではなく、そうした未踏の部分(未完成)を総て含んだものが”暫定的に完璧であるとされるもの”でしかないわけです。
であるならば、ますます、われわれとは理想を持って、自分たちの正しさというものを限定せず、常に望ましきものに向けて設定しなおし、常に今ある何か以上の完全性を理想高く設定して行かなくては、何も成らないと考えます。
既成の何かをただ知ろうとするより、未知の新しいものを作っていくべきだと考えるのです。
私は一般的もしくは人間的な、いわゆる世俗の生き方に馴染めず、けれどもそれらは否定するでもなく、ただ私にとっては不要なものとしてあるということだけ理解してきました。
その分だけ、一般の他者とは違った視点をもとうとしてきたということはいえると思います。
あなたもまた、根源的な存在のすべてを知ろうとするのでしょうし、ほかの人々もいずれそうなるのでしょう。
そして、もう十分だということにも、いつかなるのかもしれませんね。
ここ(人の世)で知るべきは、そう感じられるまで、ということもできるのだと思います。
私は人間という存在にあきらめたわけでもなく、まだ経過の折り返し地点をすぎた半分しかきていないと感じています。
ですから、人の心も、理性も、人間的な価値観も、いまだ人はその使い方も半分しかしらず、しかも、偏った使い方しか出来ていないと理解しています。ですから私は人間的な価値を知るのはこれからで、よって今後の世界には期待しか感じられないのです。
できるだけ別角度から世界を眺望するいくつもの視点を如何に束にするかが大事なのではないかという気がいたしております。
話題が前後して読みにくいのは、ここでは愛嬌と理解してほしく思います。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/379.html#c3
1. 2016年7月24日 01:33:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[277]
ああー、それはあるかもしれませんね(笑。>金
微生物の働きの中で、排泄物(?)として”金GOLD”を生成するものがいることは以前読んだ事はあります。
この地球特有、固有の生物かもしれませんが、その生成過程まで解明されていても不思議ではないですが、養蚕業同様、産業化を考えれば、金の価値はまったく別次元のものとなってしまいますね。
放射能も人間にはその毒性に対する耐性はありませんが、
他の生物がそれを無害化する耐性を得ている可能性は否定できませんし、不可能だと断定もできませんね。
まずは、われわれが知る光の性質に対する認識を変えないといけませんね。それにはわれわれの物質的見地というものに変則的に侵入してくる”われわれとは異なるタイプの光”に対して、つまり、これまでの研究対象外のものにしっかりと目を向けるということが必要になってきますが、その”山を越える”ために権威筋に期待をするのは無理というものでしょうね(笑。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/387.html#c1
3. 2016年7月24日 01:40:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[278]
>2
彼らを相手にしても始まりませんよ。
無知なものが何を言っても世界は変わりません。むしろ言わせておきましょう。
そのことでこちらは痛くもかゆくもありませんし、不都合なことが起きるのはむしろ彼ら自身ですから。
彼らを相手にせず、自分の求めることに純粋に精進していきましょうよ(笑
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/386.html#c3
2. 2016年7月25日 20:37:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[279]
良質なアイデア、発想を持つ人間が在籍する企業が食い荒らされることに対しては憤るものがある。
経済末期の状況が理解できる。
http://www.asyura2.com/16/hasan111/msg/287.html#c2
2. 2016年7月26日 13:39:58 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[280]
夢の象意として、よく大便は金とまったく同価値のものとして取り扱われもしますが、物事のサイクル、循環を表す、そういうことかもしれませんね(笑。
すると金の価値を=moneyに置き換えるという価値観を徹底して見直す必要もまた出てきますね。あくまで金そのものの価値は人の貨幣交換の概念による認識が与えるものとされていますが、この話はそう単純ではないということを考えるいい契機となります。
有史以前からはぐくまれて来た万物のすべての構成要素により支えられ、われわれもまたその循環により存在することができているのであり、突如この地球のドラマに参加したわれわれの意識もまたそこで、俯瞰すればより広大なスペースの一角を形づくる形成因子となったわけです。というよりわれわれの意識とは、万物すべての恩恵に関わる意識、いわば万物の働きの中を循環して構成されてもいる、ということができるでしょう。つまり万物すべてに意識の作用が認められることになりはしませんか?有機的無機的に関係なく、すべてに意識的な力の影響・作用が認められるのは、この広大無辺な宇宙の中に、独自的な法則体系としての物質世界の生成に至ることになった、その原初的意識の働きにまでさかのぼることができるはずです。
時間的な概念も、一次元にとどまらず、空間モデルがそうであるように、三次元的なモデルが採用されてあることはご存知のとおりです。つまり時間は直線的に一方向に向かって、どこまでも伸び続けるようなものではありません。
われわれの物質的世界を機能させているその背後にある意識の世界もまた、限定された物理世界に閉じ込められるものではないことはいうまでもなく、ひとつの宇宙的背景を有し、その中で自由に進化していく過程にあるものです。それが物質世界における私たちに関わるものすべてを動かしています。
すべてはつながりを持ち、それらの循環サイクルの中に、あらゆるものが価値あるものとして存在できるわけで、万物はわれわれのすべてを通して循環しつづけるということが理解できます。そこにもわれわれにとって望ましい社会構築に役立つ、必要不可欠な理解がでてくるわけですね。
現時点での金の取り扱いを見ると、天岩戸の隠し金庫にすべての輝きを閉じ込めてしまおうとしているかのようですが、そもそも金は権威的な象徴としてみることは誤りだと思っています。
古代においても、貨幣的価値が認識されるころには、後期のある時点ではそうした誤解はすでに生まれていたとはいえますが、それ以前に金銭的な価値観とは関係なく、独自的な価値が見出されていたはずです。
古代、金は祭祀用の装飾には多様され、欠かせないものとされてきたことは誰でも知ることと思います。
金を人の手に乗せて顕微鏡で見ると、人間の身体(皮膚)組織と分子レベルで結合するのが確認できます。ここにはある種電気的な作用もまた確認できるはずですが、非常に融食度が高い金属であるというよりは、人体になじみの高い物質だということができます。物質全般、その特徴がその大元なる光の振動数の違いだと言い表せるなら、金はその中でももっとも生命に近い、いわば光のベクトルを物質に閉じ込めたものと近似値的存在を放つものだということもできます。
光を神の愛と見なすならば、よりその金属は価値としての輝きを増すでしょう。
つまり、そこにあるのは神の霊性、いわば純粋な意識・生命そのものと見なすこともできます。その同質の霊性をいわば感応・感受するための道具として必要な金属と見いだすのなら、当然そこに必然的に価値は付帯されると考えます。
純粋な愛と、光の波動にもっとも隣接した媒体、物質と見えないものをつなぐもの、霊性に近しいものの象徴が金だとすれば、そこにある価値はただ希少な的な価値を示さないということです。
よって、金は使用してこそ価値があり、霊性を維持するものであるがゆえに、金の衣装を身にまとったと考えることもできます。
閉じ込められた金の真価が、岩戸の外の世界に出ることが望まれるということですね(笑。
3. 2016年7月26日 14:55:19 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[281]
水銀はまた、空海・弘法大師が若かりし日に水銀採掘に夢中だったという話を思い起こさせます。彼の海外渡航のための諸費はそうして後日、何らかの形でまかなわれたということですが、それは当時、水銀が莫大な財産を生んだということになりますね。
彼らが仏の山と定めた山、つまり部外者が出入りできない山には、水銀の埋蔵量を誇る山だったということはわかっていることです。
山賊の類も、そうした山で博打をしたという話も聞きますから、その当時は現在では知ることのできない豊かな様相があったことと想像します。私も若いころ、そうした山に一人出入りしては、その面影、痕跡を発見していました。つまり表向きの観光地はほぼ採掘された禿山で、奥地に行くと比較参照できるその名残が存在したということです。
水銀(マーキュリー)は錬金術にもたびたび主要キャストとして登場しますね。
ソマチットの働き、そしてわれわれの構成キャストでもある腸内細菌の働きもまた現代科学では観察の領域にあらず、対象外の存在とされています。いわば、人類の未踏、未解明の領域にあります。しかしながらその働きだけは事実として、われわれに知られているところとなっています。たとえば、植物の根から分泌される根酸の働きにおいても、陰と陽の結合による毒性の中和、またその毒性の働きを消し去る効果が確認できます。そしてその植物はまたわれわれの体内に取り込まれるわけですが、われわれの体内においても、同様のことが起きていると考えられます。
「柳の下の幽霊」の絵にみるように、江戸時代ころまでは、陰と陽の概念が実にうまくあらゆる技芸の文化の中に取り込まれていたものだと感心しますが、食べ物に関しても、食い合わせというものが認識されておりました。つまり、陰の食べ物、陽の食べ物と分けて、この病気に対してはこの食べ物を食わせろ、というように陰と陽の観点は薬学への応用が十分に期待されていたのです。つまり、陰と陽を組み合わせることによって無害化する、というごく自然な考え方です。たとえば白米とぬかを分けても、ぬか漬を白米にあわせるといったことだとおもいます。マクロビオテックはそうした考えを再興したものだと考えます。
これは現代の権威的な影響下にある学士認識ではまったく理解されないままのことであるようです。彼らは、それぞれの食物の構成要素を栄養学的に分類し、それぞれの人体に齎す作用のみを分析しています。そこでは、それらがどう胃腸の中で結合され、化学反応を起こすかということにはまったく触れないまま、それぞれの個別に実証されたデータだけがさも科学的根拠を有するかのようにだけ考えることにしています。
たとえば、卵は黄身と白身に分けられます。そして片方の黄身は大変コルステロールの含有量が多いことから体に負担をかける食べ物、つまり悪影響を及ぼすと敬遠されてもいますが、これは大変な誤解であると言えるわけです。
それは米や果実にもいえることと同じで、陰と陽のバランスが整った状態とは、自然に生まれた、そのありのままひとつのものをさします。つまり丸ごと食べることができないのなら、せめて、その代用を宛がうことで、未病を防ぐということになります。
ある種、太りすぎはそうした食生活における陰と陽のバランスが崩れることに起因します。精神的な影響も要因のひとつにあげられるものですが、当然それは身体の影響を色濃く受けることによるものです。筋肉をつけるために極力脂質を避けるという食生活も、ある種それはエネルギー代謝の崩れ、アレルギー反応を利用したものと言えるかもしれません。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/388.html#c3
3. 2016年7月26日 15:18:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[282]
>2
そうですね。あなたの考えは自然観、大局的な宇宙観に寄り添うもので、それが当たり前だと思います。なぜ悲観するのですか?それを実行できる力もまたあなたの中に、われわれすべての中にあるでしょうに。
このように人間的な価値観、つまり不自然な義務感に打ちのめされてしまうことで本来持ち合わせているはずのエネルギーを人々はわざわざ不活性なものへと置き換えてしまっているわけですね。
現行の社会(資本経済)をそのまま移行した形でも、ちょっと考え方を変えるだけで、新しいわれわれの悩みを総打ち消しにしてくれる、そのような社会を築くことは可能ですよ。何らかの権力的機構に抗うまでもなく、そういった無駄で無益なエネルギーの浪費をやめて、自分たちの望みを実現できる社会のビジョンを作ることに注ぐことです。そしてそれを自分たちのものにする、つまりビジョンを共有することです。その想像力をもって社会の道筋を変えていくことは可能です。
その方法案、つまり実践方法を多くの人々に知ってもらうとき、人々は”あたりまえに”その実現に向かって一斉に動きだすことになります。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/387.html#c3
3. 2016年7月27日 18:48:50 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[283]
ついこの間、今年の春のことですが、寝ようと横になった瞬間、寝ている頭の向きに対しての強烈な違和感に襲われたことがあります。
そこでは、北の方角が強烈に主張してきて、そこに正対せねばならないほどの身体の向きに対する違和感、もしくは強迫観念のようなものに見舞われたのですが、その瞬間、ああ、渡り鳥はこの感覚を持っているのだと直感しました。つまり人間の感覚も過度に、というか当たり前に自然に向けられていれば、そうした方向感覚も肌に理解することになるということなのだと理解します。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/376.html#c3
1. 2016年7月27日 18:57:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[284]
>コーランはその時代の要求と状況に見事に適合していた。
事の本質とはそれで、宗教的教えの内容とは事実との差がどうあれ、そこに人々の好奇以上の反応が見られること、それが大事なこととされるのです。
よってそれ以降がもっとも大事で、人々の関心ごとがそこに永遠無限に制限されつづけるのではなく、そこを土台として常に現状を乗り越えたそれ以上の価値観へと発展していかねばならないのです。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/383.html#c1
4. 2016年7月28日 14:16:39 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[285]
目新しい技術要素が新しい遊び方へと転換されることに対する期待感による反応は妥当なもので、それらがただ株主に向けてだけ取り扱われたことが原因としてある。
こぞってそれをただ食いつぶすように、騒ぎ立てたようなものだから。
そしてわかったことは、株主という存在がなんら企業理念を理解していないということ。企業のスポンサーとなる資格をなんら有していないものが、健全な企業運営をただ妨害してしまっている。これは社会的に見て、仕方がないなどと収められるものではなく、重大な犯罪行為とすべき問題だといえる。
当然、経済末期の状態には何でもありだそうだから、博打打ちたちの饗宴はこうして無残にも、自ら自分たちの首をしめて終わりを迎えていくのだろう。
http://www.asyura2.com/16/hasan111/msg/367.html#c4
6. 2016年7月28日 14:22:36 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[286]
そういえば、
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ040JJ_X00C14A4000000/
ここにもありますが、元素転換の技術はすでに応用化に向けて研究が方々で進められていそうです。けれども、実際的にその技術の中心にある変化の科学的プロセスは依然として説明がつかないままなのでしょう。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/388.html#c6
2. 2016年7月29日 12:26:45 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[287]
あほくさ
http://www.asyura2.com/16/hasan111/msg/381.html#c2
9. 2016年7月29日 16:47:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[288]
>フリエネさん
まず、あなたのそのムムムムムムムムムダなエネルギーの使い方とご自身にとって違和感でしかないはずの自己否定的感情の持ち方に気づくことが先決だ思います。
あなたがどうした経緯でフリエネの存在を知り、そこでそれをどのように生かそうとしたいと考えるようになったのか、その経緯があまり明確に理解できません。
あなたの言っていることは、単に、現行の政府に対して、お金をばら撒けばいいといっているのと大差ないように聞こえています。大事なのはお金でも、心でも、道具としてある、ものの使い方に重要なポイントがあります。どう使われるべきか、その望ましい使われ方の中でも、最高峰のビジョンを今われわれの手で生み出そうとしているところにあります。人々の中に望ましき未来が明確なものとしてゆるぎなく定着すること、その一点が私が現行社会の人々に対する提言であり、求める必要条項です。
あなた自身が好ましい自分の現実を手にするために、誰かにただ依存するということなら、それは、あなたの嫌う権力機構の存在をあなたの上位に常に正当性をもって置くことを意味していますよ。フリーエネルギーを生み出そうというする者の動機と、それを手にしようとするものの動機とは平和利用のために一致するものであることがのぞましいはずです。
人々が実際的にそれを目にし、利用するようになれば世の中は一変します。しかしそれ以前に、片付けるべき混沌とした状況がいまだ眼前にあるとするなら、その妨害心理の雲散霧消のために何をすべきか考えるべきでしょう。人々の派閥や立場を超えたところにある協定、利害関係を一致させること、つまり平和の推進のためにはそれは避けては通れません。
希望への歩みが目的であるとしながら、内実、いまだ戦いによって平和への樹立を呼びかけている。対立によって対立の構図を解消するような真似は不可能だということくらいいい加減理解すべきだとあなたもおもいませんか?
