2. 2016年10月09日 17:52:14 : FSM6Axp2iw : O5kwVCOx9Yw[1]
感情論なら誰もが死刑に賛成だ。
だが感情の共有は自明の正しさという無謬と誤信を生みやすい。
それだけに感情論と切り離したところで、あえて冷静な論議がこういう問題には不可欠とされてきた。
とはいえ、当事者すなわち被害者遺族の個人的感情に話が及べば冷静な議論などなかなか噛みあわず、どうしても感情的な帰結に流れやすいのも人の道理。
それを否定する気はまったくないが、当事者の気持ちになってみろ、死刑反対なんて言えるか?と大上段に振りかぶられて反論できますか?とやられるのはどうにも筋が違うと思いたくもなる。
詰まる所このような議論の行き着く先は感情論の先にある意識の共有という正論なのだが正論ゆえにそこで論はぶった斬られて死刑は不可欠で落ち着くと、殺す殺されるといった物騒な論議はなにも死刑に限られず、もっと大きな事象にまでその論理が援用されかねない。
たとえば当事者と当事者でない第三者が感情的に同意できるというだけでわかりやすい結論を選択すること、それを以って目には目を、歯には歯をという復讐の論理を肯定するなら、この半歩前へとかいうブロガーは自分がエントリーした戦争に言及した記事で今まで筆誅よろしく批判否定してきた安倍政権および憲法改悪について、復讐の論理なら戦争に赴くことも当然だと感情論そのままに安倍も安倍政権の憲法改悪も肯定すべきではないのかと思った。
このブロガー、感情的なブログを書くことの怖さについて無神経すぎるのではないのか?
http://www.asyura2.com/16/senkyo214/msg/200.html#c2