1. 2016年1月11日 21:37:18 : Dy0i22Cxzd : Wn6poAEOXdU[1]
川上は一様にサラフィー主義と一括りにしているが、アラブの春を契機に荒らしまわっている連中はサラフィー主義者とは一線を画す、サラフィージハード主義者であると言いなおさせていただく。
サラフィー主義はイスラム法を解釈する教義のひとつで学問としてちゃんとある。
サウジの国教であるワッハーブ主義はサウジの王政を合法化するために取り入れられたサラフィー主義の亜種のようなもので、王政容認以外、基本的には同じものである。
対してサラフィージハードは王政はもちろん、ムハンマドでさえ基本的には重要ではなくムスリムにとって最も重要なのはアラー(神)だけ、だからクルアーンも必要ない。
アラーの啓示とそれを実行するムスリムの大導師であるカリフがいればよいというもの。
サラフィージハードはイスラムの原理主義というよりカルトである。
これを理解するのに一番適切なのは王政復古と尊王攘夷を唱えて幕府を倒そうとした攘夷派浪士たち。
水戸学の尊王攘夷論が与えた影響から、最過激な倒幕運動が一気に突き進む様はサラフィージハードと被る。
日本の研究者の中にはサラフィージハードに走るムスリムたちを幕末の攘夷運動と似ていると指摘する人もいる。
サラフィージハードに走るムスリムに共通するもの。
財力、学力ともに恵まれ中流以上の家庭に育つ。
エンジニアや医者、弁護士などの資格を持つ者。
欧米世界に留学経験および千古や縁を持つ者。
情報を閉じた者たちでなく、貧しき者たちでなく、知恵もあり知識もある者たちが吸い寄せられる。
それは遅れたアラブ世界という劣等感により招いたアイデンティティーの損失と、イスラムという共同体に依拠依存することで自己を癒したいという回復欲求の表れであると思う。