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/388.html#c9
1. 2016年7月29日 22:18:48 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[289]
イスラムとヨーロッパの自己認識 W・モンゴメリ・ワット 「地中海世界のイスラム」より
p.144
これまで私は、スペインとシチリアにイスラムが存在したこと、それらの地における活発な商業的接触によってイスラムの技術と産物がいかにヨーロッパに普及したかを示そうとつとめてきた。
こうして広まったものは、ヨーロッパ人には、その独自性(アイデンティティ)を脅かす異物とは感じられなかった。
イスラム支配下のスペインで共有された文化ですら、モサラペスのキリスト教徒には、それがイスラム教徒のものであるのとまったく同等に自分たちのものであると考えられていたのである。
私はまた、十一世紀の西欧における富と活力の増大が十字軍運動の出現にどうつながっていくか、またこれがどうして主としてサラセン人に向けられたか、についても語った。
十二世紀にヨーロッパの知識人たちがイスラムの科学と哲学を研究ようになったのは、うたがいもなくこの同じ活力によるものであった。
このようにイスラムと西欧の関係の種々相を検討し終わった以上、ヨーロッパにとってのこの関係の全体的な意味について、なにごとかを語ることは可能であろうか。
この問題の考察を試みる前に、いまひとつ触れるべき点がある。ずっと前に私は、イスラム史家が中世ヨーロッパを見ると、なによりもふたつの事柄におどろくと述べた。すなわち十字軍運動の精神的・宗教的深さと、歪曲されたイスラム像が、ヨーロッパ人の思考を十二世紀からほとんど現代に至るまで支配してきたこと、その二点である。今こそこのゆがめられた像についてなにがしかを語るべきときである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
↑
ここまで。
この章のこの序文からはじまる「ゆがめられたイスラム像」に関して、わたしはここに写本しようと試みていましたが、遅々として進まず気力もそがれていたところ、直接お読みいただけたことは幸いです。
この章ではおおきくわけて四点の誤ったイスラム像を紹介していますが、その中でもイスラム教が暴力的で狂信的だと性格づけている点には注目に値します。それは本の中でも論じられている通り、イスラム批判とは同時的に暗に、キリスト教は説得的で、平和的宗教だと印象付けているところです。これはキリスト教そのものもまたそこに大きく性格づけをされていったということです。
こうした兄弟間の性格付けのようなことが後世まで影響してきたことは注目に値するものです。いわば逆に言えばキリスト教信者の中には、力強さ、すなわち権力を求めていた者たちの中では、対するキリスト教に描かれる”やさしさ”は、そうした彼らの心中を満たすものではなく、”無慈悲な戦いの神”には打ち勝つことは到底できないと考えていた”気配”があります。
よってよりいっそうそこで権力志向のものたちは、権力的な力、すなわち霊的な力強さの出所、秘密を探ろうと躍起になっていったのではと考えます。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/384.html#c1
4. 2016年7月31日 17:36:37 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[290]
人々の本質、そして人が何を楽しみとしているのか、享楽の本質を問うことも必要だ。
当たり前にあるべき社会の実現のために大人ぶった態度や知識は必要ない。
http://www.asyura2.com/16/hasan111/msg/441.html#c4
1. 2016年8月01日 16:59:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[291]
お大事に。
それと一言だけ。なんらかの粘土をこねてすべてはできているのです。
意識も。観念も。そしてこの地球環境の物理的体系も。
そしてあなたの身体。
あなたの人生のあり方。
あなたの健康もあなたの病気も、おなじエネルギー素材でできています。
ねんどをこねて、あなたはあなただけの現実を作り出す電気回路、意識のパターンをつくりあげているのです。
自由なエネルギーのやりとりがなされている本来の宇宙も、それとかかわりを隔てる物理体系も同じ素材を使ってできていることです。
われわれはそこで常にただねんどをこねています。
今、何をこねているのか、気づいてますか?
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/398.html#c1
12. 2016年8月01日 21:50:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[292]
>freene
ささげます。
https://www.youtube.com/watch?v=QiG0kSdwogc
https://www.youtube.com/watch?v=UK-0_D5-TOo
https://www.youtube.com/watch?v=Cs8cNnTtXoo
https://www.youtube.com/watch?v=7ilUtaTAMxI
至上の愛よ、人の声に語れぬ愛よ、あなたとともに。
その心に最高の人間を語れ!!!!!!!!!!
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/388.html#c12
13. 2016年8月01日 22:10:10 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[293]
投稿者氏には申し訳ないですが、万物に捧ぐ歌。
https://www.youtube.com/watch?v=SZyJMWFMd1k
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/388.html#c13
2. 2016年8月18日 19:57:28 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[291]
馬鹿か
http://www.asyura2.com/16/hasan112/msg/193.html#c2
1. 2016年8月18日 20:00:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[292]
馬鹿か
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/403.html#c1
1. 2016年8月18日 20:02:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[293]
どの宗教も真実のまがい物でしかない。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/394.html#c1
13. 2016年8月27日 23:26:07 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[293]
>2
ほんとにそうだね。昭和の木造一戸建てに増改築を繰り返して旅館にしたような構造で、古くからpcと付き合ってきた人間でなければ気分が悪くなってくるかもしれない。
客をしっかりとつかむには根本的な建て直しは必要で、今はそういう時期という気がする。いまポイントのばら撒き(実質的に金のばら撒き)で懸命に客寄せしてるから、それが功を奏する可能性はある。
そして誰もがここで一考するだろう。
世の中こんなかんじでばら撒きで物を回しさえすれば案外うまくいくのだなと。
http://www.asyura2.com/16/hasan112/msg/326.html#c13
3. 2016年8月27日 23:41:36 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[294]
>2
馬鹿の正体まるわかり
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/460.html#c3
13. 2016年8月28日 16:44:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[295]
>6
心そのものとは無限性を根拠としている。
一方、「価値観」の根拠となる思想概念というものは、視線を無限性を解く方向にではなく、限定されていく方向へと投げかける。ここに直線を結ぶ方向性の対立が見られる。これは無限性の中では意味を持たない。
このマスト(限定)的な思索を生む考え方は、心の使い方により生まれたものだといえるが、それをわたしは誤用だと述べている。つまり心そのものではない。
わたしは「意識的な心」そのものの「使い方」に言及しているのであり、心の誤用によって何が生まれたかを人々が知る今だからこそ、そこにやがて芽吹くものもあるだろうと期待しているといっているのである。
われわれは生身の人間として存在するが、そのわれわれはその肉体という道具と一体化して存在する。
しかし人々は、この肉体という道具の奥深さをまったく理解していない。それは心の使い方がわかっていないからである。よって使い捨てのカイロのように考え、如何に硬くしないかだけを考えて、硬くなったらあとはただそこから離れることばかりを考えている。それはくだらない知識や思想、懲り固まった価値観というものがそう判断させるのである。
だからまともに立つことも、よって歩くこともままならないということになる。
現代の大半の人は自身の体の使い方をわずかもわかっていない。自らを苦しめることしか学んでいない。
それは心についても同じで、道具というものは使いこなそうと向き合うことでやがて自身と一体化させるまでにいたる。そのとき、道具、そしてそれを扱うものはよい働きを見せるのである。しかし、あくまでそこには、そのものの心(意識)の使い方が表れているというだけである。
これは「痛みというものは、その痛みから離れることを教えるために存在する」というように、意識、心の使い方によって自らにだけでなく、周囲のすべてにその影響を投げかけることとなる。それは目に見える行為として存在する以前にすでにそうあるのである。あくまで、心としての意識の使い方は自然とともに一体となって存在する。
まず己がそうでなくてはならない。
道具をいつくしみ、その体が動きたい方向に解き放ち、動かしてやるには、無限性の自然と向き合う開かれた心ができている必要がある。不安なき心。恐れなき心である。これは思想やくだらぬ価値観によって、体がそうした畏怖の対象と対峙して、そこから意識が離せなくなってしまうということとは違う。その真逆である。集中して固まってしまうことではなく、ひとつのことに没入してしまわないように、物事をひとつの価値観にて捉えないように、「集中しないということに集中する」といったことである。
心の対応が無限性に集中して開かれていることによって、道具もまたそこで自然といい働きをするということである。
価値観や思想は自分が自由になるのをただ阻害するだろう。
人間は、そうして心の誤用によって生まれた副産物を通して、かなり迂回して必要なものが何かを知ったのである。副産物と嫉妬や羨望、所有欲、戦争といったものである。
苦しみや痛みといった経験、そこで自分にとって不要なものが何かを知ったなら、速やかにそこから立ち去ればよい。
それができないのは思想やくだらぬ価値観に雁字搦めにされているからだ。
そしてまた、人々は心という道具をそのように扱うことを知ることで、新しいもっとより自然な感性にちなんだ社会を作ることができる。
わたしはそこに期待するといっているのである。
そしてまたその方策の基礎となるものは私の中にある。
話をしたところで何の役にも立たない話をするつもりはない。
私の話したいこととは、彷徨うか様酔うだけの飲んだくれた人間の話と一緒のものではない。
(イースタンユースの歌詞より引用)
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/399.html#c13
9. 2016年8月30日 00:08:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[295]
おもしろいねー。日刊現代。悪魔退治だぜ。ついに悪魔調伏か。
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/886.html#c9
3. 2016年8月30日 00:10:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[296]
>1
やっぱり馬鹿か。
http://www.asyura2.com/16/kokusai15/msg/109.html#c3
2. 2016年8月30日 00:18:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[297]
>1
おまえよ、現状何にもわかってないくせに語るなよ。この能無し。
20. 2016年9月04日 00:11:30 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[296]
>6
あわせて書いておかなければならないことは、「わたし」という”存在”を何と定義するかはとりわけ重要であるということ。
我々は「肉体」という「ツール」と一体化して生まれているように思えるが、それらはあくまで、道具と「道具を使う立場」とに別れて存在する。
それは「心」とて同様。
それは一方、”我々とは個別に存在する「個体」の寄せ集めとして存在する”のか、それとも「そう見ることができるが実はちがう」のかに関心を寄せ、できれば自分の頭で考えてほしいということである。
今の人々が自分たちを何かしらの出来損ないのように捉える事からすべてははじまっているからである。
「それぞれはすべて全体の一部分をなしているに過ぎない」と捉え方を受け入れることが果たしてできるかどうかということ。
この捉え方の違いは意識的なスタンスの違いになる。変化を期待したいということ。
その違いは両極といえるほど大きいものであるがゆえにこのことは重要である。
人間的な価値観の発想の出発点としてあるのは、自分をいつまでも「ひどく無能で小さなもの」と見ることにある。つまりあらゆる分離の溝に囲まれて「わたし」とは存在するのだという「思いこみ」にある。
これは「思う」のだから「思い込み」である。しかし、これを事実だとしているところに難点があるのだということ。
一切の思い込みを捨てるということから始めるべきである。我々は捨てるということができない。だから拾うものもない。
