8. 母系社会[1197] leqMbo7Qie8 2016年6月07日 22:08:52 : cDgltGgwRA : K0ybxCBedY8[1]
●欧米は、アジア(東アジア+南アジア+西アジア)に世界の主導権を奪われることを恐れている。
なぜなら、今まで欧米はアジアやアフリカ、南米諸国を植民地にして民衆を搾取し、更に奴隷貿易で富を築いたので、賠償要求や報復を恐れている。
欧米には、米国が原爆投下を正当化して謝罪しないように、植民地主義を公式に反省・謝罪し、賠償しようとする国など一つも無いのが現状。原爆投下と同じように、必ず謝罪させ、賠償させるべきである。
●それで、とにかく東アジアや南アジア、西アジアの3地域がそれぞれ団結し、更にこの3地域が、一つの<大アジア>として大団結し、アフリカ諸国や南米諸国を率いて、欧米に対抗してくることを恐れている。
欧米諸国は、東アジアや南アジア、西アジアの各地域で、それぞれの地域にある「対立」に火を注ぎ、対立関係を増幅して激化させ、アジアが大同団結することを阻止しようとしている。(欧米は、西アジア=中東ではイスラム主義による西アジアの統一だけでなく、ナセルなどによる世俗主義による西アジアの統一も妨害してきたのが真実)
誠に残念ながら、中国も含めて全てのアジア諸国の指導層には、日本の従米派のように地域内の対立を増幅=激化させようとする「裏切り者」がいて、意識的、無意識的に欧米のアジア分断工作に協力している。
(中国が世界に冠たる「大国」になることを望むなら、中国は小国と同じ立場で<利>を争うべきではない。つまり、中国が譲歩するべきである)
●しかし、世界に平和をもたらし、人類を戦争の危機から救出できるのは、<アジアの文明>である。
なぜなら、<アジアの文明>は、人類が何万年、何十万年も費やして形成してきた人類の<太古の知恵>(現在の先住民たちの文化)を継承している文明だからである。この<アジアの文明>の特徴は、欧米との<人間観>の違いとなって現れている。
例えば、日本ではどんな人でも死ねば<ホトケ=神>と見なすが、このような人間観は、「生まれながらの悪人はいない」という太陽崇拝の「天皇教」(農業の宗教)以前の古神道=縄文神道(狩猟採取民の宗教)の人間観が背景に有る。もし、生まれながらの悪人がいると考えるのであれば、日本人が悪事をした人まで、<ホトケ=神>と見なすようなことをするはずがない。
アジアで誕生した典型的な関係主義(縁起論)の立場の仏教が、「生まれながらの善人」(性善説)や「生まれながらの悪人」(性悪説)という本質主義的な人間観を否定する宗教であることは言うまでもない。また、中国で誕生した儒教も「衣食足りて礼節を知る」と教え、本質主義的な人間観を否定する。
つまり、儒教では、人が悪事を為すのは「衣食が足りない」=「生活が貧しい」からと考え、生活が豊かになり、教育を受けられるようになれば、人は悪人にはならないと教えている。
これも、「生まれながらの悪人はいない」という人間観が背景に有り、悪人になるかどうかは生後の環境次第という非本質主義的な、関係主義的な人間観なのである。
また、万物の生成消滅を「陰陽説」や「陰陽五行説」で説明する道教系の宗教も、人の善行や悪行を、「陰と陽」や「五行」(木、火、土、金、水の5種類の元素)間の<力関係>で説明するので、本質主義的な「性善説」や「性悪説」を否定する関係主義の宗教である。
更に、全ての人間や万物は、潜在的には皆同じイスラム教徒と見なすイスラム教も、「生まれながらの悪人」などいないというアジア的な人間観の宗教。
★つまり、日本の古神道=縄文神道も含めたアジアの主な伝統的宗教の人間観は、全てキリスト教の<神が人間を善人と悪人として創造する>という本質主義的人間観とは対極的な人間観であり、このアジアの伝統的人間観が平和な世界を実現する可能性を秘めている。
なぜなら、キリスト教のように、神が人間を善人や悪人として創造したと考え、この世には善人だけでなく、悪という本質を内在的に具えた「生まれながらの悪人」が居ると考えると、そのような悪人は矯正不可能だから殺しても良いとなり、結局、殺人肯定思想となるからである。
●もちろん、近代戦争の「原因」は<資本主義経済>そのものである。しかし、この資本主義の弱肉強食的な世界システムが、この本質主義的な殺人肯定思想や人種差別思想=自民族優位思想と相互作用し、思想的に植民地争奪戦争=帝国主義戦争を支えたのである。
この殺人肯定思想が、人権思想を構築するという良い面もあった自由主義者(資本主義者)を、残忍な植民地主義者=帝国主義者に変身させる一助となり、その結果過去500年間、アジアやアフリカ、南北アメリカの先住民が辛酸を舐める破目に陥ったのである。
★したがってアジアが、全体主義でも個人主義でもない伝統的な非本質主義的人間観(仏教の関係主義的人間観)を理念に掲げ、アフリカや南アメリカ諸国と協力して、欧米の過激な個人主義的、本質主義的人間観(機械論的な要素主義の人間観)を排除し、平和な世界を実現するべきである。
(過去の日本右翼による「アジア主義」は、単なる欧米による「被害者同盟」=「理念無き同盟」でしかなかったので失敗した)