87. 2016年2月28日 12:14:41 : os75vVjogU : PRwbBzKp_Ik[1]
2013.11.9 07:38
【中高生のための国民の憲法講座】
第19講 憲法9条 芦田修正が行われた理由 西修先生
http://www.sankei.com/life/news/131109/lif1311090026-n1.html
憲法9条の成立過程との関連で避けて通ることのできないのが、いわゆる芦田修正といわれているものです。
ポイントは2点。1点目は1項冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言を、2点目は2項の最初に「前項の目的を達するため」をそれぞれ追加したことです。この芦田修正によって、現在の9条が完成しました。
◆挿入された語句
解釈上、重要な点は2点目です。衆議院に提出された政府案の9条2項は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない」と定められていました。このような規定では、「陸海空軍その他の戦力」(以下で「戦力」と総称)は、どんな場合でも保持してはならないと解釈されます。「前項の目的を達するため」の語句が挿入されることで、戦力の不保持が限定的になります。すなわち1項で放棄しているのは、「国際紛争を解決する手段」としての戦争や武力行使であって、言い換えれば、侵略を目的とする戦争や武力行使です。そのような侵略行為を日本国は絶対にやらないことを規定しているのが、1項の眼目といえます。
2項に「前項の目的を達するため」が加えられたということは、侵略行為をしないという目的のために戦力を保持しないこととなり、逆に言うと、自衛という目的のためであれば、戦力を保持することは可能であるという解釈が導き出されることになります。
この修正案が持ち出され、成立したのが芦田均氏を委員長とする小委員会だったことから、芦田修正といわれているのです。芦田氏は、昭和32(1957)年12月5日、内閣に設けられた憲法調査会で、以下のように証言しています。
◆自衛の戦力保持可能
「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります。『前項の目的を達するため』を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがって、この修正があっても第9条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります」
こうして、「自衛のためならば、戦力の保持を可能にするために」芦田修正が成立したのですが、歴代政府は、この芦田修正を考慮に入れた解釈をしてきていません。2項を全面的な戦力不保持と解しています。自衛隊を「戦力」といわず、「自衛力」と説明しているのはこのためです。いまや世界的に有数の実力を備えた自衛隊を「戦力」でないと言い続けるには限界があります。政府が芦田修正を踏まえた解釈をしてこなかったことが、自衛隊の憲法上の存在をあいまいなままにしてきている元凶といえます。
2013.11.23 11:31
【中高生のための国民の憲法講座】
第21講 西修先生
http://www.sankei.com/life/news/131123/lif1311230017-n1.html
■憲法9条 共産党の徹底的反対
憲法9条が帝国議会で審議されたとき、徹底的に反対したのが日本共産党でした。昭和21(1946)年8月24日に行われた同党の代表演説が、議事録にはっきり記録されています(衆議院議事速記録第35号)。
「(政府提出の9条案)は、現在の日本にとっては一個の空文にすぎない。われわれは、このような平和主義の空文を弄(ろう)する代りに、今日の日本にとってふさわしい、また実質的な態度をとるべきであると考えるのであります。それはどういうことかといえば、いかなる国際紛争にも日本は絶対に参加しないということである。要するに当憲法案第2章(注・9条)は、わが国の自衛権を抛棄(ほうき)して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえにわが党は、民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない」(現代かなづかいに改めてあります)
●「空文を弄ぶ」と批判
憲法9条の問題点を実に鋭くついているではありませんか。9条は「空文を弄(もてあそ)ぶものであって、民族独立のために反対しなければならない」と強い調子で批判しています。このとき、共産党は、独自の『日本人民共和国憲法(草案)』を作成していました。その5条には、次のような規定がありました。