人間的な価値観によるこれら思い込みは低俗でばかげた発想しか生まない。それらは劣等感、感情的ないざこざに発展する。差別を生み、それらを乗り越えようとする正義、努力、哀れみ(永遠に抜け出せない差別)をも生む。人間的な価値観とはそうした思い込みのガラクタの山だ。
なんらそうした括りに縛られないというところからスタートするかしなければ、私の言っていることはわからない。そして心の使い方も。
物質的な体の使い方に長けている者とは、その道具と”一体化”している者をさす。逆に、思想的な存在を示す者は常にそうした道具から一定の距離を置いている。継続した魂の輪廻の間にそうした癖を身につける。どちらもバランスが取れているとはいえない。
みずからを意識的な存在としてみる機会に出会ったとき、肉体や心と「わたし」の関係とは、あくまで「ツール」と「使う立場」としての関係にて存在するということを理解すべき。
そこでは逆に、「私」という意識的な存在を分離した一個体の塊として見ることのほうが難しいだろう。このことは、肉体的な制約から抜け落ちたとき、誰もが気づくこと。そこで自分を自身で縛っていたということも丸分かりとなる。そこで、さまざまな人間的価値観、思い込みなどによって自分をそうした観念体系と同体化させ、わざわざ社会的な概念などにいちいち参照し、定義された存在として「私たらしめよう」としてきたにすぎないことがわかるだろう。「私は社会人である」「私は母親である」というように。しかし、そんなことはなにも死んでからでなくとも、今ここで解っていてよいことだ。
心の使い方を知る、とは、そうした観念的なものに没入してしまわないためのものである。そこであくまで自分を道具を使う立場と自覚し、その本質を見失うことのないようにするということである。他社もまたそのようにみなすということである。
「思いやりをもとう」などと偽善でばかげた価値観に踊らされれば、ACの宣伝同様場か同然となる。そこに進歩発展はない。
よって自分の心を馬鹿にするものは自分を馬鹿にするも同然であり、当然他者を蔑視し続けるも同じ。その逆もしかり。そうなれば、そこにあらゆる解決の糸口は永遠に閉ざされる。
思想などの価値観や観念的な縛りにほだされ感情的な自己の態度に自身がのっとられれば、そこに「道具を使う立場としての自分」など存在しないということになる。つまり「道具に使われる馬鹿」となる。ここは実に馬鹿が多い。小突いても気づかないようならもうそれは手遅れだからかまっても仕方ない。
「道具を使う立場」は、その過程で「道具に使われる立場」に降格してしまうということだ。「馬鹿とハサミは使いよう」という言葉にもあるとおり、特定の観念のとりことして足並みそろえていいように円卓上の思想のドラマの駒として使われるようになる。
「心」とは育むべき「器」である。勘違いすべきでないのは、心とは、”特定の思想に依存などしない”のであるということだ。
水がめ同様、中身が濁り腐ったら、それはただ常に川の水、泉の水で洗い流して清い状態にすればよいだけである。そしてその水とは鑑賞するためにあるのではなく、人を潤すものである。常にすがすがしく一定に潤った状態を維持していれば、その心は人の社会を潤した状態するための方策を教えてくれることだろう。
つまりそれは「ツール」としてみて、当然使い方しだいで、格別最高のものにも最低のものにもなるということである。そして、その扱い方を知ることで、自己的存在として成長するということである。よって心とは敬意と感謝によってあらゆるものと一体となるべくして存在するツールである。すなわちそれ自体、私自身にも感謝できるのである。
ただ、どこにいたとしても、そこを礼拝の場所として定め、自己の存在そのものに敬意を込め、頭を下げ、感謝しつくすことでである。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/399.html#c20
41. 2016年9月15日 18:24:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[297]
醜態以前の問題。官僚にはこういうのしかいない。すでに自滅崩壊した人間が招くところのものを私らは見ているだけ。実にお粗末。
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/773.html#c41
24. 2016年9月15日 19:21:11 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[298]
ある意味ではここに及ぼすほぼすべての情報は罪無き詐欺師の戯言だ。無知をいいことに誤情報を垂れ流し、混沌とした世界で互いを傷つけあい、そこに派生する泡を啜って生きている。
しかしながら、そうした情報過多の世界においてもそれら情報による影響というものは、自分自身で作り上げているのである。
それぞれ受け手に自身に対する責任の一切があるということだ。
よって教育とは、それぞれに自身を育て上げようという気概を持つことを先に伝え知らさねばならない。外からもたらされる情報を自らの感覚を用いて咀嚼することができなければ、それら知識に術理のすべてを理解することはできない。自らの感覚、器の使い方を養うことが何より自分を生かすための基本となる。
わたしは私の述べたいことを素直に述べるまでであり、それをどう利用しようとそこにはコミットしない。当たり前のことである。大事なことは摂理を学ぶ姿勢と眼にある。
既存の規範を如何に表面的に保つかということが重要なのではない。それを伝えるのみである。
そして人を傷つけてまで自分を守ろうとするより傷をつけられたほうが楽でよい。傷つくことなど恐れていても仕方ない。その恐れだけで人は死ぬ。傷などすぐ癒える。ばかげた算段だ。
自分の傷がいくらでも癒えないとするのは他者を癒そうとしないからである。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/399.html#c24
1. 2016年9月15日 23:01:15 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[299]
だからいい加減行政というものは、無責任な官僚らなどに任せず、陪審員制度同様、都民全体で交代制で人員を配置し、管理運営すべき。この手の問題は必ずたらいまわし。誰も責任など取らない。
必要なことはすべて全体で話し合いをし、反対意見があれば積極的にその意見を汲み取り、納得のいくまで話し合いをし、問題には全体で取り組むという姿勢を示す。形だけではなくてね。
この幼い社会性から脱却するには、絶対的な権限など一人に預けないこと。その下のものはみな無責任に働くそぶりをしているだけだ。責任者など立てても誰も納得できる責任のとり方なんて存在しない。わかっていることは即刻改めるべき。
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/824.html#c1
24. 2016年9月15日 23:33:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[300]
最後的には国民の意思、県民の意思となるが、それぞれの中でも意思の対立はあるのだと思う。
もう日本の領土も分断して二つに住み分けをすればよいだけだと思う。戦争したいものとそうでないものとね。何も馬鹿官僚に保護してもらわなくともよい。
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/815.html#c24
29. 2016年9月16日 22:06:17 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[301]
なるほど、あなたのお考えだ。お好きにしたらよいではないですか。ご自分の考えを持つことが大事なのですから、ご自分の考えを大事にされてください。
そうまでして守りたいものなど私には何もありません。あなたは私より数段上の高級な考えをお持ちのようで何よりです。そのために、私より守りたいもので満たされており、心配で不安で仕方ないとでもいうのでしょうかね。
少々あなたの申されている言葉が私の知っている言葉と違ってわからない部分も正直あるのですが、あなたが勝ちにこだわっているということはわかりました。
あなたが私に勝つことにこだわるとするなら、私はこの回であなたとの交流を切ることにします。あなたの所有欲を満たせるものが私にあるというならそれをお譲りしましょう。
喜んでいただきたいのですが、ほしいものがあるならそれをあなたにプレゼントしましょうと言っているのです。
そして私に敗者というレッテルを貼ればよろしい。お好きにすることです。
そうされたところで私は痛くもかゆくも、目減りするものも何もなく、私もこれで楽になれるというものです。
あなた自身よく気づいていないようですが、なぜあなたが私に噛付こうとするのか。ここでその理由も少しは理解されることを望みます。単純にあなたが正しく、私は間違っていると判断できる規範を私は所有したいと思いませんので、その判断はあなたにお任せするということです。
あなたが私に苦しみを与えたいとするなら、そのようになさればよろしく、そこで何かをつかむこともあるでしょう。
人の想いは尊重できるもの。しかし、いつその想いが人を救うことになるのか。また苦しめているのか。私はそこに関心があります。
あなたはきっと理解しておられるのでしょうね。
とりあえず、今のあなたの思いをあなたもまた尊重するしかないでしょう。それが正しいとも間違ったものだとも誰が言えようか。あなたはあなたらしくまずその思いにしたがってそのように生きればよいだけですし、私はそこになんら関わりはありません。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/399.html#c29
30. 2016年9月16日 22:41:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[302]
細かい部分はあるとして、すべて私の言葉として、私の本心だと理解すればそれでいいでしょう。私の言葉に撤回する部分はありません。つじつまが合わないとすれば、それはそのまま受け止められればよろしい。
私はこの言葉で商売などはしていない。受け取るものが自分の責任で持って自分のために利用されればよろしい。
私の言葉を上回るものを自分の中に生み、作られればよろしいだけです。それを望んで発しています。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/399.html#c30
3. 2016年9月16日 22:59:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[303]
生物学的に女性であることは確かだから何もおかしな部分はないのだといえる。
これまでの政治がだめだったということを暗に示したのであり、そういうほかないと強い立場をしめさんと判断し発したのだろう。
見た目が男である者が「女性目線で」といったという話ではないのだから、少しもおかしな部分はないといえる。
「人間目線」でといえばおこがましいといわれるだろうが実際、政治の舞台はそれが必須。この言葉に反論したいとするなら、そのように指摘すべき。
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/863.html#c3
1. 2016年9月16日 23:09:57 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[304]
最たる例は「原発」だろう。すべての廃炉費用を国民が負担する流れが生まれているということ自体ばかげた道理だ。NHKの問題、そして沖縄の問題、裁判所の体たらく。国の解体を待つまでもなく、自然と崩壊過程に向けて進んでいる。その前夜にわれわれはいる。われわれ人間の生きた証、ひとりひとりの知恵や考えというものがここで試される。
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/878.html#c1
31. 2016年9月16日 23:47:25 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[305]
もし私の言葉に疑問を感じ、何を言わんとしているかを考え悩み、堂々巡りするというならば、そこで自分はどうしたいのかを考える、いい契機となることを望む。自分に向き合ってさえいれば、必要な答えとは必ず出るものである。苦しみにこそ感謝することだ。何かを嫌悪し、遠ざけていれば、あなたは痛みとともにあり続ける。
わたし自身、ここに書き残した言葉を振り返ってみても、正しく記せているとは思わないし、不本意ながら伝えたい真意を隠してしまう言葉の言い回しのおかしさや、誤字や脱字も発見する。その時点その時点で、私は過去の自分ををふり返ることはしない。得るものはないからだ。常に考えは前進している。よってその場で新たに、よりまとまった言葉が出ることを自分に期待する。
私の言葉を好んでくれる方もまたそのようにあってほしいと願うし、そこで私以上のひらめきを掴んでくれる事を願う。そうした人の出現を願って書くのである。
私は学習塾の先生などではないし、そのような存在にはなりたくなく、また、それで生計を立てたいなどと思ったこともない。純粋に私は人にとって大切なことを考えてほしい。それはすでに答えの出たとする、決まりきった規範の写し書きではない。
なんらかのきっかけとして存在する。たったそれだけの関係性が築かれもすればいい。それで私は十分自分という存在に満足できる。
逆に言葉だけを鵜呑みにして、自分の考えとしてもてないでいることを憂う。それ以上を自分で考えることを放棄し、他人の言葉をなんら疑問に思うこともなく、反芻も咀嚼もしない。そうしたことには憂いを覚える。
かといってわたしはいたずらに言葉だけをおいて、そこに堂々巡りをさせるという目的でここに出没しているのではない。そうして悩ませることだけを目的としているわけではない。真意を伝えて去るつもりでおり、しかしながらその真意は一字一句言葉として脳内に収めることで理解に至るといったものではないのである。
それはこのあとに控えている投稿でも同じことだろう。それでもあなた方には不十分なものに映るかもしれない。それでも私の伝えたいところを私は自分の言葉で書くのみである。
4. 2016年9月17日 01:17:04 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[306]
>3
言っている言葉の内容が尻にいくほど矛盾していってますよ。そうしたあなたがまず、どうしたらそこから離れることができるかを真剣に自分に問いかけてみなくてはならないのではないですか。そうでなければ宝の持ち腐れとなってしまいます。結局、「誰もそこに答えなど出せやしない」ということをあなたは自分の答えとして持つことになってしまうのではないですか?
