71. 2015年12月24日 23:22:08 : FqxuxwzVs2 : PzvcrWV1j20[1]
>わからないねぇ〜、おマエさんの言うことはちっともわからない。
結局、当初の、バカの一つ覚えしか言えなくなったことにオマエの全てが顕われてる、ということだ。
「わからない」というから、何が、どう解らないのか、具体的な論点に即して問い質してみると、それは、単に、知らないということに過ぎなかった。
初めの内はそれなりに疑問なり異論を言う素振りをしたものの、やり取りをしている間に、自らの無知がバレバレになるのを恐れてか、論点ズラシとスリカエ、誤魔化ししか出来なくなった。 丁度、ボクシングの試合で、ファイティング・ポーズはするものの、アウトボクシングよろしく、距離を取って構えてるだけ、こちらがコーナーに追い込むと、直ぐにロープに逃れ、一向にラチが明かない。 業を煮やしたオレが、一計を案じて、わざとノーガードにして隙を見せたら、ここぞとばかり打ち込んできたんだなww で、そこをカウンター一発、オマエはマットに沈んだ。ww ー63.とはそういうことだ。
>国体の定義
オマエ自身の定義がツジツマ合わないことを事例を挙げて指摘している。 反論が出来ないのなら、それを認めたことになる。
そもそもが、上杉慎吉を出して説明しようとしたことが何も解ってないことの証明なんだぞ!
オマエは、上杉慎吉を伝統的、復古的な考え方の持ち主と思い込んでいたのだろうが(実際には、彼について、何も知らないんだろ?w)、大きな間違いだ。
その当時、学問においても西欧の頂点に在ったドイツに留学して、西欧近代の国家思想を学んで帰った彼が単なる伝統主義者、復古主義者じゃないことは明らかだろ。
『皇国日本のデモクラシー』の住友陽文によれば、上杉の「天皇主権」=「体制意志」とはルソーの「一般意志」と殆ど同じで、そこには直接民主主義的な志向が明瞭に透けて見えるという。 そうして、これは、最近の歴史学者の整理に従えば、「東アジア(中華世界)の王権」=「一君万民」型と西欧近代の国家思想の折衷を図ったものだ、ということ。 つまりは、オレがこのコメ欄で言ってきたことの例証と言えるものなのだ。
もう一つ、ダメ出し的に言っておくがー(オマエには解らないから、コメント無しでよいw)−「国体」について論及する者が、何故八木如き三流学者モドキのレベルで止まっているのか?
「大日本帝国」「国家神道」「国体」−これらは、敗戦を契機に、その神話作用(R.バルト)を失ったのだ。
つまりは、敗戦で、「国体」に纏わるアウラ(ベンヤミン)が消え、「国家の統治形態」という本質だけが残ったということ。
もはや、八木如き、勘違いの復古論者しか残っていないということだ。
http://www.asyura2.com/15/senkyo196/msg/586.html#c71