「日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力し、民主主義的国際平和機構に参加し、どんな侵略戦争をも支持せず、またこれに参加しない」
ここに共産党が、自衛戦争を容認していたことは明らかです。6月28日、同党の野坂参三議員が、衆議院で以下のような発言をしています。「侵略された国が自国を護るための戦争は、われわれは、正しい戦争といってさしつかえないと思う。憲法草案に戦争一般抛棄という形でなしに、われわれはこれを侵略戦争の抛棄、こうするのがもっと的確ではないか」
●適当な時期に改正
共産党に次いで、政府案に反対したのが、日本社会党(現在の社会民主党の前身)でした。同党は、同じ8月24日、前文に「搾取と窮乏」からの払拭を加えること、財産権の不可侵条項を改め、「経済生活の秩序は、公共の福祉を増進することを目的とする」と規定して、より社会主義的な内容にすることなど、いくつかの修正案を提出しました。この修正案は、衆議院において賛成少数で否決され、社会党は次善の策として、政府案に賛成しました。
このとき、社会党議員として、現行憲法の作成に尽力した森戸辰男氏は、『中央討論』(昭和22年9月刊行)という雑誌で、「新憲法が、民主主義の徹底、わけても経済的基本人権規定においていまだ不十分であることを国民に訴え、適当な時期を捉えて改正を図るべきである」と述べています。
こうして、今は憲法改正反対を唱えている共産党も、社民党も、もともとは憲法改正を強く訴えていたのです。
◇
【プロフィル】西修
にし・おさむ 早稲田大学大学院博士課程修了。政治学博士、法学博士。現在、駒沢大学名誉教授。専攻は憲法学、比較憲法学。産経新聞「国民の憲法」起草委員。著書に『図説日本国憲法の誕生』(河出書房新社)『現代世界の憲法動向』(成文堂)『憲法改正の論点』(文春新書、最新刊)など著書多数。73歳。
2014.7.19 10:56
【中高生のための国民の憲法講座】
第55講 自衛権と自衛隊をめぐる学説 高乗正臣先生
http://www.sankei.com/life/news/140719/lif1407190020-n1.html
安倍晋三内閣は、閣議決定によって従来の政府解釈を変更して集団的自衛権を限定的に行使できるとしました。集団的自衛権の行使を可能とすることは、信頼できる他国との関係を強くし、抑止力を高めることによって、紛争の可能性を減らすことにつながります。
◆憲法9条の解釈
これまで、政府が集団的自衛権の行使はできないとしてきた理由は、憲法9条の解釈にありました。実は、自衛隊を憲法上どのように位置づけるかの点についてはあまり明確でなく、現在でも学説は分かれています。
憲法9条2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めています。以前から、近代的軍事力をもつ自衛隊は9条2項が保持を禁ずる「陸海空軍その他の戦力」にあたるのではないかが問題となってきました。
一般に、戦力とは、外敵の攻撃に対して実力で抵抗し国土・国民を防衛することを目的・任務として設けられる組織を意味します。
憲法9条と自衛権、自衛隊をめぐる学説を大別すると次のようになります。
まず、(1)説は、自衛隊は明らかに「陸海空軍その他の戦力」にあたり憲法違反であると主張します。また、わが国も自衛権をもつが、それは軍事力によらない、いわば「武力なき自衛権」であると主張します。
(2)説は、憲法9条2項冒頭の「前項の目的を達するため」という文言(芦田修正)を重視して、1項が侵略戦争を放棄していることを前提に、憲法が保持を禁じている戦力は侵略のための戦力であって自衛のための戦力は認められる。自衛隊は明らかに自衛のための戦力だから合憲であると主張します。
(3)説は、自衛のためであっても戦力は持てないが、自衛権が認められる以上、戦力に至らない必要最小限度の実力(自衛力)は保持できる。自衛隊はこの必要最小限度の実力であるから合憲であり、自衛権の行使もこの必要最小限の範囲に限られると主張します。政府はこの立場をとってきました。
最近の(4)説は、自衛権は戦力の発動を伴うものだから、戦力の保持を禁じた憲法の下では自衛権は実質的に放棄されていると主張します。
◆学説の検討
(1)説に対しては、自衛権は武力攻撃があった場合に発動されるものであり、当然に武力・軍事力の保持と行使を前提にする権利だから「武力なき自衛権」などという言い方は矛盾であると批判されます。