遠ざけたくても離れられない。「巻き込むな」と嫌悪しているうちはあなたが敵をつくり、そこから離れようとしていないということですよ。それは愛しているから離れられないというのと同じです。あなたは自覚しているはずですがね。つまりあなたの中に敵が住んでいるということです。よい意味であなたにきづきを与えてくれる影なる敵としてね。あなたはこうした舞台で、憎いはずのその敵をも窮地から救い出す方策を考えているということですね。そうならなければいつまでもあなたはそこにとどまることになりますよね。わかっていることだと思いますが。
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/707.html#c4
3. 2016年9月17日 20:01:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[307]
そういえば先日のイスラエルの衛星を搭載したロケットが発射台でなぞの地上爆発でおじゃんとなりましたが、実際は何を搭載していたんでしょうかね。
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/714.html#c3
1. 2016年9月17日 23:23:03 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[308]
国の中枢にある価値観とは侵略者の頭脳。絶対的な権限を彼らに与えるとする時点で間違っていると気づかなくてはだめだよ。
ネイティヴはみな力で支配侵略されてきた。それらをどう解体するかを考えないと未来などないよ。
われわれの無能さとはそこから始まっている。心はそこに蹂躙される。人間性など育たない。犯罪は増えつづける。すべての悪の巣窟が政治の舞台にあると理解しないとね。
力で縛り付けて何かなると考える。その考え方自体があほだね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/923.html#c1
4. 2016年9月18日 21:50:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[309]
聴衆の手に持っているスマホの画面にも注目ですね。いるはずの場所には誰も立っていないのがわかります。
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/718.html#c4
2. 2016年9月18日 23:09:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[310]
手数料のいらない電子マネーバンク(ポイント)にチェンジしたらいい。紙くずのいらない社会にチェンジすればいいだけ。
http://www.asyura2.com/16/hasan113/msg/381.html#c2
4. 2016年9月22日 01:01:09 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[311]
国民主権党がいい
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/732.html#c4
2. 2016年9月23日 06:57:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[312]
ではそんなものはいらないということだね。
つまりそこでひとつの政策に固執してかしこぶるものほど馬鹿で知恵がないということだ。
http://www.asyura2.com/16/hasan113/msg/509.html#c2
13. 2016年9月24日 04:05:57 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[313]
顔見れば分かるけど中身も気持ち悪いよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/285.html#c13
2. 2016年9月25日 04:39:46 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[314]
土地の所有権とは本来住民が個別に抱えているのだから、住民がそれぞれ裁判を起こせばいい。景観に関してはそこに居住する人間にも、そこを訪れる人間にも平等に美観と景観を保護し維持する権利というものがある。われわれはこれ以上負の遺産を残すかどうかを自らの意思を発動する権限もある。
ごみ屋敷の強制撤去の例を見れば納得できる。どこからどこまでが共有の財産か、そして何を負の財産として共有しているかをこの国に住む人間は沖縄県民同様にいま、認識する必要がある。
美観を維持、保護するための健全なる理由とするものをわれわれは持つことができる。さまざまな人々の人間的価値観に照らして、それが生活にどう影響し、また打撃を与えるものかをそれぞれの観点から見直し統合する用意をすべきである。
この問題はそれぞれの県知事が同様に、自分たちの県の抱える最重要文化財がもし同質の理由で破壊される危機に瀕した場合、どのように対処するかシミュレートすることだ。同時に日常のありふれた生活領海内の景観が汚染されることになった場合、どうした態度を表明するか。その場合を考えることくらいはすべきである。
できれば県民にアンケートをとり、その結果を公表するというのも面白い。
美観の損失が経済的価値資質の破壊になりうるかどうか。そこを守る人々に対してどういった影響が出るか。司法の判断、制裁はどのような圧力として人々にのしかかるのか。あらゆる判断と措置の提案がなされることを期待して行うのである。
われわれは今一度人間的価値というものを人々の意識の中に定義しなおさなくてはならないのかもしれない。戦後70年の呆けた時代を経て、まったくその頃のまま保存されてきた問題が、いまや再度テーマとして浮上しているのである。ここにある人間はそれに対処しなくてはならない。
改めて、人々の真価とは何か。結束とは何か。人間的価値観というもののよしあしをここに決する時である。
人はただ劣悪な環境の中に、その成長過程にある美的感覚を圧し殺し、再び絶えがたきを耐えて生きていけばそれでよいというのか。それへの答えをそれぞれの胸に問うのである。もしそれでいいとするなら、それでは、そもそも人間としての行き場、価値を示す生き方自体、われわれの意識の中から必要されなくなってしまうだろう。
国も必要なく、何かを所有、証明する必要も、そこで租税を支払う必要もない。そこではすべて強制的に侵害されうるものであるからだ。
人間のおごりとその反面のていたらく。あまりにも精神性が低いままわれわれは生きてきた。生き物としての人間など、誇らしげに語れるものは何一つなくなってしまうだろう。
自然な景観への人的行為による破壊が人体に与える影響は如何ほどなものか、政府が動かなければ海外の機関の協力を仰ぐ手もある。科学的にストレスの数値などを証明することが必要だ。そしてそれを認知徹底することも必要だろう。
特定の人為的目的達成を理由に景観を壊す権利などそもそも存在してはいけない。
国という横暴性は誰のために執行されるのかを考えなくてはならない。その時点で、沖縄の人間がすでに党の国家に蹂躙されているというのはまったくもって不可思議でこっけいかつおろかで忌まわしい事態である。誰のための国家であり、誰が存亡の危機に瀕しているのかを明確にせねばならないだろう。
強制執行というものは、悉くそうした生存権を有するすべての権利の侵害にあたる行為だと理解する。
ある種平等に与えられているはずの権利が沖縄県民だけ侵害されているという事実に対して、それ以外の人間は関係しないといった話ではない。
この問題そのものが原因で過度に強いストレスを受けている住民は多い。
(国家)権力の横暴とはそこにある。その権限の行使は現段階で免れないとしても、精神的な保障に対する賠償の請求はそれなりに成果を挙げるだろう。
福一原発のこのたびの雨量による増水でどれだけ海水に汚染水が混ざりこんだか。
そうした責任の所在を考えても、それら汚染の根本的原因を作った責任の一端を国民にかぶせるなどとは理解に苦しいものがある。
国家的判断とは常に国民全体の判断とは一致しない、けして一致してはならないものである。
知らず知らずのうちに政府主導の下、誰もが容認できない無責任な行為のツケをうやむやのまま国民に押し付けようとしているというのは看過できないものがある。
原発問題だけを見ても、自然環境の人為的破壊による人体への悪影響は(和解)金品などで清算できるものではないことは誰でも理解できるものである。
なぜそこに人の弱みが据え置かれたままか。われわれは積極的にこの問題を解消する為に動かねばならない。
事後に何か起きても、その責任は当時の政府の決定にある。そしてその責任所在は現行の政府に受け継がれてある。それを認識できないものが政権を担うことはできない。それができないのなら、そうした政府の体制を存続すべきでもないはずだ。
政府の決定は国民の意思が反映された決定とはならない。議員選出の方法もいい加減変えるべきであり、そのことはわれわれ国民の責任といえる。
それだけでも沖縄同様、われわれひとりひとりは国に対して提訴できる問題をおおく抱えている。
司法に対してもそうした責任の一端を追求すべきである。その責任を果たすことを求めることができるはずだ。これ以上馬鹿な国家は続けていく価値はない。われわれにも義務はない。追求すべきは、国というよりこれは現行政府の面子の意思決定に対する責任問題である。
弱き立場を守るということができない国のあり方、その動かし方。そこにそれら面子の人格が浮かび上がる。もちろんその人格のレベルは最低である。
そこに育つ国民性を以後、どのようにコントロールし維持していくとするのかははなはだ疑わしい。私は強行に権限の力を行使して出来上がった体制はそのまま強硬な姿勢を維持していくとしか理解できない。蹂躙された人々はその記憶を元に抑圧された心理をいつまでも抱えていくことになるだけである。
戦後70年、この国の人間はただ問題を棚上げしたまま、誰も何も変えようとしてこなかった。そこに人間的な進歩進展はない。かつてのよきころの日本などというものはその間まったく存在していない。ただ呆けるように日常を繰り返すだけに仕立て上げられてきただけだ。しかし、それでもその間、変革の希望種が蒔かれたのはいいことである。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/400.html#c2
5. 2016年10月01日 07:00:45 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[315]
情報に振り回される原因とは各自の中にあるということに気づかれれば幸いです。疑念というものは必ず解消に向かうのですから、自身がそれを阻害しなければいいことです。何かを強く信じる必要もなく、当たり前と感じることもまたなぜそう感じるのかを自身の中にその回路が仕組まれていることを理解すればよいだけです。
こうした場所で、ただ疑念を抱くままに、そこから目を離せなくなり、抵抗観念だけを徒にふくらませていくだけで何が真実かなど一向に見えてはこないはずです。
小池都政への注目は、そこに対照的に現政権の政治家としてあるまじき態度が浮かび上がるものです。政治を担う立場としてあるまじき我欲による権限の乱用とおごりっぷりを際立たせています。よって小池都政は現時点で、流れとしては「よくやっている」と素直に評価できます。
この流れにのり、「改革」をひとりひとりが叫んでいくことで”個人の責任”と共に一体である”個人の権限”を取り戻していくことになればよいと考えます。
この「個人の権限」の奪取こそが、まっとうな政治ありきとする国民の自覚を促すものになると感じますし、そうしなくてはなりません。その”権限の放棄”が今日までの横暴な政治を許す原因となったのだと理解すれば、政治とは少数のものに権限など与えて執り行うべきではなく、国民総出で取り仕切るべきものだとの認識が新たにされることとなります。そこにのみ現政権を転覆させ、新しい体制を敷く力が秘められています。
http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/782.html#c5
2. 2016年10月01日 07:57:50 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[316]
そもそも単純労働を必要とする企業が多くあるのは当然といえ、低賃金にならざるをえないのは特定の企業側にのみある問題ではなく、一定の生産性の維持により運営される社会全体が抱えるべき問題であるといえる。
単純労働に就く労働者は能力がないわけではなく、企業および社会全体を底支えするものとして不可欠な位置立場にあるものである。(現行社会には不要で不適切な価値観が存在する。)
現政権のような古びた価値観による浅はかな入れ知恵だけでは、到底こうした当たり前に必要とされる概念による、需要と供給による生産体制を施行維持することはできない。
人員を多く必要とするため、結果低賃金にならざるを得ないとする企業の、管理職が頭を悩ますコスト面の”削減部分”をどのように解消すべきかについて、まっとうな議論をするならばその解決策はいたって単純である。
労働者が少時間の労働でも暮らせる社会保障を実現することが必要である。企業にはコスト面を考えず、現状のサービスと利益を維持するための必要定数以上の多くの人員を確保導入できる理由を与えることである。
社会において大事なのは生産と供給であり、金銭面は二の次である。物価は当たり前でよく、コストパフォーマンスの高い安いの問題にしないことが必要。当たり前のものを当たり前の金額で変える環境を整えれば済む問題である。
正しい解決策とは、いかに全体が社会全体の運営に勤しむことができるか、その環境を整えられるかだけにある。
いまやものを売買するにもポイントだけでまかなうことができ、その発行権は企業側に存在する。そこに理解することは、そこに必要なものは、ただ生産と供給の維持と、労働意欲に対する体制づくりだけである。
http://www.asyura2.com/16/hasan113/msg/765.html#c2
3. 2016年10月03日 08:42:28 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[317]
誰に任すのもいやというなら、自分たちでやるほかない。
それでこそ責任問題が解消される。それもいやならだまって時世にまかせるほかない。
無責任なままで口出しだけするというのは、それこそ下の下である。
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/772.html#c3
6. 2016年10月03日 13:23:28 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[318]
そもそも責任問題とは上のものがとることになっている。誰も責任を取れないのに、執行部なるものが存在するということはありえないし、あってはならない。
都政に動く人間がいたとして、それは上の命令で動かされているとする。では誰が最上に立つのかといえば、本来それは都民である。
はじめから誰も責任を取らなくてすむようにそれぞれは動いているというなら、責任者など当然でてくるはずがない。そうした知恵は今では人々は山ほど培っているのだろう。
つまり、都民が執行権限を誰に与えているかを明確にすべきであり、それができないなら、都民に責任があるということにされてしまうだけだ。
というより、都民が政治を動かしていく新しいキーパーソンとして小池都知事のいう改革をしっかり自分たちのものとしていくことで、流れに方向性を付け加えていく力はやはり都民にあるのだと私は見ている。都民は小出しにアイデアをもって政治に積極的に参加していくべきで、流れを自分たちの権限を示す田んぼや畑へと引いていくべきだ。
後藤新平とはそのような期待をもって言葉を残したと私は理解する。
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/772.html#c6
33. 2016年10月03日 16:24:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[319]
政治や経済なんかにゃとんと疎い私の母が、一昨日夢で、日本中の銀行で預金がおろせない騒ぎとなっている『夢』を見たそうで。聞けばどうにもリアルな話で、さもありなんと返答した私。
http://www.asyura2.com/16/hasan113/msg/645.html#c33
1. 2016年10月04日 18:07:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[320]
まあ、フィリピンの話はこちらの感覚ではすぐに受け入れがたい話のようですが、それだけ野放しにされた問題だったということでもあるのでしょう。その後、すぐに例えが悪かったと弁解したようですね。はったりによって、自首投降者が増えたようだからそれを狙っていたということもできるでしょう。
淘汰殺人というのであれば、とある国の貧困層に対する対策の弱さにも同様の言い回しが当てはまるような気がします。
http://www.asyura2.com/16/kokusai15/msg/497.html#c1
1. 2016年10月04日 19:44:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[321]
くっだらね
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/831.html#c1
2. 2016年10月25日 12:27:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[322]
それたぶん商売になるね。電話口での地図の教え方、客の体積の求めに対するレクチャー、ネットで有料公開するといいよ。
単純に相手を非難批判するだけってのはともに相手方に理解されたいって期待して甘えるだけの関わりでしかないんだから、そこから抜け出ないと。
そこに意識を向けている間はよりよい関係性、発展性は望めないし、自分もイライラが募るだけ。互いに支配意識だけを強めていったって仕方がない。それができる間だけ楽しんでいれるというだけ。
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/720.html#c2
3. 2016年10月25日 19:35:22 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[323]
しかしこれもケースバイケースで、町の地形によりけりで、京の五条のように碁盤の目のような区画された土地ならわかりやすくてよいが、そうでない場合も確かにあるということを頭の隅においておけば、こうして無益に愚痴を募らせることも減ると思う。
考えてみれば縦横無尽に曲がりくねって、歩いているうちに方向感覚が狂わされるような道は確かに存在する。その場合は、かなり地理に長けて教える側の技術が必要となる。そうでない者の場合は伝え方に不都合さが生じるため、限定した伝え方に固執したがるのもうなづけるということになる。そこには教え手にしかわからない苦労があると想像するスキルも必要だということか。サービスの本質とは基本、奉仕の精神によってまかなわれるべきものであるということをサービスを利用する側も提供者も理解していればよいだけである。そうでなければ、こうした問題は根本的な解決を見ない。
聞き手側がいくら地図を頼りにしていても、応対相手の側にすぐに地図を開けない事情があるという場合もある。
そしてまたそれ以前に、その伝え方で伝わった実績があるなら、聴き手側に問題があるとみなされても仕方がない。そのやり方で間違いを感じたことがなかったのなら、そのやり方を直そうとはしないだろう。
なんにしても、客から何度も同じようなことを指摘され、混乱していることを告げられたならそこに対応しようとするだろう。業務に対するプロ意識、または自身のスキル強化への意識があればの話となるが。
3番目に対しては目分量で料理の味をつくりあげる女性のスキルの確かさを評価信頼すれば、そう簡単に女性をまた、人を軽んずることはできないと思う。
女性のほうが一枚上手ということにしておきたいところだが、その中でもさまざまあるということは認識している。
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/720.html#c3
2. 2016年10月28日 15:45:11 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[324]
>1
疲れる。無駄な時間だ。自分の頭で考えずに短絡的に物事をわかったふりするだけの者とは会話にならない。とりあえず無視して話をすすめる。
どんなものでも悪となりうる可能性がある。つまりそれは道具の扱い方による。
それでいうと短絡思考もまた悪と認定できる。
胃潰瘍がなぜ起きるのかご存知か。意識の作用ひとつで胃に穴を開けるのに30分はかからない。ではそこでは何を悪とするのだろう?
地球温暖化の原因も同様で、気温が上昇するから二酸化炭素が増えるのであってその逆はない。そして人為的影響としては森林破壊の影響がもっとも大きい。かつての地球もそうだったのだろう。それをなぜ無視できるのだろう?
なぜ誰もが納得のできる話をしようとしないのだろう?
