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舛添氏都知事 昔から問題視されていた“性格”
2016年6月10日 16時0分 東スポWeb
東京都議会で連日糾弾される舛添要一東京都知事(67)について、東京都議会の総務委員会理事会は9日、同知事に対する集中審議を13日に加え、20日にも開くことを決めた。追及に耐えられるかが焦点となってきた。
「政策より性格なんだよ」。2012年の都知事選前、元同僚の自民党議員が舛添氏についてこう叫んだことがある。昔から問題視されていた“性格”を物語るエピソードはこれまで様々あった。
07年、参院選に出馬していた舛添氏は大阪で演説中に暴漢に襲われた際、あざとさが顕著に表れた。東京駅で新幹線から足を引きずりながら降りてくるところにマスコミを集め、撮影させる“パフォーマンス”をした。
大阪の政界関係者は「襲われて血だらけになったのはほかの関係者で、舛添氏はかすった程度。むしろ『これで選挙は(同情票で)勝てる』と周辺に豪語していました」というからあきれる。
10年には自民党若手議員の兄貴的存在になり、党改革を繰り返し強調していた。ある自民党関係者は「舛添氏はパフォーマンスが過ぎるとベテランに嫌われていた。だから若手が電話して励ましたのです。『今から一緒に飲みませんか』と聞いたら『人と会う』と断ったそうです」と明かす。
後日、舛添氏は自民党を離党して、新党改革を結成。後になって、若手が誘ったその日に新党改革結成の打ち合わせをしていた疑惑が浮上。二枚舌の素顔を知った若手議員らのショックは計り知れないものがあった。
同年7月の参院選で新党改革は惨敗。テレビ局関係者は「開票の日、新党改革の開票センターはお通夜のようでした。まだテレビ中継出演の予定があったのに、舛添氏は勝手に帰ってしまった。『風邪気味だった』と関係者は言ってましたが、怒って帰っただけでしょう」と話す。プライドが許さなかったのだろうが、器の小さい話だ。
14年の都知事選時、自民党内では舛添氏推薦に反対が続出し「結局、党本部として推薦はしていない。東京都連での推薦にとどまった」(政府関係者)。当時「性格は死んでも直らない」とまで言われていたが、それは正しかったようだ。
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