3. 2016年8月25日 11:59:48 : FCLBcTd6qA : NE9bbn2KYcg[1]
椎名林檎は様式美としての日本という伝統が好きなだけで、伝統とか様式美とかまったく関係なく日本が中国や韓国より評価が高ければなんでも食いつくネトウヨたちのとにかく日本が一番優れてるのド低脳なジャイアン認識とは、そもそも美の基準感覚がぜんぜん違うのだが、昨今のネトウヨ基準だと椎名林檎もネトウヨのお仲間扱いにされてしまいかねないのが著しく不満ではあるな。
とはいえ、椎名にそこいら(ネトウヨと同類にされる誤解)の警戒感が微塵もないのが問題を招いているということに尽きるわけだが、まあ、先ごろ逝った演出家の蜷川幸雄が同じ東京五輪招致の委員をやってて、椎名に五輪開会式の演出をAKB黄金虫の秋元康に好きなようにやらせていいのか?と詰め寄り、あの蜷川が椎名の詰め寄りに言葉を濁したという前例もあるくらい、日本の様式美の伝統にコダワリがあるのは知られていたが。
その蜷川も映画の中で曲を使っていたほどに好きな戸川純というアーティストがいるが、この戸川純こそが椎名林檎の基といっていいほどに、戦前と戦後の近代史の中の日本と世界の様式を歌の中に織り込んで新しいアングラ歌謡ニューウエーブと80年代から90年代初頭の日本の音楽シーンの裏面を飾ってきて、椎名林檎が98年に彗星のごとくデビューすると、その歌い方や表現方法、詩の内容を巡って彼女こそ戸川純の正当な嫡子とかパクリとか今日まで言われ続けることとなった原型なのだが、戸川純も過去に愛国心について濁りのない愛国心は持つべきだと語っていて、それはYoutubeにも今も残っているが戸川の言う愛国心とはもちろん右派やネトウヨが無批判に追従する信仰としての愛国心のことを言っているのではない。
戸川の言う愛国心とは、過去からの伝統とか様式美としての日本が好きだという、いわば椎名林檎が愛してやまないものと同じである。
この発言にYoutubeのコメント欄は絶賛の嵐だが、もちろん多くはネトウヨと思しき連中のモノといえる。
いずれにせよ、愛国心について野田秀樹の言うように五輪のような大きなイベントは戦争に模した国威発揚に過ぎないとの批判は一面的にはまったくもってその通りなのだが、人が死なない模擬の戦争ならガス抜きとして大いに結構だとの肯定意見もあることも含めて、たとえばスタンリー・キューブリックなどは戦争はこの世で最大の総合芸術であるとして「フルメタル・ジャケット」を制作したように、であるからこそ戦争をシニカルかつ無意味なものとして観る者たちに暗喩として落し込む意味を与えてくれたりもする。
阿修羅ユーザーも日本が憎くて日本の諸問題を放置する現政府と為政者を痛罵しているわけではなく、日本という国あるいは故郷が好きだからこそ、それを壊そうとしているように見える人物や機構を批判するのであって、それも愛国心から放たれたものである。
ナショナリズムをかんがえるとき一言でぶった切れるほど簡単にはいかず、なかなかに面倒な問題であることはいうまでもない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/642.html#c3