それと同じで、われわれが観測によって知る”事実とされる”ものとは物質的外形が変容した後の結果、つまりその事後に起きる物理的事象の観測結果、その報告でしかない。そしてそこに「原因として考えられること」の一覧を広げて見せて、「原因はいずれかによる」という「権威的立場による解釈」をこじつけているに過ぎない。
「事実としてある結果体を調べてみたらそうだったからそうだろう」という報告をわれわれはただ”事実とおぼしきもの”としてあやふやなままに受け入れるほかないとする、そうした立場におかれているのみである。
われわれの無知と無節操な振る舞いの体たらくの上に、権威が胡坐をかいている。
功を焦る者たちによる結論だけをわれわれは手にしてそれを知識と呼んでいるのである。
これでは、いつ本当の知識をわれわれの中に呼び覚ますことができるだろうか。
つまり「意識の作用とその扱い方」を絶対的に無視したままに、または特定の感情が肉体に及ぼす影響および、作用を否定したままに、事は片付かない。
胃潰瘍同様、細胞がなぜに急激に死滅するかの原因もまた特定できてはいないとみるべきだ。なんでも、権威の利益になる方法と結び付けてしか知識を与えられていない。
数年前には、「脳細胞はいくつになっても再生する」という結果もまた出ている。それもまた意識の作用によるものであり、こちらは悪に対して善とよべるものだろう。しかしこれでは、金にはならない。
大麻の研究が進んで、これの有用な使い方の研究が進めば、それは当然善となるだろう。それそのものが善か悪ではなく、使う側の扱い方の問題だということがいちばん大事な部分である。
つまりいいたいことは、物質的形骸にいたる以前に、物理観測の場で確認できていない事が起きているのであって、その領域において”事前にことは起きている”わけである。物事はすべて内面の意識の作用が先にあるということだ。
それを無視して事は片付かない。
これには続きがある。あとで続きを書くことにする。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/425.html#c2
2. 2016年10月28日 15:50:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[325]
当たり前の人間的感性を皇室関係者にじきじきに見ることができたことについて私は感激して、つい筆をとったまでである。報道によると、当時、戦時中のメディアの軍部側に偏った報道姿勢に対しても通決に批判し、メディアの語ることに惑わされるなとまで公に語った人物。
こうした人物の後を引き継ぐものたちと結びつきを得たいものだ。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/424.html#c2
4. 2016年10月30日 00:30:03 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[326]
>3
あなたが自身の人生をかけて、何を見つめ、何を守るためにその考えをここに述べおくのかについてはなんら干渉はしない。
しかしあなたのその見解は、いったい誰のために役立つものなのか、それが誰の何のために役立つものなのか、それを自身にきちんとつきとめ把握しておくことだ。
自分の考えを自分の言葉で持つということに意味がある。反対に誰の何の役にも立たない言葉、行為もあるだろう。あなたのその考え、その言葉が誰の何のためにあるのかは私は問わない。それは他人に聞かせるようなものではなく、自分の心の中にあればよいだけだ。
自分の目に、真贋を見極める力があることを信じ、そして言葉を発するというなら、あなたの言葉は誰かに響くだろう。そうして自分を信頼するにいたるのであれば、あなたがそこに不安がるような問題などを起こす心配もないのだろう。
私は私を信頼している。だからそうあるための行動を自身に採らせる。自分の納得しない他者の価値観を自分の中に持ち込むことはない。それが誤ちの原因となる。
誰かのために必要だと考えるからこそ、そこに必要な行動を起こす。それは自分の必要性を満たすためには他者を傷つけてもいいとする考え方とは違うよ。
意思があり、それが形となる。そうした人間の当たり前の行動は私は信頼する。その人間も信頼する。だからそうした人間の力になりたいと私は考える。
後先も考えず、その場限りの感情的行為に支配されて動いてるものに参与したいとは思わない。面倒なことに首をつっこみたくないというのはわたしも一緒だ。
しかし、自分にとって魅力ある行為をとるということが、人のいう正しさというものなのだという感じがする。私はとりわけ正しいことをしたい、冥途土産として名誉心などがほしいなどとも願ってなどいないがね。
何にせよ、ここで意見をぶつけることは切磋琢磨することであり有意義だ。ただ反発をするだけというのはばかばかしい。馬鹿な人間になりたくないのは誰もが一緒のことだ。どちらかが勝ち、負けるといった価値観の中には、愚かしさしか残らない。
劣等感に溺れて冷静さを欠いた行動を繰り替えしている限り、そこから逃れることはない。
自分を信頼していればそれでいい。その上で行動を起こせ。大事なのは、そのことだけだ。あなたの考えが人として魅力的で正しいと思えるなら、それを貫き通せばいい。そうした言葉を期待する。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/425.html#c4
4. 2016年10月30日 00:36:15 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[327]
>3
同意するものである。その観点は国境を超えてすべての市民の中に浸透していかなければならない。市民に主権なきままに、国の形は変わりようもない。
大事なことはそこから後世が何かを学んだかということであり、われわれはそれ示す立ち位置にある。
それは誰かに突きつけるものではなく、自分自身に突きつけられるものなのである。
すべては事の本質にある。それをきちんと理解すれば、どうした行動によってそのことを自身に示すかということが課題となる。
私はそこに答えを出したいと考えている。同じ志を持つものたちと繋がりたいと考えている。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/424.html#c4
7. 2016年11月01日 14:59:32 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[328]
>3,5
なんと思っても結構。自分が自分で何をしているか気づいていればそれでいい。
1. 2016年11月02日 00:12:34 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[329]
もっと高みを目指しては?
http://www.asyura2.com/16/kokusai15/msg/743.html#c1
3. 2016年11月03日 14:27:38 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[330]
昨日トランプが逆転したというニュースをやっていましたが。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/221.html#c3
3. 2016年11月09日 22:29:28 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[331]
いつもどおりの正常な反応。つまり、まともでない。
そもそも未来に投資する名目で株価とはつりあがるもの。
トランプに投資する名目でつりあがるのは軍需関係株だけ。
株価のネガティヴな値動きを牽引するのはいつでも保守派のお仕事。そこにみなが巻き込まれる。
故に投資家らはまともな未来予測などしていない。
保守政党支持層は社会の未来や政策の中身などどうでもいいのだ。ただ痛みを遠ざけようとだけして、そこから離れられてないだけだよ。
現在がまともじゃないだけ。
トランプ支持への評価はその痛みを伴う改革への期待一点のみにある。
http://www.asyura2.com/16/kokusai16/msg/197.html#c3
2. 2016年11月10日 01:59:44 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[332]
技術面だけで話題を作ってもそれ以外の点、
気候・天候面。安全面。防犯面、
ひとつでもクリアできなきゃ実用化しない。全部アウト。
はっきりいってこの技術が適格な採用にいたる分野は、安全面を確保する必要のない無差別的な用途に限ったものだけ。
http://www.asyura2.com/16/hasan115/msg/510.html#c2
3. 2016年11月10日 15:37:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[333]
>3
何だ君、まともなことをいうようになったな。
http://www.asyura2.com/16/hasan115/msg/531.html#c3
6. 2016年11月11日 03:17:13 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[334]
三笠宮氏は古代オリエンタル史、つまり皇族の歴史を紐解く研究に邁進されていたようである。つまり、古代イスラエル民族としてのアジアの歴史、またそこに関わる皇族の歴史か。ユダヤ教および、そこから派生したキリスト教、そして騎馬民族としてこの島国へ乗り込んできた日本人の祖先に関する研究でもあったはず。
ちなみに馬は目隠しをすると船に乗っても暴れたりはしないため、船さえあれば馬が海を渡ることは可能である。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/424.html#c6
2. 2016年11月11日 14:14:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[335]
本丸を気取るものはすべて顔色、旗色を常にうかがうだけだ。
そもそも責任などはじめから誰か一人に取らせるべきものとしはいけない。
これまでは歴史的にも、結果として誰かひとりが見せしめ、または生贄として自らを捧げ、名乗り出て、そのことで無かったことにしてきたというだけだ。それがこの国の由緒正しい政治的責任のとり方だと、そう長らく認知することにされてきただけで、それすら顔色旗色をうかがった無責任なことの済ませ方というほか無い。
だからそれが正しいなどと考えるというのは自分の頭を使った考えを持たない馬鹿だけである。
そもそも政治とはそのような在り方をすべきではない。国民一人ひとりの働きを重視し、誰一人網からもらさないよう底を支える。その代わりみなが政治へと関心を持ち、すべてのものが納得できる最良の決定を全体から排出しなくてはならない。そして利益は常に全体にきちんと還元されるものでなくてはならない。
この問題は今こそ誰もが向き合うべき問題である。
誰もが重責に喘ぐことなどないように、全体でことにあたらなければならないのである。国を考え、自らの利益を考えるなら、全体のことをまず第一に考えなくてはならない。新しい改革を期待し、そう称するならば、まず国民自らが直接的に政治の場に確かな関わりを持つ、新たな議案の採決方法を提案し、それをもって、国、および政治の本質的な改革とせねばならない。
その意味では小池都政もまた、改革を称してはいるが本質的な政治改革としてはまったく期待できない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/766.html#c2
3. 2016年11月11日 16:54:15 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[336]
民間に政治を預けるという方向転換に舵を切る発言だと受け取れる。それはとてもいいことだ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/774.html#c3
9. 2016年11月11日 16:56:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[337]
なんにしても愉快な記事だ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/772.html#c9
5. 2016年11月11日 16:59:31 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[338]
だろ?軍事関連銘柄だけ。当たりまえっちゃあ当たり前。
1は市場はしばらく低迷が続くと国際版のコメントでちゃんと言ってるよ。
http://www.asyura2.com/16/hasan115/msg/573.html#c5
2. 2016年11月11日 18:32:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[339]
>1
まっっったく意味(内容)がない。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/427.html#c2
2. 2016年11月11日 21:11:02 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[340]
>1
なんとかの一つ覚え
http://www.asyura2.com/16/hasan115/msg/583.html#c2
4. 2016年11月11日 21:21:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[341]
なんで二回言った?面白。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/778.html#c4
10. 2016年11月11日 21:28:02 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[342]
ある意味ここまで徹底していると、すごいと感心するほかなくなる。立派だよ。
ぬぐおうとすればするほど泥だらけになるってんだから。
ただ、いかんせんトランプが出てきたら影がすごい薄くなってきた。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/753.html#c10
2. 2016年11月13日 14:11:22 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[343]
正直人々を牽引する力そのものが評価を受ける世の中ならそれでいい。金でそれらが手に入るわけではない。アートの本質はそこじゃない。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/435.html#c2
24. 2016年11月13日 21:40:54 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[344]
民進党のひとたち、また支持者はこれを進言(諌言)と受け止め、素直に受け入れたほうがいいと思う。でなければ驕りだよ。
私は、どこかだけがひとつ正しい政党だなんてことは思っちゃいない立場だ。
そもそも国民の代表とするもの、同じ方向性を見据えてあるなら、党や派閥を超えて、手を組むのは当たり前だ。違いをただ指摘しあうだけでよりよい解決策を導かないで、何が変わるというのか。
事実、民進だけでは何の求心力も持たない。これまでの彼らの姿に国政を牽引していく力を感じたことはない。その政策を論じる機会は均等に与えられるべきだとは思うが。
とにかく正論も通用しない与党の相手役としては力量不足は否めない。だとしたらそれらも解体すべきである。
大事なのは政治的かけ引きなどではないのだ。相手にするのは国民なのである。
驕りなどを持っていちゃいけないのだ。
その国民が必要とする政策を、支持される政策を議会で発言すればよいだけなのである。その力も知識も持たずに、どうして政権交代が勤まるのか。
人々が社会に求めるのは「本質的な必要性」を満たす政治のみである。それを求めて世界は動いている。
正論の通用しない現政権を一気に崩すには、社会から欠乏感というものを一掃する政策を打ち出すことである。
本質的欲求、根本的要求を解決する道筋を提示すればよいだけである。簡単な話だ。誰でもわかる。なぜそれができないのか。そこを自分にごまかしたまま、政治家などやるもんじゃない。
政治とは自分の心に素直になればよいだけだ。恐れや痛みに向き合うことだ。
観念的に妥協しないことだ。人々が何を求めているかそれを突き詰めることだ。
それができないのであれば、改革など口ばかり。これからも何も変わっては行かないよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/787.html#c24
3. 2016年11月14日 00:05:11 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[345]
あんたも馬鹿丸出しのまま痛快に走りきってるね。それであなたは何をしてるつもりなんだい?
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/308.html#c3
35. 2016年11月14日 02:15:23 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[346]
>28
まともなご意見。
>30
ほんとにそうだね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/810.html#c35
1. 2016年11月14日 04:02:32 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[347]
そもそも前提として、−40℃って大したことないのでは?