(2)説については、世界各国の戦力(軍隊)は、どのような国でも建前上はすべて自衛のためであり、侵略用の戦力の保持を憲法で認めているような国はない。世界でも例のない特異な憲法9条2項の規定を無意味にするような解釈は無理であると批判されます。
3)説については、そもそも自衛力と戦力とを区別できるのか。なぜ、世界有数の精鋭部隊である自衛隊が戦力・軍隊でないといえるのかという批判があります。
(4)説に対しては、主権国家の固有の権利とされる自衛権を憲法で放棄できるのか。さらに、自衛権を放棄することは国家が国民の生命・自由・財産を守るため国外からの不正な侵害を排除し、防衛する責務があることと矛盾するなどの批判があります。
このように、今の憲法9条の下では、自衛権と自衛隊の存在を何の疑いもなく説明することは、それほど簡単ではないのです。
2014.7.26 11:34
【中高生のための国民の憲法講座】
第56講 9条解釈の限界と改正の必要性 高乗正臣先生
http://www.sankei.com/life/news/140726/lif1407260021-n1.html
憲法の解釈は、文学作品の解釈とは異なり、条文に示された文言の上から一定の限界があります。したがって、解釈の見直し、変更には限度があり、それを超えると思われる場合には憲法改正の手続きをとるのが法治国家としてのあるべき姿です。今回、閣議決定された集団的自衛権の行使を認める憲法9条の解釈変更について考えてみましょう。
◆特異性
憲法9条の原型は、敗戦後、日本が二度と再び世界平和の脅威にならないようにと考えた連合国軍のマッカーサー元帥が示したノートにありました。そこには、国際紛争解決の手段としての戦争とともに自国の安全を保持する戦争まで廃棄するとされていました。それがあまりにも現実的でないということで、連合国軍総司令部(GHQ)民政局の中で手を入れられ、帝国議会の芦田小委員会でも修正が加えられました。けれども、現行の憲法9条2項は、世界でも類例を見ない特異な規定すなわち戦力の不保持、交戦権の否認をおいています。
戦後の日本を取り巻く国際情勢は厳しいものでした。朝鮮戦争の勃発から米ソの対立、ベトナム戦争の泥沼化がそれでした。そのような激動する国際政治の中にあって、政府は自国の平和と安全を維持し、国民の生命、自由、財産を守るため、必要最小限度の実力を持ち、その範囲内で自衛の措置をとることは9条の範囲内で認められると解釈してきました。
他国が武力攻撃を受けた場合に、直接に攻撃が加えられていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である集団的自衛権は、現代の国際情勢を冷静に見る限り、わが国の安全保障のために必要な権利といえます。
今回、政府は「わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」には武力行使が許されるとしました。
◆自衛軍として正しく
ところが、前回にも触れましたが、現在の政府も依然として自衛隊は戦力には至らない「必要最小限度の実力」(自衛力)だとしています。24万の隊員、その組織と編成、装備、訓練、教育、予算などを客観的に見る限り、現在の自衛隊を戦力でない、軍隊ではないと解釈すること自体、欺瞞(ぎまん)的だといえます。自衛隊が大陸間弾道ミサイルや長距離爆撃機のような攻撃的兵器を持たないということだけで、戦力でないとはいえません。
要するに、一方で、自衛隊は戦力、軍隊ではないとしながら、他方で、通常の戦力、軍隊が行える集団的自衛権を行使できるとするところに憲法解釈上の無理があります。
力による現状変更が行われようとしている東アジアの平和を維持し、わが国の安全を確保して国民の生命、自由、財産を守るためには、独立国家として自衛戦力の保持が憲法上認められるべきです。また、一国平和主義をとるのではなく、国連による集団安全保障、国連平和維持活動への貢献、集団的自衛権の行使も憲法で明確に認められるべきでしょう。
わが国が法治国家である以上、本来は、政府の解釈変更によるのではなく、憲法9条を改正して、わが国の平和と安全に貢献している自衛隊を正しく自衛軍として位置づけるべきだと思われます。
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【プロフィル】高乗正臣
たかのり・まさおみ 中央大学法学部卒業。亜細亜大学大学院法学研究科修士課程修了。嘉悦女子短期大学教授を経て現在、平成国際大学法学部教授、副学長。専門は憲法学。著書に『人権保障の基本原則』『現代憲法学の論点』『現代法学と憲法』『法の原理と日本国憲法』など。69歳。
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html#c87