2. 2016年10月21日 20:33:03 : sGblDOf0UM : JXQA5P6IRkc[1]
バカな右派や保守派に見られる体罰は日本の伝統という誤った観念に基づく思い込みを糾さずして、真に日本の伝統を見直す機会は永久に失われれるだけだ。
まず子供に体罰は必要という考え方は明治期に入ってきたキリスト教文化の影響であり、日本には我々が当たり前だと思い込んでいた子供を叩いたりお灸をすえたりして言うことを聞かせた躾という文化は微塵もなく、江戸時代やそれ以前から子供に対して言葉で言って聞かせることはあっても、親が子に手を出したり鞭で叩くというようなことはなかった。
武士の子も町民の子も、農民の子も押しなべて子供には甘く、溺愛に近い可愛がり方をしていたのが普通だった。
戦前の日本でも小学校教育の場で先生が生徒に手を上げるといった体罰行為は本当に少なく、学校の教師がビンタや拳で子供を殴ることが普通だと思ってきたのは戦争が終わり、復員兵が教師として学校に入るようになってからである。
なぜなら復員兵は総じて軍隊で鉄拳制裁やシゴキを経験しており、その名残を学校に持ち込んだのが躾となって受け継がれたので、体罰が躾と認知されたのは戦後のことである。
そして復員兵といっても日本陸軍は体罰を禁止しており(ただし戦争が長引いて駐留が続くにつれ、兵隊間で私的制裁が横行した。長期駐留で上官の不満が下士官に行くイジメでありこれがイメージになっているが基本的に体罰は禁止されている)、主にイギリス式の海軍のほうが鉄拳制裁などの体罰が許されていたので、海軍上がりの教師は子供たちにとって恐怖の対象であった。
このように日本旧来の教育や子育てには、子供を叩くという発想は無縁である。
今日、我々が日本古来の普通の慣習だと思っていることも、実は近代に入って西洋から輸入化された思想や制度だということを、右派や保守派こそが見つめなおしてみるべきだろう。
それができない右派や保守はどんなゴタクを並べても、ただのクズだということで事足りる。
日本のことを語る資格はない。