顕微鏡で確認できている生命活動の極小の単位(ソマチットのことではない)ですら、その温度では生き残って活動していた可能性は十分にある。
実際−81℃で生きている菌群は日本で 発見されている。発見されているだけでその耐性である。発見されていない数値を生き残る生命の秩序をわれわれは知らない。知らないものは存在していないとして成立をみているだけである。
蛇足だが、熱さでいえばマグマの中で活動している生命は存在する。
その程度の解釈で崩れるんだったらそれ以降の議論は何?ということになる。
さらにいうと、われわれ生命の自浄作用としての治癒能力もそうした彼らの働きによる。生命の本質的な働きとはわれわれのように観念的なものに揺らがない。ゆえに、純粋に彼らの働きを得たいのならば、主観である自信の観念の影響力を脱したところに肉体を置かねばならない。そこに本当の生命力の秩序的働きが期待できる。
つまり普段、われわれの知る体の働きは、われわれの主観的な観念的な影響力の下に抑え込んで生まれているというのが事実だよ。それを明らかにするほうが、人類のためだと思うがね。
万物の本当の姿とは、そうした生命の意識作用、つまり累積された膨大な記憶をすべて”前提として”持っている。
繰り返すがそうした事実をわれわれが確認できていないだけだ。確認できていないものは認めない。それがわれわれの知識の”前提”だ。よって人間も観念的なものを一切取っ払った暁には、ただただ健康にしかならないということになる。
われわれはまず本質的に生命だが、生命として生きているというより、人間社会において観念的に生きているのであり、そこではすべてが観念的に支配されている。
そこへの無知、自分たちを苦しませている痛みから逃げずに目を向けることが何より早急に取り組むべき課題だ。
蛇足ついでに根本的な考え方として、地表や大気の温度が上がるのは「太陽光」の物理的な「光の振動」の共振によるもの。
そしてあらゆる概念的特性の影響下にわれわれはある。つまり物理法則もその意識の影響下を出ることはない。嘘だ、真逆だ、と思えることだろうが事実だ。そうした刺激がなかったとする時期があったのかもと考えるなら、地球が現在のような太陽との位置関係になかった可能性も十分指摘できる。「だったらどうした」という声が返ってくるだけだろうけれども。
ともかく生命の起源はすべての万物に宿っていて、それを揺り動かすのが外的要因のように見えても、大いなる意思と呼ばれるように、すべての働きはそれぞれが認知しようとしまいと、それらを包括したひとつの意識のもとで発生していることだ。われわれ個々の意識もその一部だよ。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/430.html#c1
23. 2016年11月14日 14:54:14 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[348]
韓国にしても日本にしても、隣国の緊張を必要とする。
国民の目を外に向けさせる必要があるからだ。
つまり内政に目を向けさせたくないのである。
そうして国民の目を欺く必要があるから、緊張を維持する必要性を抱える。
それが意味することは本当の敵とすべき悪が自国内部にすでにあるということじゃないか。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/820.html#c23
1. 2016年11月14日 21:32:45 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[349]
いいね。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/428.html#c1
5. 2016年11月14日 21:46:56 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[350]
私が生命創造の神という地位にもしあったなら、生命の根源的な昇華過程のはじまりに携わって、その原初的な段階をみて、「気持ち悪い」という評価はたぶんしない。
なぜなら生命の進化過程のどの段階を切り取ったとしても、すべて美しいというほかないからだ。
つまりそこにある感想に、嫌悪感と違和感を覚えたんだろうな。それは生命そのものへの侮辱に値する。そういうことだろう。彼らアニメーターとは動きによって画に生命を与える仕事であり、その仕事の力を通じて見るものにも生命力を与えたいと願っているのだ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/893.html#c5
15. 2016年11月15日 02:55:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[351]
そもそもそうした差別用語は自分たちの存在に対する自信のなさの現われでしかない。
エリート思想とは劣等感の黒歴史そのものだから。つまり自分を認められないというままに、その痛みを隠して驕ることを選んだ人間の哀れな末路だよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/854.html#c15
1. 2016年11月15日 16:41:00 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[352]
なるほどな。雇用への均等な機会、そして正当な評価を受ける場ががほしいということだな。
自分の一日の仕事量をいくらでも長く調整して、賃金は増えずともその分だけ精神的にゆったりと時間をかけて自分の仕事をこなしたいというのともまた違うのな。
そして、それを解消する手立てはいくらでもある。
働き手をコスト面を考えずにいくらでも企業が現場に投入できる方法だ。
そして人々はみな社会の本質的な保障案としてそれを望んでいる。
それには根本的な社会改革が必要だ。
しかも実に簡単なやりかたで。しかも、これまでの資本社会、経済外交をそのままにそこにスライドしていくことができる。
ただし、これまでのように支配層はあぶく銭を手にできなくなるだろう。
だがそうした方法は誰かしらの頭の中にはすでに存在するはずだ。
ちょっと考えればすぐに思いつくことだからだ。
だがそれには、その知識をどのようにして共有していくかことができるのか、どうした場所でまずはじめに誰に伝えるかが問題となる。
人々の意識がそこに流れていけば、その方法論を徹底して理解すれば、すぐにでも世の中は変えられる。
確かに仕事をする義務があるとするなら、国はそこに雇用を与える義務もあるはずだ。そしてそのことはすでに私の頭にはあったことだ。あなた方の誰かの頭にもあったことだろう。私はそうした人々とつながりたい。動き出す時機が来たからである。
1. 2016年11月15日 18:44:34 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[353]
情勢にただ流されているだけでは?
敵と味方の区別がついていないから思い込みで見立てて、情勢の有利にただ乗ろうと必死なだけと診て取れます。それが本流ならばしめたもの、そうでないと知ればすぐに身を翻して・・というところでしょうか。
読んでてわけがわからんです。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/320.html#c1
4. 2016年11月15日 20:11:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[354]
不要な企業、商品が多すぎるだけ。社会全体が生きていくのに、必要なことを実践していないということ。今、人は何もかもすべて、道具の使い方というものができていないということになる。時間も金も人の使い方もすべて間違っているということだ。物事が本当に健全化するとした過程には、いまあるほとんどの企業・商品が自然淘汰されてしまうだろう。そして必要なことには十二分すぎる以上のの人材が投入できるということになる。それを基盤として新たな社会を作ればいい。
http://www.asyura2.com/16/hasan115/msg/680.html#c4
47. 2016年11月15日 20:15:01 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[355]
どっちも応援しやしないけど、今の政権と比べたらそりゃ何をどう見てもよく見えるわな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/880.html#c47
21. 2016年11月15日 23:26:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[356]
トランプ当確前のヒラリー支持と同じじゃん。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/902.html#c21
5. 2016年11月16日 00:15:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[357]
その対極となるもうひとつの「必要なシステム」があるという頭を持ちなさい。
http://www.asyura2.com/16/hasan115/msg/631.html#c5
1. 2016年11月16日 19:01:48 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[358]
すまん。見直しもせず、ただ思いのまま書きなぐってしまった。読んでて訳がわからん。
これは驕りだ。道具の誤りだ。訳もわからず感情にとらわれ過ぎている。
いずれこれを清書したものを別のところにアップするだろう。
自分の非をまずは認めなくてはならんな。
ここにあることは酒に酔った人間による我執による憤懣と同じだ。忘れてくれ。
だが、私は酔うことを否定はしていない。酔って自分をさらけ出し、話し合うことはよいことだ。私もまた語り合いたい。そして世の中をそんな馬鹿をする必要性のない世界に変えたい。そしてそれはみなの力でそうするのだ。
道具に頼り、依存することを否定しているわけではない。使い方の誤りで望まぬ問題を起こすことに対してみながそれを望まないというなら、それを終わりにしたいだけだ。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/437.html#c1
1. 2016年11月17日 03:51:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[359]
トランプ任期は一時だと考えている証でしょ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/181.html#c1
8. 2016年11月17日 03:52:31 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[360]
劣等感の激しい中二の口癖と一緒だな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/137.html#c8
9. 2016年11月17日 04:03:10 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[361]
>7
議論する気も無いが、日本という概念、国という概念は当時と今では違うといえる。
中国本土全体とはいわないが、同じ血統の民族同士がその政権をかけた争いでできたのが、いまの国、そして韓国、中国、日本、といった概念的単位であると考える。
つまり、ややこしい。
ややこしいのではあるけれども、単純化すればなおさら語弊が出るが、つまり「日本」という「国」は、当時、どこからどこまでを指したか、というものである。それは地理的な問題に対する概念的な捉え方とそれによる認識の捉え違いにより混乱が生じる。
さまざまな感情的な問題を抱えてきた関係性にてそれらの「国」は結びついているが、実際のところ、それらを分かつものは現代において言語的文化のみである。
ともかく、ある一定の時期までさかのぼらなければわからないことだが、そうして考えれば行き着くところにおいて、現在あるそれぞれの憎しみとは、単に原初的には身内どうしのいざこざということは容易に推察できる。
負の連鎖が現代まで脈々と続くといえばわかるだろうか。それを絶つときもまた訪れるということである。
よってくだらぬ論争でしかない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/137.html#c9
1. 2016年11月17日 15:13:10 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[362]
話がわかる連中。そしてあまりにも現実主義的でもある。ぶれてないが根本的に満たされていない。だから動くときには極端な行動に出る。
本当のチンピラはIT企業の役職につく連中とおなじ中途半端な連中。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/440.html#c1
2. 2016年11月17日 15:43:34 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[363]
投稿者氏は人の気持ちを分かちあおうとするタイプなのか。
それとも自身をわかってくれる人を求めてここにいるのか。
どちらに重点が置かれているのか興味がある。
勝手な見解だが、表向きは人間的な情を感じるような投稿をしているように見えるが、中身はその真逆で人間が何かを理解しようと奮闘しているような気もする。
あなたの言い分には常に孤独な雰囲気を感じる。
ちなみに私は人の心を理解しようとして、心を踏みにじっていると感じられるタイプかもしれない。
そもそも人の心を理解したら、その心が次にどちららを向くべきか、そこにしか関心がないと言えるから。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/440.html#c2
34. 2016年11月17日 20:21:34 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[364]
権力に取り入って親族関係を結ぼうと近寄り、娘を婚姻関係にさせ、権威を意のままにしようと画策したこざかしい連中がいて、現在もその子孫が取り巻として存在しているということでは?
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/173.html#c34
16. 2016年11月17日 20:25:01 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[365]
同じ時間に起きて、同じ時間に出社して、同じ時間に飯を食べ。
まさに飼いならされた集団生活。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/175.html#c16
2. 2016年11月17日 23:26:25 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[366]
月の夜に いたちの最期の すかしっぺ
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/792.html#c2
1. 2016年11月18日 00:09:29 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[367]
揺るぎのない根本的解釈をずばりだな。さすが木村っち。いい仕事してるぜ。
というかそれが人情の本質だ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/221.html#c1
1. 2016年11月18日 01:33:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[368]
最後のコメントつながってないね。適当に各自読解力を発揮して脳内で繋げて解釈くださいね。
郵政もヤマトも佐川もその他物流は血液の循環バイパスだよな。
国益を担うというより国がひとつとなって生きていくには必要な業種であるわけだ。
郵政は年賀はがきだけが売り物だとしたらもはや経営は行き詰っていくだけだ。
だからといってよその業種にまで手を出して真似事したってついていかない。
メール便だの小型宅配物、企業メインの雑多な大型荷物。それぞれに蓄積したノウハウがある。だから、それぞれの強みを生かしてひとつの企業体としてそれらは国益のために一括したひとつの働きとしてそれぞれは担うべきだ。
それぞれの仕事を取り合おうというような馬鹿な真似事すんじゃないよ。
働き手なんかいくらでも投入して回せばいいんだ。
国全体の自給生産性が国民の食い扶持のために絶対的に必要な数値があるなら、それはきちんと維持し循環するように回していくべきだ。それが必要な政治というもんだろう。
そこに必要とされる労働力を潤沢に投入できればいいだけだ。
今の経済資本社会を続けながらそれが可能な方法を探ればいいんだ。
簡単だ。誰でも思いつく。
そのための方法なんかすでにあるんだよ。
すべての国のブレインがそれを理解してそれを自国に採用すればいいだけだ。
つまりこの国だけではないが、社会のブレインが腐敗していることが原因でこうした事が起きるんだよ。当たり前の発想が出てこない。
これは自分の体を自分でつ食べつくそうとしてることなんだ。
今回の事件もそうして細胞が狂った人食いウイルスに変貌したということだよ。本質は道徳観念の問題じゃない。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/442.html#c1
11. 2016年11月18日 15:45:37 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[369]
「根本的に必要ない」とする意見に対して、「比較してどちらがいいか」という意見はそもそも相容れない。片や「夢とする目標」、片や「段階的に現実に寄り添おうよ」とする意見。本質的に寄り添えるはずのものがなぜいつまでも寄り添えないままなのか。
どちらかが一方的に間違っているとだけ言えるのか。ではなぜ間違ってしまっているのか。
なぜ自分の考えだけが正しいといえるのか。話し合うべき根本における問題とは何か。
とりあえずは、ガス抜きをいつまで必要とするのか?という話として伺おう。
本質に目が向いてないことが問題の原因だ。誰もが必要として根本にして本質的な問題が、それを覆い隠そうとする抑え込むための抵抗観念が存在するということだよ。
いまこそ、暫定的な段階に収まらない、根本的な要求を自身に突きつけなくてはならないのだ。
何か特定の観念的価値に寄り添おうとするのは、いつまでも自分の考えとするもの、いわば自分というものの存在自体になんら自信を持ててないということでは?
そんな余裕のないものが、ただ傍観して高見気取りでいてどうするのかね。
いまこの状況を迎えて、われわれは単なる傍観者でしかないこともはっきりと証明されたと思うが、どうかね?
