7. 2015年12月11日 20:22:27 : zN9GxHEhYI : VfNxcAUW8hs[1]
>『祖国に何かあれば後に続きます』
歴史伝統を重んじる保守議員は、明治憲法下での神社参拝は
宗教行為ではなく忠誠心の表れ(文部省)ってままなのか。
産経ニュース
【浪花ぐらし】「靖国神社」は文明開化の象徴だった?
初代宮司の末裔が語る「誕生物語」に興味津々
http://www.sankei.com/west/print/151129/wst1511290011-c.html
青山上総介(清) 靖国神社初代宮司
「靖国誕生《幕末動乱から生まれた招魂社 》」(堀雅昭著)
東京招魂社内外人競馬図(靖国神社の競馬) 1871年(明治4年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%B2%A1%E8%8A%B3%E5%B9%B4#/media/File:Tukioka_yositosi_shokonshakeiba1871.jpg
京都招魂社は福羽美静が知られる。
で、朱子学から国学が生まれ、国学四大人に平田篤胤がいる。
明治に神仏判然の令を出した(神道国教化や祭政一致をめざした)、
亀井茲監、福羽美静、大国隆正らが名前を残す。 (津和野藩)
【読書日記】からの借用して、
自分が死んだあとの、我が魂の行方は既に決めている。
それはどこかというと、宣長のそばだ。
もし大御国に射向き奉る夷(えみし)があって、宣長の心を痛めたら、
この篤胤が、見て参ります、としばしの暇をこいて、虚空(おおぞら)
かけて、神軍に強いて加わり、その先鋒となって、打ち払い、追い
払って、山室山に帰って、宣長に復命するだろう。 愉快な事だ。
これは篤胤の常の志だ。
読書日記
http://blog.livedoor.jp/shinbookdiary/archives/66029722.html
平田篤胤は、本居宣長の没後門人。 宣長の死後の世界観を
篤胤は、解釈し直して《霊》の概念を取り入れた。 それが上の一節。
《霊》の概念が、儒教と仏教を排しとしているからキリスト教からとなる。
宣長の墓所は山室山で、山室山を桜山招魂場に、宣長を天皇と
読み替えると神社の性格がわかる。
産経のニュース、この宗教観が長州桜山招魂場、青山清につながる。
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/833.html#c7