[政治・選挙・NHK216]
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新共産主義クラブ[2545] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2016年11月17日 11:33:24
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主な指定暴力団は、戦後復興期に大都市での港湾荷役業務の請け負いから組織を大きくしていった。
代表的なものでは、神戸港の山口組、東京港の住吉会、横浜港の稲川会が挙げられる。
稲川会の藤木幸太郎や、住吉会の倉持直吉や阿部重作など、組織のトップ自身が、もともとは港湾荷役労働者であった例もある。
■ 田岡一雄
田岡 一雄(たおか かずお、1913年3月28日 - 1981年7月23日)は、日本のヤクザ、実業家。
山口組三代目組長。甲陽運輸社長、芸能事務所・神戸芸能社社長、日本プロレス協会副会長。
三代目襲名時の組員は三十数人だった。
港湾荷役と神戸芸能社は組の二大収入源となり、山口組のその後の全国的な活動を支えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B2%A1%E4%B8%80%E9%9B%84
■ 阿部重作
阿部は若い時に横浜に出て沖仲士をし、その後東京に出て生井一家系の武部申策の流れをくむ住吉一家の客分であった高木康太の盃をうけて渡世入りした。
高木康太は東京湾の埋立が開始された頃、芝浦に労働供給業「高木組」を設立して港湾荷役の仕事を行った。
戦後も「芝浦海陸作業」を設立した。
長い事、高木のもとで代貸をつとめていた阿部は、この芝浦海陸作業を継承する。
戦後1948(昭和23)年、住吉一家を阿部重作が三代目を引き継ぐ。
草妙清寺事件によって住吉一家は内部対立の火種を残し、また警察からも執拗な検挙取締りをうけたことから、この事件を教訓として阿部は組織再編に乗り出し、友誼団体との団結をはかるべく、関東の博徒、テキヤ、愚連隊など28団体を集結して、昭和33年に「港会」を結成した。
http://kasutorizasshi.blog.fc2.com/blog-entry-292.html
■ 藤木幸太郎
藤木幸太郎は沖仲士から身を起こし、やがて横浜港の港湾荷役の中心者となり叙勲を受けるまでになった人物。
稲川会埋地一家の初代組長。
長男は横浜エフエム放送株式会社 代表取締役社長の藤木幸夫。
「世間の人のしあわせに役に立たないような仕事は企業とはいわれない
どうせ額に汗をして働くからは
胸を張って他人のよろこぶ仕事に打ち込むことが
男と生まれた甲斐というものではないか」(藤木幸太郎)
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9C%A8%E5%B9%B8%E5%A4%AA%E9%83%8E
■ 沖仲仕
沖仲仕(おきなかせ、おきなかし、ステベドア/ステベ Stevedore)は、狭義には船から陸への荷揚げ荷下ろしを、広義には陸から船への積み込みを含む荷役を行う港湾労働者の旧称。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E4%BB%B2%E4%BB%95
(参考) 石原慎太郎とカルト宗教(オウム)と暴力団(住吉会)[逝きし世の面影]
http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/204.html
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/195.html#c2
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