トランプに安倍が取り入るための手札がそううまくいくとは確かに思わない。トランプは糸を引いた馬鹿ではないから。しかし、そもそもこの国は、国民の防衛意識を刺激し、軍備を強化し、権力的機構要綱を十二分に満たすことだけで成り立ってきた。それは今もまた同じで、それを何より政策として優先するのが現政権だから、あらゆる緊張の対立的構図を演出するために、見え透いた切り札を常にわれわれの前に提示し続けることになる。そして米側にも、いざというとき信頼してほしいということを強調して取り入るはずだ。そこに自身の個人的な野望を目論見、「まさに、まさに!」軍需雇用に力を入れることを公然と約束し暴走するだろう。そしておまけで手持ちの関連株をあがりつづける。何も変わっていないよ。われわれがそこに飲まれたままなのは変わっていない。
学歴社会はエリート主義とも言えるが、裏返せばそれは劣等感が元となっている。つまりその大元には「自分が認められない」ことに対する恐れの現われしかない。
肩書きを得ることに一所懸命になるのは、本質的な要求を満たせないことにより発生する二次的な欲求を満たすことによって、とりあえずは暫定的にしがみつける価値を手にしようということだ。そんなものはすぐに役に立たないものだということがわかる。
つまり、この社会は、それら本質を見ないことによる劣等感が強固な岩盤を背負おうことで巨大化した中身のないものなのである。学歴主義。エリート主義。そんなものが中心となって、さらにそこから要らぬ問題を作り続けていく。
それは外に作られた価値を自分に見たいと固執することで、自分を保とうとしているだけ。しかしそこで逆に起きていることは、ありのままの自分の姿を一向に認めることができずに自分がますます保てなくなっていくということだけである。
誰かの作った基本的条項だけを守り通していればそれで何か済むと考えるから間違いが起きるのだ。そこでは本質を見る力、誤ったものを根本から変える、つまり基本や基盤を改定するための本質的な意見は常に覆い隠され、当たり前のことが何も通用しないといったことが起きるようになる。それは紛れもなく劣等感の砦だよ。本質的な知恵を呼び覚ますのが本当の知識と呼ぶものであり、それは学歴などに匿われない自由なものでしかない。
何かに囚われれば視界から見るべき本質が消えてなくなる。今の世は戯言の屯する劣等感の砦のような社会。だから、優先すべきはそんなところに敵対したり対立することではなく、本質をすべてのものの心の中に呼び戻すということなのだよ。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/340.html#c11
7. 2016年11月19日 00:03:02 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[370]
>1&3
あんたの言葉の投げ方は実にこじつけとすり替えに満ち満ちているんだよ。
何の役にも立たない論法を語るのはあんたがたに一日の長があるが、それで人の幸福がどうたら言えるよネ。
http://www.asyura2.com/16/hasan115/msg/784.html#c7
12. 2016年11月19日 00:17:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[371]
トランプは去年「安倍は接待で何でも手に入れる」と見透かしてた。意外と世界をよく見てる。
中国からは、自信のなさの表れと揶揄され、アメリカ国民からは、もっと国際的な場で面会すべきとごもっとも。
ま、なんとでも受け取れる演出で首をつなげようということだ。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/345.html#c12
3. 2016年11月21日 02:07:13 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[372]
>2
”ど根性大根”というものを知っているでしょうか。
自然の成長する力というものをわれわれは驚愕のまなざしをもって理解しています。
しかし、われわれ人間と、強固な岩盤をも突き破って成長していく自然とでは、いったい何が違うというのでしょうか。
その岩盤を突き破る自然の働きとあなたの働きを比べてみてください。
そこにある違いは何だとお感じになられるでしょうか?
ひとつは、彼ら自然の植物は、われわれのように凝り固まった観念体系の中には生きていないことです。
彼らが何をどう捉えて生きているかを人間が知ろうとしても、われわれは自分たちに都合のいい観察眼しかもててない時点でアウトです。観念的解釈を宛がうことを要するのみです。そこに耳を傾けるべき本質的な価値、理解はなにひとつありません。
さて、これまでのあなたの発言に、彼らのような成長性や本質的な能力の介在を伺い知ることは果たしてできますでしょうか。
とにかく、彼らは「自分が不出来だ」とするような暗示のかかった状態にはないということだけははっきりするでしょう。
彼らは”当たり前のことを当たり前に「自分に」要求している”のですから。
そして、岩盤を打ち抜くのは、”成長する力”の「本質」が”別の力”に切り替わったことによるのではありません。人間的な価値観から離れてください。そうしてみれば、本質的な働き、つまり、意識の方向性は、そこに一切変わってはいないことが理解できるはずです。
そのことによってわれわれが驚愕することが生まれるのです。
そして最終的に岩をまっぷたつに割ってしまうのも、別段、痛みに対する怒りなどではないのです。人間の成長、進化もまたそうあるべきであり、それはつまり、自然の性質の本質的働きを生む、そのための基盤がきちんとできているからではないでしょうか?
人がその自身の中に存在する生命の本質を理解するためには、十分な時間を与えてやりもすればいいことです。
そしてこれは、狸や熊が人里に降りてきて畑の作物を荒らすのも同じ理由です。
彼らは当然の権利を行動によって示しているだけです。
それをわれわれの価値観では、本来の攻撃性だと捉えているのです。
よって、彼らの必要とする取り分だとわかるように獣道に置き与えれば、荒らすようなことはおきません。
人間はそうではない。どちらが不幸で馬鹿だといえるのか。
あなたの怒りも根底においてそれと同じではないですか?
生き物の暴走は生命の本質的な部分を踏み荒らされることによって生じている。
彼ら単独ではそれを改善する力を持っていないが、われわれ人間は、その本質を改善する力がある。そうではないですか?
そこに必要なのは不自然な怒りへと転化された非生産的なエネルギーなどではないはずです。
脆弱な価値観で人とつるんで事を成そうといったことでは先が思いやられます。
そうした力で共闘しようとすること自体が、愚民政策と変わらないものだということができます。
それこそ本当の馬鹿が喜んでいることなんですよ。
いっていることがわかりますか?
16. 2016年11月21日 20:29:25 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[373]
また同じことを言うことになる。
「話が違う!」
すでにトランプは転落してる。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/346.html#c16
8. 2016年11月22日 00:22:59 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[374]
>1
違和感しか感じられない。そもそも物事の本質への理解がなされていない。
そもそも何らかの恐怖を抱えていて、それを解消しようとして道具を使うというのは単なる逃避行動である。
そうした道具の使い方は誤用に属すのであって、本質的な問題解決のための行動を起こすというベクトルとは方向を逸する。
もう少し真剣に自分の内在物と向き合われたし。うわべは必要としていない。そうした世界に住みたいのならそうしていればいい。
>2
嗜みとか、好みとか、道具として毒物、刺激物を扱う本来の目的はそこではないはずだ。
期待するのは(量的配合に配慮した成分として見る場合の)薬効のみ。
ウォッカが常備薬だのといったうわばみ自慢など披露されても「だからなんだ」と一蹴するしかない。そうした話題は否定はしないがね。
道具の間違った使い方のみに期待する輩による症例などいくつ挙げられても論外だ。
そんなことはここで話題にしていないし、するつもりもない。
>4
1の流れ同様、違和感をぬぐえない。同意できるものではない。そもそも中毒の意味するところと、依存性を同一視していることが誤りだ。誤魔化しは何の役にもたたない。
人の食事による肥満太りは中毒性によるものか。それとも依存性によるものか。
それを考えてみればいい。
根本にある漠然とした不満が解消されぬまま、人は二次的、三次的に欲求を満たす代替品に手を伸ばす。そうして人は望まぬ体型を手に入れる。それは根本にある要求に耳を傾けていないことによって起こる。
人は自己の本質を見ぬまま、手軽な解釈に手を打とうとして観念的な理解にほだされっぱなしである。そうして出所の不確かな感情に振り回されることとなる。
ことの本質に気づいていない限り、望まぬデジャヴは繰り返される。
>5
あなたがコメントにURLを入れるのは自身のブログに載せるため?
あなたはまあしぶといですから、いらぬ心配は誰もしないでしょう。ネタだと思ってます。
あなたの場合は、純粋な感性をもってあなたの生き様が紐解く人間社会のねじれをどう周囲に理解してもらうかが課題ですね。
それには、問題点のみをただ並べ立てるだけではなく、「どうすれば解消にいたるか」を提示することだろうと思います。
あなた方とのやりとりのなかに、こうした動きに敏感に同調してくれる人々が増えることを期待して、もっと多方面に私の頭の中にある言葉を外へと露出させたいと考えています。
そこにあなたも手助けしてくれることを期待します。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/438.html#c8
6. 2016年11月22日 00:47:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[375]
温暖化詐欺の内実は、明らかに目視できる温暖化によると思しき事象のすべてを特定団体の利権・権益増収化につなげているというところであって、温暖化していないということではないと理解します。(つつくべき論点がそのことで巧妙にずれてしまっています)
もともと、われわれ凡人の理解すべきところでないとされた知識はすべて人類にとってのリスク、危機感を煽る道具として取りざたされます。そこに働くものも同調圧力というものです。本質的理解から人々の関心をそらすいい口実となります。それ自体目に見えぬ物の怪のようなもので、つっつくべき問題ではないですかね。
周期的、そして地軸の傾き加減によって、地球は部分的には必ず温暖化し、寒冷化する地域も変化するわけです。そして太陽と惑星の位置関係も関わってくるのですし、単純な理解だけを徹底させようとして在らぬ事まで発言して事を急いだ代償は必ず高くつくはずです。それら利権はしかし、すでに火の車でしょう。
そんなものより、環境ホルモンというもののの存在をもう少し追い続けることが必要ですね。人々のどうした感情からどうした物質が発生し、それらが大気へと放出されて、どうした化学反応を生むことになっているのか。そのことを解明するほうがより重要で科学的です。温暖化が起こると信じていれば、それだけ事象の早まりは加速する、そんな理解が浸透する日はいったいいつになることやら。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/366.html#c6
2. 2016年11月22日 16:35:52 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[376]
問題となるのは、国のブレインの対応だ。
このたび廃線となる予定の地域は、さまざまな理由があるだろうが利用者数の少なさからもともとのインフラの脆弱さが挙げられている地域だ。新たにそこに代替案としてマイクロバスを運行させる必要があるとしても、だれがその運営をまかなっていくかはそれぞれの町に責任があるとする。これは国策として、過疎化する地域が切り捨てられているも同然だ。民間企業のアイデア頼りという点では国策なんてあったもんじゃない。
日本でいちはやく雪深くなり、一番冬が長い北海道という地域の特性だけを鑑みても、そうした地域のインフラは通常の考えだけではまかなえない。国策として国益を重視するというのであればなおさら、設備は最低限のものではなく、地域格差を埋めるべく、厳しい地域環境ほどインフラを磐石なものに整える必要があると思うが。
それが地域性を活性化へと結びつけといく必要というものではないのか。
国益を生む環境を整えていくとするなら、まず人々の生活を整えるところから始まるのだと考えるが。
そうするのではなく、国益にかなわない地域は、住民ごとどんどん切り捨てていくという方針を採っているようにも思える。
今回の問題は、日本という国策の無能っぷりによる危機的状況を表している。
国というものを本当に意識するのであれば、全体に対する力の底上げで、特定の環境の居住者の生活基盤が脅かされるということがないように人々が率先して動きやすい環境を整えるべきである。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/444.html#c2
10. 2016年11月23日 02:17:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[377]
変な人ばっかりだね。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/372.html#c10
4. 2016年11月23日 15:47:38 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[378]
>3
実のところそんなことは問題ではなく、問題はあなたがたひとりひとりがそこでどうすべきかを考えることにのみ期待がある。目を向けるべきは、問題意識ではない。真逆の改善へ向けた提案だ。自分以外の他者や社会の責任問題ではない。誰かを攻め続けても社会は改善しないどころかますます悪くなってしまう。
社会が変わるかどうかは、あなたがたひとりひとりの内面にある問題だ。
まず自分を狂わせ苦しませているものが何かを自分の中に見つけ出せ。それ以外あなたが救われる道はない。
目を向けるべきところに意識が届いていない。そこに問題がある。
気づきなさい。目を覚ませ。とはそういうことだ。あなた方はすでに強烈な刺激を自分たちに与えることを決定している。これから痛みを伴う改革が始まる。なぜ痛みが伴うのかを考えてみることだ。それはねじれを増すことによる痛みではなく、ねじれた状態に気づき元に戻るための(抑えられてきた痛みの根本原因が特定されることによる痛み、そしてそれが解消されるために必要な)痛みであるということを理解することだ。
責任はそれぞれに均等にある。そこから、「ではどうするか」という問題だ。われわれはそれぞれの知恵でつながらなくてはならない。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/444.html#c4
10. 2016年11月23日 15:52:57 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[379]
>9
本質を履き違えていることに気づかない愚か者
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/438.html#c10
11. 2016年11月23日 16:31:43 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[380]
>9
あなたは何かここにこうして現れるのには理由があるはずでしょう。
それは本質的には「あなた自身の価値」を誰かに認めさせたいことから発せられているはずです。
根本的なあなたの満たされない欲求(要求)を聞かせるべき相手は別にいるのでは?
それは家族でも誰でもない。あなた自身に対してですよ。
それがわからなければあなたはいつまでもそこにある甘えによって周囲を遠ざけ、自分で捉えようもない感情に振り回されてますます混乱に拍車をかけてゆくことでしょう。
本質的にあなたが満たされていないのは、あなたが自身の価値を認めていないからです。そしてまたそのことで他者をも当然容易に認めることができない。あなたも世の中の下降−負−のスパイラルに入り込んでいる。
それとも、あなたは誰かを利用して一稼ぎしたいと考えてここに煙のように立ち現れたのでしょうか。
私はここでは敢えて世に役に立つ知識をストレートには公表せず、それぞれが自身の頭と手でつかんでほしいと考えています。
あなたもまたそれを求めてここに現れているはずです。あなたが求めているのは根本的な問題の解決です。あなたは自身の苦しみをただひた隠しにしている。それがあなたの中の価値観では”強さ=正しさ”であるからです。しかしそのことで自身の本質的な存在のための要求を遮断している。そしてそこにあなた自身によって押さえつけられた苦しみをあなたはただ無視することを選んでいる。よってあなたは奏している限り永遠に本質的に満たされないままにある。そしてそこに気づくためのきっかけを求めてさまよいつづけている。
だからここでそのきっかけをあなたに与えましょう。
しかし知識などいくら手にしたところで「知行一致」させなければ意味などありません。解決するのは最終的にあなた自身の手によるのです。
そうした考えをすべてまるまる本に収めて出す案も考えていました。
それで広めることができるとしても、しかし、本質的に私はそれで稼ぐことを願っているわけではありません。そしてその方法が本質的に私の願いのために功を奏すかどうかはわからないからです。
けれどもそうしたセミナーなど誰かと手を組んでするというなら、一稼ぎはできるでしょう。しかし、何度もいうように私の願いはそれではありません。
けれどもなんらかの方策をもって私の中にあるそれら考え、そして社会の改革案、発想の転換法を外に出す必要性を感じています。
こんな簡単なことは、もっと多くの人間が気づいていてもいいことです。けれどもほかに探しても聞かない。まがい物が横行してる。
よって私はそれらに気づいた人々とつながりを得たいと考えている。
世に広めたく願っています。そのためには自身のブログを立ち上げ、そしてそこに多くの人の目を呼び寄せるということが適当だと考えています。
さて、これ以上あなたはここで何をどうしたいのですか?
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/438.html#c11
3. 2016年11月23日 21:00:08 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[381]
あほのベクトルの流れ着くところ。朝から泥酔、溺死者の山。ロクな人間が集まらないのが目に見える。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/448.html#c3
41. 2016年11月23日 23:52:45 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[382]
気持ちがいいね。だけど通販なんていらないよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/363.html#c41
1. 2016年11月25日 01:01:56 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[383]
先日負けたばかりでしょ。極端に強いか弱いかの差がでるとのこと。囲碁だけじゃ本質も何もみえてこない。
http://www.asyura2.com/16/hasan116/msg/154.html#c1
1. 2016年11月25日 01:29:37 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[384]
病気に追い込まれたり、鬱に追い込まれること自体、おかしな社会だということですよね。改善できないものはないはずですよね?
学校とはすでに、競争主義社会、つまり「生き残り」を前提としてその恐怖と勝利感を前もって体験させる場所となっているのでしょうかね。
そして、教育の現場の秘密主義というのは、子供たちには悪影響でしかないはず。
学校の教育は基本的に学歴重視となりますが、これは教育長の幹部連中の浅ましい考えの下に存在していると思います。
軍部の縦社会はその地位は崇高なものでも何でもありません。
限りなく権威的なものに偏った、横暴な性質によって打ち立てられた血塗られた社会観です。
現行の教育とは根本的な立ち位置から何かひどく勘違いが起きてしまっている。
礼節を失った行儀の悪い大人たちの食い扶持になっている時点でアウトです。
勉学といったものは二つに大別できると思いますが、常識といったものは経済観念の中心に陣取っていますが、こと共生社会学、人間性を重視する儒教などの教育理念とは常に対立とまではいわないまでも、矛盾しあった内容にあると思います。
つまり人を救いません。徹底した矛盾によるねじれと強者の論理(横暴な知性)だけが横行しています。
そこにある教育内容そのものが公に秘密にしなければならないものなのではないでしょうかね。それらは社会にでて本当に「人として」役に役立つといえるものなのか。
それとも犯罪者同然の倫理性を助長するものなのではないのか。
むしろそれらは、柔軟に思考性を奪うものでしかないような気がします。
それは当然、現行の社会を抜きにして語れるものではないので、根本的な解決を見るには、社会を完全に改革しなおしてしまわなければならないのですがね。
教育とは現場でそのことを自覚しているかどうかで変わってくると思います。
私の小学校の社会の担任は私をよく買ってくれていましたが、今思えばひどく反社会的でしたね。社会が間違っていると理解できている人間、そしてあからさまにそれを体現する教師が、いま教育の現場から消えているのでしょうね。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/448.html#c1
4. 2016年11月25日 01:35:28 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[385]
飛行機雲
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/383.html#c4
1. 2016年11月25日 02:03:48 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[386]
アイシス(ISIS)は女神イシスの力を貶める行為でもあったということかな?
イシスの力が弱まったのはそこからだからね。
オスマントルコから派生したハザリアの建国もユダヤを中心としてまとまりを見せた。いわばそこにキリスト教とイスラムが手を組んだ。和平に向けた新しい思想によるはじまりだったと考える。
ユダヤに改心したとするものは誰でも入り込めた。
上記イシス同様、そこにはその和平国家ハザールの思想、そしてユダヤの名を貶めようと画策したものがいたということだと私は考えている。
そして円仁は天台一派の僧。
本質的に霊的な世界に起こることを人類に必要なドラマ性としてみたとき、空海と最澄はある意味では、同じ霊的背景を背負っているともいえるけど、本質的には寄り添わないんであって、それぞれ人間の直感的理解と、片や理知性による劣等感による人格的対立と見ることができる。
人類史にとって不要なことは一切おきていない。さまざまな価値観によってさまざまな捉え方はできるはずだが、つまりわれわれにとって意味のあるものと捉えることが賢明だと考える。
円仁は空海の開山した地域をのちに彼ら天台派の山として後からつぶして歩いたと見ている。つまり何かしらそこにあった本質を覆い隠すようにして塗りつぶしていったのが円仁の旅路だ。それが単純に敵対関係によるものかはわからない。
けれども、現時点で天台宗の坊主どもが街の利権でのさばるようになっている。だから一緒にしたらいかんというのが私の心中にある。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/373.html#c1
35. 2016年11月25日 02:14:11 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[387]
フリエネさんはどういう世代に人気があるのだろう?(嫉妬)
>フリエネ
もう少しがんばれ。
それからかなり以前に海外本の和訳をしている知人にケッシュのページ教えたら、興味持ってたけど、すでになんらかの和訳研究ページあるんじゃないの?
政府なんかに頼ってる時点であんた、どうかしてるぜ。
1. 2016年11月25日 05:38:53 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[388]
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/741.html
この国の特別会計に関する話は面白い
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/447.html#c1
10. 2016年11月25日 22:11:13 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[389]
戦闘機。その時間帯でその高度なら、飛行機雲が光ってみえるのはまったく不自然なことじゃない。なんでもかんでも不確かなものに対して手を合わせ縋る信仰はやめたほうがいい。害悪でしかない。
私は別にUFO否認派ではない。ロシアのそれは確かなものだろう。なんでも一緒くたにしないほうがいい。無益な対立の原因を作るつもりもない。もっと本質に目をむけたほうがいい。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/383.html#c10
1. 2016年11月25日 22:35:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[390]
南極はどうなの?
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/434.html#c1
5. 2016年11月25日 22:38:52 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[391]
どう、どう、どう。
罪を憎んで人を許さずではだめよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/544.html#c5
2. 2016年11月26日 00:19:11 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[392]
>1
確かにそういうことになるよね。それってどうなのよ?ということがなぜ今日の議会で追求にならないのかね?
ま、そんなこといまさらもうどうでもいいけど。連中は皆投獄されるだろうから。
http://www.asyura2.com/16/hasan116/msg/173.html#c2
9. 2016年11月26日 00:43:06 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[393]
>7
他人であっても、わたしはあなたの身をも案じてますよ。一人で荷物を背負わないように。そして他人に荷物を背負わせないように、最善の方法を模索し、それを選択しましょう。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/544.html#c9
22. 2016年11月26日 00:56:40 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[394]
>16
そういうことですね。
コメントコピーして転載させていただきます。
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/454.html#c22
1. 2016年11月26日 06:15:30 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[395]
上の動画の中で、アダム・スミスの富国論の中にある「インビジブルハンド(見えざる手)」がなぜ機能するかは、私的解釈として、「存在というもの(糧を得て生きる生命が)が基本的な生存目的(価値)が約束された状況−”糧に対する不安を持たない”−(生命として不満のない)状態」において、当然ながら他者の権利を侵害する必要もまた当たり前に持たなくなることが予測されることによるもので、その当前の結果として得るものだと理解する。
そうした流れで、社会全体もまたそこに、同様の当たり前の”自然な倫理規範”といえるものを暗黙のうちに獲得することになると予測する。
そしてそのことによって、外から人々を縛る足枷のような軋轢をもたらす法典の一切は自然と全廃されていく流れとなるはず。もちろんそうなるまでには、一定のレベルまで人々の人間性が自然と達しなくてはならない。それには相応の時間も必要だろう。
よってそこにある働きはユングの提唱した「スーパーエゴ」なる、対外的な他人の動向を意識することによ「自粛する」といった働きとは違うはずなのである。
物事の本質が理解できれば、当然、自己の意識の内側はより整理されて、雑然とした有様のままでよしとはならない。よって、そこで単に内的批判を繰り返すだけになどならない。むしろ、そうした不自然な意識をもたらす価値観は淘汰されるか統合、または融合するためのより銃わな価値観を人は手にすることになると理解する。
つまり、そことる行動はすべてひとつの価値観からもたらされることとなる。よく問題となる「利他か利己か」の両極が等しく同居した状態がそれとなる。そうなれば、人間関係は今よりもっとすっきりしたものとなり、足りないところにはすぐ誰かが埋め合わせをしてくれるといった、利己的なはずの行動が、そのまま利他的なものとなる、といった理念による行動が当たり前となる社会を築くこととなるだろう。最終的には人々はそうした等しい価値観の中でより円滑な関係性を手にするだろう。
そのように、人々が特に特定のシステムに依存する意識を持たなくなり、本質的な欲求が不満の解消から生まれるものではなく、より足りないものを埋め合わせるといった意識へと転換していけば、どんどんと意識が多様性へ向けて広がり、生命の要求の準ずるところのままに活動的になっていくことが予測される。
そうした未知なる人間への進化というものに対して、われわれはひどく恐れを感じすぎている。しかし必ず根本的に満たされている状態においては、人はそこに生命そのものの活動的動機をただ表現することのみに情熱が向けられていくのだと理解する。
そこに、われわれのもともとの性質というものをさらけ出していくだけである。
われわれは悪意なき発想が、時に害を及ぼすことをわれわれはこれまで十分にその記憶に記してこれた。その成果がそこでこそ試されるはずだ。
いわばより人間的な規範を基にした、地上の天国的状況がそこでわれわれにもたらされる。
それこそ、前人未踏の新しい世界を生み出す一歩となる。
私がここに言っていることは、格差をなくして一律平均にリセットして暮らそうということではない。既存の資本社会の枠組みを一定の形を変えて残しつつも、それだけに依存しないで済む民主社会主義国家を樹立することにある。まずは段階的な一として、それぞれの自国とする場所で、自給自足、自給生産率100%の社会を実現できる枠組みを整え、その上で多国間と新たなつながりを作るということである。
資源は木を伐採する出なく、山を削る出なく、難燃性マグネシウムは海水からいくらでも作れるはずだし、大麻のような植物資材が栽培されるようになればよいだけだ。
資材をもはや外に求める必要はない。
仕事のみに忙殺されてきた時間をわずかでも人とのつながりを取り戻すことに割くことになればいい。そしてわれわれを生かす知恵を学びなおすことに向ければいい。
そのためには上記の動画は誰もが一見しておくべきで、来るべき契機に備えるための多大なる勇気とヒントをもたらすものだ。
私はそこに夢を感じて生きる力を得ている。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/449.html#c1
16. 2016年11月26日 08:35:19 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[396]
>12
あなたにはこれ以上言葉はありません。
お気の済むままにそのご自身の信念と価値観で、ご自身の「生」をご堪能されてください。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/438.html#c16
4. 2016年11月26日 12:50:27 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[397]
>2
マネーに関してはあなたの言うことももっともだが、それもまた道具の使い方というテーマ性に沿った問題である。それは人々が必要ないと理解したときに自然と消滅する。
今自分の中にあるものだけでことを成功に導こうと努力しなければ何の意味もない。
皆が何かをすべきだともいわないが、何も持たないものなど一人もいないと理解する。
そもそも自分に素直でなければ、覚醒などというものは起きない。本質的な解決策になど誰もたどり着かない。
ただ傍観することで何かを期待して待つといった状況で満足できるというならそれをしたらいい。自分を満足させることができるのは自分の働きだけだ。何をも生まないと決めれば、何も変わることはない。すべてあなた自身の決定だ。他人の人生をあなたがたは生きているのではない。
あなたも本質を履き違えた愚か者になりたいのであればこれ以上ここでは何もいわないことになるだろう。
自己に対する無責任さがそうした欲深さ、ずるがしこさにつながるのだ。
心に理解すべき物事の本質がいったい何かを自身の経験によってしっかりと理解するまでひとびとは同じことを繰り返すだろう。
われわれがただ傍観してことを待つといったことをしなければ、段階的にあなたの望むような世界は一歩一歩実現に向かって近づいていくはずだろう。そのことがわかったとき、あなたは誰に促されるでもなく、ひとりでに走りだしていることだろう。
ひとり性急にことを急いでも何も始まらないのは誰もがわかっている。
様子見をいつまでつづけるつもりかということだ。
人々は一体何にとらわれて、何を考えて生きているのかもまったくもってわからない状態が続いているのではないか。
自分の正常な働きを抑え付け、制止するためだけに働く観念にただ依存的になっているだけではないか。
はじめの足がかりを人々は必要としているなら、私が一歩踏み出そうとずっと考えてきた。そこに必要とするアイデアは勝手に湧き出してくる。点と点とが結びついていく。
魅惑的な考え、つまり血を流さない改革のための完璧なシナリオがあるとするなら、そこに人々は飛びつくだろう。
政治の舞台にあるものだけがそれを考えるべきだとするのは虫がよすぎる。政治家が無能だと認めておきながら、自分は批判だけして何もしないで傍観する。そんな身分のものなど一人としてこの国にはいないはずだ。応援する政党に魅惑的なアイデアがないと理解するなら、優れたアイデアを民間から募らせ、それを採用させればよいだけである。
そしてそのアイデアを誰もが共有することになれば、人々はそこに牽引され、ひとりでにそこに向けて動き出すだろう。経営に頭を常に悩ませてきた企業トップもみなそこに引きずりこまれていくだろう。わたしはそう信じてやまない。
あなたもそうしたいのだろう。ならそうすべきだ。ただ現状からの飛躍だけを望み、ただ反発を繰り返してだけいても何もはじまらない。何も動きださない。
時期はすで到来しているのだ。情熱的に人は動くことで自分を信頼できるようになる。
どんな小さなことでも、その思い付きを形にすべく動いてみることだ。
同じ要求が一致するもの同士、手を組み、つながりをつくり、そこで自分のアイデアをよりよいものにしていくことができるだろう。そうしたものたちとわたしはつながりたい。
>3
あなたがそこでその拡散をわずかでも手伝うといった発想がでないとするのはおかしな話だ。わたしはそこで少なからずあなたに不信感とあきらめの念を抱くことになってしまうわけだが、それでいいかね?
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/449.html#c4
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